如月ももうすぐ終わる頃、なんとなしにアンニュイな気分だった穣子は、寝っ転がって芋をかじりながら、姉が貸本屋から借りてきた本を読んでいた。
その名も『スチャラカ! 冬はやっぱり鍋料理 なんちゃったりして!』
どうやらコメディアンか何かが書いたらしく、おちゃらけた文体と軽いノリが続き、文の内容が全く頭に入ってこないような、外の世界の大衆本なのだが、その中に気になる記述があった。
なんでも外の世界には『えのき』という食材があるというのだ。
それは白くて細く、まるでそうめんを短くしたような物体であり、その本によれば、炒め物や鍋料理、果ては揚げ物なんかとの相性が、この上なく『バッチグーグーハンバーグー!』とのこと。(ちなみにこれはこの本の筆者の持ちネタの一つらしい)
もちろん幻想郷にも、えのきは存在するが、普通の茶色いキノコの姿をした外の世界のものとは似ても似つかぬシロモノだ。
いや、むしろ外の世界のえのきが、こっちの姿とかけ離れているのであり、それを不思議に思った穣子は、よせばいいのに、はるばるある者の元を訪ねるのだった。
◯
「――で、わざわざ私のところにきたってわけなんですか……」
居酒屋の開店準備を進めていたミスティア・ローレライは、思わぬ来訪者に、困惑の色を隠しもせず、ため息をつきながら料理の下ごしらえにいそしんでいる。
「そうなのよー。みすちー。ほらさー、あなた料理人でしょー? 料理人なら食材にも詳しいと思ってさー」
などと言いながら、仕込み中の煮物をひょいひょいつまみ食いする穣子から、ミスティアは無言で鍋ごと取り上げると、何事もなかったように告げる。
「そう言われても困りますよ。ここは珍味屋じゃないんですからね」
「でも、えのきくらいはあるでしょ?」
「そりゃあありますよ」
と、言いながら彼女が取り出したえのきは、茶色い傘をした、、普通のつまらないキノコキノコしたえのきだ。すかさず穣子は「違う、そうじゃない」とばかりに首を横に振る。
「私が見たいのはこっちの『えのき』!」
そう言いながら穣子は例の本を彼女に見せる。その写真をまじまじと見ながらミスティアは、首を横に振りながら言う。
「……うーん。こんなえのきは見たことないですね」
「そっかー。そうよねー」
「すいませんね。力になれなくて」
「まー。いいってことよ。私こそ、ごめんねー? 急に押しかけたりしてー」
「いえいえ。おかまいなくですよー」
「そんじゃ、ついでだからこの煮物もらっていくわね」
「ダメです」
「けーちー」
◯
「……で、結局何も成果は上げられなかったってわけね」
そう言って静葉は、涼しげな顔で例の本に目を通している。
「まったくよー。ミスティアのやつったら、煮物くらいくれたっていいじゃないのよー。こちとら常連なんだからさー」
と、ぶーたれている穣子に、静葉は呆れた様子で尋ねる。
「……穣子。あなた、煮物もらいに行ったわけじゃないんでしょ?」
「いや、そうなんだけどさー……。あまりにもあの煮物おいしかったんだもん。里芋と大根とにんじんがほっこり炊けていてー。それはもういい匂いでー。って、ああっ! 話してる間にもよだれが……!」
すっかり頭が煮物神になっている穣子をほっぽって、しばらく本に目を通していた静葉だったが、不意に立ち上がって言い放つ。
「よし。ここは姉さんが一肌脱いであげましょう」
すかさず穣子が反応する。
「え!? 煮物もらってきてくれるの!?」
「違う。えのき」
「あ、そっち?」
「……そっちって。元々えのきの話だったはずでしょ?」
半眼を向ける静葉に、穣子は慌てて返す。
「そ、そういや、そうだったわね! んで、何かツテでもあるの?」
「ええ。外のことに造詣の深い知り合いがいるわ。それじゃ早速行ってくるわね」
「えっ……? 今から? もう夜中よ!?」
「ええ、そうね。いい時間だわ。ま、煮物でも食べて待ってなさい」
