Coolier - 新生・東方創想話

万の眠り

2023/07/14 18:30:36
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到着した電車の敷居を跨ぎ、ホームへ降り立つ。こんなところで降りる物好きを吐き出して、扉は嘲笑うような音で閉まった。
塗装を食い尽くした錆。西日に脱色された看板。伸び放題の雑草。そこは記憶と予測を共に上回って寂れていた。
人は誰もいない。マーカーで書かれた手書きの案内に従って切符を木箱に落とし、改札と思しき境を通過する。
電子マネーで入場して途方に暮れた記憶は未だ新しい。最終的には二人揃って口裏を合わせ、幾分かの乗車賃を誤魔化したものだ。
甘くて苦い秘密の味は共犯者がいてこそで、一人となった今、数百円の支払いで叶う免罪は破格に思えた。

潮風が髪を煽り、頬を撫でる。
古い古い港町。彼女は海が見えると無条件に喜んだ。

宇佐見蓮子が亡くなって二年になる。
学生時代を共に過ごした最高の友達。その死を、薄情にも私は乗り越えることができていた。
存外に難しいことではなかった。もし逆の立場――蓮子が私の死に相対しても同じように立ち直ると思う。
人はいつか死ぬ。二人いれば、少なくともどちらかは先に。
そんな当たり前のことに駄々を捏ねるほど、私たちは幼くはなかった。

「なんか悪いことしたみたいじゃない」

そう言って唇を尖らせる蓮子が思い浮かんだ。きっと逆の立場になったら私も同じことを言うだろう。
私たちの友情はいつも通り、ストイックな楽観を保ったまま終わりを迎えたのだ。
思うにそれは決して出来の悪い結末ではない。

それでも秘封倶楽部の物語は、もう少しだけ続いていた。私は首から提げた硝子の筒をそっと掌の中に包む。
それは宇佐見蓮子だったもの。要するに彼女の遺骨である。
デザートひとつ食べることにすら逡巡していた彼女は、今や数グラムの白い破片となっていた。

蓮子とは実に多くのことを語らい、私は彼女にまつわる全てを理解しているつもりだった。
少なくとも彼女は遺族がそうしたように、集合墓地の退屈な土に処理されることなんて望みやしない。
皮肉にも彼女との冒険の中で墓石の構造に関する知見を得ていた私は、そこから蓮子の残骸を攫うことに成功し、以降彼女が撒かれることを望むであろう場所を探していた。

「どう?蓮子」

この港には昨今珍しい鯨が時折迷い込み、住む人もない集落の著しい静寂は陸地にあってもその声を大いに響かせるという。
その神秘に魅せられて何度か訪れたものの、そう簡単に鯨など現れるものではなく、私たちはいつも廃集落を当て所もなく彷徨う羽目になっていた。

「聞きたがってたでしょう、鯨の声」

ここはいい場所だ。忘却に担保された静寂、遠い空と底無しの海。水平線は絶望的なまでになだらかで、世界の陸地に果てがあるのなら、きっとこんな場所なのだと思う。
海を目指して集落を進む。
人の生活の名残は容易に失せるものではなく、町は微かな呼吸を残しているように感じられた。細々と萎びた生活を続けている老人くらいはいるのかもしれない。
きっと、寝室と密かな畑だけで完結する人生もあるものだ。
蓮子が世界の伸縮性について語っていたことを思い出す。ここに限った話ではないが、私たちはどうやら時間や空間に関する認識が間延びするような場所を好んだ。
廃屋に凭れた三輪車。伸びすぎて枯れた朝顔。石垣の三叉路で、傾いたカーブミラーは起こるはずのない衝突を待ち続けていた。

少しの坂を昇ると砂浜に辿り着く。
舗装された道と砂浜の間には鳥居がぽつんと佇んでいた。表記の痕跡は朱の塗装もろとも塩の摩擦に洗い流されている。
一歩踏み出すと、爪先が砂にそっと沈んだ。
振り返ると錆色の街が燻んだ鳥居のフレームに縁取られている。
門は神性と共に表裏も失われて久しいと見えた。祀られていたのは海と陸、どっちだったのだろうか。
いつの間にか裸足になった蓮子が波打ち際を走る。刻む足跡と波による消失を無邪気に喜びながら。
そんな不毛な反復すら楽しんでみせるのだから、いざ散骨するとなるとかえって難しい。

