Coolier - 新生・東方創想話

魔法少女たちの三十年戦争 -Tu fui,ego eris.-

2024/02/24 16:11:41
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 アーデルハイド・シュトンプ、こいつは人狼。くすんだ赤毛に真っ赤な返り血被って「復活祭の苺ジャムだ」つって笑ってる。マクデブルクの生き残りらしくて、カトリック派の司祭を100人血祭にあげるまで家に帰れないんだと。
 ハマン・ザバイオーネ、甘そうな名前してる有翼人。アルキュオネイの傍系とブギーマンとのハーフなんだって。緑色の羽が綺麗だからこいつの膝で寝るのがわたしは好きだ。
 バートリ・オリガ。バートリ姓だからって吸血鬼なわけじゃない(私を差し置いて吸血鬼だったらぶっ壊してたよ)。三角帽にローブに杖、御伽噺のウィッカンそのまんま! ちなみにジョークのセンスは最悪だし、ババくさい。
 ヨルムンガンド・アトラス・イエスキリスト・アッティラフン。カッコいい名前でしょ? こいつは名前がなかったから、わたしらみんなでつけてあげたの。カルデア王国のころに作られた骨董品のゴーレムで、あんま喋んないし厳密には生き物じゃないらしい。顔がきれーだからよくみんなの着せ替え人形になってる。
 そしてわたし……フランドール・スカーレット! わたしを知らない奴なんていないよな? いたら『きゅっとしてドカーン』だぞ。真祖の家系、ヴラド・ ベグザーディー! ノスフェラトゥ、ノーライフキング、つまるところ吸血鬼!

 わたしら五人、たまたま行き会った人外のヴァルプルギス。トランシルヴァニア公の近衛銃士隊――人呼んで『ヒトデナシ連隊』。要人警護から斥候、暗殺、粛清、なんでもござれさ!

 ◆

 長い戦争がヨーロッパ大陸に影を落としていた。ある政治家は、戦争は地上に落された影そのものにすぎず、もっと大きなものが世界をすっぽり覆いかぶせてしまったのだと嘯いた。
 様々な矛盾と対立が人々の生活を閉塞させていた。商業と工業の発展、知識人たちの論争によって産み出された進歩と開明さは敬虔な農民たちへと分別なく押し付けられた。16世紀を通じて新大陸からもたらされた富や、宗教改革といったプラスなはずのアイデアが、既存のレーエン的秩序を強く責め立てた。
 行政上の撞着、政治の失敗、そして中世的な暴力の蔓延が人々を苛んでいた。煩わしさは耐えがたいほどだった。
 こうした頽廃は人間だけに影響を及ぼしたわけではなく、当然ながら人間でない人々――『ヒトデナシ』な人々にも間接的に及ぶものだった。

 さて、一つの諍いがある姉妹の関係をぐちゃぐちゃにしてしまった。
 その諍いの原因は、ギリシア悲劇の解釈とワラキアの市場における小麦価格、そしてシベリアから取り寄せられた虎の毛皮に妹がこぼしてしまった血の染みが複雑に絡み合ったものだった。
 それからしばらくして、フランドール・スカーレットはワラキアの生家の砂を足からすっかり払って、異民族の住む森の向こう側の地――トランシルヴァニアへと飛び去ってしまったのである。





  序【セミはセミに惹かれ、ヒトデナシは――】





 百と二十余歳の誕生日を目前にして家出したフランドールを拾ったのは、好き者として有名だった当代のトランシルヴァニア公『ナポカの風見鶏』ことベトレン・ヤドヴィガ公だった。ハプスブルクの宮廷軍事局付秘密警察とオスマン大宰相府お抱えのアサシンにつけ狙われ、列強のはざまに揺れるトランシルヴァニアの大公は信頼のおける近衛を必要とし、フランドールはこれを了承した。
 政争によって信のおける家族のないヤドヴィガ公とよるべのないフランが惹かれ合い、実の姉妹のように振る舞いだすまでそう長くの時間を必要としないのは必然だっただろう。二人は政務の傍ら、あれやこれやと雑談に興じて親交を深めていった。
「ね、ね、ヤドヴィガちゃん。あのうわさ聞いた? ナジセベンの人狼伝説!」
「また『人狼』? ブラショ、ペシュト、デブレツェン……今年に入って30回は人狼伝説を聞いたね。神秘劇の劇団員じゃないのかい?」
「こんどは本物なの! 女の子の生き血を啜って、満月の夜には野を森を駆けまわるんだって!」
 まるでどこかの可愛らしい吸血鬼のようだねとヤドヴィガは笑う。フランは彼女の理知的な笑顔が好きだった。意地悪な姉とどことなく似ているかもしれないけど、ヤドヴィガには超然ぶった厭らしさが入り込む余地がない。
「ふぅむ。ロマの寝物語では人狼は吸血鬼の異母兄弟なのだと聞いたことがある。どうだい、フラン? 親戚に獣の耳を持った人はいたかな」
 ヤドヴィガ公は政務の手を止め、"くいくい"と指を折って獣耳を模してみせる。
「あのさ、ヤドヴィガちゃん。私は親戚づきあいとかそーゆーのとは無縁の環境だったって言ったでしょ。会えるものなら会ってみたいね、ダキアのウルフヘズナル……」
 不機嫌そうな顔をして見せたフランに、ヤドヴィガは困ったように目を細める。
「ナジセベン、シビウか……随分近いね。巡察ついでに探しに行ってみるかい?」

 ヤドヴィガ公が手を鳴らせば、家臣の官僚団はすぐさま馬を編成する。ハプスブルクとの戦争帰りの騎士たちであるからその整列の速度で練度は図れるというものだ。
「相変わらず壮観。お馬さん乗って背筋ぴーんとしてるのがぞろぞろしてら」
「ん、んむ。そうだね……」
 ヤドヴィガはついぞ家臣の前でおくびにも出さなかったけれど、馬車の中でフランと二人きりになると不満げな顔を隠さなかった。
「考えても見てくれフラン。あいつらっての中にボクの言うことを聞く騎士が何人いるかね」
「んー? あの人たちってのはヤドヴィガちゃんの、つまり『とらんしるう゛ぁにあ公』の家臣なんでしょ? わたしら吸血鬼にとっての眷属みたいなものじゃん。実際『ぞろぞろ』ついてきてるわけだしさ」
「まさにそれさ! あいつらってのはボクの家臣なんかじゃなくて、大公位の家臣なのさ。だいたい、一人につきいくら年金を払ってると思う? スルタンへの奉納金も安くはない。所領の城や教会を立て直すったって、連中はイスタンブールにお伺いを立てる。そんでもってボクらが被るべき冠は、身の程知らずのハプスブルクが被ってるときもんだ……」
 トランシルヴァニアの貴族はおよそ三つの勢力から形成される。旧ハンガリーに祖を持つ聖俗の封建領主、セーケイ人貴族、そしてザクセン人の共同体を代表する等族たちである。彼らは往々にして独自の共同体に独自の法を持っていたが、かつて農民反乱の鎮圧のために三民同盟を形作った。そんな彼らとて、この時期には農奴や共同体のために冬備えをしなくてはならない。収穫の手は足りるか、穀倉はどうか、薪はどうか。労働力の不足する秋口に、およそ直臣と呼べる騎士を失っているヤドヴィガ公の下に集う彼らは、まぎれもなく大公位の家臣であろう。
「じゃあさじゃあさ。血、吸っちゃおっか」
「検邪聖省に付け入る隙は与えたくないな。ただでさえボクらはヴァチカンから睨まれてるんだから」
「むむむ。なら……忠節溢れる騎士たちは哀れ、狼に食べられちゃった! これならどう?」
「……ふ、ふふ。いいね。面白いよフラン……ああ、面白いかもね」

 馬車は東へ。太陽は西へ。月が顔を覗かせ、森の奥からは甲高い遠吠えがこだまする。
「神の恩寵によるトランシルヴァニアの大領主にして諸議会の主催者、ヤドヴィガ公万歳。ようこそいらっしゃいました」
「ん、ごくろう」
 ナジセベン近郊の富農はヤドヴィガ一行を邸宅へと招き、彼らは一晩の宿としてこれを受け入れた。
 夕餉には豚肉をほぐした粥と、ビールが樽ごと饗される。すると家臣たちはあっというまに出来上がってしまった。
 アルコールで顔を真っ赤にして騒ぐ男たちを苦々しく尻目にして、ヤドヴィガは夜風に当たる。
「ふん。けだものどもめ」
「そういってくださいますな、公。精のつくものを飲み食いすることは騎士の仕事のうちです」
 外に出たヤドヴィガの供をしたのは家臣のなかでも老齢な男だった。彼は大公家の家令でもあり、公国で最も経験豊富な役人の一人でもあり、すなわち実質的な公国の宰相であった。
 無礼な諫言にヤドヴィガは尋常ならざる憎悪をかきたてられた。古来より王権を脅かす最たる大敵とは敵国の君主でも夷狄の頭領でもなく、忠義者の顔をする佞臣であるものだから。まさしく彼は宮廷の代表者であり、ヤドヴィガの主権を損なわせ、反論を許さず押し黙らせる政局の要害である。
「……狼の遠吠えが何度も聞こえる。農民たちは子供を取られないか不安がっているよ。この不安を取り除くのはキミたちの仕事だ」
「獣を狩るは猟師の仕事なれば。空と海と地にある生き物は人に捧げられるために作られたように、農奴とは貴顕のためにあるのです。幼い子供は冬ごもりの内職にも向かない、彼らとて食い扶持が足りて喜ぶでしょう」
(貴様らに人の心はないのか! 禄と酒精ばかりを食んで、王に帰するべき富を蚕食する蟲どもめが……!)

 再び狼が鳴く。満月は正中に昇り、冬前の寒風がいやに肌をつんざく。
 ヤドヴィガは昨年の冬の厳しい寒さをふと思い出す。たしかフランドールと出会ったのも冬を目前にした収穫祭のころだったか。
 苛立ちに満ちていたヤドヴィガの心中は、しかし冷たい風を受けて凪いでいく。
「公、お体に障ります」
 ヤドヴィガは努めて無視をする。
 風が心地よい。狼が鳴く。鳴き声はだんだんと近付いてくる。風はなおも冷たさを増してゆく。
 なにかがおかしい。秋口とはいえここまで冷えるものだろうか。ここにきて老齢の家臣はことの異常さに気が付いた。
 彼は空を見上げる。満月がおぞましいほどに眩い。遠吠えは生き血を求める恐ろしい唸り声に変わり、森を抜け野を駆けめぐっていた。
「……公!」
 月影を受けて、滑るようにヤドヴィガに迫る獣の姿に家臣は気が付く。老齢の身体に鞭を打ち、目にもとまらぬ抜剣でこれを迎えた。
「……わざわざボク自身で巡察をする甲斐があったというものだ」
 金属同士が擦れる音が響く。獣が一度距離をとり、その姿があらわになる。
 赤と黒の髪にわずかに銀色の毛の混じる少女。その頭には獣の耳が生えている。大の男ほどの長さのあるツヴァイヘンダーを構え、血を滴らせる。
 それはメルヒェンに語られる恐ろしい『ヒトデナシ』――人狼である。
 人狼は犬歯を見せつけてニタリと笑った。
「――お前らはカトリックか? それともルター主義者か?」

「答えろ。お前らは旧教派か? ルター主義者か? それともカルヴァン派か? もしかすると再洗礼派か?」
「公、おさがりください。これなるを相手にすることこそ我らが本懐ですゆえ」
 険呑とした空気をつゆしらず、ヤドヴィガは目を閉じて風を受けている。
「……っは。お前のご主人はメクラか? そこな騎士、とっとと答えろよ。生きたままハラワタちぎられたいか?」
 家臣の牽制も聞かず、ヤドヴィガはずいと前に出る。それからすぅと息を大きく吸ってはいて、ようやく人狼をまじまじと見つめた。
「――ボクに洗礼を施した司教は旧教派だったけれどね。どうだろう、ミサじゃルター派の教説もユニテリオンの説法も聞くし、そこにいる彼はサロンで熱心にカルヴァン主義を語っていたよ。さて、寛容令以来このトランシルヴァニアに来てどうしてそんなことを聞くのかな……訛りを聞くにザクセンの人狼さんかい?」
「『領土の属する者に宗教も属す』だろ!? それに私の郷土はケルンだ。確かに可憐なりし少女時代はオーデル川にあって清廉なりし淑女時代にはエルベ川に育ったが、私の訛りは誇りあるライン川の真珠だぞ! この……マジャル人め!」
 おや、今でもキミは可憐で清廉なように見えるけど。ヤドヴィガはくすくす笑う。
 痺れを切らした人狼は、叩きつけるように長剣を振るう。先の奇襲よりもよほど速い。家臣はとても間に合わんと息を飲んだが、果たして剣戟はヤドヴィガには届かなかった。