あっけにとられている穣子を置いて、静葉はさっさと外へと繰り出した。
◯
彼女がやって来たのは人間の里。
草木も眠る丑三つ時に、かすかに灯りが漏れる家がある。
引き込まれるようにその家へ入ると、こんな時間だというのに数名の客がいる。もっともみんな、もれなく人外の様子だ。
壁には、おそらくこの店の名前だろう。『蚕食鯢呑亭』と書かれた看板が立てかけられてある。
静葉がさっそく進もうとすると、店の者と思わしきピンクの髪の女性に呼び止められてしまう。しかし、かまわず彼女が進むと、その女性は察したのか席まで案内してくれた。
「へぇ。なかなかいい感じじゃない」
その場の雰囲気に浸りながら、静葉はお通しに口をつけようとする。と、その時だ。
「おやおや、どこかで見た顔と思えば……。静葉どのじゃありませぬか」
静葉が声のする方を振り向くとそこに居たのは、妖怪ダヌキの総大将、二ツ岩マミゾウだった。
彼女は頬をほんのり紅く染めながら、いかにも上機嫌そうに、とっくり片手に煮物をつまんでいる。
「あら、久しいわね。化けダヌキさん。あっちの店で見ないと思ったら、こんなところで浮気していたのね」
「ふぉっふぉっふぉ……。浮気なんて人聞きの悪い」
「あら、浮気じゃないとなると、とうとう出禁にでもなったのかしら?」
「ああ、そうそう。ちょっと客に悪戯したのがバレてしまってな……って、そんなわけあるかい!」
「相変わらずノリが良くて何よりね」
「まったく……。冗談が過ぎるぞい」
にやりと笑みを浮かべる静葉に、マミゾウは半眼を向けながら、とっくりを口につける。
「……で、一体何しにここへ。おぬしの事じゃ。ただ呑みに来たというわけではないんじゃろ?」
「ええ、その通りよ。まさにあなたに用事があって来たのよ」
今度はマミゾウが、にやりと笑みを浮かべる。
「……ほほう。この儂に用事とな?」
「ええ。あなたは外から来た妖怪だからね」
「……ふむ。つまり外のことに関してということじゃな? ふぉっふぉっふぉ。外の世界のことなら儂にまかせるがよい。何でも答えてしんぜようぞ!」
マミゾウは自信満々に言い放つと、胸をどんとたたく。酔いも手伝ってか、いつにもまして自信過剰になってるようだ。
「では、さっそく。こいつに関してなんだけど……」
静葉は例の文献を取り出して写真を見せる。
マミゾウは目をこらしてその写真を見ると、拍子抜けしたような表情で彼女に言う。
「……なんじゃこれは。ひょっとして、えのきか……?」
「やっぱり知っているのね」
「こいつがどうかしたのか?」
「これは外の世界のえのきなんでしょ?」
静葉の問いにマミゾウは「ああ」といった感じに頷きながら答える。
「……確かにこっちに来てからは、とんと見ておらんな。そうか、こっちにはいないのか。こいつは」
「こいつは一体何者なの?」
静葉の問いにマミゾウは、したり顔で答える。
「ああ、こいつはな。もやしの同属じゃよ」
「もやしの同属?」
「ほれ、なんとなく両者、他人に見えないじゃろ?」
「……言われてみたら確かにそうね。腹違いの兄と弟みたいな雰囲気を醸し出してるわ」
「そう。こいつは兄のもやしと同じく日陰で育てられたのじゃよ。故に、こんな頼りない姿をしておる」
「ようするに闇落ちしたエノキタケって事ね」
「しかも、こんなに貧相で、負のオーラをまとっておるのに、生意気に美味いところも、もやしそっくりなんじゃよ」
「へえ。闇キャラのくせに美味いのね。幻想郷でこいつを食べる方法はないの?」
静葉の問いに頬に手を当てながらマミゾウが答える。
「ふむ。そうじゃのう……。育て方は難しくないから、栽培技術を確立させれば可能ではあるだろうが……」
「技術……。と、なるとやっぱり河童たちかしら」
「おお、確かにあいつらなら再現できそうではあるな。よし、ここはいっちょ儂が取り合ってみようか」
