人間の里に不審者が出た。
レミリア・スカーレットを探しているらしい。
その情報とともに現れた博麗の巫女はそれだけ言うと腕組みをして、
「で?」
と言って睨みつけてきた。
そう言われたレミリア・スカーレット本人である私としては、それだけでは何もわからないので、
「で?」
と返すしかなかった。
博麗の巫女──霊夢の後ろには、我が館の門番・紅美鈴とメイド長の咲夜が控えている。一応「話をしにきた」と言っているとはいえ、お祓い棒を持って袖の内に陰陽玉をいつでも展開できるよう忍ばせている相手に対して、このくらいの警戒はさせてもらってもよかろう。
「……」
「……」
「……で?」
霊夢がさっきより一段低い声を出した。美鈴と咲夜がわずかに緊張する。
「いや、そんな事言われたって心当たりないんだけど」
「本当に?」
もう一呼吸こちらを睨んでから、霊夢の表情が少しだけ緩んだ。
「話を聞く限り、どう考えても人間じゃなさそうだからね。あんたの身内かと思って」
なんでもその男、狭い路地などでばったりであった相手にいきなり
『レミリア・スカーレットを知っているか?』
『レミリア・スカーレットはどこにいる?』
とつかみかからんばかりの勢いで尋ねたうえ、訊かれた相手が戸惑っている内にふらふらと歩き去ってしまうらしい。
「──近くにいると妙な冷気を感じるそうだし、すぐに後を追ってみても姿が消えているっていうし。それに何より、この陽気に」
と、窓の外を指さして、
「革のコートやらマフラーやら、着ぶくれするほど着込んだ上に黒くて分厚いフェルト帽被って出歩いてる人間なんていないでしょ」
窓の外には、嫌になるほど晴れ渡った真夏の午後の青空が広がっている。北向きなので日光こそ入ってこないが、外の熱気は室内にもそれなりに侵入していた。
「人間でなくたって出歩きたくないわよ」
なにせ私は吸血鬼である。日光はお肌の天敵なのだ。
「それにその男、なんかあんたのことを賛美してるっぽいのよね」
「賛美?」
「いわく『あの愛らしい悪魔』だの『高貴なる邪悪の娘』だの」
「あらあら」
「『美しく高貴な顔』とか『美しい白い肌』とか『しなやか手足の美少女』とか」
「………」
齢五百歳になっても自分の見た目が子供のようであることは自覚している。
ごく稀に『そういう目』を向けられたこともあったが、どちらかと言うと遠慮願いたいところだ。
「……絶妙に気持ち悪いわね」
「あんたん所のメイドとかわらなくない?」
そう言って巫女はちらりと後ろを振り返った。後ろで控えていた我がメイド長は、微笑を浮かべて澄ましている。いったい、自分のいないところで何を言いふらしていたのやら、知りたいような知りたくないような。
「そもそも、人里に出たのならそっちへ行けばいいじゃない。なんでウチへ来るのよ」
「あー、それなんだけど……」
霊夢はちょっと困った顔をした。
「最後にそいつに出くわした娘が、ここのこと教えちゃったらしいのよね」
先年、人心の荒廃をなんとかしようとした宗教家たちや便乗した有象無象が人里周辺で弾幕勝負を繰り広げていたとき、私も霊夢たちの戦いを見物しに行ったことがある。そこで私達の姿を見知った里の娘が、運悪く問題の不審者と遭遇してしまったらしい。
見るからに怪しい男に『レミリア・スカーレットを知っているか?』と詰め寄られたその娘は、
『それって、湖のお屋敷のお嬢様ですよね……?』
と、口を滑らせてしまったそうだ。
喜色満面で更に詰め寄る男に湖の場所を訊かれて、娘は手を上げて漠然と湖の方角を示したところ、男は奇声を上げながらそちらへ向かって駆け出していったのだという。
「……まあ、曖昧に方角知らせただけだけど、この辺に『湖』と言ったら霧の湖しかないからねえ。じきにたどり着くんじゃないかしら」
霊夢の背後にいた美鈴が、私に目礼をして退出した。その『不審者』とやらが私を訪ねてくるのであれば、出迎えるのは門番の仕事だ。
「それでわざわざ知らせてくれたってわけ? たしかにありがたいけど」
「まあね。それに、あちこち探し回るより、ここで待ち構えてる方が手っ取り早そうだし」