 ――ヤドヴィガの影が、長剣を掴んで止めていた。

 ぬるりと蠢くようにヤドヴィガの影は形を変えていく。月明りを受けてなお真っ黒なその影は一人の少女――フランドール・スカーレットの形を取ってようやく昏い色彩を帯びた。
「『ぞろぞろ』ついてきたわりに護衛としちゃつっかえないね、そのお爺ちゃん。やっぱり狼に食べさせちゃえばぁ?」
 家臣の男は苦虫を潰したような顔をして、人狼よりもフランドールを強く睨む。一方人狼といえば、ずいぶんと愉快そうに笑っていた。
「吸血鬼か! これはこれは初めまして。それでお前はカトリックか? プロテスタントか?」
「は? ……こちらこそ初めまして人狼さん。そしてさようなら。アンチ・キリストのミディアンにカトリックもプロテスタントもあるかよ。今誰に剣を向けたのかわかってる? トランシルヴァニアから生きて出られると思うなザクセン人。『きゅっとしてドカーン』確定だよ、お前」
「……ケルンと言ったぞ!」
 一触即発。『ヒトデナシ』の少女たちは睨み合う。月に雲がかかり闇が地に落ちる。
 次に月の光が降りたときが合図となる。今にも殺し合いを始めんと二人は肩をいからせたが、しかしそれを止めたのは他ならぬベトレン・ヤドヴィガ公自身だった。
「待て。待てって。いやフラン、ボクはちっとも気にしていないよ。だからキミの最良の友に危機が迫ったことからくる怒りを収めてはくれないかな。そして人狼さん、初めまして! 強いていうならボクの司教区の牧師はみなルター主義者だ。さあ二人とも、夕餉にしよう! ようやっと卓を同じくしたい数奇な客人が来てくれたんだから!」
 フランは目をぱちくりさせながら問うた。
「ねぇヤドヴィガちゃん」
「ん」
「『ヒトデナシ』ならだれでもいいの?」
「んっ……」
 ヤドヴィガはカラカラと笑った。

「公。ワラキアの娘に続き、またむくつけき異端者を……」
「ぺっ。お爺ちゃんは引っ込んでなよ。自慢のおひげだけ焼いちゃうぞ」
「そうだそうだジジイ。髭は哲人を象らない!」
 結論だけ述べるなら、あれよあれよといううちにヤドヴィガは人狼の少女を手籠めてしまった。
 恐るべきはヤドヴィガの人心掌握術だろう。はじめは反目を抱いていたフランも近衛の『後輩』ができたことにすっかり気をよくしていた。
「名をアーデルハイド・シュトンプ、我こそは人狼伝説に謳われる狼女にございます。ベトレン・ヤドヴィガ公にお仕え申し上げる。どうぞよろしく」
 アーデルハイドは恭しくスカートの裾を挙げて礼をした。
「ん。大変結構。聞きたいのだけどアーデルハイド、こっちに来て何人喰った?」
「敬虔なカトリック農家の娘ッ子を2人。それと骨ばった修道士を10人ちょっと頂きまして……」
「よくわかった。それらは紛れもなくボクの財産だ。キミには12人の財貨に見合う働きをしてもらうぞ」
 お任せあれ、と人狼はヤドヴィガの手を取った。

「せいぜい働けよ、ワンコちゃん。私、若い処女の血しか飲まないから覚えといてね」
「あぁ!? フランとか言ったな。先輩風吹かそうたァ度胸があるな。血吸いヒルの分際で、な?」
 食卓に座っても当然のようにぎゃーすか騒いでお互いの頬を抓りあう二人を見て、ヤドヴィガはケラケラと笑う。
「吸血鬼と人狼。ボクにも箔が付くってのもだなぁ。いやしかし、こうしてキミたちがじゃれ合うのを見ると人の帰属というものについて考えるところがある。ユニテリオンの一派はアリウス主義の救世主の人性に関する教説を引用して、土着の異教と正統主義の関連を説いていたが……」
「んー? ヤドヴィガちゃんと私らは違うよ。ほら」
 そう言ってフランドールは自分とアーデルハイドの口を引っ張って犬歯を見せつける。
「ああすまない可憐なるキミ。一日の花を思わせるその容姿が、人と人ならざる者の境界に対する疑念をボクに抱かせたわけではないんだ。例えばだな。ボクたちトランシルヴァニアの貴顕は違えることなく大陸を征服したマジャル戦士の末裔で、セーケイ人は長い友人だったし、三民同盟はザクセン人を同胞と呼んだ。代わってルーマニア人はどうだろう。偉大なりしヤーノシュがトランシルヴァニア公国の祖父だというなら、ミハイ勇猛公は疎ましき父親だ。さて、ヴラド公の娘にこの話をするのはどうなのかという罪悪感がボクのうちにないわけでもないが!」
「うぅん……それ、思うんだけどさ。『とらんしるう゛ぁにあ』っていうけれど、元々はテラ・ウルト・シルヴァ……聖イシュトヴァーン冠の地から見た『森を超えた先の土地』だったわけで、『めっそ・ぽたむす』だとか、こういう地名は珍しいものじゃないよね? もしヤドヴィガちゃんの考えを借りるなら、救世主の人性も私たちの『ヒトデナシ性』も決めるのは政治ってことになるの……えぇと、これじゃ誤解があるや。たしかにアリウス派が歴史の大火の前に灰に帰ったのは教会政治とかの産物かもしれないけど、政治のお話がしたいわけじゃないんだよね。ようは身内争いと対外戦争の話で。しかして不合理ゆえに我信ず、護教論の出発は異端者との戦いではなく、異教徒と無神論者、哲学者との剣……じゃなくて拳の交わりから生まれたものだったりして、そう、ギリシア哲学者たちはむきむきのマッチョマンだった! ぱんくらちおんだぁ!」
「?????」
 気がふれてやがる、とヤドヴィガ公は思った。黙って話を聞いていたアーデルハイドは呆れて口をはさむ。
「迂遠にするからややこしくなるんだ(トートロジー?とフランドールは思った)。いいか、新旧教対立は俗世においてはツンフト闘争的なあどけない階級の衝突として顕在化した。皇帝と封建領主、封建領主と農奴、都市支配者と手工業者! しかるに信仰や帰属への観念なんてものはな、いつだって権利闘争の手段にすぎんわ。マクデブルクを知らんのか!? 結論だけはフランドールも正しかろ、拳が流す血が決める! このことから学べる教訓はだな。気に食わねぇ奴はぶん殴るってんだッ!」
「くっ、くく、くふふ……あはは! やっぱりキミたちは『ヒトデナシ』だな! 誉め言葉だよ。キミらの言葉は示唆が多い……覚えておこう」

 ◆

 公現祭が近づいていた。城下町はどこもかしこもお祭り騒ぎで、市や出店がそこかしこに並んでいた。
「よっしゃ見てろフランドール。こうして短剣を飲み込んでだな……おえっ! ウィリアム・テルだぜ、わはは!」
 一発芸だと宣言してアーデルハイドは、飲み込んだ短剣を吐き出して見事木箱の上の林檎を貫いて見せる。
「うわキモ。胃液まみれじゃん。お前マジで死ねよ……ヤドヴィガちゃん、こいつ置いといてクレープ食べいこ」
「はぁー!? 一発芸やれっつったのはお前じゃろがい。いてこますぞ! てか私もクレープ食べるー!」
 道端では旅芸人が芸を披露して、素人仕込みの町民の劇団が神秘劇を演じている。楽し気な粗野さで町はむせ返るほどだった。
「酒、酒、酒~♪ 牛馬は喉が潤えば飲むのをやめるが、我らドイツ人はそこから飲み始めるものだ。マジャル人はどうかな? フラン、酒はいける口か?」
「モチのロンギヌス~♪ でもヤドヴィガちゃんが下戸なんだよね。だから私も最近はたしなむくらいかな」
「ん、ボクに気を使わなくてもいいぞ……っと。行商が露天を開いてる。東の名産品かな?」
 ヤドヴィガが目をつけた露天ではガラス細工や羽飾り、十字架、思想書、質のいい毛皮などが雑多に並べられていた。外套を深く被った露天商は訛りの強いハンガリー語でにんまりと笑って手を広げる。
「さァさいらっしゃい、ここにあるのはザポロジャ・コザークから仕入れた珍しい品ばかりネ。おやおや冬支度に毛皮が入り用? これはあたしがコシチェイの里に招かれたときに手に入れたアイルラルクトスの毛皮。冬はあったか、夏は通気性も抜群、それに火に掛けても焦げないときたものサ。重苦しい綿詰め物とはおさらばヨ!」
「わたし、毛皮って嫌いだな。暖炉があればいーじゃん。いざとなれば魔法であったくするし」
「引きこもりのお客様でした? これは失礼。ではこちらのメガネはいかがです? これは実に不思議なメガネ、相手の服が透けてパンツが丸見えという……」
「それ、ボクが買った!」
 ニコニコ一括金貨払いで怪しいメガネを買ったヤドヴィガに、供をしていた2人はドン引きである。
「ヤーヤー、お客さん太っ腹。それに変わったお友達を連れてるネ。そっちの嬢ちゃんは人狼で、あっちは、うーん、吸血鬼?」
「わかるのか?」
「長いこと商人やってるとネー。しっかし大っぴらに人外が出歩いても十字軍が飛んでこないたァ良い国だネ」
「国のトップが好き者で知られてるからね。スルタンの権勢あらたか、ここいらは教権も手出しできないし、深い谷間を舞うコウモリみたいな国さ」
 わしゃわしゃと手を蠢かせて蝙蝠のジェスチャーをして見せる。
 トランシルヴァニア。ヤドヴィガが治めるこの地は避け得ぬ政情不安を抱えている。西にはオーストリア・ハプスブルク。東にはオスマン・トルコ。文明の交差点にして軍事の要衝。だがそんな場所にこそ芽生える萌芽もあるものだ。
 歴史的に宗教的自由が保障されており、カトリック・ルター主義者・カルヴァン主義者やユニテリオン派が自由に議論した。先代トランシルヴァニア公ベトレン・ガーボルはその熱心な信仰心のためにハプスブルクと対立し、大ハンガリーの夢を抱いて溺死した。だが彼が残した青写真はトランシルヴァニアとその議会制に黄金の繁栄をもたらした。
 ベトレン家の傍系、単なる都合のよい傀儡として擁立されたベトレン・ヤドヴィガ。彼女の宮廷に先代の残したはずの忠実で優秀な官僚たちは残っていないが、その傍らにはヨーロッパでも最優のヒトデナシたる吸血鬼や人狼が控えている。人外、アンチ・キリストたる彼女らが平然と街を歩けているのはまぎれもなくトランシルヴァニア固有の風土なのだろう。
「アイヤー、素敵素敵ネ。実はあたしも混じりモンでネ。しばらくこの国に厄介になろうと思ってるのよ。嬢ちゃん、いいところの娘さんでございましょう? どうです、御用達にしてくれそうなお貴族様を紹介してくれたらこの毛皮を融通してもいいヨ」
 バサリ、と露天商の外套がはためく。外套の下からは美しいエメラルドグリーンの長髪と、髪と同じ色をした背中に生えた鳥の羽根が顔を覗かせた。
「へぇ。ふぅん。半人半鳥ってやつ……」
「え、え! すっごいきれー! ね、ね! 触っていい?」
 露天商の羽根に強く反応を示したのはフランドールだった。許可を取る前にべたべた触って「触り心地いいー!」だの「ふわふわー!」だのとそれはそれは楽しそうに騒ぎ立てた。
「アイヤー。吸血鬼の女の子にモテモテになるとは思わなかったヨー」

 ◆

「で? なんでわたしの家なのよ!?」
「いやぁ。大公家に商人を抱えるような財政的な余裕はないんだ。頼むよ、おばあちゃん」
「お姉ちゃんって呼びなさいっていつも言ってるでしょー!? この可愛くない子孫ときたら!」
 ヤドヴィガが頼みにしたのは公国の大領主、バートリ家の事実上の当主であるバートリ・オリガだった。彼女はハンガリー王国がまだアールパード王朝だったころから生きている大魔女であり、トランシルヴァニア議会におけるヤドヴィガの唯一の味方でもある。
「まさか嬢ちゃんが大公本人であらせられるとは。それにバートリ家ときたら公国の大貴族じゃないかネ。勉強しまッセー」
「この胡散臭い商人、なに! 山師の類はお断り! うちの家訓は節制倹約なんだから! ってこらフラン、壁で爪とぎしようとしないで! ハイディ、敷物にごろごろ寝転がらないの! 猫かあんたらは! んもーーー!」
「にぎやかだネー」
 どったんばったん、すってんころりん。今日もバートリ家の宮廷は大騒ぎである。糸目をキラリと光らせて、半人半鳥の少女は窓から差し込むおだやかな陽光におもわずあくびする。

「はぁ……ビールくらいなら出すけど。こいつ使えるの?」
「心配ないさ、おばあちゃん。彼女、乞食党のスパイだから」
「え」
 場が凍る。商人の少女は目をギラつかせたが、すぐに観念したかのように手をひらつかせた。
「後学のために、どこで気が付いたのか教えてもらっても?」
「今だよ? でもヒントは色々。アクセントは意図的に崩してるけどフランク訛りを隠せていない。言動からも西の出身だとわかったし、ボク個人にちょっかいを掛けてきたのも怪しいし……いや、一番はアレかな」
 そういってヤドヴィガはフランを指さす。一方のフランはきょとんとした顔で合点がいっていないようである。
「あれをどう見たら吸血鬼だってわかるってんだい」
「アイヤー……仰るとおりネ。無理があったナァ」
「だからボクに狙いを付けてきたどっかの間諜と読んで、そこからトランシルヴァニアに楔が欲しい組織を考えて、一番ありえそうな名前を出しただけさ。それじゃ商人らしく商売の話といこうじゃないか」
 商人の少女は『こいつマジか?』と目線で訴えて、フランドールを除いた人外二人は『マジです』と目で返した。
「先代のオラニエ公を思い出したヨ。駆け引きは本業じゃないもんで……っとこれじゃ言い訳だネ。おっと名乗りが遅れまして、海の乞食団の財務総監ハマン・ザバイオーネと申します。正体見抜かれちまったぶん、色付けてお安くしますゼ?」
 細めた瞳から怪しく光るエメラルドグリーンの輝き。そこにはあこぎな商人が持つ打算的で合理的な知性が色濃く表れている。

