飲み干した空瓶を規則正しく並べてしまうくせが、彼女にはあった。
瓶の数が四本あれば、二・二に配列する。
六本になると、一・二・三の組み合わせの三角を形成した。
七本の場合は、一本を中心に六本の瓶が取り巻くヘキサゴナルを作った。
今、ちょうど飲み干した十本目の瓶を唇から離して、べたつくリノリウムのステージ上に置き、三・三・三の配列を一・二・三・四のピラミッド状の並びに変形させた。
からっぽの瓶は十分に一本ほどのはやさで増えていた。思わずげっぷとしゃっくりが出てしまうが、できるだけ上品にやったと彼女自身は信じた。
「……後片付けは明日でいいか」
雷鼓はステージの上にごろりと寝転がると、バスドラムの中から引きずり出したミュート用の毛布にくるまって眠り始める。毛布は湿った埃と木屑のにおいがした。
さっきまで彼女が主役の一人として躍動していた音楽フェスティバルの会場は、ステージ上から見渡す限り、狂騒が終わった後のごみと泥濘の野と化している。
翌日――というより夜が明けて数時間後。その場所に立っていた霊夢にしてみれば、何の義理があってここを片付けなければいけないのかという気分だった。
「こんなのごみ漁りじゃないの」
と愚痴をなすりつけるべき相手は早々に仕事に取り掛かってしまっているので、ぼやく甲斐も無かった。彼女の視線の先で、にとりと魔理沙が、会場の外周に打ち捨てられた数十ものテントの集落を、ひとつひとつ査定し始めていた。
「血がついている、シミ付き、汚れあり」
「……天幕は処分して、骨組みだけいただくっていうのはどうだ?」
魔理沙がそう提案すると、にとりも頷いた。
「使いどころはあるかもね。それにしてもこのごみの量と種類――」
と、さすがの工業主義の河童も嘆息するのだった。
「客層もこの郷のものだけじゃなさそうだったし。はしゃぎすぎて結界ぶっ壊れたんじゃないの?」
「まあいいんじゃないか? なんせお祭り騒ぎだったからさ」
お祭りとはそういう事態も許容される。
しかしながら、つい先ごろまで夜通し行われていた音楽フェスティバルが、お祭りどころの騒ぎでなかったのも確かだ。後に自身の専門ファンジンからの取材に応えたプリズムリバー楽団が、いみじくも実感たっぷりに語ったように「あそこでは戦争以外の全てが起きていた」のだ。
「……まだ人がいた」
にとりはあるテントの外幕をめくったと思うとすぐに目を逸らして、ぼそっと説明した。
「寝てるからそっとしておいてやろうよ。お疲れのご様子だし」
「ふむ、おつかれね……」
魔理沙は含みのあるふうに言って、忘れようとするように首を振った。まったく、「あそこでは戦争以外の全てが起きていた」のだ。
作業を続けていると、また見知った顔に出会う。
「あんたらも祭りの後を見物に来たのかい?」
「地域ボランティアですよ」
にとりがずけずけ、失礼な物言いをしたのを、白蓮は反発も無くすいとかわした。
「公共スペースが汚れていたら、お掃除するのは当たり前でしょう」
もちろん、命蓮寺の住職は一人で片付けに来たわけではない。門弟たちを引き連れ、くずかごやごみ袋、火ばさみなども持ち寄ってきている。そのうちの一人に近づいた魔理沙は、ぼそりと言ってやった。
「……おまえの姉ちゃん、さっき見かけたぞ」
「え、マジで」
女苑は低く声を立てた。
「泥まみれのシャツや天幕なんか、向こうの水場で洗ってたぜ。古着でも拾いに来たんじゃないの」
「やだなぁ、他人のふりしてよ……」
不機嫌というよりは単純な気まずさから、女苑は自分のそばにいた一輪のそばに浮かんでいる雲山の中に、ぼすりと顔を隠す。今度は雲山が気まずい表情になった。
「……ま、いいや。別に縄張り争いするつもりはないよ。ここは誰のものでもないしね」
「捨てるにせよ再利用するにせよ、みんなで綺麗にしましょう」
白蓮がそう言って、黙々とごみを拾い始めるのを、にとりはぱちぱち瞬きしながら認めた。
「……そっちも、うちらが扱えそうなものを見つけたら教えて」
「ええ。なにもかも切り捨てて要らないものとするのは、こちらとしても心苦しいですもの」
そうした協定で衝突は回避されて、ふたつの勢力は別れた。命蓮寺の人々は会場の中央の方に移動して、にとりや魔理沙や霊夢は荒れ果てた混沌の縁をなぞっていく。
「……まあしかし、全部のお祭り騒ぎが終わった後でうろうろするのも滑稽ね」
霊夢が二人の後に従いながらぼやいた。
「――文字通り、後の祭りってやつだ」
と言った魔理沙は、あらかじめ拾っていた木の枝で、ふと泥の地面をかき回す。枝の先に引っかかって拾い上げられたのは、レース地のワイドオープンショーツだった。どうして観客たちは下着を脱ぎ捨てる必要があったのだろうと、その場の全員が思った。
ステージ上で目覚めた雷鼓は、二日酔いの頭をなんとかしゃっきりさせようと頭を振ったが、周囲に散らばっているからのビール瓶、興奮した客らによってステージに投げ込まれた下着、差し入れ、泥などが思考を邪魔する。会場の隅っこで清掃活動に勤しんでくれているボランティアを見つけた時にも、感謝より先に、なぜかとげとげしいいらだちの方を覚えてしまった。
「……とりあえず、ちりとりと箒持ってこようか」
「どこにあったっけ」
「裏っかわになかった?」
とステージの裏手をごそごそし始めたのも雷鼓ではなく、プリズムリバー楽団の三姉妹だ。夜明けの混乱の中で行方知れずになっていた彼女たちだが、昼頃になるとまた片付けに戻ってきてくれていた。
雷鼓はちょっと酔いを醒ましてくるとも言わず、ふらふらとステージの下におり立った。着地したところで足元に踏みにじってしまったのは、旗だ。赤地にトリスケリオン。コンサート中もはためいていた大量のフラッグのひとつがちぎれたものだろうが、雷鼓はその三脚巴紋を見て、なぜか二拍三連符を連想する。こんな時もドラムのフレーズやリズムパターンが、またたくように浮かんでは消えるが、さすがに上等なアイデアとはいえない。三十七分の三十三拍子なんてものを夢想して、後で水をがぶ飲みしながらそんな拍子は不可能であると棄却するような調子だ。
夢の中を歩く足取りで、会場を歩く。別にべらぼうに広大な敷地というわけではないはずなのに、一町歩ちょっとくらいの面積を横切るのに五分も時間を食われる。一足ごとにブーツの下の泥がごぽごぽ音を立てた。
霊夢たちが資材を漁っているところに、ようやくたどり着いた。
「すごい顔色」
最悪の体調とはいえ、出会った霊夢に挨拶もなく言われるとは、思ってもみなかった。
「……ええ、体が鉛みたいだわ」
それを聞いた魔理沙が、笑って言った。
「でもコンサートの最中、心はぶっ飛んでいたんだろ?」
「ぶっ飛びの前借りだったのかもね」
どうにもシニカルな言葉が口から出る気分だった。どちらかといえば楽天的な方なのに。
「それにしてもこれ、暴動でもあったの?」
にとりが口を挟んだのは、火事場かと思われるような地面の焼け焦げの事だった。焼け跡はちょうど会場の真ん中あたりに位置していて、灰になりかけてもなんとなく形を残している痩せたアルミ筐体、銅線の芯だけが残った絶縁ケーブルが泥の中をのたうち回って、絶縁体のゴムやラッカー塗料が燃え溶けた特有のにおいが、まだほんのり、焦げ臭く残っている。
