奇妙な釣竿だった。
本来ならば釣針のあるであろう部位には、何故だか籠が取り付けられていた。
こいしがぶんとそれを振るうと、先端の籠はカーペットの中へ小波を立てて吸い込まれた。
相変わらず意味が分からないな、と私は思った。形而上属性存在らしい理不尽ぶりだ。彼女はぜんたい物理法則を何だと思っているのだろうか。
「……愚問だったわね」
「フランちゃんフランちゃん、自己完結されちゃうと私は口を挟めないんだけど」
「自明なことに口を挟む要素があって?」
「えー聞いてみなくちゃ分かんないじゃん」
「なら訊くのだけど、物理法則ってご存知かしら」
「あーうん知ってる知ってる。あれだよね、美味しいやつ」
「知ってたわ」
軽口を叩きながらもこいしは真剣な面持ちだった。釣竿が静かにカーペットへ波紋を広げるその様子を、彼女は瞬き一つすらせずに見つめていた。どこか神秘的なその姿を、私はじっと眺めていた。
こいしのそういう姿を見るのが、私は存外に好きだった。我ながら贅沢な時間の使い方をしているとは思う。仮に私がお姉様のように刺激溢れる生活をしていたとするならば、このような趣味はしていなかっただろうな、という所まで含めて。
当然のこととして、こいしが何をしているのかは未だに私には分らないままだ。釣糸を垂らしているからには何かを釣ろうとしているのだろう。だが何の変哲もない地面の中に如何なる魚が泳いでいるのかは、私の知識では想像も付かない。
別にそれでも良いだろう。こいしに問うことは何時でもできる。一方彼女の真剣な姿は、ごく稀にしか見られない。どちらを優先するべきかなど、考えなくとも自明だった。
◆ ◆ ◆
「飽きた」
「御馳走様」
「なんて?」
ぱちくりと目を瞬かせるこいしに対し、私は何でもないわと手を振ってみせる。こいしが釣糸を床に沈めてから、およそ一時間ほどが経っていた。
竿を抱えてぐてりと転がり、彼女は顔だけをこちらに向けてふにゃりと笑う。気も腑も抜けたようなその顔からは、一瞬前までの真剣ぶりの面影すらも見当たらない。毎度のことだが、よくもそこまで一瞬で切り替えることができるものだ。気質の平坦さを差し引いたとしても、私にはできる気がしない。
「……まーいっか。それよりさーフランちゃん、私の代わりにこの釣竿持っててくれない?」
「構わないけど……」
けれど、しかし、言葉を探す僅かな沈黙。
大地に潜る釣糸などという至極珍妙な現象を、果たして私は扱えるのか。如何に名高き吸血鬼といえど、その性質は物理の側だ。こいしのような概念存在とは畑が違う。受け取った瞬間、大地から糸が弾き出されるならまだ良い方だ。お姉様でも理解に苦しむ理解不能な法則に拠り、ここら一帯の大地が丸ごと吹き飛ぶことすら有り得かねない。
「壊れても承知しないわよ」
「えー大丈夫だよー、だってヤマメさんの特製釣竿だもん。フランちゃんたら心配性ねー」
……まあ、流石に、そこまで言うなら問題ないのだろうけど。
ぐいと手元に押し付けてくるこいしの圧に屈して、私は竿を受け取った。息を止めて数秒。私の緊張とは裏腹に、カーペットには波の一つも立たなかった。
ああ、そうか。
つまりこれは、こいしではなく釣竿の持つ能力なのだ。いつもこいしが異常であるから、すっかり視野が狭まっていた。
「いやいやいや、フランちゃんたら私のことを一体何だと思ってるの?」
「吃驚箱」
「せめて生き物にして?」
「トンチキ形而上概念存在博覧会」
「物質ですらなくなっちゃった……」
流石に冗談半分ではあるが、残り半分は本心だ。思うにこいしは魔道書に似ている。読み解くまでは何が出るのか、全く予想の付かない点などはそっくりだ。
魔道書は良い。インテリアとしても優れている。表紙を、或いは目次の辺りを眺めるだけでも中身の想像で楽しめる。それに何より、身近に未知が潜んでいるのは、その事実だけでも実に刺激的であるのだから。
……などとうっかり言葉にすれば、パチュリーが拗ねてしまうから、決して口にはできないのだけど。
◆ ◆ ◆
気付くと竿が随分しなりを増していた。ぼんやりとしているうちに、かなりの時間が経っていたらしかった。
「フランちゃんは釣りに向いてるみたいだねー」