 大机に精巧な地図を広げ、ハマンはそこにチェスの駒を並べていく。彼女なりのプレゼンテーションというわけらしい。
「フランス王国……というよりリシュリュー枢機卿は帝国内戦に本格参入するつもりなんだヨ。モンモランシー公とのいざこざにケリがついたからネ。あたしらは命綱が欲しいのサ」
「枢機卿がスウェーデン王に送った金塊……ラ・ロシェル以来そんな財政的余裕がフランスにあったとは思えないのだけど」
「それをあたしに聞くかい? くふふ……そうサ、手助けしたのサ。あたしらゴーセインが、しかも強力にネ! イェータ人に金を渡せばハプスブルクは弱くなる。ハプスブルクが弱ればあたしらの祖国、ネーデルラントは独立できる。そのために大陸のあっちでこちょこちょ、こっちでこちょこちょって具合ヨ」
 ヤドヴィガとオリガは顔をしかめた。彼女はトランシルヴァニアにとって身中の虫になりうる存在だ。薄氷の平和に成り立つこの国に騒乱の火種を持ち込みかねない。
「で? ボクらの国にオーストリアと殴り合えるような兵力は残っちゃいない。先代が好き勝手やったものだから国庫はからっぽさ」
 ハマンはチラと周りを見やって、ごろごろにゃーんと寝転んでいるフランドールとアーデルハイドを横目に笑った。並べるのはビショップ、ナイト、ルークの駒。
「いるじゃないかネ。数百年を生きる大魔女。月夜を駆ける人狼。それに真祖の吸血鬼の娘ッ子。こりゃァ、かつてのヤーノシュの時代にも匹敵するだろう」
 オリガは呆れて、給料未払いにならなければいいけれどと一蹴する。ヤドヴィガは目を伏せて精神を沈ませた。
「……ホラントとのつながりは得難い。ハマン、キミは好きにするといい。どうもフランがキミを気に入っているようだから、相手してやってくれ」
 バサリと緑の羽根が広がる。ハマンは恭しく礼をした。

 ――バートリ家の宮廷に怪しげな商人、ハマン・ザバイオーネが頻繁に出入りするようになった。

 ◆

 ある日の日曜。王城内の教会にて。

 ――御使いはイスラエルの軍勢の前から後ろへ歩み、雲の柱もそれに続いて立ち、エジプトの軍勢とイスラエルの軍勢の間に入った。雲と闇は夜に光を与え、双方の軍勢が近寄ることはなかった。モーセは手を上に差し伸べ、主は東風でもって海を陸地とし、水はこれを分けられた。

 ヤドヴィガが読み上げた聖書の一節にフランはイーッという顔をした。
「なにそれ。人間ごときが神様を動かせるわけないじゃん。ばからしぃ」
 敬虔なキリスト者であるヤドヴィガは苦笑したが、居合わせたアーデルハイドは「読み方が違うんだ」と真面目な顔で嘯いた。
「それはハンガリー語に翻訳された聖書だろ。神の言葉には秘された含意があるもので、人の言葉を介した聖典は不完全だ」
「はぁん? 数秘術ってやつ? 前から思ってたけど、あんたって時々テツガクシャだね。どこで?」
「父は無学な農民の出だったが、魔術を学んでいた。人への憧れがあったんだ。古典と神学を修め、貴族のように振舞っていた……それで告発を受けて死んだ。馬鹿な父だったが、わたしは彼から教養という贈り物をもらったのだ」
「いいもんじゃないと思うけどね。ホメロスやウェルギリウスを暗唱できて何になるっての? ソーソスとソーソーがわたしに子牛のシチューを奉納しました~♪」
「だからお前のそりゃギリシア語じゃなくてルーマニア語に翻訳された文字だろ。詩とは音韻や韻律を弄ぶ知的遊戯で、その言語の輪郭を映す影だ。フランス人はフランス語を喋るからフランス人なのだし、アッラーはアラビア語を残した。言葉には物を縛る力があることはヒトデナシのわたしらが一番よく知ってるはずだな?」
 それを聞いていたヤドヴィガは少し考え込んで、アーデルハイドを「ちょっといいかい。見せたいものがある」と城の宝物庫へと呼びこんだ。フランも釣られて当然ついていく。
「古い像があるんだ。材質はわからない。オリガおばあちゃんが子供の時にはすでにこの城にあったらしい……動かせるかい?」
 埃っぽく放置された宝物庫を三人は進む。古書や連隊旗などが散乱して置かれている。
 その最奥に、ぽつりと白い像が立っている。女性を象った像だ。髪の毛から身にまとう布までもが精巧に象られており、作った職人の技術の高さは計り知れない。
「こりゃ、泥像だな。よく崩れずに保ってるもんだ。色も剥げてない。いや、違うな。これはシェム……シェム・ハ=メフォラシュか!」
「ええと?」
「ゴーレムってやつだ。旧いラビの業。泥像に魂を吹き込み、使役する魔法さ」
 額に刻まれた文様にアーデルハイドがふれる。その文字列を彼女が読み上げると、白いゴーレムの目がカッと見開いて小さな言葉で呟く。
 ――スキャンモード、起動。行動開始します。
 かたかたと動き出した白い少女をしり目に、アーデルハイドが「わかってたのか?」とヤドヴィガに目線を向けると「キミなら動かせるかと思っただけさ」と肩をすくめた。

「――だから! ヨルムンガンド! 絶対ヨルムンガンドちゃんのほうが可愛い!」
「いーや、アッティラだね。こいつはわたしが目覚めさせたんだ。わたしに命名権がある」
 うぎぎぎーとフランとアーデルハイドはほっぺたを抓り合う。
 目覚めたゴーレムには名前がなかった。ヤドヴィガが名づけは任せたと放任すると、二人はこのざまである。
 それから仲裁をオリガに頼みに行くと「イエスキリストちゃんと呼びましょう」とぶっきらぼうに第三案を提案され、ハマンに至っては大まじめに悩んだあげく「アトラス! アトラスがいいネ」と言ったので今日はアトラス記念日。
 後日それを聞いたヤドヴィガが大笑いして『ヨルムンガンド・アトラス・イエスキリスト・アッティラフン』と命名、略してヨルと呼ばれることになったのだが、いまだにフランとアーデルハイドはいがみ合っている。
「ほらヨル。あの二人は置いといてついといで」
「かしこまりました、マスター」
「「うぎぎぎー!」」

「ヨル、キミについて教えてくれないか。いつ作られたのか、どうしてきたのか……」
「はい。わたくしはザグロスの石と土、ユーフラテスの水によって練られました。今ではネブカドネザル二世として知られる王の下の職人がわたくしを焼き、ユダ王国から捕囚されたラビがクドゥルとしての役割を額に刻みました――」
 それから彼女が語ったのは長い長い戦いの歴史だ。不死なるオイ・メロポロイとの闘争。カルデア王国が滅びると彼女はペルシアに従属し、テルモピュライにも従軍した。彼女の所有者は転々と移り変わり、アレクサンドロス大王やピュロス、ハンニバルも彼女を戦争の犬として用いた。
「ヨルちゃん、大変だったんだねぇ……!」
「……わたくしは戦争のための機械ですので」
 語り口のなかに確かな悲壮が芽生えていたことにフランは目ざとく気が付いて、号泣して彼女に寄り添った。
 フランドールとて120年を生きた少女である。出会いと別れの悲しみはやがて時という砂時計の砂塵によって磨かれるとしても、ときおり胸を貫く寂寥を拭い去ることはできないのだということは、本や演劇の知識で知っている。
 ヤドヴィガはふふふと笑って
「フラン、ヨルと一緒にいてやりなさい。ボクは人間だからすぐに死んでしまうけれど、キミならずっと隣にいてやれるだろうから」
 と二人の頬を撫でた。
「うん……うん」
「キミらの肌はひんやりしているな……心地よいよ」
「……ヤドヴィガちゃんの手もあったかいよ」
「はい、マスターの手は暖かいです」
 そうして彼女たちは少しのあいだ、距離を近くしていた。





   破【リュッツェンの仇をウィンドボナで討つ】





 公国議会。国中から寄り集まった貴族等族たちが一斉に起立する。
「賛成多数。議会はベトレン・ヤドヴィガ大公をハンガリー王として推挙し、戴冠のための不断の努力を要求する――」
 議員たちはワーワーと喝采し、拍手する。先代が改めて放棄したはずのハンガリー王の請求権の行使。議会は熱烈にそれを求めた。
「ハプスブルクを討て!」
「フェルディナンドは僭称者だ!」
 ヤドヴィガに用意された議席に、宰相の老騎士が近寄って顔を顰めて言う。
「公、議会に逆らうとは言いますまいな? そして我が国は出兵するだけの糧をもはや持ちません。どうぞ私兵による親政を望みますぞ……」

 ◆

 オリガは城の廊下をひた走り、ハマンを壁に押し付けて問いただす。
「貴様の仕業か!? やってくれたわね、この情勢下でまた戦争だなんて……!」
「ま、待って待って!? あたしじゃないヨ!? ベールヴァルデですら手一杯だったんだ。議会工作するだけの金なんて、あるわけないネ!」
 ヤドヴィガが放してやってくれと頼んでようやくハマンは解放された。オリガは唇を強く噛む。
「行くしかないよ、おばあちゃん。戦力は、そりゃ、あるだろう。なぁ、フラン――」
 そう言われると、フランは手をぐにぐにと合わせ遊んで、ニタリと笑う。
「あったりまえじゃん。オストマルクだかオーストラリアだか知らないけど、所詮は人間の軍でしょ? アーデルハイド、ハマン、オリガおばあちゃん、ヨルちゃん、それにわたし。負けるわけないね」
「よく言った。それでこそキミら『ヒトデナシ』はボクの大切な家臣だ」
 ヤドヴィガはそっと目を閉じる。フランはヤドヴィガの手を取った。

 出兵に先立って、ヤドヴィガはフランらに服の仕立てを命じる。赤を基調とした制服に左肩にマントが付いた伝統的な騎兵服である。
「うーん、きっついなぁ。ヤドヴィガちゃん、これホントに必要なの?」
「キミらはボクの連隊――『ヒトデナシ連隊』だ。それなりに身なりを整えてもらわないと箔がつかないだろう」
 宮廷音楽家が勇ましくラッパを吹くなか、フランはぼんやりしながら前面のボタンをパチリとしめる。
 連隊の旗が掲げられると、城の広場を見物していた都市民たちはこぞって歓声をあげた。ヤドヴィガと彼女の連れるヒトデナシたちの市中での人気は確かなものであろう。
「アテナイの自由民は市民権との引き換えにホプリタイを構成し、マルムゼはジャンダルムを産んだ……(いつもの衒学癖が始まったな、とフランは思った)。マーチャーシュの黒軍に始まりヴァレンシュタインで頂点を極めた近代的職業軍人たる傭兵制度はリュッツェンに敗れ、グスタフ王の完成させたオランダ式歩兵操典はしかし主を失いながら帝国を彷徨っている。連隊と言ったな、ヤドヴィガ。連隊とは一つの共同体だ。生活の共同体、経済的共同体……」
 アーデルハイドの言わんとすることをヨルが継ぐ。
「指揮官は軍団の編成に気を遣うものです。同じ出身、同じ言葉、同じ民族。テーバイヒエロスロコスが同性愛で連結したように、愛は連隊を一つの家族として強固に結びつけるのです。連隊長はたおやかな養父としての振る舞いを身につけていなくてはならない。しかるに我々を結ぶのはマスターへの忠誠心であるのでしょうか? それはとても大時代的な騎士道精神で……近代軍とはとても呼べませんね!」
 二人はけらけらと笑う。その表情は病的で、彼女たちが人間ではないのだと思い起こさせるような笑いだった。
「近衛の待遇が気に入らないのかい?」
「議会なんぞにせっつかれるのが気に食わないのだ!」
 アーデルハイドは牙をむいて見せた。ヤドヴィガは目を伏せて頷く。
「言わんとすることはわかったよ。冠を被った日にはボクはあらゆる罪業を犯しうるインペラトール、あらゆる罪業を捌くディース・パテルになろう。キミらのための専制者だ。ならばキミらはプラエトリアンさ」
「しかと聞いた。いいだろう! わたしたちは専制者の剣。その日にはキケロを、カシウスを、ブルータスを懲罰しよう!」

