Coolier - 新生・東方創想話

紙上の神

2023/08/11 23:04:08
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『紙上の神』

 一

 まだ経験の浅い記者たちのために私が用意した最上の教えは、「ぶしつけさこそ我々に不可欠な特性だ」というものだった。
 もっとも、要領のいい彼女たちが大天狗相手に仕事の助言を求めてくることなどめったになかったのだが、応じる備えとしてこの一行は常に頭の片隅にあったので、いつしかそれは部下よりもむしろ自分を説得する便利な合言葉となっていた。「恐れずに、必要なぶしつけさを持て。爽やかに図々しくことを運ぶんだ。でなければ写真一枚撮ることはできない。見たものを語ることはなおさらできない」と。
 その夕べ、恐ろしく静まり返った洞窟を訪ねて私が語りだしたときも、「ぶしつけさ」の割り切りはおおいに役立った。洞窟に充満する青白い神秘的沈黙、それは自然なきっかけを待たれることもなく、無造作に破られた。
「貧乏神というものを、お前は見たことがないだろう」
 最初にそれを確かめておくことにした。ありえそうもないことだがもし百々世があれのことを知っていたら、自分のしようとしている話はひどく的外れな独りよがりの印象を与えてしまうかもしれない。だからといって本題だけを簡潔に語れるほど整理のついた話ではそもそもないのだが、ともかくまずは「見たことがないだろう」と切り出すことにした。
 声は洞窟の入口からほんの二三寸ほど奥へ泳ぎ入ったかに思えたが、八方からむらがってくる闇に奪い合われてすぐ散り散りになってしまった。それでも百々世の耳にはちゃんと届くらしい。返事はすぐに来た。
「貧乏神なんて、俺は見たことがないな」
 百々世の声はずっと奥底から響いてくるようでもあったし、まるで数歩先の暗がりにしゃがみこんでいるようにも聞こえた。
「新聞で読まなかったのか、双子の妹と起こした異変の記事が出ていただろう」
「読まなかった、そんな異変の記事は」
「その貧乏神の話がしたいんだ」
 私は手近な岩に腰を下ろし、目線を天井の一点に据えた。もう洞窟の奥を見なかった。ここでは誰の声も不思議と似てしまうので、おうむ返しな応答が百々世の声なのか自分の声の反響なのか、分からなくなりそうだった。
 洞窟の天井は西日を真横から受けて陰影濃く、荒涼とした山脈を見下ろしているような錯覚を受けた。この眺めが消える前には語り切ってしまえるだろうか、と思った。

 二

 貧乏神のことなら、私は新聞で毎日読んでいたよ。写真も大きく出ていたから、実際に見たときもすぐにそうだと分かった。ただ、その見たというのが奇妙な場所だった。うちの山の賭場で見かけたんだ。
 顔を出したのは別用あったついでだった。客たちの囲んでいるにぎやかな盆から離れて、柱の陰に座り込んでいる奴がいた。痩せ細った腕をひどいぼろ服に通していて、その代わりみたいに蓬髪を長く伸ばしているんだ。顔を確かめるまでもなく、一目で悪神の類と知れた。賭場の太夫はあえて追い払うのも嫌だと見え、しきりに煙草を吐いて客の視界から隠していたよ。
 賭場に貧乏神がいることを奇妙だと思った私の感覚が分かってもらえるだろうか? そりゃあ賭場なんて結局は金を減らすところなんだから、そんなのが居ついてもおかしくないとかいう理屈もあり得るかもしれない。でも、やっぱり賭場の客はみんな勝つつもりで来るんだからね。妹の方ならまだしも、あいつは居ちゃいけなかったんだ。だいいち、当の貧乏神だって居心地がよさそうというわけじゃなかったよ。膝を抱えてうつむいて、ときどき前後左右と体をゆすったり、深く息を吐いたりするので座っていても嫌に落ち着かない。まるで経っていく時間に傷めつけられ耐えているようなんだ。言ってみればいたたまれなさの塊といった感じ。誰かに置き忘れられたか、賭け金のつけとして捨て去られたんじゃないだろうか? 自分から入り込んできたわけじゃないのは絶対に確かだ。
 置き忘れだとか、つけとしてだとか、貧乏神にそんな値打ちがあるのかとお前は言いたいだろうな。でも、そうだから余計に奇妙なんじゃないか。要するに貧乏神というやつはどこに現れてもそれは仕方ないはずなんだが、実際にはどこで見ても場違いに見えるんだろう。それこそふさわしいことじゃないか。
 私は、あいつに声をかけた。
「おやおや……、お前はなんて細っこいんだい」
 そうしてたもとに持っていた麦飯の包みを出して、目の前に置いた。くれてやろう、なんて言うほど不用心じゃなかったよ。上手いやり方だとも思わなかった。ただ必要なぶしつけさを発揮しただけさ。
「もうひと包みあるなぁ。これは辻の社にでも供えておこう」
 それだけ言い残して私は賭場を出て行った。お礼か何か、言われる前にさっさとね。
 翌日には耳の良い記者たちが何紙かで記事を出した。見出しはたいてい『賭場に貧乏神/異変後潜伏か』といったものだ。案山子念報のだけが大見出しで『賭場に貧乏神警報/勝負前 背後確認を』だったな。後から太夫に聞いた話では、貧乏神は私が居なくなるとすぐ麦飯を食べて、いつの間にか消えたらしい。現れたときも全く気付かない間に入り込まれて困っていたそうだから、随分感謝されたよ。だが、どこの紙も『大天狗の機転 賭場救う』なんて書いているやつはなかった。『大天狗に疑惑 逃走手助けか』もないんだ。これは私たちの仕事にときどき現れる不思議な力学の働きだね。毒にも薬にもなったはずなのに、かえってそのために誰も書きたがらなかったんだ、私のしたことは。

