守矢神社の境内には八つの影が集まっていました。
橙、藍、にとり、文、はたて、諏訪子様、神奈子様、早苗。八人はとある機械を囲んでいます。
「では、行きますよ」
神奈子様が小さなオンバシラを顕現させ、構えます。
瞬間、振り下ろされるオンバシラ。神社に砲撃のような爆音が響きました。
予告のない爆音に、文とはたては泡を食って逃げ出してしまいました。
諏訪子様はその二人の様子にお腹を抱えて笑っています。
橙はビックリして毛を逆立てながら藍の後ろに隠れてしまいました。
にとりは皆の様子に驚いています。
あまりの大惨事に、早苗は頭を掻いていました。
「まさかここまで大事になるなんて」
「私達は慣れていますが、やはり初見、特に鴉天狗には厳しいモノがあったようですね」
「どうしましょう」
「早苗はそのまま予定通り砂糖蜜をお願い。私は藍と一緒にこの子達の様子を見ておくわ」
そこへ、
「なんなんですか、これは!」
「なにこれ、なに!」
すぐに戻ってきた文とはたてを神奈子様がなだめます。
「説明しますからおちつきしなさい」
話は昨日に遡ります。
「お菓子を作る機械?」
紫様がどこから持ってきた機械を前に、橙は首を捻りました。
実のところ、橙は数日前から紫様にある相談をしていたのです。
これが、その答なのでしょうか。
藍も首を捻っていますが、これは疑問ではなく「またなんか紫様が変なことを始めた」という意味の捻りです。
「ええ、霖之助さんのお店にちょうどいい物があったから譲ってもらったのよ」
「これで、お菓子を作るんですか?」
「そう、そして、作ったお菓子を売るのよ」
達磨ストーブと釜を足して二で割って横にしたような、おかしな形の機械です。
「穀類膨張機というのよ」
「こくるいぼうちょうき」
「これでお菓子が作れるはずなのよ」
「はず」
二人の間に沈黙が訪れます。沈黙を破ったのは紫様です。
「ねえ、藍、使い方知ってる?」
「私も初めて見るものですので、流石に」
使い方は聞かなかったのですか?と尋ねると
「名前と用途はわかっても、具体的な使い方まではわからないのよ」
確かに森近霖之助の能力はそういうものでした。
「それほど近代的なものとも見えませんから、里に行けば誰かが知っているのではありませんか」
「だとしたら、霖之助さんも知っているでしょう」
言われてみれば確かに、です。
「ところで紫様、お菓子を売るとは? なにか商いを始めるおつもりですか?」
「私じゃなくて、橙よ」
「橙?」
藍の視線がやや厳しくなり、橙にむけられました。
「藍、これは私のアイデアだから、橙が思いついたわけではないわ」
「どういうことでしょうか?」
「そうね……。藍、貴女、何頭かの狐の面倒を見ているわよね」
「はい、部下として面倒を見ております。妖狐としての私に従おうという者達もおりますので。無論、私の第一義は紫様の式であることですが」
「そこにはどうしてもいくらかの費用が発生するわけだけど」
「はい」
「貴女、自分の部下に私のお金を使う?」
「滅相もございません。私の自由にできる資財を使って」
と、そこで藍は言葉を切った。
「……マヨイガの猫達ですか」
「マヨイガにいる猫達は橙の配下よ。貴女の配下ではないわ」
八雲の式、あるいは懐刀として周囲に認められているうえに自らも強力な大妖の藍と違って、まだまだ小妖な橙の自由になる資産などごくごく僅かです。
「しかし」
「里の人に混じってその生活に馴染むのも、幻想郷の管理人の式の式としては立派な修行者ないかしら」
妖怪が人の生活に上から干渉することは褒められたことではありません。ですが、人と共に交わり暮らすのならば話は別です。それを否定するなら、里で買い物をしているお前はなんなのだ、という話になってしまいます。
「それで、この機械を使わせようと」
「無理に使う必要はないわ。合わないと思えばやめておけばいいのよ」
でも、とりあえずお菓子は食べてみたい。と紫様は付け加えます。
「そうね、守矢なら、使い方を知っているかも知れないわ」
外の世界に住んでいた経験のある二柱の神と一人の風祝です。知っていてもおかしくはありません。
「この機械を持って二人で訪ねてきなさい」
「紫様はいらっしゃらないのですか?」
橙が尋ねましたが、藍には答の想像がつきます。
「あまり守矢に出入りすると、霊夢が妬くのよ」
「あ、はい」
「それも可愛いのだけれどね」
「あ、はい、そうですね」
「そういえばこの前のことだけど霊夢ったら」
「あ、はい、では、橙と守矢に行って参ります」
藍と橙は機械を持って守矢神社へ向かうのでした。
