のし掛かっている肉が動く。
動く、動く、うごく。周期的な律動と共に、わたしの肉も悦びの悲鳴と涙を流す。
上に乗った肉が何事か囁く。
聞く気は起きない。
悦びとは喜びではない。
生きていれば腹が減る。
飯を食えば糞を垂れる。
糞をひれば生きた心地になる。
繰り返しだ。
この律動もまた繰り返し。
同じ事の繰り返し。やっていることは概ね同じ。相手が誰であろうとなかろうと。
やがて、果てる。
寿命と同じだ。
繰り返しは永劫ではない。永遠なんて何処にも在りはしない。
その儚さこそが素敵(じんせい)なのだ。
しかし……終わる度、一々人の名を連呼し、身体を預けてくるのは流石に辟易。
もうこの男とは終わりだな。
快楽と不快とのバランスが崩れてしまった。
ああそれに、そろそろ搾りつくしたし。
肉汁の方ではないわ。
財布の中身の方の話。
「如何して? 簡単よ、出の悪い男には興味が湧かないの」
――――
「出、とはナニカって? そんなの自分で考えなさいよ。物でも金でも恋でも嘘でも酒でも種汁だって、なんだって、男が出すものでしょうが」
――――
「あっそ。じゃあ、これでおしまいさよならごきげんよう。言っておくけど後を追うような真似は止めてね。なんであれ、キリがいいのが男ってものでしょ?」
そうして私は再び夜の花へと戻る。
新しい宿り木を探すまでの間だけ、この懐が温ければ良い。
繰り返しだ。
新しい宿り木がみつかたってすぐに枯れて果てるのを私は識っている。
繰り返しだ。
それはきっと、私が果てるまで続くのだろう。
【女苑、私達、いったん離れた方がいいのかもね】
アアソウダネ、
二人でいたってろくな事にならなかったさ。
最凶最悪って言われてさ。
誰も彼もに煙たがられた、恐れられた。
だけど……ちょっとは楽しかったんだぜ?
あんたはちがったの?
――――――
油断?
そういうのではないわね。
あの尼さんなら仏罰だとでもいうのかしら。
いや……言わないか。あの女は、気持ち悪いくらい優しかった。
そうよ、優しさが怖くて逃げたのよ。悪い?
一方的な愛だなんて有り得ないわ。
見返りがあって、はじめて世界は動くのよ。
結局私は独りだ。
だから、こんな浅い罠にもあっさりひっかかる。
そうか、意外に恨みを買っていたのね。
異変以降、気を使っていたんだけどなあ。
気がついたら夜の花のつもりが、裏路地の雑草かよ。
あーあ、だから女苑って名前は嫌いなのよ。らしい名前って思われるじゃん。
いやはや、調子に乗るなと言われたってね、
あんたらだって、私に乗って良い思いしていた癖に。
チンピラの集団くらいと思っていたけど、中にひとり、ふたり、なんか術使うヤツがいたのね。
不幸中の幸いかな、顔は殴られなかった。
こいつら結局、なんだかんだ言って私をタダで愉しみたいだけね。
ボコボコの顔だと次の獲物を探せないし、
……不良天人とよろしくやってる姉さんにも心配かけたくないしね。
……結局私は独りだ。
一人目の酒臭い顔が近付いてきた。
さっさと終わらせてよ。絞り尽くしてやるからさ。
【女苑……身体にだけは、気をつけてね】
五月蠅いな!
