Coolier - 新生・東方創想話

八ヶ岳の頂は遠く

2024/04/15 19:22:17
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 木花咲耶姫は傲慢な性格だった。
 人によってはこの難のある性格の理由を彼女の美貌に求める者もいる。が、それは美点は汚点によって釣り合わなければならないという一種の公正世界仮説によるものである。現実には顔の良さと性格の良さを兼ね備えた者というのもいるわけだから、咲耶姫の傲慢は薔薇の棘なのではなく、独立した、傲慢だから傲慢であるとしか言いようのないものだったのだろう。
 彼女の傲慢と美貌に結びつきがあるとするならば、自他の顔によって傲慢が発揮されることがしばしばあったということだ。中でも近くに住む石長姫は格好の標的となった。石長姫は咲耶姫とは逆にその醜い顔で知られた女神だった。
 石長姫は八ヶ岳を住まいとし、咲耶姫は富士山を住まいとしていた。八ヶ岳にはしばしばオコゼという魚が奉納された。より醜い顔の魚を差し出して下には下がいるということを再確認させ、貴女はこの世で一番醜い存在などでは決してないのだと怒りを鎮めるという意図がある。しかし、全体にいぼが生え、ガマガエルのような横長の口をエラの張った輪郭に備えたその魚の顔は、石長姫の横に並ぶと実に絵になるものだと咲耶姫は思っている。美術的価値のある絵としてではなく、もっと滑稽な娯楽的価値としてである。そしてオコゼの顔に決して勝っているとも言い難い石長姫の顔を、魚との比較でまたからかうのだ。
 咲耶姫は石長姫に対して精神的優位を得ていた、というのはこのように九割方正しい。ところがただ一点、咲耶姫が持つ悩みが優越心を完全なものからはいささか欠けたものにしていた。
 その悩みは、自分の山が石長姫のそれに対して低いのではないかというものである。身長もまた美醜を決める重要な要素の一つというのは神代からある価値観であり、また、神にとっては自分の磐座の大小というのは信仰の篤さを測る指標とも考えられていた。自分はオコゼを奉納される石長姫を嘲笑っていたが、果たして彼女に対するオコゼ以上のものを、自分は信者から与えられていただろうかという不信へも繋がったのである。
 石長姫は今度は山の高さにおいて、揶揄われるというよりも詰め寄られるという感じで咲耶姫から言われる羽目になったのだが、普段は大人しく、貝のように黙って咲耶姫のいびりに耐え続けていた彼女もこれには我慢ならなかった。なぜならば自分の山の方が大きいというのは石長姫にとっては、自分の顔が咲耶姫より劣っているというのと同様紛れもない事実であったからである。
 こうして二人は大喧嘩となり、文字通り山を揺るがす騒ぎとなった。困ったのはそこに住む人々や獣たち。普段は狩る狩られるの関係の者達もこれでは敵わんと種族の垣根を越えて神二柱を調停するべく手を取り合った。
 そして白黒はっきりつけてしまおうと、二つの山の山頂の間に樋をかけて水を通す実験をすることとなった。水は高きから低きに向かって流れるから、水が流れた方が低い山。
 結果、水は八ヶ岳から富士山へと流れた。この客観的事実が咲耶姫の高い鼻をへし折ったのは言うまでもなく、逆鱗に触れられた彼女は八ヶ岳の山頂を思い切り蹴飛ばした。これにより八ヶ岳の山頂は損なわれ、いくつもの、富士山よりは低い峰に分割された。咲耶姫も満足して暴れるのをやめた。
 めでたしめでたしである。樋を渡して実験により確かめるという提案をした当時の人々が、「もし富士山のが低かったら癇癪持ちの咲耶姫はとんでもないことをしでかすだろう」という予想をしなかった理由、あるいはしたうえで対策しなかった理由は不明である。が、結果としてこの時の世代の人、妖怪、獣が天変地異による不利益を全て受け入れたが故に、現代の我々は富士山が噴火する可能性に怯えることなくのうのうと暮らしていけているのである。そういう一種の自己犠牲の美談として語り継がれるべきなのだろう。
 さて、この神話の結末、「咲耶姫が蹴飛ばした八ヶ岳の頂上がいくつかの峰になった」というように読めるが実は若干不十分なのである。咲耶姫の足が決して無駄一つなく山の頂上を別の山の頂上に作り替えられるわけもなく、結構な割合の岩石は砕けて川を流れて行った。
 そうした八ヶ岳の山頂の欠片が長い年月をかけて行きついた先は……。前置きが長くなったが、今回は神話の石のその後の話である。


