十六年と数ヶ月、気味の悪い人生でした。
私にはこれを気味の悪い、と表現するほかないのです。それ以上に適切な語彙と、未だに逢着し得ないのです。
生まれは東京の、ちょっとした山々の神社で、そこで育ちました。と言っても、実際は神社で過ごした期間よりも、そのやたら長ったらしい、幾星霜を重ねた石階段を下って、遠目には霧がかったビル群が確認できる木と木の間の、まさしく獣道を歩き、そしてそこから開けた道路に出て、いくらか道を曲がった先にある家で過ごしました。
父と母は教養のある人だったので、私は本を沢山読まされました。最初は絵本や童話、歳を重ねるに連れて純文学や、簡単な哲学書等。別に苦だった訳では無いですが、なによりもその顔色を伺うような生活が嫌でした。それに私は、哲学というものが大の嫌いでありました。一番嫌いなのはカントとかいう、ドイツあたりの権威ぶった男です。
なんですか目的の国って。人間はそんなに、一々手段と目的とを考えられるほど賢いわけないじゃないですか。
常識というものを疑ったのは、幼稚園に収容され始めた時期でした。私に見えるものが、他の人には見えないという、ただそれだけなのです。
当たり前のように諏訪子様と神奈子様とを認めていた私からしてみれば、やはりこれも、気味悪いのです。
「早苗は面白い子だね」
「良かったわね、神様なんて」
父と母がこんなふうに言うのを、確かに私は子供ながらに違和感でした。
そして二人の神様は、そんな私を見て変な顔をするんです。
同年代の子と出会って、どうにかして私の当たり前を共有したいと、躍起になりました。
しかしどうやら、その試行錯誤を繰り返すうちに、やがて、ようやく、私は徒労を知ったのです。
ですから私は、とにかく、常識がどこまで常識なのか、それが私と同じ色合いを含んだ常識なのか、先ず疑ってかかるようになってしまったのです。
何かことがある度に、目にする度に、あるいは耳にする度に、やれこれは本当なのか?やれこれは実在しているのか、それはつまり、みんなのものなのか。
そうしたその疑いの目が、私を、私の人生以上に気味の悪い存在に仕立てあげた張本人なのでしょう。ひねくれすぎて、あらゆる箇所が折れ曲がってしまった東風谷早苗を作り出した正体は、そうした悪習だったのです。ちょうど、毒色の湖のそばで控えている、枝々が複雑に曲がったそれが、恐らくともかく私なんじゃないでしょうか。
私はひとしきりそうした事に絶望した後に、周りの求める東風谷早苗であろうとしました。
きっと早苗はこうだろう、早苗ちゃんならこうだ、東風谷さんは多分こうする、というようなことです。
私は誰かと視線を交える時に、その瞳が捉える私を見つめています。私は、私を見るのです。コミュニケーションというのが対話なのであれば、これは断じて、そうしたものではないのです。鏡かと言われれば、それもまた違うのです。他者というフィルターを通して映し出された私を見るのですから、それは厳密には鏡ではなく、やはり、映写機でしょう。
ある時、私が東風谷早苗を演じている時に、ある女の子が言いました。確か夏のはじまり時だったような、そんな気がします。残念ながら彼女の名前は覚えていませんが、この出来事は常に頭にあるのです。
「早苗ちゃんって、テレビみたいだよね!」
私は、未だ二桁すら到達しない年齢であり、また、彼女もそうでしょう。彼女は自分の内にある、その短い年月を考慮すると当然な、少ない少ない語彙の中で、私を看破してしまったのです。
そして愕然とし、恐怖しました。私はモニター越しに映るような、そんな人間なのです。視聴者のニーズに応えるだけの、道化でありました。人が求める姿を追求した、私の、その仮面の裏側でした。
その子は他の子から意味がわからない、と、そんなふうに非難されていましたが、私は、ただ、もう恐ろしくて仕方がないのです。
そうした私のその様子を、落ち込んでいる、悲しんでいる、そんなふうに捉えたのか、その非難は舌先の攻撃へと変わり、私を正確に捉えていた彼女は、いよいよもって学校に来なくなってしまいました。私の演ずる東風谷早苗は、視聴者にはあまりにも好評だったので、私は学校で一番の中心にいたのです。自惚れでなく、私は人気だったのでしょう。
