Coolier - 新生・東方創想話

プリズムリバーの旋律を夜に聴いたせいです。

2023/09/01 00:30:18
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 別に、何かあったという訳ではない。大事な人を亡くしたという訳では無く、ましてや女に振られた――なんていう訳でも無い。ただその日は、偶々起きるのが遅くなったせいで遅刻して、偶々いつもより親方の機嫌が悪くて怒鳴られて、そのせいでいつもより酒を飲んで帰りが遅くなって更に偶々聞こえた音楽に足を止めて……そして、多分──偶々あいつらがそういう気分だったという、いつもより些細な不幸が重なっただけの……それだけの話なのだろう。





「くそがよぉ。ほんのちょっとじゃねえかよ。急ぎの仕事でもねえのにあんなに怒鳴りやがって。そんなに言うならあいつの方がよっぽど……」

 ちくしょう、今日は災難だ。いつもなら小言で済んでるはずなのにちょっと着くのが遅れただけであんなに怒鳴り散らしやがって。女房と喧嘩したからって俺に八つ当たりすんじゃねえよ。飲み屋だってそうだ。俺は客だってのに飲み過ぎだとか言って無理やり店を追い出しやがって。こっちは金払ってんだぞ。まったく。

 ぐい、と男は半ば奪い取るように持ってきた徳利を傾け、直に口を付けて酒を飲む。そのまま千鳥足でだらだらと家へと足を運んでいると遠くから聞き慣れない音が聞こえてきて思わずぴた、足を止める。そちらの方へ目を向けると炎とはまた違う煌々とした明かりが照らしており、その音はどうやらその光の方から聞こえてくるようだった。
そういえば同僚が話していたが妖怪だか幽霊だかが“らいぶ”ってもんを偶にやっているらしいが、今日だったっけか?まあ、別に興味もねえが……と、歩き出そうとしたところで再度足を止める。どうせ帰って何もない家で酒を呷るくらいなら人がいるところで飲んだほうがまだましか、という事に気づき数秒だけ考え込む。そしてその男は牛の様にのそっと光の方に向き直りまたとぼとぼと、覇気の無い足取りで音のする方へ向かうのだった。
 いざ来てみればまさかここまで多いとは。偶に居る大通りのチンドン屋を大きくしたくらいのものを想像していた男はあまりの人の多さに驚いていた。同僚があれはいいもんだとかあれは祭りだとかいやに早口で話していたのを些か冷めた目で見ていたのだが、実物を見てみるとまあ納得できなくもない。ただこの人だかりでは前で見ることは出来そうも無いし、あの中に入っても潰れ饅頭になって押し出されるだけなのは明らかなので、さてどうしたもんかなとあたりをきょろきょろとしていると、遠巻きに腕を組みながら壁に背もたれて聞き入っている者がぽつぽつと居た。なるほどそういう見方もあるのかと男はそれに倣い、自分も壁に寄りかかって、ちびちびと酒をやり始めた。







「……さん。おにーさん!」

「んおう!」

 びくりと身を竦ませる。いつの間にか寝てしまっていたらしい。あたりは夜である事を思い出したかの様に暗くなっており、あれだけ騒いでいた人も音も居なくなってしん、と静まり返っていた。素っ頓狂な声を上げたのが恥ずかしくなり、酒で赤くなっていた顔を更に赤くさせてそそくさと立ち上がる。

「こんな所で寝てると風邪ひいちゃうよ?」

「ああ、いや、そうだな。ありがとよ嬢ちゃん」

 気恥ずかしさから早口でまくし立てたがなんだか聞き覚えのある声だなと思い、目を凝らしてみる。よくよく見てみると暗がりで気付かなかったのだが声を掛けてきたのはなんと先程まで壇上にいた女だった。この青い髪の女は確か……

「ところでぇ、ねえお兄さん。お兄さんって誰推し?」

「推し……?」

「えぇ~!知らないの?推しっていうのは~ぶっちゃけ誰が一番好きかってこと」

「もうやめなさいよメルラン。それ毎回聞いてるけど結局いつも変な空気になって終わるだけじゃない」

「いいじゃんルナ姉。ルナ姉だって言われた時満更でもなかったじゃん。やっぱ気にしてんでしょ?」

「いや、悪いんだが実は俺今回初めて来たもんでそういうのはまだ……」

「えぇ!?」

 三人とも同時に驚いたように声を上げると、ちらちらと目配せをした後、後ろに振り向いてこそこそと何かを話し始める。俺は、あー何か悪い事をしたかな。でも事実だししょうがねえよな。ていうかよく考えたら明日も仕事じゃねえか。三人には悪いけどそろっと帰りてえが流石にここで言うのは野暮だよな……と居心地の悪さにもぞもぞとしていると、今度は赤い帽子をかぶった女が