 閲兵式のあと、城の影でローブを着込んだ少女がヤドヴィガに恭しく礼をした。彼女の腕には何体もの人形が座っており、少女を模倣するようにカタカタと音をたて綺麗な礼をする。
「古い魔法使いの友人よ。先触れとして役に立つわ」
「これはどうも。アリス・マーガトロイドと申しますわ。なんでもウィーンに略奪しに行くとか? ちょっと研究上の都合で、ハプスブルクの持つ宝具に興味がありますの」
 オリガの紹介した少女、アリスは影を落とした笑みを浮かべるが、一方のヤドヴィガは困惑した。
「ウィーン? 待ってくれ。ボクらの目的はイシュトヴァーン王冠だ。確かにハプスブルクに殴り込みに行くわけだが、王冠が安置されているのはセーケシュフェヘールヴァールだぞ」
 アリスも、おや?という顔でオリガに目を向けた。意を決したように彼女は言う。
「間諜からの確かな情報よ。王冠は今ウィーンにある――」
 ギリ、とヤドヴィガから歯ぎしりの音が漏れる。その意味を理解するアーデルハイドとハマンも動揺を隠せなかった。
「……ね、アーデルハイド。そこまでヤバいこと?」
「そりゃ、な。王冠をその地から持ち出すなんぞ……ハプスブルクは自分がヨーロッパを独裁してるとでも思ってやがるのか」
「……急ごう。ボクだってハンガリー王はやぶさかじゃないんだ」

 1633年。季節は冬。
 スウェーデンの介入を許した帝国内戦、前年のリュッツェンにグスタフ・アドルフを失ったプロテスタント陣営は新たな局面を迎えていた。諸侯とスウェーデン軍残党はフランスの強固な支援のもとハイルブロン同盟として再度結束、皇帝軍との戦争継続の姿勢を見せた。一方の皇帝軍はグスタフ・アドルフという難敵を排し、膨張していた傭兵隊長ヴァレンシュタインをもはや用済みと見做す。
 戦争は終わることなく、民衆は嘆きの声をあげながら城塞に縋る。暗雲の合間から光が差し、プロヴィデンスの目が広い帝国領をじっと見つめている。
 ――帝都ウィーンにはヒトデナシの連隊が迫りつつあった。

 ◆

 国境から西に数日するとブダペストが見える。そこからドナウ川を北上するとウィーンの手前、ポジョニにたどり着く。
 家財を抱えた流民がやたらと目につくことにフランたちは違和感を覚える。戦争で焼きだされた都市民だろうか? だがこのあたりが近く戦場になったという話は聞かなかった。

「はーっはっはっはっは! フランス万歳!」
『フランス万歳!』
「あぅ……ふ、フランス万歳ぃ……」
 フランとヤドヴィガらが転がり込んだ宿の軒先では、ガタイのよい三人の男とフードを被った一人の少女たちが酒盛りをしている。
「うむ! このワインはまずいな! 辛くて渋い!」
「樽香も田舎くさい!」
「店主! フランスのワインはないのか!」
「あ、あうぅ。周りのお客さんの迷惑ですよぅ……」
「なーにを言うか、シャルロッテ! ワインは心の滋養なり!」
 どんちゃんどんちゃん。フランたち一行は思わず顔をしかめる。不機嫌を隠さなかったアーデルハイドはぼそりと愚痴を漏らした。
「チッ……フランク族共が……」
 その言葉を聞き逃さなかった男たちは、目をキラリと輝かせジョッキを高く掲げて叫ぶ。
「フランク? ノン、ノン! 『フランス』です、マドモアゼル!」
「そうさ僕らは!」
「国王陛下の銃士隊!」

『誇りあるフランスの剣! みんなは一人のために、一人はみんなのために!』

「ちょっ、みなさんそれ言っちゃダメですよぉ……! 枢機卿直々の極秘任務がぁ……」
 剣を抜いて重ねる男たちを少女は慌てて制止するが、まるで止まる気配を見せない。男たちは腕を組んでテーブルに乗り出し、ぐるりぐるりと少女を囲みながら歌い始める。
「なーにを臆するかシャルロッテ! 我ら世に憚ることなしなり。我が名はアトス!」
「ポルトス!」
「アラミス! さぁ君も!」
「あ、あうぅ……だ、ダルタニャン!」
 しゃらららー、と謎の効果音とともに四人のフランス人は舞う。
「……え? なにこれ。旅芸人?」
 オリガの困惑のつぶやきが宙に溶けて消えた。

「なるほど。君らもウィーンに野暮用か。ここだけの話、我らもリシュリュー閣下にウィーンの内偵を命令されているのだ! 極秘事項のため口外は厳禁だぞ!」
「ああうん。袖触れ合うもって言うからね。同道が多くて困ることはない、かな……?」
 ヤドヴィガは困ったように視線を彷徨わせる。オリガはやれやれと言ったふうに頭を抱えた。だがアトスの次の言葉はヤドヴィガらを大いに混乱させるものだった。
「だが、我らが立ち往生しているのにもわけがあってだな……ウィーンは現在正体不明の軍団に占領されているのだ」
「……は? ウィーンが? 世界帝国の帝都だぞ。グスタフ王だって死んだ。今の帝国で誰がどうやって――」
「お、おそらくなんですけどぉ……占領はそのグスタフ二世アドルフ本人によるものです。シェーンブルンには間違いなく金十字の旗が掲げられていました。わたしが直接偵察してきたので……」
 沈黙が流れる。場を支配するのは困惑。このフランス人たちが嘘をついているのだろうか? だが現実の問題として、ウィーンから焼きだされた市民たちは家財を抱えてここまで流れ着いている。
「……グスタフ王がリュッツェンで一度死んでるのは間違いないネ。死体はあがってるヨ。そのあと、どう埋葬されたかはとんと聞いてないがネ――つまり、そういうことだロ」
「えっと? ハマン、どゆこと?」
「ふふ、あたしよりあんたのが詳しいんじゃないかネ、フラン」
 ハマンはじろりとフランドールを見ると、周囲も一斉に彼女を見る。
「え? なに? わたし? ……あの、血とか吸ってないよ?」
「――ああそうか、蘇った不死者。ワラキア公ヴラド・ツェペシュ。お前の父のこったろ。オスマンとの戦いのなかで横死し、人からヒトデナシになり果てた男。敬虔なキリスト者でありながらアンチ・キリストに堕ちた者……ともすると、それとおんなじことがグスタフ王に起きた。違うか?」
 フランが真祖に近い血筋だというアーデルハイドの言及を聞いて三銃士はわずかに眉を動かしたが、すぐに平静を取り戻して話を続ける。
「……アカデミー・フランセーズの出した結論も同じだ。現在グスタフ王はなんらかの過程を経て神の法の外の存在に堕ちた。そしてリシュリュー枢機卿は我々にその討伐をお命じになっている。ヴァチカンの第十三の秘跡、キリストの道から外れた異端ではなく反キリストの異教を狩る背理的異端審問――『黒色十字軍』が動き出す前にな。そこで提案だ、お嬢さんがた。君たちが何者だ何をするつもりだとは問う気はない。手練れと見込んで頼みたい。協力しないか?」
「ふぅむ……断る理由はなさそうだね?」
 ウィーンに入場する以上、亡霊と化したグスタフ・アドルフの相手は避けられないであろう。ヤドヴィガは異論なく賛同する。

 ヤドヴィガとアトスは手を取りあい、宿の一室で情報交換や協力の実務協議を始めていた。
 そんなやり取りをよそに、フランドールはダルタニャンと名乗った少女と近くの川辺で水遊びをしている。ダルタニャンがフードを外すと、その下からは灰色の獣耳がひょっこりを顔をだした。
「へー、そういういでたちで銃士隊に入ったんだ?」
「は、はい。わたしみたいな獣耳の『ヒトデナシ』はフランスじゃまともな職にも就けなくて。でも枢機卿がお力添えしてくださって……閣下は素晴らしいお方なんです! えっと、フランさんたちもそういう?」
「あー。確かにわたしたちも似たような経緯かもね……けどトランシルヴァニアは人とか人じゃないとかあんまり気にしないよ。オスマン領も近いし、なにより隣がわたしのお姉さま……スカーレット家っていう吸血鬼の一族が治めてる土地だし」
 フランドールはいくらか思案したあと、「よかったらヤドヴィガちゃんのところに来ない?」と提案した。
「よく知らないけど、フランスってキュウクツなんでしょ? こっちはいい場所だよ」
「……いえ。わたしは枢機卿に御恩があります。それにガスコーニュ生まれのフランス人ですから。国王陛下の御為に働けるのがなによりなんです」
「ふーん。フランス人って、そうなんだ? わたしはワラキア生まれでルーマニア語喋るけど、自分がローマ人の末裔なんて考えたことないな……いやでも、アーデルハイドは自分がケルン生まれっつってたな。ハマンも低地諸国の独立がどうのって言ってるし。若い子がそうなのかな?」
 ここぞとばかりに年齢マウントを取るフランドールに気が付かず、ダルタニャンは水を蹴って笑う。
「村ではよく歌いました。Vive Henri IV♪ Vive ce roi vaillant♪」
「そっか。だからフランスってラ・ロシェルで戦いながら帝国内戦に新教側で参戦できるんだ。オウサマの国なんだね」
「あ! わたしもあの包囲戦にいたんですよ。ほとんど塹壕掘ってただけでしたけど……」

 ◆

「なにぃーっ!?」
 ウィーンを見下ろせる丘の上。城塞の外では市街地が焼かれ、追い出された市民たちが臨時のテントを張って寝泊まりしている。アリスやダルタニャンが偵察を行うなか、オリガは驚愕の声をあげていた。
「アトスもアラミスも未婚ですとーっ!? その歳で!? しっかたない男共ねぇ。トランシルヴァニアの令嬢だったらすぐ紹介してあげるわよ。フランスの貴族令嬢となるとちょっときついけど、コネもないわけじゃないから……んもう、面倒見てあげるわよ!」
「や、その。わたしはともかくアトスのやつは勘弁してやってくれ。あいつは昔、色恋沙汰でこっぴどい目に……」
「あっはっは! なおさらいい子紹介してあげないとねぇ。モンモラシー公のとこの娘とかどう……ってそういえばあいつ、失脚したんだっけ。むむむ」
 その光景を見てハマンは引き笑いを抑えられない様子だった。アーデルハイドの肩に寄りかかってげらげらと手を叩いている。
「ひっ、ひひっ、なんだいありゃ。ひひ……」
「オリガの姐さんは若いやつ見るとすぐ婚姻の面倒見たがるからな。優秀なやつを見ると、とくに自分の子孫と結婚させたがるんだ……わたしも何度か結婚させられそうになった……」
「ひひっ、ふふ、あはは! あれでおばあちゃんって呼ばれるの嫌がってるのかヨ! すげー、うちの祖母ちゃんにそっくり、そっくりネ!」
 オリガは耳ざとく『おばあちゃん』という言葉を聞き取ると、怒気を込めた笑顔でハマンに笑いかける。
「帰ったらあんたにもお見合い用意しとくわね」

「みんな楽しそう。ね、ヤドヴィガちゃんって結婚とかしないの……」
「ボクかい? ボクの夫は連隊旗さ。それともフランが娶ってくれるのかな」
「そうやってごまかすんだぁ。ま、いいよ。ヤドヴィガちゃんが望まない結婚させられそうになったら、結婚式で攫ってやるんだから」
 フランは手をクイクイと持ち上げて、血を吸うジェスチャーをして見せた。
 ヤドヴィガはカラカラと笑うと、話を切り替えてグスタフ王の現状についての推察を訪ねた。
「うーん。わたしもヴラドお父様のことはよく知らないんだよね。どうやったらただの人間が真祖の吸血鬼に目覚めるのかはわかんないや。でも多分、グスタフさんって王様は吸血鬼とは別種の『ヒトデナシ』になったんだと思うよ。真祖の吸血鬼が本気出したら、もっと、なんて表現したらいいのかな……『河』ができるから」
「……河?」
「うん。お姉さまはお父様の本気のそれを一回見たんだって。わたしも似たようなことはできるけど、『河』ってほどにはならないかな……えっとそれで、うん。感染するタイプって大変なんだよ。ねずみ算で増えてっちゃうから。グールはともかく眷属は作るなってお姉さまにもキツく言われてるの」
「んー、なるほど?」
 ヤドヴィガはフランの言いたいことのすべてを了解したわけではなかったが、さしあたっての敵が吸血鬼ではないことだけを承知した。
 そのとき、アーデルハイドの頭の耳がぴょこんと跳ねる。
「あ、ヤバいな。フラン、ヤドヴィガを守っとけ!」
「え、どしたん」
「風向きが変わった。こっちが風上だ。やっこさんにバレたぞ」



 ――hakkaa päälle! hakkaa päälle!



 弾けるように城門が開かれる。そこから現れたのは青い軍服に身を包んだハッカパーレを叫ぶ戦争の犬。グスタフ王の近衛フィンランド猟騎兵連隊。彼らが手繰るのは白い毛並みをした巨躯の熊である。
 するりと抜かれたサーベルは、キャンプ地で火を囲む市民をざくりざくりと切り刻む。真っ白な軍帽が紅く染まる。



 ――hakkaa päälle! hakkaa päälle!