私はそれより、もう気味が悪すぎて嫌になってしまいました。何かする気も起きず、初等教育を終えます。私がどんなことをしたって塗り替えられなかったのです。東風谷早苗というデータは、あまりにも鮮やかすぎて、何をするにもただ心配を招くだけでした。
試しにじっと黙ってみると、「早苗ちゃんどうしたの?」これが私の心臓を貫きます。
今度は馬鹿らしいことをしてみます。すると、笑いの渦が私を漂着させます。
最後に、身近な誰かを酷く言ってみます。人間というのは、誠実で優しいのが好まれる訳ですし、これはもう大丈夫だろう、と。しかし、するとどうでしょう。その私の対象が、バッシングの嵐です。私は急いで取り下げて、その子を守りました。
中等教育の段階に入っても、事態は変化しませんでした。なんなら悪化したのではないかとそんな気概すら起きます。
「東風谷さん!ずっと前から好きでした!」
「俺、早苗の事がずっと、好きで…」
「お願いします!付き合ってください!」
こういうことを言われる度に、私は本当に血反吐をぶちまけて、世界からぽっかりと消えてしまいたいと思うのです。存在そのものが諧謔であり、これ以上ないほどに、私は長靴なのです。雨のない日の、長靴だということです。
「ごめんなさい」
この一言の裏で、何度言ってやりたかったでしょう。私は東風谷早苗を演じている、東風谷早苗なんだと。その薄汚い心の内に流れるルビコン川を、何度渡ってしまおうかと。
私は逃げ込みました。空想の世界へと逃げ込みました。
きっかけはもう分かりませんが、夢中になりました。漫画や、アニメーション、そうした世界に自分を置いて、どうにかしたかったのです。そうしている時だけ、私は本当に全然安心できたのかもしれません。
「早苗は本当にガンダムが好きだね」
神様が言いました。カエルをケロケロ言わせて言いました。
「諏訪子様、違う、違うのです。これは、マクロスなのです」
「早苗は本当にマクロスが好きだね」
神様が言いました。ヘビをガラガラ言わせて言いました。
「神奈子様、違う、違うのです。これは、エヴァンゲリオンなのです」
そうした二重生活を送っていくうちに、私は天啓を授かりました。
いや、もちろん、身近な神様方に言われたのではなく、こう、降ってきたのです。直接的に。
ああ、どうも身近に神がいると、神に関わる言葉や比喩が使いづらいですね。めんどくさい。
話を戻しますと、天啓を授かったのですよ、私は。
ちょうど確か、トイレから出てその照明を消した時でした。ロッカースイッチなのですが、幾分東風谷家は老朽化が激しいもので、スイッチをオフにしても、勝手に出っ張りが戻ってオンになってしまうのです。だからそれを防ぐために、爪楊枝を差し込んでいるのですが…まあ詳しいことはいいでしょう。
別に、私は、私の常識を隠す必要はないんじゃないかと。みんなにも、私の気持ちを理解してもらおうと、そう頑張ればいいんじゃないかと。そう思ったわけです。これが天啓の全容でした。
あまりにも灯台下暗しです。しかしこれを考え付いたときは、初めて自分が世界を動かせるほどの力をもつのではないかと、そんな躁に近い感覚を得て、現人神らしく、笑ったものです。ふふふ…私は現人神なんです。ちゃんと敬われなければならない存在なんですよ。
さて、私は動きました。まずは巫女らしく…ああ、そうなんです。私は巫女でもあるんです。というよりは風祝でしょうか。
私の神社は、それなりに名のあるものでしたが、電子によって結ばれて、見えない糸に引っ張られ続けるこの時代においては、悲しいことに廃れていったのです。かつては全国各地にあった分社も、今まともに機能しているのは長野の方にあるのくらいでしょうか。
とにかく二柱の布教を行い、あるべき、信ずるべきことを説きました。これには、私の思惑以外にも、もちろんその信仰の薄れが、とても問題になってきたのもあります。
