Coolier - 新生・東方創想話

海神が来る

2023/09/08 22:55:23
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多分私は水平線を一度でいいから見たかったんだろうと思う。
そして空と永遠に交わることのないままで地球に引かれた水平線が私の方へとやってくる。私を追いかけ、飲み込み、私は海の底の底へと引き込まれ、圧し潰され、肺腑の中に塩辛い液体が流れ込み、声一つ出せない苦痛と苦悶の中、天から差し込まれる一筋の光を思わせる幸福を見出した気になって、私は昏く重たい液体の底で怠惰な眠りへと落ちるのである。海神が大津波で世界を飲み込んだとしても、この幻想郷だけは水の底に眠ることはない。いつかきっと世界のどこかで、幻想郷ではないどこかで、のっそりと海神は現れるのだろう。海の水位は上昇しつつあるらしい。海神の起こした津波は世界を飲み込み、古の本に繰り返し言い伝えられたように、人々はそのときまで何も気づくことはなかったことを、水に飲まれるその瞬間に後悔するのだ。
私もそういう後悔をしてみたい。私もそうやって水に飲まれてみたい。私はいつだって、地面に足をつけたような気になっていたのだから。
村紗さんに出会ったのは少し前のことだ。
私が溺れていたとき、村紗さんが助けてくれたのだ。
私の手を掴み、私の命を救ってくれた。
私が息を吹き返すまで、私が目を覚ますまで、側にいてくれたのだ。
大丈夫か、と私に問いかける。大丈夫です、と私は応える。
村紗さんは心配そうな顔をしていた。私が今まで会ってきた人の中で一番心配そうな顔をしていたんじゃないかと思う。
私が立ち上がるときも肩を貸してくれた。
そして、何かあったら命蓮寺にでもおいで、と言って去っていった。
それが私と村紗さんとの出会いだった。
命蓮寺を訪れると、村紗さんは丁重に出迎えてくれた。
二度目の邂逅だというのに、村紗さんは私の肩に手をおいて、まあ、色々なことがあるから、と言ってくれた。
私はそのことが嬉しかったのだ。
だから私は命蓮寺の信徒になることにした。
誰もが私に優しかった。
白蓮様も、寅丸さんも、幽谷さんも、ナズーリンさんも、雲居さんも、雲山さんも、小傘さんも。
みんな私に、よく来てくれたね、と言ってくれた。
お互いがお互いを必要としているようで私は嬉しかった。
村紗さんだけは少し離れた場所で、何も言わず、ただ私のその様子を見つめていたのだ。それは少しだけ不満なことだった。
村紗さんのところに行って、この間は助けてくれてありがとうございます、と言ったら、村紗さんは、助かってよかった、とだけ言って奥の方へと行ってしまった。

命蓮寺での交流は楽しかった。
みんな、私とすごく仲良くしてくれた。村紗さん以外は。
村紗さんはどこかよそよそしかった。
ねえ、村紗さん、私はあなたに助けてもらったのが嬉しかったと言うのに。
だけれども、その言葉を私はかけることができなかった。
誰かと喋っているときも、私はいつになればその言葉をかけることができるのか、自分に絶えず問いかけていた。

ある日のこと、私は村紗さんに告げることにした。
村紗さん、私はあなたに助けてもらったのが嬉しかったんです、だから私は命蓮寺の信徒になったんです、それが言いたかったんです、って。
村紗さんは何も言わず、やれやれ、といったふうに首を横に振り、呆れたような風に何処かに行ってしまい、私だけが取り残された。

結局私は命蓮寺の信徒を辞めることにした。
みんなは確かに優しかった。でも私の居場所はそこにはないと思うのだ。
結局人里にもどこにも、この幻想郷という場所にはやはり私の居場所はなかったのだ。

私はもう一度死ぬことにした。

あのときと同じく、水の前に立ち、私は体に石をくくりつけ、飛び込むことにした。
ちゃんと遺書も書いた。私はこうしてこの残酷な世界とおさらばするのだ。
がしり、と腕を掴まれた。
村紗さんがそこに立っていた。

ふざけるな、とそう静かに告げた。

そうして私を殴り倒し、頭をむんずとつかみ、そのまま頭を水の中に入れた。
肺腑の中に、あれだけ待ち望んでいた淀んだ液体がどっと流れ込んだ。それが塩辛い、とか塩辛くない、とか、そんなことはわからなくて、ただ、息もできず、口や鼻から出した空気は虚しく水の中に消え、そして私は声もあげられず、全身に粘性を帯びた液体が巡っていくような感覚に陥る。
おねがい、助けてください、私はそう声を上げようとしたけれども、私のその声は空気となって水に溶ける。光なんて見えやしなかった。私が見たかった水中からの光、人魚姫になって見たかった水中に差し込む一筋の光なんてそこには存在しなかった。その先にあるのは暗い暗い暗渠でしかなかった。
村紗さんは私の頭を一瞬水の中からだし、私の顔を自分のそれに向けた。私は声を上げようとしたけれども、喉の奥に水が溜まっていたからぶくぶくという音しか出せなかった。私はその顔を忘れることはないだろう。
そして再び頭を水の中につける。助けてください、という懇願は村紗さんには届かない
もう何度繰り返されたのだろうか、私は意識の闇の底へと落ちていった。




意識を取り戻したときには、私は布団の上にいた。
命蓮寺だろう。白蓮様は私に謝ってくださった。でも私は何も言うことができなかった。白蓮様に連れられて村紗さんがやってきた。
二人だけにしてほしい、と村紗さんは白蓮様に告げた。
ごめん、と村紗さんは言った。
私は気がつくと泣いていた。
そんな風に泣けるのは随分と久しぶりだった。
私はいつだって泣く前に死にたがっていたのだから。

私は次の日から人里に戻ることにした。
村紗さんにありがとうございます、と告げた。
村紗さんは、がんばって、とだけ言ってくれた。
それ以来村紗さんと喋ることはなかった。

でも、村紗さんの顔はどこかにこやかだったことは大人になった今でも鮮明に思い出すことができるのだ。
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コメント



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1.90竹者削除
よかったです
2.100南条削除
面白かったです
村紗の持つ心の闇の断片みたいのものが行動ににじみ出ているようでした
主人公もちゃんと大人になるまで生きて居られてよかった
3.90夏後冬前削除
明確に村紗の中の闇が存在することは確信できたので、その闇にどっぷりとつかってみたいなという気持ちにはなりましたね
4.100名前が無い程度の能力削除
主人公の視点から村紗の心象が移ろう様が見えているようで、良かったです。
5.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
6.90ローファル削除
面白かったです。
村紗の複雑な心境が言葉の少なさに現れていてよかったです。
7.90東ノ目削除
主人公がもう一度の自殺を試みた場面、もしかしたら内心村紗がもう一度助けに来てくれることを期待する気持ちもあったのかなと思いました。そこで溺れさせに来るあたりは流石村紗なのですが、殺そうという意図だったのか彼女なりの救済だったのか、村紗の心情があえて語られないのが想像を掻き立てられました。
8.80福哭傀のクロ削除
どこか詩的?で抽象的でありながら
短い作品の中で主人公の闇?と村紗の闇?がうまくまとまって描かれていて、
全体的にきれいな作品でした
9.100名前が無い程度の能力削除
抽象的でところどころに色んな意味での闇を感じるお話でした。