雷鼓は思いあたる説を提唱してみるが、おっしゃる通り、単に暴動が起きただけだった気もして、いまいち自信がない。
「……古いヒッピーの風習に、同じような行為があるって聞いた事があるわ。レコーディングに使った機材やら楽器やらを、マスターアップしたらみんな燃やしちゃうんだって」
「言ってる事はよくわかんないけど、お焚き上げみたいなノリかしら」
「もったいね」
スピーカーキャビネットのパイン材は、パチパチとよく燃えた事だろう。
会場のあまりの荒廃ぶりは、幻想郷の住民を社会奉仕の精神に目覚めさせるに足る程度の混乱だったようだ。
「こういう惨状って、記事にはどう書けばいいんでしょうね? ラブ・アンド・ピースの実態とか? 音楽によって組み上げられた人工楽園の末路とか?」などと、ライブレポートを徹夜で敢行して、シニカルにぼやいていた新聞記者も、やがては軍手を借りてごみを拾い始めていた。「どんな皮肉も、実際に行動する事には勝てないでしょうしね」
霊夢と魔理沙は顔を見合わせた。この柄にもない殊勝さは、まだ酔っぱらっている雰囲気があった。
「……それにしても、人が集まってきたわね」
「片付くだけ片付いたら、また宴会でも始まりそうだぜ」
「綺麗にしたところですぐ汚すんだから」
霊夢は呆れたように言った。
「神社の宴会でもそうだけど、あんたら楽しむだけ楽しんで帰るだけじゃない。……そりゃ咲夜とか早苗みたいに、片付けも手伝ってくれる奴もいるけどね」
日が高くなってくると、もはやごみの片付けなのか、それにかこつけた集まりなのか、わからなくなってきていた。様々な目的で人々はやってくる。人が集まっているからという興味でやってくる者(妖精と紅魔館の人々がこのくちだったのが、魔理沙にはなんとなく興味深い)、結界の管理にやってくる者(「なにか異変でもあったの?」と霊夢がこっそり、紫に付き従う藍に耳打ちすると、相手は口では答えず、口角をつりあげてぴくぴくと耳を動かした)、元々コンサートに参加していた者(霊夢と魔理沙のふたりは、出店屋台の残骸の中で泥酔している鈴仙を発見した)、それを探しにやってきた家族たち(永遠亭の人々が彼女の家族なのは間違いないだろう)……。様々な目的を持ちながらやってきた彼女たちは、ごみ拾いをする人々の姿を見て、それを手伝ってくれた。たとえ熱心さに多少の差があったにしても。
「みんなしてこんなただ働きしちゃったら、打ち上げの宴会でもしなきゃ割に合わないぜ」
「お酒が無いわ」
「それがあるんですよねぇ」
早苗が防水手袋を嵌めた指を振るいながら――彼女は髪をくくり、ブーツの代わりにゴム長靴を履き、スカートなどもってのほかと言わんばかりの作業着姿なので、周囲から妙に浮いている――、ステージ袖の茂みを指した。
「あっちの沢に。……たぶん、流れで冷やしながら売ってたんでしょうね」
「ふうん。気づかなかった」
「私は気づいていたぜ」
先頃ごみ山の中から発見していた栓抜きを霊夢に見せびらかしながら、魔理沙は格言のように言った。
「ありもしなさそうな場所に栓抜きが落ちている場合、その近くにはおそらく瓶詰のビールも隠されているだろう」
「賢げに言うけど、すごくバカっぽいわ。……案内しなさい」
沢の中には何箱かのビールケースが固定して沈められて、清水の流れの中で冷やされていた。沢のほとりにも透かし木箱の梱包がいくつか置いてあって、そのざらざらの面に印字されているロゴを、早苗は読み上げた。
「ハートランド」
「Hurtland?」
「Heartland」
早苗は霊夢の発音を(ちょっと過剰すぎるほどの巻き舌で)訂正する。魔理沙が沢の中に足を踏み入れて、ビールケースの中から、銘柄が透かし彫りされたエメラルドグリーンの小瓶を持ち上げた。
「……ああ、外ものだけど、飲んだことがあるな。いい酒、いいビールだよ」
と言いつつ、その瓶の口に栓抜きをあてがった。
「全部開けてみんなに配っちゃおう」
やがて、会場の真ん中あたりに集積されたごみの分別が一段落しかけた頃――すれ違う少女たちが、皆々ビール瓶片手にうろつくようになるに至って、魔理沙たちは白蓮から小言を言われた。
「そろそろお掃除も終わりそうですし、あなたがたが飲むのは別にいいのですが……」
これはちょっとねえ、と住職がぼやく。その背後を一輪が片手に瓶を三本持ちして、こっそり通り過ぎていくが、魔理沙は見なかった事にした。
そのまま注意を逸らすように、自分や早苗、霊夢が抱えて運んでいるビールケースを示した。
「……まあ、散らかさないようにだけは言っておくよ。できるだけ瓶は回収するし」
「リターナブル瓶ですからね」
「直に口つけたものをリターナブルしていいものかしら?」
三人は、ケースをステージ上に運んでいく。そこでは雷鼓が綺麗どころ二人を侍らせて、琴と琵琶の弦楽の音に耳を傾けていた。
「酒を振る舞ってねぎらうべきなのは私の方だわ。こんなに散らかして迷惑かけちゃって」
少女たちから酒を受け取りながら雷鼓は言った。霊夢も魔理沙も早苗も、互いの顔を見合ってしまう。コンサートの後始末そっちのけで、酒を飲める事ばかりを考えていた彼女たち(特に霊夢と魔理沙)は、迷惑だなどとはつゆ思っていなかった。
「あんた一人だけのせいじゃないのなら、こんなもんだわ」
そう言いつつ酒をステージの上に運んでいくと、少女たちはそこに集まり始める。「酒がある場所にむらがる習性を持つ方々が多いですよねぇ」と、瓶一本のビールで顔を真っ赤にした早苗が、瓶の口をなんとなく舐め回しながら言った。
「ほんと虫みたいに寄り集まってきてて、おもしろ」
「できあがるのが早すぎなのよあんたは」
といったやりとりを早苗と霊夢がステージ上でやるので、一瞬漫才のような様相になる。その背後で魔理沙は女子二楽坊のふたりにもビールを差し入れた。瓶を重ねるありきたりな乾杯の音さえ、彼女たちの手にかかると音楽的な響きに聞こえた。
「……あんたらも演奏してただろ」
「夜の入りにね」
「あの頃はまだお上品だったわ。月が出ていなかったのが玉に瑕だったけど。……おかしくなってきたのはそう、月が出た後。深夜のテンションってやつね」
彼女たちはそう言いつつ、面白がるようにステージの床に開けられた穴を指さした。人一人くらいが出入りできる大きさだが、点検口などのような綺麗に整えられた出入り口ではない。床のリノリウムが乱暴に剥がされて、むき出しの合板材が乱暴にぶち破られている、ささくれだった穴だ。
鳥獣戯楽のステージは、始まりの時点で既に異様な空気を湛えていた。ステージの頭上に吊り下げられた十数本のマイクが、相互干渉して共鳴し合うハウリングノイズを発していて、最初から深夜の空気を騒音で埋め尽くしていた。その後の演奏も、もはやセットリストなどというものが存在していたのかもわからないような状況だったが、とにかくステージは始まってから終わった。当然、その間に様々な事があった。響子がマイクのケーブルコードを鞭のようにしならせて、最前列の観客を打ちすえていた。ミスティアがぶん投げたマイクスタンドの台座――重さ六ポンドの鉄製の円盤は、滑空しながら観客の額の前を蝙蝠のように横切った。これだけでも死者が出なかったのが奇跡のような出来事だったが、最終的に彼女たちは舞台袖からハンマーやつるはしを持ち寄ってきて、ステージの床を破壊して脱出したまま、行方知れずになっている。
