私には奇妙な記憶がある。
話をした思い出もなく、会ったかさえ確かでない女性の姿だ。
それはときおり、夢に出て。気が付けば忘れているような、そんな些細な存在。
「『隠し』にとられなくて、ほんによかったねぇ」
数年ぶりに東北に住む祖父母の郷里へと出向いたとき、祖母がポツリと溢した。
なんでも、私は神隠しに遭ったことがあるらしい。
伝聞形式なのは、当時の私は今よりもずっと幼かったのでその記憶がないためだ。
そしてそれは小学校を出たばかりの、そんな私の好奇心を掻き立てるには充分だった。
祖母の話を頼りに、私は歩き続けた。もうすぐだと、そう思った。
あたりを見まわすと、かすかに体が震えてきた。気温は低いが、そうではない。
知っている。自分はこの道を、この竹藪を。いつか来たことがある、そんな気がした。
「抱えていると、突然お前が重くなって」
「びっくりして見ると、お前の顔と両腕がとけるように消えてしまってた」
「あれは誰かがお前を引っ張って連れて行こうとしたんだよ」
自意識などない赤子だった時分の不思議な体験。すっかり何処かに忘れていたものが、少しだけ掘り起こされたようだった。
私は見えない何かに別の何処かへと引き込まれそうになっていた。ゆっくりと思い出すように、祖母はそう語ってみせた。
わたしはその犯人と、顔を合わせたはずなのだ。
やがて道を進むと、遠くからなにか見えた。道の彼方から、歩く女性の姿を見て、私は立ち止った。
幼いながらにその服装からは、時代錯誤を感じた。なんとなく、珍しい日傘を携えたその人を見て、目をそらした。
なぜだか僅かに残る、奇妙な既視感がそうさせたのである。
紫色の女性は、まっすぐに私とすれ違い、そのまま歩いて行った。
私は決心して振り向き、彼女に声をかけた。
「あの、何処かで会いませんでしたか?」
女性は少し歩いてから立ち止まり、此方へと振り返った。
ときおり夢に出てくる女性と、そっくりに美しい顔だった。
私は、終始震えていた。
「さあね、あなたのことは知らないわ」
けれど彼女は、私の瞳を覗き込んで首をかしげた。
「ひょっとしたら、貴女が空になっていたのかも」
少し会話の脈絡が掴めず、口が回らなかった。空とは青空のことだろうか。
「ただ。忘れっぽいから、それも分からない」
誰かを思い出すような仕草を見せ、女性は背を向けた。
「そろそろ日没よ、子供は家に帰るべきじゃないかしら」
「……すみません、さようなら」
僅かばかりに知っていた礼儀に従い、別れを告げた。なぜだか、そうしなければいけない気がした。
そうして私とその不思議な女性は、それぞれ反対に道を歩き始めた。
そのとき、竹藪がざわッと揺れ、竹の葉が擦れ合う音が一斉に鳴った。
「あ」
その勢いは恐ろしく、思わずマフラーが飛ばされてしまった。
女性も立ち止まり、私に振り向いて言った。
「あら。風が出てきたわね」
話をした思い出もなく、会ったかさえ確かでない女性の姿だ。
それはときおり、夢に出て。気が付けば忘れているような、そんな些細な存在。
「『隠し』にとられなくて、ほんによかったねぇ」
数年ぶりに東北に住む祖父母の郷里へと出向いたとき、祖母がポツリと溢した。
なんでも、私は神隠しに遭ったことがあるらしい。
伝聞形式なのは、当時の私は今よりもずっと幼かったのでその記憶がないためだ。
そしてそれは小学校を出たばかりの、そんな私の好奇心を掻き立てるには充分だった。
祖母の話を頼りに、私は歩き続けた。もうすぐだと、そう思った。
あたりを見まわすと、かすかに体が震えてきた。気温は低いが、そうではない。
知っている。自分はこの道を、この竹藪を。いつか来たことがある、そんな気がした。
「抱えていると、突然お前が重くなって」
「びっくりして見ると、お前の顔と両腕がとけるように消えてしまってた」
「あれは誰かがお前を引っ張って連れて行こうとしたんだよ」
自意識などない赤子だった時分の不思議な体験。すっかり何処かに忘れていたものが、少しだけ掘り起こされたようだった。
私は見えない何かに別の何処かへと引き込まれそうになっていた。ゆっくりと思い出すように、祖母はそう語ってみせた。
わたしはその犯人と、顔を合わせたはずなのだ。
やがて道を進むと、遠くからなにか見えた。道の彼方から、歩く女性の姿を見て、私は立ち止った。
幼いながらにその服装からは、時代錯誤を感じた。なんとなく、珍しい日傘を携えたその人を見て、目をそらした。
なぜだか僅かに残る、奇妙な既視感がそうさせたのである。
紫色の女性は、まっすぐに私とすれ違い、そのまま歩いて行った。
私は決心して振り向き、彼女に声をかけた。
「あの、何処かで会いませんでしたか?」
女性は少し歩いてから立ち止まり、此方へと振り返った。
ときおり夢に出てくる女性と、そっくりに美しい顔だった。
私は、終始震えていた。
「さあね、あなたのことは知らないわ」
けれど彼女は、私の瞳を覗き込んで首をかしげた。
「ひょっとしたら、貴女が空になっていたのかも」
少し会話の脈絡が掴めず、口が回らなかった。空とは青空のことだろうか。
「ただ。忘れっぽいから、それも分からない」
誰かを思い出すような仕草を見せ、女性は背を向けた。
「そろそろ日没よ、子供は家に帰るべきじゃないかしら」
「……すみません、さようなら」
僅かばかりに知っていた礼儀に従い、別れを告げた。なぜだか、そうしなければいけない気がした。
そうして私とその不思議な女性は、それぞれ反対に道を歩き始めた。
そのとき、竹藪がざわッと揺れ、竹の葉が擦れ合う音が一斉に鳴った。
「あ」
その勢いは恐ろしく、思わずマフラーが飛ばされてしまった。
女性も立ち止まり、私に振り向いて言った。
「あら。風が出てきたわね」