――夜の森に入るなら、そいつは二度と生きては帰れない。
幻想郷の人里で広く知られる言葉の一つだ。
暗くて何も見えないだけでなく、暗闇に潜む妖怪や幽霊に引きずり込まれ、たちまち食われてしまう。だから普通の人は夜に森に入ろうとはしない。
しかし、それでも森に入っていく人がいる。彼らは口を揃えて、先程の警句に続けてこう話す。
――ただし森で香ばしい蒲焼の匂いがしたら、提灯の明かりを探すこと。
その先には小さな屋台があり、桃色の髪を紺色の手ぬぐいでまとめた、小さな女将がいる。
「けほっ、けほっ……。蒲焼の煙が目に染みる……。」
女将、ミスティア・ローレライは屋台の看板メニュー、ヤツメウナギの蒲焼の仕込みの最中だった。夜雀の妖怪である彼女は、自分の翼で火に風を送っている。
「ちょっと風が強すぎたかな。煙は喉に悪いから、あんまり吸いたくないのよね」
それでも彼女は風を弱めない。この火加減が美味しさの秘訣だからだ。そして風に乗って森に広まる香りが、客の呼び込みにもなっていた。
とはいえ来る客も森の中では限られていて、決まってくるのは人外か、人に化けた人外、あるいは人外に負けないくらい強い人間だけだった。
「こんばんは、ミスティアー! 今日もいい匂い!」
「ああ、響子。まだ開店前よ」
大きな声で挨拶をするのは、犬耳の生えた少女。幽谷響子という山彦の妖怪だ。
「友達のお店を手伝いに来たのよ。だから早めで大丈夫!」
「嬉しいけど、準備はほとんど終わってるんだけど……」
「こっちのお手伝いも、実はもう終わっているのです! 実は、お客さんを呼んだのよ!」
ふふん、と満足そうにする響子。が、ミスティアは少し不安そうにしていた。
「あなたが呼べるような人って、命蓮寺の人たちよね? お酒はダメだから、ご飯足りるかしら……?」
命蓮寺は戒律でお酒を禁止されていると聞く。さらによく食べる住職の方もいるという話もあった。
一番の利益元であるお酒が出せず、手間がかかる料理をたくさん用意しないといけないとなると、間違いなく今日の営業は忙しくなる。
ミスティアがこの後の忙しさに覚悟を決めていると、響子はちっちっち、と口を鳴らして指をふる。
「違うんだなぁ。今日はお寺繋がりじゃなくて、『鳥獣伎楽』つながりのお友達なの!」
「え、そっち? 最近ライブできてなかったのに、どうやって知り合ったのよ?」
「『鳥獣伎楽』のライブ資金獲得ためにミスティアが屋台をやってるって話をしたら、来たいって言ってくれたの! 地底の妖怪で、アイドルしてるんだって!」
「アイドルねぇ……。じゃあ私もどこかで見たことあるのかな」
「多分そろそろ来るんじゃないかな?」
「もういるよー。タレのいい匂いで、すぐわかったわ」
ミスティアと響子の他に声が聞こえる。屋台からあたりを見渡すが、誰も見当たらない。
「こっちだよ、こっち。後ろだよ」
後ろを振り返ると、空中で逆さ吊りになっている少女がいた。
「ぎゃああああああああ!?」
「きゃー!? 響子、抑えてー!」
響子の驚きの悲鳴が、少女を吹き飛ばす。山から山へ届くほどの妖怪の大声は、人間くらいの大きさの物を吹き飛ばすことは簡単だった。
が、相手も妖怪である。少し痛そうにしながらすぐに戻ってきた。
「いたた、びっくりしたー。すんごい声量だね。さすがは『鳥獣伎楽』のボーカリストだ」
「ご、ごめんなさい。でも、驚かせる方も悪いと思うけど?」
「ええと、あなたが響子のお友達で、アイドルの人?」
「そうだよ。私は黒谷ヤマメ。種族は土蜘蛛。特技は建築。趣味はアイドル。よろしくね」
金髪に全身茶色のコーデ、スカートは蜘蛛の尻のように丸く膨らんでいる。挨拶をするのにくるりと回って、目の横でピースサイン。
こなれたような、けれど自然な可愛さは、たしかに彼女が舞台慣れしているように見える。
「趣味にしては、堂に入っている感じがするわね。立派なアイドルって感じ」
「そう言ってくれると嬉しいね。普段は疫病を操る危険なやつで知られてるから」