「個人的には面白かったから、もっとやれって感じだったけどね」
「どこ行ったのかしらあいつら」
「……私の楽屋ブース」
九十九姉妹がしみじみ呟いていると、雷鼓がぼそりと口を挟んできた。
「演奏が終わった後、真っ先に私んとこに謝りに来たのよ。こっちはそれどころじゃなかったから、今どうなってるか知らないけど」
酒瓶片手の謝罪だったので、おそらく酔い潰れているのではないかというのが彼女の予想だった。
「ちゃんと修繕はしてくれるつもりみたい」
「じゃあいっかぁ」
いかにも上品そうにビール瓶に唇をつける主人を見て、藍がにっと笑いかけた。
「結界に問題がなくって、安心しましたか」
「なんの問題もないからね」
紫はげっぷを吐きながら呟くように言った。嬉しそうに、もう一口酒を喉に流し込んだ。
「……何ものが入ってこようが、何ぴとが入ってこようが、もはや問題ない。結界の外の音楽の祭典と重なって、なんだか外の色々と一緒くたになっても、博麗大結界は完成されている」
「好き勝手に出入りするものがあっても、ですか」
「好き勝手に出入りするものがあるからこそ、よ。たとえそういった摩擦、衝突、諍いや不安があったとしても、あちらとこちらとの境界は揺るがない……そういう状態こそが本当に強いのよ」
その言葉を聞いて、藍は微笑みながら相手のビール瓶と乾杯を交わした。
「時間がかかりましたね。ここに至るまでに」
「しかし、結界の完成を見たのが、何か、誰かが引き起こした大層な異変じゃなくって、ただの野良の音楽イベントだなんて。これはちょっと締まらないかもね」
「それこそ私たちらしいじゃないですか……気がついたら、いつの間にか、そういう事になっていたのよ、なんて後出しで聞かされて、肩透かし。……うん、私たちらしい」
ちょっと皮肉を込めて、最後には独り言のように呟きながら、藍は酒を飲んだ。
廃品回収をしているうちに、河童と山童の間で揉め事が起きたらしい。霊夢たちはそのやりとりの間に割って入り、それぞれにビールを押しつけながら言った。
「とりあえず飲んでから考えましょう。……で、どうしたのよ? こんなごみ山で奪い合うものなんか無いでしょ」
「発電機があった。まだ動くやつ」
「じゃあ争って奪い合うしかないわね」
霊夢は即座に意見を撤回する。魔理沙はきょろきょろと周囲を見回して、争いの元になっているエンジン発電機を見つけると、感心して言った。
「ああ、お前らにはいい研究材料になるだろうな」
「まず雷鼓のものじゃないの?」
「電気なんか自分でなんやかんやして融通できるだろ、あいつ」
「知らないよー」
ステージから酔っぱらった声が聞こえた。
「どさくさで外の世界から流れ着いてきたんでしょ。勝手に奪い合っちゃって」
それではと、にとりとたかねはその場で弾幕決闘をやらかそうとしたが、次の瞬間には魔理沙と霊夢にばしばしと張り倒されていた。
「なんで……」
「どうして……」
「せっかく片付けたのにごみを散らかすな」
「まったくよ」
とはいえ、何かしらの方法で勝負させなければ、何も解決しないのも確かだ。
「のど自慢で勝負をつけさせましょう」
「なんで……」
「どうして……」
「今ならバックバンドつきでやれるからな」
と、彼女たちはそのまま河童と山童を引きずってステージに戻ると、その場にたむろしていた雷鼓や九十九姉妹、プリズムリバー三姉妹らをつかまえて、あんたらは幻想郷で一番の演奏家だからとおだてあげてバックバンドを編成して、酒の余興の準備が整ってしまう。
困惑の中歌い始めたにとりとたかねは、ひどい音痴だった。最後にはどちらの声も先細って、照れくさそうに顔を見合わせると、なぜかかえるのうたをデュエットで歌った。バックバンドつきで。
結局、ここで一日じゅう、彼女たちはごみを片付けたり、酒を飲んだりして一日を潰した事になる。ビール一本飲んだだけでふらふら帰路についた早苗や、命蓮寺の門徒たちのように(ステージ上でなんとなく始まった宴会を横目に見て、後ろ髪を引かれる思いの者もいたようだが)帰る者もいたし、逆に片付けがあらかた終わってから、萃香のように酒の匂いに惹かれてふらりとやって来る者もいた。
アリスなどは夕方近くにやってきて、
「三等列車が転覆したような有り様ね」
などのたまいながら、魔理沙たちの集まりにするりと加わった。
「ところで、なにやってんのこれ。後夜祭?」
「私たちにもわからん」
相手が持参した陶磁器のビアマグにビールを注いでやりながら、魔理沙はぼやく。
「昨日の夜からこっち、ずっとむちゃくちゃすぎて、もうなんにもわからん」
その横で進行しているのど自慢大会は、マイクを握るレミリアが掟やぶりの四曲目に突入していた。いささか幼すぎるきらいがある声質なのだが、無駄にこぶしが効いている。
彼女がようやくマイクを離してくれた頃には、手元が暗くなってきている。灯かりいらずの妖怪ばかりだったけれど、雰囲気が出るからと照明がつけられた。歌いたがりが一通り片付いたところでもあったので、ルナサがヴァイオリンを独奏してくれる。
鎮静作用のある音色に耳を傾けながら、ルナサは昨晩、どうしてこれをやってくれなかったんだろう、と雷鼓はしみじみ思った。
場がそのようになっていたのだろう、とも雷鼓は考えている。つい昨日の……いや、昨日から今日へと、ちょうど日付が変わった時分、このフェス会場は完全に狂ったようになっていた。そういう場が形成されてしまえば、一個人の能力などは無力に決まっている。ルナサの音色の鬱々とした消極的落ち着きは消し飛んでいたし、かといってメルランの陽気さとも少し種類が違ったものだ。リリカは聡い子なので――普段はいたずらな性格なのに、バンド演奏では身勝手なところがほとんど無くて、個々の音色を繋ぎとめるという点では卓越したセンスがあった――姉二人の音を立てつつも、そうした場の雰囲気に身を委ねる事にした。
自分たちがコントロールを失いつつある事に自覚的だったのは雷鼓も同様だったが、それに対する抵抗――ルールの無い混沌の中にリズムとビートを規定し、それによってバンドに自らの意図を伝えて、聴衆のノリを操る事――に成功したかどうか、どうも自信がない。いつもの事だが、単に場に呑まれているだけの時と、演奏によって場をコントロールできている時とは、よく似た感覚がある……どころか、まったく違いがわからないのだ。
どんなにそつのない演奏をしようが、反対にしっちゃかめっちゃかになっていようが、成功と失敗を分ける指標は、単純な一つだけだ。客が満足したか、していないか。
妖精たちがステージの隅っこにあったサイドスポットライトで遊んでいて、それが舞台上ではなく外へと振り向けられた。一条の光線が夜空を横切り、どこまでも駆けていく気がする。
「それで月を撃ち落としてしまいなさい!」
酒が入っているのもあってか、誰かが面白がって叫んだ(紫の声だったと霊夢や魔理沙は内心にらんでいるが、だとすればよほど良い気分だったのだろう)。
事実、雲がちな夜空だったが、月は出ていた。光線はそれを狙うように照準が合わされて、まるで通路のように月へと繋がっている――と、その回廊の中を、重力に従って垂直に落下する粒子がよぎった。
「雨よ」
