蓮子はかわいそうな女の子だったわ。色んな意味で。
詳しい経緯は、本人も話したがらなかったから、結局わからずじまいだったのだけれどね。ほら、ちょっと人が多い駅前の、少しいったところの線路沿いって、よくあるじゃない? いつから建ってるんだかわかんないようなアパートが、壁に茶色いツタ生やして、身を寄せ合ってるような区画がさ。そういうアパートの一室に、父親と二人暮らしだったわ。
それで、この父親というのがまた、難しい人だったのよ。怒鳴りつけて、殴る蹴るは日常茶飯事。夜中に部屋から追い出しちゃうとかね。彼女はずいぶん嫌っていたわ。
いえ、虐待とはね、少し違ったと私は思う。彼女の話をきれぎれと聞く限りにはね。
なんていえばいいのかな、彼女、一人っ子で、それに片親だったから、むしろ期待されていたんじゃないかしら。制服はきっちりアイロンかけられてたし、お弁当は手作りだったわ。ああ、あの子料理全然できなかったのよ。そうそう、蓮子のカバンから、ディオールのアトマイザーがしれっと出てきて、びっくりしたこともあったっけ。見た目はね、きちんとしてたわ。むしろそのせいで、おかしさが目立ってたくらい。なにより、高校は私立だったわけだしね。だから、愛されてたんだと思うわよ。
あら、そうかしら? あなたみたいに、動機が愛だろうがなんだろうが、親が子供に手をあげれば結局虐待だ、なんて世間も言うけれど、でも、愛されていたのなら、それは羨ましいことじゃないかしらね。ま、そもそもこれ、だいたい私の推測だから、あんまりあてにしないでちょうだい。
ただ、小学校も中学も、不登校だったわ。これは確かな話よ。いじめられてたのかしらね? 私はそう思ってるけれど。
まあ、いやな話だけどね、喋ってたら、やっぱり感じるじゃない。ちょっと変な子っていうかさ、会話のテンポがおかしいというか。ほら、わかるでしょう? クラスのLINEグループに、最後の一人としてようやく入れてもらう子の、ああいう感じ。
でも、結局自分ではそんなことちっとも話さなかったからね、これも推測よ。
引きこもりがさ、アニメやゲームを大好きになる、なんてもうびっくりするくらい記号的で、よくある話かもしれないわ。でも、それが東方っていうのは少し珍しかったのかな。当時でももう、ちょっと古かったと思うし。あ、東方って知ってる? 霊夢とか、魔理沙とか。あら、それはよかった。説明の手間が省けるわ。そうね、結構有名なコンテンツだものね。
話を戻すわ。彼女はずいぶんのめりこんで、原作とかもずっとやっていたみたいよ。そのあたりはね、私は別に興味なかったから、さっぱり。何度かやらされたけど、私ってそもそもゲームとか苦手だから、全然ダメだったわ。
蓮子はよくそのことで私を馬鹿にしてた。そんなにゲームが下手じゃあ、生きていくのが大変だよって。あの子はね、本気で思っていたわ。ゲームの腕次第で人生のよしあしまで決定されるんだって。ゲームが上手い奴は、それだけでどこかそうでない人より偉いところがあるって、そう無邪気に信じていたのよ。これ、あの子が大学生の時の話。悲しくなってくるわよね。
あの子はね、他人との距離感ってのがわからなかったのよ。だから、一度友達だと思えばひどくなれなれしくなるし、それでいて、相手をしつこく罵倒したり、あげつらったりする。越えちゃいけない線ってのがね、見えないのよ。友達には何を言ってもいいと思っていたのね。それこそ、生きていくのが大変、なんて人によってはとても許せないような言葉かもしれないでしょう。しかも彼女は本気の口調でそういうことを言ったからね、なおさら。でもあの子の中では、それが友情のあかしだった。そういう意味では、父親によく似ていたんじゃないかしら。というよりも、似たんでしょうね、周りには彼しかいなかったんだから。まあ、そんなんじゃ当然、嫌われるわよね。
