人鬼に呼ばれた酒宴がお開きとなり、饕餮尤魔は闇に沈んだ幻想郷を一人ぶらついていた。
気晴らしのためだと説き伏せて部下のオオワシ霊も先に帰らせてある。日ごろ見慣れないからか、天の星々は吸いつくように饕餮を見ている錯覚がした。
「さて、どっちに帰るか」
向かうはかぐわしき旧地獄の血の池か、一応はホームの畜生界か。黒塗りの山脈を見上げながら饕餮は分かれ道に突っ立っていた。中有の道と呼ばれる、あの世の道すがらであった。
饕餮率いる剛欲同盟は構成員がめいめいに行動する自由な組織だ。饕餮本人も例外ではない。トップの気質に照らした組織は連帯感に欠けるものの、それだけにボスの振る舞いを皆が輝きをもって仰いでいる。
地上の覇権を賭けた畜生たちの戦争が終いにされた今、まさに剛欲同盟長・饕餮尤魔が新たな道を示すべき時だった。
「食い足りなかった分を畜生界で補うか、血の池で腹を落ち着けるか……」
その道とはズバリ、正面から抗争を続けるか、よその組の出方を窺うかである。
饕餮にとって戦いとは食事であり、食事とは戦いだった。勝手手前な平和を尊ぶ鬼の宴に呼ばれた不愉快を、うまいこと解消したい気分だった。
「何かお悩みかな、饕餮尤魔殿」
不敵な声が小石となって投げこまれる。
饕餮が無機質に振り返った先には、群青の影が甘く笑って立っていた。すらりと高い長身がほのかに青白く浮かぶ。……いつからいたのか。
石油噴出の一件ですべてを食らう無敵の怪物、饕餮尤魔の名を知る者は多い。軽く笑った饕餮は身の丈ほどもある大匙をくるりと遊ばせた。
「いかにも私は饕餮だが、まず手前が名乗れよ」
「ふふ、お気を悪くされるな。私は飯綱丸龍と申します。以後お見知りおきください、剛欲同盟長殿」
柔和な笑みのまま飯綱丸は綺麗に頭を下げる。会釈にしても深すぎるそれは、特別小柄な饕餮を見下げぬようにとの配慮だったのだろう。
一方の饕餮はこのうやうやしい態度の女がただ者でないと嗅ぎつけ、眦(まなじり)を鋭くしていた。
確かに饕餮の名は幻想郷で通っている。
しかしこの女ははるか地獄の果ての畜生界に匿してきた『剛欲同盟長』の立場を敬ってきた。噂程度では知るはずのない言葉を含ませ、短い会話に毒を仕込んで揺さぶったのだ。
饕餮は腹の減りを覚えた。
戦いの狼煙を見出した。
「飯綱丸か。よく覚えたよ。お前もよほど私に詳しいようだな?」
「ええ。そうでなければお声がけしますまい」
「クックック。だろうなぁ、我先と逃げだす奴が大半だ。ならばお前も当然『名乗って』くれるんだろ飯綱丸」
瞳孔を細めて飯綱丸を指す。
名前を教えろと言ったのではない。どこの手の者かバラせと言ったのだ。威圧的なそれに怖気づくことなく、飯綱丸はほほえんで自分の背中を示した。
「私が背負うのは数多いる天狗たちです。山を統べる天魔様にお仕えし、部下たちを守る。それが大天狗である私の責務でございます」
「それまた立派な官職だ。部下もさぞ大勢抱えて」
饕餮はだるそうに匙を担ぎ、辺りの木々に目をやった。等間隔に妖気が数箇所、囲むように配置されている。鬼傑の名を引っ張るあれの闇討ちに比べれば、周囲の気配は夜半の月ほどによく目立った。随分ふがいない部下どもじゃないか。
「彼らは我々の会談に邪魔者が入らぬよう配置しています」
飯綱丸は何の動揺もなく補足をする。なるほど、推察力も馬鹿にならんらしい。
「……まあそこは信じてもいい。狙われるようなコバエくさい視線も感じなかったからな」
「饕餮殿は随分と聡明なお方だ。期待通りのあなたには、もう一つお伝えしたいことがありましてね」
「ほお?」
一拍置いて、飯綱丸の整った笑みが剥がれ落ちた。注目させた上での変身行為は、それ自体が一つの芸術かと思うほど、緻密な変わりようであった。飯綱丸は告げた。
「我々天狗は、あなたの敵なのです」
***
パチリとつまみ一つで天井のランプが照らされる。飴色の明かりが六角のガラス囲いに屈折し、黒茶色の柱が光になぞられて縦長の室内を明らかにする。飯綱丸と饕餮の歩みに床板は落ち着いた軋みで応えた。
「あなたを領の奥地まで招待できず申し訳ない。手狭だがご容赦いただきたい」
「構わん。広さを気にするほど私はデカくないからな」
「はは、無限の胃袋を持つと恐れられる方が、何をおっしゃる」
うわべの掛け合いがひやりとした床を滑っていく。饕餮が連れられたのは天狗領のすぐ内側に沿う歓待小屋だった。ほんの数歩で外に出る立地だから、関所と言うべきかもしれない。ホコリ臭さに目をつむれば外観に似合わぬハイカラな室内は整っていて堅牢だ。
飯綱丸に促されるまま饕餮は細長い椅子に腰かける。それは椅子によじ登ると評すべき格好だったが、小さき畜生王は何とも愚痴らなかった。
敵だと明かす勢力があるところ、あえて近づき利用するのが剛欲同盟、そして饕餮尤魔の流儀である。懐も胃袋も大きさが桁違いだった。
「この部屋は私とお前しかいないんだったな」
長机を隔てた向かいに飯綱丸が座る。
「ええ。部下の天狗は皆解散させました」
「『誰も』見ていないし、聞いていないんだな」
「保証はできかねますね」
饕餮はくつくつと喉を鳴らす。安易に「はい」と言わない抜け目なさはあの秘神に比肩するだろう。移動中に聞かされた話通りのお似合いぶりだ。
「笑える話だ。隠岐奈のやつに怨敵がいて、それが天狗とは」
「意外でしたか?」
「……ああ、いいや、だろうなって感じだ。そうだ、あいつの性根は胡乱のかたまりで敵が生まれんはずがない」
饕餮はノスタルジックな笑みで隠岐奈をこき下ろす。その名に思い馳せたのも、久方ぶりに感じられた。
秘神隠岐奈と饕餮は、石油もとい血の池の利権を折半する共同管理者である。実務はほぼ饕餮の担当で、血の池によどむ悪意が地上に漏れないよう管理するのが仕事……だった。だったと言うのは、その役目を放り出していたからだ。
短くも重厚な畜生戦争に浸っていた饕餮は、隠岐奈との繋がりにもサビが湧いて久しかった。
「ふふふ、疑わしい、と。協力者にそれを言われてはあの神も世話ないでしょうな」
隠岐奈の言われようを飯綱丸は素で面白がり、冷笑を指の隙間からこぼしている。饕餮はその仕草に不思議と、眉が寄る。鋭い歯並びで舌先を研ぎ、
「お前らも隠岐奈と似たようなもんだが」
同類だぞと、虚を突くように大天狗を殴った。
「……ほう」
「冗談だよ。二割くらいな」
「それはそれは、小粋でよろしい」
ほんの一瞬、笑みを落とした飯綱丸。『饕餮と隠岐奈が協力関係にあることも知っている』と懲りずにちらつかせてきた反撃だ。それだけが理由でもなかったが。
取り繕ってかそうでないか、飯綱丸は指を絡めて下がった調子で息を吐いた。
「饕餮殿は、我々が信用ならないとおっしゃるわけだ。あの後戸の神よりも」
「勘定を間違えるなよ。二割と言った」「ではその二割で以てお話を聞いていただきたい。あなたにもきっと旨味がある」
「む」
「いかがかな」
飯綱丸の話題のフックは素早く、主導権の奪取に随分手慣れていた。あまりこいつの好きに喋らせては厄介だ。饕餮は一つ蓄える。
「”私”はあなたと協定を結びたいと考えております」
「……協定だと?」
「お話しした通り、我々は後戸の神と敵対関係にございます。あなたが摩多羅隠岐奈と繋がっている以上、我らに牙をむかない保証はない。地上侵略を狙ったこたびの前科もございますし」