「私とは初めてよね。私はミスティア・ローレライ。この屋台の女将よ」
「それで『鳥獣伎楽』のもう一人のボーカルでしょ? ライブと違って、割烹着だと落ち着いた人って感じね」
「まあ、最近はライブできてないから、こっちのほうが見慣れてる人も多いんじゃないかな」
挨拶をしながら、ヤマメをカウンターの席に案内する。
「ライブの資金を稼ぐついでに、焼き鳥撲滅のために屋台を始めたんだけど、今じゃすっかり手一杯で……」
「屋台、人気なんだよ! ライブできてないのは、ちょっぴり寂しいけど」
「あー、本業のために別の仕事が忙しくなるやつだ。わかるなぁ、その気持ち。とりあえず一杯、お酒をもらえる?」
ミスティアは手慣れた様子でヤマメにお酒を注ぎ、会話をしながらお通しのおつまみを作り始める。
「あなたも大工をしながらアイドルを?」
「まあね。でも忙しいとアイドル活動もできないから、ちょっとモヤモヤすることもあるよ」
「私もそうよ。それなりにファンの人もいてくれるけど、女将とボーカル、どっちが本当にやりたいことか、ちょっと考えちゃうこともあるのよね」
「え、それ初めて聞いたよ!? 悩んでたの!?」
静かにお通しをヤマメに出す横で、響子が不安そうに近寄ってくる。
「大丈夫よ、相談するほど辛いわけじゃなかったもの。だから心配しないで、お酒用の氷、作っておいてくれる?」
「もう、些細なことでも話してよ。大事なパートナーなんだから」
不満そうにしながら、響子は屋台の裏へ言われた仕事をこなしに向かった。
「いいチームじゃない『鳥獣伎楽』って。ソロと違って、相談相手がいるっていいなぁ」
「いいでしょう? でも、自慢のパートナーにライブの機会を作れないようじゃ、申し訳ないのよね……」
「ああ、そういう人がいる故の悩みってのは大変そうだ。でも、一つ解決策を知ってる」
お通しを一口食べて、ヤマメはミスティアに向き直る。
「ライブをやってしまう。そうすれば全部解決するよ」
「それができたら苦労しないわよ。今が一番忙しい時期なんだから」
「別に大きなライブじゃなくてもいい。ちょこっとやるだけでもいいの。ライブ活動をどんな規模でもやるのが効くんだよ」
きっぱりいいくるヤマメの目は、まっすぐミスティアを捉えてくる。まるで獲物を見つけた蜘蛛のようにも思えて、ミスティアは目をそらして料理の用意を始める。
「そうねえ。小さいライブならできそうかな。落ち着いたら再開しようと思うけど」
「いつ落ち着くかなんて、わからないでしょ。やれる時に動いた方がいい」
「そういうあなたは、最近アイドルとして活動できてるの?」
ヤマメの言葉が糸のように絡みついてきて、ミスティアの包丁を握る手が重くなる。
次第に料理を作る手を止めて、話をすることしかできなくなっていた。
「ちょうど響子ちゃんと知り会ったときにね。私のライブの後に話をしたんだ」
「そうだったの……。後で響子から感想を聞かないとね」
「聞かせてあげるよ。あの子、ライブやりたがってた。でも、『鳥獣伎楽』のために忙しく屋台を出してるから、わがまま言ったらダメだってさ」
ミスティアは屋台の裏手の方を見た。響子がお酒用の氷を砕く音だけが、変わりなく聞こえる。
「だから今日は遊びに来たんだ。もう一人の『鳥獣伎楽』とも話を聞きたくなってさ」
「それは……、なんと言えばいいのか、ありがとうって言えばいいのかしら?」
「良かったよ。まだギリギリ引き返せそうな感じで。私も今みたいになってたから」
「それは、仕事が忙しくなってたってこと?」
ヤマメは自分でお酒を注ぎ直しながら語り始める。
「ちょっといい衣装作ってみようとか、そんな感じでお金を稼いでたときにね。大工の仕事はうまく言ったけど、アイドル活動は全然しなくなってった。なんか、火がつかないというか……。わかるでしょ?」
「そうね。好きでやってたのに、何故かもう一度復帰しようと思っても、身体が動かない感じ。その場では考えるのに、次の瞬間には忘れてしまう。まるで鳥頭みたい」