私は学校、ちゃんと行っておいてよかったな。
またまた脱線しちゃった。どこまで話したかな。そうそう、それでね、蓮子はずっと、本当にずっと、東方にのめりこみ続けていたわ。あの子、そういう集中力だけはあった、不思議とね。でも、それがいけなかったのかしら、一体何を間違ったやら、自分は東方の登場人物だ、なんて思い込むようになっちゃったのよ。どうしてとか、いつからとかは、わからないわ。私と初めて会ったときにはもう、そうだったから。
ま、もともと気質はあったんじゃないかしら。あの子、カバンにおっきなペンギンのぬいぐるみストラップなんてつけちゃって、しかもそれに向かって話しかけたりするタイプだったから。
偏見? そうかもね。でもわかってほしいのは、そういう女の子だったってことよ。
すごくきれいな言い方をすると、純粋だったのよ。
蓮子と初めて会ったのは、高校に入学して最初の期末テストが終わったころだったわ。確かに同じ学校の同学年だったけれど、その時まで、全然面識なんてなかった。下校中に、後ろから突然背を叩かれたこと、今でも覚えてる。あの、私の、め、メリーさんになってください、秘封倶楽部を一緒にやりませんか、ってね。笑っちゃうわよね?
あ、東方がわかるなら、メリーも知ってるかしら? つまり私のことだけど。秘封俱楽部も。あらそうなの、まあ、そんな看板キャラクターってわけじゃないからね。仕方ないわ。
宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーン、後者を縮めてメリーよ。蓮子は黒髪で、星と月から時間と場所を測る眼を持っている。メリーは金髪で、こっちにも不思議な眼。二人で一つの秘封倶楽部、科学世界に潜んだ秘密を暴く、ってわけよ。まあ要するに、そういうキャラクターってこと。
あら、言ってなかったかしら。そうよ、蓮子の本名は蓮子じゃないわ、当たり前の話。それに蓮子は蓮子なんだから、そんなことどうだっていいのよ、どうせ誰も覚えてないし、私だって忘れちゃった。
あの子は黒髪だし、伸ばしてもなかったから、蓮子になるしかなかったんだと思うわ。まあ、蓮子も、いつだって蓮子だったわけじゃなかったからね。もっとも、私の前では、大抵スイッチ入ってたけど。
あ、私が選ばれた理由はね、その時から髪を染めていたからよ。ふふ、そういうやんちゃな時期が私にもあったの。長くて綺麗でしょう、私の数少ない自慢。ちなみに私は本名もメリーよ。すごい偶然でしょう?
とにかく、蓮子はね、私のそこだけをみて、それだけで話しかけてきたの。きっと彼女にとって、ものすごく勇気のいる誘いだったでしょうね。私はそれに乗ってしまった、というより、全然何言ってるかわかってなかったのに、とりあえず適当に頷いちゃったんだけどね。私、結構押されると弱いのよ、すぐはいはいって言っちゃうからね。家に帰ってから秘封倶楽部について調べて、ようやく、何を言ってるのかわかったくらいなのよ、意味はわかんなかったけど。
蓮子はさ、言葉のあやとか、表情の揺らぎから気持ちを察するってことがね、できなかった。つまり、はいといわれたら、あの子の中ではそれは了承以外の意味を持たないの。お世辞を本気にするし、遠回しな言い方とかね、びっくりするくらい通じなかったわ。だから大喜びでね、次の日、また下校中に声をかけてきたわ。おんなじ場所で。
行くわよメリー、私たちの冒険の始まりね、なんて当たり前みたいに言うのよ。これはちょっと面白いことになってきたぞと思ってついていくとね、これもまた面白いんだけど、そんなに大げさなこと言っておいて、ガストなのよ。そりゃまあ、高校生だからね、わかるのだけどね。
