「……………………朝か」
博麗神社の朝は早い。
太陽が顔を覗かせると共に起きたら、まずは炊き出しのための薪を用意する。雑多な物置と化している神社横の高床倉庫から薪を一抱え分持ち出し、本殿の台所へと行く。着いたら米研ぎだ。羽釜へ2人分の米を入れ、水を注いでジャクジャクと洗っていく。
「…っ、つーー。もう春とはいえ、まだまだ冷たい、手が冷える……」
洗い終えたら竈にセットし、火起こしをする。焚口に枯れ葉を少し並べたら、優秀な着火剤へと転生を遂げた『文々。新聞』の切れ端を種火に火を起こしていく(一応、記事の文面は読んでいるつもりだ。ある程度は)。無事に火が大きくなったら小さい薪からくべ、米を炊いていく。同じ要領で隣の竈にも火を付け、そちらの方では味噌汁を作る。鍋に水と煮干しを入れ、火にかけ出汁をとる…………といったことをしているうちに、気づけば太陽はそれなりに昇っていた。台所から見て、神社の鳥居のてっぺんに日の頭が付くか付かないか、だいたいそれくらいだ。人間の里もぼちぼち活発になる頃合いだろう。
飯が炊け、味噌も溶かして煮えてきたところで、境内へ出て鳥居の方まで歩いていく。数少ない同居人を起こすためだ。鳥居の脇の石造りの台の上で寝っ転がる駄犬を揺すり、望み薄だが声をかける。
「あうん起きなー?もう朝だよー」
「ん……むにゃ………あとちょっとだけ…………んぐぅ」
高麗野あうんはごろんと寝返りを打つ。キンキンに冷えた石台の上で横になって、腹は冷えないのだろうか。
「まったく……」
「……なーんて、今日もかとか思っちゃったー?もう起きてるよぉ」
と、呆れていつも通り踵を返した私を、後ろからあうんが呼び止める。振り返ると、先ほどとは違って台の上で胡坐をかいて座り、なぜか満足げな表情をしている。さあ反応してくださいと言わんばかりの眼差しだ。いったいどうして。
「……なにその顔」
「んっふっふーー。こんな朝早くに起きちゃってて、びっくりしたんじゃなーい?」
「もう結構明るいよ?それに、今起きなくても私が食べ始めたらいつも勝手に起きてくるから別にそんなに……」
「ええ~なにそれつまんないのー!そうじゃなくて、もうとっくに起きてたってこと!朝ごはんの前から!」
「それを言われると、確かにちょっと意外だったかも」
「んっふー、そうでしょうそうでしょう。なんでだと思う?」
「なんで?」
「それはねー?匂いがとっても良かったから!今日のご飯、今まででいっちばん美味しく炊けたんじゃない⁉」
「……まあ、大分とコツは掴んできたかな…」
「でしょでしょ~?あんないい匂いが漂ってきたら誰だって起きちゃうよぉ。朝ごはんがますます楽しみになっちゃうよー!」
「…………ん?ちょっと待て。それって、あうんが早く起きれたのは、結局のところ私のおかげってこと?」
「んー?そうだねぇ」
「なんで自分の手柄のようにドヤ顔なの」
「起きれたこと自体は私の力だもーん」
「はいはいえらいえらい」
「んもー、つれないなぁ」
そんなことを駄弁りながら、二人で神社本殿の居間へと戻る。隣のあうんは裸足で参道をペッタペッタと歩いている。見ているだけで自分の足の指先が悴んでしまいそうだ。そもそも年がら年中半袖である。衣替えを気にしなくていいのは妖怪の特権だ。正直羨ましい。
「しっかし、ご飯炊きもそうだけど、料理上手くなってきたんじゃない?」
「……まあ、一年も住んでたらね。誰でも慣れてくるよ」
「ちゃんと覚えてこれてるのがすごいんだよぉ、やること多くて忙しいだろうにさ」