 三

 話はこれで終わりだと思うか? ところがそうじゃない。実はここが話の始まりなんだからな。大事件というやつはいつも始まったときにはその大きさが目に収まらないもので、まずは無関係な事件として紙面の隅にベタ見出しで載るのさ。
 前にも話したと思うが、うちの屋敷には毎日大量の新聞が届けられる。私はそれを机の上に数紙ずつ並べて読む習慣にしている。賭場での一件の翌日も、私は見出しを見比べながら今語ったのと同じ話を典にしてやった。すると典はうんうんとうなずいてね、「辻の社にはしばらく近づかないよう気を付けなくては」と言ったんだ。
 私はハッと顔を上げて、思わず部屋を見回したよ。今の言葉を聞いた者が本当に二人の他にいなかったか確かめたんだ。
 確かに、そのあたりを探せばまだ貧乏神がとどまっている可能性はある。前日、私は言ったとおりに辻の社へ寄って供え物をしておいたんだ、詰めを怠って神に祟られるのは御免だからな。消えた貧乏神はきっとそこでも麦飯にありついたに違いない。それに今日は朝から降りだしそうな曇天だから、しばらく留まって屋根を借りている、というのもありそうなことだ。そんなことは、典に心配されるまで考えもしなかった。
 私は常々思うんだが、管狐を飼う一番の値打ちは、使者として気が利くことなんかじゃないね。こういう何気ない忠言を通して思い付きの種を与えてくれることなんだ。そうだよ、ろくでもない無謀な思い付きだ。
「よし、今から行こう。貧乏神を探すぞ」
 典は顔をしかめて見せたが、何も聞かずに出かける支度を整えた。本当は面白がっていたのかもしれない。「私はお留守番します」と言うから「お前も来い」と言ってやったよ。これもどう答えさせたかったのかは分からない。
 ところで、さっきから私の言っている辻の社というのは昔の人間たちがふもとから一合目くらいの別れ道に建てたごく質素な代物のことなんだが、実際雨宿りくらいにしか使っている者はいない、荒れたあばら家だよ。私たちが着いたのは昼過ぎだったが、天気が悪いせいと誰も木を伐っていないせいで、周囲はほとんど日暮れ間近の暗さだった。
 戸の前に供えていた昨晩の麦飯は消えていたが、貧乏神の姿は見えなかった。でもあまり昼間から動き回る習性には思えないだろう。典に鼻を利かせて周辺を探させることにした。すると典のやつ、建物をぐるりと裏へ回り込んだかと思うと、そこから動かない。「見つけました」とさっそく言うんだ。貧乏神は軒の影になる壁際に立ち尽くしていた。
 陰気な場所で長い髪を揺らして、悪霊そっくりだった。昨晩の賭場よりは似合いの場所と言えただろうが、今度はいかにも陳腐にそれらしすぎるのが滑稽でもあった。
 そうして立ち上がったところを見ると、存外背が高いんだ。背は高かったのに、大人にも子供にも見えなかった。どちらにもならせてもらえないせいで頭の高さを不安に思い背を丸めている、そんな印象を受けたよ。
 私たちが来るとゆっくりした動きで顔を向けた。初めてまともに目を合わせたのはこのときだ。光の希薄な、何も見ていないような目だった。私に気付くとその目で笑みのようなものを作った。ひどく不器用で泣き出しそうな愛想笑いだった。
「お前は何故建物に入らないんだい?」
 私が話しかけると、貧乏神は元の虚ろな表情に返って首を横に振った。どういう理由かは分からないが、そんなことは出来るわけがないという意味らしい。
「構わないじゃないか。ここは誰のものでもないんだよ。お前が使って悪い理由が何かあるかい?」