「……ウチのメリットはなんだ?」
「単純明快です。天狗と争って生じる損失の回避です」
それを聞くなり、饕餮はゲップよろしく息を吐き出し乱暴に椅子にもたれた。
「つまり、起きそうもない戦いの回避か」
そう吐き捨てた。メリットを聞いたのにこれでは詭弁だ。
剛欲同盟が天狗と矛を交えることはない。モットーに漁夫の利を据える剛欲同盟は、隠岐奈と天狗がどう険悪でどう争おうが、そこに加わる利が全くないのだ。
第一に話し合いの席を設けるあたり、天狗の戦意も薄いと見える。饕餮は椅子に全身を預けながらしゃがれた声を弾ませた。
「お前の考えはこうか? 形だけの協定を結び、隠岐奈と天狗の板挟みにして私の動きを鈍らせる。ついでに私と関係を深め、隠岐奈の共同管理権をかすめ取ってやろう」
その振る舞いすべてが礼節を欠いていた。指摘の正誤は二の次で、言い返してくれれば弁論の余地を一つ潰せる得がある。計算こみの横柄さだった。
対する飯綱丸は椅子に座り直し、その背を低く低く丸めた。小柄な饕餮よりさらに底から、睨(ね)めつける。
「先ほど言いそびれましたが『天狗』は私の名に読み替えて結構です」
「あ? どういう意味だ」
思わぬ返しだった。その反応を待っていたとばかりに、飯綱丸は卓の下に片手を潜らせ何かを漁り始める。拳銃でも出てくるかと饕餮は思ったが、いざ取り出されたのは一本の試験管だった。
「出なさい典」
白色に満たされたガラスの底が控えめに揺れる。少しして、小指の先ほどの細い口からにゅるるると、獣が一匹現れた。艶やかな純白の服を着せられた人型の狐だ。しっぽを毛羽立たせて飯綱丸の背に逃げこむ姿は、やたら饕餮に怯えているようだった。
「お、その狐、地獄で見た覚えがあるぞ。そうかお前が飼い主だったのか」
「さすが、覚えてらっしゃると」
飯綱丸はゆっくりと咀嚼するように頷き、腕を組んだ。
「……典はあの日傷だらけになって帰ってきましてね。問いただしてみれば、震えながら言ったのですよ。饕餮尤魔に乱暴されたと」
「おい待て」
饕餮は跳ね起きた。
「誤解だ。そいつをイジめたわけじゃない。半泣き顔で地獄をうろついてたから声をかけただけだ」
努めて冷静に訂正をかけるも、飯綱丸は気味悪く張りついた笑みのまま動じない。そのくせ心躍るほどの敵意をたぎらせている。
よくも隠せていたものだ。この天狗の目的は、ハナから個人的報復だったと言うのか?
「私としても饕餮殿と事を構えたくはありません」
「わざとじゃない。声をかけたら逃げ出すもんだからつい引き留めて」
「あいにくですが、『味方を害されたなら総出でかかれ』とは、我ら天狗の訓示でして」
「……めんどくせ」
あげくは話に割りこんでくる始末。ギザ歯を噛み合わせて饕餮は唸った。
逃げる狐を押し留めようと肩を掴んだ拍子に、引き倒してしまったのは事実だ。怖がらなくて大丈夫と言ってやったのだが、口止めまがいの恐怖体験と受け取られたらしい。
これだからザコは!
しかしどんな経緯であれ怪我させた事実がそこにある。飯綱丸に提示されたメリット──『損失の回避』は、差し迫った現実として饕餮の角を根っこから掴んでいた。よそのシマを荒らすのはこれ以上ない開戦の口実だ。
「ちっ」
じくじくと酸っぱく広がるマズさに饕餮は舌を出した。
一発戦り合って黙らせることも候補に挙げていたのに、天狗すべてを敵に回すと一蹴されては引っこめる他ない。いかに饕餮の魔力が強大でも引き際は肝心だ。
「さあ饕餮殿ご決断いただこう」
最善策は、天狗の申し出通り平和的協定の締結にある。いや、そう誘い出されている。
これまでの展開が自然の成り行きと思わせるほどに、入念な思考実験のなせる技。飯綱丸の振る舞いに饕餮はかの人鬼の面影を見た。
「く、クックック、ハッハハハ!」
饕餮は膝を叩いてのけぞり、机に立て掛けていた大匙をガシリと掴んだ。
「それがあなたの選択ですか」
戦闘態勢にもとれる動作を飯綱丸が見咎める。饕餮はモリのようなその切先を天狗に突きつけ「いいや」としたり顔をした。
「いやァ、な? メシって時に犬食いでは格好がつかんだろ」
「……」
「そう探るな。すぐ分かるよ」
余裕めいた顔もそこそこに饕餮が大口を開けた。真っ黒い穴が牙に囲われ、よだれが幾本も縦糸を張ってほつほつと切れていく。鎖を解かれゆく地獄の門にも見えた。
邪悪な門がバクリ!と閉じた瞬間、飯綱丸は枯れ葉のように背もたれに落ちた。傍目から見れば昏倒のそれだ。
「飯綱丸様!」
「……いい。典」
青ざめる狐を制し、飯綱丸は重たげに身を起こす。肌色は心なしか悪い。饕餮を探る眼光の赤みが、いっそう鮮やかだった。
「……これは、感情を食ったのか」
「正解だ。お前の『怒り』をパクッとな」
「存在の核が精神とはいえ、にわかに信じがたいですが」
「だろうよ。滅多に味わえない貴重な経験だからね」
弱肉強食に生きる畜生は、食らったモノを己の糧にして強くなる。その意味で何でも食らい吸収する饕餮は別格だ。数千年物になる饕餮の胃袋は、今や超巨大データバンクと相違ない。食ったものを『理解』できるその特質は、読んで字のごとく食い物が腑に落ちることで成り立っていた。
「お前の『怒り』は味がしなかったな? クックック、狐をやられた報復なんぞ本当は考えてないんだろ。こけおどしのユスリとは攻めた真似をする。嫌いじゃないがね」
味のしない感情は偽物の証。饕餮の指摘は間違いなく真であった。ろうそくのような指を立て、羊は瞳孔を燃え上がらせる。飯綱丸が答えに窮するものと期待していた。
しかし結果は真逆だった。飯綱丸は大笑いし、たっぷりと息を含んだ発声はこれでもかと余裕を誇示する。先ほどの両者の立場がまるまる逆転したかのように。
「おとなしく流されてくだされば良かったですが、はは、やはりあなたとは衝突したくないな」
そこには暗い怒りの影もなかった。あまりに清々しい容貌は饕餮に詰められるのも想定の内と匂わせてくる。そのくせ狐をなだめる手櫛は毛並みに沿って丁寧で、真心すら読めた。
狐への感情はすべてが嘘でもなかったのか、これすらも印象操作の一環か。食いちぎった『飯綱丸』を嚥下しながら、難解なやつめと饕餮は漏らした。
「それで饕餮殿、話は逸れましたが」
「……協定の話は、すぐには頷けん。だがウチもお前らとやり合うのはゴメンだ。今日だけで十分面倒だったからな」
「ふふ。前向きにご検討いただけるだけで喜ばしい。どうかな、和解の印に一杯」
狐が飯綱丸に耳打ちされてぱたぱたと部屋を出て行った。
「酒か。いいねぇ」
口直しにはちょうど良い。目の前に寄越された巨大盃を見て、饕餮は得物の大匙をやっと手放した。
そこに酒瓶を重たそうにした狐が戻ってきて、せせこましくお酌を始める。饕餮のそばにやって来た狐から漂う香り高さは飲まずとも分かる、ワインだ。
「試しに洋モノを用意してみましたが、お好きだったかな」
「果実酒は前に吸血鬼の館でたらふく飲んだ。が、あるなら飲む以外ないだろ」
「それは何より」
泡が細かに砕け、深いぶどう色が饕餮の盃になみなみと受けられていく。ボトル二本分の酒量は丸ごと一杯になり、饕餮は嬉々として酒器を構えた。
「あんたも飲みな」
「いいえ間に合っていますから。我々は」
「……ああ?」
自分から飲もうと言ったくせにか?