この犬は褒め上手なのか?少しくすぐったくなってくる。
「まあそうは言っても、朝食の片づけをして境内を掃いたら、それなりに暇はできるけどね。やりたいこと…というか、やらなきゃいけないことはあるけど」
「疲れたらゆっくり休んでいいんだよー。どーーーーーーせこの神社人来ないし」
妙に甘い声色であうんが囁いてくる。自分の可愛さをよく分かっている話し方だ。世の老若男女はこうして犬猫に篭絡されていくのだろう。尤も、こやつは魑魅魍魎の類だが。
「…ん、気遣いありがと。もし誰か来て私の手が空いてなかったら、そのときは対応よろしくね」
「任されましたぁ」
にへへぇ、っとあうんが顔を緩める。彼女はかつての四季異変からひょっこりと神社に居つくようになったが、一年前の私にも――あの時ボッコボコにしたにも関わらず――神社での暮らしについて丁寧に教えてくれた。こういう存在が身近にいてくれるというのは、なんとも頼もしいものである。
ただ、そういう機会はあまり訪れないだろう。というか、訪れてはいけないのだ。
私は、休んではいけないのだから。
手伝いが一人増えたとなると、そこから先は早かった。味噌汁の鍋を横へやり、空いたかまどで出汁巻き卵を作っていく。これも初めは焦げ付いたり上手く巻けずに崩れたり出汁の量を間違えて卵スープになったりと散々だったが、今日はこれもいつもより上手くできた気がする。何だか妙に楽しくなってきた。先ほど褒められたのが余程嬉しかったらしい。
そんな当人には居間のちゃぶ台の乾拭きと、その後ご飯と味噌汁をよそって運ぶよう頼んでいる。自分の手が埋まっている時でもこうして準備が進んでいくのは気持ちのいいものだ。今後も早起きしてくれないものか。
卵が巻けたら、そのまま油を引き直し、ソーセージを四本さっと炒める。火が通ったら皿に取り分け、漬け置きした筍を小鉢に入れれば、これで朝食の準備は完了だ。
ちゃぶ台の上に朝の料理が並ぶ。一年前は段取りが悪すぎて、折角できたご飯や味噌汁が冷めきってしまうなんてこともあった。今日はあうんの助力もあって、歴代でも指折りの仕上がりかもしれない。……やっぱりちょっと浮かれている。
「ふぅーーできたぁ」
「ありがとな。最後手伝ってくれて」
「待ってるだけじゃ退屈だったからね。さあさあ早く食べようよ」
「ん、そうするか」
「「いただきます」」
「ほらぁやっぱり!今日のご飯は一段と粒が立ってて艶々してるよ。私の思った通りだぁ」
うんまぁ~~!と言わんばかりに手を頬に当て、恍惚とした表情を浮かべる。この姿は最早日常だが、今日は一段と満足げなご様子だ。人間の生活習慣に合わせなくても別にいいのに、こうして一緒に朝を過ごしてくれるあうんには、感謝してもしきれない。
実際、味も申し分ない。ここしばらく変化も感動もない毎日だったのもあって、今日は晴れやかな気分だ。この生活が始まってからこっち、また一つ報われたような気がした。
この気持ちのまま、一日中過ごせたらいいのに。
現実は、そんなこと許してくれるはずもなく。
ちゃぶ台の向こう側、居間の一角にふと目をやってしまえば、たちまち私の楽しさは現実へと引き戻される。
浮ついた心が、地面を突き抜け地底へと叩き落される。
賢者が施した四重結界に守られて、それは今なお眠りにつく。
「今日も朝ごはんをありがとう!魔理沙さん!」
「……うん、どういたしまして」
私は、博麗の巫女の代理を務めている。
博麗霊夢は、今日も目覚めない。
幻想郷の崩壊まで、あと八年と十月。
博麗神社の朝は早い。