などと、にこにこしながらこいしは言う。曰く、釣りの才能とは気の長さであるらしい。それなら確かに私の独壇場だろう。贅沢な時間の使い方なら数百年の経験がある。
「後は魚が食い付いたときの竿の手応えぐらいかなー、私が教えてあげられるのは」
「折角なのだしここでついでに教えてほしいものだけど」
此処では釣れないのかしら? そう言いながら波打つ床の水面を指差し問い掛けると、こいしは変人を見るような目で首を傾げた。
「え? 釣れるわけないじゃん」
「新手の精神修行だったの。気付かなかったわ」
「どこからその結論持ってきたのか詳しく教えてほしいかなーって」
「そういえば結局、この糸は何処に繋がっているのかしら」
「今更それ訊く?」
もーフランちゃんたら相変わらずのマイペースね。こいしは困ったように笑って、それから竿の先端に手が触れる距離まで歩み寄った。
カーペットが波にゆらりと揺らめいて、けれどもそれはこいしの足に何ら干渉を起こしてはいないらしかった。
「まあでも」
こいしは釣り糸を摘んで言う。
「蜘蛛の糸が伸びる先なんて決まってるでしょ?」
ああ、成程。
それは確かに私も知っている話だった。
この国に伝わる説話の一つ。極楽浄土から地獄へと伸びる蜘蛛の糸。
「罪人釣りとは洒落てるわね」
「いや釣れないよ? 地獄って言っても旧い方だもん」
「あら残念」
すると恐らく、こいしの言っていた「ヤマメさん」とやらは蜘蛛の妖怪か何かなのだろう。であればこの竿の不条理ぶりにも納得が行く。
「とはいえ、説明不足が過ぎると思うのだけど」
「えっフランちゃんがそれ言っちゃう?」
「何のことかしら」
……こいしは時折不思議なことを言うけれど、今度のそれはとっておきだ。私の話はお姉様にも「随分と分かり易くなった」などと評判なのだが。
「……フランちゃんがそれで良いなら良いんだけどさ」
こいしは大きく溜息を吐いて、それから摘んだ釣糸をくいくいと数度引っ張った。
「んー、そろそろ十分かな?」
「釣れたのね」
「集まったんだよ」
そういえば、この釣竿の先端は確か籠だったか。
私は糸を手繰り上げようと引き寄せて、けれど途中で制止を受けた。止めたこいしは私から竿を奪い取り、一度限界まで糸を沈めて。
「それじゃあフランちゃん、ちゃーんと見ててね!」
そして。
手にした竿を、一気に跳ね上げた。
◆ ◆ ◆
それは、石だった。数百年重ねた私の理学的知識は、そう断じた。
それは、花だった。数百年重ねた私の文化的感性は、そう評した。
それは、屍だった。数百年生きた私の吸血鬼的直感は、そう判じた。
籠から溢れ、零れ落ちていく紫色の結晶体。天井にぶつかり撒き散らされたそれらは、そのまま宙を舞いながら仄かに灯りを反射する。
物に語られる花吹雪とやらは、きっとこのようなものなのだろう。私はそのようにその光景を読み解いて、けれど同時に、舞い散るそれらが致命的なまでに花吹雪とは異質であるのを感じ取っていた。
つまり、その舞い散る晶状体は、芳しいまでの死の匂いを振り撒いていたから。
「石桜って言うんだよ」
と、こいしが言った。
桜、ね。と私は応えた。
私が話に聞いた「桜」とは、もう少し明るい色をして、もう少し丸い形をして、何よりこのように死臭を撒き散らしたりはしないものである筈なのだが。
「でもほら、言うでしょ? 桜の下には死体がある、って」
「血の色だものね」
「私は地底の住人だもん、根っこの方を見慣れているのは何にも不思議じゃないでしょ?」
「相槌くらいは欲しかったわ」
肩を竦めて、けれど、まあ。
分からなくもない話ではあったな、と私は思った。
「地獄のようね」
「廃っても地獄だからねー」
それに何より、石桜の舞うその光景は、破壊的なまでに美しいのだ。そのことを思えば、この結晶を高名な花に喩えたくなるのも仕方のないことなのだろう。
◆ ◆ ◆
宙を漂った桜の結晶は、床に触れるとそのまま溶けるように吸い込まれていく。
「春になるまで沈み続けて、旧都の天蓋に咲き誇るんだよ」
「ふうん」
「うわ露骨に興味なさそう」
「そんなことないわ」
これでも興味は多少あるのだ。
ただ、私がそれを目にすることは恐らく無いのだろうな、と思っただけで。