 我ながら素晴らしく落ち着いて説得的な台詞だったと思うね。なにしろそこは辻の社という呼び名ばかりで中には何もない。唯一あった注連縄すら今では朽ちて残っていないんだ。神様らしい縄張り意識なんて出る幕じゃない。だが貧乏神はやはり首を振って曖昧に受け流した。似たような説得と首振りのやりとりはその後三往復ほど続いたと思うが、何故か中へ入ろうとしなかった。曖昧なのにかたくなな、人を途方に暮れさせる態度、「あなたは分かっていないのよ」式のやつだ。
「お前を騙すつもりはないんだよ。捕えたり、悪評を広めたりもしない。ただ聞いてみたいことがあるんだ。実を言うと好奇心に従っているだけでね。濡れない場所で話そうじゃないか」
 考えてみれば新聞屋天狗の親切なんて怪しむ方が当然なのだから、最後は多少正直なところを打ち明けてみたんだが、これもだめだった。その代わりに、貧乏神は足元に転がっていた何かをさっと拾い上げ、こちらへ差し出してきた。ふちの欠けた古汚い茶碗だった。そして、びくびくしながら甘えるような上目遣い……いつも身を屈めているのはこの目つきをするためなのかもしれない。
 めったにないことだが、私は困惑させられた。いや、ありきたりな物乞いの卑屈さにひるんだとは思ってほしくはない。そんなものではなかったんだ。あの差し出された茶碗の魔力は、あの場にいた者でないとちょっと分からないだろう。それは私が日ごろ親しんでいる天狗流のぶしつけさとは違う。『質問に答えろ。ごまかしたらえらいことになるぞ』と無言のうちに脅す記者たちの要求とは全く逆の性質のもので、しかし同様に強いものだ。応じる理由なんてない、だが完全に無視するのも容易じゃないという気にさせられる。そうしてためらっているうちに、いつの間にか自分の方が駄々をこねているような気になってしまうんだ。
 結局、私はその茶碗に麦飯の包みを入れてしまった。手が少し震えたのも緊張のせいとは違う。私はね、とてつもない特ダネの尻尾でも掴んだような気持ちだったんだよ。物好きを起こしたかいがあった。わざわざ探しに来てよかった。
「また明日も来るとしよう」
 そう言って背を向けた。立ち去る間際に空を見上げると、とうとう頬に冷たいしずくが当たった。「降ってきたぞ、中に入れよ」と最後に言い残した。
 でも典は「雨ならすぐにあがりますよ」と言っていたな。

 四

 私が賭場から貧乏神を追い払ったとき、誰もその事実を記事にしなかったと話したな。思えばそのことが私の視線を新聞の余白へと向けさせた。
「規制抜きに報道からこぼれ落ちた事実」、そんなものは紙面が有限である以上いくらでもあり得るし、中には発行者自身にさえ奇妙に思われながら捨てられた記事ダネの例もたくさん知っている。賭場での一件もまた、単にニュース価値が低かっただけなのだろう。そのことはそれでかまわない。だが貧乏神のあの奇妙な存在感と初めて接した直後で、私には自分の記者たちに対する無意識の疑いが芽生えてしまったらしい。要するに、誰もが貧乏神について何か大きな思い違いをしているのではないかという疑いだ。報道写真からは伝わらないことが多すぎる。
 私はそういう疑いの目を持って貧乏神と異変の記事を脳裏に並べ眺めてみた。するとどの見出しも何かが欠けている気がしてならなかったんだ。これぞ一面にふさわしい綺麗な見出しだと言えるものは一つも思い出されない。不気味な感覚だよ。辞書の中に誤字のようなものを見つけたのに、正しい字が何なのか誰も知らないときのような孤独な違和感。
 辻の社の裏で二度目に会ってまた別のことを感じた。あいつの関わった異変にはもっと大きな時流の呼び水となるような、予感のようなものがある。そして私たち天狗はあの異変の隠れた意味を見落とし、見出しを付け間違えているのだ。
 私はどうしてもあの日の主見出しを探したくなった。