「でもね、ちょうど今みたいなお酒の席で、きっかけがあったんだ」
ヤマメはぐいっとお酒を飲み干す。ほんの少し、頬が赤くなり始めていた。
「たまたま酒の余興で歌う機会があったんだ。気分が良くて、思いっきり歌ったらさ、酒屋中から拍手喝采。気持ちよかったなぁ……」
「いいわね。歌で湧かせたときって、すごく気持ちいいのよね」
「そうなんだよ! 思い出したんだ。アイドルを趣味で始めたときの気持ち。自分の歌が伝わって、誰かの気持ちを動かせたっていう快感っていうのかな」
ヤマメは再びミスティアのことを正面から見つめる。
「あなたは覚えてる? 初めてもっと歌いたいって思ったときのこと」
ミスティアも目をそらさずに答える。
「覚えてる。妖怪として人を鳥目にするのも好きだけど、歌で誰かの反応を引き出すのって、もっと気持ちがよかった。じゃなかったら、バンドなんて組んでない」
ミスティアの答えを聞いたヤマメは、にっこりと満足そうに笑った。
「じゃあ大丈夫だ。好きなことなら、どんなに離れても忘れない。ふとしたきっかけで、戻ってくる」
「私が、歌を止めると思ってたの?」
「響子ちゃんの話だけだったらね。だけど、いい話が聞けて安心したよ。次は『鳥獣伎楽』とアイドルとして、会いたいなって思ったから」
「必ず会えるわ。燻ってたけど、いい話が聞けたもの」
ミスティアは準備していたヤツメウナギの蒲焼を盛り付け、ヤマメに出した。
「サービスよ。お話聞いてたら、火を通しすぎて売り物にならないの」
「わあ、豪華なおつまみ! ありがたくごちそうになろうかな」
「今度は商品になる方を頼んでね。美味しさ、全然違うから」
「わかってる。これなら冷たいお酒がいいかな。氷もらえる?」
「はいはい。響子、氷できてるー?」
出来てるよ、と大声で裏から聞こえると、響子が氷を持って戻ってきた。
「音で砕いたほうが早かったかな。他に手伝うことってある?」
「そうね……。うん、あるわ。手伝ってほしいこと」
「ずいぶん考えるね。何するの?」
少しだけ考えて、ミスティアはゆっくりと口を開く。
「あのね……。急で申し訳ないんだけど、屋台でちょっと歌おうかなって、思ったの。で、一緒に歌ってくれると――」
「やる!! すっごいやる!!」
屋台が揺れるほどの爆音と、これ以上ないほどの笑顔で響子は返事をした。
「私、久々に一緒に歌えるの、すっごい嬉しいよ! 何歌う!? いきなりロックは大変だから、持ち歌じゃなくてもいいよ!」
「ああ、ありがとう。何するかも決めたいから、一旦落ち着きましょうか。屋台が持たないわ……」
「わっ、ごめん! でも、本当に嬉しいんだ! 『鳥獣伎楽』として活動できるの!」
とても嬉しそうにする響子に、ミスティアも自然と笑顔になる。
「長いこと待たせてごめんね。でも、今日は歌いたい気分になったから」
「いいのいいの! 歌いたい時に歌うのが、一番楽しいんだから!」
「良かったね、響子ちゃん。私、二人が歌うまでお店残ろうかな。生歌聞きたーい」
ミスティアは紺色の手ぬぐいを外して、割烹着を畳む。そしていつもの雀色の帽子をかぶる。
「じゃあ急いで歌う曲だけ決めちゃいましょう。メモしておかないと忘れちゃうのよね」
「覚えるの苦手だもんねぇ。でも、曲決めてメモが埋まってくのも楽しいんだよね」
「あ、私ちょっとだけリクエストあるんだけど、いい?」
「いいわよ。そうだ、何曲かお客さんにリクエスト聞いちゃうのもいいかな?」
「それ面白そう! なんでも歌うよ!」
そうして今日のミスティアの屋台には、お品書きの隣に曲のセトリが追加された。突然の『鳥獣伎楽』のライブに、屋台は大盛況。この日から客足が急に増えたという。
ミスティアはお品書きに一言、歌のリクエストも承ります、と追記するようになった。
幻想郷の人里で広く知られる言葉の一つだ。