太陽が顔を覗かせると共に起きたら、まずは炊き出しのための薪を用意する。雑多な物置と化している神社横の高床倉庫から薪を一抱え分持ち出し、本殿の台所へと行く。着いたら米研ぎだ。羽釜へ2人分の米を入れ、水を注いでジャクジャクと洗っていく。
「…っ、つーー。もう春とはいえ、まだまだ冷たい、手が冷える……」
洗い終えたら竈にセットし、火起こしをする。焚口に枯れ葉を少し並べたら、優秀な着火剤へと転生を遂げた『文々。新聞』の切れ端を種火に火を起こしていく(一応、記事の文面は読んでいるつもりだ。ある程度は)。無事に火が大きくなったら小さい薪からくべ、米を炊いていく。同じ要領で隣の竈にも火を付け、そちらの方では味噌汁を作る。鍋に水と煮干しを入れ、火にかけ出汁をとる…………といったことをしているうちに、気づけば太陽はそれなりに昇っていた。台所から見て、神社の鳥居のてっぺんに日の頭が付くか付かないか、だいたいそれくらいだ。人間の里もぼちぼち活発になる頃合いだろう。
飯が炊け、味噌も溶かして煮えてきたところで、境内へ出て鳥居の方まで歩いていく。数少ない同居人を起こすためだ。鳥居の脇の石造りの台の上で寝っ転がる駄犬を揺すり、望み薄だが声をかける。
「あうん起きなー?もう朝だよー」
「ん……むにゃ………あとちょっとだけ…………んぐぅ」
高麗野あうんはごろんと寝返りを打つ。キンキンに冷えた石台の上で横になって、腹は冷えないのだろうか。
「まったく……」
「……なーんて、今日もかとか思っちゃったー?もう起きてるよぉ」
と、呆れていつも通り踵を返した私を、後ろからあうんが呼び止める。振り返ると、先ほどとは違って台の上で胡坐をかいて座り、なぜか満足げな表情をしている。さあ反応してくださいと言わんばかりの眼差しだ。いったいどうして。
「……なにその顔」
「んっふっふーー。こんな朝早くに起きちゃってて、びっくりしたんじゃなーい?」
「もう結構明るいよ?それに、今起きなくても私が食べ始めたらいつも勝手に起きてくるから別にそんなに……」
「ええ~なにそれつまんないのー!そうじゃなくて、もうとっくに起きてたってこと!朝ごはんの前から!」
「それを言われると、確かにちょっと意外だったかも」
「んっふー、そうでしょうそうでしょう。なんでだと思う?」
「なんで?」
「それはねー?匂いがとっても良かったから!今日のご飯、今まででいっちばん美味しく炊けたんじゃない⁉」
「……まあ、大分とコツは掴んできたかな…」
「でしょでしょ~?あんないい匂いが漂ってきたら誰だって起きちゃうよぉ。朝ごはんがますます楽しみになっちゃうよー!」
「…………ん?ちょっと待て。それって、あうんが早く起きれたのは、結局のところ私のおかげってこと?」
「んー?そうだねぇ」
「なんで自分の手柄のようにドヤ顔なの」
「起きれたこと自体は私の力だもーん」
「はいはいえらいえらい」
「んもー、つれないなぁ」
そんなことを駄弁りながら、二人で神社本殿の居間へと戻る。隣のあうんは裸足で参道をペッタペッタと歩いている。見ているだけで自分の足の指先が悴んでしまいそうだ。そもそも年がら年中半袖である。衣替えを気にしなくていいのは妖怪の特権だ。正直羨ましい。
「しっかし、ご飯炊きもそうだけど、料理上手くなってきたんじゃない?」
「……まあ、一年も住んでたらね。誰でも慣れてくるよ」
「ちゃんと覚えてこれてるのがすごいんだよぉ、やること多くて忙しいだろうにさ」
この犬は褒め上手なのか?少しくすぐったくなってくる。