と誰かが言う間にも、空間が雨音で埋め尽くされていく。
「急に降るもの」
「……沢にまだちょっとだけビールが残ってる」
「取りに行きましょう」
スポットライトを動かして、ステージ上から真っ暗な道行きを照らし出せるようにしながら、霊夢と魔理沙がビールの回収に向かう。
「……あ、そうだ。発電機。カバーかけとかなきゃいけないよなぁ」
と、にとりが言ってついてくると、たかねも一緒にやってきた。
「あれ私んだよ」
「勝負ついてないじゃんあんたら」
「だからだよ。いずれにせよブツを雨風に曝すわけにはいかない」
「ビール運ぶのも手伝うからさ」
多少のこびへつらいはあっても、誠意は本物だったらしい。風まで出て横殴りになってきた雨の中で、なんとか沢までたどり着くと、河童と山童は率先して沢に足を踏み込んでいって、流水で冷やしていたビールケースを岸まで運んでくれた――と、にとりが足を滑らせて、そのまま下流へ流されていく。
「きゃー」
「河童の川流れとか、ウケる」
たかねは嘲笑ったが、直後に自らも足を滑らせてしまい、笑いながら一緒に流されていった。ウケる。
霊夢と魔理沙は顔を見合わせたが、あいつら妖怪だしまあ別に死にはしないだろと納得して、二人の救助と捜索は早々と打ち切った(というより、やろうともしなかった)。そうして彼女たちはずぶ濡れになりながらビールケースを回収して、ステージの方角へと戻った。
戻ってみると、ステージの上にも雨が吹きこんできている。誰もが濡れそぼっていて、それでも不思議と悪い気分ではなさそうだった。
「……この残りの分を飲んだら、おひらきにしよっか」
と、ビール瓶の栓を抜き――栓抜き一つでは足りないので、ドラムのリムや蝶ネジなどにも王冠を引っかけてこじ開けていき――ながら、全員に行き渡らせていく。
「……とはいっても、私らが締めの音頭を取るのもおかしいよな」
魔理沙がそう言いながら、雷鼓にビール瓶をおしつけた。
「頼んだ、主催者さん」
「頼まれちゃった」
雷鼓は照れ笑いしながら、濡れて顔にはりついた前髪をちょいちょいとかき分けた。
「今日は――いや、人によっては昨日から、もっと以前から一緒にやってきた子もいるけど、とにかく昨日今日はご苦労様でした。なんせあまりにぐちゃぐちゃだったもんで――今日の片付けに至っては、私はずっと二日酔いでぐったりしていたけど」
……そもそも、なんでこいつらはわらわらと集まって、ごみ拾いやら後片付けやらをしてくれたのだろう。揃いも揃って暇なのかな? 暇なんだろうな。だから毎回、こう事が起こるとめちゃめちゃになるのよ。
で、こういう場合、成功と失敗を分ける指標は、単純な一つだけなのだ。
「まあ、なんか、そうね、ありがとう。楽しんでくれた?」
雷鼓は尋ねながら、答えを聞く気になれなくて、さっさと瓶ビールをあおってしまった。どんなに昨日が楽しかったとしても、今日この場所は今やがらくたの野だ。使い捨てられて、ぼろぼろの場所で、もうちょっと居続けたいというような後ろ髪は引かれないだろう。楽しかったのは思い出だけで――
「……来年も」
と誰かが言って、近くの誰かのビール瓶と、こつんと乾杯する音が続いた。
「来年も楽しみにしようかな。今度は一晩と言わず、三日三晩なんてね」
「そして、今年よりもめちゃくちゃにしてやりなさい」
「わたくし的には落ち着いてもらいたいのだけれど」
「意見が分かれるところでしょうね」
「だいたい、来年の事なんて言うと鬼が笑うわ」
「はっはっは」
「本当に笑ってる」
「……まあ、注文があるとすればまだ飲み足りないから、来年はもっと酒を準備しておくことだね」
「なんだかイベントの主旨を勘違いしている気がする」
「え、酒飲んで音楽聴きながら暴れるイベントだったんじゃないの?」
「部分的にはそう」
「そんなに飲み足りないのなら、二次会でもやったら?」
「いいね」
「あ、私も行く」
「私もー」
「じゃあ二次会ついてくる人は手を挙げてー」
「はーい」「はーい」「はーい」「はーい」「はーい」「はーい」「はーい」「はーい」
「そんじゃ私についてきな」「ついてく」「ついてく」「ついてく」「ついてく」「ついてく」「ついてく」「ついてく」「ついてく」
「ついてこいとは言ったけど、服の裾引っ張るなって」
「いい店に連れて行きなさいよ」
「そこはまかせなさい」
「……あんな百鬼夜行に二次会される飲み屋も大変だな」
「ちょっと面白い絵面ね」
「撮っておきましょう」
「これだけじゃ三面記事にもならんぜ。二次会にも参加しなきゃ」
「今日はもうたくさんです……」
「私も。飲みなおすとしても、おうちでのんびりやりたい」
「音楽が終わった後は、特にね」
「ところで、こんなところにウサギ穴が空いてるじゃない。私はここから帰る」
「ふうん、夢に落っこちようってわけ」
「こっちだって夢だったはずよ」
「じゃあ私たちは現実に戻るの?」
「こっちだって現実なはずよ」
「わからなくなってきたな」
「こんなささくれだった穴、服を引っかけてしまわないかしら……って、ああ」
「言わんこっちゃない」
「わかっていたのよ、わかっていたんだけど」
「動かないでくださいよ。もっと色々裂けちゃう」
「私、安全ピン持ってるわ。応急処置にしかならないけど……」
「通っただけで、弾幕ごっこで負けた後みたいになって……」
「こういう時はパンクファッションって言うのよ田舎者」
「まだ進まないの?」
「今、目下、ちょっと面白い事になってるわ」
「なので、ばっちり撮っておきます」
「賢者の酔った醜態なんて三面記事の穴埋めにもってこいよね」
「こいついつになく酔ってない? なにがあったの?」
「こんな方でもたまには羽目を外したい時もあるんですよ」
「信じらんない」
「信じてやれよ」
「ところでこの下どうなってんの?」
「点検スペースとかじゃない」
「墓穴よりもじめついてるわ」
「妖怪も墓穴を怖がるのかしら?」
「しかも生暖かい」
「それはちょっと怖いところがあるわね……」
「昼間の陽気が残っているだけでしょ」
「じゃあ、私らもこのへんで」
「じゃあね」
「おやすみ」
「来年もなんかやれよ」
「そんなふわっふわな要望したら、音楽と全然関係ない事になるかも」
「暴動とかね」
「できれば音楽にしてちょうだい」
そんな挨拶をしてくれながらステージに開いた穴から脱出していった少女たちを、雷鼓は手を振って見送った。
「……で、来年もやるの?」
と尋ねてきたのは、ステージに残ってくれていた九十九姉妹、あるいはプリズムリバー三姉妹の、誰だっただろうか。これに対して雷鼓はきっぱり宣言した。
「とりあえず、今日は解散よ! 音楽が終わったら、これからの事は明日から考えればいい。今夜だけはそれを許されていると信じましょう!」
雷鼓はそう言うと、バスドラムの中からミュート用の毛布を引きずり出し、それにくるまって、さっさと寝息を立て始める。他のメンバーは顔を見合わせたが、気を取り直して、さっさと帰り支度を初めた。
雨は続いているものの、もう弱まり始めている。さっきまで拍子を失った乱打でしかなかった雨音が、一瞬、明白なバックビートに聞こえた気がする。
瓶の数が四本あれば、二・二に配列する。
六本になると、一・二・三の組み合わせの三角を形成した。