暗くて何も見えないだけでなく、暗闇に潜む妖怪や幽霊に引きずり込まれ、たちまち食われてしまう。だから普通の人は夜に森に入ろうとはしない。
しかし、それでも森に入っていく人がいる。彼らは口を揃えて、先程の警句に続けてこう話す。
――ただし森で香ばしい蒲焼の匂いがしたら、提灯の明かりを探すこと。
その先には小さな屋台があり、桃色の髪を紺色の手ぬぐいでまとめた、小さな女将がいる。
「けほっ、けほっ……。蒲焼の煙が目に染みる……。」
女将、ミスティア・ローレライは屋台の看板メニュー、ヤツメウナギの蒲焼の仕込みの最中だった。夜雀の妖怪である彼女は、自分の翼で火に風を送っている。
「ちょっと風が強すぎたかな。煙は喉に悪いから、あんまり吸いたくないのよね」
それでも彼女は風を弱めない。この火加減が美味しさの秘訣だからだ。そして風に乗って森に広まる香りが、客の呼び込みにもなっていた。
とはいえ来る客も森の中では限られていて、決まってくるのは人外か、人に化けた人外、あるいは人外に負けないくらい強い人間だけだった。
「こんばんは、ミスティアー! 今日もいい匂い!」
「ああ、響子。まだ開店前よ」
大きな声で挨拶をするのは、犬耳の生えた少女。幽谷響子という山彦の妖怪だ。
「友達のお店を手伝いに来たのよ。だから早めで大丈夫!」
「嬉しいけど、準備はほとんど終わってるんだけど……」
「こっちのお手伝いも、実はもう終わっているのです! 実は、お客さんを呼んだのよ!」
ふふん、と満足そうにする響子。が、ミスティアは少し不安そうにしていた。
「あなたが呼べるような人って、命蓮寺の人たちよね? お酒はダメだから、ご飯足りるかしら……?」
命蓮寺は戒律でお酒を禁止されていると聞く。さらによく食べる住職の方もいるという話もあった。
一番の利益元であるお酒が出せず、手間がかかる料理をたくさん用意しないといけないとなると、間違いなく今日の営業は忙しくなる。
ミスティアがこの後の忙しさに覚悟を決めていると、響子はちっちっち、と口を鳴らして指をふる。
「違うんだなぁ。今日はお寺繋がりじゃなくて、『鳥獣伎楽』つながりのお友達なの!」
「え、そっち? 最近ライブできてなかったのに、どうやって知り合ったのよ?」
「『鳥獣伎楽』のライブ資金獲得ためにミスティアが屋台をやってるって話をしたら、来たいって言ってくれたの! 地底の妖怪で、アイドルしてるんだって!」
「アイドルねぇ……。じゃあ私もどこかで見たことあるのかな」
「多分そろそろ来るんじゃないかな?」
「もういるよー。タレのいい匂いで、すぐわかったわ」
ミスティアと響子の他に声が聞こえる。屋台からあたりを見渡すが、誰も見当たらない。
「こっちだよ、こっち。後ろだよ」
後ろを振り返ると、空中で逆さ吊りになっている少女がいた。
「ぎゃああああああああ!?」
「きゃー!? 響子、抑えてー!」
響子の驚きの悲鳴が、少女を吹き飛ばす。山から山へ届くほどの妖怪の大声は、人間くらいの大きさの物を吹き飛ばすことは簡単だった。
が、相手も妖怪である。少し痛そうにしながらすぐに戻ってきた。
「いたた、びっくりしたー。すんごい声量だね。さすがは『鳥獣伎楽』のボーカリストだ」
「ご、ごめんなさい。でも、驚かせる方も悪いと思うけど?」
「ええと、あなたが響子のお友達で、アイドルの人?」
「そうだよ。私は黒谷ヤマメ。種族は土蜘蛛。特技は建築。趣味はアイドル。よろしくね」
金髪に全身茶色のコーデ、スカートは蜘蛛の尻のように丸く膨らんでいる。挨拶をするのにくるりと回って、目の横でピースサイン。
こなれたような、けれど自然な可愛さは、たしかに彼女が舞台慣れしているように見える。
「趣味にしては、堂に入っている感じがするわね。立派なアイドルって感じ」
「そう言ってくれると嬉しいね。普段は疫病を操る危険なやつで知られてるから」
「私とは初めてよね。私はミスティア・ローレライ。この屋台の女将よ」
