Coolier - 新生・東方創想話

ふたり遊び

2023/09/15 21:08:18
最終更新
サイズ
6.75KB
ページ数
1
閲覧数
752
評価数
8/9
POINT
830
Rate
17.10

分類タグ

ひとりきりのとき、ひとりぼっちのとき、そういうとき、私はいつだって遊んでいた。
あやとりをしたり、お手玉をしたり、そういう他愛もないひとり遊びに飽きると、私は暗がりの中であるとか明るみの中であるとかにぴょんと飛び出して、ひとり遠くに望む山の方を眺めていた。
小さいときだったから、私はいつも心細かった。父親はいない。母さんはいつの日も針の仕事に出ていた。小さな私には小さな家は窮屈にすぎて、外に出ることが私の日課であったのだ。
昼の間には太陽が輝く。そういうときには私はまだ心細くない。逆にしんと静まり返った夜には、月のきらめきですら、まるで地に霜が降りるときのようなかすかな音が聞こえるふうに感じられる。まだ電気もあまり普及していない頃で、山の集落なんてなおさらだった。だからいつも夜は暗い。私は心細い。
他の家とは少しは離れている場所にあるけど、昼間のように山の方へとむやみやたらに声を上げるわけにはいかない。昼の間はそれなりに好きだった。母さんは相変わらず仕事の方に出ているけれども、私はひとりより多くの相手とで遊ぶことができたからだ。
山の方へと声を上げる。山や谷に吸い込まれた私の声は、時折形を変えて、たまに私の放った言葉すらも捻じ曲げて、返ってくる。
そのとき私は向こうに誰かがいるような、この山の向こうに誰かがいてくれるような、そんな気持ちに陥るのだ。いつの日かあの山の向こうに待つ誰か、それがひとりなのかふたりなのか、それとも百人なのか、それはわからない。でも、あの山の向こうには確かに誰かが待っていてくれるのだ。私はその見も知らぬ誰かに会うことを心待ちにしていたのだ。
夜が私にとって心細いのは、そういう期待は夜の時間にはどんどんと不必要に膨らんで、私の心を圧迫してくるからだ。いつか会えるかもしれない、という期待は、もしかしたら会えないかもしれない、という不安の裏返しでもある。そんなとき私はいつも誰かに助けを求めようと声を上げたくなる。だけれども、夜中に外で大きな声を張り上げることなんてできやしなかった。だから私は外で声を出すこともできず、たったひとりで心細さに泣くのである。
私はある日の夜、心細さに耐えかねてついに外に出て夜分に泣き叫んだ。遠い山並みに私の鳴き声が響き渡る。しんと静まったその夜の帳を引き裂くかのように思われた私の声は、遠く吸い込まれ、ついに消えてしまった。
私はますます心細くなってしまった。
そのとき、遠くから、やふー、という声が、おそらくそれはたったひとりの声色だったのだけれども、そんな私を元気づけるような声が芯を持って返ってきた。
その声色は、私がいつかの昼間に聞いた声色の中の一つとよく似ていた。
それからというもの。夜、心細くなるとたまに外に出ては、一度だけ声を出す。
そのときに返ってくる、あの子の、やふー、という声色、それはきっと私をいつもあの山の向こうで待ってくれている人の声だった。
そんなふうにして私は山の向こうの彼女とささやかなふたり遊びをしていたのである。

私がひとりで遊びをしなくなったのはあの山を越えたところにある街の商家に嫁いだときからだ。
婚礼の日、私はついに山を越える。
どこかでわくわくした心持ちが私にはあった。
私は心の何処かであの声色の子、いつも私とふたり遊びをしてくれたあの子がいることを心待ちにしていたのだ。
だけれども、そこにはその子はいなかった。
旦那様に紹介されたのは役場の仕事だった。だから街の人達とは大体が顔なじみになった。でも誰と喋っても、私がかつてふたり遊びをしたあの子、私が心細い時に元気づけてくれる、遊んでくれている、あの子の声はなかったのだ。
旦那様も義父様義母様もみんな私を大切にしてくれている。
そんなふうにして私は寂しさを感じることもなくなった。
街には電灯が灯り、もはや夜の暗闇に心細さを感じる必要すらない。
仕事場でも友人ができて、ひとりで遊んでいた時間はだんだんに少なくなっていき、私は三人であるとか四人であるとか、そういう人数で遊ぶようになっていった。
私はひとりで遊んでいた時間、ひとりでいた時間、そんなものを次第に忘れるようになっていった。
私に子供が生まれたのは嫁いでから1年ほど経った頃だ。
男の子だった。あまり丈夫ではない子だから手がかかる。職場を退職し、我が子につきっきりになる。旦那様はその頃は仕事で忙しく、私は息子にかかりっきりで世話をする。それでも、私にとってはこれ以上ないほどに大切な我が子、であった。
ある日のこと、3歳頃になった息子を連れて、私はふたりで山間の辺りに出た。
川遊びであるとか虫取りであるとか、そういう遊びをふたりでしたかったからだ。
ふと、私は遠くに望む山間の谷間に向かって、やっほー、と大きな声を出してみた。息子は驚いてこちらを見て、すぐにまた虫取りの方に興味を移した。
声は返ってこない。私はそのとき、ああ、ようやく私はひとりではなくなったんだな、と痛感した。私には息子がいるからだ。どこか寂しかったけれども、私はくわがた虫のとまった木の方に歩みを進め、息子とのふたり遊びに邁進をはじめた。