 それからの日々ほど自分が善良に見えたことはないよ。私はほとんど毎日辻の社へ出向いて貧乏神に麦飯を与えた。典は連れていかなかったが、もう鼻を借りる必要もなかった。あいつはたいてい同じ軒下に立っていて私を見ると挨拶もなしに茶碗を差し出すので、私の方も袂から包みを出して渡すだけ。あいつはその場ですぐ包みを開いてかじりついた。
「遠慮せず食ってくれ。うちにはもっと食う狐だって、大蜈蚣だっているんだ」
 ときどき私はこれに似たような言葉をかけてやったが、貧乏神は遠慮どころか嬉しそうな顔すら一度も見せなかったよ。相変わらず卑屈にびくびくしているんだが、喜んでみせたり感謝したりはしない。出したものは全部食べるが、うまいとも言わないし、もっとよこせと言うわけでもない。まるで見ている私の方こそ食べ物を盗む隙をうかがっている文無しでもあるかのように、あいつは大急ぎで食べ物を口の中に隠そうとするんだ。
 黙々と麦飯が平らげられていく間に、私はさりげなく隣に立ち位置を移して屋敷から持ってきた新聞を広げ「この記事を見てくれないか」と勝手にしゃべり続けることにする。貧乏神とその妹が起こした例の憑依異変の記事を当人の前で読んで聞かせたんだ。偶然通りがかった者がいたら、どれほど奇妙に見えただろう。でもそんなことは気にならなかった。正直に言えば他人の目など想像するよりも、こんな不格好な見出しを聞かせる貧乏神の耳に対して私は恥ずかしさを感じていたんだよ。
 そう、やはりどこの紙の見出しも私には物足りなかった。まったく恥ずかしい話なんだ。改めて読むと基本からしてなっていないのも結構ある。そもそも私の記者たちには上手な見出し屋があまり多くないんだ。
 例えば、最初に持っていった紙の見出しは『貧乏神つかせ金品奪う/ライブ会場 妹の疫病神悪だくみ』というのだった。
 これは毎年の新聞大会でも順位が高い記者のものだ。さすがに簡にして要を得る、事件物らしい堅実な作りだよ。起きたことを主見出しで端的に語り、脇見出しでは最低限の背景を抑えているじゃないか。硬派な一面記事は私も好むところだ。普段から部下たちには「大事件の見出しに小細工はいらない」と教えているからね。『貧乏神』『疫病神』と文字数を食う二者を登場させながらさりげなく姉妹関係を説明できているのも地味ながら工夫が見える。
 でも、やはり荒い部分があるな。まず異変の主犯が妹一人かのようになっていて、貧乏神はまるで単なる悪事のからくりとして見出されているのが惜しいよ。本文を読めば貧乏神の派手な暴走についてもきちんと取材して書かれているだけに、この主見出しは妥協の匂いがする。さらに妥協めいて雑なのは脇見出しの『悪だくみ』という部分で、明らかに文字数の無駄遣いになっている。主見出しに『金品奪う』とある時点で悪いことは言うまでもないし、焦点が妹に絞られ過ぎるのはまさにこの『悪だくみ』のせいだ。
「……でも、『悪だくみ』の代わりには何を入れたらふさわしかったのだろうな? 『妹の疫病神 巫女が退治』とその決着までうたってしまうのもいいが、余計に妹一人の異変という感が強まってしまうな。『金品奪う』を主見出しから移動させてあてがう手もあるが、それじゃあお前の活躍は何と表現すればいい?」
 そんな私の問いかけにあいつがどんな風に答えたか分かるかな? 何も答えてはくれなかったよ。話している間はひたすら食べ続け、うなずくどころか顔も見ようとしない。
 ふとすると声が聞こえているのかすら不安になりそうだったが、こっちも新聞屋だからね、反応がないくらいで口を閉じるようにはできていないんだ。一方的にしゃべり、新聞をガサガサ忙しなくめくり続けた。最後は意地にでも返事をさせてやろうと、問いかけをきりにむっつり黙り込んで長いこと待ってやった。
 これには貧乏神も弱ったらしい。手に麦飯があるうちはいいが、全部飲み込んでしまうといつまでも聞き流していられなくなる。そして、またしても怯えながら甘える目でじっとこちらを見つめてくる。この目を出されては私は降参するしかない。食わせ損になっている麦飯も、宙を漂ったままの問いかけも、半ばどうでもよくなってしまい帰ることにした。あいつの処世術、あるいは神力なのだろうか。
 しかし翌日にはまた麦飯を持って行ったよ。新聞屋がこの程度の取材拒否にいちいち気後れするものじゃない。
 次に読んでやったのは案山子念報の切り抜きで、『音楽の宵 荒ぶる貧乏神/巫女ら憑依逆手に双子神退治』という見出しになっていた。
 これはかなり酷いよ。飛躍が多くて何が何だか分からない。『音楽の宵』を主見出しでわざわざ大きくうたう意味はないし、『荒ぶる貧乏神』ではせいぜい雰囲気のさらに雰囲気くらいしか伝わってこない。きっとライブ会場で弾幕をばらまく姉妹の写真がよく撮れていたから、その色彩を強調するつもりで軟派な言葉遣いになったのだろう。
 だが見どころもあるんだ。『音楽の宵 荒ぶる貧乏神』は事件物としてでなければ読んでみたい気持ちにさせるだろう。ありきたりの紙面にはするまいと、案山子念報なりにひねったわけだ。それに『憑依逆手に』なんて異変解決の流れに目を向けている紙は他にないから、こういった踏み込んだ要素には私の求めている予感の光源があるかもしれない。
「そうそう、『憑依逆手に』といえば、お前たち姉妹のたくらみだって都市伝説の異変の名残をつぎはぎして上手く利用したものだったじゃないか。完全憑依は理解すれば皆が使いこなせるおもちゃでもあった。そのことは異変の発生当初から知られていたのだから、この見出しを付けたやつは『憑依逆手に』と説明なしに書くだけでも話が通じるはずと強気に構えている。まあ良く言えば読者を信用しているんだが、さすがに乱暴じゃないか?」
 私は一気呵成に考えを述べて、また粘り強く貧乏神の反応を待った。あいつはちょっと小首をかしげたように見えた。話が複雑で解らなかったのか、こんなやり取りを無意味だと言いたかったのか、いずれにせよ何の役にも立たない合図だったよ。
 あとは前の日と同じだ。
 こうした不毛な貧乏神詣りは半月以上も続いた。

