『火を見るよりも』
あれは、一回生の七月頃、とにかく雨が多かった時期だったと記憶している。
なんの用事があったのだったか、そこはもはやはっきりとは思い出せないのだが、確か、長雨の合間に晴れた日を突いて、三尾の方に首無地蔵か何かを見に行った、その帰りではなかったかと思う。
それくらいの時分には、我々の活動ぶりもだいぶ板についてきて、それを口実にした二人でのささやかな打ち上げも、すっかりお決まりのこととなっていた。
日付はとうに回っていて、蓮子の部屋で飲み食いしていた我々も相当に酒が回っていた。弱い新型酒といえど、杯を重ねればそれなりに酔いもし、飲み慣れぬ大学生の意識一つおぼつかなくさせるのに不足ということはない。
二人には手狭なワンルーム。布団をどかしたベッドが椅子代わり。並んで腰掛けて、ずいぶんペースを鈍らせながらもちびちびと。いい加減空き缶が目立ってきて、そろそろどちらからともなく、今日は解散しようか、と言い出しそうであった、そういう最中である。
ぽつりと蓮子が「今度は何をしようかしら」と呟いた。問いかけという風ではなかった。独白的であった。私に聞かれることすら意図していないようであった。
もちろん、これは次回の活動目的を探すつもりの言葉である。その時の私とて、それくらいのことは充分了解していたのであったが、なにぶん酔っていたものだから、ついつい応えて、思ってもみない願望が口から転び出た。
「火が、見てみたいわ。真っ赤な炎が」
しまった、と思った時にはもう遅く、なまじあながち虚偽の願いというわけでもなかったから、取り繕いに窮して、黙り込んでしまった。
そうなのである。虚偽ではなかったのである。それはかねてから、密かに欲していたことなのである。
今思い返しても実に奇妙なことだが、事実として、その時までの私は火というものを見たことがなかった。だいたいにして、実際に見るような場面は少ないものである、というのはもちろんだが、しかし映像の中で見たという覚えすらないのは変であった。
あたかも炎の方から、私の視線を避けているようであった。
文字通り、夢にも見なかった。
とはいえ、あるいは何かの拍子に、視界の片隅に映り込んだ、ということはあったのかもしれないが、覚えていなかったのでは、それは見なかったのと同じであろう。少なくとも、そうと意識して直接に、はっきり、まじまじと観察する機会というものを、それまでついぞ得なかったのだ。
煮炊きに火を使う伝統など、京都よりずっと科学技術に疎い故郷ですら、とうに廃れて久しかった。
私が自ら調べようとしても、不思議と、その意を貫徹できなかった。あるいは、見ようとしたという記憶だけが残っていて、肝心のことは全く忘却しているというのが常であった。
どうやら彼らは、自身の美しさを、猛々しさを、残酷さを、儚さを、私にだけ秘密にしようと決しているらしかった。どういうわけか、いつでもするりと見事に、私の眼から逃げおおせた。
だから私は、文学作品で描写されるような、艶やかな炎の舞踊というものを、記号的な情報以上のものとして読めなかった。火災が生み出す悲喜交々を、自らの実感として取り込むことができなかった。赤々とした残り火が、灰色に埋もれていく情景を、鮮やかな映像として脳裏に浮かべることができなかった。私の中で火というものは、いつまでも立体的になりっこない、のっぺりとした概念なのであった。私の世界には欠けがあった。そのことが私にはとても歯痒く、悔しいとさえ思っていたのだ。
とはいえ、その頃にはもう私は、これはこういうものだと半ば諦めてしまっていたから、自分の口からそのような言葉が出てくることは実に意外であり、戸惑うことでもあった。しかし、それは紛れもなく、真正の希望なのだった。