「うおおッ!? 無辜の市民をッ。許せんッ。行くぞシャルロッテ! シャルジュー!」
「ウィ! 義を見てせざるは勇なきなり! エラン・ヴィタール!」
 目の前の惨状にいきり立つのはポルトスとダルタニャン。左手にマスケット、右手に剣を持ちわき目も振らずに丘を駆け降り、突撃する。
「あっ。コラ、アホ共! 勝手に突撃すな……ちょっとハイディ、あんたまで!」
 アーデルハイドは四足で野を駆ける。獣のごとき鋭い爪が地面を抉りながら跳ねていく。
「人狼の娘ッ子、ともに戦ってくれるか!」
「娘ッ子じゃない、アーデルハイドだ。アーデルハイド・シュトンプ! わたしの名を覚えて帰れ。我こそ人類種の天敵、人狼のアーデルハイド!」
「はッはァ! いいぞ、アーデルハイド。このポルトスと肩を並べて戦う資格があるぞ。みんなは一人のために、一人はみんなのために!」

「ちょっ……あのバカ、なにやってんの……ヤドヴィガちゃん、このままゆっくり前身しよう。流れ弾は私が防ぐよ」
 フランドールは影をゆらゆらと動かしてヤドヴィガを包み込む。ハッカペリッターが持つ騎兵銃は銃身が切り詰められていて、流れ弾の威力も相応に低い。守りが抜かれることはないだろう。
「フラン、あれを見てくれ。どう思う?」
 ヤドヴィガが戦場の一角を指さした。そこにあるのは突撃した三人が切り殺した騎兵の死体。その死体からは黒い血がだらだらと流れ出ているかと思えば、途端にどろりと白く染まり、雪溶け水のように溶け消えていく。
「わたしらの使う眷属に似てる。たぶんそのグスタフさんって人……ヒトデナシ? が『召喚』してるんだよ。いくら叩きッ殺しても無駄だね、あれは」
「そう。消耗戦は分が悪いかな?」
 城門からは絶えず騎兵が吐き出され続けている。後方から魔法で援護していたオリガが叫ぶ。
「騎兵は囮よ! 城塞の上、砲兵隊が出てる……わたしの魔法じゃ届かない!」
 12門の火砲。レザーカノンに詰め込まれるのは悪名高き馬肉挽き機、新式キャニスター弾。いかなヒトデナシの少女たちと言えど、あの散弾を喰らえば全身がズタズタになってしまうだろう。
「行けるかい?」
「おまかせー!」
 フランが『きゅっ』と手を握ると、見えない力場による爆縮が起きる。砲兵が展開していた城塞が『ドカーン』と崩れ落ちた。
 が、それでも敵勢の勢いは止まらない。崩れ落ちた城塞を通り道に、場内からわらわらと援軍が湧いて出る。オリガの魔法による爆撃やヨルの擲弾をものともせず、黄色の軍服を纏った歩兵隊が城壁の外で整列を行う。
 王室近衛『黄色連隊』、スヴェアライフガード。率いるはグスタフ王の懐刀、死せるニルス・ブラーエ大佐。
 兵士たちの目は一様にどろりと濁っている。彼らは生きた人間の兵士ではなく、グスタフ王の被召喚物に過ぎないのだ。
「ヤドヴィガ殿、このままだと押し切られる。戦力を抽出して浸透してグスタフ王を直接叩きに行きたい。空を飛べるフラン殿とハマン殿を借りれるか」
「わかった。フラン、行ってくれ。ボクの護衛はおばあちゃんに頼む」

 フランとハマンはアトスとアラミスを連れて空を駆ける。そのあとを追うように、スクロールから大鷹を模した人形を喚び出したアリスが続く。
 遥か空から見下ろした世界帝国の首都はさもしかった。掠奪が繰り返され、家屋はボロである。崩れかかったシェーンブルン宮殿には、スウェーデンの占領を示す黄金十字の旗がはためている。
「今の帝国そのものだな。新しい時代を望んだはずの人々は中世に生きるフンババを自分たちの庭に引き入れてしまった」
「……スウェーデンに介入の口実を与えたのはお前らフランスだロ」
「帝国人の身内争いが国際関係に投影されてしまったのは彼らの傲慢さによるものさ。いまや世界の趨勢を握っているのは内向きな老帝国やバシリカでの論争ではなく外洋との貿易利益だというのにな。いい加減こんな歪んだ関係は清算されなくてはいけない。そうだな、乞食党の?」
 アラミスの物言いにハマンは唇を噛んだ。
「ね、ね。アトスのおじさん。グスタフ王さんってなんで帝国なんかを攻めたの? 聞いてると、その人ってどうも宗教熱心な方でもないみたい」
「おじっ……!? ……ああ。領土欲、支配欲……奴の心中なぞ知れんが、俗な野望がせいぜいではないかな」

 ◆

「……なんだヨ、アレ」
 屋根が崩壊し、屋内が覗けるシェーンブルンの中央棟。ハマンはそのなかにキラリと輝く『なにか』を見た。しかしフランは自分たちよりも上空から飛来するそれに気が付く。
「ハマン! 空っ! 避けてっ!」

「――はっ?」

 べしゃり。嫌な音とともにハマンの片翼が折れ、ハマンが抱えていたアラミスもろとも墜落していく。
「ハマぁぁああああンッ!」
 
「ザバイオーネの嬢ちゃん……俺を、俺を庇ってッ!?」
「そんな、やだ、やだよハマン! やだ、死んじゃやだぁっ!」
 空から飛来した隕石に潰され、シェーンブルンの庭園にハマンは叩き落された。左肩から腕にかけてひどく打ち身をした彼女は、血反吐を吐きながらもなんとか言葉を紡ぐ。
「うる……さいネ。死んじゃいない、サ。それよか、敵が、くるヨ……」
 ハマンが目を向けた先、シェーンブルンのなかからくるくると宙返りで一人の少女が現れる。髪は青く短くまとめられており、素足にローブだけを纏った服装と、フランよりも幼い容姿が目を引いた。
「カッカッカ。ワシの『天文対話』を受けて即死せんとは元気のあるヒトデナシじゃのう。『あやつ』と殺し合いをしておらねばすぐにでも縊り殺してやるのじゃが」
 ハマンを害したと公言してやまない少女にフランは敵意をむき出しにするが、対する少女はこちらをチラリと見ただけで視線は宮殿に向けている。否、フランとてそちらを向かざるを得なかった。
「天上の主の秩序に反する異教異端が湧きよる、湧きよる。なかでもあやつは桁外れン、混じりっけなしのバケモンじゃわい」
 一瞬前には少女と敵対していたはずのフランらは、『彼』が姿を現したことで無言の共闘を余儀なくされた。元より理外の存在であるはずのフランドールですら、彼をバケモノだと感じてしまった。それだけのプレッシャー。
(――お父様と同じ、自らの力で人ならざる者への道をこじ開けた権利人……これが真祖と同列の、正真正銘のバケモノ……!)
 フランはチラとハマンに目線を投げる。傷は浅くない。それでも彼女とて生まれついてのヒトデナシだ。放置しても持つか? だがこれから起こる戦いの巻き添えになればただではすまないだろう。一応の味方であるアトスとアラミスはただの人間だ。役に立つかはわからない。ハマンを傷つけた忌々しい青髪の少女。気に食わないが、今は一番頼りになりそうだ。だが、それでも勝てるのか?

 男が口を開く。



「アァ……なニも見えなイ……ベルンハルト、戦況はどうなっテいル……わが軍は……壮健なりヤ……トルステンソン……伝令を……歩兵連隊、前進……栄光を、栄光をぉおおおおお!!!!」



 死してなお勝利を妄執する獣。前スウェーデン国王、グスタフ2世アドルフ。世界帝国を土足で踏み荒らした当代最強の軍人が唸り声をあげた。

 ◆

 グスタフがぬるりと手を掲げる。彼の影から現れるのは8門の砲塔。

「プトレマイオス式魔縮誘導砲……ッ!? このガリレオ・ガリレイの前でちょこざいなッ! ええい、使いたくはなかったが!」
 ガリレオと名乗った青髪の少女が祈るように手を合わせる。臨界に達した砲から放たれる光線を、不可視の力場が霧散させた。
「そこなヒトデナシの女、なにを呆けておるか!? 貴様も戦え! 死ぬぞ!?」
「ハマンを傷つけといて何を偉そうに……!」
「仕方なかろ!? あんなバケモノとの殺し合い中に外部からの不確定要因なぞ、排除するに限るわ!」
 勝手に殺し合ってろとすら思いたかったが、グスタフの召喚し続ける兵士たちがそれを許さない。銃兵たちはするりと直剣を抜き、絶え間ない剣戟でアトスらを抑えにかかる。

「攻めます! 合わせて!」
 未だに上空を旋回していたアリスは急降下し、大鷹の人形でグスタフへ突撃を敢行する。しかしグスタフの望外な握力は一撃で人形を粉砕した。
 人形への対応に追われたグスタフへ滑るようにガリレオとフランが迫る。ガリレオは淡い光を灯した手と手を合わせ、そこから圧縮した青白い光を射出する。光線を躱すために身体を逸らしたグスタフの脚をフランは至近距離で『きゅっ』と握る。三人の少女による即興の連携攻撃である。
 脚を潰せば、あるいは。狙い通りグスタフの右足は『ドカーン』とねじ切れた。
 しかし、少女らが学者や魔法使いや魔法少女、つまり戦いに身を置く職業でないのに対し、グスタフは純然たる軍人である。身体に染みついた業が違う。
 グスタフは右足を失って倒れ込む要領で地面を思いきり殴りつける。地が割れ、フランらから体幹を奪っていく。
(ヤバッ――!?)
 そう思うが早いか、フランとガリレオの小さな体躯に無数の拳の連撃が叩きこまれた。

 瞬間、暗転。痛みのあまりに意識が一瞬跳んだのだと察する。
 胸骨粉砕。心臓破裂。再生させろ、再生させろ! 自分に言い聞かせるが、身体が言うことを聞かない。これはマジにヤバい。呼吸ができない。血反吐が吐き出せない。立ち上がれない!
 のそりとグスタフの影がフランを覆った。ねじ切ったはずの右足はすでに再生されている。
 その姿は戦争と死に祝福された戦神、さながらオーディンの写し見。
 陽が沈むがごとく、避け得ぬ影が迫る。

 ――死が迫る。



「死なせ、ないヨ……瞬間移動は、ブギーマンの、面目躍如サ……!」



 ふわり。緑の法衣が翻る。目の前の光景に唖然としたフランは、しかし自分の頬にぽたりぽたりと垂れる血の生暖かさに否応なく理解させられた。
 吸血鬼の少女に向けられるはずだった無慈悲な手刀は、ハマン・ザバイオーネの臓物を貫いていた。

 ◆

 人を庇うなんてらしくない。ケチがついたな、と内心笑う。
 騎兵服に深紅の染みが滲んでいくのを見て、ハマンの脳裏には幼少の思い出が駆け巡っていた。
 理由はなんだったかとんと覚えていないが、酷い怪我をした。生まれつきヒトデナシで頑丈な我が身でもぼたぼたと血を流すほどだったから、これがもし人間の子供なら死んでしまうような怪我だったのかもしれない。
 ともかく、止まらない血が商品の敷物をダメにしてしまったのだ。マセたガキだったものだから、怪我の痛みよりも敷物の値段のことばかりで頭がいっぱいになっていた。
 すぐに駆け付けた母は、必死の形相で手当てをしてくれた。
 ハマンは混乱した頭で、必ず弁償するからと繰り返したが、母はたおやかな手つきでハマンを抱きしめるばかりだった。

『こんなものはアタシが弁済してやるよ。それよりお前が無事でよかった。母さんはそれがなによりなんだ』

 ネーデルランドきっての商家であるザバイオーネ家で生まれたハマンは、大商人である母から損得勘定の弾き方を教え込まれつづけてきた。幼心にも商人としての自負があったのだ。それから一年しないうちにハマンは自分で算盤を叩いて敷物分の金貨を稼いで見せた。それでも彼女の心には母の言葉が深く存在感を持って残り続けていた。

『ねぇ母さん。なんで父さんと結婚したの? あの人、ロクに家に帰ってこないし、どころか今も生きてるかすら怪しいし……母さんならオラニエ公のお家からだってお婿さん貰えたでしょ』

 ふとしたときにそう聞いたことがある。ハマンの父はブギーマンの系譜を継ぐ妖精で、傭兵業を営んでいた。名家であるザバイオーネ家なら政略結婚をして然るべきだ。どこの馬の骨とも知れぬ父との駆け落ちは周囲からの反対もあったが、母は自前の財力と胆力で乗り越えて見せた。

『あはは、確かにあの人はふらーっと戦争行っちゃうし、帰ってきたときはいつも血まみれのまんまだし、亭主としちゃサイアクだ……ま、ハマンも誰かを愛するようになったらわかるかもね』

『えー?』

 母が行動で示したこと、言外に語ったこと。それらを咀嚼して自分のものにできるほどには、ハマンは自分が大人になったと自覚している。
 さて、始まりはやはり母への憧れだったのだろうか? 祖国の独立戦争の一助となるべく、商人として各地を遍歴した。若き日の母の道程をなぞるように、父から受け継いだブギーマンの力を駆使して。
 同年代の友の一人もなく使命に奔走した彼女にとって、トランシルヴァニアで過ごした数か月は鮮烈に過ぎた。大切な人が増えすぎてしまった。
 胸のうちでフランが泣いている。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す。それがおかしくて、ハマンはカカカと笑った。

