夕日が旧市街のビル群の背後に落ちていく。ふと予感がした。空を見上げた。
「16時35分9秒。場所は、京都市左京区新市街」
その瞬間、空が今いる時間と場所を告げる。
西の空にはいまだ茜色が強む滲む。ここからでは古い建物が邪魔で分からないが、太陽はまだ地平線を通過中なのだろう。
だが空の反対側では地球の青黒い影が天を覆いはじめ、東南東低く木星が輝く。
既に夜になった領域から生まれた一陣の冷たい風が、街路樹をごうと揺らす。風には色も匂いも味もないのに、その瞬間に、空気が窒素や酸素の混合物以上のなにか別のものに変わる。
昼が夜になる瞬間はいつも不思議だ。
太陽がそそくさと世界の舞台裏に退場していくまさにそのとき、星たちが元からそこに居たような素振りで空に次々と顔を出し――実際元からそこに居たのだが――、夜は古い知り合いのような顔をして私に語りかけてくるように感じる。「我々はずっとここにいる」「ここからは我々の時間だ」と。”我々”が何なのかは実はよく分からない。星々なのかもしれないし、他の星の文明なのかもしれないし、夜に生きる全ての不思議な生き物たちの声なのかもしれない。
私は世界が機械仕掛けの様に時を正確に刻む鼓動を聴きながら、世界を覆い隠していた昼の被膜が限りなく薄く透明になっていくのを見る。それは、常識から非常識の時間へのわくわくするような変化の合図。きっとこの夜の中でなら、皆が忘れてしまった不思議なものと出会えるに違いない。
星と月を見て、時間と場所を知る。私の能力の要約だ。でも夜空は私にとって、単なる時間や空間の数値を遥かに超えたものなのだ。得てして霊的な経験の印象は、出来事の要約にではなく細部に宿る。筋書すら忘れた小説のワンシーンがふとした瞬間に想起されリフレインするように。この感覚の変化は、口ではうまく説明ができない。
今ではこの昼と夜の境界の時間に大切な意味が増えた。私たちのオカルトサークルの活動が始まる合図だ。
普段のサークルの会合は、大学の講義終わりに合わせて夕方から夜になることが多い。裏表ルートから仕入れたとっておきの話題があるときは、私は約束の時間が近づくまで夜が降りてくるのを待ちながら空を眺め、不思議な天空の霊気の効力で頭を日常から非日常へ切り替えてメリーと会う。それが私の大切な儀式だ。
ただ、夜空に魅入られすぎると時間の感覚が狂ってしまい、気がつけば星の位置が最初とかなり変わっていたりして、待ち合わせによく遅刻してしまう。
メリーにこの感覚の変化を説明しようとして「水を飲んでいたらそれが口の中で一瞬で素敵なお酒に変わる感覚かな」と言ったことがある。
そう、夜空はお酒。私を酩酊させ、虜にし、果てしない探求の旅に向かわせようとする魔性の存在。私の拙い説明を聞いた彼女は神妙な顔をして「ふーむ」と言った。
そしてぽつりと、「夜の底にはいろんな存在が居るんだわ。あなたや、わたしのように」と呟いた。
それも一つの予感だった。
夜。それはあらゆる霊的な存在がその輝きを解き放つ時間。
逸脱者たちが昼間にかぶっていた仮面を脱ぎ捨て、秘密めいた会合をそこかしこで開き、旧型酒を酌み交わしながら、怪しげで素敵な噂話の秘密を暴く時間。
秘封倶楽部の時間の始まりだ。
はよ長編書け。
蓮子にだけわかる蓮子だけの世界が少しだけ見えた気がしました
合同の小説凄く良かったです。2024年の新作も楽しみにしてます