「神様はいます、私には見えます」
ともかくとにかくとするならば、私は教えを説きました。親愛なる、尊敬してやまない神様がたのお話をしました。それはもう必死に、文字通り神がかり的に。
ああ、悲しいかな、どうやらこういうのは、時代の逆行者なのです。
最初は、あの早苗だから、ということもあってかみんなは面白おかしく聞いていたんでしょうが、私があまりにもマジになるものですから、やがて私は、とうとう離れられ、厄介者として、虐められるという訳になるのです。段階を踏んでそうなりましたが、ここで長々しく回想しても仕様がないでしょう。
あれだけ東風谷早苗というデータを払拭しようと努力し、それが叶わないことを理解した私が、ようやく自分の決意を固めて行動したら、あっという間に早苗ちゃんは気味悪がられ、度が過ぎる程の扱いになってしまうというこの現状は、おかしい話です。皮肉なものです。
そこには、以前からのデータも悪い方向に作用していたんだろうと、今更ながら思います。私のことを悪く思っていた人は、実の所少なくなかったのです。そりゃあ、あそこまでチヤホヤされて、何もせずとも喜ばれるのですから、条理でもあるのでしょう。
中々に酷いものでした。言葉だけならいいんですけど、手まで出されると流石に痛いのですから。
あれはあれで賢いので、上手い具合に痛めつけ方を知っているんです。お腹は、普段生きてるだけではあまり露出しない部分です。そりゃあ水泳が本業の人はそうでないでしょうが、加えて、私は別に海も好きでなかったものですから。
そこを蹴られると、やっぱり逆流しそうになるわけです。目玉が飛び出てしまうのでは無いかと、世界そのものが流転しているのではないかと、そんな振動を受けます。……もちろんそれは、地球の自転とは違う類いのものです。
相手は大概女子でした。たまに男子も混ざってましたが、恐らくあの時、私は全世界で最も嫉妬の体現者だったのです。
たまに私も、堪えきれずに言ってしまうことがあるんです。
「し、知らないですよ。私は可愛いので、だから人気だったんでしょうね。でもね、言わせてくださいよ。私だって嫌だったんですよ、私は、早苗が嫌いなんです。何も知らない癖に、ああそうですか、蹴って満足すればいいじゃないですか」
こちらもいっぱいいっぱいなので、もうめちゃくちゃでしょう。
そうするともっと酷い目にあうということです。
あまり人には言えないような、そんなこともされました。人間というのは、あそこまでやってのけるのかと、半ば驚きの連続です。
あの照明が常に切れかかっている、薄暗く汚いトイレで私は、あの日………ああ、やっぱりやめておきましょう。自然と指先が痙攣してしまうものですから。
不思議と私は、今語る分にはそこまで苦ではないのですが、たまに夢に見てしまって、寝付けないなんてこともあるのですから、やっぱり堪えているんでしょう。
私は泣くのが変な事だとは思わないのです。ずっと泣いてましたから、別にそれが、何か異常事態だという風にはならないわけです。
こうした私の状態に、両親はさぞ困ったでしょう。
二人の言い分は、学校が悪いのだと。
そうして私は、高校は私立の超名門高校へと入学することなりました。中高一貫校なのですが、高校からの転入も可能らしいのです。
きっと、本当にお金がかかったでしょう。勉強面は、私は不思議と出来る子だったので問題はなかったですが、費用面はそれはそれは苦しいものでしょう。家の車がいつの間にか無くなっていたあたり、やはりそうなんです。
神様方の話をしていませんでしたね。二柱は私に愛想を尽くしたのか、もう見えなくなってしまいました。最後にお話をしてから、二年以上経ってしまいます。
高校に入学、もう平穏な日々が送れればそれでいいと思っていましたが、どうやら私の他に一人、同じ中学からここに来た人がいました。そしてそれは、主犯格だったという訳です。これを奇跡と呼ばずして、なんでしょう。私は奇跡を起こしてしまったわけです。