まぜこぜにしたドリンクバーを片手に、やれ物理学がどうとか、狸と狐の妖力がどうとか、それっぽいことを言っているのは、ちょっと不気味だったなあ。そうなんだ、って答えたら、そうなのねって言って!なんて怒られたっけ。めちゃくちゃよ、まったく。今思うと、メリーの口調として間違ってないわよねえ。
それから、私たちの秘封倶楽部としての活動が始まったわ。といっても、大層な話じゃなくって、彼女に誘われたら、どこか、まあ大抵はやっぱりファミレスなんだけれど、そういうところに行くわ。そうして、彼女が何か、知的な、少なくとも彼女自身はそう思っていたわ、とにかくそういうことを言うから、私はそれっぽく相槌を打てば良いの。スマホ片手にね。それだけだったわ、ほとんどは。
時間だけはあったからね、毎日毎日、一生懸命考えてたんだと思う。架空の活動記録と、台本を。でもその筋がめちゃくちゃでね。蓮子の眼がある日進化して、太陽を粉々に打ち砕いたとか、そういうことを言うのよ。これが創作だったら、それはまあ、いいんでしょうけれど、彼女は本気で、昨日あった出来事として話すんだから困ったわ。メリー、一緒にやったじゃない、ってね。こういう時に私が、いや、じゃあ今私たちの真上に浮かぶ太陽はなんなのよって聞いてもだんまりだったわね。要するに、センスが無かったのよ。こういう時、何かそれっぽいことを咄嗟に言って、うまく煙に巻くんじゃなくって、黙り込んでしまうようじゃね。
なんであの子と一緒にいたか? うーん、理由はいろいろあったけれど、一番はそうね、はっきり言えば、頭がおかしな人間を見ていたかったからよ。興味本位。
ええ、確かにそれは、世間ではなんとなく、いけないことだとされているわ。でもインターネットって、その手のコンテンツ、つまり、そういう人を面白がったり、揶揄したり、馬鹿にするコンテンツであふれてる。あなただって、覚えがあるでしょう? 全く触れたことがない、なんて言わせないわ。
結局、みんな見たいのよ、社会のはぐれ者が、みんなと違ったことをするところ。そうして安心したいのよ、自分はまだまだ大丈夫、ってね、そう錯覚したいの。
自分のことを宇佐見蓮子だと思い込んでいる女と、それを嘲笑って、自分は正常だと思い込む社会の間に、たいして違いはないのかも。ふふ、言いすぎかしら。
ええ、私も狂った人間が見たかった。安心したかった。もちろんよ。例に漏れないわ。蓮子は見ていて、本当にかわいそうだった。感動するくらい間抜けだった。私の自己肯定感は、おかげでかなり高められたわ。
それに、ご飯代とかもずっと蓮子持ちだったしね。なんでかしら? やっぱり、私に嫌われるのが怖かったんでしょうね。まともに相手してあげてたのは、私だけだったから。一人ぼっちが平気なふりをしてたけど、そんなわけないわよね。人って、そういう風にはできてないのよ、きっと。
でも、それを口に出すタイプじゃなかった。見栄っ張りだったから、自分がそういうことを言って、下に見られることは許せなかったんでしょうね。自分の間違いとか、絶対認めたがらなかった。だから、私におごる口実にするために、毎回毎回、わざと遅刻してきたわ。宇佐見蓮子だから仕方ない、なんていって、悪びれもせずにね。あの子にとっては、自分の弱みを知られるよりも、人をむやみに待たせる方が、ずっとマシなことだったのよ。相手にしてみれば、割り勘にされることなんかより、そっちの方がよっぽど腹立たしいことだと思うのだけどね。そういうことがわからなかったのよ。
それでも、この頃の蓮子は、けっこう幸せだったと思う。私という相方がいて、少なくとも何か好きに、蓮子としてしゃべることはできていたわけだからね。それこそ、ホストクラブとかに比べたら、間違いなくずっと良心的だと思うわよ、私。