「どこでもいいよ、実際」

何気なく、彼女はそう言う。
そして決まって後になってから後悔することを私は知っていた。
泥を蹴上げる彼女は濡れた足をどうするかなど考えてはおらず、靴の中で暴れまわる砂利の痛みも覚えちゃいない。

「しっかり考えなさいよ。一生に一度のことなのだから」

一生に一度。図らずも皮肉のきいたフレーズを蓮子は気に入るだろう。下手な説得よりも腑に落ちるに違いない。
あるいは鯨が呼ぶのなら――私は波の彼方、膨大な水の中で震う声帯を求めて耳を澄ませてみる。

「…………」

幾度目かの、そして最後となるであろう訪問にも、海の迷い児は応えない。繰り返される潮の揺らぎだけが覚束ない永遠を漂っていた。
往々にして、待つというのは退屈なものだ。物珍しかった静寂や潮の香りもいつしかありふれたものだと感じるようになってしまった。

「これじゃあ墓石の下と変わんないね」

苦笑するであろう蓮子に私も同意する。どうやら私たちの旅の終点はここではないらしい。
硝子越しの潮風に光をかざし、私は再び無価値な鳥居をくぐった。
あまりに平凡な風景は後ろ髪を引くこともなく、孤独な海は遠ざかる。
半日に一度の各駅停車。夕暮れまでのしばらくを、やはり私たちはこの町を彷徨い歩くことでしか埋められなかった。





埃色のカーテンが春風に揺れる。
大学時代に入り浸っていたカフェは絶望的なまでに変わり映えしていなかった。
褒めるところがあるとするならばワンコインでお釣りがくることくらいだろうか。学生時代と違って幾許かの小銭に有難みを覚えなくなった今、わざわざこの店にする必要はなかったのだが。
帰巣本能というやつだろうか。どうせならもっと垢抜けた場所に営巣していてほしかった。
時給相応の無愛想さで運ばれてきたコーヒーを啜る。期待通り、懐かしさを覚えるほど印象深い味ではそもそもない。
最後にここに立ち寄ってから数年が経っている。その間、店員たちは一度も自分が淹れているコーヒーの薄さに疑問を抱かなかったのだろうか。
けれど、新歓の時期にも関わらず店内が閑散としている点は評価に値した。華の新入生はこんな路地裏の草臥れたカフェにわざわざ立ち寄らないのだろう。
店内には萎びたキャベツみたいな学生たちが点々と座して、向上心のない飲み物をつまらなさそうに啜っていた。

「逆に楽しみになってきた」

正面の空席に、にやつく蓮子の姿が思い浮かぶ。
彼女はただでさえ薄いこの店のアメリカンコーヒーをなぜだか好んだが、さすがに供えてやりまではしない。

「今度はどこに連れてってくれるのかな?」

そう茶化されそうなほどに、私の優柔不断な旅は続いていた。
星降る岬、廃鉱の島、曰く付きの樹海に砂漠化した街、そして今日は母校の時計塔。いずれも悪くはなく、けれどもどこか決め手に欠けている。

「なんだか取り憑かれた気分だわ」
「思うに、呪いの類は被呪者の未練や悼みの顕れよ。私を祓うも留めおくもメリーの一存ってわけ」
「私のせいにしないでよ、もー」

蓮子の言う通りだ。こんな一人遊びさっさとやめてしまえばいいのに。
実際のところ私も暇ではない。
読みかけの小説と半端に終えたゲーム。平日から溢れ出した残務と野菜室の切り端たちが私の帰りを待っている。
そういえば友達からの連絡に返事をするのを忘れているし、借りたDVDの延滞は今日で三日目。次の賞与でそろそろ手が届こうかという車のパンフレットの傍らで、遠い親戚から届いた結婚式の招待状が婚期の遅れと早急な回答を促している。
私には済んだ別れを反芻している余裕なんてありはしないのだ。

「こんなことに時間費やしてると婚期逃すよ」
「うっさい、ちょうど今それ気になって苛ついてたとこ」

二口目のコーヒーは早くも冷めつつあった。申し訳程度の香りが浅く嗅覚を滑る。
かくして無常にも時は過ぎ、人生は瞬く間に精彩を欠いてゆく。
せめて気分転換にとミルクが入った小瓶に指を掛け、はたと気付く。閃きは静電気に似て、しかし陶器や乳脂にも宿るものらしい。

