文責 上白沢慧音
目次
【背景】
【概要】
【遭難時の気象】
【遭難の経過】
【五郎左の証言】
【源八の証言】
【キクの証言】
【ハツの証言】
【原因の考察・八意氏の見解】
【八坂氏の提言】
【おわりに】
【背景】
博麗大結界成立以降、人妖の明確なる区分が進行し、人間の居住空間は人里に限られた。あの時代は、里外に出るという事はすなわち、いつ何処で妖怪の襲撃に遭ってもおかしくない状態だった訳である。魔法の森に捨てられるぞ、と躾ければ、聞き分けの悪い子供達も震え上がり。妖怪の山に姥捨されるぞ、と脅して徘徊する老人を留める。当時の人間の認識として、里外とはそういうものだった。人外の領域に踏み込む、という事はそれ相応の覚悟を必要とするものだったのだ。
しかし、何時からだろうか。弾幕決闘が定められてからだろうか、当代の巫女が就任してからだろうか。再び里外は人間へ開かれ、人妖の境界は曖昧になろうとしている。其れの是非は此処で論じる事ではないが、人々の意識の変容が起きている事は確かだ。変化を示す根拠として、里外での行方不明者の記録がある。所謂『神隠し』『天狗の仕業』と呼ばれる現象を纏めたものだ。
大結界成立後ほぼ全ての期間で、里外での失踪位置は特に関連性を示さない。近くの沢で、東の山で、南の川で……。永きに渡り数多くの不明者が発生しているのは確かだが、大量の人間が同時期に同地点で行方不明になっている例は何処にも認められない。
しかし、近年になると話が変わってくる。去年のデータを挙げると、里外での死者五十八名、行方不明者(遺体の一部のみが発見された者含む)二百六十九名、救助され生還した者十九名。総計約三百五十名のうち三百名程が、霧の湖、迷いの竹林、妖怪の山等々の特定の地域内で死亡・救出若しくは行方不明となっているのである。なお、生存者に聞き取りをしたところ、里外への外出理由は、『参拝』『観光』『通院』の順に多かった。
百年前の人々に教えてみれば、この呑気さにさぞや驚くに違いない。人々の里外への意識が過去と現在では全く異なっていることが伺えよう。
「天狗の風のせいで滑落した」
「雪女のせいで凍死した」
今回、妖怪の山で起きた遭難事故の原因について、人里ではそう喧伝されているが、怒りを叫ぶ前に考えてみてほしい。なぜ遭難事故が起こったのかを。
諸君らは忘れてはいないだろうか。君達が足を踏み入れているその場は、先祖代々で神を畏れ、妖を恐れて、決して安易に踏み込もうとはしなかった、化外の領域である。
今回の遭難事故も又、人々が自己意識の変容に対して無自覚・無頓着でいる為、起こるべくして起こった。私は、そんな風に思えてならないのである。
【概要】
今回の遭難事故は、残雪期である五月七日、妖怪の山に入山した二つのパーティが悪天候に見舞われ、同時多発的に発生した二種類の遭難である。便宜的にパーティ壱とパーティ弐と振り分け、それぞれの経過を述べさせて頂く。又、生存者は実名で表記し、死者・不明者の名は伏せてある。
妖怪の山概略図
パーティ壱
目的
正規の参道を通らず、別ルートでの妖怪の山登頂・守矢神社への参拝
予定ルート
白狼尾根を通り登頂し、守矢神社から守矢山道で下山。
メンバー
五郎左 四十五歳 男性 リーダー
A(不明) 五十八歳 男性
B(死亡) 五十五歳 男性
C(死亡) 三十三歳 男性
D(死亡) 二十七歳 男性
源八 二十六歳 男性
メンバーは猟師を中心とした山仲間であった。
白狼尾根は、急峻な岩場と数多くの登り返しに彩られた、山の熟練者にさえ恐れられるルート。若い白狼天狗の修行場となっていることから名が取られており、その峻険さが窺える。
今回の山行では、往路の白狼尾根途中でAが滑落するアクシデントが発生し、救出に手間取り稜線上に長時間留まった結果、BCDが低体温症で亡くなることとなった。
