「お待たせ」
蓮子は午後の授業が終わり、大学内のカフェで待ち合わせをしていたメリーと合流した。
「あら、珍しく時間通りね。少し遅れてくるかと思っていたわ」
「今日は早く授業が終わったの」
宇佐見蓮子は京都の大学に通っている女子大生である。学年が同じマエリベリー・ハーン——メリーとは【秘封倶楽部】というサークルで一緒に活動をしている。
「少し混んできたから、外のベンチに移動しましょうか」
普段二人は一日の授業が終わると、大学内にあるカフェや噴水のある池で待ち合わせをしていた。
「今日は外が涼しいから、外の階段を使わない?」
「いいわね。そうしましょ」
その日は日没が早く、外に出ると少し空が薄暗くなっていた。二人は噴水の近くにある芝生に座り込み、日没していく空を眺めていた。
「二一五三年一月十日十八時三十分四十九秒……」
蓮子は「星を見れば時間が分かり、月を見れば場所が分かる」能力を持っている。日本標準時のみだが、正確に時刻を把握することができる。
芝生の周りには誰もおらず、この噴水の付近にいるのは二人だけであった。ここの芝生は二人のお気に入りの場所で、人が滅多に来ず、外の電気や街灯などのあかりも少ないためか星が比較的見やすくなっていた。
「ここに来ると落ち着くわね」
整備されて座りやすくなっている芝生は夜風にあたり、少しひんやりとしていた。冬の夜風が心地よく吹き、疲れた体を癒してくるようだった。
「…最近はどう? ひもの研究の調子は」
「難しいわ。超弦理論は、目の前に見えるあの星のように最小に見えるけど、近くで星を見るととても大きいように、研究していくうちにその魅力はどんどん大きくなっていくの」
蓮子は大学で【超統一物理学】を専攻しており、ひもの研究をしている。メリーとは分野が少々異なっているため、以前から蓮子の研究に興味を示していた。
蓮子は星を眺めながらぽつりと呟く。
「メリー……私、知りたいの。この世界のこと。星のこと。宇宙のこと。わたしの不思議な眼のこと」
「……」
風が冷たく横切る。
「私が死んでしまう前に……永遠の無を、世界の神秘とメリーとの思い出で埋めつくしたい」
「まだ大学生なのよ、なに言ってるの」
そっと夜が降りてくる。
ゆっくりと。
暗く。
暗く。
世界を覆い尽くす。
「その眼の謎は、案外知っているものの中にあるのかもよ」
「いいよねメリーは。<真実は主観の中にある>だから」
メリーは微笑んだ。蓮子のような非物質的なものを否定して、精神活動は身体でのみ行われているうちの一つであると考える物理主義がそのようなことを言うとは思ってもいなかったからだ。
メリーは少し考え、蓮子に優しく提案する。
「北海道に夜空が綺麗で星が沢山見える場所があるの。明日から冬休みだし……一緒に行かない?」
蓮子の瞳孔が少し大きく開き、そっと微笑んだ
人は独りで死ぬ。いや、人は独りで死ぬと認識した時に疎外感を感じるかもしれない。
蓮子は将来存在しうるであろうその身体がメリーと離れ離れになりうることを恐れている。死を想像し、傍観者として生きている事実を実感させられる。
「少し寒くなってきたわね」
月がこちらを見つめてくるようだった。
「そろそろ帰りましょ」
「ええ」
欲望が意志を動かす。
他律を覗き込む。
他律的を深く深く望む。
メリーのその寛大さが蓮子の深層行動を動かす。
蓮子が死後として想像する永遠の無は、いわば生前の妄想だ。自らの死を想像することによって、メリーが死んでしまう、かつ自分より早く死んでしまうかもしれないという可能性を否定しようとしている。メリーの存在が、死んでしまったメリーという事実に変化することを恐れている。
死に向かい歩き出す。