あんたは黙っていてよ。
ろくに役にも立たなかった癖に、姉ぶって偉そうに言わないで。
私はいつだって自由気儘に素敵に生きるって決めたのよ。
あんたは精々自分を認めてくれた運命の人とよろしくやってりゃいいんだ。
……………………
「ねえ、こんな所で寝ていると、風邪ひくよー」
「…………あ、あれ?」
気を失っていたのか。
おかしいな、身体が……確かに服は破れているけれど、まあなんというか“そういう”痕がない。5、6人は居た獣心溢れた男達の姿もきれいさっぱり見当たらない。
此処が昏い裏路地の奥の奥なのは変わらないけど。
そして、私を覗き込んでいる此奴は……。
「どっかで見たわね、あんた」
「何処かで見た顔ね。あなた」
おんなじ事を言い合い、同時に小首を傾げる。
……まあ、いいか。
「ねえ、あんたみたいな可愛い子がフラフラしてると危ないわよ。この辺はおっかないお兄ちゃんが沢山ふらふらしているんだから」
「わたしかわいい? うふふ、ありがとね。お姉さんも綺麗だよ。おとこのひと? さあ……いたかなあ?」
どうにも要領を得ないわね。
まあいいか……なんだかしらんけどラッキーってことにしよう……でも、身体の痛みは消えてないわね。それに動きが封じられているのも変わらない。やれやれ、暫くこのままか。
なあんて思っていたら、
私を覗いていた女の子が隣に座ってくる。
なんというか、捉え所のない娘だ。顔は凄く可愛い……気がするんだけど。
「ちょっと、なんで座ってんのよ」
「えー? わかんない」
「……わかんないってアンタ……まあいいけどさあ……ねえ、火、持ってない?」
「灯?」
「そそ、火」
「うーん、あったかなあ」
そんなこといって懐をごそごそ、がさがさ。
「あー、あったよ、火」
そう言って、ポッケから燃えさかる毛を出してくる。
なにそれこわい。
「ちょ……なんで燃えてるものポッケにしまってんの?」
「ウチのペットの毛だよ。火付けに便利だからお出かけの時に何本か貰ってるんだーはい、どうぞ」
「ありがとう……?」
煙草を取りだして火を付ける。
うわ、マジで点いた。とりま、キモい毛は投げ捨てる。
そして、大きく紫煙を肺に吸い込んだ。
負けだろうと勝ちだろうと、喧嘩の後の一服はいいものね。旨い。
「それおいしいの?」
興味深げに聞いてくる隣人。
「旨いけど、旨くない。喫み方次第よ」
「ふーん……」
この流れはちょっと頂戴とくるのかと思ってたのに、それきり興味を失ったように呆ける娘。
なんか調子狂うな……いや、なんでもクレクレするヤツばかりじゃあないんだな。
ちらりといつも背中にいた気配を思い出してしまう……やだやだ、我ながら、未練たらしい。
「おねえちゃんがねー、落ちてる子には優しくしろって言ってたんだー」
「ふう、ん?」
「情けは人の為ならずってねーお寺の尼さんも言ってた気がするし」
「あ、お前思い出したぞ、寺でいつか見かけたんだ」
「そうなの?」
「そうだよっ……ってまあいいや……思い出したからなんだって話だよな……で、情けはなんたらって話? そりゃお前、騙されているわよ。あの格言は、情けをかけて甘くしたらつけあがるからはじめっからそんな事しなくて良いって意味よ?」
「え、そうなの!?」
「そうそう」
「そっかあ……じゃあ、貴女をほっといた方が良かったのかなあ……」
気になる言葉を吐いて、考え込む。
「……どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ?」
「……私に絡んでいた人間達をどうしたのよ」
「ああ、あれ? 棄てちゃったよ」
ああ、コイツ……そういう妖怪か。
「可愛い顔して酷いことをするモンだ」
「ひどいかしら?」
「巫女に知れたら怒られるじゃ済まねーだろうよ」
「ううん、巫女は気にしないんじゃないかなあ……まあ、大事にならなきゃね」
……あの巫女、人里を護るような事を言ってた気がするんだけどな?
それとも殺人許可証でも貰ってンのか、こいつは?
