①感情の針金芸術
人里の一角、建材置き場じみた公園がそこにある。
近所の寺子屋に通う里の子供が出入りしているうちに整備され、近頃ようやく正式に公園と呼ばれるようになった。
そんな古いような新しいような公園の中心に鎮座する、少々場違いな様式の幅広いベンチに秦こころは腰掛けていた。
何やら、針金をいじくり回して工作にうちこんでいる。
手元でぐねぐねと針金を折り曲げて、ああでもないこうでもないと考え込む姿は、初めてもらった知恵の輪を睨む少女にも見えた。
いつもはせわしなく動く面も所在なさげで、主の意志を問いかけるように周囲をうろついているようにも見える。
そこに背後から突然古明地こいしが問う。
「集中の面はどれかしら?」
そう耳元で囁いて、遠慮なさげに肩から手元を覗き込んだ。
「うおっ!これは驚愕の面…ってあっ」
がしゃーん。
こころは突然の囁き声に飛び上がり、膝に載せていた針金材料一式を派手にぶちまけることになったのであった。
「あははー。お邪魔しちゃった?」
こいしは頬をかきながら朗らかに笑う。
「いや、落としただけだから」
横槍に少しは腹が立ったけれど、久々に友人に会えた喜びが上回った。こいしと意図して会うことは姉でさえ難しいのだ。
それに、こいしの友人をやっているとこの程度で怒っても仕方がないことだってわかっていた。
二人は落とした針金を粛々と拾い集めるために座り込む。遠目に見れば四葉のクローバーを探す少女たちだ。
「まったく、貴様のおかげで苦労して買った材料がバラバラだ」
口先ではごまかすものの、思わず再会の喜びの面を浮かべてしまう。面霊気の性である。
こうした単純さが動物じみていて、こいしは彼女を気に入っているのかもしれない。
「はーいはい。ところでこれって人形でも作ってるの?針金ばっかしだけど」
「針金芸術……という類のものらしい」
くいと合図され、こいしが先ほどまで腰かけていたベンチを見やる。
その作品は……作品というより、やけくそ絡まった金属にしか見えなかった。
「題名を当ててあげる。うーん…………毛玉!」
「……まあそんなとこ」
こいしは楽しそうでも、こころはモヤモヤとした無表情だ。別にどんなときも無表情なのだけど、この無表情には少しのやりきれなさが混じっている。そんな無表情だ。
「……こういう気持ちになったときに面が欲しくて、あれは新しい面を作ろうとしたの」
声には作品のテーマが伝わらなかった落胆が混じる。悲哀の面がふさわしいのか遠慮げに漂う。
それにこいしは無責任に励ましてみせた。
「あー、あー面霊気もモダニズムの風を吹き込もうというわけなのね。いいよこころちゃん!その表現者としてのチャレンジ精神!とってもコンテンポラリー!」
自分でもあまり意味のわからないことを言いながらこいしはこころの背中をパンパンと叩く。
きっとこれでも励ましているのである。適当を言っているのか判別つかない感じだが。
ただ、こころは思わぬこいしの芸術へのボキャブラリーに驚いた。
「もしかして、こいしって結構そういうのわかるの?」
「えー、どうだろうね?これでも地底のご令嬢だからじゃないかな。お姉ちゃん的にはどっちかというと放蕩娘って感じかもしれないけど」
「な、なんと。そんな英才教育を受けた芸術大家がこんな近くにいようとは」
「ま、まあ見る専だけど……」
実のところ大してわかるわけでもなく褒められ、ちょっと照れ気味なこいしである。