「え、そいつが来るまでうちにいるつもりなの?」
「当然でしょ」
霊夢は平然とそう言って、咲夜の方を振り向いた。
「今日のお夕飯は何?」
図々しいにもほどがある。
「厚焼き玉子に納豆ご飯ですわ」
お前も普通に答えるな。
「えー、和食ー? せっかくだから洋食が良かったなー」
「うるさい、贅沢言うな」
……我慢できずに声が出てしまった。
霊夢はぺろりと舌を出してわざとらしく目をそらした。悔しいがかわいい。
私は頭を振ってため息を付いた。
「普通に訪ねてくるのなら、こっちで適当に片付けられると思うけどね」
「その男があんたとつるんで騒ぎを起こそうって言うなら、そんときまとめて片付ければいいんだろうけど。でも……」
そう言って霊夢はちょっとだけ真顔になった。
「なんとなく、放っておかないほうがいい気がしてね」
霊夢お得意の『巫女の勘』というやつだろうか。こうなれば、無理に断ってもろくなことはない。
「相手が何者なのかは私も気になるわね。咲夜、美鈴に、それらしい男が現れたら足止めだけしておくように伝えておいて」
「承知いたしました」
一礼したメイド長の姿が消え、あとに二、三枚のトランプがひらひらと舞っていた。
「あれ、まだやってんの?」
霊夢が散らばったトランプを指さしながら言う。
「たまにね。『種無し手品の演出を忘れないために』とか言って」
「何のための演出なんだか」
それは主人である私にもわからないので、肩をすくめてみせるしか無かった。
そのとき。
遠くで、複数の悲鳴が上がった。
子供のような声──妖精メイドの悲鳴だ。
そして、聞き覚えのない声──おそらく男のわめく声もかすかに聞こえてきた。
「もう来ちゃったみたいね」
霊夢が渋い顔をして言う。
「悪いわね。お夕飯ご馳走しそこねたわ」
「大丈夫よ、終わってからゆっくりいただくから」
どこまでも厚かましい巫女である。
「お嬢様」
一瞬前まで居なかった咲夜が、先ほどと寸分たがわぬ位置に現れて一礼した。
「問題の不審者らしい男が、一階の玄関ホールに現れました」
「美鈴は?」
「それが……門を通らず、いきなりドアの前に出現したようです」
霊夢を見ると目が合った。
「やっぱり人間じゃ無さそうね」
「当然でしょ」
「とりあえず、顔を見てみましょうか」
廊下を抜け、ホールに面した二階の回廊に出る。
ひと目見て、ああ、と思った。
ホールの真ん中で黒尽くめのコートと古風な三角帽子姿の男が、銀製らしい十字架と木の杭を振り回しながら喚いていた。
普通の里人には、せいぜい顔色が悪いだけの痩せた男の顔に見えていただろう。だが、私には別のものが見えていた。
「あー、これは……」
霊夢が隣で声を上げた。
「わかるの?」
「あそこまでなってたらねえ……」
男が顔を上げこちらを見た。その満面にみるみる喜色が広がっていく。
『ついに……! ついに見つけたぞレミリア・スカーレット―――!』
日本語ではない、ずいぶん昔に聞いた気がする言葉だった。
『さあ、今こそ十字架の加護の下、その白い肌に清められた杭を突き立ててやる!』
「……確かにこれはちょっと気持ち悪いわね」
霊夢が眉をしかめて呟いた。
「あいつの言葉がわかるの?」
「なんとなく。異国の言葉喋ってるんだろうけど……」
「意味はわかる、と」
つまり、普通の『音』として聞こえているわけではない、というわけだ。
男を見つめながら霊夢が言った。
「あれ、私が収めていい?」
少し迷った。だが、霊夢が……博麗の巫女がその方が良い、と判断したのだ。
それが最適解、ということだろう。
「任せるわ」
霊夢の向こうで、一瞬、咲夜が不服そうな顔をしたが、何も言わずにすぐ平静に戻った。
霊夢はふわり、と浮き上がると、手すりを飛び越えて二階から男の前へ舞い降りた。
「ねえちょっと」
男がぎょっとして眼の前の紅白を凝視した。直前まで霊夢の姿が目に入っていなかったらしい。
『な、何だお前は』
男の顔がひきつった笑みを浮かべた。
『そ、そうか、お前もレミリア・スカーレットの眷属だな!』
「違うわ」