「フラン……お前が、無事で、よかった、ヨ――」

 ◆

 こと切れたハマンをかき抱き、吸血鬼の少女の瞳には濁りが満ちていく。

 フランドール・スカーレットの影が溶け広がっていく。バイキングの末裔たちと切り結びながら、アトスは確かにそれを見た。
 グスタフ王もそうであるように、ある種のヒトデナシたちは影を媒介とする。三銃士たちがかつてダルタニャンと初めて対峙したときもまたそうであった。その経験がアトスの闘争本能を刺激する。
「アラミス、逃げるぞ」
「……応」
 生きているのか死んでいるのか知れぬガリレオを担ぎ、アトスはフランから目を離さないように後ろへと下がる。
 その間にも影は無軌道に広がっていく。競り合うようにグスタフ王も、唸りながらその影を拡大させる。
(……曰く、影とはその実体の鏡である。なるほど、これはヒトデナシだ。付き合ってられんな)
 すべてが二人の影のなかへと沈んでいく。笑ったまま息絶えたハマン・ザバイオーネも、王室近衛のスウェーデン兵たちも、王宮もなにもかも。

 フランは必死に胸を押さえていた。暗闇のなかで姉の言葉がこだまする。かき消そうと声にならない声をあげる。

 ――フランドール。フランドール。悪魔の大公としてお前を祝福しよう。運命はフン族のようにお前を鞭打つだろう。広場は踏み荒らされ、価値あるものは燃やされる。フランドールよ。我が妹よ。それでもお前が願うというのなら、痛みと痛みと痛みの果てに、神の国は降りてくる。イェルザレムは降りてくる。

 痛い。痛い。ハマンが死んだ。大好きだったハマンが死んだ。わたしのせいで死んだ。
 彼女の膝を枕にして眠るのが好きだった。太陽の光がその羽根を透かして、美しくきらめくのが好きだった。
 胸が痛む。自責が重くのしかかる。

 ――祈るがいい、答えのために。

 瞬間、溢れかえりそうになった涙も、胸の痛みも、すべてが眼前への敵愾心に変換される。
 魔力がほとばしり、牙が鋭く研がれていく。羽根が燐光を帯び、周囲の色が歪み始める。

「グスタフ・アドルフ……ッ! お前だけは許さないぞ……お前だけはぁーッ!」





   急【わたしはかつてボクだった。ボクはいずれわたしになる】





 雨が降る。天の嘆きは血と硝煙を押し流していく。
「英雄になりたかった。サーガに語られるような大英雄に。血は流れただけヴァルハラに近づける、積み重ねられる財貨だった……けれど吸血鬼よ、いまやわたしのすべてを持っていけ……!」
 グスタフは倒れ伏し、フランドールの影へと沈んでいく。その表情は満足げで、フランはそれを虚しく見つめていた。

 死闘を制したのはフランだった。
 あとからやってきたヤドヴィガらはすでにハマンの死を三銃士たちから聞いたらしく、それぞれ泣いたり、悼む言葉を並べたりしていた。
 ヤドヴィガはフランを抱きしめながら、それはそれはおかしそうにケラケラと昏い笑い声をあげたが、フランはなにか反応するような元気を残してはいなかった。

 アリス・マーガトロイドは聖ヴァーツラフ王冠を簒奪して影に消え、三銃士らはガリレオを連れてフランスへと去って行った。
 ヤドヴィガもまた宝物庫から聖イシュトヴァーン王冠を手に入れ、帰国する。遠征の目標は達成された。馬車のなか、フランは手に入れたものと失ったものを指折り数えていた。

 ◆

 戴冠式の日が近づいている。フランドールは与えられた自室に連日引き籠っており、今日はオリガが彼女を見舞っていた。
 フランは決して立ち直ったわけでもなく、けれど失意のまどろみに沈み続けているわけでもない。ただ時間という絶えず与えられる鎮痛薬が、問題を少しずつよい方向へと向かわせているだけだった。
「春も過ぎたけれど、どうにも肌寒い日が続くわ。やになっちゃう」
 暖炉から温めた石を湯たんぽにいれ、オリガはフランと身を寄せる。抵抗する気も起きさせない慈愛に満ちたその手つきは母なる者の証である。
「いつまでもね。落ち込んでるものじゃないわよ。ハマンのやつはあんたにくよくよ泣いてほしくて助けたわけじゃないの。あんたに幸せになってほしい、笑っててほしい……そう思うからあいつはあんたを助けたの」
「おばあちゃんは……つらくないの。かなしくないの」
「誰がおばあちゃんじゃい。あのね、おわかれだけが人生じゃないのよ。つらいことがあって、でもまた立ち上がって、人と出会って、それでおわかれも何度もして……つらいって気持ちがなくなるわけじゃない。だけどそこに至って見えてくる景色は……見てからじゃないとわからない」
 オリガはフランの背をさする。フランはぶるりと寒さに身震いしてぬくぬくと毛布に身をうずめて頷く。
「うん。うん……きっとそれ、わかる気がするな。心ではわからないけど、言葉ではわかる。だから……きっといつか、その景色も見られると思う」
「ね、フラン。わたしたちヒトデナシには時間がある。永劫にも等しい火時計はゆっくりとあらゆるものを灰に帰して、けれどそこに残ったぬくもりがわたしたちを時折郷愁の念に駆らせるものだわ。だけどヤドヴィガ……人間は違う。50年にも満たないかもしれない短いときのなかで、彼らは彗星のようにその命を支燃物として燃え盛らせる。人間には今しかない。だからさ。あなたの痛みをあの子とわかちあってあげて。わたしじゃ力不足みたいでね」
「うん。そうだね。今はつらいけど、頑張ってみる。ヤドヴィガちゃんとも、同じ景色を見たいから。ありがとう、おばあちゃん」
「誰がおばあちゃんじゃい」

 ◆

 だがフランはヤドヴィガと会うことはできなかった。政務が忙しいだとか、戴冠式の準備があるだとか、司教と会談中だとか理由がついて、見たこともない黒コートに黒いマスクをつけた近衛たちがフランの行く手を阻む。
「なんだ、おまえら。わたしは……わたしが、ヤドヴィガちゃんの近衛だぞ!」
「我々もまた大公、次期国王陛下にお仕えする者です。宮中をお騒がせすることはまかりなりません。お引き取りを」

「なんだありゃ、コルヴィナ黒軍の物まねか? あるいはオプリーチニックとでも?」
 ビールを浴びるように飲みながらアーデルハイドは愚痴を垂れた。フランも訝しみながら野菜スープを啜る。
「宮中が貴族連中に牛耳られてるのは前から変わんないよ。でもあいつらみたいなのは見たことない……いったいぜんたい、何者なのさ」
 フランもアーデルハイドも政治的無能力者である。頼みの綱になりそうなオリガとて、その子孫と彼らが持つ議会にわずかな影響力を持つばかりで、宮中にはまるで歯が立たない。
「こういう時にハマンのやつがいりゃ……チッ」
 ヤドヴィガも表舞台に立たないわけではないから、その無事は確認できる。だがあの黒衣の集団ががっちりと固めてヒトデナシ連隊の少女たちの接近を阻んでいる。
「いっそ、王宮を制圧する? 貴族も聖職者も農民も殺せばおんなじ糞袋だよね?」
「馬ぁ鹿ね。貴族を殺して誰が国を運営すると思ってんだ。代議士と地方領主が逃げるぞ。特にこの国の場合はな……わたしらがウィーンの混乱を治めちまったから、ハンガリー人共は帝国に帰属するかもしれん。そういうのは外患誘致というのだ」
「……ヤドヴィガちゃん自身がどうにかするしかない?」
「秘密警察気取りがヤドヴィガを傀儡にしているならな。だがもしヤドヴィガのほうがあいつらを操ってて、わたしたちと会うのを拒んでるんだとしたら? どうも歯車がかみ合ってないような……なぁフラン、最後にヤドヴィガに会ったのはいつだ? 様子は普段通りだったか? ……いや、ま。戴冠式がくりゃ嫌でもわかるわな」
 フランはばしりと机を叩いて苛立ちを表明したが、アーデルハイドはため息をつくばかりだ。
「あのな。物事をどうにかしたいならまず相応の道理を持ってくるもんだ。誇るべき暴力の権化、ヒトデナシのわたしたちとてそれは変わりなく、道理なき無理を通す生き物は『ならずもの』だ。でなけりゃ一挙手一投足それ全てに後から道理が付いてくるのは神様ぐらいなもんだな」

 物見台から見下ろせる開墾された農地を眺めて、ヨルはぽりぽりと豆を食べていた。
「……あそこに見える農家では新たに娘が生まれたばかりです。その名前はギゼラと言いまして、その由来を辿れば北方に行きつくそうです。ところでわたくしが用いる武器は不朽でして、これはかつてのディルムン人が交易で齎したものでした。ディルムンというのは特定の都市や人種をさすわけではなく……海洋からきた商人のすべてがそう呼ばれました」
「話が取っ散らかりすぎてない?」
 フランが柵から乗り出して風を浴びていると、ヨルは白い顔を赤く染めて誤魔化した。
「こ、これからまとめるのです。ええと。わたくしごとの話になりますが。物には役割があります。壺は穀物を保存するために、かなとこは鉄を打つためにあります。それでわたくしは、名付けられました……ええと」
「ゆっくりでいーよ」
 フランはヨルと並んで物憂げに日の暮れた地平線を眺める。古くはダキア人が駆け、ローマ人が道を作り、マジャル人が馬に乗って征服した。ヨルは果たしてその歴史のうち、何割の砂塵を白いその身に受けてきたのだろう? にも関わらず彼女の精神の未熟さはフランドールのそれに近しい。
 心を哀惜が通り過ぎ、すべてが冷たい風に流されていく。ウィーンへの進軍劇、ハマンの死から半年が経った。実のところ、心の整理は済んでいる。いや、心の整理が付いたと認める準備ができているというべきか。
 半年のさなか、連隊の仲間はフランドールを親身に癒し、しかしヤドヴィガは一度も姿を見せなかった。親愛なる義理の姉、ベトレン・ヤドヴィガはいまなにを考えているのだろう? それを考えると、ふとした瞬間に故郷にいる実の姉のことも脳裏によぎるが、それを思い出すのはまだ早いかもしれない。
 ヨルは言葉をまとめることができず、頭を振って目を伏せた。風はいやに冷たい。
「別の話をしますね。わたくしの専門を。……親衛隊の発足というのは、いつの世も為政者が正規の軍権の掌握に失敗することから始まります。マスターがそうであったのは共通の見解と思われますが、為政者はまた伸張した親衛隊を目障りに思うものです。はたしてあの方は我々をお見捨てになられたのでしょうか?」
「……そんなわけないよ。なんでそう思うのさ」
「あの黒衣の集団、彼らは完全にヤドヴィガさまに統制されています。これは封建的貴族軍しかご存じない連隊のみなさまではわからないお話です。ああ、いえ。グスタフ王の軍勢を覚えておられますか? 黄色連隊、ニルス・ブラーエ……あれがそうです。軍隊とはかくあるべしですね」
 目をきらきらと輝かせるヨルを見て、一年少しの付き合いとはいえこの少女の嗜好をようやく垣間見た気持ちにもなったが、フランはそれ以上にいぶかしんだ。
「……あいつらが、ヤドヴィガちゃんの『召喚物』? その話、他のやつには?」
「いえ。というより、今思いついたお話です。さて、わたくしはわたくしの所有者が人であるか、人の形をしたヒトデナシであるかを問いません。それは吸血鬼さまも同じですよね。そしてわたくしにとっての問題は、これから戦争があるか否かなのです。戦争がなければ、わたくしはまた眠ります。仕掛け時計が時間によって動いたり、動かなかったりするように」
「……本当に?」
 じろりと覗き込むようにしたフランから、ヨルは顔をそむけた。

 ◆

 寒い。寒さが心地よい。初夏に雪が降る。積もる、積もる。骨の髄まで凍り付くような寒さがすべてを透き通らせていく。国は一面雪化粧。でもそれは北方に降るようなすべてを平等に葬る死の雪じゃない、優しい雪なんだ。
 降りしきる白のなかを黒が駆け抜けていく。オリガおばあちゃんなら知っているだろうか? 麗しのマジャル戦士たちとマーチャーシュの黒軍の幸せな結婚。ボクの夢の修道院から生まれいずる神話の戦士たち。しなる弓音は先ぶれだ。いざやヨーロッパを懲罰しよう。だってボクは大ハンガリーの国王なんだから!