高校もね、毎日、とはいかないけれど、少なくとも卒業できるくらいには通っていたわけだから、やっぱり自分でもね、幸せだと思っていたんじゃないしら。
あの子はきっと、そんなに複雑なことを望んでいたわけじゃない。ただ何か特別な人になりたかったのよ。それは別に、おかしな願望じゃないわ。あなただってそうでしょう? 誰だって、子供のころはあこがれると思う。ただ、あの子の場合は方法が歪んでいただけなのよ。だから、その方法が上手くいっている限りは、つまり、私に妄想を垂れ流して、それで満足している限りは、彼女はずっと幸せだったでしょうね。
でもまあ、わかりきっていたことだけど、蓮子は宇佐見蓮子にはなれなかったわ。なり続けられなかった。
宇佐見蓮子っていうのはさ、すっごく頭が良くて、不思議な力を持っていて、冒険ができるキャラクターなの。つまり、あの子とは真逆ってこと。初めから無理な話だったのよ。
何って、大学に落ちたのよ。第一志望だった京都の大学にね。今思うと、これが最悪だったわ。
ええ、そうよね、それの何がいけなかったのかは、正直私にも正確にはわからないわ。私なんて、そもそも大学行ってないもの。でも、あの子にとっては本当に大切なことだったのよ。あの子は自分のことを、結局は賢い人間だと思っていたからね。よく言ってたわ、クラスの奴らは馬鹿ばっかりだって。それが、教室に居場所がなかった、あの子のよりどころだったんでしょうね。
もちろん、蓮子だってね、私と同じ高校にいたくらいなのだから、まあたかが知れているのよ。話していてもね、頭が回るって風でもなかったし。
でも、そういうのって自分では気づけないものだから、明確な結果として突き付けられたのは、辛かったんでしょうね。
結局あの子はこっちで短大に進んだわ。京都に行きたがっていたのは、地元を離れたかったって意味もあったのよ。進学先について、ずいぶん父親は怒っていたみたいだから、なおさら嫌だったんでしょうね。よく殴られるって、ぼやいてたわ。とはいえ、そこで家を飛び出すような冒険ができるほど、あの子は強くなかった。あの子は弱さを隠すために、ますます蓮子の仮面に頼るようになった。
そう、仮面。さっき、あの子が蓮子になった理由はわからないって言ったけれど、本当は、わかるような気がするわ。あれは避難場所だったのよ。社会、学校、将来、そして父親。そういうものから、あの子の弱い心を守るための仮面だったのよ、きっと。宇佐見蓮子である限り、あの子は特別でいられたし、自分の頭を押さえつけるような現実から、はるか飛び越えたところにも立てた。
でも、結局それって現実逃避なのよ。しかも、終わる当てのない。
受験に失敗した、あの子の自負は崩れ去った。父親との関係は悪くなる一方、居心地が悪い。短大だって、入りはしたけど、やりたいことがあるわけでもない、結局友達だって作れない。
状況はどんどん悪くなって、私とのくだらないおしゃべりだけじゃ、ごまかし切れなくなってしまったのね。だけど、今更現実には向き合えなかった。だから、彼女は仮面をより厚くしようとした。つまり、宇佐見蓮子に近づこうとした。
でも、あの子は京都には行けなかった。宇佐見蓮子のように賢くはなかった。あの子には家出なんてできっこなかった。宇佐見蓮子のような冒険心なんてなかった。あの子はただの女の子だった。宇佐見蓮子みたいな特別な力があるわけもなかった。どんづまりね。
この頃、二人で京都旅行に行ったのだけど、その時にはもう、だいぶおかしくなっていたわ。あの子は旅行の間中、蓮子だった。常に秘封俱楽部として動いていたわ。行き帰りの新幹線にずっと文句を言ってたのよ。遅すぎる、五十三分のはずだ、約束と違う、詐欺だってね。それで駅員さんにクレーム付けようとするもんだから、慌ててやめさせたわ。ひどかったのは、別に設定的にも新幹線が遅くてよかったってことかもね。何もかも間違ってたのよ。そういうところ、甘かったなあ。そりゃ蓮子にはなれないわね。とにかく三日間、ずっとこの調子だった。