「……私は物も金も恋も嘘も酒も種汁も出させるけどさ、命まではおねだりしないよ。そんなことしたら次におねだりできないからねェ」
「なるほどー、リサイクルっていうヤツだね。聞いたことあるわ」
「……どうにもあんたとは埋められない認識の齟齬があるわね」
だけども責める気は無い。結果的には助けて貰ったようだし、それに、妖怪の性っていうなら私も同じようなモンだしね。
「私達、仲良くなれないって事かしら?」
「え、もしかして仲良くしたくて座ってんの?」
「おねえちゃんが言ってたんだー、自分からはたらきかけなきゃ解り合えないって。でもね、そんなおねえちゃんは友達つくりがへたっぴいなの。自分が誰かを気持ち悪くさせるのが怖いんだって」
「へえ……良いこというお姉ちゃんじゃないか、ウチとは偉い違いだよ」
なんとなく煙に巻かれたが、まあいい、会話は続いていく。
紫煙を燻らせ、どうやらちょっと頭のネジが緩んでいるらしい、可愛い妖怪娘に相槌を打ってやった。
すると、妖怪娘がずいっと顔を近づけてくる。
コイツ、本当に可愛い顔しているな。ちょいと目の焦点が合っていないのが怖いけど。
「お姉さんにもおねえちゃんがいるの? 聞かせて、どんなおねえちゃん? 優しいの? 強いの? 賢いの? ペットはいる? 寂しがってない?」
「ぐ、グイグイくるな……えー、駄目な姉だよ。人のモノ見ては欲しがるし、セコいし、風呂に入らないし、ノミいるし、野良猫と喧嘩して負けるし……変な不良に惚れ込んでどっかいっちゃうし」
「ええー……なにそれー……ダメダメねえ」
「でしょ?」
「ウチのお姉ちゃんは可愛いし頭が良いし気前は良いしいつも清潔だし礼儀正しいし猫は飼ってるし変な不良はみんな平伏させてるわよ」
「え、なにそれこわい」
「こわいかなあ? とっても優しいよ。そっちのお姉ちゃん、酷くなあい? セコいとか人の物欲しがるとかー、それはまあ許せても、お風呂に入らないのと、ノミを飼ってるとかは駄目すぎるわー」
「だろー? ……ったく、せめて風呂には入れさせたいんだけどねえ……」
「………………」
……いけない、ちょっと喋りすぎたか。
こちらをじいっと見つめるヘンテコ娘。
「ああ、でも、あなたは私とおんなじだ、おねえちゃんが大好きなんだねえ」
「ゲッホッ!」
したたかに煙を吸い込んじまった。
暫し噎せ、それから顔を上げて大反論をぶちまけてやる。
一体全体、何処をどうしたらそんな結論になるというのよ。
「やめてよ気色悪い、今までの話からどうしてそんな流れになるのさ」
「あら私、サトリ妖怪の妹なのよ。心は読めないけどね、意を読むことは上手いのよ」
「だから――」
「おねえちゃんが傍に居なくて寂しいの?」
「――――」
何を言ってるんだコイツ、私が? 寂しい?
どんな夜だって一人で過ごせない、過ごさない、この私が?