こういうわけで、前言を翻すということがその時の私にはできなかったのである。私はこういう時、咄嗟に自分の気持ちに蓋をして、嘘をついてしまえるほど、器用ではなかったし、さりとて見当違いなことを言ってしまった自覚はあって、そこをえいやと踏み越んで言葉を重ねられるほど、不器用でもなかった。こうなってしまえば、沈黙に場を委ねる他に解決策を知らなかった。
蓮子は思いがけぬ私の言葉をきいて、さすがに面食らったようであった。しばし経って、黙りこくっている様子から、どうやら私が真剣らしいと読み取るや、いよいよ目を瞬かせた。だけど決して、どうしてとは問わなかった。代わりにちょっと思案するような顔をして、それから少し待って、と立ち上がると、部屋の向かいにある物置の戸を開けて、なにやらごそごそ探しはじめた。
ややあって、見つけた見つけた、と振り向いた彼女が差し出してきたその右手には、小さな長方形の箱が握られていた。こちらに向けられた面にはラベルが貼られていて、黄色い下地を背景にして、先端が赤い木の棒を楽しげに担いだ、三羽のペンギンが描かれている。その下部に、掠れながらも"ヨウラン燐寸謹製"という字が辛うじて読み取れた。
彼女は得意げに箱をスライドさせると、中から小さな棒を取り出して、それがマッチという、とても古い時代の火おこし道具であることを説明した。それから滔々と、やれ火薬がどうとか、こけしの屋台で競り落としたとか、経木製の箱は珍しいだとか、その仕組みや来歴について蘊蓄を垂れ始めたが、酔った私の頭にそんな情報を流し込んだって何が残ろうはずもなかった。だから私の中では、マッチは今も、正体不明な魔法の道具のままである。
蓮子の方でも、平時であればそんなことに気づかないはずがないのであるから、やはり相当に酔っていたのであろう。
そのことは、良い事を思いついた、とまた私に背を向けて、壁に向かって歩いていく彼女の足取りのふらつきからも見てとれた。
そうして彼女は、この方がきっと綺麗に見えるよ、なんて言いながら、部屋の明かりを消した。漏れる月光と、あちこちの画面やボタンが、自らの位置を示すために発す淡い光を頼りとして、手探りで私の隣に戻ってくる様子も危なげで、ちょっと心配した。酔っ払いというものの例に漏れず、蓮子にその自覚は全くないようであった。
「いい、よく見ててね」
この暗さで無茶を言う。
暗い部屋に薄ぼんやりと、白っぽい彼女の手が浮かび上がる。それから、いくよ、との声掛けと共に、素早く白い影が動いて、しゅっと何かを擦る音がしたが、それだけで、特に何か起きる様子もなかった。
「んん、おかしいな。湿度高いからかな」
なんて、無闇に動かす手の相当なおぼつかなさが、暗がりの中でも見てとれた。今思えば、手先がよく見えもしないのに、酔った人間が火を扱おうだなんて、とんだ不用心であると苦笑せざるをえないが、当時の私達は、そんなことは気にも留めなかったかった。
「経年劣化してるんじゃないの。それ、相当古いでしょう」
「そうだけど、原理的に使用期限なんてないはずよ。湿気っちゃったのかなぁ。あ、折れた」
そうして何本かを駄目にして、これはいよいよ無駄骨じゃあるまいか、という空気が部屋に漂った。やはり私の眼が嫌われているのであろうか、なんて思った、次の瞬間であった。
彼女の手から弾けるように、暗闇に光が零れ出た。
赤と橙が、踊るようにゆらめいて、ちっぽけな灯りが、俯き気味の横顔を照らし出した。血色の良い頬と、肩まで伸びる黒髪。そして引き結んだ意志の強そうな口元。
何より、少し見開いて、明るい茶色に透けた、直ぐな瞳の、そのぞっとするような深さ、冷たいほどの美しさといったら!