「しかし、そうサラッと批評的なワードが出てくるなんて」
こいしは正直、あの程度でよく食らいつくなと思わなくもなかったが、なんだかまんざらでもなくなってきた。
「あーそういえば、エントランスに像(”スタチュー”と読むのを忘れない)を置いたりはしてたっけ?」
単に死体を剥製にして置いただけのものである。こいし自身盛りまくりでありなのはわかっていて心なしか目が泳いでいる。しかしこの未熟な面霊気にはそれを読む機微が足りなかった。
「す、すたちゅー!?なんとソウルにスカルプチュアな響きっ!もしやなんと彫刻を嗜むとっ!?」
「まーねー。瞳閉ざした分エネルギーマックスでイドがエゴエゴっていうか?お姉ちゃんと違って?旅をしているから?表現力というか、そういうのが違うっていうか?」
「すげーっ!すっげっー!」
クリエイターに出会って付喪神の端くれとしてのテンションが無表情に天元突破のこころだが、ここではたと気付く。
「も、もしや瞳を閉ざした理由も……?」
完全に勘違いである。
「あ、ありていに言えば、表現の修行だよね。正解がわかってたらつまらないっていうかさ?」
完全に出まかせである。
「うおおおお!なんてこったい!究極の芸術妖怪がここにいた!」
こころのテンションはマッハ、もはや一種の信仰に近い感情で希望の面を掲げる始末だ。
だって、こころ自身、あのおしゃれな地霊殿には以前の騒動でちょっとお邪魔した。
その『あのハイカラな屋敷』に置かれる『彫像の作者』という肩書きは、こいしの適当な発言の真実からこころを遠ざけるに充分ば響きだったのである。
こいしはというと、(やべーこういう調子の乗り方は慣れてなかったし無意識解けてるわ)と半ば自分の口から出た言葉に後悔をしつつ、穏やかな終着点を探ろうしている。
「いや、そのー……まあ無意識っていうね」
思わず口に出る無意識。完全な言い逃れモードだ!
これは古明地こいし検定二級(保持者一名)の試験には出ない、劇レアシチュエーションである。
そんな状況をつゆしらずとも、こころのテンションはうなぎ上りである。
付喪神にとって優れた創作者というのはまさに創造神に近いのだから仕方ない。
「ちょ、ちょっと待てこいし……すぅーーっ、はぁああああ」
「何の深呼吸なのこころちゃん」
「落ち着きたくて」
「そのレベルに」
こころは今にも踊らんばかりであったが、こらえるために再び深呼吸をした。
こいしもラマーズ法を重ねて付き合う。
ひとしきり落ち着くと、こころは希望の面を両手で掲げ、ずいと迫った。
「どうか、ここでひとつ、一緒に新しい面を作ってはいただけないだろうか!私には”はいから”で”もだん”な近代の面がわからんのだ!」
「手伝いたいのは山々なんだけどねー?わたしもこころちゃんの面の作風とはちょっとわからないかなー……みたいな……」
「だからこそっ!頼みたいっ!こころの友よ!」
こいしはずいっと間の抜けた希望の面と乗り出してる友に引きつつも、(この面のレベルなら正直なにやってもいけるのでは)と若干舐めた発想を抱きつつもあった。
ただ、こいしはこころからの信仰パワーをわずかながらも受けた結果、衝動のなかに常識が蘇りつつあった。
「やっぱり私には荷が重すぎるっていうか……希望の面みたいなのはちょっと……」
貴重なこいしの常識ぶりである。
これは、古明地こいし検定一級(保持者一名)の試験にも出ない、劇レアシチュエーションである!