流行り病に罹って息子が亡くなったのはそれからしばらくしてからのことだ。
旦那様は私を慰めてくれたけど、私はもう旦那様の言うように新しく子供をつくる気になれなかった。
私にとっては息子はたったひとりの息子であり、これまでもこれからもたったひとりの、私にとってはかけがえのない、代替の効かない我が子であった。
私は泣いて、泣いて、泣き疲れ、あの山間の辺りにひとりでふらふらと迷い出た。
夜ではない。昼である。それはあのとき、私と息子がふたり遊びをしていたときと同じような時間帯である。息子がいない、というだけがあのときと異なっていた。小川のきらめきであるとか虫のとまった木々であるとか、そんなものももう目に入らない。
気がつくと私は、小さいときのあの心細い夜の日のように泣き叫んでいた。
気づいてくれる人間も周りにはもう誰もいないように思われた。
そのとき、確かに、やふー、という声が、一度だけ返ってきたような、気がした。
それは本当に気の所為だったのかもしれない。
あの子なのだろうか? 私は、やっほー、と叫んでみた。山間にその声は吸い込まれ、ついに返ってこなかった。
ずん、と突き放されたような感覚、それはまるであなたはもうひとり遊びやふたり遊びをする人間ではない、そう言われたようなものである。
だけれども、私に寄り添い、そして私の頬に触れてくれた、忘れることなく。そんな思いだったのだ。私は誰かに諭されたように熱を帯びた目頭をぬぐい、元いた場所に戻ることにした。

そして私に新しい子が生まれた。男の子だ。その頃は夫も仕事が落ち着き、私の出産の日には家にいて息子の顔を見た。その子が私にとっても、夫にとっても、誰にとっても最初の子の代替となるものではないというのは確かである。最初の息子は最初の息子である。それでも。ひとり遊びやふたり遊びではなく、私にとっての遊びは最低でも三人は必要であることにようやく気づいた。私には子供だけでなく夫もいるのだから。だからもう私はひとり遊びやふたり遊びをすることはないのだろう。
次の年には女の子も生まれ、私達は4人になった。
いつか家族で家の近くの山に行ったときのことだ。
四人で、遠くに望む山並みに向かって、やっほー、と叫んでみた。
言葉はあちらこちらを乱反射して、ときに捻じ曲げられては返ってくる。だけれども、そこにあの声がなかったこと、それはやはり私にとっては少しだけ寂しいことだったのである。
最近息子が学校で、山彦が返ってくる科学的な仕組みを教えてもらったらしい。
私はそれを息子から聞かされて、小さい頃、一緒にふたり遊びをしていたあの子が実際には幻想であったようなどこか切ない気分になった。それでも。私の耳に未だに残っている、やふー、というあの声は、たしかに私とふたり遊びをしていたあの子の声であり続けるのであり、名前も知らない、顔も見たことのない、そして声しか聞いたことのないあの子はこの世界のどこか、もしかしたら私はそこへ永遠に訪れることはできないのかもしれないが、そこで今でも確かに生きている、形を持って確かに存在している、そんなどこまでも固い確信が私の中で生き続けているのである。
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.50簡易評価
1.100夏後冬前削除
往復書簡のような味わいながら、返答が返ってこないことそのものが意思表示になっている辺りがまた違った感覚で面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
過去の思い出がひとつの憧憬となって胸に残りつつ、大人になった確信を得ているのがとても良かったです。
4.100東ノ目削除
大人になるとは成長して様々な方向に縁ができることでもあるのかなと、この手の話でありがちな子供時代を懐かしく思うあまり大人を否定的に見るというだけでもなかったのが好印象でした。確実に「やっほー」とは叫んでいないであろう場面でも「やふー」で返してくれるのが意思が籠っていて可愛い
5.100南条削除
面白かったです
やまびこにまつわる不思議なお話でした
しっとりとしていて染み入るものがありました
6.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
7.90きぬたあげまき削除
女性の記憶の中で山彦が果たしてきた役割を、女性自身が丁寧に咀嚼しているのがすごく情緒的でよかったです。
8.100ローファル削除
面白かったです。
やまびこが語り手の女性を遠くから見守っているような不思議なお話でした。
9.100名前が無い程度の能力削除
大人になると失うものをよく現したいいお話でした。