思わず笑っちまう言葉だ。どうして私が寂しいだなんて――。
「私とちょっとだけ、似ているねー。私もお姉ちゃんのこと大好きだけど、傍に居ると、好きってなんだろう? って解らなくなるんだー。だからお出かけして、寂しくなってきたら、伝えたいことが出来たら帰るの。おねえちゃんもそれで良いって言ってくれたしね」
「……やめてよ、まるで私が寂しいみたいに決めつけないで」
「あ、ごめんね、そうだね、決めつけちゃった。でも、たまにはおうちに帰った方がぜーったいに、良いと思うよ」
「……なんで?」
「ふふふー……会えたら、解るよ」
ヘンテコ妖怪が立ち上がる。
「そろそろ動けそう?」
「あ……あぁ、多分、大丈夫」
いつの間にか力が戻ってきていた。
そうかコイツ、私の妖力が戻るのを待っていてくれたのか。
まったく、なんだかんだでお人好しの妖怪め。いや、人には優しくないけれど。
それも性、か。
「ありがとよ、助かった……と、思う。やっぱり安い身体とは思われたくないしね」
「違うよ、お姉ちゃんを心配させちゃ駄目」
緑色の、焦点の定まらない瞳。
ジャルダン入りのエメラルドだ。
でもね、凄く綺麗に見える。
「はっ……アイツが心配なんて――」
二つのエメラルドが、少しも揺らがず見上げてくる。
緑の深い沼の中に落ちていくような錯覚。
喉から震え声が漏れてきた。
「心配……してくれるかなあ……」
「あたりまえだよ。おねえちゃんだもん」
「あんたは……良いよね。だって、いつだって戻れば逢えるんじゃん」
「そうだけど、ちがうよ?」
「?」
「お姉ちゃんは、お出かけ前に必ずこういうの。「遊び疲れたら帰ってくるのよ、ここがあなたのおうちなんだから」って。勿論私が会いたくなって帰るんだけどー……待っていてくれているんだって、それが解っているから帰れるの」
「…………」
エメラルドの目をしたヘンテコ妖怪がするりと離れる。
「それじゃあねー」
「あ、まだちゃんとお礼ができてないって、何処かでメシでも――」
「いらなーい。それよりお姉ちゃんに会いたいならおうちに帰んなよ。いなかったら、伝言遺せばいいだけなんだよ? 自分勝手に距離を置いちゃあダメ――じゃあねー」
「あ、おいちょっと!」
路地の曲がり角に姿を消す妖怪娘。
借りは返さないと気が済まない質なんだ。
慌てておっかけたんだけど……そこにはもう、誰もいなかった。
「ええー……こっわ……」
昏い裏路地にただひとり。
どうしたものかと腕を組む。
でもまあ、そうね。
服も汚れたし化粧は滅茶苦茶、今日の処は引き上げるか。
あの妖怪に唆されたわけじゃないわ。
逢えるかもなんて期待もしていない。
ただ……たださ、確かにアイツの言葉は当たっているとこはあるんだよね。
今日は、帰ろう。
***
「……まあ、これで帰っていたとかならドラマチックなんだがな」
誰もいない荒ら屋。
汚いけれど、姉さんと永きに渡って過ごした家だ。
なんとなく、離れづらくて、ずうっと此処で寝泊まりは続けている。
「身体が痛ぇ……もう寝よう。風呂は明日だっ」
化粧台に座って軽く化粧落とし。
それから煎餅布団を押し入れから出し、畳に置くと一緒に身体を投げ出す。
どしん。
……痛ぇ。流石にそろそろ買い換えかなあ……。
「でも、姉さんの匂いが残っているんだよね……」
変な妖怪だったな、アイツ……まるで、この煎餅布団みたいなヤツだった。
昏い中で、ほんわか包み込んでくれるような。
まあ、どうしようもない妹だよ。
布団に籠もらなきゃ本音の一つも吐けやしない。
だけど……だけどさ……。
「私は……ただの一回でもあの生活が嫌だったなんて、言わなかったじゃない……」
***
次の日朝、目が覚めたら、身体中メチャクチャ痛かった。
服着たまま、風呂も入らず寝たのはやっぱりダメね、反省。
自分が姉さんみたいな真似してちゃ世話無いわ。
身体を起こし、まずは風呂だと立ち上がって……化粧台を見て固まった。
鏡にルージュで引いた文字
顔くらい見せろ馬鹿姉!
に
ごめん、今夜帰るね
って、下にちっさく追記されてたんだわ。
「うあっ……うああああああ……」
ああ、やっぱり慣れないことはするモンじゃないわよ。
今夜、どんな顔で逢えば良いの?
頼む、誰か教えてくれ……!
