都に行かなければならぬのだと龍は言った。
都とは鎌倉のことか京のことかと問うたら、お前も随分と人間の価値観にかぶれたのだなと笑われた。昔のお前なら人間が勝手に決めた都の所在など知ったことではないと言っていただろうに。同時にその割には人間の政治情勢には疎いねえ、とも。
何時の間にか、幕府は京に移っていた。武家にとっても公家にとっても都とは京のこととなっていたから、龍の言う都に行かなければならぬ、というのは京のことだと理解した。ただそれを都が京に戻ったのだなと表現したら、京の人に向かってそういう言い方をしてはいけないからねと、京の人ではない龍にたしなめられた。京の人妖は実に面倒な性格で一日たりとも自分の街が都でなくなった日などないと信じて疑わないのだと実に面倒そうな口調で言っていた。それで龍は面倒な気分を味わいに京に行かねばならぬのだろうと少し同情した。
で、京の盆地の中と、比叡山に行かねばならぬから数日山からいなくなる、と話が続いた。私が不在の合間に家の中のものを全部食い尽くされてはかなわんが、まあ半分くらいは食べてもいいからねという龍の言で、我が親友が自分の不在を宣告するにあたり何を懸念しているのかは概ね予想できた。
流石に俺はそんなに卑しい性格ではなく、家の番をする対価に麦飯の櫃を空にしてやろうとかそういうことは毛頭思っていない。というより、俺も、比叡山には興味がないが京の方にはどうしても行きたい用事があったのだと思い出した。
†
平安の時代が終わる少し前までは近江に住んでいた。三上山から京までは目と鼻の先とまでは言わないまでも行こうと思えば行ける場所だったので、近江住まいの時代の全てではないがある時までは京にも通っていた。
街道を行き交う人馬も、琵琶湖を下る船も、皆近江では止まらず京まで向かう。だから近江より京の方が色々と物があるというのは自明なことであった。
ただ平安も後半、末法の世の京は少々奇妙なもので、「何もないが故になんでもある」という市の並びになっていた。あの時代の京は毎年よりも毎月と評した方が正確なくらいの災害と人災に見舞われていて、その回数は百足の手足にすら余る有り様だった。それで衰微した都にまともな物品の流通も、それを銭や米と交換できる上客もいるはずがなく、盗品やら鐚銭
やらを左に渡して右から来た別の盗品やら紛い物やらを懐に収めるというのがあの時代の市だった。そんなのでも近江の市よりはいくらか活気があったというところに、当時の京のみならず畿内全域の荒れ模様が分ろうというものである。
荒れていたからからこそ妖怪も堂々と出入りできたとも言える。京の南、羅生門の周りには狐狸が住み着いていた。俺が出会った狸は門の前の石段に腰掛けていて、俺が身の上を聞くと、そろそろ京は見切りをつけて佐渡で金でも堀に行くつもりだとその狸は言い、お前さんもどうかいと初対面の俺を誘ってきた。それで狐狸とは山師のことなのだと理解した。
そんな京の市に一人の女がいた。いつもは太刀帯
の陣に売りに行っているというその女は、魚の切り身を干したのを売っていた。仕入れの量が多いと「外」の市にもこうして売りに行くのだと言っていた。
否、魚を干したのと「評する」代物を売っていた、というのが正しい。あれは魚ではなく蛇だった。俺は女の売る干物が好きで買っていたが、素直に蛇だと名乗ればよいのにと思っていた。市での客の三割は俺と同じく妖怪で、俺と同じことを考えていたようだった。しかし、市での残り七割と太刀帯の全員は人間で、蛇を食えと言われると嫌がるらしかった。そういう人間の心理は俺は分かりかねるがその女は分かっているようだった。だから女は蛇を魚と偽って売って、俺は魚と偽れられた蛇を蛇と分かって蛇だからこそ良いと買った。
しばらくは蛇を買いに京に出ていたが、ある時京で疫病
があった。妖怪にとってはなんの関係もない出来事だが人間にとっては大いに関係のある出来事で、何人もの人間が市から消えた。蛇を売っていた例の女も姿を見せなくなった。
そこから市と近江を何往復かした頃、いなくなった人間を埋めるように新しい人間が市で物を売り始めた。それらは人毛の鬘
だの、死穢がべったりとついた古着だのを黴びた筵