「そうか……」
がっくり。
持ち上げた面をそのままに、こころはうなだれていく。
「確かに私の修行を友人に手伝ってもらうわけにはいかない。それにこいしの求道への覚悟を邪魔するわけにもいかない。さっきのは忘れてくれ……」
そう言うと踊らんばかりの元気はどこへやら、哀しみの面を額に張り付かせ、スタスタと毛玉的謎オブジェが待つベンチにこころは戻ろうとする。
そのテンションの落差はあまりに激しく、散歩に行こうとしたのに台風だった時の犬のような風情だった。背中だけでこいしにも哀れみを覚えさせるほどであった。
「久しぶりだから上手く出来るかわからないけど、やってみようかな!」
思わず口から出てしまった。
これは古明地こいし検定初段(保持者一名)の試験にも出ない、劇レアシチュエーションである。
剣道三倍段という言葉はご存知だろうか。
そういうことだ。
「マジで!?」
「マジマジ、乗りかかった泥船?だしね」
「やったぜ」
これにはこころちゃんもグッと元気なガッツポーズである。
二人のノリについていける存在はいない。今日も幻想郷は平和だ。
翌日の同時刻。
こいしは適当に旧地獄の設備やら道具やら拝借してやってきた。こころから信仰を寄せられたためか、無意識抑え気味のハイテンションである。
無意識抑え気味の証拠として、なんと約束の時間にきっちり来ているではないか。一種の僥倖だ。
お燐から徴収した猫車を片手に、こいしは公園の中心で音頭をとった。
「じゃあ、新しい感情のお面を作るぞー!」
「うおーっ」
こころは希望の面を浮かばせながらも相変わらずの無表情でレスポンスをする。
他の妖怪であれば職務質問待ったなしだが、この光景はなんの演目の練習かと道ゆく人が逆に見逃す光景であった。
「芸術は友情パワだーっ!」
「うぉーっ」
「こいここで300万パワーだぁー!!」
「ではご安全に!」
「ヨシ!」
そして日が暮れて──
──夕暮れ時のベンチで満足げに黄昏る二人の姿があった。
労働の喜びもひとしおである。首にかけたタオルで汗をぬぐいながら、こいしはごきゅごきゅとソーダを飲んでいた。
遠くでカラスがカーカーと鳴いている。
「今日は楽しかったね。ありがとう、こころちゃん」
「礼を言うのは私の方さ」
こころはこいしにサムズアップした拳を向けて、こいしもそれに拳で答える。
「へ、よせやい太陽に乾杯さ」
二人の絆を象徴するような美しい針金――
――いや、巨大なパイプ建築の芸術が公園の中央には残されていた。
ふと無意識から帰ってきたこいしが呟く。
「これ、ジャングルジムじゃねえ?」
「なんじゃこりゃあああ」
「やるの遅いよ」
太陽にほえろじみたテレフォンな咆哮はそろそろ伝るか微妙になってきていた。
そういうので思わずスンとしたこころは独白する。
「正直悪ノリが過ぎたとは途中では思ってた」
「私は完全に無意識で何も覚えてない。完全に芸術がどうとか忘れてたんだと思う」
「針金芸術って路線すらもう亡失のエモーションだったなあ」
寺子屋が終わる。予鈴の鐘が遠くから響いた。
しばしするといつも通り集った子供たちは、新しい遊具に無邪気に群がり、遊び方を教えられもせずにジャングルジムで楽しんでいた。
眺めるのはいかなる胸中か、こころがぽつりと口を開く。
「まーそれはそれって感じだし、今回はジャングルジムでいいか」
しかし、こいしは浮かない声で答える。
「……無意識で建材使っちゃったけど怒られないかな」
「おい無意識って言えば済むと思うなよ」
「てへ、意識してました」
「尚更じゃあああ!」
こころ、キレた……!
「おーい!お嬢さんがた!待ってくれ!」
そして駆け寄ってくるオヤジ──そう、まさに隣の現場から材料を拝借された棟梁のオヤジである。
雷オヤジだ完全に叱られるんだ。思わずそう思った悪ガキ二人だったが
「おう嬢ちゃんたち!えらいもん作るじゃねえか!」
普通に賞賛されてしまった。
「いやあ、まさかこれほど立派な大工仕事をするとは。妖怪ってのは本当に面白いもんだ」
繰り返しそのようなことをつぶやきながらも帰っていったオヤジは終始オブジェクトの出来栄えに満足げだった。
話すところによると、なんと棟梁のオヤジは子供たちの容赦ない暴れっぷりをがっちり抱擁するそのオブジェクトを組み立てた腕に惚れ込んだようで、最終的に勝手に材料代もいらないという太っ腹を見せて帰っていったのである。
こいしはスペルカード『袖符「 空白の領収書 〜旧地獄地霊殿 様宛〜」』を切らずに済んだことに内心胸をなでおろした。このスペルカードは無意識がマッハしたときの最終手段なのである。姉の胃が即死する効果を持つ。
まったくたいしたオヤジの太っ腹に地霊殿は救われた形であるが、帰ってから細君やらに赤字を叱られるのだろう。