おわり
動く、動く、うごく。周期的な律動と共に、わたしの肉も悦びの悲鳴と涙を流す。
上に乗った肉が何事か囁く。
聞く気は起きない。
悦びとは喜びではない。
生きていれば腹が減る。
飯を食えば糞を垂れる。
糞をひれば生きた心地になる。
繰り返しだ。
この律動もまた繰り返し。
同じ事の繰り返し。やっていることは概ね同じ。相手が誰であろうとなかろうと。
やがて、果てる。
寿命と同じだ。
繰り返しは永劫ではない。永遠なんて何処にも在りはしない。
その儚さこそが素敵(じんせい)なのだ。
しかし……終わる度、一々人の名を連呼し、身体を預けてくるのは流石に辟易。
もうこの男とは終わりだな。
快楽と不快とのバランスが崩れてしまった。
ああそれに、そろそろ搾りつくしたし。
肉汁の方ではないわ。
財布の中身の方の話。
「如何して? 簡単よ、出の悪い男には興味が湧かないの」
――――
「出、とはナニカって? そんなの自分で考えなさいよ。物でも金でも恋でも嘘でも酒でも種汁だって、なんだって、男が出すものでしょうが」
――――
「あっそ。じゃあ、これでおしまいさよならごきげんよう。言っておくけど後を追うような真似は止めてね。なんであれ、キリがいいのが男ってものでしょ?」
そうして私は再び夜の花へと戻る。
新しい宿り木を探すまでの間だけ、この懐が温ければ良い。
繰り返しだ。
新しい宿り木がみつかたってすぐに枯れて果てるのを私は識っている。
繰り返しだ。
それはきっと、私が果てるまで続くのだろう。
【女苑、私達、いったん離れた方がいいのかもね】
アアソウダネ、
二人でいたってろくな事にならなかったさ。
最凶最悪って言われてさ。
誰も彼もに煙たがられた、恐れられた。
だけど……ちょっとは楽しかったんだぜ?
あんたはちがったの?
――――――
油断?
そういうのではないわね。
あの尼さんなら仏罰だとでもいうのかしら。
いや……言わないか。あの女は、気持ち悪いくらい優しかった。
そうよ、優しさが怖くて逃げたのよ。悪い?
一方的な愛だなんて有り得ないわ。
見返りがあって、はじめて世界は動くのよ。
結局私は独りだ。
だから、こんな浅い罠にもあっさりひっかかる。
そうか、意外に恨みを買っていたのね。
異変以降、気を使っていたんだけどなあ。
気がついたら夜の花のつもりが、裏路地の雑草かよ。
あーあ、だから女苑って名前は嫌いなのよ。らしい名前って思われるじゃん。
いやはや、調子に乗るなと言われたってね、
あんたらだって、私に乗って良い思いしていた癖に。
チンピラの集団くらいと思っていたけど、中にひとり、ふたり、なんか術使うヤツがいたのね。
不幸中の幸いかな、顔は殴られなかった。
こいつら結局、なんだかんだ言って私をタダで愉しみたいだけね。
ボコボコの顔だと次の獲物を探せないし、
……不良天人とよろしくやってる姉さんにも心配かけたくないしね。
……結局私は独りだ。
一人目の酒臭い顔が近付いてきた。
さっさと終わらせてよ。絞り尽くしてやるからさ。
【女苑……身体にだけは、気をつけてね】
五月蠅いな!