***


 瓔花は賽の河原で石積みを作っては積んだのが崩れるというのを繰り返していた。
 石積みが崩れる理由として多いのは、実は小鬼の介入ではなく物理的に無理になっての倒壊である。瓔花のような熟練の石積み師ですら塔の「死因」の割合を逆転させるには至っていない。それだけ石積みというのは難易度の高い遊戯という意味でもあり、小鬼が一つの塔を崩しに来るまで、裏では十の塔が自然に崩れているというくらい石積みの周期性が短いという意味でもある。
 次の塔は瓔花の身長よりも高くなった。手を伸ばしても積めないので、頂上に石を投げることで積んでいく。これは石積みにおける最上級の技術の一つであり、彼女ともなると投げ入れに入ってから二桁段を重ねることもできる。が、今回は少し調子が悪く、五個目で塔は崩れてしまった。
「土台を変えないと駄目かな」
 瓔花はより平べったくて安定しそうな最初の一個を求めて河原を見渡した。そうすると、一個の石が目に留まった。
 光っているように見えた。近づいて改めて見ると濃い灰色に白い斑点上に成分が混じったよくある見た目の石で光ってもいなかったが、手の中でよくなじんだ。形も申し分ない。瓔花は拾ったその石を改めてその場に置こうとしたが、少し考え直してもう少し川から離れた場所に持って行って置いた。
 そうすると、別のいくつかの石が光っているように見えた。やはり近づいて見直すとそんなことはないのだが、最初の石と同じく手に持つとしっくりくるので集めては重ねていく。ただ、塔ではなくもっと下が広い円錐状に組んでいった。なんとなくその方が良いと思ったからだ。
 石積みは崩れなかった。崩れないまま瓔花の身長より高くなったが、山の形に積んでいたので投げ上げなくとも傾斜に足をかけて登ることで上に積むことができた。瓔花が体重をかけても石積みは崩れなかった。さらに、小鬼が石積みを崩しに来ることもなく、石の山は巨大化していった。
 そして、石積みが完成した。異例のことだ。石積みはその殆どが未完のままに崩れて終わる。生き物として完成しなかった水子が完成しない作品を作り続けるというメタファーも石積みという行為には含まれるのかもしれない。瓔花にとっても石積みが何者にも妨害されず完成したのはいつぶりのことだろうか。
 作品、石の山は安定していた。積もうと思えばもっと積めるのだろう。が、もう河原には光る石はなかった。手にとってしっくりくる石のみを選んで積んだ作品に、さらに付け加えるには河原の残りの石はどれも不適当だった。
 瓔花にとって、唯一この作品に付け加えられるべき存在は自分自身だった。瓔花は石の山に登り、その頂上で誰から教わるでもなく綺麗な座禅を組んだ。