さっきも言ったけれどね、蓮子はいつだって蓮子だったわけじゃないの。あの子は臆病で、人の目をとても気にしていたからね。自分がまともじゃないって思われることを恐れていた。
そうなのよ、あの子は、自分が宇佐見蓮子であると思い込むと同時に、いわゆる、まともな、正常な人間でもあるとも思いたがったわ。そして、人にそう思わせたがった。これもまあ、矛盾ね。だから、目立つようなところでは、それまであの子は大抵蓮子じゃなかった。そんな突拍子もないクレームなんて、つけるような子じゃなかったのよ。高校生の女の子がずっと別人格を装っていたら、いくらなんでもとっくに病院に連れてかれていたでしょうから、当たり前ね。もしかしたら、その方が幸せだったかもしれないけど。
でもその時には、もう蓮子にそういう分別はなかった。だから、本当の意味で狂っていたのは、この頃からだったのかもね。
帰ってきてからも、あの子はずっと蓮子だった。でも結局それも限界があるからね、他のアプローチも試し始めたのよ。失ったものを諦めることは、とても難しいから。
いろいろやってたわ。秘封俱楽部の絵を描いたり、小説を書いたり、コスプレ写真をあげてみたり。代償行為ってやつよ。あってるわよね? 私はメリーだから、心理学の本も少しは読んでみたけど。ま、それだけで理解なんてできるはずがないわよね、ふふ。
でもね、あの子ってさ、私がいうのもなんだけど、そんなに美人ってわけじゃなかったからね、コスプレなんていったって、大して注目もされなかったわ。
絵はね、なんなら私の方が上手かったんじゃないかな?あ、こう見えてもすこし描けるのよ。落書きレベルだけれど、今度見せてあげるわ。
小説も結局同じことで、創想話っていって伝わるかしら。伝わるわけないわね。一言で言っちゃえば、東方の小説を書けるサイトよ。そこにあの子が投稿して、ええ、私も読まされたわ。
でもさ、結構な人気キャラクターなのよ、秘封倶楽部っていうのは。そうすると、そこにはもうたくさん、彼女らについての小説があるわけなの。普段本なんて読まない私だけれど、でもやっぱり、蓮子の作品は見劣りしたわ。そりゃあ、文章なんてまともに書いたことなかったんだから、当然よ。同じようなことは他の二つにも言えるわ。
それで結局、どれもすぐにやめちゃった。
まあ、続けていたら目が出るって風でもなかったし、そこは本人もわかっていたんだと思う。それに、蓮子は努力とか、継続とか、本当に向いてなかったし。自分では直感型だとか言っていたけれどね。
別に、蓮子に才能がなかったことも、努力が続かなかったことも、それ自体は大した問題じゃないわ、よくあることよ。むしろ、やっただけ偉いとすら、私は思うわ。でも、これで蓮子は、とうとう蓮子として満足する方法を失ってしまった。もっと遠くには逃げられなかった、仮面は壊れて、戻らなかった。
あの子は多分もうその頃には、ずっとずっとずっと蓮子だったから、家は地獄だったでしょうね。よく父親は放っておいたなって思うけれど、まあ蓮子の親だからね。見栄っ張りで、娘が精神病院のお世話になるなんて、耐えられなかったのかもしれないわ。
あの子がいよいよ駄目になってきて、私も責められたわ。あんたがメリーらしくないから、秘封俱楽部が成り立たないんだ、てね。失礼しちゃうわ。あんたが高卒なのが悪いのよって言われたときは、ちょっと面白かったわね。ほら、大学に通うこと自体になんらかの価値があるって思い込んでいる人はさ、たくさんいるじゃない。でもまさか、秘封俱楽部らしくないという理由で糾弾されたのは、私が史上最初で最後だと思う。