あんたは黙っていてよ。
ろくに役にも立たなかった癖に、姉ぶって偉そうに言わないで。
私はいつだって自由気儘に素敵に生きるって決めたのよ。
あんたは精々自分を認めてくれた運命の人とよろしくやってりゃいいんだ。
……………………
「ねえ、こんな所で寝ていると、風邪ひくよー」
「…………あ、あれ?」
気を失っていたのか。
おかしいな、身体が……確かに服は破れているけれど、まあなんというか“そういう”痕がない。5、6人は居た獣心溢れた男達の姿もきれいさっぱり見当たらない。
此処が昏い裏路地の奥の奥なのは変わらないけど。
そして、私を覗き込んでいる此奴は……。
「どっかで見たわね、あんた」
「何処かで見た顔ね。あなた」
おんなじ事を言い合い、同時に小首を傾げる。
……まあ、いいか。
「ねえ、あんたみたいな可愛い子がフラフラしてると危ないわよ。この辺はおっかないお兄ちゃんが沢山ふらふらしているんだから」
「わたしかわいい? うふふ、ありがとね。お姉さんも綺麗だよ。おとこのひと? さあ……いたかなあ?」
どうにも要領を得ないわね。
まあいいか……なんだかしらんけどラッキーってことにしよう……でも、身体の痛みは消えてないわね。それに動きが封じられているのも変わらない。やれやれ、暫くこのままか。
なあんて思っていたら、
私を覗いていた女の子が隣に座ってくる。
なんというか、捉え所のない娘だ。顔は凄く可愛い……気がするんだけど。
「ちょっと、なんで座ってんのよ」
「えー? わかんない」
「……わかんないってアンタ……まあいいけどさあ……ねえ、火、持ってない?」
「灯?」
「そそ、火」
「うーん、あったかなあ」
そんなこといって懐をごそごそ、がさがさ。
「あー、あったよ、火」
そう言って、ポッケから燃えさかる毛を出してくる。
なにそれこわい。
「ちょ……なんで燃えてるものポッケにしまってんの?」
「ウチのペットの毛だよ。火付けに便利だからお出かけの時に何本か貰ってるんだーはい、どうぞ」
「ありがとう……?」
煙草を取りだして火を付ける。
うわ、マジで点いた。とりま、キモい毛は投げ捨てる。
そして、大きく紫煙を肺に吸い込んだ。
負けだろうと勝ちだろうと、喧嘩の後の一服はいいものね。旨い。
「それおいしいの?」
興味深げに聞いてくる隣人。
「旨いけど、旨くない。喫み方次第よ」
「ふーん……」
この流れはちょっと頂戴とくるのかと思ってたのに、それきり興味を失ったように呆ける娘。
なんか調子狂うな……いや、なんでもクレクレするヤツばかりじゃあないんだな。
ちらりといつも背中にいた気配を思い出してしまう……やだやだ、我ながら、未練たらしい。
「おねえちゃんがねー、落ちてる子には優しくしろって言ってたんだー」
「ふう、ん?」
「情けは人の為ならずってねーお寺の尼さんも言ってた気がするし」
「あ、お前思い出したぞ、寺でいつか見かけたんだ」
「そうなの?」
「そうだよっ……ってまあいいや……思い出したからなんだって話だよな……で、情けはなんたらって話? そりゃお前、騙されているわよ。あの格言は、情けをかけて甘くしたらつけあがるからはじめっからそんな事しなくて良いって意味よ?」
「え、そうなの!?」
「そうそう」
「そっかあ……じゃあ、貴女をほっといた方が良かったのかなあ……」
気になる言葉を吐いて、考え込む。
「……どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ?」
「……私に絡んでいた人間達をどうしたのよ」
「ああ、あれ? 棄てちゃったよ」
ああ、コイツ……そういう妖怪か。
「可愛い顔して酷いことをするモンだ」
「ひどいかしら?」
「巫女に知れたら怒られるじゃ済まねーだろうよ」
「ううん、巫女は気にしないんじゃないかなあ……まあ、大事にならなきゃね」
……あの巫女、人里を護るような事を言ってた気がするんだけどな?
それとも殺人許可証でも貰ってンのか、こいつは?
