鉛色の雲が空に居座っている。今、妖怪の山は梅雨まっただ中だ。そんな中でも長い雨が過ぎ去ると、つかの間の青空が広がる。
その青空に誘われたのか、秋穣子は、妖怪の山の中腹の、大きな岩のその上で、所在なさげに遠くを眺めていた。
こう見えても彼女は神なので、人間よりはるかに目がいい。それこそ、ここからでも里の様子がなんとなくわかるほどだ。
恵みの雨を一杯に浴びた田畑の作物たちは、いつもより緑色濃く輝いている。その雨上がりの田畑の中に、茶や白が点々と群がって蠢く。
農民たちの帽子の色だ。
この時期の晴れ間はとても貴重であり、なんせ今は梅雨のまっただ中。今は晴れてても、どうせまたすぐに雨が降る。その前に、大事な作物の手入れに勤しんでいるのだ。
そんな人の営みを、彼女は遠くからぼんやりと見下ろしていた。気怠そうにも、どこか誇らしげな顔で。
その時、どこからともなく遠雷が聞こえてくる。
空を見上げると、まるで青空を追い出すように鉛色の雲がゆっくりと、こちらに向かってきていた。穣子は欠伸をして立ち上がる。
ああ、また長い雨がやってくるのか。
湿っぽくて生暖かい雨が。
彼女は、ふうと息をつくと、虚ろに宙へと跳ねあがった。
◇◇◇
長い雨が止み、雨上がりの空気を肌で感じながら、静葉は庭の草むしりに勤しんでいた。
庭の草など別にわざわざむしる必要などない。必要などなかったが、彼女は、なんとなく草をむしりたくなったのだ。
それは『神の気まぐれ』か。はたまた、つかの間の青空が彼女を駆り立てたのか。そんな駆け足でやってきた青空も、どうせすぐにいなくなってしまうことを、彼女は知っていた。
好き放題に伸びた雑草を両手でわしづかみ、ぐいと引っ張る。
長雨を含んだ地面は柔らかく、草が抜きやすくなっているはずだが、どうやら雨で元気になった草たちが、しっかりと根を張ってしまったようで、これがなかなか抜けない。とはいえ、庭を綺麗にしたいのではなく、草を抜くことが目的だった彼女にとって、それは大きな問題ではなかった。
それどころか、いくら抜いても、次々と見つかる草に時間が経つのも忘れそうになる。気がつけば、その指は泥で汚れきっていた。その指を見て彼女はふっと微笑む。
その時、どこからともなく遠雷が聞こえてくる。
空を見上げると、まるで青空を脅かすように水気をたっぷり含んだ雲が、じわじわとこちらに向かってきていた。静葉は伸びをして立ち上がる。
ああ、また長い雨がやってくるのか。
しっとりと、潤いに富んだ雨が。
彼女は、ふうと息をつくと、笑みを浮かべ家へと戻った。
◇◇
雨が二人の家に降り注ぐ。その雨は、恵みの雨と言うには、些か威勢が良すぎるし、豪雨と言うには、やや勢いが足りない。そんなどっちつかずの生ぬるい雨が、ばたばたと家の屋根に降り注ぐ。
加えてむせるような湿気が辺りを包み込んでおり、家中ひどく蒸し暑い。
穣子はだらしなく口を開けたまま、大の字になって床にひっくり返っている。
その横で静葉は、あぐらをかいて涼しい顔で団扇をパタパタあおいでいる。
時折、その団扇のそよ風が、穣子の方にも流れてくるが、湿気にやられてしまった彼女は、その程度のしょぼくれた風では、到底よみがえられそうもない。
「もう、あたまからきのこが生えてきそうだわ」
呻くように呟いた穣子に、静葉はふっと笑みを浮かべて返す。
「そう、季節外れのきのこ鍋が出来るわね」
それを聞いた穣子は、言葉を返すかわりに、大きくため息を吐く。静葉は、虚空を団扇でパタパタあおぐと、穣子の方を見て、笑みを浮かべる。