の上に並べていた。つまるところ、間接的な死体の切り売りである。その時件の女がどういう外見だったか思い出そうとしたが、うまく思い出すことはできなかった。俺の目には人間はどれも似通った髪をしていて、どれも似通ったボロ布みたいな服を羽織っていた。ただあの女も疫病に倒れて鬘になったのだろうと直感的に納得をした。それが京に行った最後の日だった。
†
龍は、本当は妖怪は京に入ってはいけないのだから目立たないようにしなさいねと釘を差した。目立つことをするつもりは毛頭ないので忠告自体は構わないのだが、そのことを黒い翼が背中から生えた高下駄と狐耳の組み合わせに言われることだけは癪だった。言い返すとこいつは本物の京都人より「いけず」だから馴染んでいるでしょと龍は典を指差して、俺は違いないと大笑いした。
で、龍自体はやんごとなき人が病に罹って各方面から修験者が加持祈祷のために招集されているのだと言って、二条通の朱雀門を潜って行った。典は龍の持つ竹筒に籠もったらしかった。
一人取り残された俺は真っ直ぐ南に下り羅生門を見に行くことにした。
門はなくなっていた。文字通り跡形もなくである。最初門の跡地にすら気が付かず通り過ぎて、家が消えたところで洛外に出てしまったのだとようやくに気が付いたくらいである。
龍と別れる前に、俺は、何年経ったのだろうな、とふと呟いた。いつからだと聞かれたので都が京から鎌倉に移ってからだと返したら龍はしばし思案して、ざっと二百年は経っただろうねと答えた。二百年。俺が最後に京の市に行ってから鎌倉に都が移るまでもそのくらいの間は経っていたと思うから足して四百年。最後に見た羅生門は柱の丹塗も剥げたほぼ廃墟のような門だったから、数百年経った今でも残っていると思う方が馬鹿げた発想ではあった。だがそれを現実として突きつけられると流石に多少の喪失感はある。
時が経つということは悪いことばかりではない。少なくとも人間にとっては。俺の知る京は廃墟を筆にして塗ったかのような街だったが、今の京は誰に見せても恥ずかしくない華の都と言って良いだろう。しかし、それは我々妖怪には少々敷居が高くなりすぎてしまったということでもある。都に入ったときに覚えた疎外感は余りにも長く戻っていなかったが故とも考えていたが、龍からの忠告と羅生門が消えて整理された街並みとでようやくに合点がいった。
南下していたときよりも幾分重い足取りで北上した。龍に一言告げて先に帰ろうかと思った。
が、御所に戻って、そもそも俺のような一般妖怪に入れる場所ではないのだと思い出した。それと、儀式をしているにしては余りにも平穏過ぎる雰囲気が壁越しに漂っていて、どうやら儀式はもう終わって龍はすれ違いに比叡山の方に行ったのだろうと直感した。龍は俺が京についてくると最初から想定していたわけではなかったのだから、一緒に京に行くと言ってからも勝手についてきて勝手に帰るのだろうと思っていたらしかった。じゃあ勝手に帰れば良いかと踵を返した。
背後から物売りが一人出てきた。棒の両端それぞれに皿を吊るして、四寸程に切られた白身の切り身を干したのを入れていた。
ほう、と声をあげて、自分は太刀帯ではないが買っても良いかと物売りに聞いた。そいつはどうぞいくらでも買ってくれ、最近の内裏は舌が肥えてかなわんと愚痴を言った。時代に取り残された者同士という親近感がないでもなかったが、それ以上に純粋に蛇の干物を久しぶりに食いたいという理由で一切れだけ買った。
買ったのを持って賀茂川に行き齧った。
魚だ。蛇だというのは自分が勝手に想像していただけのことで物売りはこれが蛇とは一言も言っていなかったのだがそれでも騙された気がした。魚を魚と言って売っていたのを、蛇を魚と偽って売っているのだと勘違いして買った。
味は確かに悪くない。が、時代に取り残された空気を漂わせておきながら四百年ではなくせいぜい数十年の取り残され方しかしていないのであろう物売りの腰の曲がった姿に腹が立ってきて、干物の残りは河原に放り投げた。
どこからともなく鴉が群れをなしてやってきた。そいつらだけは四百年前のときと同じようにギャアギャアと下品な声を立てながら、俺が捨てた干物の残りを奪い合っていた。