「……私は物も金も恋も嘘も酒も種汁も出させるけどさ、命まではおねだりしないよ。そんなことしたら次におねだりできないからねェ」
「なるほどー、リサイクルっていうヤツだね。聞いたことあるわ」
「……どうにもあんたとは埋められない認識の齟齬があるわね」
だけども責める気は無い。結果的には助けて貰ったようだし、それに、妖怪の性っていうなら私も同じようなモンだしね。
「私達、仲良くなれないって事かしら?」
「え、もしかして仲良くしたくて座ってんの?」
「おねえちゃんが言ってたんだー、自分からはたらきかけなきゃ解り合えないって。でもね、そんなおねえちゃんは友達つくりがへたっぴいなの。自分が誰かを気持ち悪くさせるのが怖いんだって」
「へえ……良いこというお姉ちゃんじゃないか、ウチとは偉い違いだよ」
なんとなく煙に巻かれたが、まあいい、会話は続いていく。
紫煙を燻らせ、どうやらちょっと頭のネジが緩んでいるらしい、可愛い妖怪娘に相槌を打ってやった。
すると、妖怪娘がずいっと顔を近づけてくる。
コイツ、本当に可愛い顔しているな。ちょいと目の焦点が合っていないのが怖いけど。
「お姉さんにもおねえちゃんがいるの? 聞かせて、どんなおねえちゃん? 優しいの? 強いの? 賢いの? ペットはいる? 寂しがってない?」
「ぐ、グイグイくるな……えー、駄目な姉だよ。人のモノ見ては欲しがるし、セコいし、風呂に入らないし、ノミいるし、野良猫と喧嘩して負けるし……変な不良に惚れ込んでどっかいっちゃうし」
「ええー……なにそれー……ダメダメねえ」
「でしょ?」
「ウチのお姉ちゃんは可愛いし頭が良いし気前は良いしいつも清潔だし礼儀正しいし猫は飼ってるし変な不良はみんな平伏させてるわよ」
「え、なにそれこわい」
「こわいかなあ? とっても優しいよ。そっちのお姉ちゃん、酷くなあい? セコいとか人の物欲しがるとかー、それはまあ許せても、お風呂に入らないのと、ノミを飼ってるとかは駄目すぎるわー」
「だろー? ……ったく、せめて風呂には入れさせたいんだけどねえ……」
「………………」
……いけない、ちょっと喋りすぎたか。
こちらをじいっと見つめるヘンテコ娘。
「ああ、でも、あなたは私とおんなじだ、おねえちゃんが大好きなんだねえ」
「ゲッホッ!」
したたかに煙を吸い込んじまった。
暫し噎せ、それから顔を上げて大反論をぶちまけてやる。
一体全体、何処をどうしたらそんな結論になるというのよ。
「やめてよ気色悪い、今までの話からどうしてそんな流れになるのさ」
「あら私、サトリ妖怪の妹なのよ。心は読めないけどね、意を読むことは上手いのよ」
「だから――」
「おねえちゃんが傍に居なくて寂しいの?」
「――――」
何を言ってるんだコイツ、私が? 寂しい?
どんな夜だって一人で過ごせない、過ごさない、この私が?