曇った饕餮をよそに、飯綱丸の盃には透明な酒が泉となって澄みきっていた。匂いからしてかなり強めの日本酒で、だからワインは無用と言いたかったのかと頭を回す。
「いや、待てよ」
──ぶどう酒を血に見立てる文化が異国にあるんすよー。
以前友人が披露していたうんちくを思い出し、腹に収めた『飯綱丸龍』の風味を確かめ直す。
狡猾不敵な大天狗の魔力は強大だ。それを肉体にまとうに留まらず、発する言葉の一つひとつに帯びていた。そして饕餮にとってのワイン──血とは、他ならぬ旧血の池地獄だった。
「……なら、悪くない提案だな」
「そうでしょう? お互い背中には気をつけねばね」
「フン」
意図が伝わったと判断したのか、飯綱丸は相好を崩し盃を掲げた。
「では──我らの実りある関係と発展を祈念して、乾杯」
***
饕餮が盃をひと呑みにして小屋を去ると、飯綱丸の背はようやく前傾姿勢を解いた。後ろにくっついてだんまりだった典もすかさず主人の顔をうかがいに進み出る。
「飯綱丸様、あれで良かったのですか」
「ああ。空き瓶の一本や二本、好きにくれてやればいいわ」
「いえそうではなくて。なんでこの流れでとぼけるの」
飯綱丸は頬をゆるめて典の髪をやわらかに撫でた。
「及第点は越したさ。お前から聞いた話よりよほど話の分かる奴じゃないか」
「『天狗は血の池に手を出さない』って、あいつは理解できましたかね」
「できているとも。聡明で慎重なのは良いことよ、話は通りやすいし誘導もたやすい」
そう言って満足げに笑みを深め、典の前髪を指に巻きつけていく。
饕餮だけに赤ワインを勧めたその意図は政治的メッセージの発信に他ならない。ワイン、つまり血は饕餮だけのものだと、そう言ったのだ。わざわざ暗示に留めたのは、背後に控える『敵』に神経を尖らせていたからだ。
飯綱丸は典の腰をやさしく撫でた。
「典。そろそろ疲れたでしょう」
「……ふふ、では先にお休みいただきます」
「うん。ごくろうさま」
典は一礼して飯綱丸の腰に付けられた家に帰っていく。前もって打ち合わせていたかのような物分かりのよさと手早さだった。
典の戻った試験管を、飯綱丸は懐へ丁寧にしまいこむ。一瞬訪れた静けさを終わらせるのは、溜め息でも、はたまた足音でもない。世にも奇妙な、扉の開く音だった。
「……饕餮は血の池の管理に戻るだろう。満足かな、摩多羅隠岐奈」
「ええ。貴方は想定通りの仕事をしてくれた」
深く腰掛けたシルエットが飯綱丸の背後に固まる。そこには究極の絶対秘神──摩多羅隠岐奈が化粧の笑みを浮かべて佇んでいた。
誰も見ていない背中へ瞬時に移動する秘神の前には、プライバシーなど存在しない。うさんくささは同じく賢者のスキマ妖怪といい勝負である。
飯綱丸は背部の敵に無視を決めこみ、余りの清酒を器に注ぎ直していく。「厄介者め」の意思表示に逆らって秘神はべらべらと舌を踊らせた。
「仕事を怠っていたあの畜生にとって『敵』の出現は良い刺激になったことでしょう。これにて地底に憂いなし。頼んで正解でした」
「頼んだ? 天狗がいつ摩多羅神の下請けになったのかな」
置かれた酒瓶がゴトリと威嚇の音を立てる。秘神の影は呼応するように回りこみ飯綱丸に相対した。
「『そういうこと』で手打ちにしてやろうと言っているのが分からないか?」
「おやおや……平和協定の締結相手を脅すとは」
「私の領分に踏みこむ不敬を働いたのはそちらだぞ」
強調された『平和協定』のうつくしさも虚しく、隠岐奈と飯綱丸に寒々しい風が吹き抜ける。
天狗と隠岐奈が敵同士という飯綱丸の説明は嘘ではない。単に今は平和協定を結ぶ間柄であり、その実態が停戦合意に近いという、不安定さがあるだけだ。饕餮が食いつきやすいよう、『敵』という都合のいい真実だけを抜き出し彩っただけなのだ。
「……まあ、どちらにせよ今回の一件は大天狗合議にかからない私の独断です。質疑応答は私が受け付けますし、平和協定を破る意図はありませんのでご心配なく」
「独断であるから油断ならんのだがね」
「ええ? それ言います?」
飯綱丸は肩をすくめ、悪辣に口角を持ち上げた。困ったような笑ったような口元からうすらに覗く八重歯が、その証拠だ。これ見よがしにぶら下げられた隙に隠岐奈は呆れ声を上げる。
「……天狗の名義を用いなければ協定の破棄もたやすかろうし、個人の愚行としてしまえば損切りが楽でしょう」
「何が言いたいのかな」
「つくづくお前は利益の最大化に余念がない」
「おや。そのように取られたか」
「私の指摘を待ち侘びていたくせにとぼけるな」
言い返す代わりに、飯綱丸は「素晴らしい。素晴らしい」と仏の笑みで唱えた。
──隠岐奈を出し抜いて饕餮と協定を結ぶ。
大天狗の計画は秘神に看破されることを前提とした企てだった。真意を見抜かれずに腹を立てられては、かえって困るほどに綱渡りなシロモノだったからだ。
協定締結の暁には、天狗は自領の安全保障を確立し、隠岐奈は血の池の管理を盤石なものとし、饕餮は地上の情報と血の池を手に入れられる三方良し。おまけに表向きの勢力図はいっさい書き換えないときた。
だからこそ隠岐奈は黙認する。せざるを得ない。
たとえメリットが釣り合っていなくても、幻想郷に持ちこまれる混沌を防ぐことが真の利益となる。
飯綱丸は摩多羅隠岐奈を信用して……いや、足元を見たのだった。
「これぞ相互理解がもたらした外交の成果です。あなたならば、この祝いの場にお越しくださると信じていましたよ」
隠岐奈が不満を垂らしにきたと悟りながら、飯綱丸は楽しそうに手を揉んだ。いかにも締めに入ろうというところに鋭い声が飛ぶ。
「質疑応答は受け付けるんでしたね」
「ええ。構いませんとも」
またもワープした隠岐奈は飯綱丸の眼前に現れた。机の直上に椅子ごと浮遊し、ブーツの爪先は飯綱丸の鼻先を蹴り折ろうと思えば叶う至近距離。飯綱丸はおもむろに目線を上向けた。片肘をついて、首の支えに変える。
「あなたの管狐は畜生界の有力者と密にしていた。中でも鬼傑組と勁牙組の組長に取り合っていたそうですね」
「そのようですね。知ったときは私も驚きました」
「鬼傑組と勁牙組に、ですよ」
そこで言葉を切り上げる。
鬼傑、勁牙に続き、剛欲同盟とも接触を図った天狗の意図はなにか。閉鎖社会が狙うところはなにか。
──天狗は幻想郷外勢力と組み、楽園の秩序を積極的に破壊しないだろうな。
改めて天狗を問いただし睨みをきかせんとする幻想郷の賢者は、要となる問いをわざと隠した。