都とは鎌倉のことか京のことかと問うたら、お前も随分と人間の価値観にかぶれたのだなと笑われた。昔のお前なら人間が勝手に決めた都の所在など知ったことではないと言っていただろうに。同時にその割には人間の政治情勢には疎いねえ、とも。
何時の間にか、幕府は京に移っていた。武家にとっても公家にとっても都とは京のこととなっていたから、龍の言う都に行かなければならぬ、というのは京のことだと理解した。ただそれを都が京に戻ったのだなと表現したら、京の人に向かってそういう言い方をしてはいけないからねと、京の人ではない龍にたしなめられた。京の人妖は実に面倒な性格で一日たりとも自分の街が都でなくなった日などないと信じて疑わないのだと実に面倒そうな口調で言っていた。それで龍は面倒な気分を味わいに京に行かねばならぬのだろうと少し同情した。
で、京の盆地の中と、比叡山に行かねばならぬから数日山からいなくなる、と話が続いた。私が不在の合間に家の中のものを全部食い尽くされてはかなわんが、まあ半分くらいは食べてもいいからねという龍の言で、我が親友が自分の不在を宣告するにあたり何を懸念しているのかは概ね予想できた。
流石に俺はそんなに卑しい性格ではなく、家の番をする対価に麦飯の櫃を空にしてやろうとかそういうことは毛頭思っていない。というより、俺も、比叡山には興味がないが京の方にはどうしても行きたい用事があったのだと思い出した。
†
平安の時代が終わる少し前までは近江に住んでいた。三上山から京までは目と鼻の先とまでは言わないまでも行こうと思えば行ける場所だったので、近江住まいの時代の全てではないがある時までは京にも通っていた。
街道を行き交う人馬も、琵琶湖を下る船も、皆近江では止まらず京まで向かう。だから近江より京の方が色々と物があるというのは自明なことであった。
ただ平安も後半、末法の世の京は少々奇妙なもので、「何もないが故になんでもある」という市の並びになっていた。あの時代の京は毎年よりも毎月と評した方が正確なくらいの災害と人災に見舞われていて、その回数は百足の手足にすら余る有り様だった。それで衰微した都にまともな物品の流通も、それを銭や米と交換できる上客もいるはずがなく、盗品やら鐚銭
やらを左に渡して右から来た別の盗品やら紛い物やらを懐に収めるというのがあの時代の市だった。そんなのでも近江の市よりはいくらか活気があったというところに、当時の京のみならず畿内全域の荒れ模様が分ろうというものである。
荒れていたからからこそ妖怪も堂々と出入りできたとも言える。京の南、羅生門の周りには狐狸が住み着いていた。俺が出会った狸は門の前の石段に腰掛けていて、俺が身の上を聞くと、そろそろ京は見切りをつけて佐渡で金でも堀に行くつもりだとその狸は言い、お前さんもどうかいと初対面の俺を誘ってきた。それで狐狸とは山師のことなのだと理解した。
そんな京の市に一人の女がいた。いつもは太刀帯
の陣に売りに行っているというその女は、魚の切り身を干したのを売っていた。仕入れの量が多いと「外」の市にもこうして売りに行くのだと言っていた。
否、魚を干したのと「評する」代物を売っていた、というのが正しい。あれは魚ではなく蛇だった。俺は女の売る干物が好きで買っていたが、素直に蛇だと名乗ればよいのにと思っていた。市での客の三割は俺と同じく妖怪で、俺と同じことを考えていたようだった。しかし、市での残り七割と太刀帯の全員は人間で、蛇を食えと言われると嫌がるらしかった。そういう人間の心理は俺は分かりかねるがその女は分かっているようだった。だから女は蛇を魚と偽って売って、俺は魚と偽れられた蛇を蛇と分かって蛇だからこそ良いと買った。
しばらくは蛇を買いに京に出ていたが、ある時京で疫病
があった。妖怪にとってはなんの関係もない出来事だが人間にとっては大いに関係のある出来事で、何人もの人間が市から消えた。蛇を売っていた例の女も姿を見せなくなった。
そこから市と近江を何往復かした頃、いなくなった人間を埋めるように新しい人間が市で物を売り始めた。それらは人毛の鬘
だの、死穢がべったりとついた古着だのを黴びた筵