その他、最初は多少の警戒心で見守っていた自警団やら大工やら大人たちも、ひとしきり頑丈さに舌をまけばすっかり安心ムードで、代わる代わるやってきては二人を褒め称えるのであった。
これにはこいしちゃんもえへへと大満足である。
だがしかし、相棒の面霊気にはなんとも言えぬ感情がたまるばかりだ。
こう、言葉を探さないといけない系の、いちいち面にはならないそういうやつがたまっていった。あまりにボケ殺しが多すぎるのだ。その中で次第に『なんとも言えない感情の面』が欲しいなとか考えだすのはのは当然と言えよう。
そんな相棒をよそにひとしきり褒められテカテカのこいしである。
「いやはや私の無意識題芸術が炸裂してしまったわーさすがこめいじ、さすめいじ」
そんな相方の水をさしかねないようなことを悩みながら問わずにはいられずこころさん、必死に当てはまる面を出しかねながらも、問いを絞り出した。
「あれは、芸術なのかな」
「チッチッチ、そこが私の無意識の軌跡が残した肝なんだよ。いま気付いた」
こいしは得意気に指を振りながら答える。
「『Ceci ñ'est pas une playground equipment』、これは遊具ではありませんというタイトルです」
「な、なんと」
「かの有名なジャングルジム。こいつのおかげでどれだけいろんな連中から非難されてきたことだろうか!でも、私のこのジャングルジムに悪意を詰めることができるかね?できやしない。これは単なる表現だよ、違うかね? だから、もし私がこの芸術に『これはジャングルジムではない』 と書き込んでいたら、私は嘘をついたことになったはずだ。そうだろうワトソンくん。失われた遊具への幻想郷的なアクトなのだよ」
これには草葉の蔭のシュールレアリストたちも総立ちであろう。マグリットのゴルコンダってそういう弾幕だよね。そうこいしは作者の意図を完全に理解した満足感にひとりごちた。
「な、なんだってーっ!?そんな深いテーマがあったなんて!」
諸手を上げるほどびっくりである、究極汎用人工知能は近い。AGIスター生命に入らなければ。え?AIGスター生命保険なんだ?そう……。
そんなことがあって、二人には次にやるべきことが理解出来た。
「じゃあ題材の解説も何だし、看板を立てようか」
「そうだね。ここをモダンアートの聖地としよう」
そして、『Ceci ñ'est pas une playground equipment』はこの公園の公共の名物になった。これが幻想郷のアートに新しい風を吹き込むことになるのだろうか。もっぱら仏語のカリグラフィが格好良いとの評判だ。
「ところで、私、あの針金の毛玉を『なんとも言えない表情』の面に決めたんだ」
「あ、捨ててなかったの」
「捨てるだなんて、ほら」
ぐちゃぐちゃの線が霊気をまとって、こころの無表情を注釈する。
「どう似合う?」
「うわびっくりした普通にどの面よりもわかりやすいね」
額のあたりに当てて見せられるとよく見る漫画表現になっていたので、こいしは素直な驚きを覚えた。
思わず瞳を閉じるのを忘れそうになったほどである。
これは、古明地こいし検定皆伝(保持者一名)の試験にも出ない、劇レアシチュエーションである。つまり宮本武蔵レベルだ。
「ありがとう。芸術の友よ。私は新たなる境地を得られた」
こころは首を傾げつつも、モヤモヤの飾りをつけて満足げ?に去っていく。
こうして、こころは言葉に出来ないモヤモヤをいつでも表明できるようになったという。
こいしはというと、希望の面の時と同様すっかり味をしめ、創作活動での物資強奪を姉に怒られないよう名を隠しながらも芸術を続けることとなる。
その徹底された匿名性と神出鬼没さ、パクりスレスレのカットアップも厭わないレジスタンス精神が、草の根同盟を中心とする根無し草アート同盟から共感をよび、人里での妖怪芸術であると見出されることによって一世を風靡することになるのだった。
これが、後の幻想郷のバンクシー、古明地こいしの誕生の瞬間である。
彼女の作品の前でもやもやしてると、時折その心を読みにくるさとり妖怪が現れるとか現れないとか。
人里の一角、建材置き場じみた公園がそこにある。
近所の寺子屋に通う里の子供が出入りしているうちに整備され、近頃ようやく正式に公園と呼ばれるようになった。
そんな古いような新しいような公園の中心に鎮座する、少々場違いな様式の幅広いベンチに秦こころは腰掛けていた。
何やら、針金をいじくり回して工作にうちこんでいる。
手元でぐねぐねと針金を折り曲げて、ああでもないこうでもないと考え込む姿は、初めてもらった知恵の輪を睨む少女にも見えた。
いつもはせわしなく動く面も所在なさげで、主の意志を問いかけるように周囲をうろついているようにも見える。