七本の場合は、一本を中心に六本の瓶が取り巻くヘキサゴナルを作った。
今、ちょうど飲み干した十本目の瓶を唇から離して、べたつくリノリウムのステージ上に置き、三・三・三の配列を一・二・三・四のピラミッド状の並びに変形させた。
からっぽの瓶は十分に一本ほどのはやさで増えていた。思わずげっぷとしゃっくりが出てしまうが、できるだけ上品にやったと彼女自身は信じた。
「……後片付けは明日でいいか」
雷鼓はステージの上にごろりと寝転がると、バスドラムの中から引きずり出したミュート用の毛布にくるまって眠り始める。毛布は湿った埃と木屑のにおいがした。
さっきまで彼女が主役の一人として躍動していた音楽フェスティバルの会場は、ステージ上から見渡す限り、狂騒が終わった後のごみと泥濘の野と化している。
翌日――というより夜が明けて数時間後。その場所に立っていた霊夢にしてみれば、何の義理があってここを片付けなければいけないのかという気分だった。
「こんなのごみ漁りじゃないの」
と愚痴をなすりつけるべき相手は早々に仕事に取り掛かってしまっているので、ぼやく甲斐も無かった。彼女の視線の先で、にとりと魔理沙が、会場の外周に打ち捨てられた数十ものテントの集落を、ひとつひとつ査定し始めていた。
「血がついている、シミ付き、汚れあり」
「……天幕は処分して、骨組みだけいただくっていうのはどうだ?」
魔理沙がそう提案すると、にとりも頷いた。
「使いどころはあるかもね。それにしてもこのごみの量と種類――」
と、さすがの工業主義の河童も嘆息するのだった。
「客層もこの郷のものだけじゃなさそうだったし。はしゃぎすぎて結界ぶっ壊れたんじゃないの?」
「まあいいんじゃないか? なんせお祭り騒ぎだったからさ」
お祭りとはそういう事態も許容される。
しかしながら、つい先ごろまで夜通し行われていた音楽フェスティバルが、お祭りどころの騒ぎでなかったのも確かだ。後に自身の専門ファンジンからの取材に応えたプリズムリバー楽団が、いみじくも実感たっぷりに語ったように「あそこでは戦争以外の全てが起きていた」のだ。
「……まだ人がいた」
にとりはあるテントの外幕をめくったと思うとすぐに目を逸らして、ぼそっと説明した。
「寝てるからそっとしておいてやろうよ。お疲れのご様子だし」
「ふむ、おつかれね……」
魔理沙は含みのあるふうに言って、忘れようとするように首を振った。まったく、「あそこでは戦争以外の全てが起きていた」のだ。
作業を続けていると、また見知った顔に出会う。
「あんたらも祭りの後を見物に来たのかい?」
「地域ボランティアですよ」
にとりがずけずけ、失礼な物言いをしたのを、白蓮は反発も無くすいとかわした。
「公共スペースが汚れていたら、お掃除するのは当たり前でしょう」
もちろん、命蓮寺の住職は一人で片付けに来たわけではない。門弟たちを引き連れ、くずかごやごみ袋、火ばさみなども持ち寄ってきている。そのうちの一人に近づいた魔理沙は、ぼそりと言ってやった。
「……おまえの姉ちゃん、さっき見かけたぞ」
「え、マジで」
女苑は低く声を立てた。
「泥まみれのシャツや天幕なんか、向こうの水場で洗ってたぜ。古着でも拾いに来たんじゃないの」
「やだなぁ、他人のふりしてよ……」
不機嫌というよりは単純な気まずさから、女苑は自分のそばにいた一輪のそばに浮かんでいる雲山の中に、ぼすりと顔を隠す。今度は雲山が気まずい表情になった。
「……ま、いいや。別に縄張り争いするつもりはないよ。ここは誰のものでもないしね」
「捨てるにせよ再利用するにせよ、みんなで綺麗にしましょう」
白蓮がそう言って、黙々とごみを拾い始めるのを、にとりはぱちぱち瞬きしながら認めた。
「……そっちも、うちらが扱えそうなものを見つけたら教えて」
「ええ。なにもかも切り捨てて要らないものとするのは、こちらとしても心苦しいですもの」
そうした協定で衝突は回避されて、ふたつの勢力は別れた。命蓮寺の人々は会場の中央の方に移動して、にとりや魔理沙や霊夢は荒れ果てた混沌の縁をなぞっていく。
「……まあしかし、全部のお祭り騒ぎが終わった後でうろうろするのも滑稽ね」
霊夢が二人の後に従いながらぼやいた。
「――文字通り、後の祭りってやつだ」
と言った魔理沙は、あらかじめ拾っていた木の枝で、ふと泥の地面をかき回す。枝の先に引っかかって拾い上げられたのは、レース地のワイドオープンショーツだった。どうして観客たちは下着を脱ぎ捨てる必要があったのだろうと、その場の全員が思った。
ステージ上で目覚めた雷鼓は、二日酔いの頭をなんとかしゃっきりさせようと頭を振ったが、周囲に散らばっているからのビール瓶、興奮した客らによってステージに投げ込まれた下着、差し入れ、泥などが思考を邪魔する。会場の隅っこで清掃活動に勤しんでくれているボランティアを見つけた時にも、感謝より先に、なぜかとげとげしいいらだちの方を覚えてしまった。
「……とりあえず、ちりとりと箒持ってこようか」
「どこにあったっけ」
「裏っかわになかった?」
とステージの裏手をごそごそし始めたのも雷鼓ではなく、プリズムリバー楽団の三姉妹だ。夜明けの混乱の中で行方知れずになっていた彼女たちだが、昼頃になるとまた片付けに戻ってきてくれていた。
雷鼓はちょっと酔いを醒ましてくるとも言わず、ふらふらとステージの下におり立った。着地したところで足元に踏みにじってしまったのは、旗だ。赤地にトリスケリオン。コンサート中もはためいていた大量のフラッグのひとつがちぎれたものだろうが、雷鼓はその三脚巴紋を見て、なぜか二拍三連符を連想する。こんな時もドラムのフレーズやリズムパターンが、またたくように浮かんでは消えるが、さすがに上等なアイデアとはいえない。三十七分の三十三拍子なんてものを夢想して、後で水をがぶ飲みしながらそんな拍子は不可能であると棄却するような調子だ。
夢の中を歩く足取りで、会場を歩く。別にべらぼうに広大な敷地というわけではないはずなのに、一町歩ちょっとくらいの面積を横切るのに五分も時間を食われる。一足ごとにブーツの下の泥がごぽごぽ音を立てた。
霊夢たちが資材を漁っているところに、ようやくたどり着いた。
「すごい顔色」
最悪の体調とはいえ、出会った霊夢に挨拶もなく言われるとは、思ってもみなかった。
「……ええ、体が鉛みたいだわ」
それを聞いた魔理沙が、笑って言った。
「でもコンサートの最中、心はぶっ飛んでいたんだろ?」
「ぶっ飛びの前借りだったのかもね」
どうにもシニカルな言葉が口から出る気分だった。どちらかといえば楽天的な方なのに。
「それにしてもこれ、暴動でもあったの?」
にとりが口を挟んだのは、火事場かと思われるような地面の焼け焦げの事だった。焼け跡はちょうど会場の真ん中あたりに位置していて、灰になりかけてもなんとなく形を残している痩せたアルミ筐体、銅線の芯だけが残った絶縁ケーブルが泥の中をのたうち回って、絶縁体のゴムやラッカー塗料が燃え溶けた特有のにおいが、まだほんのり、焦げ臭く残っている。
雷鼓は思いあたる説を提唱してみるが、おっしゃる通り、単に暴動が起きただけだった気もして、いまいち自信がない。
「……古いヒッピーの風習に、同じような行為があるって聞いた事があるわ。レコーディングに使った機材やら楽器やらを、マスターアップしたらみんな燃やしちゃうんだって」
