Coolier - 新生・東方創想話

木星未来共和国

2023/12/15 22:00:02
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宇佐見蓮子——冷笑的にして情熱的な稀代の冒険-叙述家、と本人が言っていた気がする——と向き合う上で困難なことはいくつかあった。遅刻癖は言わずもがなだろう。倫理的要求によって正当化された目的が、大体は私が酷い目に合っていた手段を正当化するという、一種のマキャベリズムもそうだ。
だが人類紀元一三〇〇一年の伝記家が彼女の行動を見つめ直す時、最も頭を悩ませることは何故私を追って来なかったのか、ということだろう。
最後に彼女を見たのは、国際軌道ホテル・イトカワのデッキだった。その三年後には不幸な手違いによって、イトカワ館は三人の英雄的人物を道連れに重力井戸を滑り落ちて行ったのだが。
兎も角も私はLHVG——月面人類前衛集団——のエッセイストの身分となった。本来ならば私よりも蓮子に向いた立場だとは思うが、今更そんなこと言っても仕方がない。

あれだけシニカルに宇宙開発を見ていた蓮子が、標準重力加速度を振り切ったのは興味深いことだが、その一端は彼女が京都人の高潔を衒った態度と、東京人の編み込まれた粗暴さに飽き飽きしていたことだと思う。やはりヴァカンスは、人間を人間たらしめる活力を与えるのだ。
「人類が火星に行くことすらない」
二〇八九年か九〇年に蓮子が私に言った言葉だ。確かにあの頃にはそう見えた。私も概ね同意した記憶がある。トリフネの暴走、有人火星探索の無期限延期、これらが全て、人類が岩石惑星どころか、地球-月系の外では生きては行けないことを示しているかのようだった。しかし、こんなことを私がどこかに書き残そうとしたところで、あらゆる天才も時代性から逃れることは出来ない、という常識に一例を付け加えるだけだろう。
陽の中に陰あり、陰の中に陽あり。これは完全な歴史法則に対する近似について言明だ。単純に考えれば、いつまでも膠着が続くわけが無い。ある時点で私はそれに気づかされ、蓮子はその機会が無かった。私は陽に賭け、彼女は陰に賭けた——そして私が勝った。
しかし一〇年間の内に断続的な技術革新があった。ケープタウンで核融合炉「アフリカの太陽」が商業運転を開始したのをきっかけに、二一〇一年には彼女もすっかり認めたようだった。

長径三十八万キロメートルの円盤の中に蓮子が居ようと居まいと、彼女の連絡先を私は知らなかった。知らされなかった。二〇九二年に大学の時計台前で別れた後、私たちは互いの動向を知らなかった。
その意味で再会は殆ど魔術のようなものだった。ある日突然差出人不明の手紙が届き、そこに私を訪ねたい旨が書かれていた。そうして完璧な時刻に蓮子はホテル・イトカワの国際ロビーに現れ、私に十年前と変わらない様子で話しかけた。

最後に低軌道行きのデッキまで蓮子を見送った時、私は月への移住と秘封倶楽部の正式な解散を提案した。今思えば、私はスパルタンな潔癖症に陥っていたようだ。地球は母なる星だが——古代から母性は、堕落と結び付けられて語られている、そう考えていた。
案の定彼女は両方を拒否し、「秘封倶楽部は全体が中核よ。貴方の目にも、私の頭にも、本質はない」と言い切った。
「それでいて秘封倶楽部は各人に最大限の好奇心を要求する。好奇心を持てる知的生命体、これが秘封倶楽部の最小構成単位を為すのよ。だから私はエウロパとガニメデへ行くわ」
そうして私がティコ・コロニーの六分の一Gで暇を潰す生活に逆戻りした。

***

回しそこねたペンがゆっくりと落ちていく。これがボールペンだったりすると、床を汚してしまう心配をしなければならないのだが、生憎ここではアナログな筆記具は無用の長物だった。
紙の欠乏はこの世界の代表的な例だ。地球は嘸かし笑っていることだろう。「聞いたか! 月の奴らはロクにケツも拭けない」と……。
机の上で音も無くマグが揺れる。太陽のように照る光をつまんで落とし、私は椅子に深く沈み込んだ。
きっと何らかの資材が、ティコ・ドライバーから打ち上げられる衝撃だろう。それは私には関係のないことのはずだった。

不意にベルが鳴った。太陽が射し込む。部屋の白が照り返す。不承不承と起き上がり、ドアカメラを覗き込んだ。
「やあ、メリー」そこには大学時代と姿形の変わらない蓮子が居た。

「どうしてまた急に? というか何で私の家を知ってるの?」
「宇宙論的裏表ルートよ。今日は相談があって来たの」
「あの船のことじゃないでしょうね」
「相変わらずのカンね。全くその通り」
最近、放射線の影響を大幅に抑制出来る新型宇宙船の話を聞いた。LHVGやフロンティア主義者が連合して推進している歴史的プロジェクト……らしい。
月軌道で建造され、火星フライバイを経ること無く直接木星まで飛ぶ計画だという。
「貴方、あれに関わってるの?」
再びマグが揺れた。熱めのブラックが波を作る。蓮子の好みは変わっていない。彼女は慎重に口を付けつつ、誇らしげに頷いた。

境界はどこにでも生まれるが、世界の際でのみ触れられる。蓮子にとってはそういうものだ。
ミューオン触媒核融合の流れ星、彼女は木星で秘封倶楽部をやるつもりなのだ。
アド・アストラ、よろしくお願いします。
夢魂
https://twitter.com/fanizdat
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コメント



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2.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
ガチガチのsfチックな世界観が面白かったです。
4.80夏後冬前削除
こういう雰囲気好きです
5.100名前が無い程度の能力削除
これは良いSFですね。「秘封倶楽部は各人に最大限の好奇心を要求する。好奇心を持てる知的生命体、これが秘封倶楽部の最小構成単位を為すのよ」のくだりは本当に秘封倶楽部の本質を突いている気がして好きです
6.100名前が無い程度の能力削除
こう、近未来感と秘封倶楽部の合わせ技で殴ってくる感じが良いです
8.100とらねこ削除
秘封俱楽部らしい知的な会話とSFチックな世界観が素敵です。