そこに背後から突然古明地こいしが問う。
「集中の面はどれかしら?」
そう耳元で囁いて、遠慮なさげに肩から手元を覗き込んだ。
「うおっ!これは驚愕の面…ってあっ」
がしゃーん。
こころは突然の囁き声に飛び上がり、膝に載せていた針金材料一式を派手にぶちまけることになったのであった。
「あははー。お邪魔しちゃった?」
こいしは頬をかきながら朗らかに笑う。
「いや、落としただけだから」
横槍に少しは腹が立ったけれど、久々に友人に会えた喜びが上回った。こいしと意図して会うことは姉でさえ難しいのだ。
それに、こいしの友人をやっているとこの程度で怒っても仕方がないことだってわかっていた。
二人は落とした針金を粛々と拾い集めるために座り込む。遠目に見れば四葉のクローバーを探す少女たちだ。
「まったく、貴様のおかげで苦労して買った材料がバラバラだ」
口先ではごまかすものの、思わず再会の喜びの面を浮かべてしまう。面霊気の性である。
こうした単純さが動物じみていて、こいしは彼女を気に入っているのかもしれない。
「はーいはい。ところでこれって人形でも作ってるの?針金ばっかしだけど」
「針金芸術……という類のものらしい」
くいと合図され、こいしが先ほどまで腰かけていたベンチを見やる。
その作品は……作品というより、やけくそ絡まった金属にしか見えなかった。
「題名を当ててあげる。うーん…………毛玉!」
「……まあそんなとこ」
こいしは楽しそうでも、こころはモヤモヤとした無表情だ。別にどんなときも無表情なのだけど、この無表情には少しのやりきれなさが混じっている。そんな無表情だ。
「……こういう気持ちになったときに面が欲しくて、あれは新しい面を作ろうとしたの」
声には作品のテーマが伝わらなかった落胆が混じる。悲哀の面がふさわしいのか遠慮げに漂う。
それにこいしは無責任に励ましてみせた。
「あー、あー面霊気もモダニズムの風を吹き込もうというわけなのね。いいよこころちゃん!その表現者としてのチャレンジ精神!とってもコンテンポラリー!」
自分でもあまり意味のわからないことを言いながらこいしはこころの背中をパンパンと叩く。
きっとこれでも励ましているのである。適当を言っているのか判別つかない感じだが。
ただ、こころは思わぬこいしの芸術へのボキャブラリーに驚いた。
「もしかして、こいしって結構そういうのわかるの?」
「えー、どうだろうね?これでも地底のご令嬢だからじゃないかな。お姉ちゃん的にはどっちかというと放蕩娘って感じかもしれないけど」
「な、なんと。そんな英才教育を受けた芸術大家がこんな近くにいようとは」
「ま、まあ見る専だけど……」
実のところ大してわかるわけでもなく褒められ、ちょっと照れ気味なこいしである。
「しかし、そうサラッと批評的なワードが出てくるなんて」
こいしは正直、あの程度でよく食らいつくなと思わなくもなかったが、なんだかまんざらでもなくなってきた。
「あーそういえば、エントランスに像(”スタチュー”と読むのを忘れない)を置いたりはしてたっけ?」
単に死体を剥製にして置いただけのものである。こいし自身盛りまくりでありなのはわかっていて心なしか目が泳いでいる。しかしこの未熟な面霊気にはそれを読む機微が足りなかった。
「す、すたちゅー!?なんとソウルにスカルプチュアな響きっ!もしやなんと彫刻を嗜むとっ!?」
「まーねー。瞳閉ざした分エネルギーマックスでイドがエゴエゴっていうか?お姉ちゃんと違って?旅をしているから?表現力というか、そういうのが違うっていうか?」
「すげーっ!すっげっー!」
クリエイターに出会って付喪神の端くれとしてのテンションが無表情に天元突破のこころだが、ここではたと気付く。
「も、もしや瞳を閉ざした理由も……?」
完全に勘違いである。
「あ、ありていに言えば、表現の修行だよね。正解がわかってたらつまらないっていうかさ?」
完全に出まかせである。
「うおおおお!なんてこったい!究極の芸術妖怪がここにいた!」
こころのテンションはマッハ、もはや一種の信仰に近い感情で希望の面を掲げる始末だ。
だって、こころ自身、あのおしゃれな地霊殿には以前の騒動でちょっとお邪魔した。
その『あのハイカラな屋敷』に置かれる『彫像の作者』という肩書きは、こいしの適当な発言の真実からこころを遠ざけるに充分ば響きだったのである。
こいしはというと、(やべーこういう調子の乗り方は慣れてなかったし無意識解けてるわ)と半ば自分の口から出た言葉に後悔をしつつ、穏やかな終着点を探ろうしている。
「いや、そのー……まあ無意識っていうね」
思わず口に出る無意識。完全な言い逃れモードだ!