結局の所、余り変わらない日々でした。流石に品がいい生徒が多いのか、暴力にまでは発展することはほとんどなくなりました。ただ、こっちはこっちで陰湿なことがあるわけですね。
例を挙げると、私が席を外して戻ったきた時です。鞄の中に、見知らぬノートがあるわけですね。表紙には『東風谷早苗』とだけ。私がタイトルのノートな訳です。
内容は一日一日、私にした事、私がしたことを永遠と書き連ねたものでした。
『六月十七日 午後四時十五分 早苗は手でトイレ掃除をし~』とか『七月一日 正午 早苗は今日も寝たふり。体育の時間で、突き指~』とか。これ以上はやめておきますが、そんな私の''生態''を綴ったノートということです。
私はさすがに何度か疲れ果ててしまって、死んでしまおうかとも考えました。それはなんというか、そこまで悲観的でもないのです。本当に、ただ、紛うことなき正解な気がして、実行しようとしただけなのでした。
既のところで踏みとどまりましたが、それも別に恐怖なんてものでは無いのです。死ぬ先もこうなんじゃないかと、つまり死んだところでこうならない保証はないじゃないかと考えたからです。
死はクーリングオフできませんから、私は慎重にならざるを得ませんでした。
でも、どこかで道を誤ったのか、と、そう聞かれれば私は答えに困ります。私には分からないのです。自分のことすら、どうだったのか分からないわけです。
手段として、カントに中指を突きつける者たちに虐げられる私は、もう何も考えたくないのです。
しかし不思議とどこかで、こうなる早苗を受け入れているのでした。それは自分の罪を認識していたからかもしれません。
もちろんここで原罪について語ろうなんて気はありません。私はキリストよりももっと身近な神を知っていますし、自分のことをヨセフのような悲劇の主人公とも思っていません。それはもっと、浅くて単純な罪なのです。
人を導くはずの神が、己一人まともに操作できないというのは、これは、繰り返し申し上げる通り、気味悪いのです。
だから私は、きっと、神様失格なんでしょう。
私にはこれを気味の悪い、と表現するほかないのです。それ以上に適切な語彙と、未だに逢着し得ないのです。
生まれは東京の、ちょっとした山々の神社で、そこで育ちました。と言っても、実際は神社で過ごした期間よりも、そのやたら長ったらしい、幾星霜を重ねた石階段を下って、遠目には霧がかったビル群が確認できる木と木の間の、まさしく獣道を歩き、そしてそこから開けた道路に出て、いくらか道を曲がった先にある家で過ごしました。
父と母は教養のある人だったので、私は本を沢山読まされました。最初は絵本や童話、歳を重ねるに連れて純文学や、簡単な哲学書等。別に苦だった訳では無いですが、なによりもその顔色を伺うような生活が嫌でした。それに私は、哲学というものが大の嫌いでありました。一番嫌いなのはカントとかいう、ドイツあたりの権威ぶった男です。
なんですか目的の国って。人間はそんなに、一々手段と目的とを考えられるほど賢いわけないじゃないですか。
常識というものを疑ったのは、幼稚園に収容され始めた時期でした。私に見えるものが、他の人には見えないという、ただそれだけなのです。
当たり前のように諏訪子様と神奈子様とを認めていた私からしてみれば、やはりこれも、気味悪いのです。
「早苗は面白い子だね」
「良かったわね、神様なんて」
父と母がこんなふうに言うのを、確かに私は子供ながらに違和感でした。
そして二人の神様は、そんな私を見て変な顔をするんです。
同年代の子と出会って、どうにかして私の当たり前を共有したいと、躍起になりました。
しかしどうやら、その試行錯誤を繰り返すうちに、やがて、ようやく、私は徒労を知ったのです。
ですから私は、とにかく、常識がどこまで常識なのか、それが私と同じ色合いを含んだ常識なのか、先ず疑ってかかるようになってしまったのです。
何かことがある度に、目にする度に、あるいは耳にする度に、やれこれは本当なのか?やれこれは実在しているのか、それはつまり、みんなのものなのか。