そこには、真剣な色があった。人生を賭けた実験の結果を待つような、そういう気配があった。雲一つない冬空に満ちた月のごとき、森厳さがあった。
宇佐見蓮子という人間は、事情を知らないでは、酒席の戯れとしか思えないようなこういう些細な試みに対しても、いちいち真摯な顔ができるのであった。
はじめこそ、まるで本当にきちんと燃えているのかどうかを確かめるかのように、注意深く手元を観察していた彼女であったが、すぐにこちらを向いて、いたずらっぽくにやりと笑った。
「どうよ、まだ使えたじゃない。なかなか、綺麗なものね」
得意満面といった様子である。
「ええ、とても」
こればかりは、素直に認めた。
少しでも火を長持ちさせるためか、蓮子はなるたけマッチ棒が平行になるように気を払っているようであった。ほっそりと、白煙が伸びる。漂う、どこか鼻をつく匂いに彼女は顔を顰めていたが、私はそれほど嫌だとも思わなかった。
そのまま黙って見つめていると、あっという間に軸木は半ばまで燃えてしまって、持つ指に熱を感じたのであろうか、蓮子はぶんぶん手を振って、部屋を再び黒に沈めた。
もう一回やろうか、という彼女の提案を、私はどういう風に断ったのだったか。大丈夫よ、貴重なものなんでしょう。とか、そんなことを言ったような気もする。
本当は、まぶたの裏に焼きついた、面影を、ただ上書きされたくないだけだった。
目を瞑ったまま、眠りに落ちてしまいたかった。
◇
それから、大学生活の間だけでもずいぶんいろいろな炎を見た。一度捕まえてしまえば、けっこう面白いやつなのである。
夏には蓮子と連れ立って五山の送り火を見物した。人混みをかき分けるのは億劫だったけれど、その価値はあった。
彼女は炎色反応も教えてくれた。私はガランシウムの、柘榴を割ったような色合いを気に入った。
七輪で秋刀魚を焼こうと試みたりもした。実に旨かったが、これはもう少しで大火事になるところであった。以来、秘封俱楽部の規則は、火気に少し厳しい。
炎は、夢の中にも現れるようになった。
水底に揺れる、蝋燭の陽炎を見た。竹林の奥深く、紅く燃え上がる少女を見た。業火に舐められる月の海をも見た。金閣寺の、焼け尽く様も、確かに見届けた。
しかし、これらの内で、私にもっとも強烈な印象を与えたものは何か、と問われたら、やはりそれは、たった一本の小さなマッチ棒が燃焼した、あの忘れがたい数秒であると答えるほかない。
あれは、一回生の七月頃、とにかく雨が多かった時期だったと記憶している。
なんの用事があったのだったか、そこはもはやはっきりとは思い出せないのだが、確か、長雨の合間に晴れた日を突いて、三尾の方に首無地蔵か何かを見に行った、その帰りではなかったかと思う。
それくらいの時分には、我々の活動ぶりもだいぶ板についてきて、それを口実にした二人でのささやかな打ち上げも、すっかりお決まりのこととなっていた。
日付はとうに回っていて、蓮子の部屋で飲み食いしていた我々も相当に酒が回っていた。弱い新型酒といえど、杯を重ねればそれなりに酔いもし、飲み慣れぬ大学生の意識一つおぼつかなくさせるのに不足ということはない。
二人には手狭なワンルーム。布団をどかしたベッドが椅子代わり。並んで腰掛けて、ずいぶんペースを鈍らせながらもちびちびと。いい加減空き缶が目立ってきて、そろそろどちらからともなく、今日は解散しようか、と言い出しそうであった、そういう最中である。
ぽつりと蓮子が「今度は何をしようかしら」と呟いた。問いかけという風ではなかった。独白的であった。私に聞かれることすら意図していないようであった。
もちろん、これは次回の活動目的を探すつもりの言葉である。その時の私とて、それくらいのことは充分了解していたのであったが、なにぶん酔っていたものだから、ついつい応えて、思ってもみない願望が口から転び出た。
「火が、見てみたいわ。真っ赤な炎が」
しまった、と思った時にはもう遅く、なまじあながち虚偽の願いというわけでもなかったから、取り繕いに窮して、黙り込んでしまった。
そうなのである。虚偽ではなかったのである。それはかねてから、密かに欲していたことなのである。
今思い返しても実に奇妙なことだが、事実として、その時までの私は火というものを見たことがなかった。だいたいにして、実際に見るような場面は少ないものである、というのはもちろんだが、しかし映像の中で見たという覚えすらないのは変であった。
あたかも炎の方から、私の視線を避けているようであった。
文字通り、夢にも見なかった。
とはいえ、あるいは何かの拍子に、視界の片隅に映り込んだ、ということはあったのかもしれないが、覚えていなかったのでは、それは見なかったのと同じであろう。少なくとも、そうと意識して直接に、はっきり、まじまじと観察する機会というものを、それまでついぞ得なかったのだ。
煮炊きに火を使う伝統など、京都よりずっと科学技術に疎い故郷ですら、とうに廃れて久しかった。