これは古明地こいし検定二級(保持者一名)の試験には出ない、劇レアシチュエーションである。
そんな状況をつゆしらずとも、こころのテンションはうなぎ上りである。
付喪神にとって優れた創作者というのはまさに創造神に近いのだから仕方ない。
「ちょ、ちょっと待てこいし……すぅーーっ、はぁああああ」
「何の深呼吸なのこころちゃん」
「落ち着きたくて」
「そのレベルに」
こころは今にも踊らんばかりであったが、こらえるために再び深呼吸をした。
こいしもラマーズ法を重ねて付き合う。
ひとしきり落ち着くと、こころは希望の面を両手で掲げ、ずいと迫った。
「どうか、ここでひとつ、一緒に新しい面を作ってはいただけないだろうか!私には”はいから”で”もだん”な近代の面がわからんのだ!」
「手伝いたいのは山々なんだけどねー?わたしもこころちゃんの面の作風とはちょっとわからないかなー……みたいな……」
「だからこそっ!頼みたいっ!こころの友よ!」
こいしはずいっと間の抜けた希望の面と乗り出してる友に引きつつも、(この面のレベルなら正直なにやってもいけるのでは)と若干舐めた発想を抱きつつもあった。
ただ、こいしはこころからの信仰パワーをわずかながらも受けた結果、衝動のなかに常識が蘇りつつあった。
「やっぱり私には荷が重すぎるっていうか……希望の面みたいなのはちょっと……」
貴重なこいしの常識ぶりである。
これは、古明地こいし検定一級(保持者一名)の試験にも出ない、劇レアシチュエーションである!
「そうか……」
がっくり。
持ち上げた面をそのままに、こころはうなだれていく。
「確かに私の修行を友人に手伝ってもらうわけにはいかない。それにこいしの求道への覚悟を邪魔するわけにもいかない。さっきのは忘れてくれ……」
そう言うと踊らんばかりの元気はどこへやら、哀しみの面を額に張り付かせ、スタスタと毛玉的謎オブジェが待つベンチにこころは戻ろうとする。
そのテンションの落差はあまりに激しく、散歩に行こうとしたのに台風だった時の犬のような風情だった。背中だけでこいしにも哀れみを覚えさせるほどであった。
「久しぶりだから上手く出来るかわからないけど、やってみようかな!」
思わず口から出てしまった。
これは古明地こいし検定初段(保持者一名)の試験にも出ない、劇レアシチュエーションである。
剣道三倍段という言葉はご存知だろうか。
そういうことだ。
「マジで!?」
「マジマジ、乗りかかった泥船?だしね」
「やったぜ」
これにはこころちゃんもグッと元気なガッツポーズである。
二人のノリについていける存在はいない。今日も幻想郷は平和だ。
翌日の同時刻。
こいしは適当に旧地獄の設備やら道具やら拝借してやってきた。こころから信仰を寄せられたためか、無意識抑え気味のハイテンションである。
無意識抑え気味の証拠として、なんと約束の時間にきっちり来ているではないか。一種の僥倖だ。
お燐から徴収した猫車を片手に、こいしは公園の中心で音頭をとった。
「じゃあ、新しい感情のお面を作るぞー!」
「うおーっ」
こころは希望の面を浮かばせながらも相変わらずの無表情でレスポンスをする。
他の妖怪であれば職務質問待ったなしだが、この光景はなんの演目の練習かと道ゆく人が逆に見逃す光景であった。
「芸術は友情パワだーっ!」
「うぉーっ」
「こいここで300万パワーだぁー!!」
「ではご安全に!」
「ヨシ!」
そして日が暮れて──
──夕暮れ時のベンチで満足げに黄昏る二人の姿があった。
労働の喜びもひとしおである。首にかけたタオルで汗をぬぐいながら、こいしはごきゅごきゅとソーダを飲んでいた。
遠くでカラスがカーカーと鳴いている。