***


「また揺れたな」
 哨戒天狗の詰所で椛は後輩と、軋む窓を眺めていた。最近ここではよく地震が起こる。「ここ」というのは妖怪の山のことで、幻想郷全域ではない。かつて博麗神社だけ地震で倒壊したことがあった。それと同じような異変なのだろうか。
「今日は何回揺れますかね。新聞もここ一週間は地震一色でいい加減飽きがきてきましたよ」
「地震以外には大したことが起きていないってことだ。結構なことじゃないか。それに、今回の地震は色々特殊らしいから想像するのも楽しいぞ」
「特殊っていうと山しか揺れていないことですか? それを楽しいなんて先輩も呑気なもんだ。私なんて山を降りて疎開しようかと真面目に考えてますよ」
 この後輩の天狗は河童のリュックを赤色にしたようなものを常に携行するようになっていた。本当にいざというときは逃げようという腹づもりなのだろう。悪く言えば組織への忠誠心が欠片もない行動ということになるが、危機意識が高いのは結構なことなので椛もあまり強くは注意できない。
「私は天人崩れが要石を埋めたものだと予想しているよ。一昨日の新聞にも『天人、逮捕さる』という記事が出ていた。『神に誓ってもやっていない』と容疑を否認しているらしいが、犯人は皆そう供述するものだからねえ」
「それなら今日の文々。新聞で否定されてましたよ。ほら」
 後輩は持っていた新聞を椛に見せた。記事曰く、天人があまりにも頑固なのを見た守矢の神が、仕事のつてで覚り妖怪を連れてきて、彼女が読心して天人の無実が証明されたらしい。もっとも、主に天界の規則を色々破っていたという余罪の方があるらしいが。
「じゃあ天人と違うかあ」
「守矢の神といえば、早苗ちゃんの方の巫女に神降ろしさせて原因を探ろうとしたらしいですが芳しくなかったんですって」
「未熟だったから?」
「いえ、神降ろし自体は成功したそうなんですが、山の元々の神の機嫌が悪すぎて話にならなかったと」
「あの自尊心の塊みたいな神社が元々の神にお伺いをたてるとは、守矢も意外と追い詰められていたのかね。しかし、ここの元々の神というと……」
「外の世界での呼び名が八ヶ岳なら彼女ですよね。姉妹喧嘩かニニギか」
「何を今更という感じもするがね。神の心理は複雑怪奇だ」
「にしても大きい事件が起こった途端、各紙号外を乱発するものだから日刊でこの詰所にも新聞が溜まっていきますよ。不幸をおかずにするマスメディアの面目躍如ってやつですかね」
 と言いつつ詰所の机の上にできた新聞の山(相次ぐ地震で半ば倒壊してしまっている)に一番熱心に向き合っているのは椛が知る限りこの後輩である。山を捨てる覚悟も辞さないこの不敬天狗を山につなぎとめているのは人並み外れた野次馬根性らしい。
「どこも我先になのに、ただ一紙花果子念報だけ一本も打たないのは流石というべきかなんというかですよ」
「念写の調子が悪いと言っていたな。山を撮ろうとしても全然関係のないどっかの河原が写るから仕事になんないと。一週間も経てば治ると思ったがまだか。仕事が終わったら見舞いに行ってやろうかね」
 そう言って椛は集中を欠いた顔で景色と新聞の山と後輩の顔を順番に見ていたが、突然自分の側頭部を叩いた。
「待てよ。石長姫とは石の女神で、河原と言えば石。何か関係がある……? 例の神降ろしの新聞はどれだ?」
「これですね。飯綱丸様の方の大天狗が珍しく書いた奴です。それと、太陽が窓より完全に上に行きました。先輩はもう仕事上がりの時間ですよ」
「そうか」
 椛が詰所から飛び出した後、後輩は膝と机の間に隠していた懐中時計を取り出す。時計の時間では、椛の仕事終わりよりも少し早いということになっていた。先の地震で窓が下側に歪んだのだろう。些細な誤魔化しで恩を売れるなら積極的に売っておくべきである。