「それで『鳥獣伎楽』のもう一人のボーカルでしょ? ライブと違って、割烹着だと落ち着いた人って感じね」
「まあ、最近はライブできてないから、こっちのほうが見慣れてる人も多いんじゃないかな」
挨拶をしながら、ヤマメをカウンターの席に案内する。
「ライブの資金を稼ぐついでに、焼き鳥撲滅のために屋台を始めたんだけど、今じゃすっかり手一杯で……」
「屋台、人気なんだよ! ライブできてないのは、ちょっぴり寂しいけど」
「あー、本業のために別の仕事が忙しくなるやつだ。わかるなぁ、その気持ち。とりあえず一杯、お酒をもらえる?」
ミスティアは手慣れた様子でヤマメにお酒を注ぎ、会話をしながらお通しのおつまみを作り始める。
「あなたも大工をしながらアイドルを?」
「まあね。でも忙しいとアイドル活動もできないから、ちょっとモヤモヤすることもあるよ」
「私もそうよ。それなりにファンの人もいてくれるけど、女将とボーカル、どっちが本当にやりたいことか、ちょっと考えちゃうこともあるのよね」
「え、それ初めて聞いたよ!? 悩んでたの!?」
静かにお通しをヤマメに出す横で、響子が不安そうに近寄ってくる。
「大丈夫よ、相談するほど辛いわけじゃなかったもの。だから心配しないで、お酒用の氷、作っておいてくれる?」
「もう、些細なことでも話してよ。大事なパートナーなんだから」
不満そうにしながら、響子は屋台の裏へ言われた仕事をこなしに向かった。
「いいチームじゃない『鳥獣伎楽』って。ソロと違って、相談相手がいるっていいなぁ」
「いいでしょう? でも、自慢のパートナーにライブの機会を作れないようじゃ、申し訳ないのよね……」
「ああ、そういう人がいる故の悩みってのは大変そうだ。でも、一つ解決策を知ってる」
お通しを一口食べて、ヤマメはミスティアに向き直る。
「ライブをやってしまう。そうすれば全部解決するよ」
「それができたら苦労しないわよ。今が一番忙しい時期なんだから」
「別に大きなライブじゃなくてもいい。ちょこっとやるだけでもいいの。ライブ活動をどんな規模でもやるのが効くんだよ」
きっぱりいいくるヤマメの目は、まっすぐミスティアを捉えてくる。まるで獲物を見つけた蜘蛛のようにも思えて、ミスティアは目をそらして料理の用意を始める。
「そうねえ。小さいライブならできそうかな。落ち着いたら再開しようと思うけど」
「いつ落ち着くかなんて、わからないでしょ。やれる時に動いた方がいい」
「そういうあなたは、最近アイドルとして活動できてるの?」
ヤマメの言葉が糸のように絡みついてきて、ミスティアの包丁を握る手が重くなる。
次第に料理を作る手を止めて、話をすることしかできなくなっていた。
「ちょうど響子ちゃんと知り会ったときにね。私のライブの後に話をしたんだ」
「そうだったの……。後で響子から感想を聞かないとね」
「聞かせてあげるよ。あの子、ライブやりたがってた。でも、『鳥獣伎楽』のために忙しく屋台を出してるから、わがまま言ったらダメだってさ」
ミスティアは屋台の裏手の方を見た。響子がお酒用の氷を砕く音だけが、変わりなく聞こえる。
「だから今日は遊びに来たんだ。もう一人の『鳥獣伎楽』とも話を聞きたくなってさ」
「それは……、なんと言えばいいのか、ありがとうって言えばいいのかしら?」
「良かったよ。まだギリギリ引き返せそうな感じで。私も今みたいになってたから」
「それは、仕事が忙しくなってたってこと?」
ヤマメは自分でお酒を注ぎ直しながら語り始める。
「ちょっといい衣装作ってみようとか、そんな感じでお金を稼いでたときにね。大工の仕事はうまく言ったけど、アイドル活動は全然しなくなってった。なんか、火がつかないというか……。わかるでしょ?」
「そうね。好きでやってたのに、何故かもう一度復帰しようと思っても、身体が動かない感じ。その場では考えるのに、次の瞬間には忘れてしまう。まるで鳥頭みたい」
「でもね、ちょうど今みたいなお酒の席で、きっかけがあったんだ」