「……もう、いっそのこと、あたまからきのこ生えてきて欲しいわ」
そう言ったきり、穣子は黙り込んでしまう。
空が明るくなる頃、雨は止んだ。
◇
雨音もなければ青空もなく、そのかわりに鉛のような空が鈍く浮かんでいる。どこまでも続く鉛の雲が、まるで今にも落ちてきそうだ。
雨上がりのにおいに加えて、湿気を含んだ土のにおいが鼻をつく。昨日、いたずらに土いじりをしたからか、尚更それは強く感じる。
穣子は屋根の上から遠くをぼんやりと眺め続けている。
その横で静葉は、この長雨のせいなのか。藁葺き屋根に生えた細い小さなきのこをいそいそと摘んでいる。
「このカゴいっぱいになったら、きのこ鍋にしましょうね」
そう言いながら静葉は、楽しげにきのこをカゴに入れていくが、あまりにもか細過ぎるそのきのこは、いくら入れても入れても、一向にカゴがいっぱいになる気配はない。
見かねて穣子が言う。
「そんなひょろいの、いくら入れたってカゴいっぱいになんてならないわよ。気が遠くなりそうだわ」
すかさず静葉は返す。
「ええ、そうね。このカゴがいっぱいになる頃は、とっくに秋になっていることでしょう」
そう言って彼女は笑みを浮かべる。
あるいはそれは彼女なりの優しさか。
その時、温く乾いた風が辺りを吹き抜けていく。
ふと、穣子が空を見上げると、ぬるく明るくなった雲の隙間から、わずかに青空が顔を覗かせていた。
その空を見て、えも言われぬ不安に襲われた穣子は、思わず身震いをすると、視線を落とし、静かにため息をつく。
その横で静葉は、きのこを摘み続けている。そのカゴがいっぱいになることを信じて。
酷い夏の予感がした。
その青空に誘われたのか、秋穣子は、妖怪の山の中腹の、大きな岩のその上で、所在なさげに遠くを眺めていた。
こう見えても彼女は神なので、人間よりはるかに目がいい。それこそ、ここからでも里の様子がなんとなくわかるほどだ。
恵みの雨を一杯に浴びた田畑の作物たちは、いつもより緑色濃く輝いている。その雨上がりの田畑の中に、茶や白が点々と群がって蠢く。
農民たちの帽子の色だ。
この時期の晴れ間はとても貴重であり、なんせ今は梅雨のまっただ中。今は晴れてても、どうせまたすぐに雨が降る。その前に、大事な作物の手入れに勤しんでいるのだ。
そんな人の営みを、彼女は遠くからぼんやりと見下ろしていた。気怠そうにも、どこか誇らしげな顔で。
その時、どこからともなく遠雷が聞こえてくる。
空を見上げると、まるで青空を追い出すように鉛色の雲がゆっくりと、こちらに向かってきていた。穣子は欠伸をして立ち上がる。
ああ、また長い雨がやってくるのか。
湿っぽくて生暖かい雨が。
彼女は、ふうと息をつくと、虚ろに宙へと跳ねあがった。
◇◇◇
長い雨が止み、雨上がりの空気を肌で感じながら、静葉は庭の草むしりに勤しんでいた。
庭の草など別にわざわざむしる必要などない。必要などなかったが、彼女は、なんとなく草をむしりたくなったのだ。
それは『神の気まぐれ』か。はたまた、つかの間の青空が彼女を駆り立てたのか。そんな駆け足でやってきた青空も、どうせすぐにいなくなってしまうことを、彼女は知っていた。
好き放題に伸びた雑草を両手でわしづかみ、ぐいと引っ張る。
長雨を含んだ地面は柔らかく、草が抜きやすくなっているはずだが、どうやら雨で元気になった草たちが、しっかりと根を張ってしまったようで、これがなかなか抜けない。とはいえ、庭を綺麗にしたいのではなく、草を抜くことが目的だった彼女にとって、それは大きな問題ではなかった。