私が自ら調べようとしても、不思議と、その意を貫徹できなかった。あるいは、見ようとしたという記憶だけが残っていて、肝心のことは全く忘却しているというのが常であった。
どうやら彼らは、自身の美しさを、猛々しさを、残酷さを、儚さを、私にだけ秘密にしようと決しているらしかった。どういうわけか、いつでもするりと見事に、私の眼から逃げおおせた。
だから私は、文学作品で描写されるような、艶やかな炎の舞踊というものを、記号的な情報以上のものとして読めなかった。火災が生み出す悲喜交々を、自らの実感として取り込むことができなかった。赤々とした残り火が、灰色に埋もれていく情景を、鮮やかな映像として脳裏に浮かべることができなかった。私の中で火というものは、いつまでも立体的になりっこない、のっぺりとした概念なのであった。私の世界には欠けがあった。そのことが私にはとても歯痒く、悔しいとさえ思っていたのだ。
とはいえ、その頃にはもう私は、これはこういうものだと半ば諦めてしまっていたから、自分の口からそのような言葉が出てくることは実に意外であり、戸惑うことでもあった。しかし、それは紛れもなく、真正の希望なのだった。
こういうわけで、前言を翻すということがその時の私にはできなかったのである。私はこういう時、咄嗟に自分の気持ちに蓋をして、嘘をついてしまえるほど、器用ではなかったし、さりとて見当違いなことを言ってしまった自覚はあって、そこをえいやと踏み越んで言葉を重ねられるほど、不器用でもなかった。こうなってしまえば、沈黙に場を委ねる他に解決策を知らなかった。
蓮子は思いがけぬ私の言葉をきいて、さすがに面食らったようであった。しばし経って、黙りこくっている様子から、どうやら私が真剣らしいと読み取るや、いよいよ目を瞬かせた。だけど決して、どうしてとは問わなかった。代わりにちょっと思案するような顔をして、それから少し待って、と立ち上がると、部屋の向かいにある物置の戸を開けて、なにやらごそごそ探しはじめた。
ややあって、見つけた見つけた、と振り向いた彼女が差し出してきたその右手には、小さな長方形の箱が握られていた。こちらに向けられた面にはラベルが貼られていて、黄色い下地を背景にして、先端が赤い木の棒を楽しげに担いだ、三羽のペンギンが描かれている。その下部に、掠れながらも"ヨウラン燐寸謹製"という字が辛うじて読み取れた。
彼女は得意げに箱をスライドさせると、中から小さな棒を取り出して、それがマッチという、とても古い時代の火おこし道具であることを説明した。それから滔々と、やれ火薬がどうとか、こけしの屋台で競り落としたとか、経木製の箱は珍しいだとか、その仕組みや来歴について蘊蓄を垂れ始めたが、酔った私の頭にそんな情報を流し込んだって何が残ろうはずもなかった。だから私の中では、マッチは今も、正体不明な魔法の道具のままである。
蓮子の方でも、平時であればそんなことに気づかないはずがないのであるから、やはり相当に酔っていたのであろう。
そのことは、良い事を思いついた、とまた私に背を向けて、壁に向かって歩いていく彼女の足取りのふらつきからも見てとれた。
そうして彼女は、この方がきっと綺麗に見えるよ、なんて言いながら、部屋の明かりを消した。漏れる月光と、あちこちの画面やボタンが、自らの位置を示すために発す淡い光を頼りとして、手探りで私の隣に戻ってくる様子も危なげで、ちょっと心配した。酔っ払いというものの例に漏れず、蓮子にその自覚は全くないようであった。
「いい、よく見ててね」
この暗さで無茶を言う。
暗い部屋に薄ぼんやりと、白っぽい彼女の手が浮かび上がる。それから、いくよ、との声掛けと共に、素早く白い影が動いて、しゅっと何かを擦る音がしたが、それだけで、特に何か起きる様子もなかった。
「んん、おかしいな。湿度高いからかな」
なんて、無闇に動かす手の相当なおぼつかなさが、暗がりの中でも見てとれた。今思えば、手先がよく見えもしないのに、酔った人間が火を扱おうだなんて、とんだ不用心であると苦笑せざるをえないが、当時の私達は、そんなことは気にも留めなかったかった。
「経年劣化してるんじゃないの。それ、相当古いでしょう」
「そうだけど、原理的に使用期限なんてないはずよ。湿気っちゃったのかなぁ。あ、折れた」
そうして何本かを駄目にして、これはいよいよ無駄骨じゃあるまいか、という空気が部屋に漂った。やはり私の眼が嫌われているのであろうか、なんて思った、次の瞬間であった。
彼女の手から弾けるように、暗闇に光が零れ出た。
赤と橙が、踊るようにゆらめいて、ちっぽけな灯りが、俯き気味の横顔を照らし出した。血色の良い頬と、肩まで伸びる黒髪。そして引き結んだ意志の強そうな口元。
何より、少し見開いて、明るい茶色に透けた、直ぐな瞳の、そのぞっとするような深さ、冷たいほどの美しさといったら!
