「アーサー・C・クラーク、君も好きだろう?」
宇宙の終わり、無限大に発散していく世界のような闇に不意にエネルギーが還流する。幾千億に渡る化学的電子交換の不調は、次第に解消されつつあった。しかし最期の瞬間まで正確に時を刻んでいた目は、未だ殆ど意味をなしていない。
皮膚が伝えてくる情報は、身体がまだ朽ちていないことを示している。
やがてぼんやりとした光は、いや増す速度で分解能を得る目に捉えられ、再び世界は様子を見せるようになった。
「彼の初期の短編作品たち、『太陽系最後の日』や『破断の限界』は二十世紀の読者にはウケただろうけども、ボクたちの口には少し——ナイーブに過ぎるね」
バロック風の真っ白で清潔な部屋、それは正に宇佐見蓮子が最後の眠りについた場所に違いなかったが、目の前ではモダンな本棚が一つだけ異質さを放っている。
「だけども『幼年期の終り』で全ては変わった。SFとして、未来学として、クラークはその才能を真に発揮したんだ」
声の元は分からなかった。背伸びをした少女のような、或いはまだ声変わりを迎えてない少年のような声が部屋に響いていた。奇妙で全く一方的、取り留めのない話が続く。
「人類を慈悲深く指導する悪魔、理性に対する絶大な信頼。それらは強烈な科学主義に裏打ちされ、一方で読者をその未来へと確実に引き込み、新しい視座を人々に与える。アシモフやハインラインと比べられるけども、彼のスタイルは特に希望を残すと思うね」
復調は進み、知覚は飛び込んでくる情報を適切に解釈できるようになり始めていた。最後の眠りにつく前、節々を痛めていた老いはどこかに行ってしまったかのようだ。体にはその痕跡が残っているものの、精神的な活力は既に若々しさを取り戻している。
頭を支配していた認知の靄も晴れ上がり、その類なき知性は喜びを全面へと放射している。そうして再加熱された魂は「なぜ?」という尤もな知的副産物を残す。
「さて彼はキューブリックと組んでSFと映画の歴史を変えてしまった。君なら分かるだろう? 『オデッセイ』だよ。
だけど文句なしの最高傑作は『2061』だね。『2001』『2010』のキャッチーさの後で人々は全く注目しないけども、あの話は人類がなすはずだった、輝かしい未来を描いているんだ。
だけどどこかで君はすっかり諦めて、辛うじて生み出された軌道病院にこもっている。そうだろう、蓮子!」
やはり人は名前を呼ばれるとスイッチが入る動物らしい。叫ばれた名前を噛み締め、彼女は口を開く。虚空を駆け抜けていくような、溌剌とした声が応答する。
「そんな大声出さなくても。聞こえてるわ」
二元論を越えて、肉体が精神に追いつく。
「そこまで回復したならもう大丈夫だね。君はもう不老不死だ。同意無くこんなことをやったのは悪かったけども、ボクも焦っていたんだ。
だがそれだけ君はやり残したことがあるんだ。どうか許してくれ」
「やり残したこと?」
本棚から小説たちが独りでに落ち、その裏に隠されていたスクリーンが顕になる。半透明の膜の向こうから、サー・アイザック・ニュートンが魂を透徹極まる目で見つめている。スクリーンに光が走り、やがて眼下五〇〇〇キロメートルの世界が明らかになる。それは迫る新年に対する祝祭だった。
「それはそれはもう沢山、本当に沢山ね。だが焦ることはないんだ。今は安逸に耽けろう」
声がそう言うと、スクリーンの裏から少女が突然現れた。縁の大きな羽帽子、嗅いだこともない芳香が薄く広がる。祝祭はクライマックスへ向かう。
「序曲『一八一二年』——それじゃあ、良いお年を」
少女は直ぐにスクリーンの後ろに消えた。 突然画面が引いていく。マルセイエーズがその栄光と共に消えていく。
「言い忘れていたけども、残念ながら火砲は使わないらしい」
引ききった画面の端は夜だった。だが青一色ではない。白熱する筋が駆けて、弾ける。
「『なんてこった、星がいっぱいだ!』ってね」
閃光と炸裂音、こちら側まで伝わってくる波の中で管楽器が高らかに響いていた。
***
間延びしたような衝撃が過ぎ去った後、私はゆっくりとベッドの縁に腰掛ける。不老不死はともかく、あの怪しい少女が少なくとも何か超越的な力を持っていたのは真実らしく、肉体は大学時代と遜色ない——それ以上の若さと活力を誇っていた。
ジョン・グレンが最後に飛んだのは七十七歳の時で、必ずしも冒険は若さを必要とはしないのだが、それでもバイタリティは重要だ。
思い切って脚に力を入れてみると、この低重力環境では思わず飛び上がってしまいそうな程の勢いで直立した。見渡してみればスクリーンも本棚も全く正常で、長い間私が使っていなかったこともあって薄く埃が積もっている。当然だがニュートンも、況してやあの少女もどこにも見当たらない。
代わりにサイドテーブルに切り分けられた瑞々しい桃が置いてあった。モノクロに近いこの病室では、その色はまるでそこだけ生気を取り戻したかのようだ。
気づけば自然と手が伸びていて、若返りの最大の受益者は美食家であると実感する。
しかし、こういうのは普通リンゴの仕事ではないだろうか?