へたに尋ねれば飯綱丸が問いの隙間から逃げる。
へたに答えれば隠岐奈に手の内を晒してしまう。
解釈の余白を奪い合う静かな鍔迫り合いが場の空気を濃く重く硬くしていく。
両者の瞳はチリチリと色を焦がし、緋色黄色と溶鉱炉の鉄みたく踊った。
「……我々の見解を述べることはできかねます」
初めに斬りこんだのは飯綱丸だった。
「教えていただけるか」
何をとは言わず、隠岐奈はこれまた含ませて聞き返した。
「典は、饕餮尤魔だけは恐ろしいと弱音を吐いておりました。ほか二つの組とは雄々しく渡り合ったあの子が関係を諦めるほどには」
黒のマントの内に忍ばせたガラス管を包むように手を添えて、飯綱丸は隠岐奈にほほえみかけた。
「であれば、かわいい部下の頑張りは活かしてあげたいものでしょう?」
あたかも親の眼差しでうっとりと呟く。饕餮尤魔との接触は『飯綱丸龍の欲から生じたもの』とする主張の押し通しでもあった。
隠岐奈は長く長く黙考し、見透かさんばかりに飯綱丸を視線でなぶり、それから、
「相違ない」
と言って首を縦に振ることにした。
***
打ち棄てられた地獄の辺境、広大な旧血の池地獄に天火人ちやりは漂っていた。薄暗い空気のなか、血液の湖面に浮かぶ姿はナイトプール客のような優雅さすらある。
頬に生温かい血の波が打ち寄せてくる。その歩調から友達の帰りを知ったちやりは、ひょろ長い胴をむくりと起こす。血糊まみれの岸辺から立派な巻き角がのっしのっしと歩み寄ってきた。
「ちやりー帰ったぞ」
「饕餮おかえりー。んーーよいこらせっせ」
ちやりはねとつく真っ赤な湖面をしっぽでピタンと叩き立ち上がる。愛嬌あるチュパカブラにふさわしい振る舞いをしようと、こうして時々実践を重ねていた。
饕餮の手にはいつもの大匙と、液面の揺れるガラス瓶が二本あった。
「遅かったね。道草でも食ってたんすか?」
「まあな。二次会ってやつか」
「えーいいなー」
「そうだろ。土産も持ってきたぜ」
誇らしげに瓶を振る饕餮にちやりの目は輝いた。不健康な猫背が元気よく伸び、「ワイン!」と叫んで瓶を受け取る。うきうきとコルクを引っこ抜いて口をつけるなり、すぐに叫んだ。
「これ中身が血じゃないすかー!」
ワインボトルの赤色は饕餮がそこらで汲んできた、なに変哲ない味だった。臓腑に絡みつき燃え上がらせる、呪いと怨嗟と活力の味。祝杯終わりのボトルにちゃっかり注ぎなおしたというわけだ。
「前にお前、血とワインは同じだって得意げに言ってたじゃないか」
「あれはまたワインが飲みたいなって意味を込めたんすよ! あーあ、吸血鬼の館に行ったんじゃないかって期待したのになぁ」
「それならお前も連れていくだろ」
「え」
「……なんだよ」
「……へへ」
ちやりが照れくさそうに頬を掻く。鏡像のように饕餮の笑みも弾けた。
「なんかこれワインの味してきました」
「な。お前の言った通りだったわけだ」
「っすねー」
意味があるようでないような掛け合いを赫々(かっかく)の海に投げていく。幾度も幾度も、ボトルで血だまりをすくっては舌の根で受け止め、平らげていく。
天狗と舌戦を繰り広げたからだろう、血液のうねるような激情と怠惰がいい熱冷ましになる。ちやりが横でうまそうに飲むのを見ればさらにおかわりが進んだ。
「ちやり」
「なんすか」
「ここは居心地いいよな」
ちやりは口元をごしごしと拭い、腰元で小さくピースを作った。
「最高っすね」
「だよなァ」
饕餮は飯綱丸を信用しきってなかったが、だからどうする気もなかった。
畜生王はすでに大天狗のカケラを食らい、あとは消化し尽くすのを待つのみだ。とはいえ複雑極まる『飯綱丸』を理解しきれるまで、カケラは饕餮の胃袋を永く転がり続けるだろう。
そうして吸収した『飯綱丸』に精神を揺すられ、己をすり替えられてたとしても、饕餮は構いやしなかった。
吸収した物の性質に影響を受ける副作用は饕餮が背負う何千年来の業のようなもの。ともすればアイデンティティの崩壊を招く不安要素も、自身の一部として饕餮は認めていた。
「……そうだ、今からオオワシたちの顔を見に行かないか」
「こんな時間から畜生界っすか? 遠いんだがなあー」
「ほらモタモタしてると尻叩いちまうぞ」
「悪い物でも食ったでしょー」
「ハハハ、心配するな。もとより悪食だよ」
それに、いま胸を占める『近しい者への親しみ』はなかなか気分も悪くない。吸血鬼や八雲の家々を回るのも良いだろう。
饕餮に初めて根を張ったこの感情の出どころが、いったい誰なのかも深く知る気もなかった。
外出不慣れなちやりの手を引いて饕餮はぺたぺたと歩き始める。
饕餮が皆を顧みてくれたと報告が走ると、一日もかけず剛欲同盟に感激が走った。
気晴らしのためだと説き伏せて部下のオオワシ霊も先に帰らせてある。日ごろ見慣れないからか、天の星々は吸いつくように饕餮を見ている錯覚がした。
「さて、どっちに帰るか」
向かうはかぐわしき旧地獄の血の池か、一応はホームの畜生界か。黒塗りの山脈を見上げながら饕餮は分かれ道に突っ立っていた。中有の道と呼ばれる、あの世の道すがらであった。
饕餮率いる剛欲同盟は構成員がめいめいに行動する自由な組織だ。饕餮本人も例外ではない。トップの気質に照らした組織は連帯感に欠けるものの、それだけにボスの振る舞いを皆が輝きをもって仰いでいる。
地上の覇権を賭けた畜生たちの戦争が終いにされた今、まさに剛欲同盟長・饕餮尤魔が新たな道を示すべき時だった。
「食い足りなかった分を畜生界で補うか、血の池で腹を落ち着けるか……」
その道とはズバリ、正面から抗争を続けるか、よその組の出方を窺うかである。
饕餮にとって戦いとは食事であり、食事とは戦いだった。勝手手前な平和を尊ぶ鬼の宴に呼ばれた不愉快を、うまいこと解消したい気分だった。
「何かお悩みかな、饕餮尤魔殿」
不敵な声が小石となって投げこまれる。
饕餮が無機質に振り返った先には、群青の影が甘く笑って立っていた。すらりと高い長身がほのかに青白く浮かぶ。……いつからいたのか。
石油噴出の一件ですべてを食らう無敵の怪物、饕餮尤魔の名を知る者は多い。軽く笑った饕餮は身の丈ほどもある大匙をくるりと遊ばせた。
「いかにも私は饕餮だが、まず手前が名乗れよ」
「ふふ、お気を悪くされるな。私は飯綱丸龍と申します。以後お見知りおきください、剛欲同盟長殿」
