Coolier - 新生・東方創想話

テノチティトランの仇を関ヶ原で討つ

2024/01/08 15:21:57
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 エルナン・コルテスのアステカ征服行は冥界の勢力均衡を大いに乱してしまった。数千万の人口を擁する文明圏が一つ消し飛んだのだ。ミクトランには一挙に過剰な亡者が供給され、行政機能は破綻した。
 スラムと化したミクトランを、誰もあえて再整備しようなどとは思わなかった。現世であるアステカが滅亡しているのだ。これ以降ミクトランに亡者が増えることはない――それはつまり、経済的な成長の余地がないということなのだから。かといって放置すれば亡者たちは行き場を失い、冥界の倫理は荒廃するだろう。

 重い腰を起こしたのはかの高名な女神、ヘカーティア・ラピスラズリだ。古代ギリシア文明が衰退して久しく、その冥界であったハデスの土地は冥界の国際秩序を保つための冥界連合本部(冥連)が置かれている。ヘカーティアの動議はサタンや十三仏などの常任理事会承認を得て、ミクトランは冥連の平和維持部隊軍政下に置かれることとなった。
「困ったことをしてくれるものだ」
 日白残無は嘯いた。
 ミクトランからの難民は各神話の冥界がそれぞれ分担して受け入れることとなる。かといってそんな財政的な余裕が冥界という痩せこけた土地にあるはずもなし。キリスト教圏の地獄はとうとう神の国の大資産家であるガブリエルに融資を頼んだという。
「コンキスタドール共は熱心な吉利支丹だという。酷いマッチポンプだな?」
「かと言って難民を拒否するわけにもいきません。かねてよりの地獄分離、民営化計画を実行するときです」
 四季映姫はにたりと笑う。彼女にとってはこれも派閥闘争の手段に過ぎない。残無はため息をついた。つまるところ、残無の役目は肩たたきなのだ。

「えー続きまして前期の資本勘定ですが、同業他社が大規模な保証債発券を行う一方で我が庁は健全財政の維持に成功しており――」
 是非曲直庁は大規模なリストラチャリングを実施し、表面上の決算は大幅な黒字を記録する。
 さて、地獄の一部が旧地獄として再編されるにあたり、リストラの波に飲まれた役職がオークションのもと売官された。
 それ即ち、第六天魔王波旬。その役職を買い落した人間こそ言わずとしれた戦国の世の武将、上総介織田信長公なのである。

 ◆

 鉦鼓や太鼓に乗せ、女と男が舞い踊る。一陣の清い風が踊り子たちの頬を撫で、桜の花びらとかおりの付いた白粉を吹雪かせた。

 慶長三年、肌着から綿を抜き始める季節。太閤豊臣秀吉公は見ごろとなった醍醐寺の桜の花見に家中や諸大名を呼び寄せて、先年の吉野を超える大行列でもって宴を開いた。
 その宴席の傍らでは、酒気に誘われた神仏妖怪たちもまたこそりこそりと花見を楽しんでいる。
「阿国ちゃん、また綺麗になったねぇ。いやはやまさしく天下一!」
「うむ……いい舞だ。ぜひともうちで神楽を踊ってほしいな」
 宴席の中央で舞い踊る少女を眺めながら、大向こうからカラカラと声を上げるのは、酒呑童子鬼の伊吹萃香。
 朱傘の下で酒をあぐらをかいて萃香の隣に座るのは、諏訪大明神八坂神奈子。
 彼女たちの一言一句をさながら書記のように書きしたためる少年は、稗田家次期当主にして六代目の御阿礼の子とされる稗田阿夢である。
(迷惑な話でござるな)
 阿夢は思う。人外どもが勝手に乗りあがってきたものだから、対応する豊臣家の女中らは戦々恐々。もてなし役として引っ張り出された阿夢は、本来であれば豊臣公に付き添ってその記録を取るのが仕事であったはずなのだが、このありさまだ。先には五大老の一人である前田利家までもがこの神仏妖怪の少女らに頭を下げに来る始末である。
「おうい、稗田の。お前のとこの三代目はわたしが世話してやったんだ。さ、飲め。な?」
 自分よりも背の低い鬼の少女に注がれた酒をグイイと呑み込む。味がしない。
「いじめてやるな。なに、御阿礼の子といえば四代目にはわたしが目をかけてやってな……ふふ」
 しらん、しらん! いや記録としては脳内に断片的ながらこびりついているのだが。自分の祖先が作った借りに阿夢は頭を痛める。
 ギロリ、と萃香と神奈子はにらみ合う。先刻からこの調子だ。どうにもこの二人はなにかしらのイザコザを抱え込んでいるようだが、なかなか本題に入ろうとせず酒ばかり飲んでいる。それに挟まれながら歓待しなくてはならない人間たちの気持ちを少しは慮ってくれないか。そう叫んでしまえばどれだけ楽だろう。
「ま、ま。ご両人、醍醐の宴席ですぞ。それにしても軍神さま大明神さまタケミナカタさま。朝鮮出兵では風のご加護あって、この老骨め、上様に変わりまして骨折りをば」
「狸ィ。狸、狸、狸ィ! 相変わらずの腹鼓よな。頼忠は壮健か?」
 これまた大物が来た! 阿夢は頭を下げて嵐が過ぎるのを待つ。大老筆頭内大臣徳川家康。鬼や神を前に一歩も引かずにたりを顔をゆがめるのはまさしく人界の大妖怪である。
「や、親子ともどもご縁がありまして。頼水には我が息子のともがらをさせておりまする――」
 伊吹萃香が指を鳴らし、顔を歪ませる。