パーティ壱の行動範囲
パーティ弐
目的
山菜取り
予定ルート
姥沢より入山し、ヤマブキ沢で山菜を取った後、復路はピストンで下山。
メンバー
キク 六十九歳 女性 リーダー
E(死亡) 五十四歳 男性
F(死亡) 四十八歳 男性
ハツ 十六歳 女性
E、Fはキクの子供、ハツはキクの曾孫にあたる家族四人のパーティ。
ヤマブキ沢近辺は山菜の穴場と言われているが、山姥の出没地域でもあり、深部まで人が入り込むことは少ない。
沢伝いに移動して山菜を採ったのち、夕方下山途中にEとFが行動不能に陥り、キクとハツが救助を呼ぶ為に先行して下山。その後EとFは雪に埋没した状態で発見された。
パーティ弐の行動範囲
【遭難時の気象】
人里
前日(五月六日)は雨。七日の朝に一時的に青空が広がるが、十時頃から雨。その後段々と雨足が強まり、夕方にはミゾレ混じりの強い風雨。
山頂付近(守矢神社より聞き取り)
前日は雪、北西からのやや強めの風。七日の朝に晴れ間が広がり、風も止む。しかし九時頃になると反対方向の南東からの風が強まる。昼には吹雪。十五時には目と鼻の先の視界も無くなり、暴風雪のまま日が暮れた。
下降気流による疑似好天
沢筋は稜線上より風が弱い傾向があるにせよ、遭難時の山中は人間が出歩くには不適な天気であった事は確かだろう。
七日の朝に一時的に晴れた事が、パーティ壱、弐が出発を決めた要因であるが、これは典型的な疑似好天である。一時的に低気圧の尾根上となり、下降気流が発生し雲が消えて、如何にも今後は良い天気が続くと錯覚してしまう。しかし、それは束の間の幻想に過ぎない。数時間の内に急速に雲が舞い戻り、暴風を吹き荒らすことになる。
風向きが北西から南東へと移り変わっている事から分かるように、低気圧、高気圧、低気圧が順々に流れていった事が推察できる。
五月六日夜の予想気圧配置図
五月七日午前の予想気圧配置図
五月七日午後の予想気圧配置図
【遭難の経過】
パーティ壱
五月七日 朝四時頃
五郎左宅にメンバーが集合。前日よりも雨が弱まっており、西の空が薄明るくなっていた事から予定通り行動を始める。里外へ出発。
六時頃
青空の下ハイペースで進み、麓に到着。白狼尾根に取り付く。
八時頃
白狼尾根の五分の二程を登ったところで小休止を取る。各自水分や饅頭等を補給。しかし、Aは食欲が無いとの事で、何も食べなかった。
九時頃
南東からの風と共に霧雲に巻かれ始める。稜線上の岩場を渡り歩く際、湿った岩に足を取られ、大幅にペースダウン。
十時頃
雪が降り始める。再び小休止を取り、蓑笠等の風雪用の装備を着用。
十一時頃
白狼尾根の稜線は完全に雪雲に包まれ、山頂も人里も視界から消える。雪や岩場に不慣れな源八が遅れ始める。ここまでのパーティの並びは、先頭から、五郎左、A、B、C、D、源八の順。
十三時頃
遅れていた源八を待ち、一度全員で集合して昼休憩。パーティの進退を決議。前進か退却か迷ったが、山頂迄あと少しという事で、進む事を決断。源八をフォローする為、パーティの並びを変更。先頭から、A、源八、B、C、D、五郎左の順。
十四時頃
風雪ますます強まる。この頃には尾根にしがみつき、四つん這いになりながらの移動となっていた。
十五時頃
暴風に身体を取られ、Aが天狗平カールに滑落。直ちに滑落箇所に向かおうとするが、安全な下降地点を見つけ出せず。尾根上からAに向かって大声で呼びかけるも、返答なし。視界不良の為、滑落したAの姿も認めらなかった。五郎左とBが救助要請の為、山頂を目指す。
十六時頃
五郎左とB、山頂へのルートを見つけ出せずパーティの元へ戻る。進退窮まった一行はAを見捨てて下山を決意。元来た白狼尾根を下ってゆく。