この巫女は相変わらずバッサリ言う。
「たぶん、あんたの同業者」
『な? なん―――』
「レミリアについては前に一度退治してるし、なんならこれから退治してもいいけど」
『な、な、何を言う! レミリア・スカーレットはこの私が――』
「それより先にあんたのことなんだけど」
『?!』
霊夢が、心底気の毒そうな声で言った。
「あんた……いつから死んでるの?」
『…………?!』
あっけにとられて固まった男に、霊夢は広間の壁にかけられた、我が館では数少ない鏡を指さしてみせた。
恐る恐る振り向いた男は、数秒呆然と鏡の中を見つめた後、ふらふらとそちらに歩み寄っていく。
私の位置からは、鏡の中の男の姿は見えない。
だが、何が映っているかは想像がついた。
男が持っていた杭を取り落とし、空いた手を鏡に向けて伸ばした。私の位置からも、男がはめている革手袋が、鏡の中ではボロボロに風化しているのが見えた。
信じられない、というように男が首をふる。
そんな男にとどめを刺すように、霊夢が男のすぐ後ろに立った。
『ああ……』
絶望的なうめき声が、男の唇から漏れた。
おそらく鏡の中には、いつも通りの霊夢の顔と並んで、ミイラのように干からびた、古い凍死体の顔が映っていたはずだ。
男が、がっくりと膝をついた。
「…………。」
霊夢が咲夜の方を向いて言った。
「悪いけど、死神探してきてくれる? たぶん中有の道でサボってるはずだから」
「──結局、三途の川のほとりまで見送ってきたわ」
そう言って霊夢は二切れ目の厚焼き玉子を口に入れた。咲夜が探してきた死神は「あたいは船頭でお迎えは担当じゃないんだけど」と言っていたが、一応仕事はしてくれたようだ。
「本人の希望するあの世へ回すのにいろいろ手続きがめんどくさい、とか言ってたわね。西洋のあの世ってこっちの冥界みたいの無いの?」
「あー、まあ、地獄堕ちなら五十歩百歩なんだろうけどねえ」
あの男が素直にキリスト教の天国へ行けるかどうかは怪しかったが、地獄堕ち確定というほどの罪人にも見えなかった。
あれは幻想郷へ来てからたまに見かける、死に際の妄念が強すぎて自分が死んだことに気づけていない、典型的な亡霊だった。天国へ昇れないとしても、せいぜい煉獄行きで済むだろう。
霊夢が男から聴いた話では、私の館を探して冬の森に踏み込んだところ、吹雪にあって道に迷ってしまったのだという。
その後のことは記憶にないそうだ。
「あれ、あんたらの故郷にいた妖怪退治人なんだって?」
「故郷、ってわけじゃないんだけどね」
そう、私達がまだ外の世界にいた頃の話、それも百年以上……もしかしたら二百年になる昔の話だ。
もうはっきりとは覚えていないが、しばしの安住を求めて住処を移した先が西欧の島国の北部だったことがある。
そこでの暮らしの半ば頃、私の存在を知ったヴァンパイアハンターが私を追ってきている、という噂を聞いたことがあった。
おそらく、館の近くまでは来ていたのだろう。だが、館へ辿り着く前に、吹雪の中で遭難してしまったわけだ。
あの男は、それからずっと私を探していたのだろうか。
そんな男がいたことすら世間から忘れられ、この幻想郷に迷い込むまで、ひたすら私の館に辿り着こうと彷徨っていたのだろうか。
そう考えると、少し哀れな気がする。
……言動を思い出すと気持ち悪くもあったが。
霊夢が、ごちそうさま、と言って箸を置いた。
「さて、と」
そう言っておもむろにお祓い棒を取り出す。
「あの男とも約束しちゃったしね。ちょっと食休みしたら退治させてもらうわ」
ひとに食事をたかっておいてこの仕打ちか。
「今回、私らは何にもしてないつもりなんだけどね」
「まあね。でもまあ、恒例だし。ルールはそっちが決めていいわ」
ひどい恒例だ。
「仕方ないわね。こちらのスペルカードは三枚でいいわ」
「じゃあ、こちらの残機も三で」
「最近流行りのバリアとか使うの?」
「いらないわ。久しぶりに古典的スタイルで行きましょ」
「ふふ、返り討ちにされて泣かないようにね」
──善戦はした。
残機を一つ削れたが、結局撃破されてしまった。