「――徳川。今日は帰れ。わたしはこの神と大事な話がある」

 場が冷え込む。阿夢は頭を下げたままであるのに、ただならぬ圧を感じてしまう。
 伊吹萃香の声は狂おしいほどに低く、怒気がにじんでいた。なにかわからぬが、徳川が地雷を踏んだらしい。でっぷりと太った狸も、今日は都合が悪いと判断してにこにこと笑顔を張り付けながら早々に退散する。
 ふと、萃香の指が阿夢の頬を撫でる。悍ましいほどにたおやかな手つきだった。声は一転して柔らかい。
「阿夢。お前さんコレトーを覚えてるかい?」
「……はっ? コレトー……明智惟任日向守でございますか。拙者の生まれる前のお方です」
 ギリ、と神奈子が歯ぎしりするのが聞こえる。こわやこわや。阿夢はこの際、面白くすらなってきた。
「そか。若いね。でね、コレトーはさ、天狗から支援を受けてたんよ。備中大返しも天狗の物資と神足通あってのもの。知ってた?」
「寡聞にして」
「そか。書く? 縁起に」
「か、書きます」
 萃香の指が阿夢の口元を、鼻を、目元を踊り歩く。まるきり脅しではないか。何が目的だ? 阿夢はあまり上等とは思えない自分の頭を必死で回す。
 まずこの二人はなぜ対立しているのだろう? コレトーへの天狗の支援……天狗関係のまつりごとか? 少しズレている気がする。本能寺に関係したことが理由なら、十数年前にケリを付けていないのが腑に落ちない。今この時分になってようやく表れた問題が対立軸と考えるべきだ。
 さきに伊吹萃香の態度が一変したのは、内大臣殿が挨拶に来たときだ。軍神八坂神奈子が朝鮮出兵に力を貸したことが伊吹萃香の怒りを買ったのか? まだズレがある。そもそも伊吹萃香の態度がどうも煮え切らない。鬼らしくない。鬼というのはもっと直截で、快刀乱麻を好む妖怪のはずなのだ。
「ぜーんぶ上総介が悪いよねぇ。人間の分際で天魔を名乗られたら、天狗たちは黙っちゃいられない。人の世に介入せざるを得なかったんだ。賢者連も流石に黙認したんよ。ま、相応のイザコザと流血沙汰はあったけどさ」
 何が言いたい? 自分の中の鬼という像に彼女の立ち振る舞いがまるで当てはまらない。この言葉選びの迂遠さ、まるで公家ではないか。いや、そういうことか? 本来政治なんて営みを力業でぐちゃぐちゃにしてしまうはずの鬼の四天王が、政治の舞台にわざわざあがっている? 頭の中でなにかが勘合した気がする。
 ああそうか。わざとらしい説明口調は自分に――御稗田の子たる阿夢に向けた符号だ。伊吹萃香も八坂神奈子も、どちらかといえば穏健派のはずだ。ならば彼女らは利益代表者なのだ。表面上対立しているように見えるのは、そうしなくてはいけない立場だから。この場の目的はむしろ融和にあるのではないか。これが答えか? ああ、万事すべてこれ政治であろう。ならば自分がやるべきことは――

「この場の一言一句、上様に言上いたします」

 萃香はニコッと歯を見せて笑った。
「かしこいね。えらいね。お酒飲む?」
「頂戴します」
 グイイと酒を煽る。今度は淡い味がした。

 ◆

 太閤秀吉、病没す。
 朝鮮の陣を案じて太閤の死は徹底して秘匿されたが、徳川家康だけは違った。

 ――諸大名縁辺之儀、得御意、以其上可申定事(諸大名は勝手に縁組するべからず)。

 太閤が残した御掟は家康の手によって即座に破られることとなった。
 伊達政宗、福島正則、蜂須賀家政。家康は風見鶏の諸大名らと次々と縁組を行い、たちまち徳川閥を形成。
 本来これを抑えるはずであった前田利家も太閤のあとを追うように逝去。その翌日には徳川閥の七将が石田治部少輔三成を襲撃する。