そうしたその疑いの目が、私を、私の人生以上に気味の悪い存在に仕立てあげた張本人なのでしょう。ひねくれすぎて、あらゆる箇所が折れ曲がってしまった東風谷早苗を作り出した正体は、そうした悪習だったのです。ちょうど、毒色の湖のそばで控えている、枝々が複雑に曲がったそれが、恐らくともかく私なんじゃないでしょうか。
私はひとしきりそうした事に絶望した後に、周りの求める東風谷早苗であろうとしました。
きっと早苗はこうだろう、早苗ちゃんならこうだ、東風谷さんは多分こうする、というようなことです。
私は誰かと視線を交える時に、その瞳が捉える私を見つめています。私は、私を見るのです。コミュニケーションというのが対話なのであれば、これは断じて、そうしたものではないのです。鏡かと言われれば、それもまた違うのです。他者というフィルターを通して映し出された私を見るのですから、それは厳密には鏡ではなく、やはり、映写機でしょう。
ある時、私が東風谷早苗を演じている時に、ある女の子が言いました。確か夏のはじまり時だったような、そんな気がします。残念ながら彼女の名前は覚えていませんが、この出来事は常に頭にあるのです。
「早苗ちゃんって、テレビみたいだよね!」
私は、未だ二桁すら到達しない年齢であり、また、彼女もそうでしょう。彼女は自分の内にある、その短い年月を考慮すると当然な、少ない少ない語彙の中で、私を看破してしまったのです。
そして愕然とし、恐怖しました。私はモニター越しに映るような、そんな人間なのです。視聴者のニーズに応えるだけの、道化でありました。人が求める姿を追求した、私の、その仮面の裏側でした。
その子は他の子から意味がわからない、と、そんなふうに非難されていましたが、私は、ただ、もう恐ろしくて仕方がないのです。
そうした私のその様子を、落ち込んでいる、悲しんでいる、そんなふうに捉えたのか、その非難は舌先の攻撃へと変わり、私を正確に捉えていた彼女は、いよいよもって学校に来なくなってしまいました。私の演ずる東風谷早苗は、視聴者にはあまりにも好評だったので、私は学校で一番の中心にいたのです。自惚れでなく、私は人気だったのでしょう。
私はそれより、もう気味が悪すぎて嫌になってしまいました。何かする気も起きず、初等教育を終えます。私がどんなことをしたって塗り替えられなかったのです。東風谷早苗というデータは、あまりにも鮮やかすぎて、何をするにもただ心配を招くだけでした。
試しにじっと黙ってみると、「早苗ちゃんどうしたの?」これが私の心臓を貫きます。
今度は馬鹿らしいことをしてみます。すると、笑いの渦が私を漂着させます。
最後に、身近な誰かを酷く言ってみます。人間というのは、誠実で優しいのが好まれる訳ですし、これはもう大丈夫だろう、と。しかし、するとどうでしょう。その私の対象が、バッシングの嵐です。私は急いで取り下げて、その子を守りました。
中等教育の段階に入っても、事態は変化しませんでした。なんなら悪化したのではないかとそんな気概すら起きます。
「東風谷さん!ずっと前から好きでした!」
「俺、早苗の事がずっと、好きで…」
「お願いします!付き合ってください!」
こういうことを言われる度に、私は本当に血反吐をぶちまけて、世界からぽっかりと消えてしまいたいと思うのです。存在そのものが諧謔であり、これ以上ないほどに、私は長靴なのです。雨のない日の、長靴だということです。
「ごめんなさい」
この一言の裏で、何度言ってやりたかったでしょう。私は東風谷早苗を演じている、東風谷早苗なんだと。その薄汚い心の内に流れるルビコン川を、何度渡ってしまおうかと。
私は逃げ込みました。空想の世界へと逃げ込みました。
きっかけはもう分かりませんが、夢中になりました。漫画や、アニメーション、そうした世界に自分を置いて、どうにかしたかったのです。そうしている時だけ、私は本当に全然安心できたのかもしれません。
「早苗は本当にガンダムが好きだね」
神様が言いました。カエルをケロケロ言わせて言いました。
「諏訪子様、違う、違うのです。これは、マクロスなのです」