 五

 こんな苦悩をお前は不思議に思うだろうな。見出しなんか載ってさえいればそれで充分じゃないかと言いたいだろう。でもそうじゃないんだよ。まったく、見出しほど困難な芸はないと言っていいくらいだ。
 良い見出しを付けるための要点を一つ一つ書き出していけば、そこには窮屈な制約ばかりが並ぶことになるだろう。いま私が例を挙げながら話したように、美点よりも欠点の方がはるかに問題になるんだ。どんな大きな美点があっても、それによって不正確さや不適当さ、読みづらさを補うことは決してできない。全てをごく限られた文字数の中で折り合わす必要があるんだ。
 現場では軽快に飛び回っている天狗たちも、最後には必ず机の前に舞い戻って一転、神経質な手つきで見出しをこね回さなければならない。言うなれば新聞屋は、大きく二つの職業の兼業ということになるだろう。記者の時間と見出し屋の時間があるんだ。しかしながら見出し屋の時間は非常に短い。記事を書いているときはもちろん、取材をしているとき、写真を撮っているときも私たちは記者だ。最後に見出しを付ける段になってから、見出し屋をやらされる。釣り人が船から降りた途端に「寿司を握れ」と言われるようなものだ。たいていどうしていいか分からないんだ。
 こういう仕事にこだわりたがる天狗は少ないが、私に言わせれば新聞の価値はここで半分決まってしまうんだよ。見出しというのは事実をつないで事件に名前を付けることなんだ。星々を選んで結ぶ星座のようなものだ。私が一異変の見出しについてこれほど執着したのは、そこに一つの重要な星が欠けていて、その星が別の新しい星座の一部でもあると予感したからだ。だが星は探してもなかなか見つからなかった。ひどく小さな星なんだ。