「ねえお兄さん。だったらさぁ、私達のこともっと知ってもらう為によかったらうちに来ない?」

 なんて言ってきて、俺はまた「へぁ?」と素っ頓狂な声を上げることしかできなかった。










「へぇ~お兄さん大工やってんだぁ。どおりで逞しい腕してんねー」

 リリカとメルランが挟み込むように両腕に抱きついて体中をべたべたと触ってくる。女二人に挟まれるなんて男からすれば夢の様で、今すぐにでも思考を手放してこの優越感に浸りたい所だが喉に引っかかった小骨の様にどうしても無視できない問題が一つだけあった。男は心の中で否定してくれと思いながらもその疑問を口にする。

「あ、あぁ。そりゃどうも……。しかしこれなんかどんどん外に行ってねえか?」

「そりゃそうよ。私達だって流石に里の中に住んでるわけないし」

「はぁ!?」

 やっちまった。妖怪だってのはわかってはいたが顔がいいからって付いてきたのは間違いだった。情けねえが今からでも断っちまうか?いや、今更体面なんて気にしてる場合か。そうだ、さっさと逃げ出しちまおう。……しかしまあ、片方はまな板押し付けられてるみてえだがもう一方はなんてえのか……とんでもねえな。こんなもん触るどころかお目にかかる事だって滅多にねえぞ……。俺なんかがこんなおいしい事になるなんてこの先一生無いんじゃねえのか?
……外に行ってるったってここはまだ里の中だ。こいつらがいくら強かろうが里の中で妖怪は人間を傷つけることは出来ねえんだ。なら、別に逃げるのはいつでもできるだろ。もう少し、もうちょっとだけ後でも遅くはねえか。

「ちょっとメル姉!だいじょーぶだって。外って言ってもそんな遠くないし、私たちけっこー強いんだから。そうだルナ姉!」

 と言ってリリカはルナサに目配せをする。ルナサはこくりと頷くとどこからか取り出したヴァイオリンを弾き出した。美しいがどこか暗く寂し気な音色があたりを包む。

「ほら、こーしてれば妖怪は寄り付きもしないわ。お兄さんの為だけに弾いてんのよ。こーんな美女二人に囲まれておまけに演奏付きだなんて、こんな贅沢二度とできないわよ。うちまで来てくれればもっといい思いさせてあげるからさ。ねえ、行きましょうよ?」

 男は、楽器のことなどほとんど分からなかったが、先ほどまであんな大人数の前で演奏していたのを独り占めにしているを考えると確かに自分はえらい贅沢をしているではという気になってきた。実際この音を聞いているとあれだけあった不安が嘘のように消え失せ、こんな状況で逃げ出そうとしていたことが馬鹿馬鹿しく思えてさえきた。幾分か余裕の出てきて冷静になった男は今更だな、と思いつつも来た時から抱えていた疑問を口にする。

「なあ……なんで俺に声を掛けたんだ?」

「んー?そうねえ……お兄さん暗い顔してたでしょ。あーいうとこだと目立つのよね。何かあったんでしょ?」

「うーん……あったと言えばあったけども……そんなに言う程のことでもねえんだが、ちっと仕事に遅れてで怒鳴られただけで、別に、ほんとにそんだけだよ」

「ええ!人間ってそれだけで怒られるの?生きるのって大変だねー」

「大変だけども、まあそんなもんじゃねえのか。嫌々働いてなんとか生きるってのが人間ってもんだろ」

「でもそんなに辛いならさぁ、死んだ方がましじゃない?」

「はぁ?……いや、確かに辛い事もあるけどよ、何もそこまで思ったことはねえよ」

「あら、まだそこまでじゃない?じゃあ他に嫌な事でも無かった?今なら私が聞いてあげるからさ、どんどん愚痴っちゃいなよ」

「愚痴なんたって、そんな急に言われてもなぁ……そういえばあん時──」










「そうだよねー、大変だよねー。さ、着いたよおにーさん」

 連れてこられた男は別人と言われた方が納得できるほどに様変わりしていた。目は虚ろで、死んだ魚の様に濁りきっており、その足は歩くことはおろか立つことさえせずに二人に身体を預けて引き摺られ続けていた。

「俺なんか生きてたってしょうがねえ……もう楽になりてえ……」

「そうよねー。じゃあ中にいこっか」

 二人は男を引き摺って中に入る。それはもはや家、と言うよりも小屋であった。中にあるのは梁にかかって先に輪の出来た縄と踏み台。メルランが手を離して、男は抵抗もせずにがくんと腕を下げる。男の全体重がリリカに掛かった筈だがリリカは少しも体制を崩さない。ラッパの明るく楽し気な音が聞こえる。男の耳元でリリカは囁く。