ヤマメはぐいっとお酒を飲み干す。ほんの少し、頬が赤くなり始めていた。
「たまたま酒の余興で歌う機会があったんだ。気分が良くて、思いっきり歌ったらさ、酒屋中から拍手喝采。気持ちよかったなぁ……」
「いいわね。歌で湧かせたときって、すごく気持ちいいのよね」
「そうなんだよ! 思い出したんだ。アイドルを趣味で始めたときの気持ち。自分の歌が伝わって、誰かの気持ちを動かせたっていう快感っていうのかな」
ヤマメは再びミスティアのことを正面から見つめる。
「あなたは覚えてる? 初めてもっと歌いたいって思ったときのこと」
ミスティアも目をそらさずに答える。
「覚えてる。妖怪として人を鳥目にするのも好きだけど、歌で誰かの反応を引き出すのって、もっと気持ちがよかった。じゃなかったら、バンドなんて組んでない」
ミスティアの答えを聞いたヤマメは、にっこりと満足そうに笑った。
「じゃあ大丈夫だ。好きなことなら、どんなに離れても忘れない。ふとしたきっかけで、戻ってくる」
「私が、歌を止めると思ってたの?」
「響子ちゃんの話だけだったらね。だけど、いい話が聞けて安心したよ。次は『鳥獣伎楽』とアイドルとして、会いたいなって思ったから」
「必ず会えるわ。燻ってたけど、いい話が聞けたもの」
ミスティアは準備していたヤツメウナギの蒲焼を盛り付け、ヤマメに出した。
「サービスよ。お話聞いてたら、火を通しすぎて売り物にならないの」
「わあ、豪華なおつまみ! ありがたくごちそうになろうかな」
「今度は商品になる方を頼んでね。美味しさ、全然違うから」
「わかってる。これなら冷たいお酒がいいかな。氷もらえる?」
「はいはい。響子、氷できてるー?」
出来てるよ、と大声で裏から聞こえると、響子が氷を持って戻ってきた。
「音で砕いたほうが早かったかな。他に手伝うことってある?」
「そうね……。うん、あるわ。手伝ってほしいこと」
「ずいぶん考えるね。何するの?」
少しだけ考えて、ミスティアはゆっくりと口を開く。
「あのね……。急で申し訳ないんだけど、屋台でちょっと歌おうかなって、思ったの。で、一緒に歌ってくれると――」
「やる!! すっごいやる!!」
屋台が揺れるほどの爆音と、これ以上ないほどの笑顔で響子は返事をした。
「私、久々に一緒に歌えるの、すっごい嬉しいよ! 何歌う!? いきなりロックは大変だから、持ち歌じゃなくてもいいよ!」
「ああ、ありがとう。何するかも決めたいから、一旦落ち着きましょうか。屋台が持たないわ……」
「わっ、ごめん! でも、本当に嬉しいんだ! 『鳥獣伎楽』として活動できるの!」
とても嬉しそうにする響子に、ミスティアも自然と笑顔になる。
「長いこと待たせてごめんね。でも、今日は歌いたい気分になったから」
「いいのいいの! 歌いたい時に歌うのが、一番楽しいんだから!」
「良かったね、響子ちゃん。私、二人が歌うまでお店残ろうかな。生歌聞きたーい」
ミスティアは紺色の手ぬぐいを外して、割烹着を畳む。そしていつもの雀色の帽子をかぶる。
「じゃあ急いで歌う曲だけ決めちゃいましょう。メモしておかないと忘れちゃうのよね」
「覚えるの苦手だもんねぇ。でも、曲決めてメモが埋まってくのも楽しいんだよね」
「あ、私ちょっとだけリクエストあるんだけど、いい?」
「いいわよ。そうだ、何曲かお客さんにリクエスト聞いちゃうのもいいかな?」
「それ面白そう! なんでも歌うよ!」
そうして今日のミスティアの屋台には、お品書きの隣に曲のセトリが追加された。突然の『鳥獣伎楽』のライブに、屋台は大盛況。この日から客足が急に増えたという。
ミスティアはお品書きに一言、歌のリクエストも承ります、と追記するようになった。
ふとしたきっかけで、戻ってくる」
ヤマメのこの台詞、現実もそうかもしれないと思いました。
面白かったです。
音楽に屋台に忙しくしているミスティアがかわいらしかったです
ヤマメとの会話も軽妙でよかったです