思わず笑っちまう言葉だ。どうして私が寂しいだなんて――。
「私とちょっとだけ、似ているねー。私もお姉ちゃんのこと大好きだけど、傍に居ると、好きってなんだろう? って解らなくなるんだー。だからお出かけして、寂しくなってきたら、伝えたいことが出来たら帰るの。おねえちゃんもそれで良いって言ってくれたしね」
「……やめてよ、まるで私が寂しいみたいに決めつけないで」
「あ、ごめんね、そうだね、決めつけちゃった。でも、たまにはおうちに帰った方がぜーったいに、良いと思うよ」
「……なんで?」
「ふふふー……会えたら、解るよ」
ヘンテコ妖怪が立ち上がる。
「そろそろ動けそう?」
「あ……あぁ、多分、大丈夫」
いつの間にか力が戻ってきていた。
そうかコイツ、私の妖力が戻るのを待っていてくれたのか。
まったく、なんだかんだでお人好しの妖怪め。いや、人には優しくないけれど。
それも性、か。
「ありがとよ、助かった……と、思う。やっぱり安い身体とは思われたくないしね」
「違うよ、お姉ちゃんを心配させちゃ駄目」
緑色の、焦点の定まらない瞳。
ジャルダン入りのエメラルドだ。
でもね、凄く綺麗に見える。
「はっ……アイツが心配なんて――」
二つのエメラルドが、少しも揺らがず見上げてくる。
緑の深い沼の中に落ちていくような錯覚。
喉から震え声が漏れてきた。
「心配……してくれるかなあ……」
「あたりまえだよ。おねえちゃんだもん」
「あんたは……良いよね。だって、いつだって戻れば逢えるんじゃん」
「そうだけど、ちがうよ?」
「?」
「お姉ちゃんは、お出かけ前に必ずこういうの。「遊び疲れたら帰ってくるのよ、ここがあなたのおうちなんだから」って。勿論私が会いたくなって帰るんだけどー……待っていてくれているんだって、それが解っているから帰れるの」
「…………」
エメラルドの目をしたヘンテコ妖怪がするりと離れる。
「それじゃあねー」
「あ、まだちゃんとお礼ができてないって、何処かでメシでも――」
「いらなーい。それよりお姉ちゃんに会いたいならおうちに帰んなよ。いなかったら、伝言遺せばいいだけなんだよ? 自分勝手に距離を置いちゃあダメ――じゃあねー」
「あ、おいちょっと!」
路地の曲がり角に姿を消す妖怪娘。
借りは返さないと気が済まない質なんだ。
慌てておっかけたんだけど……そこにはもう、誰もいなかった。
「ええー……こっわ……」
昏い裏路地にただひとり。
どうしたものかと腕を組む。
でもまあ、そうね。
服も汚れたし化粧は滅茶苦茶、今日の処は引き上げるか。
あの妖怪に唆されたわけじゃないわ。
逢えるかもなんて期待もしていない。
ただ……たださ、確かにアイツの言葉は当たっているとこはあるんだよね。
今日は、帰ろう。
***
「……まあ、これで帰っていたとかならドラマチックなんだがな」
誰もいない荒ら屋。
汚いけれど、姉さんと永きに渡って過ごした家だ。
なんとなく、離れづらくて、ずうっと此処で寝泊まりは続けている。
「身体が痛ぇ……もう寝よう。風呂は明日だっ」
化粧台に座って軽く化粧落とし。
それから煎餅布団を押し入れから出し、畳に置くと一緒に身体を投げ出す。
どしん。
……痛ぇ。流石にそろそろ買い換えかなあ……。
「でも、姉さんの匂いが残っているんだよね……」
変な妖怪だったな、アイツ……まるで、この煎餅布団みたいなヤツだった。
昏い中で、ほんわか包み込んでくれるような。
まあ、どうしようもない妹だよ。
布団に籠もらなきゃ本音の一つも吐けやしない。
だけど……だけどさ……。
「私は……ただの一回でもあの生活が嫌だったなんて、言わなかったじゃない……」
***
次の日朝、目が覚めたら、身体中メチャクチャ痛かった。
服着たまま、風呂も入らず寝たのはやっぱりダメね、反省。
自分が姉さんみたいな真似してちゃ世話無いわ。
身体を起こし、まずは風呂だと立ち上がって……化粧台を見て固まった。
鏡にルージュで引いた文字
顔くらい見せろ馬鹿姉!
に
ごめん、今夜帰るね
って、下にちっさく追記されてたんだわ。
「うあっ……うああああああ……」
ああ、やっぱり慣れないことはするモンじゃないわよ。
今夜、どんな顔で逢えば良いの?
頼む、誰か教えてくれ……!
おわり
面白かったです。