 ◆

 異例の雪のなか、戴冠式は行われる。
 ナポカの聖堂では司教が聖句をヤドヴィガに垂れていた。フランドールらヒトデナシ連隊は式のいずれにも関わらることができなかったことに不満を隠さなかったが、それでも参列を取りやめることはしなかった。
 
 その時である。武装した集団が警備の黒衣兵を切り捨てながら押し入った。
 参列していた貴族たちは取り押さえられ、武装集団を率いる老人――豊かな髭を生やした宰相は抜剣してヤドヴィガを取り囲んでいく。
「公。神妙にお願いいたします」
「ボクはこれから国王だ……国王なんだぞ! それで……なにごとかな、我が宰相どの?」
 がらぁんがらぁんと教会の鐘が警鐘代わりにならされ、増援の黒衣兵たちがぞろぞろと集まる。
 対する宰相が率いる賊軍の女たちは白い礼装に黒いヴェールをたなびかせ、洗礼を受けた聖剣を揃えて抜刀する。
「……高位聖職騎士の量産聖剣! 検邪聖省の異端審問官、黒色十字軍か……!」
 宰相は髭を撫で、苛立ったように声を張る。
「忌まわしいフリークスを近衛に招いたこと。これは許しましょう。我ら貴族は公からの信頼を勝ち取ることを怠り、公は己の身を守るための武力を欲しただろうからです。ハンガリー王冠を欲したこと、これも許しましょう。先代は我が国の維持のために王位を放棄したが、それでも我らは大ハンガリー、マジャルの末裔としての自負があったからです。……だがッ! これ以上の外征を欲し、国財を恣にし、いたずらな戦禍を広げようとすることまかりならんわッ! この……暴君めがッ!」
「……ふふ、ははは。ヴァチカンの軍を国に入れ、自らの主君を討たんとする逆賊がなにを言うかァ! 然るに国家とは! 貴族のためにあるのではないッ! ボクを絶対君主として平伏するがいいさッ!」
 ヤドヴィガは司教の懐から聖王冠を奪い取り、自らの手でもって戴冠する。
 天国の鍵を持つ王から送られた冠。王権のレガリア。ヤドヴィガの手元から尋常ならざる冷気が漏れ出す。一陣の白い風が聖堂を通り抜け、屋内だというのに雪がすべてを覆っていく。
 どろり。どろり。影が広がり、黒衣の兵たちが湧きいずる。それはかのグスタフ王の兵のように。
「ちぃっ、やはり変じていたか! これは雪の精の類か!? ゲヘナの火を持ってこい! 焼き殺せ!」
 この日この時、彼女はまさしくヒトデナシへと堕ちた。

「ヤドヴィガ……ちゃん?」
 ヤドヴィガの影から生まれる神話の戦士たちが十字軍戦士らと剣を交えている間にも、フランらはただ立ち尽くして困惑するばかりだった。
「ヒトデナシ連隊の諸君、なにしてるのさ? キミらはボクの家臣だろ。ボクを守り、敵を討てよ。まさかボクらの麗しの友情と硬い主従関係が、ボクの人性の有無で変わるわけじゃないだろう?」
「当たり前だよ! でも……でもさ! そうじゃなくて……」
 うまく言葉をまとめられないフランドールを抑えて、アーデルハイドが前に出た。
「ヤドヴィガ公、否、国王陛下。あなたは今、主君としての役目を十分に果たしていないんだ。臣下に疑念を抱かせたなら、説明をする義務があるだろう? 第一にあの黒い衣の兵はあなたの手先で、しかし彼らはわたしたちを妨害し続けた。これはなぜだ? 第二に、宰相はヤドヴィガ陛下自身がハンガリーの王位を求めたと主張した。これはどういうことだ? 第三にも同じく、宰相が言った外征とはなんなのだ? さぁ、答えろよ!」
 ぎゃりぎゃりぎゃり。アーデルハイドは影から大剣を取り出して石畳の教会に火花を散らせる。
「戦闘中に随分とのんきな問答だな……けど答えようじゃないか。一つ目は……すれ違いがあったんだ。些細なすれ違いが。仕方なかった、事情があった。二つ目と三つめは反論の必要性を感じないな。敵の言葉を信じるのかい?」
「弄したな。言葉を弄して誤魔化したな、ヤドヴィガ。主君が臣下を信じないならば、臣下としてもやるべきことがあるというものだ。フラン、ヨル、行くぞ。オリガ姐さん、あんたはどうする?」
 オリガがかぶりを振って位相転移で掻き消えたのを見て、アーデルハイドはフランとヨルを連れて聖堂を飛び出した。
 十字軍戦士も黒衣兵もそれを追うことはなかったが、ヤドヴィガはただ歯を食いしばってそれを睨みつけていた。

 ◆

 フランとヨルの手を引きながらアーデルハイドは物見塔に駆け上る。
「ちょちょ、ちょっとアーデルハイド! なにする気なのさ!」
「言ったろ? やることがある。ヴァチカンの第十三番目の秘蹟、『黒色十字軍』の出動は『究極浄化』の認可だ。それはつまり……ああいうことだ」
 アーデルハイドが指さす先、都市の外の空は赤く染まっていた。

 ――燃えている。穀倉が、家々が、人々が。

「究極浄化。それは異端と一緒に都市丸ごとを燃やして灰燼に帰し、すべてをなかったことにするってェ意味だ。わたしの父と故郷は……それにマクデブルクは……ともかくだ! あんな胸糞わりぃことを三度目も見過ごす気はない。だからだな。わたしらはまず外の十字軍をぶっ潰す。そんで返す刀でヤドヴィガのやつをぶん殴る……ぶん殴ってわたしらの関係をあるべき姿に戻す! 前者はヤドヴィガ陛下の臣下としての義務で、後者は権利の行使だ! ついてくる気はあるか!?」
 快刀乱麻。どうもこの頃やるべきこと、できることがハッキリしなかった苛立ちをアーデルハイドが絶ち切ってくれたように感じて、フランは意気揚々と賛同した。

 フランたちは野を駆け、火矢を放つ黒色十字軍戦士らを狩っていく。
 彼らは不死狩りの専門家であり、けれどもフランたちはそれ以上のバケモノであるから。
「吸血鬼さま。先日のお話を覚えておいででしょうか。物には役割がある。壺は穀物を保存するために、かなとこは鉄を打つためにあるという話を」
「え!? それ今する!? まぁ聞くけどさ!」
 吸血鬼の膂力でもって教会の最高礼装を着込んだ聖職者を引き裂き、血を浴びながらフランは笑う。
「わたくしの本来の役割はクドゥル、国境警備がそうでした。異民族の侵入からくにざかいを守り、民草の安寧を守る。けれどそれは失敗し……わたくしは戦争機械として転用されました。ヒトデナシである我々は名前というものにひどく縛られるというのは人狼さまの言葉でしたね。シェムハメフォラシュであるわたくしは特にそうです」
 ヨルの腹腔部が大きく開き、そこから機関銃がせり出す。古代メソポタミアの神秘工学を用いた銃の乱射は、十字軍戦士らをひき肉へと変えていく。
「なんか戯曲だと、その手のセリフ吐く人たちってそのあと死ぬものだけどー!? ヨルは死なないでねー!?」
 機関銃の轟音が響くなか、フランドールは叫んで声を届ける。ヨルはふっと笑って答えた。
「死にませんよ。わたし、強いので。ええとそれで……考えていたのです。人には生まれついての役割というものがありません。地位や血筋というものはありますが、それは後天的なものです。けれど人は人に名前を与えます。それは役割を与えているのでなければ……なんなのでしょうか? 名付けとはなんなのか。考えていたのです。すいません、迂遠でしたね。人が人へ祈りを込めて名前を付けるというのは理解しています。つまり、吸血鬼さまがた……フランドールさまがたが、わたくしに与えて下さった名前の意味はなんなのか……というとこれもまた語弊がありますね。わたくし自身が、その名付けに、託してくださった祈りになにを見出すかというお話です」
「なんか達観してる! それじゃ、答えは見つかったのー!?」
「それが、ぜーんぜんです。名前の一つを下さったハマンさまはお亡くなりになってしまいましたし、マスターはあの通り。だから絶対に……アーデルハイドさまの言葉を借りるなら、『ぶん殴って解決』いたします!」
 その言葉にフランは一層けらけらと笑わされるのだった。

 ザッ、と三人は脚を止める。農村の一角、かつては青空市場がよく開かれた広場では倒れた貧農の死体をなんどもなんども刺突する少女の姿があった。
「一人殺しては国王陛下のためー♪ 二人殺しては枢機卿猊下のためー♪ 前線年金100リーブル♪ 銃士は前線で100リーブル♪」
 獣耳をご機嫌に動かす少女。忘れもしない、半年前に友誼を結んだその少女の名は、ダルタニャン。フランス銃士隊が誇るヒトデナシである。

 ◆

 にこやかに、軽やかに。少女はフランたちの姿を認めると銃に弾を素早く込め直し、剣を振って血を払った。
「あ、あう! フランさん! ご無沙汰しています。今回は敵同士、ですね!」
「お前……お前! ウィーンじゃ市民が殺されてるのを見て怒ってたくせに……自分がなにやってるのかわかってるの!?」
 フランが義憤に駆られ、怒気を交えて問い詰めるとダルタニャンは怯えたように頭をかきむしる。
「あう、あう……うぅ。そりゃわかってますよ。わかってますけど。任務ですし、敵ですし。国王陛下も教皇猊下もお認めになった作戦です。だからいいじゃないですか!」
「……はぁ? あっ、そ。いつだかは友達だと思ったけど、やっぱナシ。お前は敵だ!」
 フランドールはそう言って目線を冷たくし、手を構えてダルタニャンを『壊す』仕草をして見せる。だがダルタニャンは獣的な敏感さでそれを躱し、牙を向いた。
「な、な、な! 言わせておけば、わたしが、気弱だからって……言いたい放題されてると思わないでください! だって、だってだってだって! リシュリュー枢機卿は、お金をたくさんくれるんですよ! わたしの家は貧しくて! 弟たちと妹たちも食べさせないといけなくて! 学校にだって行かせたいし、綺麗なおべべも着せてあげたい! 戦えばお給金、死ねば年金! 銀貨と金貨のためにも……お前こそ死んじゃえ!」

 正面から向かってくる少女は囮。家々の影からこちらを伺い、三方向から鋭い切っ先がアーデルハイドを狙う。
 ツヴァイヘンダーの横薙ぎを絡めとるようにしてアトスがパリィし、アラミスとポルトスの剣がアーデルハイドの皮膚を裂き、貫いていく。
「はッはァ! 久しいなアーデルハイド! フランスのために死ねよや! 我が国はヴァチカンへの借りが欲しいのだ!」
「ふッ、はァ。それがお前らフランク族だものな! 帝国にスウェーデンをけしかけ、ヨーロッパ中で戦争を煽り、今度はヴァチカンに媚びを売って十字軍に参加する! それがお前ら……ぐ、うっ、……法儀式済みの銀の剣かァ!? 悪くない、貴様らにはこの人類種の天敵を葬るに足る敵だ! けど、自分たちが死ぬなんか思っちゃいなかったか!?」
 カウンター。アーデルハイドが口内から勢いよく吐き出した短剣は敵の喉へと吸い込まれ、三銃士のうち一人の命を刈り取っていく。
「ポルトスさん!? お前ぇーッ!」
「くく、カカカッ! なんの獣とも知れぬ混ざり者のガキが……わたしの目を見ろッ! ここにいるはアーデルハイド・シュトンプ! 恐るべき人狼ペーター・シュトンプの一人娘だッ! 人はいつだって誰かにとっての狼、だろう!? 戦の栄華は一瞬、羊の皮を被れど心は変わらず、人類種の天敵なりし人狼はここにある! その身に刻め、私こそがベートブルクのアーデルハイド!」
 流れる川のごときアトスの剣術がフランとヨルをくぎ付けにしている間、アーデルハイドは血を流しながらダルタニャンとアラミスを相手取っていた。
 ダルタニャンもアーデルハイドも頑丈さが売りの獣であるから、お互いに懐に入って殴り合う。その一撃一撃が巨木を砕くような人並み外れたものであるから、お互いの四肢は跳ね、内容物が飛び散っていく。
 目に入った流血をものともせずアーデルハイドは牙を向いて笑う。対するダルタニャンは憤怒を隠さない。
 だがいよいよフラついたアーデルハイドの腱を、アラミスが巧みに斬りつぶした。
 風が吹く。聖堂から雪を乗せた白い風が。
「お、おい! アーデルハイド!? 死ぬ気じゃないだろうな。死ぬなよ! お前まで死んだら、わたしは!」
「なんだ、フランドール! お前がわたしの心配たぁ、明日は大雪かな!? ヤドヴィガの大馬鹿野郎を頼んだぞ!」
 銀の剣で串刺しになったまま、アーデルハイドはアラミスの顔の皮を剥ぎ落す。しかしその命にまで爪は届かず、ついにはダルタニャンの剣が彼女の心臓を貫いた。
「死ねっ、死ねっ、死ねっ、死ねっ! ポルトスさんの仇、フランスの敵ぃっ!」

 土から生まれた者は、土に還る。塵に過ぎない者は塵へと返る。だからアーデルハイドは今、塵へと返る。

 ◆

「ッ~~~……!」
 やるせなさ、喪失感に身を悶えさせながらもフランは自分の太ももを叩いて自我を保つ。ぎゅっと握った手を開けば、アーデルハイドだった塵と灰が風に吹かれて消えていく。
 人狼を討ち取ったことでよしとしたアトスは、重症のアラミスとなおも暴れんとするダルタニャンを引きずりながら撤退していった。