「徳川は天下に王手を掛けたね。対するのは上杉、石田、毛利……もはや豊臣は形を成しちゃいない。烏合の衆さ」
「どこまでが筋書き通りでございますか」
「別にー? わたしが首魁ってわけじゃないんだけどなぁ。あえて言うなら賢者連とか、是非曲直庁――冥連の総意かな」
「……拝聴いたします」
 狭く、灯りが一つしかない茶室のなかには酒気が漂う。淡い蝋燭の火が萃香の顔をぞぉっと照らす。阿夢は、その揺れる影のなかに鬼を見た。
「第六天魔王織田信長……官職を取られちゃった以上、妖怪たちが正面から弓矢の沙汰を起こせばそれは是非曲直庁に弓引くことになっちゃったのさ。だから天狗を中心とした妖怪たちはコレトーを擁立した。それがケチのつき始めだ」
「と、申すと?」
 萃香の主張するところによれば、本能寺を契機に妖怪たちは俗悪な政治の世界に飛び込んでしまったのだという。人間を利用した代理戦争。調子に乗った信長への懲罰程度にしか考えていなかったのだろう。盤上に駒を差し込むために、妖怪たちは諸大名と縁組を行った。
「呪術全盛の平安の世とは違うんだ。京を舞台に呪い呪われってもんじゃない。この秋津洲まるまるかけた陣取り合戦だって妖怪たちはまるで理解してなかったんだな。だから、妖怪よりも妖怪染みたやつに食べられちゃった。わかる? この十数年、妖怪たちは本能寺から始まった黒星の敗戦処理してんのさ。負け犬なのさ」
 大名との縁組によってその権力勾配にからめとられた妖怪たちは、もはや豊臣政権の婚姻政策一つに手玉に取られ、彼の野望の走狗と化した。
「八坂のには悪いことしたね。あいつだって自分の氏子のお尻拭きしてただけなのにさ。それでいうと徳川はいい仕事をしてくれたぁ。政治がわかってるよ」
 萃香はそう言って指を立てた。
「な、わかる? 結局妖怪どもは、将棋に負けたからって将棋盤ごとひっくり返そうとしてんの。人間の道理法理は人外には通じないってこった。徳川はその辺をよーくわかってるんだ……」
 さらりさらり。阿夢は鬼の少女の言葉を自分なりに咀嚼して書にしたためた。そしてふと思い至る。
「萃香殿は……誰のお味方だったのでしょうか。はっきりいたしません」
 そういうと、萃香はふにゃりと、今まで見せたことのないような、照れたような顔で笑う。
「それこそ、『べっつにー?』さ。わたしは身内の恥をそそいでただけ。是非曲直庁が手前勝手な理屈でこの国を乱しちまった。だから落とし前付けてんの。だーれの味方でもないよ。庁からは睨まれる。人からは怖がられる。妖怪たちからは疎まれる。骨折り損のくたびれもうけ。おねーさんのこと褒めてくれよぅ」
 うりうりうり、と萃香は阿夢の肩に手を回す。酒臭い。しかしようやく合点がいった。鬼らしくない手を取ってでも筋を通すのが、萃香という少女なりの鬼道というわけか。
「面白いお話でした。拙者でよろしければ、晩酌にお付き合いさせていただきます」
 そういうと萃香はパァっと顔を輝かせて笑う。さて、酔い潰されなければよいのだが。

 ◆

 慶長五年、関ヶ原。石田三成率いる東軍は諸将の裏切りによって、徳川家康率いる西軍に敗れる。
「ねぇ阿夢。わたしの仕事って、誰かの助けになったかな? 天下分け目の戦いが妖怪たちの大戦に波及しないように手を回した。没落するだろう豊臣残党には慎ましやかに暮らせるだけの銭をくれてやった。あっちこっちで口を回して、とにかくできることをしたつもりさ。それでも処される人は処されるし、少なくない人が不幸になった」

 萃香と阿夢の知るところではないが、かつて南北アメリカを征服しアステカを滅ぼしたスペイン王国は、今や日ノ本において植民地建設を構想していた。だが、のちに成立した徳川政権江戸幕府はその初期の治世において禁教令、ついで鎖国令を発布することとあいなる。スペイン王国の目的はあえなく潰え、同時期の財政破綻によって急速に衰退していく。

「萃香殿は衆生を救う仏ではないでしょうに。縁起には記しておきます。さ、もう一杯」
「ん。うまい。悪くない味」
新年の短編。獣王園頒布の翌日には脳内プロットが完成してたんですが、物にするのに今の今までかかりました。
信長とか三成、戦国大名らの話も掘り下げて長編にする手もあったんですが、死ぬほど資料集めが必要になりそうなので諦め。例大祭で本を出すときに15万字ガチガチ長編歴史モノとしてリベンジする可能性はあります。
あるちゃん
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コメント



0.100簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.90ひょうすべ削除
スケールが広くて楽しい読み応えでした!たしかに長編向きな感じでした、長編化したらぜひ読みたいです
3.100名前が無い程度の能力削除
小粋な文章と会話が彩る政治事情、面白かったです
4.90東ノ目削除
地球の裏側の新大陸の国家滅亡が極東の政治情勢に波及してくるバタフライエフェクトを呼び起こすのが地理的概念から逸脱した地獄というワールドワイド概念なのだなあと。欲を言えばじっくりとした中長編で読みたかったです
7.100夏後冬前削除
妖怪が権謀術数に首を突っ込む話はまったく俺は描けないので人が書いてるのを見るとブチあがりますね