すると、二人を出迎えて機械を一目見た諏訪子様が言いました。
「よし、ポン菓子作ろう」
「洩矢様、ぽんがし、とは」
「ポン菓子は美味しい。味付けによっては酒のつまみにもなるよ」
「あらあら」
神奈子様も懐かしそうに目を細めています。
「向こうではよく作っていましたね」
「八坂様がお作りに?」
「作ったのは私ではありませんが、祭の屋台ではよく見たものです」
「あ、爆弾」
「なにっ!」
遅れて姿を見せた早苗の言葉に藍は慌てますが、すぐに諏訪子様と神奈子様が落ち着いている事に気付きます。
「あ、ごめんなさい。むこうではポン菓子のことを爆弾とも言うので」
「物騒なお菓子なのだな」
材料の準備があると言うことで、作るのは明日となりました。
「念のため、ウチに出入りの河童を呼んでおきましょう。もしかするとメンテナンスが必要かも知れません」
翌日、橙と藍が神社を訪れると、にとりと一緒に何故か文とはたてがいました。
「面白いことをすると聞いて!」
「珍しいことをすると聞いて!」
「……すいません、八坂様」
「いいわ。見られて困るものでもありませんし」
このとき、神奈子様と諏訪子様がニヤリと笑ったのを藍は見逃しませんでした。
そして、冒頭の騒ぎです。
「外の世界で鳥追いにも使われている音鉄砲と、原理は似たようなものですからね」
「その概念と一緒に幻想入りしたのだろうな」
藍も笑いを噛み殺しています。
「あの、それじゃあこれって」
「鳥系妖怪特効だな」
「うわ」
「あの、これ、問題になりません? この妖怪の山は鴉天狗の……」
「ウチの神社の敷地でやっていることに関して何か文句が?」
諏訪子様がギロリとはたてを睨みます。
「いえ、なにもありません」
「あ、あの、洩矢様」
「諏訪子、意地悪しない」
悄気たはたての様子に文が気負おうとしたところで神奈子様が笑います。
「安心しなさい。無闇に嫌がらせをする気はないわ。これは元々、八雲が持ち込んだもの。ここにずっと置いておくわけではないわよ。そうでしょう?」
「勿論です」
藍は素直に頷きました。
「使い方さえわかれば、すぐに山から持ち去ります。安心してください」
にとりがすぐに機械を点検しました。
「状態はいいですから、とりあえず今すぐメンテナンスが必要ではありませんね。これなら当分は掃除だけしておけば大丈夫だと思いますよ」
そこへ早苗が大皿いっぱいのお菓子とともに現れます。
「できましたよ」
「これが、ポン菓子ですか」
「はい」
早苗は、ついさっき目の前で起こったことをもう一度最初から説明しました。
お米を釜の中に入れて蓋を厳重に閉め、熱しながらグルグルとかき混ぜます。
圧力が高まったところで釜の蓋についたレバーを殴りつけ(今回は神奈子様がオンバシラで殴りました)、内圧を解放します。
すると、熱で膨らんだ米が爆音とともに飛び散ります。
勿論、飛び散らないように釜の口にはちゃんと金属製の網籠を取り付けてあります。
網籠の中には膨らんだ米が溜まりますので、これをあらかじめ煮立てておいた砂糖蜜と絡めるのです。
因みに、お米以外にもいろいろな穀物で作ることができますし、砂糖蜜以外のモノで絡めても構いません。
「さあ、召し上がれ」
パクリと一口食べた諏訪子様がニッコリ笑います。
「うん、懐かしい。これだこれ」
皆もそれぞれが手にとって食べ始めました。
「美味しい! なんですか、これ」
「うわ、なに、これ、止まらない、止まらないわよ、これ」
文とはたての手が止まりません。
「……穀物ですからね。外の世界では、観光地で鳥の餌として売られたりもしています」
「は?」
「へ?」
神奈子様の説明に、二人がまたもや首を傾げます。
「食物としても鳥系妖怪特効かも知れませんね」
「……何という恐ろしいものが幻想入りしてきたんですか。一大事ですよ、これは」
「でも、美味しいよ、これ」
「くぅ、悔しいですけど確かに」
「ところで。藍さんがウチに尋ねに来たと言うことは、人里にはないんですよね、これ」
早苗の言葉に藍が頷きます。
「少なくとも、私は知らないし、鴉天狗の様子を見ると今までも知られていなかったようだな」
「うん。こんなに美味しいものなら絶対聞いたことあるはず」
「うう、悔しい。悔しいけど食べちゃう」
文とはたては何事か口走りながらポン菓子をサクサクと一心不乱に食べています。
にとりは当然のように機械に夢中です。
「これ、ウチの名物に出来ませんか」
そのアイデアに藍は異を唱えます。
「待ってくれ。この……穀類膨張機?は八雲の預かる品だ」
「ポン菓子メーカー」