そこには、真剣な色があった。人生を賭けた実験の結果を待つような、そういう気配があった。雲一つない冬空に満ちた月のごとき、森厳さがあった。
宇佐見蓮子という人間は、事情を知らないでは、酒席の戯れとしか思えないようなこういう些細な試みに対しても、いちいち真摯な顔ができるのであった。
はじめこそ、まるで本当にきちんと燃えているのかどうかを確かめるかのように、注意深く手元を観察していた彼女であったが、すぐにこちらを向いて、いたずらっぽくにやりと笑った。
「どうよ、まだ使えたじゃない。なかなか、綺麗なものね」
得意満面といった様子である。
「ええ、とても」
こればかりは、素直に認めた。
少しでも火を長持ちさせるためか、蓮子はなるたけマッチ棒が平行になるように気を払っているようであった。ほっそりと、白煙が伸びる。漂う、どこか鼻をつく匂いに彼女は顔を顰めていたが、私はそれほど嫌だとも思わなかった。
そのまま黙って見つめていると、あっという間に軸木は半ばまで燃えてしまって、持つ指に熱を感じたのであろうか、蓮子はぶんぶん手を振って、部屋を再び黒に沈めた。
もう一回やろうか、という彼女の提案を、私はどういう風に断ったのだったか。大丈夫よ、貴重なものなんでしょう。とか、そんなことを言ったような気もする。
本当は、まぶたの裏に焼きついた、面影を、ただ上書きされたくないだけだった。
目を瞑ったまま、眠りに落ちてしまいたかった。
◇
それから、大学生活の間だけでもずいぶんいろいろな炎を見た。一度捕まえてしまえば、けっこう面白いやつなのである。
夏には蓮子と連れ立って五山の送り火を見物した。人混みをかき分けるのは億劫だったけれど、その価値はあった。
彼女は炎色反応も教えてくれた。私はガランシウムの、柘榴を割ったような色合いを気に入った。
七輪で秋刀魚を焼こうと試みたりもした。実に旨かったが、これはもう少しで大火事になるところであった。以来、秘封俱楽部の規則は、火気に少し厳しい。
炎は、夢の中にも現れるようになった。
水底に揺れる、蝋燭の陽炎を見た。竹林の奥深く、紅く燃え上がる少女を見た。業火に舐められる月の海をも見た。金閣寺の、焼け尽く様も、確かに見届けた。
しかし、これらの内で、私にもっとも強烈な印象を与えたものは何か、と問われたら、やはりそれは、たった一本の小さなマッチ棒が燃焼した、あの忘れがたい数秒であると答えるほかない。
同一作者の他の作品でも同様だが、作中の時代設定をあえて明記せず、時代や文化から滲み出る価値観・物への慣れ親しみのみを登場人物目線で書き連ねることで、ようやく時代や世界線が現代とは異なるということを把握できるというのは読んでいてすごくわくわくする。違和感なくこれを描けているのは本当に素晴らしく、そして美しく感じる。
酔った大学生が屋内で火遊びしてるのにロマンチックになるのが秘封。
爆発するのが紅魔館。
炎上するのが鈴奈庵。
作者さんがこれを意図していたのかどうかは不明ですがプロメテウスが人類に火を教える逸話と起こっている事象は似ていて、しかし同じ「火」を渡しているにも関わらず、神話が無知な人間に文明を与える物語だったとするならば、この話では知り過ぎたが故に火を忘却した一人の未来人が未知の好奇心を取り戻す話になっていて、そこで対比が生まれているなと思いました
メリーの感受性が光っていてとてもよかったです
炎が信仰の対象になっている理由がわかるようでした
きれいでよかったです。