レミリア・スカーレットを探しているらしい。
その情報とともに現れた博麗の巫女はそれだけ言うと腕組みをして、
「で?」
と言って睨みつけてきた。
そう言われたレミリア・スカーレット本人である私としては、それだけでは何もわからないので、
「で?」
と返すしかなかった。
博麗の巫女──霊夢の後ろには、我が館の門番・紅美鈴とメイド長の咲夜が控えている。一応「話をしにきた」と言っているとはいえ、お祓い棒を持って袖の内に陰陽玉をいつでも展開できるよう忍ばせている相手に対して、このくらいの警戒はさせてもらってもよかろう。
「……」
「……」
「……で?」
霊夢がさっきより一段低い声を出した。美鈴と咲夜がわずかに緊張する。
「いや、そんな事言われたって心当たりないんだけど」
「本当に?」
もう一呼吸こちらを睨んでから、霊夢の表情が少しだけ緩んだ。
「話を聞く限り、どう考えても人間じゃなさそうだからね。あんたの身内かと思って」
なんでもその男、狭い路地などでばったりであった相手にいきなり
『レミリア・スカーレットを知っているか?』
『レミリア・スカーレットはどこにいる?』
とつかみかからんばかりの勢いで尋ねたうえ、訊かれた相手が戸惑っている内にふらふらと歩き去ってしまうらしい。
「──近くにいると妙な冷気を感じるそうだし、すぐに後を追ってみても姿が消えているっていうし。それに何より、この陽気に」
と、窓の外を指さして、
「革のコートやらマフラーやら、着ぶくれするほど着込んだ上に黒くて分厚いフェルト帽被って出歩いてる人間なんていないでしょ」
窓の外には、嫌になるほど晴れ渡った真夏の午後の青空が広がっている。北向きなので日光こそ入ってこないが、外の熱気は室内にもそれなりに侵入していた。
「人間でなくたって出歩きたくないわよ」
なにせ私は吸血鬼である。日光はお肌の天敵なのだ。
「それにその男、なんかあんたのことを賛美してるっぽいのよね」
「賛美?」
「いわく『あの愛らしい悪魔』だの『高貴なる邪悪の娘』だの」
「あらあら」
「『美しく高貴な顔』とか『美しい白い肌』とか『しなやか手足の美少女』とか」
「………」
齢五百歳になっても自分の見た目が子供のようであることは自覚している。
ごく稀に『そういう目』を向けられたこともあったが、どちらかと言うと遠慮願いたいところだ。
「……絶妙に気持ち悪いわね」
「あんたん所のメイドとかわらなくない?」
そう言って巫女はちらりと後ろを振り返った。後ろで控えていた我がメイド長は、微笑を浮かべて澄ましている。いったい、自分のいないところで何を言いふらしていたのやら、知りたいような知りたくないような。
「そもそも、人里に出たのならそっちへ行けばいいじゃない。なんでウチへ来るのよ」
「あー、それなんだけど……」
霊夢はちょっと困った顔をした。
「最後にそいつに出くわした娘が、ここのこと教えちゃったらしいのよね」
先年、人心の荒廃をなんとかしようとした宗教家たちや便乗した有象無象が人里周辺で弾幕勝負を繰り広げていたとき、私も霊夢たちの戦いを見物しに行ったことがある。そこで私達の姿を見知った里の娘が、運悪く問題の不審者と遭遇してしまったらしい。
見るからに怪しい男に『レミリア・スカーレットを知っているか?』と詰め寄られたその娘は、
『それって、湖のお屋敷のお嬢様ですよね……?』
と、口を滑らせてしまったそうだ。
喜色満面で更に詰め寄る男に湖の場所を訊かれて、娘は手を上げて漠然と湖の方角を示したところ、男は奇声を上げながらそちらへ向かって駆け出していったのだという。
「……まあ、曖昧に方角知らせただけだけど、この辺に『湖』と言ったら霧の湖しかないからねえ。じきにたどり着くんじゃないかしら」
霊夢の背後にいた美鈴が、私に目礼をして退出した。その『不審者』とやらが私を訪ねてくるのであれば、出迎えるのは門番の仕事だ。
「それでわざわざ知らせてくれたってわけ? たしかにありがたいけど」
「まあね。それに、あちこち探し回るより、ここで待ち構えてる方が手っ取り早そうだし」