柔和な笑みのまま飯綱丸は綺麗に頭を下げる。会釈にしても深すぎるそれは、特別小柄な饕餮を見下げぬようにとの配慮だったのだろう。
一方の饕餮はこのうやうやしい態度の女がただ者でないと嗅ぎつけ、眦(まなじり)を鋭くしていた。
確かに饕餮の名は幻想郷で通っている。
しかしこの女ははるか地獄の果ての畜生界に匿してきた『剛欲同盟長』の立場を敬ってきた。噂程度では知るはずのない言葉を含ませ、短い会話に毒を仕込んで揺さぶったのだ。
饕餮は腹の減りを覚えた。
戦いの狼煙を見出した。
「飯綱丸か。よく覚えたよ。お前もよほど私に詳しいようだな?」
「ええ。そうでなければお声がけしますまい」
「クックック。だろうなぁ、我先と逃げだす奴が大半だ。ならばお前も当然『名乗って』くれるんだろ飯綱丸」
瞳孔を細めて飯綱丸を指す。
名前を教えろと言ったのではない。どこの手の者かバラせと言ったのだ。威圧的なそれに怖気づくことなく、飯綱丸はほほえんで自分の背中を示した。
「私が背負うのは数多いる天狗たちです。山を統べる天魔様にお仕えし、部下たちを守る。それが大天狗である私の責務でございます」
「それまた立派な官職だ。部下もさぞ大勢抱えて」
饕餮はだるそうに匙を担ぎ、辺りの木々に目をやった。等間隔に妖気が数箇所、囲むように配置されている。鬼傑の名を引っ張るあれの闇討ちに比べれば、周囲の気配は夜半の月ほどによく目立った。随分ふがいない部下どもじゃないか。
「彼らは我々の会談に邪魔者が入らぬよう配置しています」
飯綱丸は何の動揺もなく補足をする。なるほど、推察力も馬鹿にならんらしい。
「……まあそこは信じてもいい。狙われるようなコバエくさい視線も感じなかったからな」
「饕餮殿は随分と聡明なお方だ。期待通りのあなたには、もう一つお伝えしたいことがありましてね」
「ほお?」
一拍置いて、飯綱丸の整った笑みが剥がれ落ちた。注目させた上での変身行為は、それ自体が一つの芸術かと思うほど、緻密な変わりようであった。飯綱丸は告げた。
「我々天狗は、あなたの敵なのです」
***
パチリとつまみ一つで天井のランプが照らされる。飴色の明かりが六角のガラス囲いに屈折し、黒茶色の柱が光になぞられて縦長の室内を明らかにする。飯綱丸と饕餮の歩みに床板は落ち着いた軋みで応えた。
「あなたを領の奥地まで招待できず申し訳ない。手狭だがご容赦いただきたい」
「構わん。広さを気にするほど私はデカくないからな」
「はは、無限の胃袋を持つと恐れられる方が、何をおっしゃる」
うわべの掛け合いがひやりとした床を滑っていく。饕餮が連れられたのは天狗領のすぐ内側に沿う歓待小屋だった。ほんの数歩で外に出る立地だから、関所と言うべきかもしれない。ホコリ臭さに目をつむれば外観に似合わぬハイカラな室内は整っていて堅牢だ。
飯綱丸に促されるまま饕餮は細長い椅子に腰かける。それは椅子によじ登ると評すべき格好だったが、小さき畜生王は何とも愚痴らなかった。
敵だと明かす勢力があるところ、あえて近づき利用するのが剛欲同盟、そして饕餮尤魔の流儀である。懐も胃袋も大きさが桁違いだった。
「この部屋は私とお前しかいないんだったな」
長机を隔てた向かいに飯綱丸が座る。
「ええ。部下の天狗は皆解散させました」
「『誰も』見ていないし、聞いていないんだな」
「保証はできかねますね」
饕餮はくつくつと喉を鳴らす。安易に「はい」と言わない抜け目なさはあの秘神に比肩するだろう。移動中に聞かされた話通りのお似合いぶりだ。
「笑える話だ。隠岐奈のやつに怨敵がいて、それが天狗とは」
「意外でしたか?」
「……ああ、いいや、だろうなって感じだ。そうだ、あいつの性根は胡乱のかたまりで敵が生まれんはずがない」
饕餮はノスタルジックな笑みで隠岐奈をこき下ろす。その名に思い馳せたのも、久方ぶりに感じられた。
秘神隠岐奈と饕餮は、石油もとい血の池の利権を折半する共同管理者である。実務はほぼ饕餮の担当で、血の池によどむ悪意が地上に漏れないよう管理するのが仕事……だった。だったと言うのは、その役目を放り出していたからだ。
短くも重厚な畜生戦争に浸っていた饕餮は、隠岐奈との繋がりにもサビが湧いて久しかった。
「ふふふ、疑わしい、と。協力者にそれを言われてはあの神も世話ないでしょうな」
隠岐奈の言われようを飯綱丸は素で面白がり、冷笑を指の隙間からこぼしている。饕餮はその仕草に不思議と、眉が寄る。鋭い歯並びで舌先を研ぎ、
「お前らも隠岐奈と似たようなもんだが」
同類だぞと、虚を突くように大天狗を殴った。
「……ほう」
「冗談だよ。二割くらいな」
「それはそれは、小粋でよろしい」
ほんの一瞬、笑みを落とした飯綱丸。『饕餮と隠岐奈が協力関係にあることも知っている』と懲りずにちらつかせてきた反撃だ。それだけが理由でもなかったが。
取り繕ってかそうでないか、飯綱丸は指を絡めて下がった調子で息を吐いた。
「饕餮殿は、我々が信用ならないとおっしゃるわけだ。あの後戸の神よりも」
「勘定を間違えるなよ。二割と言った」「ではその二割で以てお話を聞いていただきたい。あなたにもきっと旨味がある」
「む」
「いかがかな」
飯綱丸の話題のフックは素早く、主導権の奪取に随分手慣れていた。あまりこいつの好きに喋らせては厄介だ。饕餮は一つ蓄える。
「”私”はあなたと協定を結びたいと考えております」
「……協定だと?」
「お話しした通り、我々は後戸の神と敵対関係にございます。あなたが摩多羅隠岐奈と繋がっている以上、我らに牙をむかない保証はない。地上侵略を狙ったこたびの前科もございますし」
「……ウチのメリットはなんだ?」
「単純明快です。天狗と争って生じる損失の回避です」
それを聞くなり、饕餮はゲップよろしく息を吐き出し乱暴に椅子にもたれた。
「つまり、起きそうもない戦いの回避か」
そう吐き捨てた。メリットを聞いたのにこれでは詭弁だ。
剛欲同盟が天狗と矛を交えることはない。モットーに漁夫の利を据える剛欲同盟は、隠岐奈と天狗がどう険悪でどう争おうが、そこに加わる利が全くないのだ。
第一に話し合いの席を設けるあたり、天狗の戦意も薄いと見える。饕餮は椅子に全身を預けながらしゃがれた声を弾ませた。
「お前の考えはこうか? 形だけの協定を結び、隠岐奈と天狗の板挟みにして私の動きを鈍らせる。ついでに私と関係を深め、隠岐奈の共同管理権をかすめ取ってやろう」