手元の未知は刺激的だが、遠くの未知は幾らか劣る。未知なる場所に未知なるものがあるのは、ある種の必然であるから。
垣間見ることができるなら、或いは話も異なるのだが……ああ、そうだ。
「写真が欲しいわ」
「写真?」
「次の春に撮ってきて貰えないかしら」
覗き見れないなら遠くの未知だが、写真があるなら手元の未知だ。我ながら良い思い付きである。幾らか伝手は必要なのかもしれないが、こいしの姉ならどうにでもなる筈だ。
そう思いながらこいしを見ると、何故か彼女は惚けた顔で私を見ていた。
「そっか。写真かあ。確かにその手があったっけ」
言葉を染み込ませるようにこいしは数言呟いて、「フランちゃんたらやっぱり頭いいよね」と、にへらと笑いかけながら言う。何を今更当然のことを。
「今日は私ね、なんだか無性に季節外れの桜を見たい気分だったんだ」
「秋桜でも見れば良かったんじゃないかしら」
「だって釣ったら見れるんだもん。コスモス探しにあちこち歩くのも、労力は大して変わんないでしょ?」
知らないが。
でもね、とこいしは言葉を続ける。
「写真を飾っておいたらさ、それでも十分満足できるんじゃないかなって」
そんなものなのだろうか。
本物にとんと縁のない私にはよく分からないことではあるが、けれどこいしが言うのであれば、きっとそんなものなのだろう。
成程と一つ頷いて、ついでにもう一つ。
「なら別に、私の部屋でやる必要は無かったんじゃないの」
先から喉元にあった疑問を、こいしは「分かってないなあ」と一笑に付した。
「石桜は、死体の下に埋まってるんだよ?」
ああ、そうか、と思わず私は声を漏らした。それならここは一等地だろう、と。
紅魔の館 のその下には、血のない死体が埋まっている。
誰でも知っている、暗黙の事実だ。
本来ならば釣針のあるであろう部位には、何故だか籠が取り付けられていた。
こいしがぶんとそれを振るうと、先端の籠はカーペットの中へ小波を立てて吸い込まれた。
相変わらず意味が分からないな、と私は思った。形而上属性存在らしい理不尽ぶりだ。彼女はぜんたい物理法則を何だと思っているのだろうか。
「……愚問だったわね」
「フランちゃんフランちゃん、自己完結されちゃうと私は口を挟めないんだけど」
「自明なことに口を挟む要素があって?」
「えー聞いてみなくちゃ分かんないじゃん」
「なら訊くのだけど、物理法則ってご存知かしら」
「あーうん知ってる知ってる。あれだよね、美味しいやつ」
「知ってたわ」
軽口を叩きながらもこいしは真剣な面持ちだった。釣竿が静かにカーペットへ波紋を広げるその様子を、彼女は瞬き一つすらせずに見つめていた。どこか神秘的なその姿を、私はじっと眺めていた。
こいしのそういう姿を見るのが、私は存外に好きだった。我ながら贅沢な時間の使い方をしているとは思う。仮に私がお姉様のように刺激溢れる生活をしていたとするならば、このような趣味はしていなかっただろうな、という所まで含めて。
当然のこととして、こいしが何をしているのかは未だに私には分らないままだ。釣糸を垂らしているからには何かを釣ろうとしているのだろう。だが何の変哲もない地面の中に如何なる魚が泳いでいるのかは、私の知識では想像も付かない。
別にそれでも良いだろう。こいしに問うことは何時でもできる。一方彼女の真剣な姿は、ごく稀にしか見られない。どちらを優先するべきかなど、考えなくとも自明だった。
◆ ◆ ◆
「飽きた」
「御馳走様」
「なんて?」
ぱちくりと目を瞬かせるこいしに対し、私は何でもないわと手を振ってみせる。こいしが釣糸を床に沈めてから、およそ一時間ほどが経っていた。
竿を抱えてぐてりと転がり、彼女は顔だけをこちらに向けてふにゃりと笑う。気も腑も抜けたようなその顔からは、一瞬前までの真剣ぶりの面影すらも見当たらない。毎度のことだが、よくもそこまで一瞬で切り替えることができるものだ。気質の平坦さを差し引いたとしても、私にはできる気がしない。
「……まーいっか。それよりさーフランちゃん、私の代わりにこの釣竿持っててくれない?」
「構わないけど……」
けれど、しかし、言葉を探す僅かな沈黙。