***


「困るんだよねえ。こんな大きい石積み作っちゃってさあ」
 子鬼が瓔花に嫌味を投げる。鬼の加虐心を満たすためにこういう口の叩き方をするのは日常的だが、今回は本心から困っているから出てきた言葉で、だから覇気に欠けていた。そもそも麓から頂上までの距離のせいで瓔花には聞こえていないのか、彼女は子鬼を無視した。
「畜生が」
 子鬼は石積みを棍棒で打つが、石積みは少しも動かなかった。
「いつから賽の河原の鬼はそんな腑抜けになったんだ」
 困り果てた子鬼の後ろからアルコール濃度の高い声が流れてきた。
「萃香さん!? どうしてこんなところに」
(
あいつ
)
の頼みだよ。実に面倒くさい」
 そう言って萃香は手紙を子鬼に投げつけた。
「『咲耶姫から苦情が来た。以下に記す』。また偉い神様からコンタクトがあったもんだ。『そちらに八ヶ岳の山頂が再建されており、これは私の尊厳を踏みにじるもので誠に不愉快である。即刻撤去せよ。さもなくばこちらも相応の措置をとる』」
面子(
メンツ
)
だか面子(
めんこ
)
だか知らんがちっちぇえな」
 子鬼は「どの口が言いますか」と言いかけたが、それを発することの暴力的リスクを鑑みて思いとどまった。
「しかし、なんでこれがオイラ達のところに……。これかあ」
「山頂だったとは思えないほど粉々な石の集まりに成り果てたよな。神ってのは傲慢で暴力的で嫌だねえ」
 やはり子鬼は「どの口が言いますか」と言いかけたが。
「あと相応の措置ってなんなんすかね」
「紫の言う事には富士山を噴火させるつもりらしいぞ」
「ああ。外の世界の話なんですね」
「私らにとっちゃ文字通りに対岸の火事なんだが、活動するはずがないと言われていた富士山が動いたもんだから外の世界の学者共は大騒ぎらしいしね。紫も火消しにてんやわんやでこっちに来れないと言っていて、だから私が代理人というわけだ。というわけで」
 萃香は山頂に座す瓔花に向かって叫んだ。
「悪いけど石積みを崩させてはくれないかね」
「やだよ。だってここが私のいるべき場所だもん」
「ああ。ここがお前のいるべき場所なんだろうな。正確には幾分か下の所が」
 萃香は手を握った。瓔花は抵抗の意思を示すため石を数個投げるが、それで怯む鬼ではない。
「強制執行だ」
「おやめなさい」
 萃香が振り上げた腕を背後から誰かが掴んだ。
 灰色の布を顔にかけていて見えないが、身体の輪郭と服装から女性とは予想できた。が、不意打ちとはいえ鬼である萃香の腕を止めるその膂力は女性どころか人間の基準すら大きく上回っていた。
「誰だお前。あー、当ててやろうか? この『山』の神様とかいうやつだろ」
「そうです。私は石長姫。この子が一生懸命作った作品、それも私の神域を壊そうなどとは許しませんよ」
「だからどうした」
 萃香は掴まれた腕を支点に回転蹴りを石積みに入れたがやはり石積みは動かない。
「無駄ですよ。桃、炒り豆、柊鰯。鬼とは神聖なものに弱い。神の庇護を得たこの石積みを崩せるわけがありません」
「だからどうしたと言っている」
 萃香は石長姫の腕を強引に振りほどき、腹を思い切り殴った。今度は不意を突かれる立場になった石長姫は防御姿勢をとる暇もなく車に跳ねられたかのように吹き飛んだ。
「勘違いしているようだから教えてやる。鬼が退治され得るのは護法に『鬼を退治する』という具体的願いが込められているときだけだ。神だからっていうだけで鬼に叩かれないと思っているぬるま湯野郎には制裁を加えてやらないとなあ」