「あら、本当? うれしいわ。でも、大丈夫? あいつらって、変な条件突きつけてきそうな気がするけど……」
「ふぉっふぉっふぉ! まぁ、この儂にまかせとけ! 大船に乗ったつもりでいるがよい!」
と、自信満々に言い放つマミゾウ。それを見た静葉は大船というより泥船だろう、タヌキだけに。と、一抹の不安を覚えるのだった。
◯
それから約一ヶ月くらい経ち、春も近づき、草木も賑やかになり出した頃、静葉たちの家に、意気揚々とマミゾウがやってくる。
なんでも、えのきの栽培が成功したらしく、その試作品を二人の元へ持ってきたのだという。
さっそく煮込んで、醤油とかで適当に味付けして食べてみると、それは想像以上に美味しかった。
「うまっ!? なにこれ、うまぁっ!! こんなのいくらでも食えるわ! うまあっ!!」
「予想以上の美味しさだわ。煮汁がえのきによく染み込んでいる。これからお花見の季節だから、酒のお供なんかに最適ね」
驚く二人にマミゾウが得意げに胸を張って言う。
「ほーれほれ、どうじゃ! 儂にまかせて正解だったろう?」
「うまぁ! うまあっ!」
「ええ、そうね。見直したわ。ただのいたずらダヌキじゃなかったのね」
「ふぉっふぉっふぉ! もっと褒めてもいいんじゃぞ!」
と、得意満面に胸を張るマミゾウ。その様子は、もはや、たぬきと言うよりも天狗だ。
そのとき、それまでひたすらえのきを、わしわしとむさぼり食っていた穣子が、ふと呟くように言う。
「……ところでさー。これってこっちの世界でも流通するようになるの?」
「……む? と、いうと」
「いや、ほら、外の世界ではこれ広く流通してるんでしょー? こっちでも誰でも食べられるようになるのかなって」
静葉が続く。
「……確かにそうね。これがどこでも手に入るようになれば、もっと美味しい調理法とか出てくるかもしれない。これを幻想郷に広げてみるのも悪くなさそうね」
すかさずマミゾウが答える。
「……ああ、すまんがそれは無理じゃ」
「あら、どうして?」
「なんで!?」
二人の問いにマミゾウは、ばつが悪そうに、目をそらしながら答える。
「……いやぁ、実はな。このえのきの栽培を頼んだ際に、向こうからの条件として、もし成功したらこの栽培技術を独占していいかと言われてな……」
「……え!? もしかしてそれを認めちゃったの!?」
「うむ……。まぁ」
と、頭をかくマミゾウに穣子が言い放つ。
「なにしてくれてんのよ!? このバカダヌキ!」
すかさずマミゾウが言い返す。
「ばっ、バカダヌキとは何じゃ!? 儂が交渉しなかったら、こいつは幻想郷では食えんかったのじゃぞ!?」
「それはそれ、これはこれ! もういいわ! 私、にとりに会って交渉してくる! こんな美味いものを独り占めなんて絶対許さない!」
「ちょっと穣子。待ちな……」
静葉の制止も聞かず穣子は、そのまますっ飛んで行ってしまう。
「まったくもう……」
まるで沸騰したヤカン。引火した爆薬庫。一度火がついたらもう止まらない穣子の様子に思わずため息をつく静葉だった。
◯
「……あんの、腐れへちゃむくれ河童め! こんな美味いものを独り占めしようだなんて絶対させないんだからねっ!」
穣子は、鬼もおののくような、すさまじい勢いで、にとりの研究所へ乗り込むと、まるで焼けた芋のように顔を真っ赤にして、部屋でくつろいでいたにとりに詰め寄った。
「やいやいやいやい!! この腐れ河童ぁ!」
「ななななななななななななに!?」
突然、家に乗り込まれたうえに、凄い剣幕で怒鳴られたにとりは、思わず吹っ飛ぶように飛び退く。さながら八艘跳びならず十艘跳びといった様相だ。義経も真っ青である。
かまわず穣子は更に詰め寄ると、凄みを効かせた声で言い放つ。