「言ってる事はよくわかんないけど、お焚き上げみたいなノリかしら」
「もったいね」
スピーカーキャビネットのパイン材は、パチパチとよく燃えた事だろう。
会場のあまりの荒廃ぶりは、幻想郷の住民を社会奉仕の精神に目覚めさせるに足る程度の混乱だったようだ。
「こういう惨状って、記事にはどう書けばいいんでしょうね? ラブ・アンド・ピースの実態とか? 音楽によって組み上げられた人工楽園の末路とか?」などと、ライブレポートを徹夜で敢行して、シニカルにぼやいていた新聞記者も、やがては軍手を借りてごみを拾い始めていた。「どんな皮肉も、実際に行動する事には勝てないでしょうしね」
霊夢と魔理沙は顔を見合わせた。この柄にもない殊勝さは、まだ酔っぱらっている雰囲気があった。
「……それにしても、人が集まってきたわね」
「片付くだけ片付いたら、また宴会でも始まりそうだぜ」
「綺麗にしたところですぐ汚すんだから」
霊夢は呆れたように言った。
「神社の宴会でもそうだけど、あんたら楽しむだけ楽しんで帰るだけじゃない。……そりゃ咲夜とか早苗みたいに、片付けも手伝ってくれる奴もいるけどね」
日が高くなってくると、もはやごみの片付けなのか、それにかこつけた集まりなのか、わからなくなってきていた。様々な目的で人々はやってくる。人が集まっているからという興味でやってくる者(妖精と紅魔館の人々がこのくちだったのが、魔理沙にはなんとなく興味深い)、結界の管理にやってくる者(「なにか異変でもあったの?」と霊夢がこっそり、紫に付き従う藍に耳打ちすると、相手は口では答えず、口角をつりあげてぴくぴくと耳を動かした)、元々コンサートに参加していた者(霊夢と魔理沙のふたりは、出店屋台の残骸の中で泥酔している鈴仙を発見した)、それを探しにやってきた家族たち(永遠亭の人々が彼女の家族なのは間違いないだろう)……。様々な目的を持ちながらやってきた彼女たちは、ごみ拾いをする人々の姿を見て、それを手伝ってくれた。たとえ熱心さに多少の差があったにしても。
「みんなしてこんなただ働きしちゃったら、打ち上げの宴会でもしなきゃ割に合わないぜ」
「お酒が無いわ」
「それがあるんですよねぇ」
早苗が防水手袋を嵌めた指を振るいながら――彼女は髪をくくり、ブーツの代わりにゴム長靴を履き、スカートなどもってのほかと言わんばかりの作業着姿なので、周囲から妙に浮いている――、ステージ袖の茂みを指した。
「あっちの沢に。……たぶん、流れで冷やしながら売ってたんでしょうね」
「ふうん。気づかなかった」
「私は気づいていたぜ」
先頃ごみ山の中から発見していた栓抜きを霊夢に見せびらかしながら、魔理沙は格言のように言った。
「ありもしなさそうな場所に栓抜きが落ちている場合、その近くにはおそらく瓶詰のビールも隠されているだろう」
「賢げに言うけど、すごくバカっぽいわ。……案内しなさい」
沢の中には何箱かのビールケースが固定して沈められて、清水の流れの中で冷やされていた。沢のほとりにも透かし木箱の梱包がいくつか置いてあって、そのざらざらの面に印字されているロゴを、早苗は読み上げた。
「ハートランド」
「Hurtland?」
「Heartland」
早苗は霊夢の発音を(ちょっと過剰すぎるほどの巻き舌で)訂正する。魔理沙が沢の中に足を踏み入れて、ビールケースの中から、銘柄が透かし彫りされたエメラルドグリーンの小瓶を持ち上げた。
「……ああ、外ものだけど、飲んだことがあるな。いい酒、いいビールだよ」
と言いつつ、その瓶の口に栓抜きをあてがった。
「全部開けてみんなに配っちゃおう」
やがて、会場の真ん中あたりに集積されたごみの分別が一段落しかけた頃――すれ違う少女たちが、皆々ビール瓶片手にうろつくようになるに至って、魔理沙たちは白蓮から小言を言われた。
「そろそろお掃除も終わりそうですし、あなたがたが飲むのは別にいいのですが……」
これはちょっとねえ、と住職がぼやく。その背後を一輪が片手に瓶を三本持ちして、こっそり通り過ぎていくが、魔理沙は見なかった事にした。
そのまま注意を逸らすように、自分や早苗、霊夢が抱えて運んでいるビールケースを示した。
「……まあ、散らかさないようにだけは言っておくよ。できるだけ瓶は回収するし」
「リターナブル瓶ですからね」
「直に口つけたものをリターナブルしていいものかしら?」
三人は、ケースをステージ上に運んでいく。そこでは雷鼓が綺麗どころ二人を侍らせて、琴と琵琶の弦楽の音に耳を傾けていた。
「酒を振る舞ってねぎらうべきなのは私の方だわ。こんなに散らかして迷惑かけちゃって」
少女たちから酒を受け取りながら雷鼓は言った。霊夢も魔理沙も早苗も、互いの顔を見合ってしまう。コンサートの後始末そっちのけで、酒を飲める事ばかりを考えていた彼女たち(特に霊夢と魔理沙)は、迷惑だなどとはつゆ思っていなかった。
「あんた一人だけのせいじゃないのなら、こんなもんだわ」
そう言いつつ酒をステージの上に運んでいくと、少女たちはそこに集まり始める。「酒がある場所にむらがる習性を持つ方々が多いですよねぇ」と、瓶一本のビールで顔を真っ赤にした早苗が、瓶の口をなんとなく舐め回しながら言った。
「ほんと虫みたいに寄り集まってきてて、おもしろ」
「できあがるのが早すぎなのよあんたは」
といったやりとりを早苗と霊夢がステージ上でやるので、一瞬漫才のような様相になる。その背後で魔理沙は女子二楽坊のふたりにもビールを差し入れた。瓶を重ねるありきたりな乾杯の音さえ、彼女たちの手にかかると音楽的な響きに聞こえた。
「……あんたらも演奏してただろ」
「夜の入りにね」
「あの頃はまだお上品だったわ。月が出ていなかったのが玉に瑕だったけど。……おかしくなってきたのはそう、月が出た後。深夜のテンションってやつね」
彼女たちはそう言いつつ、面白がるようにステージの床に開けられた穴を指さした。人一人くらいが出入りできる大きさだが、点検口などのような綺麗に整えられた出入り口ではない。床のリノリウムが乱暴に剥がされて、むき出しの合板材が乱暴にぶち破られている、ささくれだった穴だ。
鳥獣戯楽のステージは、始まりの時点で既に異様な空気を湛えていた。ステージの頭上に吊り下げられた十数本のマイクが、相互干渉して共鳴し合うハウリングノイズを発していて、最初から深夜の空気を騒音で埋め尽くしていた。その後の演奏も、もはやセットリストなどというものが存在していたのかもわからないような状況だったが、とにかくステージは始まってから終わった。当然、その間に様々な事があった。響子がマイクのケーブルコードを鞭のようにしならせて、最前列の観客を打ちすえていた。ミスティアがぶん投げたマイクスタンドの台座――重さ六ポンドの鉄製の円盤は、滑空しながら観客の額の前を蝙蝠のように横切った。これだけでも死者が出なかったのが奇跡のような出来事だったが、最終的に彼女たちは舞台袖からハンマーやつるはしを持ち寄ってきて、ステージの床を破壊して脱出したまま、行方知れずになっている。
「個人的には面白かったから、もっとやれって感じだったけどね」
「どこ行ったのかしらあいつら」
「……私の楽屋ブース」