それどころか、いくら抜いても、次々と見つかる草に時間が経つのも忘れそうになる。気がつけば、その指は泥で汚れきっていた。その指を見て彼女はふっと微笑む。
その時、どこからともなく遠雷が聞こえてくる。
空を見上げると、まるで青空を脅かすように水気をたっぷり含んだ雲が、じわじわとこちらに向かってきていた。静葉は伸びをして立ち上がる。
ああ、また長い雨がやってくるのか。
しっとりと、潤いに富んだ雨が。
彼女は、ふうと息をつくと、笑みを浮かべ家へと戻った。
◇◇
雨が二人の家に降り注ぐ。その雨は、恵みの雨と言うには、些か威勢が良すぎるし、豪雨と言うには、やや勢いが足りない。そんなどっちつかずの生ぬるい雨が、ばたばたと家の屋根に降り注ぐ。
加えてむせるような湿気が辺りを包み込んでおり、家中ひどく蒸し暑い。
穣子はだらしなく口を開けたまま、大の字になって床にひっくり返っている。
その横で静葉は、あぐらをかいて涼しい顔で団扇をパタパタあおいでいる。
時折、その団扇のそよ風が、穣子の方にも流れてくるが、湿気にやられてしまった彼女は、その程度のしょぼくれた風では、到底よみがえられそうもない。
「もう、あたまからきのこが生えてきそうだわ」
呻くように呟いた穣子に、静葉はふっと笑みを浮かべて返す。
「そう、季節外れのきのこ鍋が出来るわね」
それを聞いた穣子は、言葉を返すかわりに、大きくため息を吐く。静葉は、虚空を団扇でパタパタあおぐと、穣子の方を見て、笑みを浮かべる。
「……もう、いっそのこと、あたまからきのこ生えてきて欲しいわ」
そう言ったきり、穣子は黙り込んでしまう。
空が明るくなる頃、雨は止んだ。
◇
雨音もなければ青空もなく、そのかわりに鉛のような空が鈍く浮かんでいる。どこまでも続く鉛の雲が、まるで今にも落ちてきそうだ。
雨上がりのにおいに加えて、湿気を含んだ土のにおいが鼻をつく。昨日、いたずらに土いじりをしたからか、尚更それは強く感じる。
穣子は屋根の上から遠くをぼんやりと眺め続けている。
その横で静葉は、この長雨のせいなのか。藁葺き屋根に生えた細い小さなきのこをいそいそと摘んでいる。
「このカゴいっぱいになったら、きのこ鍋にしましょうね」
そう言いながら静葉は、楽しげにきのこをカゴに入れていくが、あまりにもか細過ぎるそのきのこは、いくら入れても入れても、一向にカゴがいっぱいになる気配はない。
見かねて穣子が言う。
「そんなひょろいの、いくら入れたってカゴいっぱいになんてならないわよ。気が遠くなりそうだわ」
すかさず静葉は返す。
「ええ、そうね。このカゴがいっぱいになる頃は、とっくに秋になっていることでしょう」
そう言って彼女は笑みを浮かべる。
あるいはそれは彼女なりの優しさか。
その時、温く乾いた風が辺りを吹き抜けていく。
ふと、穣子が空を見上げると、ぬるく明るくなった雲の隙間から、わずかに青空が顔を覗かせていた。
その空を見て、えも言われぬ不安に襲われた穣子は、思わず身震いをすると、視線を落とし、静かにため息をつく。
その横で静葉は、きのこを摘み続けている。そのカゴがいっぱいになることを信じて。
酷い夏の予感がした。
秋神の夏(梅雨)の捉え方がなんとなく情緒があってよき
「野菊の墓」のような味わいがありました。
きのこは最近シイタケが好きです。どんこ。
梅雨を嗜む秋姉妹が新鮮でした
まだ梅雨も明けてないのにキノコ食うのか
実直な風景描写と気だるい空気感が良かったです。投稿日も粋ですね。
夏の前日なので寸止めで終わるのは仕方ないのですが、せっかくお上手ですのでもう少しエピソードを広げて欲しかったとも思います。