十八時頃
Dの足元が覚束なくなり、意識が低下。肩を貸して降ろそうとするものの、Bも同様の症状を呈す。
(夜間、時刻不詳)
B、Dが昏倒。五郎左、C、源八の3人で下山するものの、C、源八も行動不能に。五郎左はCを残し、源八を背負い下山。
二十三時頃
源八を背負った五郎左が人里に帰着。源八は軽い凍傷を負ったものの、2名とも命に支障なし。翌朝から捜索隊を出すことを決定。
五月八日 朝三時頃
悪天候の為、捜索隊出発を延期。
七時頃
風雪弱まり、捜索隊出発。
一日のうちに白狼尾根上に倒れていたB、C、Dの遺体を収容したが、Aはその後の捜索で発見されず、天狗平カールの雪が消えた現在もなお行方不明となっている。
パーティ弐
五月七日 朝六時頃
晴れていた為、キクの家を四人で出発。
八時頃
姥沢より入山。沢沿いには厚く雪が積もっていたため、革靴・ワカンを装備。
九時頃
姥沢を遡上後、分岐を北に進み、ヤマブキ沢に入る。斜面上に山菜を見つけては籠に入れていく。
十二時頃
フキノトウ群生地にて昼休憩。この時、E、Fは若干の体調不良(身体の震え等)を訴えている。山上が雪雲に包まれ、天候悪化。
十三時頃
E、Fの体調を考慮し、下山を開始。しかし二人の進行ペースが非常に遅く、往路の半分の速度でしか歩けなかった。
十五時頃
谷底の沢でも風雪が顕著に目立ち始める。ヤマブキ沢出合近辺でE、Fが行動不能に陥る。二人が「先に下山して救助を呼んできて欲しい」と言った為、キクとハツは二人を置いて下山。
十九時頃
キクとハツが人里に帰着。救助を求めるが、悪天候による二次遭難を考慮し、翌朝からの捜索を決定。
二十三時頃
パーティ壱の遭難が報告される。両件を連携して捜索する事を決定。
五月八日 七時頃
捜索隊出発。
姥沢途中で、雪に埋もれたE、Fが遺体で発見される。
【五郎左の証言】
自分、A、Bは昔から登山を好んでおり、今回の山行も春の白狼尾根を歩きたいという三人の願望から予定していたものだった。C、D、源八は途中で計画に加わった形になる。
思えば、途中で遭難の兆候は幾らかあったと思う。Aが最初の休憩で何も食べなかったのも不思議であったし、昼休憩の際は雰囲気に流されず、天候を鑑みて下山を決めるべきであった。
Aが滑落した際の状況は、自分は最後列に居たためよく分からない。吹雪の中、源八の叫び声が薄っすらと聞こえたのだけは覚えている。
Aが滑落した後、自身が混乱していたという自覚はない。むしろ、落ち着け、冷静になれ、と自分に言い聞かせていて、ジリジリと燃えるように熱くなっていった身体から意識が分離して、慎重に慎重に判断を下した気がする。吹雪の中、天狗平カールに下降する岩場を探したが、何も見つからなかった。仕方なく自分とBが山頂へ向かい救助を呼ぶ事にした。
その後、山頂へ向かう道筋が分からなくなったのは明らかに自分のミス。そこからは、もう全員死ぬかもしれないと思い、焦っていた。皆の下に戻り、五人で下山する事を決めた後は、あまりよく思い出せない。倒れゆくB、C、Dを冷酷に見捨てていった瞬間は断片的に記憶している。最後に体重の軽い源八を背負って、最悪でも彼だけは生きて返さなければ、と思って死ぬ気で山道を下った。
今回の遭難事故の責任は私にある。引き返せる場面は幾らでもあった。リーダーとして適切な判断を下せなかった。源八、B、C、D、そして未だ見つかっていないAに申し訳なく思う。
【源八の証言】
私は、Aさんは天狗のせいで滑落したんだと思っています。
隊列から遅れていた私は、フォローを受ける為に先頭に配置されました。前方でAさんが岩場のコース取りをしながら、私がそれに続いていくという形。