その振る舞いすべてが礼節を欠いていた。指摘の正誤は二の次で、言い返してくれれば弁論の余地を一つ潰せる得がある。計算こみの横柄さだった。
対する飯綱丸は椅子に座り直し、その背を低く低く丸めた。小柄な饕餮よりさらに底から、睨(ね)めつける。
「先ほど言いそびれましたが『天狗』は私の名に読み替えて結構です」
「あ? どういう意味だ」
思わぬ返しだった。その反応を待っていたとばかりに、飯綱丸は卓の下に片手を潜らせ何かを漁り始める。拳銃でも出てくるかと饕餮は思ったが、いざ取り出されたのは一本の試験管だった。
「出なさい典」
白色に満たされたガラスの底が控えめに揺れる。少しして、小指の先ほどの細い口からにゅるるると、獣が一匹現れた。艶やかな純白の服を着せられた人型の狐だ。しっぽを毛羽立たせて飯綱丸の背に逃げこむ姿は、やたら饕餮に怯えているようだった。
「お、その狐、地獄で見た覚えがあるぞ。そうかお前が飼い主だったのか」
「さすが、覚えてらっしゃると」
飯綱丸はゆっくりと咀嚼するように頷き、腕を組んだ。
「……典はあの日傷だらけになって帰ってきましてね。問いただしてみれば、震えながら言ったのですよ。饕餮尤魔に乱暴されたと」
「おい待て」
饕餮は跳ね起きた。
「誤解だ。そいつをイジめたわけじゃない。半泣き顔で地獄をうろついてたから声をかけただけだ」
努めて冷静に訂正をかけるも、飯綱丸は気味悪く張りついた笑みのまま動じない。そのくせ心躍るほどの敵意をたぎらせている。
よくも隠せていたものだ。この天狗の目的は、ハナから個人的報復だったと言うのか?
「私としても饕餮殿と事を構えたくはありません」
「わざとじゃない。声をかけたら逃げ出すもんだからつい引き留めて」
「あいにくですが、『味方を害されたなら総出でかかれ』とは、我ら天狗の訓示でして」
「……めんどくせ」
あげくは話に割りこんでくる始末。ギザ歯を噛み合わせて饕餮は唸った。
逃げる狐を押し留めようと肩を掴んだ拍子に、引き倒してしまったのは事実だ。怖がらなくて大丈夫と言ってやったのだが、口止めまがいの恐怖体験と受け取られたらしい。
これだからザコは!
しかしどんな経緯であれ怪我させた事実がそこにある。飯綱丸に提示されたメリット──『損失の回避』は、差し迫った現実として饕餮の角を根っこから掴んでいた。よそのシマを荒らすのはこれ以上ない開戦の口実だ。
「ちっ」
じくじくと酸っぱく広がるマズさに饕餮は舌を出した。
一発戦り合って黙らせることも候補に挙げていたのに、天狗すべてを敵に回すと一蹴されては引っこめる他ない。いかに饕餮の魔力が強大でも引き際は肝心だ。
「さあ饕餮殿ご決断いただこう」
最善策は、天狗の申し出通り平和的協定の締結にある。いや、そう誘い出されている。
これまでの展開が自然の成り行きと思わせるほどに、入念な思考実験のなせる技。飯綱丸の振る舞いに饕餮はかの人鬼の面影を見た。
「く、クックック、ハッハハハ!」
饕餮は膝を叩いてのけぞり、机に立て掛けていた大匙をガシリと掴んだ。
「それがあなたの選択ですか」
戦闘態勢にもとれる動作を飯綱丸が見咎める。饕餮はモリのようなその切先を天狗に突きつけ「いいや」としたり顔をした。
「いやァ、な? メシって時に犬食いでは格好がつかんだろ」
「……」
「そう探るな。すぐ分かるよ」
余裕めいた顔もそこそこに饕餮が大口を開けた。真っ黒い穴が牙に囲われ、よだれが幾本も縦糸を張ってほつほつと切れていく。鎖を解かれゆく地獄の門にも見えた。
邪悪な門がバクリ!と閉じた瞬間、飯綱丸は枯れ葉のように背もたれに落ちた。傍目から見れば昏倒のそれだ。
「飯綱丸様!」
「……いい。典」
青ざめる狐を制し、飯綱丸は重たげに身を起こす。肌色は心なしか悪い。饕餮を探る眼光の赤みが、いっそう鮮やかだった。
「……これは、感情を食ったのか」
「正解だ。お前の『怒り』をパクッとな」
「存在の核が精神とはいえ、にわかに信じがたいですが」
「だろうよ。滅多に味わえない貴重な経験だからね」
弱肉強食に生きる畜生は、食らったモノを己の糧にして強くなる。その意味で何でも食らい吸収する饕餮は別格だ。数千年物になる饕餮の胃袋は、今や超巨大データバンクと相違ない。食ったものを『理解』できるその特質は、読んで字のごとく食い物が腑に落ちることで成り立っていた。
「お前の『怒り』は味がしなかったな? クックック、狐をやられた報復なんぞ本当は考えてないんだろ。こけおどしのユスリとは攻めた真似をする。嫌いじゃないがね」
味のしない感情は偽物の証。饕餮の指摘は間違いなく真であった。ろうそくのような指を立て、羊は瞳孔を燃え上がらせる。飯綱丸が答えに窮するものと期待していた。
しかし結果は真逆だった。飯綱丸は大笑いし、たっぷりと息を含んだ発声はこれでもかと余裕を誇示する。先ほどの両者の立場がまるまる逆転したかのように。
「おとなしく流されてくだされば良かったですが、はは、やはりあなたとは衝突したくないな」
そこには暗い怒りの影もなかった。あまりに清々しい容貌は饕餮に詰められるのも想定の内と匂わせてくる。そのくせ狐をなだめる手櫛は毛並みに沿って丁寧で、真心すら読めた。
狐への感情はすべてが嘘でもなかったのか、これすらも印象操作の一環か。食いちぎった『飯綱丸』を嚥下しながら、難解なやつめと饕餮は漏らした。
「それで饕餮殿、話は逸れましたが」
「……協定の話は、すぐには頷けん。だがウチもお前らとやり合うのはゴメンだ。今日だけで十分面倒だったからな」
「ふふ。前向きにご検討いただけるだけで喜ばしい。どうかな、和解の印に一杯」
狐が飯綱丸に耳打ちされてぱたぱたと部屋を出て行った。
「酒か。いいねぇ」
口直しにはちょうど良い。目の前に寄越された巨大盃を見て、饕餮は得物の大匙をやっと手放した。
そこに酒瓶を重たそうにした狐が戻ってきて、せせこましくお酌を始める。饕餮のそばにやって来た狐から漂う香り高さは飲まずとも分かる、ワインだ。
「試しに洋モノを用意してみましたが、お好きだったかな」
「果実酒は前に吸血鬼の館でたらふく飲んだ。が、あるなら飲む以外ないだろ」
「それは何より」
泡が細かに砕け、深いぶどう色が饕餮の盃になみなみと受けられていく。ボトル二本分の酒量は丸ごと一杯になり、饕餮は嬉々として酒器を構えた。
「あんたも飲みな」
「いいえ間に合っていますから。我々は」
「……ああ?」
自分から飲もうと言ったくせにか?