九十九姉妹がしみじみ呟いていると、雷鼓がぼそりと口を挟んできた。
「演奏が終わった後、真っ先に私んとこに謝りに来たのよ。こっちはそれどころじゃなかったから、今どうなってるか知らないけど」
酒瓶片手の謝罪だったので、おそらく酔い潰れているのではないかというのが彼女の予想だった。
「ちゃんと修繕はしてくれるつもりみたい」
「じゃあいっかぁ」
いかにも上品そうにビール瓶に唇をつける主人を見て、藍がにっと笑いかけた。
「結界に問題がなくって、安心しましたか」
「なんの問題もないからね」
紫はげっぷを吐きながら呟くように言った。嬉しそうに、もう一口酒を喉に流し込んだ。
「……何ものが入ってこようが、何ぴとが入ってこようが、もはや問題ない。結界の外の音楽の祭典と重なって、なんだか外の色々と一緒くたになっても、博麗大結界は完成されている」
「好き勝手に出入りするものがあっても、ですか」
「好き勝手に出入りするものがあるからこそ、よ。たとえそういった摩擦、衝突、諍いや不安があったとしても、あちらとこちらとの境界は揺るがない……そういう状態こそが本当に強いのよ」
その言葉を聞いて、藍は微笑みながら相手のビール瓶と乾杯を交わした。
「時間がかかりましたね。ここに至るまでに」
「しかし、結界の完成を見たのが、何か、誰かが引き起こした大層な異変じゃなくって、ただの野良の音楽イベントだなんて。これはちょっと締まらないかもね」
「それこそ私たちらしいじゃないですか……気がついたら、いつの間にか、そういう事になっていたのよ、なんて後出しで聞かされて、肩透かし。……うん、私たちらしい」
ちょっと皮肉を込めて、最後には独り言のように呟きながら、藍は酒を飲んだ。
廃品回収をしているうちに、河童と山童の間で揉め事が起きたらしい。霊夢たちはそのやりとりの間に割って入り、それぞれにビールを押しつけながら言った。
「とりあえず飲んでから考えましょう。……で、どうしたのよ? こんなごみ山で奪い合うものなんか無いでしょ」
「発電機があった。まだ動くやつ」
「じゃあ争って奪い合うしかないわね」
霊夢は即座に意見を撤回する。魔理沙はきょろきょろと周囲を見回して、争いの元になっているエンジン発電機を見つけると、感心して言った。
「ああ、お前らにはいい研究材料になるだろうな」
「まず雷鼓のものじゃないの?」
「電気なんか自分でなんやかんやして融通できるだろ、あいつ」
「知らないよー」
ステージから酔っぱらった声が聞こえた。
「どさくさで外の世界から流れ着いてきたんでしょ。勝手に奪い合っちゃって」
それではと、にとりとたかねはその場で弾幕決闘をやらかそうとしたが、次の瞬間には魔理沙と霊夢にばしばしと張り倒されていた。
「なんで……」
「どうして……」
「せっかく片付けたのにごみを散らかすな」
「まったくよ」
とはいえ、何かしらの方法で勝負させなければ、何も解決しないのも確かだ。
「のど自慢で勝負をつけさせましょう」
「なんで……」
「どうして……」
「今ならバックバンドつきでやれるからな」
と、彼女たちはそのまま河童と山童を引きずってステージに戻ると、その場にたむろしていた雷鼓や九十九姉妹、プリズムリバー三姉妹らをつかまえて、あんたらは幻想郷で一番の演奏家だからとおだてあげてバックバンドを編成して、酒の余興の準備が整ってしまう。
困惑の中歌い始めたにとりとたかねは、ひどい音痴だった。最後にはどちらの声も先細って、照れくさそうに顔を見合わせると、なぜかかえるのうたをデュエットで歌った。バックバンドつきで。
結局、ここで一日じゅう、彼女たちはごみを片付けたり、酒を飲んだりして一日を潰した事になる。ビール一本飲んだだけでふらふら帰路についた早苗や、命蓮寺の門徒たちのように(ステージ上でなんとなく始まった宴会を横目に見て、後ろ髪を引かれる思いの者もいたようだが)帰る者もいたし、逆に片付けがあらかた終わってから、萃香のように酒の匂いに惹かれてふらりとやって来る者もいた。
アリスなどは夕方近くにやってきて、
「三等列車が転覆したような有り様ね」
などのたまいながら、魔理沙たちの集まりにするりと加わった。
「ところで、なにやってんのこれ。後夜祭?」
「私たちにもわからん」
相手が持参した陶磁器のビアマグにビールを注いでやりながら、魔理沙はぼやく。
「昨日の夜からこっち、ずっとむちゃくちゃすぎて、もうなんにもわからん」
その横で進行しているのど自慢大会は、マイクを握るレミリアが掟やぶりの四曲目に突入していた。いささか幼すぎるきらいがある声質なのだが、無駄にこぶしが効いている。
彼女がようやくマイクを離してくれた頃には、手元が暗くなってきている。灯かりいらずの妖怪ばかりだったけれど、雰囲気が出るからと照明がつけられた。歌いたがりが一通り片付いたところでもあったので、ルナサがヴァイオリンを独奏してくれる。
鎮静作用のある音色に耳を傾けながら、ルナサは昨晩、どうしてこれをやってくれなかったんだろう、と雷鼓はしみじみ思った。
場がそのようになっていたのだろう、とも雷鼓は考えている。つい昨日の……いや、昨日から今日へと、ちょうど日付が変わった時分、このフェス会場は完全に狂ったようになっていた。そういう場が形成されてしまえば、一個人の能力などは無力に決まっている。ルナサの音色の鬱々とした消極的落ち着きは消し飛んでいたし、かといってメルランの陽気さとも少し種類が違ったものだ。リリカは聡い子なので――普段はいたずらな性格なのに、バンド演奏では身勝手なところがほとんど無くて、個々の音色を繋ぎとめるという点では卓越したセンスがあった――姉二人の音を立てつつも、そうした場の雰囲気に身を委ねる事にした。
自分たちがコントロールを失いつつある事に自覚的だったのは雷鼓も同様だったが、それに対する抵抗――ルールの無い混沌の中にリズムとビートを規定し、それによってバンドに自らの意図を伝えて、聴衆のノリを操る事――に成功したかどうか、どうも自信がない。いつもの事だが、単に場に呑まれているだけの時と、演奏によって場をコントロールできている時とは、よく似た感覚がある……どころか、まったく違いがわからないのだ。
どんなにそつのない演奏をしようが、反対にしっちゃかめっちゃかになっていようが、成功と失敗を分ける指標は、単純な一つだけだ。客が満足したか、していないか。
妖精たちがステージの隅っこにあったサイドスポットライトで遊んでいて、それが舞台上ではなく外へと振り向けられた。一条の光線が夜空を横切り、どこまでも駆けていく気がする。
「それで月を撃ち落としてしまいなさい!」
酒が入っているのもあってか、誰かが面白がって叫んだ(紫の声だったと霊夢や魔理沙は内心にらんでいるが、だとすればよほど良い気分だったのだろう)。
事実、雲がちな夜空だったが、月は出ていた。光線はそれを狙うように照準が合わされて、まるで通路のように月へと繋がっている――と、その回廊の中を、重力に従って垂直に落下する粒子がよぎった。
「雨よ」
と誰かが言う間にも、空間が雨音で埋め尽くされていく。
「急に降るもの」
「……沢にまだちょっとだけビールが残ってる」
「取りに行きましょう」