***


 子鬼は震えながら石長姫を見つめていた。彼女は仰向けで石が敷き詰められた河原の地面で背中を強く打って気絶していた。流血もしている。賽の河原は決して治安がよい場所ではないが、神が血を流すという事態をこの子鬼は見たことがない。賽の河原に来る神といえば閻魔やニワタリ神がいるが、彼女らの血が何色なのか彼は知らない。神も血は赤いのだなというのを、まったくまとまらない思考の中でぼんやりと考えていた。
「お前はぬるま湯の加護にビビっていたわけだ」
 子鬼を正気に戻したのは萃香の叱責だった。
「うう……。申し訳ございません……」
「職務を全うしてそれに外れたことをしないってのが既にぬるま湯だから仕方ないといえば仕方ない。アウトローに生きろなんて言えた立場じゃないからそうは言わんが精進しろ」
「はい。肝に銘じます」
「じゃあ、邪魔も消えたことだし仕事といこうじゃないか」
 萃香は石積みの方に向き直したが、その瞬間に背後で物音を感じとった。
「しつこいなあ」
 萃香がおもちゃを取り上げられた子供のような不機嫌になるのも無理はない。背後の物音とは石長姫が起き上がった音で、しかもそれを確認するため振り返るのに、彼女が投げた石を避けながらしなければならなかったのだから。
「神を一撃で殴り倒せるとは私だって思っていなかったさ。だが限度ってものがあるだろ。石崩しが終わるまで寝ていてくれよ」
「器物損壊するから寝ていろとは盗人猛々しいな。貴様の傲慢さ、不肖の妹に匹敵するわ」
「鬼ってのは傲慢なものだ。気がつくのが数千年遅いぞ、馬鹿め」
 萃香は瓢箪の中身を呷って高笑いした。
「馬鹿で結構。少なくとも私の神域を壊そうなんていう大馬鹿よりはよっぽどマシだ」
「大馬鹿か。まあ高貴な神様から見下ろせば神以外の森羅万象はそうなんだろうな」
「全てがではない。ちゃんと神を信仰する心を持っている尊き者もいるぞ。それが分からんからお前は無知蒙昧な大馬鹿なのだ」
「生憎私は神を信じていないんだ」
「ここにいるというのに?」
「信用ならんってことさ。いきなり出てきて神域だなんだと主張されてもこちとら知ったことじゃないんだよ。鬼は石積みを崩すものだ。で、水子は石積みを作るもの」
 萃香は「ああ面倒くさい。最初っからこうすればよかったんじゃないか」とうだうだ言いながら石積みの山に足をかけた。
「私を倒さず石積みを崩そうなどと……」
「この子と話し合うってだけだよ。私がそんなに問答無用で暴力に訴える蛮族に見えるか?」
 この場にいる萃香以外の全員が「見えるが」という空気を醸し出していたが、彼女は無視した。
「お前はどうして石を積む?」
「楽しいからだよ。それ以外に理由はいる?」
「いらないな。鬼が石積みを崩すのも究極的には楽しいからだから、それ以上の理由はいらないよな」
「それはおかしいよ。人の作品を壊そうなんてやつは地獄に堕ちてしまえばいいんだ」
 瓔花は憮然とした顔で萃香に石を投げた。
「だから地獄の鬼が崩すんだろ? もし誰も崩さなかったら賽の河原はたちまち塔まみれで足の踏み場もなくなる。むしろ鬼に感謝すべきだ」
「でも崩すのは私達をいじめたいからってだけじゃん。図々しいよ」
「ま、そうだな。重要なのは私達もお前達も互いにそうしたいから賽の河原では石が積まれては崩されていくってことだ。ところで」
 萃香は振り返って山の麓を見下ろした。顔の布の下半分を自分の血で赤黒く染めた石長姫が、うめきながらも二人の会話を聞いている。
「なんかお前が神域を作ったとかいって私の楽しみを妨害してくる自称神様がいるんだが、知り合いか?」
「知らない」
「だってよ。残念だったな」
萃香は勝ち誇った声で石長姫に吐き捨てた。
「い……いや、そんなはずはない。なあ、水子よ。私を真に信仰してくれるのならば、私は神としてお前に相応な恩恵を施そう。私は永遠の命の神でもある。水子のお前であっても五体満足で長命な存在として現世に生を授けることだってできる! 魅力的だとは思わないか」
「生きる? 私はここから離れようなんてちっとも思っていないよ。私の願いはここで楽しく石積みをするってだけ」
「そうか……」
「そんな悲しそうな顔しないでよ」
 石長姫は驚き自分の顔の前に手をやったが、布はまだ顔を完全に覆っていた。瓔花には視覚として顔を見ることができないはずだが、それでも表情を看破している。気遣いの心のみによって。
「私の作品を守るってお姉さんが言ってくれて凄く嬉しかった。悪い鬼と戦うのは私にもできるから、応援して」
 石長姫は神である。神であるから民衆の信仰を受けることは当然あるが、神の社会ではその醜貌と性格の悪い姉により疎まれる立場だった。彼女の数え切れぬほどの半生において肯定的な感情を与えられたのは、父神による上からの施しと信者による下からの信仰だけだった。この小さき水子から初めて対等な立場で肯定された。なんと温かいものであろうか。石長姫は目から涙がこぼしていた。
「面白い奴だ。私とこの水子との一対一。私が勝ったら石積みを崩す。この子が勝ったら私は退散してお前の姉の神様に諦めるよう言う。それでいいな」
「うん」
「ええ」
 そして二人は弾幕をぶつけあった。
 これは英雄譚などではなく、端から勝敗が決まっている象と蟻の喧嘩である。石長姫は瓔花に加護を与えはしたが、それは大怪我をしかねないところ軽い擦り傷で済むというという程度の変化でしかなかった。
「負けたー!!」
「貴方はよく頑張りました。ごめんなさい。面倒なことに巻き込んでしまって」
 今度は石長姫が石積みを崩されて泣く瓔花を慰める。彼女を慰めながら、これでよかったのだと、自分自身に対しても納得を得ていた。