「今日は楽しかったね。ありがとう、こころちゃん」
「礼を言うのは私の方さ」
こころはこいしにサムズアップした拳を向けて、こいしもそれに拳で答える。
「へ、よせやい太陽に乾杯さ」
二人の絆を象徴するような美しい針金――
――いや、巨大なパイプ建築の芸術が公園の中央には残されていた。
ふと無意識から帰ってきたこいしが呟く。
「これ、ジャングルジムじゃねえ?」
「なんじゃこりゃあああ」
「やるの遅いよ」
太陽にほえろじみたテレフォンな咆哮はそろそろ伝るか微妙になってきていた。
そういうので思わずスンとしたこころは独白する。
「正直悪ノリが過ぎたとは途中では思ってた」
「私は完全に無意識で何も覚えてない。完全に芸術がどうとか忘れてたんだと思う」
「針金芸術って路線すらもう亡失のエモーションだったなあ」
寺子屋が終わる。予鈴の鐘が遠くから響いた。
しばしするといつも通り集った子供たちは、新しい遊具に無邪気に群がり、遊び方を教えられもせずにジャングルジムで楽しんでいた。
眺めるのはいかなる胸中か、こころがぽつりと口を開く。
「まーそれはそれって感じだし、今回はジャングルジムでいいか」
しかし、こいしは浮かない声で答える。
「……無意識で建材使っちゃったけど怒られないかな」
「おい無意識って言えば済むと思うなよ」
「てへ、意識してました」
「尚更じゃあああ!」
こころ、キレた……!
「おーい!お嬢さんがた!待ってくれ!」
そして駆け寄ってくるオヤジ──そう、まさに隣の現場から材料を拝借された棟梁のオヤジである。
雷オヤジだ完全に叱られるんだ。思わずそう思った悪ガキ二人だったが
「おう嬢ちゃんたち!えらいもん作るじゃねえか!」
普通に賞賛されてしまった。
「いやあ、まさかこれほど立派な大工仕事をするとは。妖怪ってのは本当に面白いもんだ」
繰り返しそのようなことをつぶやきながらも帰っていったオヤジは終始オブジェクトの出来栄えに満足げだった。
話すところによると、なんと棟梁のオヤジは子供たちの容赦ない暴れっぷりをがっちり抱擁するそのオブジェクトを組み立てた腕に惚れ込んだようで、最終的に勝手に材料代もいらないという太っ腹を見せて帰っていったのである。
こいしはスペルカード『袖符「 空白の領収書 〜旧地獄地霊殿 様宛〜」』を切らずに済んだことに内心胸をなでおろした。このスペルカードは無意識がマッハしたときの最終手段なのである。姉の胃が即死する効果を持つ。
まったくたいしたオヤジの太っ腹に地霊殿は救われた形であるが、帰ってから細君やらに赤字を叱られるのだろう。
その他、最初は多少の警戒心で見守っていた自警団やら大工やら大人たちも、ひとしきり頑丈さに舌をまけばすっかり安心ムードで、代わる代わるやってきては二人を褒め称えるのであった。
これにはこいしちゃんもえへへと大満足である。
だがしかし、相棒の面霊気にはなんとも言えぬ感情がたまるばかりだ。
こう、言葉を探さないといけない系の、いちいち面にはならないそういうやつがたまっていった。あまりにボケ殺しが多すぎるのだ。その中で次第に『なんとも言えない感情の面』が欲しいなとか考えだすのはのは当然と言えよう。
そんな相棒をよそにひとしきり褒められテカテカのこいしである。
「いやはや私の無意識題芸術が炸裂してしまったわーさすがこめいじ、さすめいじ」
そんな相方の水をさしかねないようなことを悩みながら問わずにはいられずこころさん、必死に当てはまる面を出しかねながらも、問いを絞り出した。
「あれは、芸術なのかな」
「チッチッチ、そこが私の無意識の軌跡が残した肝なんだよ。いま気付いた」