の上に並べていた。つまるところ、間接的な死体の切り売りである。その時件の女がどういう外見だったか思い出そうとしたが、うまく思い出すことはできなかった。俺の目には人間はどれも似通った髪をしていて、どれも似通ったボロ布みたいな服を羽織っていた。ただあの女も疫病に倒れて鬘になったのだろうと直感的に納得をした。それが京に行った最後の日だった。
†
龍は、本当は妖怪は京に入ってはいけないのだから目立たないようにしなさいねと釘を差した。目立つことをするつもりは毛頭ないので忠告自体は構わないのだが、そのことを黒い翼が背中から生えた高下駄と狐耳の組み合わせに言われることだけは癪だった。言い返すとこいつは本物の京都人より「いけず」だから馴染んでいるでしょと龍は典を指差して、俺は違いないと大笑いした。
で、龍自体はやんごとなき人が病に罹って各方面から修験者が加持祈祷のために招集されているのだと言って、二条通の朱雀門を潜って行った。典は龍の持つ竹筒に籠もったらしかった。
一人取り残された俺は真っ直ぐ南に下り羅生門を見に行くことにした。
門はなくなっていた。文字通り跡形もなくである。最初門の跡地にすら気が付かず通り過ぎて、家が消えたところで洛外に出てしまったのだとようやくに気が付いたくらいである。
龍と別れる前に、俺は、何年経ったのだろうな、とふと呟いた。いつからだと聞かれたので都が京から鎌倉に移ってからだと返したら龍はしばし思案して、ざっと二百年は経っただろうねと答えた。二百年。俺が最後に京の市に行ってから鎌倉に都が移るまでもそのくらいの間は経っていたと思うから足して四百年。最後に見た羅生門は柱の丹塗も剥げたほぼ廃墟のような門だったから、数百年経った今でも残っていると思う方が馬鹿げた発想ではあった。だがそれを現実として突きつけられると流石に多少の喪失感はある。
時が経つということは悪いことばかりではない。少なくとも人間にとっては。俺の知る京は廃墟を筆にして塗ったかのような街だったが、今の京は誰に見せても恥ずかしくない華の都と言って良いだろう。しかし、それは我々妖怪には少々敷居が高くなりすぎてしまったということでもある。都に入ったときに覚えた疎外感は余りにも長く戻っていなかったが故とも考えていたが、龍からの忠告と羅生門が消えて整理された街並みとでようやくに合点がいった。
南下していたときよりも幾分重い足取りで北上した。龍に一言告げて先に帰ろうかと思った。
が、御所に戻って、そもそも俺のような一般妖怪に入れる場所ではないのだと思い出した。それと、儀式をしているにしては余りにも平穏過ぎる雰囲気が壁越しに漂っていて、どうやら儀式はもう終わって龍はすれ違いに比叡山の方に行ったのだろうと直感した。龍は俺が京についてくると最初から想定していたわけではなかったのだから、一緒に京に行くと言ってからも勝手についてきて勝手に帰るのだろうと思っていたらしかった。じゃあ勝手に帰れば良いかと踵を返した。
背後から物売りが一人出てきた。棒の両端それぞれに皿を吊るして、四寸程に切られた白身の切り身を干したのを入れていた。
ほう、と声をあげて、自分は太刀帯ではないが買っても良いかと物売りに聞いた。そいつはどうぞいくらでも買ってくれ、最近の内裏は舌が肥えてかなわんと愚痴を言った。時代に取り残された者同士という親近感がないでもなかったが、それ以上に純粋に蛇の干物を久しぶりに食いたいという理由で一切れだけ買った。
買ったのを持って賀茂川に行き齧った。
魚だ。蛇だというのは自分が勝手に想像していただけのことで物売りはこれが蛇とは一言も言っていなかったのだがそれでも騙された気がした。魚を魚と言って売っていたのを、蛇を魚と偽って売っているのだと勘違いして買った。
味は確かに悪くない。が、時代に取り残された空気を漂わせておきながら四百年ではなくせいぜい数十年の取り残され方しかしていないのであろう物売りの腰の曲がった姿に腹が立ってきて、干物の残りは河原に放り投げた。
どこからともなく鴉が群れをなしてやってきた。そいつらだけは四百年前のときと同じようにギャアギャアと下品な声を立てながら、俺が捨てた干物の残りを奪い合っていた。
時の流れに微妙についていけていない百々世がとてもよかったです
ちょっと目を離したすきに倒幕されていて妖怪の人生のスケールを感じました