「え、そいつが来るまでうちにいるつもりなの?」
「当然でしょ」
霊夢は平然とそう言って、咲夜の方を振り向いた。
「今日のお夕飯は何?」
図々しいにもほどがある。
「厚焼き玉子に納豆ご飯ですわ」
お前も普通に答えるな。
「えー、和食ー? せっかくだから洋食が良かったなー」
「うるさい、贅沢言うな」
……我慢できずに声が出てしまった。
霊夢はぺろりと舌を出してわざとらしく目をそらした。悔しいがかわいい。
私は頭を振ってため息を付いた。
「普通に訪ねてくるのなら、こっちで適当に片付けられると思うけどね」
「その男があんたとつるんで騒ぎを起こそうって言うなら、そんときまとめて片付ければいいんだろうけど。でも……」
そう言って霊夢はちょっとだけ真顔になった。
「なんとなく、放っておかないほうがいい気がしてね」
霊夢お得意の『巫女の勘』というやつだろうか。こうなれば、無理に断ってもろくなことはない。
「相手が何者なのかは私も気になるわね。咲夜、美鈴に、それらしい男が現れたら足止めだけしておくように伝えておいて」
「承知いたしました」
一礼したメイド長の姿が消え、あとに二、三枚のトランプがひらひらと舞っていた。
「あれ、まだやってんの?」
霊夢が散らばったトランプを指さしながら言う。
「たまにね。『種無し手品の演出を忘れないために』とか言って」
「何のための演出なんだか」
それは主人である私にもわからないので、肩をすくめてみせるしか無かった。
そのとき。
遠くで、複数の悲鳴が上がった。
子供のような声──妖精メイドの悲鳴だ。
そして、聞き覚えのない声──おそらく男のわめく声もかすかに聞こえてきた。
「もう来ちゃったみたいね」
霊夢が渋い顔をして言う。
「悪いわね。お夕飯ご馳走しそこねたわ」
「大丈夫よ、終わってからゆっくりいただくから」
どこまでも厚かましい巫女である。
「お嬢様」
一瞬前まで居なかった咲夜が、先ほどと寸分たがわぬ位置に現れて一礼した。
「問題の不審者らしい男が、一階の玄関ホールに現れました」
「美鈴は?」
「それが……門を通らず、いきなりドアの前に出現したようです」
霊夢を見ると目が合った。
「やっぱり人間じゃ無さそうね」
「当然でしょ」
「とりあえず、顔を見てみましょうか」
廊下を抜け、ホールに面した二階の回廊に出る。
ひと目見て、ああ、と思った。
ホールの真ん中で黒尽くめのコートと古風な三角帽子姿の男が、銀製らしい十字架と木の杭を振り回しながら喚いていた。
普通の里人には、せいぜい顔色が悪いだけの痩せた男の顔に見えていただろう。だが、私には別のものが見えていた。
「あー、これは……」
霊夢が隣で声を上げた。
「わかるの?」
「あそこまでなってたらねえ……」
男が顔を上げこちらを見た。その満面にみるみる喜色が広がっていく。
『ついに……! ついに見つけたぞレミリア・スカーレット―――!』
日本語ではない、ずいぶん昔に聞いた気がする言葉だった。
『さあ、今こそ十字架の加護の下、その白い肌に清められた杭を突き立ててやる!』
「……確かにこれはちょっと気持ち悪いわね」
霊夢が眉をしかめて呟いた。
「あいつの言葉がわかるの?」
「なんとなく。異国の言葉喋ってるんだろうけど……」
「意味はわかる、と」
つまり、普通の『音』として聞こえているわけではない、というわけだ。
男を見つめながら霊夢が言った。
「あれ、私が収めていい?」
少し迷った。だが、霊夢が……博麗の巫女がその方が良い、と判断したのだ。
それが最適解、ということだろう。
「任せるわ」
霊夢の向こうで、一瞬、咲夜が不服そうな顔をしたが、何も言わずにすぐ平静に戻った。
霊夢はふわり、と浮き上がると、手すりを飛び越えて二階から男の前へ舞い降りた。
「ねえちょっと」
男がぎょっとして眼の前の紅白を凝視した。直前まで霊夢の姿が目に入っていなかったらしい。
『な、何だお前は』
男の顔がひきつった笑みを浮かべた。
『そ、そうか、お前もレミリア・スカーレットの眷属だな!』
「違うわ」
この巫女は相変わらずバッサリ言う。
「たぶん、あんたの同業者」