こいしは得意気に指を振りながら答える。
「『Ceci ñ'est pas une playground equipment』、これは遊具ではありませんというタイトルです」
「な、なんと」
「かの有名なジャングルジム。こいつのおかげでどれだけいろんな連中から非難されてきたことだろうか!でも、私のこのジャングルジムに悪意を詰めることができるかね?できやしない。これは単なる表現だよ、違うかね? だから、もし私がこの芸術に『これはジャングルジムではない』 と書き込んでいたら、私は嘘をついたことになったはずだ。そうだろうワトソンくん。失われた遊具への幻想郷的なアクトなのだよ」
これには草葉の蔭のシュールレアリストたちも総立ちであろう。マグリットのゴルコンダってそういう弾幕だよね。そうこいしは作者の意図を完全に理解した満足感にひとりごちた。
「な、なんだってーっ!?そんな深いテーマがあったなんて!」
諸手を上げるほどびっくりである、究極汎用人工知能は近い。AGIスター生命に入らなければ。え?AIGスター生命保険なんだ?そう……。
そんなことがあって、二人には次にやるべきことが理解出来た。
「じゃあ題材の解説も何だし、看板を立てようか」
「そうだね。ここをモダンアートの聖地としよう」
そして、『Ceci ñ'est pas une playground equipment』はこの公園の公共の名物になった。これが幻想郷のアートに新しい風を吹き込むことになるのだろうか。もっぱら仏語のカリグラフィが格好良いとの評判だ。
「ところで、私、あの針金の毛玉を『なんとも言えない表情』の面に決めたんだ」
「あ、捨ててなかったの」
「捨てるだなんて、ほら」
ぐちゃぐちゃの線が霊気をまとって、こころの無表情を注釈する。
「どう似合う?」
「うわびっくりした普通にどの面よりもわかりやすいね」
額のあたりに当てて見せられるとよく見る漫画表現になっていたので、こいしは素直な驚きを覚えた。
思わず瞳を閉じるのを忘れそうになったほどである。
これは、古明地こいし検定皆伝(保持者一名)の試験にも出ない、劇レアシチュエーションである。つまり宮本武蔵レベルだ。
「ありがとう。芸術の友よ。私は新たなる境地を得られた」
こころは首を傾げつつも、モヤモヤの飾りをつけて満足げ?に去っていく。
こうして、こころは言葉に出来ないモヤモヤをいつでも表明できるようになったという。
こいしはというと、希望の面の時と同様すっかり味をしめ、創作活動での物資強奪を姉に怒られないよう名を隠しながらも芸術を続けることとなる。
その徹底された匿名性と神出鬼没さ、パクりスレスレのカットアップも厭わないレジスタンス精神が、草の根同盟を中心とする根無し草アート同盟から共感をよび、人里での妖怪芸術であると見出されることによって一世を風靡することになるのだった。
これが、後の幻想郷のバンクシー、古明地こいしの誕生の瞬間である。
彼女の作品の前でもやもやしてると、時折その心を読みにくるさとり妖怪が現れるとか現れないとか。
こいここというのはこういうのという具合を味わえました。
さすめいじ。
可愛いさとノリよく遊ぶ知性がとても東方の会話って感じでした
オマージュ元の作品も素晴らしく、こちらもまた素晴らしい作品でした
感情はおそらく一面的に表現されるものではなくて、むしろ「なんとも言えない」ことのほうが多いよな、と思いました。
ありがとうございました。
二人が可愛くてそれが良かった。それが大事だった。
表現が面白くて楽しめました
テンポのいいふたりの会話と後に引けなくなっているこいしの焦り具合に笑いました
とてもよかったです