「早苗は本当にマクロスが好きだね」
神様が言いました。ヘビをガラガラ言わせて言いました。
「神奈子様、違う、違うのです。これは、エヴァンゲリオンなのです」
そうした二重生活を送っていくうちに、私は天啓を授かりました。
いや、もちろん、身近な神様方に言われたのではなく、こう、降ってきたのです。直接的に。
ああ、どうも身近に神がいると、神に関わる言葉や比喩が使いづらいですね。めんどくさい。
話を戻しますと、天啓を授かったのですよ、私は。
ちょうど確か、トイレから出てその照明を消した時でした。ロッカースイッチなのですが、幾分東風谷家は老朽化が激しいもので、スイッチをオフにしても、勝手に出っ張りが戻ってオンになってしまうのです。だからそれを防ぐために、爪楊枝を差し込んでいるのですが…まあ詳しいことはいいでしょう。
別に、私は、私の常識を隠す必要はないんじゃないかと。みんなにも、私の気持ちを理解してもらおうと、そう頑張ればいいんじゃないかと。そう思ったわけです。これが天啓の全容でした。
あまりにも灯台下暗しです。しかしこれを考え付いたときは、初めて自分が世界を動かせるほどの力をもつのではないかと、そんな躁に近い感覚を得て、現人神らしく、笑ったものです。ふふふ…私は現人神なんです。ちゃんと敬われなければならない存在なんですよ。
さて、私は動きました。まずは巫女らしく…ああ、そうなんです。私は巫女でもあるんです。というよりは風祝でしょうか。
私の神社は、それなりに名のあるものでしたが、電子によって結ばれて、見えない糸に引っ張られ続けるこの時代においては、悲しいことに廃れていったのです。かつては全国各地にあった分社も、今まともに機能しているのは長野の方にあるのくらいでしょうか。
とにかく二柱の布教を行い、あるべき、信ずるべきことを説きました。これには、私の思惑以外にも、もちろんその信仰の薄れが、とても問題になってきたのもあります。
「神様はいます、私には見えます」
ともかくとにかくとするならば、私は教えを説きました。親愛なる、尊敬してやまない神様がたのお話をしました。それはもう必死に、文字通り神がかり的に。
ああ、悲しいかな、どうやらこういうのは、時代の逆行者なのです。
最初は、あの早苗だから、ということもあってかみんなは面白おかしく聞いていたんでしょうが、私があまりにもマジになるものですから、やがて私は、とうとう離れられ、厄介者として、虐められるという訳になるのです。段階を踏んでそうなりましたが、ここで長々しく回想しても仕様がないでしょう。
あれだけ東風谷早苗というデータを払拭しようと努力し、それが叶わないことを理解した私が、ようやく自分の決意を固めて行動したら、あっという間に早苗ちゃんは気味悪がられ、度が過ぎる程の扱いになってしまうというこの現状は、おかしい話です。皮肉なものです。
そこには、以前からのデータも悪い方向に作用していたんだろうと、今更ながら思います。私のことを悪く思っていた人は、実の所少なくなかったのです。そりゃあ、あそこまでチヤホヤされて、何もせずとも喜ばれるのですから、条理でもあるのでしょう。
中々に酷いものでした。言葉だけならいいんですけど、手まで出されると流石に痛いのですから。
あれはあれで賢いので、上手い具合に痛めつけ方を知っているんです。お腹は、普段生きてるだけではあまり露出しない部分です。そりゃあ水泳が本業の人はそうでないでしょうが、加えて、私は別に海も好きでなかったものですから。
そこを蹴られると、やっぱり逆流しそうになるわけです。目玉が飛び出てしまうのでは無いかと、世界そのものが流転しているのではないかと、そんな振動を受けます。……もちろんそれは、地球の自転とは違う類いのものです。
相手は大概女子でした。たまに男子も混ざってましたが、恐らくあの時、私は全世界で最も嫉妬の体現者だったのです。
たまに私も、堪えきれずに言ってしまうことがあるんです。