『な? なん―――』
「レミリアについては前に一度退治してるし、なんならこれから退治してもいいけど」
『な、な、何を言う! レミリア・スカーレットはこの私が――』
「それより先にあんたのことなんだけど」
『?!』
霊夢が、心底気の毒そうな声で言った。
「あんた……いつから死んでるの?」
『…………?!』
あっけにとられて固まった男に、霊夢は広間の壁にかけられた、我が館では数少ない鏡を指さしてみせた。
恐る恐る振り向いた男は、数秒呆然と鏡の中を見つめた後、ふらふらとそちらに歩み寄っていく。
私の位置からは、鏡の中の男の姿は見えない。
だが、何が映っているかは想像がついた。
男が持っていた杭を取り落とし、空いた手を鏡に向けて伸ばした。私の位置からも、男がはめている革手袋が、鏡の中ではボロボロに風化しているのが見えた。
信じられない、というように男が首をふる。
そんな男にとどめを刺すように、霊夢が男のすぐ後ろに立った。
『ああ……』
絶望的なうめき声が、男の唇から漏れた。
おそらく鏡の中には、いつも通りの霊夢の顔と並んで、ミイラのように干からびた、古い凍死体の顔が映っていたはずだ。
男が、がっくりと膝をついた。
「…………。」
霊夢が咲夜の方を向いて言った。
「悪いけど、死神探してきてくれる? たぶん中有の道でサボってるはずだから」
「──結局、三途の川のほとりまで見送ってきたわ」
そう言って霊夢は二切れ目の厚焼き玉子を口に入れた。咲夜が探してきた死神は「あたいは船頭でお迎えは担当じゃないんだけど」と言っていたが、一応仕事はしてくれたようだ。
「本人の希望するあの世へ回すのにいろいろ手続きがめんどくさい、とか言ってたわね。西洋のあの世ってこっちの冥界みたいの無いの?」
「あー、まあ、地獄堕ちなら五十歩百歩なんだろうけどねえ」
あの男が素直にキリスト教の天国へ行けるかどうかは怪しかったが、地獄堕ち確定というほどの罪人にも見えなかった。
あれは幻想郷へ来てからたまに見かける、死に際の妄念が強すぎて自分が死んだことに気づけていない、典型的な亡霊だった。天国へ昇れないとしても、せいぜい煉獄行きで済むだろう。
霊夢が男から聴いた話では、私の館を探して冬の森に踏み込んだところ、吹雪にあって道に迷ってしまったのだという。
その後のことは記憶にないそうだ。
「あれ、あんたらの故郷にいた妖怪退治人なんだって?」
「故郷、ってわけじゃないんだけどね」
そう、私達がまだ外の世界にいた頃の話、それも百年以上……もしかしたら二百年になる昔の話だ。
もうはっきりとは覚えていないが、しばしの安住を求めて住処を移した先が西欧の島国の北部だったことがある。
そこでの暮らしの半ば頃、私の存在を知ったヴァンパイアハンターが私を追ってきている、という噂を聞いたことがあった。
おそらく、館の近くまでは来ていたのだろう。だが、館へ辿り着く前に、吹雪の中で遭難してしまったわけだ。
あの男は、それからずっと私を探していたのだろうか。
そんな男がいたことすら世間から忘れられ、この幻想郷に迷い込むまで、ひたすら私の館に辿り着こうと彷徨っていたのだろうか。
そう考えると、少し哀れな気がする。
……言動を思い出すと気持ち悪くもあったが。
霊夢が、ごちそうさま、と言って箸を置いた。
「さて、と」
そう言っておもむろにお祓い棒を取り出す。
「あの男とも約束しちゃったしね。ちょっと食休みしたら退治させてもらうわ」
ひとに食事をたかっておいてこの仕打ちか。
「今回、私らは何にもしてないつもりなんだけどね」
「まあね。でもまあ、恒例だし。ルールはそっちが決めていいわ」
ひどい恒例だ。
「仕方ないわね。こちらのスペルカードは三枚でいいわ」
「じゃあ、こちらの残機も三で」
「最近流行りのバリアとか使うの?」
「いらないわ。久しぶりに古典的スタイルで行きましょ」
「ふふ、返り討ちにされて泣かないようにね」
──善戦はした。
残機を一つ削れたが、結局撃破されてしまった。
ありがとうございます。
お茶目な咲夜さんがよかったです