***


 地震騒ぎが終わった後になって、花果子念報の地震記事一本目がようやく出た。
 普通遅い新聞というのは見向きもされないが、地震といういつ終わるのか分からない災害に対して根拠を示して終息したと発表されることで得られる安心感という意味で、今回の念報には意味があった。花果子念報としてはそれなりの発行数に達するという成功を収めるに至ったのである。
 また、この記事で賽の河原の風景を知ったという天狗も多く、河原に観光に行く天狗もいた。目玉である第二の八ヶ岳は既に崩されていたが、代わりに「八ヶ岳山頂跡地」という碑が建立された。是非曲直庁ら新地獄の管理者側は賽の河原が勝手に観光地化されることに対して当初複雑な心境だった。だが、上手くやればお金を落としてくれるという点で彼女達は上客ではあったので、天狗の賽の河原観光を整備するという動きになった。地獄の沙汰も金次第で、肝心の地獄側にはいつまでたっても金がない。
 水子達も、石積みに肯定的な存在が増えることによる期待を天狗に抱いていた。が、この天狗という種族、遠目に鬼を見つけるや否や、水子がこれまで賽の河原で見てきたあらゆるものよりも高速で逃げていくので水子達が期待していた鬼から石積みを守ってくれるということにはなんの役にもたたなかった。楽観的な水子といえども、この結果にはいたく失望したということは言うまでもない。


***


 瓔花は賽の河原の喧騒はまるで自分には関係ないかのようにただ淡々と石を積む。もう八ヶ岳の頂を再現できることはない。あの石達が元々霊峰のものであることによって持っていた神性は悪い鬼が散らしてしまった。
 それでも、収まるべき場所に収まっていたという高揚感と安心感がもう一度訪れてはくれないかと、瓔花は思わずにはいられないのである。
元々は「瓔花が八ヶ岳の山頂を積み上げうっかり成仏しかける」というだけの簡素な話だったのですが、「『積んではいけないものを積み上げた結果瓔花が成仏しかける』という筋書きの話はそそわで既出」「賽の河原と山岳信仰というところから着想したが、よくよく考えると山岳信仰としての賽の河原は仏教とはちょっと違うな?」という理由で作り変え

作り変えた結果、「紆余曲折して成長する」という意味での主人公は瓔花から石長姫の方になった気もします。あるいは問答無用のぶん殴りで事態を収束させた萃香の話。光の戎瓔花推進委員会を勝手に自称してますが、次は子供らしい不完全さや未熟さに着目した、より瓔花が主人公っぽい話で作りたいところです
東ノ目
https://twitter.com/Shino_eyes
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コメント



0.100簡易評価
2.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
八ヶ岳の伝説と賽の河原を組み合わせる発想が面白かったです
5.90福哭傀のクロ削除
序盤のくだり、正直に言えば結構回りくどくもある気がするんですが、それだけ言葉を重ねるに足る面白さとワクワク感があってすごく好きでした。
ちょっと自分にはない発想のお話で楽しめました
6.100名前が無い程度の能力削除
着想とそれらをつなぎ合わせる展開の妙が面白かったです
7.100めそふ削除
めちゃくちゃ面白い発想で、知識としては全く知らないものも多くちゃんと理解できたかは怪しいんですけど、それでも話としてよく出来ていてとても良かったと思いました。面白かったです。
8.100南条削除
おもしろかったです
誰の思惑もおおむねうまくいっていなくて諸行無常を感じました
今更過ぎることでキレてる咲耶姫も前評判通りの傲慢さでよかったです
9.100夏後冬前削除
この発想、もはやお見事としか言えない。まったく予想のつかない面白さがありました
10.90名前が無い程度の能力削除
大変良かったです
11.100のくた削除
発想の勝利どころか発想の完全試合
面白かった
なんでこんなの思いつけるんだろう
12.100名前が無い程度の能力削除
富士山大噴火、首都直下地震、巨大津波etc.
木花咲耶姫の怒りは神々への敬意を忘れ物欲に耽り、
剰えそれを「持続可能な社会」だと信奉する愚昧な人間に対して向けられる天誅でありましょう。