「え」
「とりあえず名前はポン菓子メーカーで。あと、使い方を伝授したのは私達ですよ」
「待ちなさい早苗」
諏訪子様が間に入りました。
ホッとする藍を尻目に、
「ポンマシーンで」
「いえ、洩矢様、名前の問題ではなく」
「やっぱり外来語は駄目?」
「そうではなくて」
「それでは。ポン菓子作成機で」
「ですから、八坂様、名前問題ではなくてですね」
「冗談は置いといて、どちらにしろポン菓子メーカーをここに置いておくことはできませんからね。ウチの名物にするには少し無理があります」
神奈子様の配慮に鴉天狗二人は頭を下げました。
そうです。ここでポンポンポンポンと鳥追い概念の爆音を鳴らしていては鴉天狗達の平穏が脅かされます。
ある意味「鴉天狗は守矢に来るな近寄るな」という意志表示だと取られても仕方ありません。因みに白狼天狗は狼由来、河童は河童なので平気です。
神奈子様はそれを考えた上で、早苗を諫めました。
使い方を更に詳しく聞いた橙と藍が丁寧に礼を言って帰ろうとしたところ、文が手を上げます。
「あの、よろしいですか? 八雲様」
「なにかな」
「ポン菓子とやらはもう作らないのでしょうか?」
「神奈子様、諏訪子様、私もまた食べたいです」
結局、全員がまた食べたいと言っています。ポン菓子の人気は本物です。
そこへ、紫様からの連絡です。
(藍、お菓子の作り方はわかったの?)
(紫様。ポン菓子という名前で、材料もわかりました)
(守矢神社にいるのよね。今行くから待ってなさい)
「八坂様、洩矢様、今こちらに紫様がお越しになると」
言い終えた瞬間、スパンと空間の隙間が開き、紫様と霊夢が姿を現しました。
「紫、珍しいお菓子って……あれ、ここ、早苗ン家じゃない」
揃ったメンバーに驚く霊夢です。
「どうしたの皆揃って……もしかしてお菓子のために」
「霊夢さん、ポン菓子ですよ、ポン菓子」
「何それ、美味しいの?」
再び同じ説明をする早苗でした。
すると、残っていたポン菓子をパクリと食べた霊夢の表情が綻びました。
「美味しい。これはもっと食べたいわ。これっぽっちじゃお腹に溜まらないわよ」
「お菓子はお腹に貯めるものじゃないですよ」
「博麗胃袋にはお菓子専用袋があるのよ」
今明かされる幻想郷巫女の秘密に早苗は驚愕しました。
「さすがは霊夢さんです。東風谷胃袋は汎用で一つしかないので羨ましいです」
人間も凄いのだなあと感心したはたてが文に速攻訂正されました。
「これは量産するべきよ」
安価なお菓子だと聞いた霊夢が断固言い立てます。
「さっきも話していたが、ここでは無理だ。第一、この機械の使用権は橙が一番だと決まっている。そこで……」
藍が話をまとめました。紫様も頷きます。
橙がポン菓子販売を里で行うことになりました。
「だけど、お店が五月蠅いと回りに迷惑じゃないですか?」
ほぼ爆発音です。確かに里の中では轟音です。
「向こうだと、移動販売していたよ。自動車に乗せたりして。要は一箇所で連続して鳴らさなければいいんじゃないかな」
自動車というのはよくわかりませんが、諏訪子様の言いたいことはわかります。何かに乗せて運べば良いのです。
一週間後、ミスティアの古い屋台を譲り受けた橙が仲間と共に屋台を引く姿が里にありました。
仲間というのは、リグルやチルノ達です。毎日交替で橙のお手伝いをすることになったのです。勿論、きちんとバイト料は出ます。ポン菓子の現物支給です。チルノと大妖精は特に大喜びしました。
売り物はポン菓子だけではありません。溶かしたチョコをかけたチョコポン、水飴で四角く硬めに固めたポンおこし、唐辛子を混ぜて甘辛くすることによって酒のつまみにもなるポンつまみなどなど、多種多様にわたっています。
なお、物々交換も可能です。お米を持ってくると、その半分量のポン菓子と交換してくれるのです。
屋台は大繁盛しました。もともと橙は大きく儲けようとはしていないので安価で売っています。さらに、ポン菓子はこれまで里には無かったものなのです。
沢山のお客さんが来ました。機械によるポン菓子作りが面白いのか、日に数回来て見物していく人もいました。買わずに見物だけする人もいますがそれはそれです。
風呂敷一杯の米を担いで阿求がやって来た時は流石に稗田家からストップが掛かりました。
紅魔館から招待されて、お屋敷の中でチョコポンを作り続けたこともありました。「きゅっとしてポーン」とフランドールが手のひらでポン菓子を作ったときは、流石のレミリアも驚きました。