 機関銃をしまい込んだヨルは砂を払って息をつく。
「十字軍戦士も兵を引いたようです。となれば」
 わかっている。二人は都市の中央、聖堂へと再び目を向ける。
「連隊も随分消耗しましたね。ですが、やることは変わりません。『殴って解決』です」
「……そだね。『殴って解決』だ」
 ハマンはウィーンに斃れ、オリガは恐らく逃亡。アーデルハイドは塵に返った。
 足取りは重く。けれどもつれることはなく。
 フランは叫びだしたくすらなったが、何度も何度も自分を抑えた。この痛みはもうハマンのときに味わった。苦しむのは今じゃない。オリガが掛けてくれた言葉が思い返される。先の景色を見るために、今は歩け。
「恐らくですが、ウィーンへの遠征……ハンガリー王への戴冠を求めた議決はマスター、ヤドヴィガさまの裏工作だったのではないでしょうか」
「そだろね。ヤドヴィガちゃん、野心の人だったから。国を正したい、あるべき姿に戻したい。中央集権を果たして、絶対君主に至る。ずっとそう願ってた……じゃあ、いつから人間じゃなくなってたのかな」
「それは……フランさまと関りを持ち始めたその時から始まったのでしょう。完全に『成った』のは先の戴冠だとしても。……究極浄化がなぜ街一つを焼き払うのか。わたしが作られた時代は人と人でないものの境はそれほど重要ではありませんでしたが、今世は違うのだと学びました。さて、わたくしが学ぶことはまだまだ多そうです」
 都市はすでに荒廃し、街並みは燃えている。十字軍は撤退したというより、目標を達成したということか。
「ヨルさ。どんどん人間味が増してきてるよね。むしろ、今までのヨルのマスターがどれだけヨルのこと、戦争機械としてしか見てなかったかっつー……ぶっ壊してやりたいね」
「お気持ちだけでうれしいものですよ……」
 凍てついて閉じた聖堂の扉を開く。なかに閉じ込められていた冷気が一気に開放され、フランたちは身震いした。

 白い外套に白化粧を被りながら、ヤドヴィガは祈るようにイコンを眺めて口を開いた。
「トランシルヴァニアはスルタンやハプスブルクが吹けば飛ぶような小国だ。国を蝕む封建貴族を誅し、権力を確立するのは絶対的に必要なことだった」
「……ヤドヴィガちゃん」
「聖王冠はレガリアとして十分な力を持っていた。事実、ボクは黒色十字軍の精鋭すら凍てつかせ、蹂躙してみせたじゃないか」
「ヤドヴィガちゃん」
「全部、ぜーんぶ必要な事業だったろう。最初からみんな付き従ってればよかったのに」
「ヤドヴィガちゃん! あなたは……どこに行くつもりなの?」
 フランが声を張り上げて、ようやく彼女はフランと目を合わせた。その瞳に移る感情の色を読み取ることはフランには難しかった。
「ボクには力がある。だったら、だったら! ハプスブルク帝国も、オスマン帝国もぜんぶ壊してやるのさ。全ヨーロッパとアジアをマジャルハサーが懲罰する! 地を埋め尽くすアールパードの騎兵軍団! マーチャーシュの黒軍! もう二度とこの国を侮らせない! 大ハンガリーがこの大陸を統治するんだ……!」
「そんなのは、そんなのは夢物語だよ。グスタフさんを覚えてる? ゴート主義の英雄譚を夢見たあの人はわたし一人にすら勝てやしなかった。ヒトデナシは英雄に討伐されるのが神様の筋書きなんだ。ねぇ――」
「これはボクが始めた戦争だ! そのためにハマンは死んだ! オリガおばあちゃんはボクを見捨てた! なぁ、アーデルハイドは、ハイディはどうなったんだい? ふふ、ははは! 死んだんだろう!? それが答えさ、フラン、ヨルムンガンド! 今更、今更引き返せないんだ。犠牲が大きすぎるんだ。だからボクはやり遂げなくっちゃ、じゃなきゃ報われないだろうがぁっ!」
 ヤドヴィガが声を荒げるたび、雪は吹きすさぶ。聖堂は白く白く染まっていく。
「……馬鹿じゃないの。馬鹿だよ。馬鹿……馬鹿なんだ、あんたは! 『ヒトデナシ』に落ち込んだからって、帝国一つとやりあえるほどヤドヴィガちゃんはよくできちゃいないんだよ! ヴァチカンやリシュリュー枢機卿がなんと言おうと、ヤドヴィガちゃんは女の股から生まれたんだ! それがどういうことかわかる!? ヤドヴィガちゃん、あんたは『権利人』じゃない。お父様やグスタフさんなんかとは到底違う。ああそっか。ならわたしのせいか? これって。わたしがヤドヴィガちゃんを惑わせて、魔性に蹴落としたのか! あはははは!」
「バカバカ言うなぁッ! フランのせいだと!? 責任を勝手に持っていこうとするな! お前はボクの臣下なら、お前の全責任はボクのものさ!」
「そうだけど、そうだけどさぁッ! 違うじゃんッ! 臣下とかの前に……わたしたちは友達だろ!? 仲間だろ!? 行き場のないわたしを拾ってくれたのはヤドヴィガちゃんじゃんかッ! それを……ばかやろーッ!」

 フランドールは聖堂の天蓋を『ドカーン』し、それに合わせてヨルが駆けだす。
「マスター。マスター・ヤドヴィガさま。これは諫争です。この場に居合わせられなかったアーデルハイドさまを代弁しまして『ぶん殴り』ます。お覚悟を」
 背部ブースターによって加速度を付けたドロップキック。足技じゃないかよ!というヤドヴィガの言葉は努めて無視され、ヨルの人体構造をことごとく無視した体幹による蹴りの連撃が彼女を抑え込む。
「ヨルっ! 黒衣兵!」
「把握済みです。カルデアのクドゥルのレーダー網に穴はありません」
 フランは魔力をほとばしらせ、光弾でもってヤドヴィガの召喚する黒衣兵の胴体を弾け飛ばしていく。ヨルの肩部ミサイルがヤドヴィガの動きを制限し、戦場を支配していく。
 けれど黒衣兵の勢いは止まらない。濁流がごとく影から流れるそれは、やがて聖堂を覆いつくしていく。
 インファイトに入ったヨルはともかく、フランは黒衣兵の相手で精一杯である。兵たちの一撃一撃は重くない。肘打ち、回し蹴り、かかと落し。フランドールの打撃で兵たちはたやすくその肉を裂かれていく。
(……きりがない!)
 その瞬間、聖堂の一画でヤドヴィガに敗れ、凍り付いていた宰相を覆う氷にヒビが入った。トランシルヴァニアの貴種が生んだ最強の騎士が再起する。
「この老体ィー! 最後のご奉公ーッ!」
 ヒトデナシ入り乱れる戦場には彼の剣は届かないかに思われた……否。ヤドヴィガの召喚物が放った弓の斉射がその命脈を絶つが、死の淵にあってなお貴種としての誇りを忘れない老人は確かに役割を果たした。彼の投擲した剣は台座に置かれた聖イシュトヴァーン王冠へと吸い込まれるように飛んでいき、その頂点の十字架の飾りをへし折った。
 ヤドヴィガの力の一端となっていたレガリアが破損した! 黒衣兵たちの姿が一瞬ゆらぎ、それを見てフランも前線へと駆け出していく。
 
「――国王陛下! あなたの忠実なる臣下として……フランドール・スカーレット! 謀反いきまァす!」

「同じくヨルムンガンド・アトラス・イエスキリスト・アッティラフン。僭越ながらご主君に目覚めの一発を」

 力に目覚めたばかりでその振るい方も知らず、戦い方も知らないヤドヴィガはもはや抵抗する術すらなくその拳を受け入れるほかなかった。
 フランとヨルによるダブルパンチ。ヒトデナシの膂力を受け、ヤドヴィガは聖堂の中央を滑るように吹き飛ばされていく。

 ――決着である。

 ◆

 想像以上に吹き飛ばされていったヤドヴィガを見てフランは少しビクついた。
「し、死んでないよね?」
「死んでない。てか殺すかもしれない力で殴らないでくれよ。これでもボク、キミらの主君だろうに」
 むくりと起き上がったヤドヴィガは、朝に顔を洗うみたいにぐしぐしと顔を拭って肩を落とした。
「はぁ……負けた。ナポカの街は焼かれた。忠臣を二人死なせて、おばあちゃんには逃げられて、もう二人には謀反されてぶん殴られた。惨めだな、ボクって」
 気弱な言葉にフランはふんすと胸を張る。
「もう一発いっとく?」
「やぁだよ。痛いもん……ねぇ二人とも、これからどうしよう」
「アーデルハイドさまなら『臣下のみちしるべたる王が弱みを見せるとは何事だ』とお怒りになるでしょうね」
「ハイディならそう言いそう。でも友達なんでしょ、ボクら」
「そぉね。主従とかごちゃごちゃしたのの前に、わたしらはヤドヴィガちゃんの友達だよ」
 そういって座り込んだヤドヴィガをフランは抱きしめた。ヨルも真似して二人を抱きしめ、彼女たちはしばらくそうしていた。
「はぁぁ……本当にどうしようかなぁ。ボクの身体、人じゃなくなっちゃったみたいだし」
「全部放り出して、逃げちゃう?」
「それもありかな……いやいや、責任は果たすさ。責任を果たして、国を最低限立て直して、それから? はぁぁ……ハマンに、アーデルハイドに、みんなに申し訳が立たないなぁ」
「手伝います。わたくしも、フランドールさまも。ゆっくり考えましょう。わたくしたちには時間はいくらでもあるのですから」

 ――――。
 
 ――。

 時は流れる。やがてフランドールはヤドヴィガと契りを交わし、二人の道は別々の方向へと進んでいく。
 三十年戦争は終わり、フランドールは家路につき、時の歯車は50年、100年とその回転を止めることはなく――。






   エピローグ【魔法少女たちの後夜祭】






 拝啓

 人の世はますます繁栄し、わたしたちがかつてともに過ごした日々はすっかり歴史の図書館の片隅に閉じられる時代となりました。
 フランドール・スカーレットさまに置かれましては極東の秘された郷に居を移されたと風の便りで聞き及び、壮健なることと存じます。

 わたしはあの戦争のさなか、フランドールさまがたを見捨てて逃げ出しました。それはヴァチカンの究極浄化から親族を守るためではありましたが、フランドールさまがたにとっては重大な裏切りであり、今でもお詫びしきれないほどの後悔と自責の念を抱えています。
 恥知らずな不肖の身ではありますが、このたび、奇縁があって我が子孫の一人でありあなたのかつての主君であるベトレン・ヤドヴィガ、そしてその側近のヨルムンガンド・アトラス・イエスキリスト・アッティラフンと再会する機会に恵まれ、かつての逃亡を海恕頂きました。加えてフランドールさまの住む館に、わたしの子孫が仕えていることも別の伝手で知りました。
 さて本題となりますが、このたびわたし、ヤドヴィガ、ヨルの三人でそちらへ遊びに行きます。以前出会った妖怪から極東の作法は聞き及んでおりますので、『異変』や『スペルカード』の準備もばっちりです。そしてフランドールさまのご都合さえ合えば、件の逃亡について改めて謝罪の機会を頂ければと存じ上げます。

 それではお目にかかれますこと、楽しみにしております。
 
 敬具
 バートリ・オリガ

 p.s.そうそう。ヨルは『答えを見つけた』って言ってたわ。なんのこと? それと、今フランがどんな景色を見てるのか。もしわたしを許してくれるなら、教えてちょうだいね。
わたしたち現代人がトランシルヴァニアという地名を目にするとき、それはたいていブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』に関連しています。実際にヴラド公が治めていたのはワラキア公国であるのは東方オタクのみなさんならご存じと思いますが、ならばこそトランシルヴァニアという土地本来の魅力をこれでもかと詰め込んで小説にしてみたのが本作です。あとは好きなものを詰め込みました。グスタフ・アドルフかっこいいー! ダルタニャンもふもふー! 三十年戦争さいこー! そんな感じ。
あるちゃん
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コメント



0.簡易評価なし
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.100ひょうすべ削除
神とさせてください。最高ですね。
しかしグスタフ・アドルフ……近眼でさえなければ……
3.100東ノ目削除
ヨルの「人には生まれついての役割というものがありません」という価値観、(人間という存在を客観視できる)人外が主体でかつ三十年戦争という宗教が曲がり角に入った時代になったことで成立するようになった話なのかなと思いました。多分それより前の人間の価値観に基づいた話にしてしまうと「神がそう望まれた」という方が疑いようがなく正しく、ヨルの価値観自体が間違いということになる

と、偉そうな感想を書きましたが、正直三十年戦争にわかなのでネットで軽く調べ、トランシルヴァニア公国の全盛期頃の話なんだなーとか思いながら読み進めていました。にわかなりにグスタフ・アドルフは好きなので、彼が強くて嬉しかったです
4.100名前が無い程度の能力削除
ノンストップで繰り広げられる舞台劇のような展開、楽しく読み進められました。
5.100南条削除
とても面白かったです
恥ずかしながら30年戦争については何も知らなかったのですが、時代のはざまで一旗揚げようとしたヤドヴィガやよくわからないままなんとなく戦ってたっぽいフランたちが楽しそうで読んでいて楽しかったです
重厚な物語を読ませていただきました
6.90名前が無い程度の能力削除
クセが強いのに、どんどん読み進めさせるパワーを持ったすごい作品でした!