ここまで来たら、私も流石に付き合ってられなかったわ。だから、その後のこと、といっても一週間もないのだけど、その間、あの子が何を考え、何をやっていたのかは、わからないわね。
それで、なんとなく結末は察していると思うけど。限界まで逃げて逃げて逃げて、それでも現実に捕まりそうになった人間が最後にどうするかなんて、もうわかるわよね。そう、自殺したわ。陳腐すぎておもしろくないくらいだけどね。電車に飛び込んで、それで、おしまい。ずいぶんあっけなかったわ。あの子は怖がりだから、本人としては文字通り一世一代の決意だったんでしょうけど、私からしたらね。死なれたってなんにもないわよね。
それで、あなたを連れてきた理由が聞きたかったのよね?ええ、これが理由よ。
えっと、ちょっと言葉が足りなかったかもしれないわ。そうね、確かに蓮子は死んだ。でも、秘封俱楽部は終わっていないのよ。私がいるから。私はメリーよ、マエリベリー・ハーンよ。でも、私って秘封俱楽部なのよ。
そうするとね、どうやったって、秘封俱楽部は二人で一つなの。私はメリーだから、私には宇佐見蓮子が必要で、宇佐見蓮子には特別な眼が必要なの。わかるでしょう? 単純よね。
そう、眼よ。眼球。あなた、見た目は宇佐見蓮子に似ているわ。うん、蓮子より似てる。美人さんね。帽子もよく似合ってるわ。でもその眼は、なんていうか、普通でしょう? ああ、もちろん、責めてるわけじゃなくって。普通って得難いものだと思うから。素晴らしいことよ。私なんかは特に、そう思う。
ただ、あなたが宇佐見蓮子であるためには、特別でなくちゃいけないの。それだけの話なのよ。
ええ、ええ、そうね、その通りよ、良くないことだとは思うわ。喜んでやってるように見えるかしら。私ったら焦っちゃって、あなたを捕まえてから、わざわざ人の縛り方なんて検索したのよ。馬鹿みたいでしょう? でも仕方ないわよね、だって私、秘封俱楽部なんだから。
今のうちに、じっくり部屋の中、見ておいていいわよ。その眼で見られる最後の景色だもの、それくらい、私は許すわ。とはいえ、こんなに縛りつけちゃあ、首も大して動かせないでしょうけれど。そこはあなたが許してちょうだい。これでおあいこにしましょ。
ま、次があったらもうちょっと上手くやるわ。ふふ、今のは笑うところ。あら、そんなに見つめないでよ、照れちゃうから。情熱的ね、あなたとっても可愛い顔してるから、惚れちゃいそう。でもね、私は蓮子のものなの。あなたじゃダメなのよ。とても残念だわ。
さて、さっさと済ませちゃいましょうか。お互いのためにも。じゃあ、ちゃんと眼は開いておいて。まあ言われなくたって、閉じられないでしょうけど。あら、ずいぶん乾燥しちゃってるわね、ごめんなさい。でもそれももう終わりだから。ね。
あんまり暴れないで、蓮子。
メリーがより高次から蓮子を捉え、蓮子の行動原理の根幹となる、性質や常識の欠如を分析するあたりの文書は、特に、ひたすら聞き手に徹することができ、かつ対話において、行間を読むどころではない分析を行っている方でないと書けない・出せない味だなあと感じました。
最後の行の前後に数行分改行があるのがまた想像力を働かせる、意味が分かると怖い話でした。
最後の最後まで面白かったです!
……こういうのってそれこそこの偽名蓮子さんみたいに自分が特別だって思う初心者作者が失敗するか、かなり書いてきた人がこじらせて変なのか来たくなった時に書く題材だと思うのですが
本名メリーの卑劣さと偽名蓮子の様子のおかしさで違和感無かったけれど、本名メリーの狂気も見返してみると表層にある。その辺りの構成は大変参考になると同時に面白さの一つかなと。忘れた頃にまた心をぐちゃぐちゃにしてほしいですね。ありがとうございました!