「ね?頑張って辛い事したって何になるの?もっと辛い思いをするだけじゃない」

「もうなにもしたくねえ……消えてなくなりてえ……」

「何もしたくないよね?楽になりたいよね?」

「生きててもしょうがねえ……なんでもいいから楽になりてえ……」

「そう。生きててもしょうがない。だから、ね……死のう?」

「死ぬ……?」

ラッパの音が聞こえる。

「そう。死んじゃえば何も考えなくていいし」

ラッパの音が聞こえる。

「つらいことなんて何にもないし」

ラッパの音が聞こえる。

「死ねば全て解決する」

ラッパの音が聞こえる。

「死だけがあなたを救ってくれる」

ラッパの音が聞こえる。

「……そうだな……もう、死んじまおうか」

「そう。それでいいの。ほら、自分の足で立って」

 そういってリリカは手を離す。男は重力に引かれるままに地面に叩きつけられるが、それに対して恨み言の一つも言わずに踏み台の方へ這って行く。のろのろと、亀の様に遅い歩みだが、誰も何も言わない。ラッパの音だけが響いている。男は、赤ん坊の様によたよたと踏み台を昇り、おぼつかない仕草で立ち上がり縄に手を掛ける。その時に三人を見みてみる。三人は悪意の欠片さえも感じさせない程優しくこちらに微笑んでいた。それに合わせてか他の二人も楽器を取り出して演奏を始める。それは、ライブで聞いた音とはまるで違い、頭の中に直接鳴り響き、俺は、直接脳みそを揺すり上げられる不快感と、直に脳みそを愛撫される快感で、どうしようもなくなって、俺は、俺は――



 ひゅん



――という風切り音。かつん、と何かが壁に当たる音。それはお札だった。壁に突き刺さったそれは自分が紙であることを思い出したかの様にくにゃり、と曲がってそこから垂れ下がっている。三人は演奏をやめ、リリカはお札を投げてきた人物に対し、男に向けた物とは違う悪戯っぽい笑みを浮かべてこう嘯いた。

「男女の逢瀬を邪魔するなんて無粋だねえ?博麗の巫女さん。それともそんな駆け引きもわかんないお子さまなのかな?」

 そう呼ばれた少女、博麗霊夢はこの異常な光景にも、挑発にも乗らず、淡々と答える。

「里の中の人間を殺すのは禁止されているわ」

「里の中で人間を殺すのは、でしょう?」

「細かい事はどうでもいいわ。退治すれば誰も何も言わないんだから」

 霊夢はそういって腕を一振りし、針を投げつける。その針は三人の眉間を正確に捉えていたが三人は壁をすり抜け、針はあっけなく壁に阻まれる。

「じゃあ、また会いましょうね。イケメンのお兄さん」

「待ちなさい!」

 逃げ出した事を悟った霊夢は追いかけようとした所で踏み台に乗ったまま呆然としている男が視界に入り動きを止める。霊夢は目だけで三人と男を2、3度交互に見た後に追うのを諦めた様に警戒を解いて、大きくため息をついてからつかつかと男の方へと歩み寄る。

「あんた、大丈夫?」

「あ、ああ……」

 霊夢はもう一度大きくため息をした後、目一杯背伸びをして男の横っ面をはたく。ぱちん、という音が響き、男はそこで初めていきなり視界に入ってきたとでも言うかの様に驚いた顔をして霊夢を見る。そして男は自分が持っている縄を5秒程じっと見た後にひゃあ、と情けない声を上げてそれを放り投げ、その拍子に踏み台から転げ落ちる。

「目は覚めた?」

 そういって霊夢は男に手を伸ばす。男は未だに何が何だかわからないという顔をしているがおずおずと霊夢の手を取って立ち上がる。

「すまねえな……」

「もういいわ。里までは送って行ってあげるから付いて来なさい」

「悪いな……なんて」

「別に。人間を守るのも役目だからやっているだけよ」

「あ、ああ……そうかい」

 そこで会話は途切れて、二人はしばらく無言のままで歩く。あたりは異様に静かで、ざっざっと二人の足音だけが響いている。

「気を付けなさい」

「はっ?」

「それがあなたから消えることは無いわ。弱ったら飲み込まれるわよ。気を強く持ちなさい」

「……」

 男はじっと手を見る。手の平にはまだ赤い縄の跡が残っている。男は思い出していた。およそ人が一生かけて受けるはずの苦痛と快楽をたった数分で全てを経験したあの瞬間、男には確かに見えたのだ。全てから解き放たれ、清く澄み切ったまっさらで美しいあの世界を、見てしまったのだ。もちろんもう死のうなどとは思ってはいない。そのはずなのに、それは何度も心の底から湧いてくる。その度に幻覚だ、馬鹿馬鹿しい、ありえない、と自分に言い聞かせている。思考を止め、叩き潰し、散らしても、散らしても、死体に群がる蛆の様に形を成して、それは男にある一つの疑問を投げかける。













 なあ、あれは本当に救いだったんじゃないのか
投稿するなら今しかねえって思って1か月が立ちました
ハピ茶
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コメント



0.50簡易評価
1.100下野カズ削除
あんまり見ないタイプのプリズムリバー楽団の怖い話に新鮮味を感じました。結構ツボにはまって良かったです。
2.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
優しそうに死に誘う様がまさしく霊という感じがしました。残り香が脳にこびりついてしまうのも含めてとても良かったです。
5.100南条削除
面白かったです
プリズムリバーがちゃんと加害者してるのが新鮮でした
たぶん本当に救いだったのだと思います
6.90ローファル削除
面白かったです。
霊夢の手で無事に男は助けられましたがこれで全て解決、という感じがしない終わり方がよかったです。