「し、知らないですよ。私は可愛いので、だから人気だったんでしょうね。でもね、言わせてくださいよ。私だって嫌だったんですよ、私は、早苗が嫌いなんです。何も知らない癖に、ああそうですか、蹴って満足すればいいじゃないですか」
こちらもいっぱいいっぱいなので、もうめちゃくちゃでしょう。
そうするともっと酷い目にあうということです。
あまり人には言えないような、そんなこともされました。人間というのは、あそこまでやってのけるのかと、半ば驚きの連続です。
あの照明が常に切れかかっている、薄暗く汚いトイレで私は、あの日………ああ、やっぱりやめておきましょう。自然と指先が痙攣してしまうものですから。
不思議と私は、今語る分にはそこまで苦ではないのですが、たまに夢に見てしまって、寝付けないなんてこともあるのですから、やっぱり堪えているんでしょう。
私は泣くのが変な事だとは思わないのです。ずっと泣いてましたから、別にそれが、何か異常事態だという風にはならないわけです。
こうした私の状態に、両親はさぞ困ったでしょう。
二人の言い分は、学校が悪いのだと。
そうして私は、高校は私立の超名門高校へと入学することなりました。中高一貫校なのですが、高校からの転入も可能らしいのです。
きっと、本当にお金がかかったでしょう。勉強面は、私は不思議と出来る子だったので問題はなかったですが、費用面はそれはそれは苦しいものでしょう。家の車がいつの間にか無くなっていたあたり、やはりそうなんです。
神様方の話をしていませんでしたね。二柱は私に愛想を尽くしたのか、もう見えなくなってしまいました。最後にお話をしてから、二年以上経ってしまいます。
高校に入学、もう平穏な日々が送れればそれでいいと思っていましたが、どうやら私の他に一人、同じ中学からここに来た人がいました。そしてそれは、主犯格だったという訳です。これを奇跡と呼ばずして、なんでしょう。私は奇跡を起こしてしまったわけです。
結局の所、余り変わらない日々でした。流石に品がいい生徒が多いのか、暴力にまでは発展することはほとんどなくなりました。ただ、こっちはこっちで陰湿なことがあるわけですね。
例を挙げると、私が席を外して戻ったきた時です。鞄の中に、見知らぬノートがあるわけですね。表紙には『東風谷早苗』とだけ。私がタイトルのノートな訳です。
内容は一日一日、私にした事、私がしたことを永遠と書き連ねたものでした。
『六月十七日 午後四時十五分 早苗は手でトイレ掃除をし~』とか『七月一日 正午 早苗は今日も寝たふり。体育の時間で、突き指~』とか。これ以上はやめておきますが、そんな私の''生態''を綴ったノートということです。
私はさすがに何度か疲れ果ててしまって、死んでしまおうかとも考えました。それはなんというか、そこまで悲観的でもないのです。本当に、ただ、紛うことなき正解な気がして、実行しようとしただけなのでした。
既のところで踏みとどまりましたが、それも別に恐怖なんてものでは無いのです。死ぬ先もこうなんじゃないかと、つまり死んだところでこうならない保証はないじゃないかと考えたからです。
死はクーリングオフできませんから、私は慎重にならざるを得ませんでした。
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手段として、カントに中指を突きつける者たちに虐げられる私は、もう何も考えたくないのです。
しかし不思議とどこかで、こうなる早苗を受け入れているのでした。それは自分の罪を認識していたからかもしれません。
もちろんここで原罪について語ろうなんて気はありません。私はキリストよりももっと身近な神を知っていますし、自分のことをヨセフのような悲劇の主人公とも思っていません。それはもっと、浅くて単純な罪なのです。
人を導くはずの神が、己一人まともに操作できないというのは、これは、繰り返し申し上げる通り、気味悪いのです。
だから私は、きっと、神様失格なんでしょう。
面白かったです
自分の半生を振り返りながら否定し続ける早苗さんが見ていてつらかったです