 釜の飯を握って弁当をこしらえ、陰気な辻の社の裏で新聞を振り回して語り掛け、そして手ぶらで帰る毎日だった。一言も声を聞けないままで半月……、相手は貧乏神だから扱いづらいのは承知していたが、下手に親密になりすぎてもいけないと気を払った。これ以上は私まで貧乏になりかねない。実際この頃はちょっとしたことごとにツキが逃げやすくなっているのを感じていた。
「今日は何か聞き出せそうですか?」
 出掛ける間際に典からそう訊かれても「難しいだろうな」と答えるしかなかった。それでも私はだらしのない真面目さで貧乏神詣りを続けていた。思えばこれも貧乏くさい感じだった。典は気を遣ってか「またお供しましょうか」と申し出ることもあったが、その気はまったく起こらなかった。
「お前は私の悪心だよ」
 もうしばらくは遠ざけておきたいというわけだった。

 完黙を貫く貧乏神と違い、私には多少の変化があった。
 まず麦飯を差し出すときの印象が変わった。あいつが下を向いて黙々と食べるのを見ているのは、まるで名前もいわれもない大きな穴に食べ物を無益に投げ込んでいるような感じだった。相手から何も期待できないからこそかえって空虚で清々しい気持ちになることがあるものだ。それこそ、居もしない神様のために捧げものをしているみたいだった。
「お前はなんて良い子なんだい」
 ときにはついそんなことも言ったが、決して冗談や皮肉のつもりではなかったんだよ。「良い子」とは何かと聞かれても説明はできないけれど。
 やがて定石通りの見出しを読みつくし、奇案の検討もあらかた済んでしまうと、見出しを見定める目もだんだん変わった。参考にもならないと一度は取り除いた紙の中から、新たに面白いと思える例が浮かび上がってきたんだ。
『完全憑依 驚異の脅威/最凶最悪姉妹の金策』
『貧乏神姉妹夢現実に/疫病神憑依で集金』
『退けば疫病 向かえば貧乏/最凶姉妹の異変布陣』
 ……いずれもあきれさせられる不格好さで、欠点を数えればきりがない案、さらにあまりに軟派な案なのだが、今ではそれが粗雑さではなく無謀さの結果に思えた。下手をすれば私自身が見出しを付けても、どこかで似た危険を冒したのではないだろうか。筆者が漠然と描こうとして描き損ねた絵の残像が、今なら透かして見えるような気がした。
 そうした不毛な楽しみと紙上の遍歴の果てに、私はとうとう文々。新聞を手に取ったんだよ。
『貧乏神斬新活用術/完全憑依で厄押し付け』
 文々。の記者は筆が滑りがちで話がどこへ飛ぶか分からないところがあるが、この記事でも姉妹の悪知恵をまるで愉快な発明のように詳細に紹介している。したがって異変の報道にも関わらずどこよりも軽い調子で、完全に軟派へ振り切った見出しだ。これは驚いてやるべきことだよ。もちろん漢字ばかりの主見出しは読みづらいし、『斬新活用術』がいったい何の役に立つ術なのか結果をうたわない不明確さはいただけない。付けるとすれば『貧乏神 常勝の奇策』とでもしたいが、どのみち巫女に退治されてしまったあとでは手口の巧妙さを持ち上げるのは限界があるだろう。
 それでも興味深いことは、この記者は他紙とは違う事件を創造したということだ。他の者が取り上げなかった事実を見出しにまで取っている。要するに文々。新聞は例の憑依異変を弾幕ごっこの新機軸登場事件だと思っているらしい。そうして新たに登場した遊びの中で最も注目すべき戦法が『完全憑依で厄押し付け』というわけなのだろう。
 この見出し案を掘り出したとき、はじめて小さな期待が私の中に湧き出した。案山子念報に感じた可能性と通じるところがある。
 そう、あの異変の晩は皆楽しかったじゃないか。誰もがこだわりなく、自分の所有物を手放した晩だった。ちょうど麦飯を運び続けている今の私のようにだ。疫病神に憑りつかれた者たちは財布を裏返し、異変を解決しようとする者たちは互いの肉体も能力も貸し与え合う。そのうえ賑やかな楽団の演奏まで聴こえていたのだから何も言うべきことはないではないか。
「思うに、お前も妹もそうだったんじゃないか? この見出しの風に楽しんでいたんじゃないのか? 『貧乏神斬新活用術』と、自分たちでもけっこう得意だったんじゃないか? 私たちが見落としたのは、あの晩が誰にとってもそういう晩だったということなんじゃないか? だからこの記事の扱いは、軟派物の扱いの方が本当は正しかったんじゃないか?」
 画期的なことに、貧乏神はこの私の問いかけに対し、はじめて新たな反応を示してくれた。と言っても、喜んでうなずいたとか、肩をすくめて苦笑したとかいうわけじゃないがね。あいつは麦飯を全部貪り食ってしまうと、少しの間私の顔をじっと見た。そうして空になった茶碗をもう一度私の方へ差し出してきたんだよ。
 どうやら取っ掛かりを得たという感触はあったが、でもだめだ。相手は貧乏神なんだよ。今更ながら実に都合悪いことだ。いくら供物を積んでもご利益なんて授けてはくれないんだ。あいつははじめからそのことを伝えようとしていたのかもしれない。