大地に潜る釣糸などという至極珍妙な現象を、果たして私は扱えるのか。如何に名高き吸血鬼といえど、その性質は物理の側だ。こいしのような概念存在とは畑が違う。受け取った瞬間、大地から糸が弾き出されるならまだ良い方だ。お姉様でも理解に苦しむ理解不能な法則に拠り、ここら一帯の大地が丸ごと吹き飛ぶことすら有り得かねない。
「壊れても承知しないわよ」
「えー大丈夫だよー、だってヤマメさんの特製釣竿だもん。フランちゃんたら心配性ねー」
……まあ、流石に、そこまで言うなら問題ないのだろうけど。
ぐいと手元に押し付けてくるこいしの圧に屈して、私は竿を受け取った。息を止めて数秒。私の緊張とは裏腹に、カーペットには波の一つも立たなかった。
ああ、そうか。
つまりこれは、こいしではなく釣竿の持つ能力なのだ。いつもこいしが異常であるから、すっかり視野が狭まっていた。
「いやいやいや、フランちゃんたら私のことを一体何だと思ってるの?」
「吃驚箱」
「せめて生き物にして?」
「トンチキ形而上概念存在博覧会」
「物質ですらなくなっちゃった……」
流石に冗談半分ではあるが、残り半分は本心だ。思うにこいしは魔道書に似ている。読み解くまでは何が出るのか、全く予想の付かない点などはそっくりだ。
魔道書は良い。インテリアとしても優れている。表紙を、或いは目次の辺りを眺めるだけでも中身の想像で楽しめる。それに何より、身近に未知が潜んでいるのは、その事実だけでも実に刺激的であるのだから。
……などとうっかり言葉にすれば、パチュリーが拗ねてしまうから、決して口にはできないのだけど。
◆ ◆ ◆
気付くと竿が随分しなりを増していた。ぼんやりとしているうちに、かなりの時間が経っていたらしかった。
「フランちゃんは釣りに向いてるみたいだねー」
などと、にこにこしながらこいしは言う。曰く、釣りの才能とは気の長さであるらしい。それなら確かに私の独壇場だろう。贅沢な時間の使い方なら数百年の経験がある。
「後は魚が食い付いたときの竿の手応えぐらいかなー、私が教えてあげられるのは」
「折角なのだしここでついでに教えてほしいものだけど」
此処では釣れないのかしら? そう言いながら波打つ床の水面を指差し問い掛けると、こいしは変人を見るような目で首を傾げた。
「え? 釣れるわけないじゃん」
「新手の精神修行だったの。気付かなかったわ」
「どこからその結論持ってきたのか詳しく教えてほしいかなーって」
「そういえば結局、この糸は何処に繋がっているのかしら」
「今更それ訊く?」
もーフランちゃんたら相変わらずのマイペースね。こいしは困ったように笑って、それから竿の先端に手が触れる距離まで歩み寄った。
カーペットが波にゆらりと揺らめいて、けれどもそれはこいしの足に何ら干渉を起こしてはいないらしかった。
「まあでも」
こいしは釣り糸を摘んで言う。
「蜘蛛の糸が伸びる先なんて決まってるでしょ?」
ああ、成程。
それは確かに私も知っている話だった。
この国に伝わる説話の一つ。極楽浄土から地獄へと伸びる蜘蛛の糸。
「罪人釣りとは洒落てるわね」
「いや釣れないよ? 地獄って言っても旧い方だもん」
「あら残念」
すると恐らく、こいしの言っていた「ヤマメさん」とやらは蜘蛛の妖怪か何かなのだろう。であればこの竿の不条理ぶりにも納得が行く。
「とはいえ、説明不足が過ぎると思うのだけど」
「えっフランちゃんがそれ言っちゃう?」
「何のことかしら」
……こいしは時折不思議なことを言うけれど、今度のそれはとっておきだ。私の話はお姉様にも「随分と分かり易くなった」などと評判なのだが。
「……フランちゃんがそれで良いなら良いんだけどさ」
こいしは大きく溜息を吐いて、それから摘んだ釣糸をくいくいと数度引っ張った。
「んー、そろそろ十分かな?」
「釣れたのね」
「集まったんだよ」
そういえば、この釣竿の先端は確か籠だったか。
私は糸を手繰り上げようと引き寄せて、けれど途中で制止を受けた。止めたこいしは私から竿を奪い取り、一度限界まで糸を沈めて。
「それじゃあフランちゃん、ちゃーんと見ててね!」
そして。
手にした竿を、一気に跳ね上げた。
◆ ◆ ◆
それは、石だった。数百年重ねた私の理学的知識は、そう断じた。
それは、花だった。数百年重ねた私の文化的感性は、そう評した。