それで、十五時頃、軽いピークに差し掛かった辺りだと思うんですが。尾根にしがみついて、Aさんの脚を目印にしながら這っていたら、ドンって。爆風のような風が来たんですよ。間近で大砲でも撃たれたみたいな衝撃がして、一瞬身体が浮き上がりました。天国に昇る心地って言うんですかね、本当にそんな気がしたんですよ。もう、無我夢中で岩に齧り付きました。
それが二、三秒での出来事だったかな。カニの横這いのテイで何とか安定した後、顔を上げたら、Aさんの身体が木の葉のように天狗平カールに落ちて行く所だったんです。Aさんの姿は、白い影の中にスゥっと消えてしまって、もうそれっきり。落ち込んでいる崖の底は全然見えないし、Aさんの名前を叫んでも風に掻き消されるばかりで。こんな所で滑落して、生きていられるはずが無いと思って……泣きたくなりました。
後続の皆が来るまで、どうしよう、どうしようと、途方に暮れてました。五郎左さんが来て全員合流してからは、逆に事故の実感が無かったです。皆一緒に居るのに、どうしてAさんだけ居ないんだろうって、不思議に思うくらいでした。
その後は……正直よく覚えていません。自分が途中で倒れたのも気が付かなかった。目を覚ましたら里の治療所で。五郎左さんには返しきれない程の恩を頂きました。
Aさん以外の、自分達が次々に凍りついていったのは、もうしょうがない事なのかなと思います。とにかく天気が悪かった。
ただ……Aさんが吹き飛ばされた際の、人間を浮かす程の強い風。あんな風、自分は今までに体験した事がありません。それに、そもそも風は南東側から吹いていたのに、尾根の南東にある天狗平カールに転落していったのも不自然だと思う。普通なら逆じゃないですか。ですからAさんが滑落したのは、天狗が起こした逆風のせいだったんじゃないかと、私は思うんです。
【キクの証言】
EとFには悪い事をした。二人とも体調を悪くしていたのは運が悪かったが、それが原因ではないと思う。あの子らは背負い籠を三つも四つも山菜で満杯にしていたので、私やハツと比べて大分装備が重かった筈。帰り道で遅くなっていたのもその為だろう。金に目が眩んだと言われれば其れ迄だが、あの子達にも家庭がある。精一杯山菜を採って、妻子の生活を楽にさせてやりたかったのだろう。親として、その気持ちが分からないはずは無いけれど。それでも、無理せず山菜を捨ててでも無事に帰らせるべきだった。
オイボレの私より、子が先に死ぬなんてあり得ない。私は母親失格。ハツはしっかりしている子だから、私もEとFの側に残って、ハツ一人で帰らせるべきだっただろうか。それこそ祖母失格になってしまうか。
今回の事故で唯一の救いは、ハツが無事に生き延びてくれた事。それだけは、山神様に感謝している。
【ハツの証言】
EおじさんとFおじさんは、雪女に取り憑かれたんです。
昼を過ぎて、山上の悪天候が段々と沢に降りて来た頃から、おじさん達の背後に、雪女が憑いていたんです。木々の間を擦り抜けて雪煙を立てたり、吹雪に合わせて金切り声を上げたりして。きゃあきゃあと、此方を嘲笑っていました。変な女が居るって皆に伝えたんだけど、お婆ちゃんも、おじさん達も、雪女が見えなかったみたい。
雪女が付かず離れず歩いてるので、とても恐ろしかった。その内、おじさん二人が動けなくなって、先に帰れって言うので。薄情だと思うけど、その言葉に従うことにしました。仮にお婆ちゃんが帰らなくても、私一人だけで逃げていたと思う。雪女の近くに居ると、本当に凍りついてしまう位に寒かったから。
暫く降りて、最後に振り返っておじさん達の姿を見た時、雪女がEおじさんに覆い被さっているのが見えました。怖くてすぐに前を向いたので、その後に何が起きたのかは分かりません。
【原因の考察・八意氏の見解】
(1)Aの滑落について