 六

 一晩考えたあくる日、私はいつもの時刻を待って屋敷を出た。麦飯は用意しなかった。読んで聞かせる新聞も持たなかった。何を訊くかはもう決めていたんだ。あいつはというと、面白いくらい変わりない様子だった。賭場で見た日のままの蓬髪、ぼろ服、暗い目付きだった。空もまた最初に辻の社で会った日と同じ、降りだしそうな曇天だった。
「雨が降るぞ」
 当然のように茶碗を差し出そうとする貧乏神を制してそう言った。私の様子にいつもと違うものを感じたのか、あいつは怯えたような、諦めたような、歳とった大犬の目で見つめた。私の言ったそばから屋根に水滴の当たる音がしたもので、その目はいよいよ細かに震えて、弱々しさの中に立てこもった。だがこの手も私にはもう慣れ知ったものだ。「まあ、雨はすぐに止むさ」
「長いこと付きまとって随分迷惑かけたが、ようやく気付いたことがある」と私は軒下へ入らないまま、小雨に降られながら語り掛けた。麦飯を食わせずに手前勝手に話を聞かせるのはこれまで以上のぶしつけさを要したが、持ち合わせはどうにか足りそうだった。
「つまりな、このままではどうしたって良い見出しは付かないんだ。取っ掛かりは出来ているんだが、いざ見出しをいじろうとするとやはり厄介になるものがあるんだな。なんといっても『貧乏神』では長すぎるんだ」
 私がぶしつけにしゃべり続けるもので、あいつのびくびくした仕草はいよいよ哀れっぽくなり、ちょうどこのあたりで肩と肩がくっつきあいそうなほど縮こまってしまった。まるで「長すぎる」という私の苦情に応じようとするかのようだと思った。あるいは、私の手で体ごと短く切り詰められるのを恐れていたのかもしれない。
「どうすればいいのか? 『貧乏神』を略してうたう方法はないだろうか?」
 考え抜いて決めた、これが核心の問いだった。
「やっぱり、省略してこそ見出しだからな。これだけは聞かなくてはどうしようもない。言い換えを探しているんだ。二字で、可能なら一字でだ」
 不意に、あいつの目の震えが治まった。こわばっていた肩がすっかり落ち、表情はさながら幕が下りた役者のように火を消していた。つまり、私の問いがあまりに簡単で安心したらしい。
「紫苑」
 長く感じた沈黙の末、それでいて拍子抜けするほどの容易さで、私はついにこの神の声を聞いた。思わずすぐに聞き返したくなるようなかすかな響きとしてだったが。
「へえそうか、紫苑か」
 紫苑、実際にはショーンと聞こえた。口をほとんど開けてくれなかったんだね。呼ぶことも呼ばれることも嫌がっているような、それが貧乏神の名前だった。名見出しに思えたよ。
 なんだか涙を誘うくらい静かな音の連なりで、私が漠然と思い描いていた愉快な憑依異変を飾る見出しにしてはいささか寒々とした感じはある。だが、これが正確なところなのだろう。こいつはやっぱり本物の悪神だ。いかに豪勢な祭りの中心に置いてもらっても最後には全て台無しにせずにはおれなかったほど、底知れない貧乏そのものなんだ。私の記者たちが気の利いた見出しを付けられなかったのも無理はない。
「おかげで主見出しが見つかったよ」
 私が返答に満足したのを見ると、あいつはすっかり元の虚ろな表情に戻って空の茶碗を差し出してきた。私がめぐんでいるつもりになっていた麦飯も、あいつにとっては返す当てのない借金であり、いずれ共倒れに破産するための不渡手形のようなものだったのだろう。ふと、そのことが分かって寂しくなった。突き出された細い手の上で虚しく雨粒を溜めている茶碗に、もう何も入れてやるわけにはいかなかった。今ようやくのことで返済を済ませたばかりなんだからな。
 こうして振り返ると実に短い対話だったのだが、私のぶしつけさは思ったよりずっと減りが速く、ここらで使い果たされてしまった。正直に言うと、あの訴えかける茶碗を前にしながらではもう一言も話ができなかったんだよ。私は初めてあの神様に一礼してその場を飛び去った。
 山の上を目指して飛び駆けていきながら、いつの間にか雨が止んでいることに気付いた。振り返ると辻の社の上に大きな虹がかかっていた。紫苑はどこかへ行ってしまったんだろうね。