曇った饕餮をよそに、飯綱丸の盃には透明な酒が泉となって澄みきっていた。匂いからしてかなり強めの日本酒で、だからワインは無用と言いたかったのかと頭を回す。
「いや、待てよ」
──ぶどう酒を血に見立てる文化が異国にあるんすよー。
以前友人が披露していたうんちくを思い出し、腹に収めた『飯綱丸龍』の風味を確かめ直す。
狡猾不敵な大天狗の魔力は強大だ。それを肉体にまとうに留まらず、発する言葉の一つひとつに帯びていた。そして饕餮にとってのワイン──血とは、他ならぬ旧血の池地獄だった。
「……なら、悪くない提案だな」
「そうでしょう? お互い背中には気をつけねばね」
「フン」
意図が伝わったと判断したのか、飯綱丸は相好を崩し盃を掲げた。
「では──我らの実りある関係と発展を祈念して、乾杯」
***
饕餮が盃をひと呑みにして小屋を去ると、飯綱丸の背はようやく前傾姿勢を解いた。後ろにくっついてだんまりだった典もすかさず主人の顔をうかがいに進み出る。
「飯綱丸様、あれで良かったのですか」
「ああ。空き瓶の一本や二本、好きにくれてやればいいわ」
「いえそうではなくて。なんでこの流れでとぼけるの」
飯綱丸は頬をゆるめて典の髪をやわらかに撫でた。
「及第点は越したさ。お前から聞いた話よりよほど話の分かる奴じゃないか」
「『天狗は血の池に手を出さない』って、あいつは理解できましたかね」
「できているとも。聡明で慎重なのは良いことよ、話は通りやすいし誘導もたやすい」
そう言って満足げに笑みを深め、典の前髪を指に巻きつけていく。
饕餮だけに赤ワインを勧めたその意図は政治的メッセージの発信に他ならない。ワイン、つまり血は饕餮だけのものだと、そう言ったのだ。わざわざ暗示に留めたのは、背後に控える『敵』に神経を尖らせていたからだ。
飯綱丸は典の腰をやさしく撫でた。
「典。そろそろ疲れたでしょう」
「……ふふ、では先にお休みいただきます」
「うん。ごくろうさま」
典は一礼して飯綱丸の腰に付けられた家に帰っていく。前もって打ち合わせていたかのような物分かりのよさと手早さだった。
典の戻った試験管を、飯綱丸は懐へ丁寧にしまいこむ。一瞬訪れた静けさを終わらせるのは、溜め息でも、はたまた足音でもない。世にも奇妙な、扉の開く音だった。
「……饕餮は血の池の管理に戻るだろう。満足かな、摩多羅隠岐奈」
「ええ。貴方は想定通りの仕事をしてくれた」
深く腰掛けたシルエットが飯綱丸の背後に固まる。そこには究極の絶対秘神──摩多羅隠岐奈が化粧の笑みを浮かべて佇んでいた。
誰も見ていない背中へ瞬時に移動する秘神の前には、プライバシーなど存在しない。うさんくささは同じく賢者のスキマ妖怪といい勝負である。
飯綱丸は背部の敵に無視を決めこみ、余りの清酒を器に注ぎ直していく。「厄介者め」の意思表示に逆らって秘神はべらべらと舌を踊らせた。
「仕事を怠っていたあの畜生にとって『敵』の出現は良い刺激になったことでしょう。これにて地底に憂いなし。頼んで正解でした」
「頼んだ? 天狗がいつ摩多羅神の下請けになったのかな」
置かれた酒瓶がゴトリと威嚇の音を立てる。秘神の影は呼応するように回りこみ飯綱丸に相対した。
「『そういうこと』で手打ちにしてやろうと言っているのが分からないか?」
「おやおや……平和協定の締結相手を脅すとは」
「私の領分に踏みこむ不敬を働いたのはそちらだぞ」
強調された『平和協定』のうつくしさも虚しく、隠岐奈と飯綱丸に寒々しい風が吹き抜ける。
天狗と隠岐奈が敵同士という飯綱丸の説明は嘘ではない。単に今は平和協定を結ぶ間柄であり、その実態が停戦合意に近いという、不安定さがあるだけだ。饕餮が食いつきやすいよう、『敵』という都合のいい真実だけを抜き出し彩っただけなのだ。
「……まあ、どちらにせよ今回の一件は大天狗合議にかからない私の独断です。質疑応答は私が受け付けますし、平和協定を破る意図はありませんのでご心配なく」
「独断であるから油断ならんのだがね」
「ええ? それ言います?」
飯綱丸は肩をすくめ、悪辣に口角を持ち上げた。困ったような笑ったような口元からうすらに覗く八重歯が、その証拠だ。これ見よがしにぶら下げられた隙に隠岐奈は呆れ声を上げる。
「……天狗の名義を用いなければ協定の破棄もたやすかろうし、個人の愚行としてしまえば損切りが楽でしょう」
「何が言いたいのかな」
「つくづくお前は利益の最大化に余念がない」
「おや。そのように取られたか」
「私の指摘を待ち侘びていたくせにとぼけるな」
言い返す代わりに、飯綱丸は「素晴らしい。素晴らしい」と仏の笑みで唱えた。
──隠岐奈を出し抜いて饕餮と協定を結ぶ。
大天狗の計画は秘神に看破されることを前提とした企てだった。真意を見抜かれずに腹を立てられては、かえって困るほどに綱渡りなシロモノだったからだ。
協定締結の暁には、天狗は自領の安全保障を確立し、隠岐奈は血の池の管理を盤石なものとし、饕餮は地上の情報と血の池を手に入れられる三方良し。おまけに表向きの勢力図はいっさい書き換えないときた。
だからこそ隠岐奈は黙認する。せざるを得ない。
たとえメリットが釣り合っていなくても、幻想郷に持ちこまれる混沌を防ぐことが真の利益となる。
飯綱丸は摩多羅隠岐奈を信用して……いや、足元を見たのだった。
「これぞ相互理解がもたらした外交の成果です。あなたならば、この祝いの場にお越しくださると信じていましたよ」
隠岐奈が不満を垂らしにきたと悟りながら、飯綱丸は楽しそうに手を揉んだ。いかにも締めに入ろうというところに鋭い声が飛ぶ。
「質疑応答は受け付けるんでしたね」
「ええ。構いませんとも」