食べ物を摂取していなかった等の証言から考えて、Aは軽い体調不良であり、注意散漫の可能性があったと考えられる。しかし、滑落時点においてはメンバーに低体温症の兆候が見られない事から、身体の不調が滑落の主要因であるとは考え難い。本命の滑落要因は、源八の証言通り暴風雪を振り撒いていた強い風が原因であると見なして良いだろう。ここでは、『天狗の仕業』『風向に逆らう転落方向』と疑問を集めている突風について説明したい。
逆方向から吹く吹上風
上図の赤線断面横断図
【遭難時の気象】の項目で挙げた想定気圧配置図を確認して欲しい。滑落が発生した十五時頃は低気圧が山域を覆い、南東の風が吹いていたと思われる。当然、南東風が白狼尾根上を通過する訳だが、この際にボトルネック(尾根)を急拡損失として通過した風が、風下側で渦を巻く等、複雑な挙動をとる事がある。これが再び尾根上まで舞い戻ってきたものが、吸い上げによる吹上風とされているものだ。吹上風はここでは北西から吹く風として白狼尾根に襲い掛かる。
つまり、南東風の風下側が作り出した、谷底から浮かび上がる北西風に襲われ、南東側の天狗平カールに滑落する。Aが滑落した経緯として、自然現象の面から違和感なく説明出来るのである。
(2)B、C、Dの死因について
治療を受けた源八の症状、BCDの遺体の状況から、低体温症による生理機能の低下のため死亡と判断。
最も一般的な雪山の死因である。強風雪下の白狼尾根では、いつ低体温症になっても不思議ではない。それも、Aの滑落による長期間の停滞があれば尚更のこと。五郎左とBは山頂に向かって移動を試みたのでまだマシだったのかもしれないが、待機していたC、D、源八らの寒さは相当堪えたはず。
又、当時の状況からして他に選択肢など無いことは分かるが、焦って急に下山し始めるのも悪影響である。長い静止を経て、体表面の血が冷え固まった状態から急に運動を始めると、冷血が一気に全身に回ってしまう。その為、体中枢の温度が急速に低下して、下山途中に昏倒が続出したのだろう。
(3)E、Fの死因について
パーティ壱のAは単発の体調不良だった為、その点に関しては特に問題にならなかった。が、男二女二構成のパーティ弐において、男二人が同時に体調不良を訴えている。山中にて男を誘うという『雪女のせい』論説に信憑性を持たせる事実だが、男二人という情報にもう一つ一般的な共通項がある事に気が付いただろうか。
それは、EFともにキク、ハツの二倍ほどの体重をもつ、というものだ。四十キロ程度の祖母、孫と比べて、八十キロ程度の男性が沢筋の雪道を歩く状況を想像して欲しい。
後日調査で判明した姥沢筋の積雪は二から三メートル程。積雪内部の状況は、上からクラスト化した固結表層、柔らかい新雪、ざらめ雪、たっぷり水分を吸った湿雪層、積雪内部を流れる地表流、といった層序になっている。遭難前日の悪天候から、地表流の水位がかなり上昇し、積雪全体の含水が多量になっていた事を考慮しながら、この雪の上を歩いたらどうなるのだろうか。
積雪断面層序
四十キロの人間が雪を踏んでも、脚はせいぜいざらめ雪層迄しか埋没しないが、八十キロの人間が進むとズボリと埋まり氷泥に脚を突っ込む。脚全体が湿気に包まれてしまい、これでは冷たい沢の中を歩いているのと殆ど変わらず、キクやハツと比べると急速に低体温に陥るだろう。装備・山菜による荷重増加が有れば尚更だ。脚先から冷えた血が全身に周り、天候悪化で低体温症がさらに進行。気付いた時には判断も出来ない手遅れの状況になっていたのだろう。