スポットライトを動かして、ステージ上から真っ暗な道行きを照らし出せるようにしながら、霊夢と魔理沙がビールの回収に向かう。
「……あ、そうだ。発電機。カバーかけとかなきゃいけないよなぁ」
と、にとりが言ってついてくると、たかねも一緒にやってきた。
「あれ私んだよ」
「勝負ついてないじゃんあんたら」
「だからだよ。いずれにせよブツを雨風に曝すわけにはいかない」
「ビール運ぶのも手伝うからさ」
多少のこびへつらいはあっても、誠意は本物だったらしい。風まで出て横殴りになってきた雨の中で、なんとか沢までたどり着くと、河童と山童は率先して沢に足を踏み込んでいって、流水で冷やしていたビールケースを岸まで運んでくれた――と、にとりが足を滑らせて、そのまま下流へ流されていく。
「きゃー」
「河童の川流れとか、ウケる」
たかねは嘲笑ったが、直後に自らも足を滑らせてしまい、笑いながら一緒に流されていった。ウケる。
霊夢と魔理沙は顔を見合わせたが、あいつら妖怪だしまあ別に死にはしないだろと納得して、二人の救助と捜索は早々と打ち切った(というより、やろうともしなかった)。そうして彼女たちはずぶ濡れになりながらビールケースを回収して、ステージの方角へと戻った。
戻ってみると、ステージの上にも雨が吹きこんできている。誰もが濡れそぼっていて、それでも不思議と悪い気分ではなさそうだった。
「……この残りの分を飲んだら、おひらきにしよっか」
と、ビール瓶の栓を抜き――栓抜き一つでは足りないので、ドラムのリムや蝶ネジなどにも王冠を引っかけてこじ開けていき――ながら、全員に行き渡らせていく。
「……とはいっても、私らが締めの音頭を取るのもおかしいよな」
魔理沙がそう言いながら、雷鼓にビール瓶をおしつけた。
「頼んだ、主催者さん」
「頼まれちゃった」
雷鼓は照れ笑いしながら、濡れて顔にはりついた前髪をちょいちょいとかき分けた。
「今日は――いや、人によっては昨日から、もっと以前から一緒にやってきた子もいるけど、とにかく昨日今日はご苦労様でした。なんせあまりにぐちゃぐちゃだったもんで――今日の片付けに至っては、私はずっと二日酔いでぐったりしていたけど」
……そもそも、なんでこいつらはわらわらと集まって、ごみ拾いやら後片付けやらをしてくれたのだろう。揃いも揃って暇なのかな? 暇なんだろうな。だから毎回、こう事が起こるとめちゃめちゃになるのよ。
で、こういう場合、成功と失敗を分ける指標は、単純な一つだけなのだ。
「まあ、なんか、そうね、ありがとう。楽しんでくれた?」
雷鼓は尋ねながら、答えを聞く気になれなくて、さっさと瓶ビールをあおってしまった。どんなに昨日が楽しかったとしても、今日この場所は今やがらくたの野だ。使い捨てられて、ぼろぼろの場所で、もうちょっと居続けたいというような後ろ髪は引かれないだろう。楽しかったのは思い出だけで――
「……来年も」
と誰かが言って、近くの誰かのビール瓶と、こつんと乾杯する音が続いた。
「来年も楽しみにしようかな。今度は一晩と言わず、三日三晩なんてね」
「そして、今年よりもめちゃくちゃにしてやりなさい」
「わたくし的には落ち着いてもらいたいのだけれど」
「意見が分かれるところでしょうね」
「だいたい、来年の事なんて言うと鬼が笑うわ」
「はっはっは」
「本当に笑ってる」
「……まあ、注文があるとすればまだ飲み足りないから、来年はもっと酒を準備しておくことだね」
「なんだかイベントの主旨を勘違いしている気がする」
「え、酒飲んで音楽聴きながら暴れるイベントだったんじゃないの?」
「部分的にはそう」
「そんなに飲み足りないのなら、二次会でもやったら?」
「いいね」
「あ、私も行く」
「私もー」
「じゃあ二次会ついてくる人は手を挙げてー」
「はーい」「はーい」「はーい」「はーい」「はーい」「はーい」「はーい」「はーい」
「そんじゃ私についてきな」「ついてく」「ついてく」「ついてく」「ついてく」「ついてく」「ついてく」「ついてく」「ついてく」
「ついてこいとは言ったけど、服の裾引っ張るなって」
「いい店に連れて行きなさいよ」
「そこはまかせなさい」
「……あんな百鬼夜行に二次会される飲み屋も大変だな」
「ちょっと面白い絵面ね」
「撮っておきましょう」
「これだけじゃ三面記事にもならんぜ。二次会にも参加しなきゃ」
「今日はもうたくさんです……」
「私も。飲みなおすとしても、おうちでのんびりやりたい」
「音楽が終わった後は、特にね」
「ところで、こんなところにウサギ穴が空いてるじゃない。私はここから帰る」
「ふうん、夢に落っこちようってわけ」
「こっちだって夢だったはずよ」
「じゃあ私たちは現実に戻るの?」
「こっちだって現実なはずよ」
「わからなくなってきたな」
「こんなささくれだった穴、服を引っかけてしまわないかしら……って、ああ」
「言わんこっちゃない」
「わかっていたのよ、わかっていたんだけど」
「動かないでくださいよ。もっと色々裂けちゃう」
「私、安全ピン持ってるわ。応急処置にしかならないけど……」
「通っただけで、弾幕ごっこで負けた後みたいになって……」
「こういう時はパンクファッションって言うのよ田舎者」
「まだ進まないの?」
「今、目下、ちょっと面白い事になってるわ」
「なので、ばっちり撮っておきます」
「賢者の酔った醜態なんて三面記事の穴埋めにもってこいよね」
「こいついつになく酔ってない? なにがあったの?」
「こんな方でもたまには羽目を外したい時もあるんですよ」
「信じらんない」
「信じてやれよ」
「ところでこの下どうなってんの?」
「点検スペースとかじゃない」
「墓穴よりもじめついてるわ」
「妖怪も墓穴を怖がるのかしら?」
「しかも生暖かい」
「それはちょっと怖いところがあるわね……」
「昼間の陽気が残っているだけでしょ」
「じゃあ、私らもこのへんで」
「じゃあね」
「おやすみ」
「来年もなんかやれよ」
「そんなふわっふわな要望したら、音楽と全然関係ない事になるかも」
「暴動とかね」
「できれば音楽にしてちょうだい」
そんな挨拶をしてくれながらステージに開いた穴から脱出していった少女たちを、雷鼓は手を振って見送った。
「……で、来年もやるの?」
と尋ねてきたのは、ステージに残ってくれていた九十九姉妹、あるいはプリズムリバー三姉妹の、誰だっただろうか。これに対して雷鼓はきっぱり宣言した。
「とりあえず、今日は解散よ! 音楽が終わったら、これからの事は明日から考えればいい。今夜だけはそれを許されていると信じましょう!」
雷鼓はそう言うと、バスドラムの中からミュート用の毛布を引きずり出し、それにくるまって、さっさと寝息を立て始める。他のメンバーは顔を見合わせたが、気を取り直して、さっさと帰り支度を初めた。
雨は続いているものの、もう弱まり始めている。さっきまで拍子を失った乱打でしかなかった雨音が、一瞬、明白なバックビートに聞こえた気がする。
祭りの後の寂しさとまだ終わりたくないという感覚が過ぎ去った青春を想い出させてくれました
最後のセリフラッシュが特によかったです
そもそもこういう特に大事件も起きない群像劇を風景画的に描写していくのは確固たる世界観(この場合幻想郷観)がないとできないはずで、まとまった雰囲気の中で描き切っているのは流石でした