一歩。また一歩。
—— 翌日
出発前、二人は朝早くから営業している近所のカフェに来ていた。早朝はお客さんが少なく、ゆったりと話をしたい二人にとって居心地がいい場所だった。
「朝から寒いわね。メリーの服、暖かそうね」
「暖房が効いてるせいか、少し熱くなってきたわ」
このカフェにはよく来ており、秘封倶楽部の活動として話し合うときなどにコーヒーを飲みながら意見を交わし合っていたりしている。
二人はそれぞれコーヒーとケーキを注文すると、先日の話の続きを始める。
「それで昨日の話の続きなんだけど……」
「私、ワクワクして昨夜はあまり寝られなかったの」
「……」
蓮子の気分はとても上がっていた。なにしろ、メリーとの遠出は久しぶりのことであったからだ。
「考えてたことがあるの。京都から北海道にそのまま行くのもいいけど、せっかく京都を出るのならそれぞれ経由する場所に寄り道しながら行かない?」
蓮子の気分がさらに上がる
「賛成‼︎ 私、メリーと行きたい場所沢山あるの‼︎」
注文していたコーヒーとケーキが来た。コーヒーとケーキの香りが蓮子の気分を落ち着かせる。
「最初は名古屋に行こうと思うの。京都からも一時間ほどで着くと思うし、美味しいものが沢山食べられるわよ」
「いいわね。この辺りのお店は行き尽くしていたから新鮮ね。メリーは名古屋で行きたいところある?」
「まだ決まってないわ。着いてから決めましょ?」
「そうね。現地に何かあるかもしれないしね」
コーヒーのほのかな苦味が口に広がる。甘いケーキとの相性がよく、冷えていた体が温まる。
——
対象。
それは蓮子にとって自由を感じるための対象だ。
流れゆく時間。
外的に決定不可能で分析不可能な二人の時間。
蓮子にとっての自由意志。
メリーにとっての自由意志。
メリーというその存在が蓮子の意志決定の基礎となっていた。メリーが提案した場所に行き、その意思を受け、温もりを感じる。その偶然的決定が蓮子のような考えを促進していた。
——新京都駅、駅前。
二人は十二時十分発の新幹線に乗るために新京都駅に来ていた。平日ということもあってか、人通りが比較的少なく、スムーズに新幹線に乗れるであろう気配を感じさせるようだった。
「そろそろ行きましょ」
正面入り口から入り、看板を頼りに新幹線乗り場へ向かう。名古屋行きの新幹線乗り場には人が集中しており、二人ははぐれないようにと手を繋いでいた。ホームに着くと電光掲示板に到着予定時刻のお知らせが表示されており、しばらく待っていると新幹線が到着した。
停止すると自動ドアが開き、一人ひとり乗客が降りていく。しばらくし、二人は新幹線に乗り込む。二人は指定席を取っていたため、二人横並びで座ることができた。先に蓮子が窓側の席へ乗り込むと、続けてメリーが隣に座る。
「やっと座れた〜」
「ホームの椅子は空いてなかったし、今日は少し人が多いから疲れたわね」
すると、窓から見えるホームが動く。少しずつ速度が上がる新幹線の速さを感じる。
二人はそれぞれ温かいコーヒーと冷たいコーヒーを注文し外を眺めていた。
「少し寒いわね。私も温かいコーヒーにすれば良かった」
「暖房が効いてるから、すぐ暖かくなると思うよ。…… それより、この前話した月面旅行の話なんだけど」
蓮子はわくわくした表情でメリーに話しかけていた。
「……」
科学において、知的好奇心を満たすことは二人にとって重要であった。冷たいコーヒーを注文してしまった損などという問題は、科学とは非常に離れた存在である。地球上に人が現れたとき、火を使い文明を作った。初めて火という存在を発見した人は熱いゆえに恐怖や警戒もあっただろうが、それ以上に好奇心でわくわくしていただろう。