 七

「それで……」と百々世の声が聞こえて、私は自分の話が終わりまで語り尽くされたことを他人事のように知った。もうあたりはすっかり暮れて、洞窟の中も外も一面に黒い闇が覆っていた。百々世の声はいつの間にか私のすぐ耳元まで近づいてきていた。
「それでお前は、借金はいけない、貧乏はどうしようもない……、と言いたいつもりなのか?」
 百々世の要約が実に素朴で痛快だったもので、私は思わず声上げて笑ってしまった。
「ああ、そんなところだよ。貸し借りを流行らすと貧乏も流行るからな。そうかと言ってめぐむことはもっと難しいんだ」
「でも、それがどうしたというんだ?」
「だから私はね、貸し借りと言わず、いっそ代金を払って能力を売り買いできるようにしたいと思うんだ。そうすれば憑依で肉体を入れ替えるより面白く遊べる。記者たちも今度は良い見出しを付けるだろう。分かるか? これは私がずっと探していた時流への予感の話だ。明日起こるべき事件の見出しどころなんだよ!」


おひさしぶりです。獣王園頒布直前……急いで書きあげました!
うぶわらい
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コメント



0.470簡易評価
1.100夏後冬前削除
龍が語る新聞の見出しに関する語りに職人の美学のようなものを感じて唸らされました。そこが転じて貧乏神との関係性が変わるところに持っていく手腕も見事でした。
2.100南条削除
面白かったです
飯綱丸の見出しに対する強いこだわりがこれでもかと伝わってきました
ワードチョイスこそ新聞記者の腕の見せ所なのだと思いました
素晴らしかったです
3.100きぬたあげまき削除
いかに豪勢な祭りの中心に置いてもらっても最後には全て台無しにせずにはおれなかったほど、底知れない貧乏そのものなんだ。
という部分が紫苑の根深さを感じて好きです。
淡々とことを進めていく飯綱丸の様子が静かな語りの雰囲気とマッチしていてとても惹きつけられました。
4.100名前が無い程度の能力削除
飯綱丸の新聞記者の上司としての側面に着目しながら、一連の出来事から「楽しさ」を引き出し、けれど紫苑の性質には誠実に向き合い、この話がどこに転がるのかと思っていると憑から虹へと繋げる見事なオチ。良かったです
5.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
6.100メアみょん削除
投稿から秒で400点とはどれほど凄い作品なのかと...いやはや参りましたわ。
一切関係が無さそうな龍と紫苑の話に斬新さを覚えながら、原作への話の繋げ方が素晴らしかったです。龍が求めていた言葉がまさかそれだったとは...
俺もこんだけ上手い文書けたらなぁって思っちゃいます
9.100東ノ目削除
一文字も描写がないのに「市場の神」とタイトル「紙上の神」のダブルミーニングを回収していく手腕、全て龍視点で紫苑側からの視点がないのに紫苑も完全に描写していく手腕、いずれも見事でした。
10.無評価名前が無い程度の能力削除
問う。遊戯王ZEXALは燃えているか。
ttps://www.tv-tokyo.co.jp/anime/yugioh-zexal/index2.html
ttps://w.atwiki.jp/kizuna1999/
ttps://www.nicovideo.jp/watch/so36847474
ttps://yugioh-wiki.net/
15.100名前が無い程度の能力削除
お見事。天狗の界隈でも記者と印刷局の鬩ぎ合いが日々行われているのでしょうか