またもワープした隠岐奈は飯綱丸の眼前に現れた。机の直上に椅子ごと浮遊し、ブーツの爪先は飯綱丸の鼻先を蹴り折ろうと思えば叶う至近距離。飯綱丸はおもむろに目線を上向けた。片肘をついて、首の支えに変える。
「あなたの管狐は畜生界の有力者と密にしていた。中でも鬼傑組と勁牙組の組長に取り合っていたそうですね」
「そのようですね。知ったときは私も驚きました」
「鬼傑組と勁牙組に、ですよ」
そこで言葉を切り上げる。
鬼傑、勁牙に続き、剛欲同盟とも接触を図った天狗の意図はなにか。閉鎖社会が狙うところはなにか。
──天狗は幻想郷外勢力と組み、楽園の秩序を積極的に破壊しないだろうな。
改めて天狗を問いただし睨みをきかせんとする幻想郷の賢者は、要となる問いをわざと隠した。
へたに尋ねれば飯綱丸が問いの隙間から逃げる。
へたに答えれば隠岐奈に手の内を晒してしまう。
解釈の余白を奪い合う静かな鍔迫り合いが場の空気を濃く重く硬くしていく。
両者の瞳はチリチリと色を焦がし、緋色黄色と溶鉱炉の鉄みたく踊った。
「……我々の見解を述べることはできかねます」
初めに斬りこんだのは飯綱丸だった。
「教えていただけるか」
何をとは言わず、隠岐奈はこれまた含ませて聞き返した。
「典は、饕餮尤魔だけは恐ろしいと弱音を吐いておりました。ほか二つの組とは雄々しく渡り合ったあの子が関係を諦めるほどには」
黒のマントの内に忍ばせたガラス管を包むように手を添えて、飯綱丸は隠岐奈にほほえみかけた。
「であれば、かわいい部下の頑張りは活かしてあげたいものでしょう?」
あたかも親の眼差しでうっとりと呟く。饕餮尤魔との接触は『飯綱丸龍の欲から生じたもの』とする主張の押し通しでもあった。
隠岐奈は長く長く黙考し、見透かさんばかりに飯綱丸を視線でなぶり、それから、
「相違ない」
と言って首を縦に振ることにした。
***
打ち棄てられた地獄の辺境、広大な旧血の池地獄に天火人ちやりは漂っていた。薄暗い空気のなか、血液の湖面に浮かぶ姿はナイトプール客のような優雅さすらある。
頬に生温かい血の波が打ち寄せてくる。その歩調から友達の帰りを知ったちやりは、ひょろ長い胴をむくりと起こす。血糊まみれの岸辺から立派な巻き角がのっしのっしと歩み寄ってきた。
「ちやりー帰ったぞ」
「饕餮おかえりー。んーーよいこらせっせ」
ちやりはねとつく真っ赤な湖面をしっぽでピタンと叩き立ち上がる。愛嬌あるチュパカブラにふさわしい振る舞いをしようと、こうして時々実践を重ねていた。
饕餮の手にはいつもの大匙と、液面の揺れるガラス瓶が二本あった。
「遅かったね。道草でも食ってたんすか?」
「まあな。二次会ってやつか」
「えーいいなー」
「そうだろ。土産も持ってきたぜ」
誇らしげに瓶を振る饕餮にちやりの目は輝いた。不健康な猫背が元気よく伸び、「ワイン!」と叫んで瓶を受け取る。うきうきとコルクを引っこ抜いて口をつけるなり、すぐに叫んだ。
「これ中身が血じゃないすかー!」
ワインボトルの赤色は饕餮がそこらで汲んできた、なに変哲ない味だった。臓腑に絡みつき燃え上がらせる、呪いと怨嗟と活力の味。祝杯終わりのボトルにちゃっかり注ぎなおしたというわけだ。
「前にお前、血とワインは同じだって得意げに言ってたじゃないか」
「あれはまたワインが飲みたいなって意味を込めたんすよ! あーあ、吸血鬼の館に行ったんじゃないかって期待したのになぁ」
「それならお前も連れていくだろ」
「え」
「……なんだよ」
「……へへ」
ちやりが照れくさそうに頬を掻く。鏡像のように饕餮の笑みも弾けた。
「なんかこれワインの味してきました」
「な。お前の言った通りだったわけだ」
「っすねー」
意味があるようでないような掛け合いを赫々(かっかく)の海に投げていく。幾度も幾度も、ボトルで血だまりをすくっては舌の根で受け止め、平らげていく。
天狗と舌戦を繰り広げたからだろう、血液のうねるような激情と怠惰がいい熱冷ましになる。ちやりが横でうまそうに飲むのを見ればさらにおかわりが進んだ。
「ちやり」
「なんすか」
「ここは居心地いいよな」
ちやりは口元をごしごしと拭い、腰元で小さくピースを作った。
「最高っすね」
「だよなァ」
饕餮は飯綱丸を信用しきってなかったが、だからどうする気もなかった。
畜生王はすでに大天狗のカケラを食らい、あとは消化し尽くすのを待つのみだ。とはいえ複雑極まる『飯綱丸』を理解しきれるまで、カケラは饕餮の胃袋を永く転がり続けるだろう。
そうして吸収した『飯綱丸』に精神を揺すられ、己をすり替えられてたとしても、饕餮は構いやしなかった。
吸収した物の性質に影響を受ける副作用は饕餮が背負う何千年来の業のようなもの。ともすればアイデンティティの崩壊を招く不安要素も、自身の一部として饕餮は認めていた。
「……そうだ、今からオオワシたちの顔を見に行かないか」
「こんな時間から畜生界っすか? 遠いんだがなあー」
「ほらモタモタしてると尻叩いちまうぞ」
「悪い物でも食ったでしょー」
「ハハハ、心配するな。もとより悪食だよ」
それに、いま胸を占める『近しい者への親しみ』はなかなか気分も悪くない。吸血鬼や八雲の家々を回るのも良いだろう。
饕餮に初めて根を張ったこの感情の出どころが、いったい誰なのかも深く知る気もなかった。
外出不慣れなちやりの手を引いて饕餮はぺたぺたと歩き始める。
饕餮が皆を顧みてくれたと報告が走ると、一日もかけず剛欲同盟に感激が走った。
バチバチにやり合っている饕餮たちがカッコよかったです
饕餮の、どんな気質を取り込んで自分が変質しても構わず楽しめる性質がしっかりと描かれており、好みでした。
ありがとうございました。
天狗社会の窮屈さって長の一人である龍も縛るものだと思うんですが、縛られた役割で演じる政治劇に窮屈さが見られず好きなようにやりたい放題やってる感が流石だなあと