それは、屍だった。数百年生きた私の吸血鬼的直感は、そう判じた。
籠から溢れ、零れ落ちていく紫色の結晶体。天井にぶつかり撒き散らされたそれらは、そのまま宙を舞いながら仄かに灯りを反射する。
物に語られる花吹雪とやらは、きっとこのようなものなのだろう。私はそのようにその光景を読み解いて、けれど同時に、舞い散るそれらが致命的なまでに花吹雪とは異質であるのを感じ取っていた。
つまり、その舞い散る晶状体は、芳しいまでの死の匂いを振り撒いていたから。
「石桜って言うんだよ」
と、こいしが言った。
桜、ね。と私は応えた。
私が話に聞いた「桜」とは、もう少し明るい色をして、もう少し丸い形をして、何よりこのように死臭を撒き散らしたりはしないものである筈なのだが。
「でもほら、言うでしょ? 桜の下には死体がある、って」
「血の色だものね」
「私は地底の住人だもん、根っこの方を見慣れているのは何にも不思議じゃないでしょ?」
「相槌くらいは欲しかったわ」
肩を竦めて、けれど、まあ。
分からなくもない話ではあったな、と私は思った。
「地獄のようね」
「廃っても地獄だからねー」
それに何より、石桜の舞うその光景は、破壊的なまでに美しいのだ。そのことを思えば、この結晶を高名な花に喩えたくなるのも仕方のないことなのだろう。
◆ ◆ ◆
宙を漂った桜の結晶は、床に触れるとそのまま溶けるように吸い込まれていく。
「春になるまで沈み続けて、旧都の天蓋に咲き誇るんだよ」
「ふうん」
「うわ露骨に興味なさそう」
「そんなことないわ」
これでも興味は多少あるのだ。
ただ、私がそれを目にすることは恐らく無いのだろうな、と思っただけで。
手元の未知は刺激的だが、遠くの未知は幾らか劣る。未知なる場所に未知なるものがあるのは、ある種の必然であるから。
垣間見ることができるなら、或いは話も異なるのだが……ああ、そうだ。
「写真が欲しいわ」
「写真?」
「次の春に撮ってきて貰えないかしら」
覗き見れないなら遠くの未知だが、写真があるなら手元の未知だ。我ながら良い思い付きである。幾らか伝手は必要なのかもしれないが、こいしの姉ならどうにでもなる筈だ。
そう思いながらこいしを見ると、何故か彼女は惚けた顔で私を見ていた。
「そっか。写真かあ。確かにその手があったっけ」
言葉を染み込ませるようにこいしは数言呟いて、「フランちゃんたらやっぱり頭いいよね」と、にへらと笑いかけながら言う。何を今更当然のことを。
「今日は私ね、なんだか無性に季節外れの桜を見たい気分だったんだ」
「秋桜でも見れば良かったんじゃないかしら」
「だって釣ったら見れるんだもん。コスモス探しにあちこち歩くのも、労力は大して変わんないでしょ?」
知らないが。
でもね、とこいしは言葉を続ける。
「写真を飾っておいたらさ、それでも十分満足できるんじゃないかなって」
そんなものなのだろうか。
本物にとんと縁のない私にはよく分からないことではあるが、けれどこいしが言うのであれば、きっとそんなものなのだろう。
成程と一つ頷いて、ついでにもう一つ。
「なら別に、私の部屋でやる必要は無かったんじゃないの」
先から喉元にあった疑問を、こいしは「分かってないなあ」と一笑に付した。
「石桜は、死体の下に埋まってるんだよ?」
ああ、そうか、と思わず私は声を漏らした。それならここは一等地だろう、と。
誰でも知っている、暗黙の事実だ。
そして糸の繋がる先や釣り上げた?もののセンスは流石だなぁと。
洒落が聞いててよかったです。
釣り糸を文字通りの蜘蛛の糸として書きつつ昔話のそれとしても見立てるセンス、そして釣り上げてからそれが何であるかをフランちゃんの知識や経験を以て語る石桜の描き方は特に綺麗で洒落ていて良かったなと。
あとフランちゃんが釣りに向いてるという記述やそれに自分自身同意してるフランちゃんの描写が凄く「そうだろうなあ」って感じがして好きです。
桜の下には、とうところで旧地獄と紅魔館と互いの住む世界を重ならせるところがこいフラ的にもよかったです。
相変わらず掴みどころのないこいしちゃんがとてもよかったです
カーペットで釣りとか尋常の発想ではないです
二人の距離感と最後のオチが特に良かったです。