又、雪に埋もれた状態で発見されたとのことだが、人里の天候変化を考えれば、荒天の低山域では雪ではなく雨が卓越していた可能性も考えられる。集水域の最前線となった沢に落ち込む斜面には、多量の雨が浸透していたことだろう。その場合、沢沿いでは地表流が混じった泥流のような雪崩がいつ発生してもおかしくない状況だった。事実、後日調査でも雪の崩壊箇所を多数発見している。遭難時、姥沢沿いに長時間滞在すれば、雪崩に呑みこまれる危険性からは避けられなかったはずだ。
注
考察には医学的知見を多分に含む為、この項のみ監修を八意氏に依頼している。多忙の中、確認作業を何度も引き受けて下さった八意氏に、この場を借りてお礼申し上げる。
【八坂氏の提言】
何のために守矢参道を整備しているのか。何のために架空索道を建設したのか。ひとえに参拝者の皆の安全を考えての事である。我々は守矢神社の管理区域の巡視は行っているが、それ以外の山域での事故は感知できない。口は悪くなるが、好き勝手に山に深入る連中が痛い目を見るのは当たり前。残念でもないし、死んで当然。私はそう考えている。
勿論、要請が有れば守矢神社としての捜索・救助は惜しまないが、自由と責任は表裏一体。あくまで自己責任の下での遭難であるなら、救いを求める声に神徳は如何に応えられようか。今一度、自然信仰の意味を考え直して欲しい。
【おわりに】
自然科学について造詣を深めるという事は、幻想の領域を狭める事でもある。今回の報告書中では、妖怪の所業では無い事を証明するため、自然現象・医学に基づく情報を詳細に記述しているが、これらの解説は妖怪側の手札を晒す事に等しい。種明かしをされた妖怪は畏れを失う。恐れを失う。力を失い弱っていく。私は、この報告書によって妖怪の生存域を切り刻んでしまったのである。
妖怪側には恨まれるだろうが、人間の為にハッキリと述べておきたい。
陰陽が混じり合う事がないように、人妖は分かり合えない存在。お互いに敵対する存在。確かにそうかもしれない。しかし、敵だからといって、事実を捻じ曲げて妖怪の仕業とする事が正しいとは思わない。妖怪の領域を売ってでも、歴史の記述を改めて明確に記そう。今回の遭難事故は気象を副要因としながら、人災によって発生したものである。
人責を認めずに、天狗や雪女を事故による偏見でもって毀損する事など、決してあってはならない。対立を煽り、人妖がお互いを過剰に敵視する状況は決して健全とは言えない。妖怪の魂を切り取ったこの報告書が存在する、その意味を考えて欲しい。人里で流されている噂を鵜呑みにする前に、是非一考して欲しいのだ。
寺子屋にて私の胸に抱き付き、「勉強は嫌いだけど、先生の授業なら大好き」と言ってくれた君に問おう。年老いても尚私の事を師と敬い、生涯学習を律し貪欲に知識を蓄えている君に問おう。人里の全ての者、我が愛する教え子達に問おう。
君たちの祖先が、妖怪の山に立ち入らなかった理由は何だろうか。鬼の四天王が怖かったからだろうか。いいや、鬼が姿を消しても、相変わらず妖怪の山に近づく者は居なかった筈だ。では、怖かったのは天狗だろうか。山神様だろうか。それとも他の妖怪だろうか。
いいや、順序が逆である。人々は先ず山を畏れた。自然を恐れた。その畏敬があったからこそ、畏敬を喰らう怪異が棲みついた。いつしか人はそのことを忘れ、妖怪のみに注意を払い、山そのものに意識を割くことを欠いてしまったのだ。
自然は最初からそこにあり、今も何も変わらない。ただ厳しく人を見下ろすのみ。変わってしまったのは、人間の認識である。
どうか人々が、里外との新たな付き合い方を見つける事を願っている。
絶対やりにくるでしょとは薄々思ってたけど三重にやりにきててひっでえ!(歓喜)となりました。良かったです。
報告書形式で事故の全容を記載しつつ幻想郷の雰囲気も織り交ぜていて斬新でした
素晴らしかったです
最後の意味深な検閲資料から漂う人外の生物達が持つ危険な雰囲気も好きです。