古明地こいしがポン菓子を食べた翌日、間欠泉地下センターで大量のポン菓子が生成されましたが詳細は不明です。ポン菓子に埋もれた霊烏路空が発見されましたが詳細は不明です。
橙は頑張りました。
屋台を引っ張ってきて、お米を入れて爆発させて、できたポン菓子を味付けして売る。
一連の作業を見学する子供達も沢山います。大人達もいます。
そして、ポン菓子を買っていきます。
そんなある日、橙は気付きました。
一人だけ、買わない子がいるのです。
見学はしています。いつも見学しています。しかし、その子がポン菓子を買うところを橙は一度も見たことがありません。
橙は密かにその子を注意するようになりました。
やっぱり、毎日のように来ています。妖怪である橙にはあまり気にならないことですが、その子は人間としてはかなり汚い恰好をしていました。
衛生的に汚いという意味ではありません。継ぎ当てだらけの古着なのです。
橙は、その日手伝いに来てくれていたリグルに相談してみました。
「あー」
リグルは困ったように笑います。
「里にはそういう人たちもいるって、ミスティアが言ってた」
「お金がないなら働けばいいのに」
「働いても間に合わない人がいるんだって。他に使うから、ポン菓子なんかに使えないって」
家族の者が病や不意の事故で伏せっていたり、あるいは仕事が巧くいかなかったり、狩人であれば獲物が獲れない、農家であれば作物が実らない。
「人間の生活には様々な不運がある。それに耐え、切り抜けるのもまた人間の生活だよ」
様子を見に来た藍は、橙の話を聞くとそう教えました。
「それは、人間が自分たちの力で切り抜けなければならないものだ。あるいは、人間同士の助け合いでね」
次の日も子供はやって来ました。やっぱり、遠くから屋台を見ています。
「生まれつき病気がちの妹がいるんだけど、ついこの前お父さんが大怪我をして、今はお母さんが一人で働いているんだって、慧音先生が言ってました」
今日のお手伝いの大妖精が、橙に情報を教えます。
更にその次の日、子供はとうとう屋台に直接やって来ました。
「あ、あの、これだけ、交換してくれますか?」
拳の中に握りしめられたほんの少しのお米。
お店で決めた一番最低ランクの交換量も満たしていません。
「んー」
機械の調子を見に来ていたにとりが、にゅと首を伸ばしてお米の量を確認します。
「橙、これは……」
子供は泣きそうな顔でお米をさしだしています。
「お願いします。妹の分、少しだけでも」
そのときです。
橙は思い出しました。
屋台を出すと決めたときに守矢で聞いた話を思い出しました。
外の世界でのお店の、いろいろな売り出し方を聞いたのです。
その中に……
「おめでとうございます!」
橙は叫んでいました。にとりがビックリして、ひゅいっと声を出しながら目を開きます。
「お客様は、当店通算三〇〇人目の記念のお客様です!」
「橙、そんなの数え……」
てたの、と言いかけたにとりが口を閉じました。
そして子供と橙を見比べ、ニヤリと笑います。
「おめでとうございます!」
にとりも両手を挙げました。
「これは、三〇〇人記念の景品です」
橙は手元にあった一番大きな袋に、チョコポンやポンおこしを一杯に詰め込みます。
子供は何があったのかわからず、ぽかんと口を開けています。
「三〇〇人記念ですので、無料で差し上げます」
「え、え、でも」
「記念です。こういう風にやるのがお店の宣伝になるんだって、早苗さんや洩矢様も言ってました!」
にとりはずっとニコニコしながら万歳をしています。
「いいんだよ、盟友。うん、とても幸運だ。本当に幸運だよ。ぴったり三〇〇人目だなんて、こいつは驚きだ」
泣いているのか笑っているのかよくわからない顔の子供が、深々と頭を下げました。
「お父さんが元気になったら、また買いに来てね」
大きな声で返事をして、子供が帰っていきます。
「橙」
その姿が見えなくなった頃、にとりが言います。
「なに?」
「きっと、八雲様は褒めてくれるよ。ううん、私が褒める。橙はいい子だ」
「当たり前だ!」
背中から聞こえた言葉にギョッとする橙ですが、身体を抱きすくめられていて振り向くことができません。
「いい子だ、橙、お前はとってもいい子だ、私は嬉しい!」
藍様が背中から橙を思い切り抱きしめているのです。
「見てたんですか、藍様」
「全部見てたぞ」
全部かー、とにとりが苦笑しています。
「偉いぞ、橙。本当はあの子で通算三百六十七人目なのにな」
「最初から全部見てたの!?」
ポン菓子一つであーだこーだ言っている山のメンツが楽し気でした
橙がいい意味で周りの大人の影響を受けていていいなと思いました。