「よし、決めた!」

そうとも。いつだって私たちは衝動のままに突っ走ってきた。石橋を叩くような真似は主義じゃない。

「こういうのは理屈より勢いだと思うの」
「いいね、聞かせてもらおうじゃない」

馬鹿げていることほど面白い。少なくとも煮え切らない逡巡を重ねているよりは遥かに。
私はティーカップの底で漆塗りのテーブルを小さく叩いて啖呵を切った。

「今からこのぱっとしないコーヒーに蓮子を混ぜて一気に飲むっていうのはどう?」

生死の境界をもってしても隔て難い私たちの友情。それならばいっそ二人で一つになってしまえばいいのではないか。
遠い異国には親しい人物の遺骨を食べる風習があるという。これは由緒正しい追悼の儀式だ。なんならたっぷりのミルクに浸してやってもいい。
共に長い時間を過ごした冴えないカフェで、思い付きのままに行動を起こす。あの頃と同じような無計画さでこそ、私たちの旅は終着を迎えられるのではないだろうか。

「えぇ……」

カップの中、浅い水面が虚しい波紋を描く。蓮子の反応は私の期待に反して渋かった。
私ははっとしてロマンチックに冒された頭を掻いた。彼女の幻は私から生じてなお聡い。

「それでお腹壊したらお互い最悪じゃん……」
「い、一理ある……!」





そんなこんなで、蓮子は未だ私の側で死に損なっている。
さっさと終わらせたいし、終わらせてやりたいのは山々だが、ここまで来ると生半可な最後では気が済まない。

「次こそ納得させてやるからね」

常夜灯を浴びて朱く照る小瓶の中身に嘯く。
綺麗事を言うようだが、思い出や友情といったものは実に色褪せないものである。蓮子の笑い声が私の決意に意地悪く応えた。
明日の目的地は東京の電波塔。
旧式電波が役割を終えてから数世紀。お役御免となった塔は赤茶けた哀愁でかつての首都に呆然と聳えている。墓標と呼ぶには馬鹿げて規格外といえよう。
それは人類が宇宙に手が届くまでの間を過ごした発展の跡。今では信じがたいほど非効率的なビル群を眼下に、蓮子のご機嫌を伺うことにする。
彼女はその場所を気に入るだろうか。

「まぁ、どこまでも付き合うよ」
「まったく、どっちの台詞よ……」

常夜灯を落とすと静寂が部屋を包んだ。未だ眠りだけが互いの声を留めおく。
明日の出発は早い。塔を上る体力を今のうちに蓄えておかなければ。
口から細く息を吐き、閉じた瞼の向こうに夢を追う。昔から寝つきにと夢見には自信があった。
永遠に醒めない夜の随、今の蓮子は夢を見るのだろうか。明日起きたら訊ねてみよう。

私たちの旅はまだ終わらない。いつか二人、笑ってこの手を離すまで。
幾千、幾万の眠りの彼方。きっといつか素晴らしい別離が私たちに訪れる。
それは明日かもしれないし、呆れるくらい遠い未来かもしれない。彼女と出会ってからずっと、日々はそんな思いがけなさで満ちている。

「おやすみなさい。また明日――」

呟く声に応答はなく、聴き慣れた寝息だけが側にある。
ともすれば触れられそうな熱の名残。互いに見えない手を取り合って、私は零時の隙間へと跳び込んだ。
ご無沙汰しております。うつしのと申します。
夏なのでホラーめいた話を書こうとしてみたのですが、自分の頭の中の蓮メリは今更オバケに怯むタマではありませんでした。
だったら片方オバケにしてやれという我ながらどうかしている理屈で書き始めたのですが、彼女たちはもっとどうかしていたようです。

例によって関係のない宣伝で恐縮ですが、東方キャラにまつわる強い幻覚をお届けすべく、なんだか奇妙な創作活動をしています。
よければこちらもご覧いただけますと嬉しいです。
https://twitter.com/Shino_0606

それでは長々とお付き合いくださりありがとうございました。
忘れがたい思い出が、いつまでもあなたと共にありますように。
うつしの
[email protected]
https://twitter.com/Shino_0606
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生きていても死んでいても、いつもと変わらないようなやり取りが交わされているようでいい雰囲気でした。
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