取り留めもなく低軌道との往還便が接岸するのを天望窓から眺めていると、私はふとゾッとしない事実を思い出していた。
黄泉平坂の麓に生える木もまた、桃であったではないか……。
生と死の境界とは、案外簡単に揺らいでしまうのだ。
宇宙の終わり、無限大に発散していく世界のような闇に不意にエネルギーが還流する。幾千億に渡る化学的電子交換の不調は、次第に解消されつつあった。しかし最期の瞬間まで正確に時を刻んでいた目は、未だ殆ど意味をなしていない。
皮膚が伝えてくる情報は、身体がまだ朽ちていないことを示している。
やがてぼんやりとした光は、いや増す速度で分解能を得る目に捉えられ、再び世界は様子を見せるようになった。
「彼の初期の短編作品たち、『太陽系最後の日』や『破断の限界』は二十世紀の読者にはウケただろうけども、ボクたちの口には少し——ナイーブに過ぎるね」
バロック風の真っ白で清潔な部屋、それは正に宇佐見蓮子が最後の眠りについた場所に違いなかったが、目の前ではモダンな本棚が一つだけ異質さを放っている。
「だけども『幼年期の終り』で全ては変わった。SFとして、未来学として、クラークはその才能を真に発揮したんだ」
声の元は分からなかった。背伸びをした少女のような、或いはまだ声変わりを迎えてない少年のような声が部屋に響いていた。奇妙で全く一方的、取り留めのない話が続く。
「人類を慈悲深く指導する悪魔、理性に対する絶大な信頼。それらは強烈な科学主義に裏打ちされ、一方で読者をその未来へと確実に引き込み、新しい視座を人々に与える。アシモフやハインラインと比べられるけども、彼のスタイルは特に希望を残すと思うね」
復調は進み、知覚は飛び込んでくる情報を適切に解釈できるようになり始めていた。最後の眠りにつく前、節々を痛めていた老いはどこかに行ってしまったかのようだ。体にはその痕跡が残っているものの、精神的な活力は既に若々しさを取り戻している。
頭を支配していた認知の靄も晴れ上がり、その類なき知性は喜びを全面へと放射している。そうして再加熱された魂は「なぜ?」という尤もな知的副産物を残す。
「さて彼はキューブリックと組んでSFと映画の歴史を変えてしまった。君なら分かるだろう? 『オデッセイ』だよ。
だけど文句なしの最高傑作は『2061』だね。『2001』『2010』のキャッチーさの後で人々は全く注目しないけども、あの話は人類がなすはずだった、輝かしい未来を描いているんだ。
だけどどこかで君はすっかり諦めて、辛うじて生み出された軌道病院にこもっている。そうだろう、蓮子!」
やはり人は名前を呼ばれるとスイッチが入る動物らしい。叫ばれた名前を噛み締め、彼女は口を開く。虚空を駆け抜けていくような、溌剌とした声が応答する。
「そんな大声出さなくても。聞こえてるわ」
二元論を越えて、肉体が精神に追いつく。
「そこまで回復したならもう大丈夫だね。君はもう不老不死だ。同意無くこんなことをやったのは悪かったけども、ボクも焦っていたんだ。
だがそれだけ君はやり残したことがあるんだ。どうか許してくれ」
「やり残したこと?」
本棚から小説たちが独りでに落ち、その裏に隠されていたスクリーンが顕になる。半透明の膜の向こうから、サー・アイザック・ニュートンが魂を透徹極まる目で見つめている。スクリーンに光が走り、やがて眼下五〇〇〇キロメートルの世界が明らかになる。それは迫る新年に対する祝祭だった。
「それはそれはもう沢山、本当に沢山ね。だが焦ることはないんだ。今は安逸に耽けろう」
声がそう言うと、スクリーンの裏から少女が突然現れた。縁の大きな羽帽子、嗅いだこともない芳香が薄く広がる。祝祭はクライマックスへ向かう。
「序曲『一八一二年』——それじゃあ、良いお年を」
少女は直ぐにスクリーンの後ろに消えた。 突然画面が引いていく。マルセイエーズがその栄光と共に消えていく。
「言い忘れていたけども、残念ながら火砲は使わないらしい」
引ききった画面の端は夜だった。だが青一色ではない。白熱する筋が駆けて、弾ける。
「『なんてこった、星がいっぱいだ!』ってね」
閃光と炸裂音、こちら側まで伝わってくる波の中で管楽器が高らかに響いていた。
***
間延びしたような衝撃が過ぎ去った後、私はゆっくりとベッドの縁に腰掛ける。不老不死はともかく、あの怪しい少女が少なくとも何か超越的な力を持っていたのは真実らしく、肉体は大学時代と遜色ない——それ以上の若さと活力を誇っていた。
ジョン・グレンが最後に飛んだのは七十七歳の時で、必ずしも冒険は若さを必要とはしないのだが、それでもバイタリティは重要だ。
思い切って脚に力を入れてみると、この低重力環境では思わず飛び上がってしまいそうな程の勢いで直立した。見渡してみればスクリーンも本棚も全く正常で、長い間私が使っていなかったこともあって薄く埃が積もっている。当然だがニュートンも、況してやあの少女もどこにも見当たらない。
代わりにサイドテーブルに切り分けられた瑞々しい桃が置いてあった。モノクロに近いこの病室では、その色はまるでそこだけ生気を取り戻したかのようだ。
気づけば自然と手が伸びていて、若返りの最大の受益者は美食家であると実感する。
しかし、こういうのは普通リンゴの仕事ではないだろうか?
取り留めもなく低軌道との往還便が接岸するのを天望窓から眺めていると、私はふとゾッとしない事実を思い出していた。
黄泉平坂の麓に生える木もまた、桃であったではないか……。
生と死の境界とは、案外簡単に揺らいでしまうのだ。