「まあそうは言っても、朝食の片づけをして境内を掃いたら、それなりに暇はできるけどね。やりたいこと…というか、やらなきゃいけないことはあるけど」
「疲れたらゆっくり休んでいいんだよー。どーーーーーーせこの神社人来ないし」
妙に甘い声色であうんが囁いてくる。自分の可愛さをよく分かっている話し方だ。世の老若男女はこうして犬猫に篭絡されていくのだろう。尤も、こやつは魑魅魍魎の類だが。
「…ん、気遣いありがと。もし誰か来て私の手が空いてなかったら、そのときは対応よろしくね」
「任されましたぁ」
にへへぇ、っとあうんが顔を緩める。彼女はかつての四季異変からひょっこりと神社に居つくようになったが、一年前の私にも――あの時ボッコボコにしたにも関わらず――神社での暮らしについて丁寧に教えてくれた。こういう存在が身近にいてくれるというのは、なんとも頼もしいものである。
ただ、そういう機会はあまり訪れないだろう。というか、訪れてはいけないのだ。
私は、休んではいけないのだから。
手伝いが一人増えたとなると、そこから先は早かった。味噌汁の鍋を横へやり、空いたかまどで出汁巻き卵を作っていく。これも初めは焦げ付いたり上手く巻けずに崩れたり出汁の量を間違えて卵スープになったりと散々だったが、今日はこれもいつもより上手くできた気がする。何だか妙に楽しくなってきた。先ほど褒められたのが余程嬉しかったらしい。
そんな当人には居間のちゃぶ台の乾拭きと、その後ご飯と味噌汁をよそって運ぶよう頼んでいる。自分の手が埋まっている時でもこうして準備が進んでいくのは気持ちのいいものだ。今後も早起きしてくれないものか。
卵が巻けたら、そのまま油を引き直し、ソーセージを四本さっと炒める。火が通ったら皿に取り分け、漬け置きした筍を小鉢に入れれば、これで朝食の準備は完了だ。
ちゃぶ台の上に朝の料理が並ぶ。一年前は段取りが悪すぎて、折角できたご飯や味噌汁が冷めきってしまうなんてこともあった。今日はあうんの助力もあって、歴代でも指折りの仕上がりかもしれない。……やっぱりちょっと浮かれている。
「ふぅーーできたぁ」
「ありがとな。最後手伝ってくれて」
「待ってるだけじゃ退屈だったからね。さあさあ早く食べようよ」
「ん、そうするか」
「「いただきます」」
「ほらぁやっぱり!今日のご飯は一段と粒が立ってて艶々してるよ。私の思った通りだぁ」
うんまぁ~~!と言わんばかりに手を頬に当て、恍惚とした表情を浮かべる。この姿は最早日常だが、今日は一段と満足げなご様子だ。人間の生活習慣に合わせなくても別にいいのに、こうして一緒に朝を過ごしてくれるあうんには、感謝してもしきれない。
実際、味も申し分ない。ここしばらく変化も感動もない毎日だったのもあって、今日は晴れやかな気分だ。この生活が始まってからこっち、また一つ報われたような気がした。
この気持ちのまま、一日中過ごせたらいいのに。
現実は、そんなこと許してくれるはずもなく。
ちゃぶ台の向こう側、居間の一角にふと目をやってしまえば、たちまち私の楽しさは現実へと引き戻される。
浮ついた心が、地面を突き抜け地底へと叩き落される。
賢者が施した四重結界に守られて、それは今なお眠りにつく。
「今日も朝ごはんをありがとう!魔理沙さん!」
「……うん、どういたしまして」
私は、博麗の巫女の代理を務めている。
博麗霊夢は、今日も目覚めない。
幻想郷の崩壊まで、あと八年と十月。
あうんちゃんカワイイ! と思っていたら最後にどんでん返しがあって衝撃でした
良かったです