「聞いた話によると、何だってぇ? あんたら河童どもは、えのきを独占しようとしてるとか、してないとか? ……そんなの例え天が許しても、この穣子様が許さないんだからね!」
「えっ……。あ、そんなことで……?」
「そんなこととは何よ!!?」
「ひぃー!?」
雷のような穣子の物言いに、にとりは思わず悲鳴を上げる。
「あんな美味いものを独り占めしようなんて不届き千万無礼者めが! あんたのような悪の秘密結社の親玉は、私が正義の名において、芋にかわっておしおきしてやる!」
「ま、待って! 話せばわかる!」
「問答無用!」
怒りがトップギアに達した穣子が、弾幕を構築してハデにぶっ放そうとしたそのときだ。
「静葉きりもみ反転きーっく」
かけ声とともに、穣子の背中に静葉の華麗な跳び蹴りが炸裂する。
「イヤァーーーーーーー!」
蹴りを食らった穣子は、悲鳴を上げながら、もんどり打って吹っ飛ぶ。
「まったくもう……。食い物のことになると見境ないんだから」
静葉はそう呟くと、窓を突き破ってそのまま外にすっ飛んでいく穣子を、ちらりと見やる。
「……はぁ。もう、一体何事なのさ……」
「ごめんなさい。お騒がせしたわね」
「まったくだよ……」
うんざりした様子のにとりに、静葉は笑みを浮かべて尋ねる。
「……ところでにとり、話があるんだけど。……ちょっといいかしら……?」
「ひっ!?」
その静葉の表情を見たにとりは、思わず顔を引きつらせた。
◯
「……と、いうわけよ」
「ほえぇーーー……」
静葉の話を聞いた穣子は、思わず呆けた顔で鳴いた。
と、いうのも、にとりはえのきを幻想郷に広げたいなら、その条件として、えのきが美味しい食材であるという証拠を見せろと言ってきたのだ。
にとりからすれば、えのきは希少価値のある貴重品という認識であり、下手に流通させてしまうと、その価値が下がってしまう恐れがある。それならば、流通させるだけの食用価値があるのか示して欲しいということなのである。
「……あいつ、また面倒な条件つきつけてきたもんだわねぇー」
「誰かさんが特攻したりしなければ、もう少し穏便に済んだかもしれないけどね」
「うっ……!? だ、だって仕方ないのよ! あいつあんな美味いものを……」
「はいはい、わかったわ。済んだこと言っても仕方ないから先のことを考えましょ」
「って、言うけどさー……。あいつを料理で満足させる方法なんてあるの? どうせ、きゅうりと酒以外の味なんてわからないでしょーあいつ」
と、面倒そうにごろんと床に寝っ転がる穣子。すると静葉が彼女に言い放つ。
「そうだわ。穣子。この問題はあなたが解決しなさいな」
「えー? なんでよー?」
「この問題の解決は、あなたの方が適してるわ。それじゃよろしく」
そう言うなり静葉は家を出て行ってしまう。
「はぁ!? ちょっと待ってよ!?」
いや、確かに姉は料理の腕が、壊滅的に壊滅しているので、その選択は決して間違っていない。間違ってはいないが、だからと言ってどうしろというのか。
穣子は思わず天を仰ぎ、しばらく考え込んでいたが、そのうち何やら妙案を思いついたらしく、にやっと笑みを浮かべると、早速、家を飛び出した。
◯
「――で、わざわざ私のところにきたってわけなんですか……」
居酒屋の開店準備を進めていたミスティア・ローレライは、思わぬ来訪者に、困惑の色を隠しもせず、料理の下ごしらえにいそしんでいる。
「そうなのよー。みすちー。ほらさー、あなた料理人でしょー? 料理人なら食材にも詳しいと思ってさー」
「……って、前もこんなやりとりありませんでした?」
「えー。そうだっけ……?」
と、首をかしげる穣子に、ミスティアはため息をついて告げる。
「とにかく、私は忙しいんで、用が済んだらとっとと帰って下さいね」
「はーい。そんじゃ早速だけど……」
と、穣子はミスティアに、えのきを見せる。
「これなんだけどさ」
「なんですかこれ」
「えのきよ」
「えのき……?」
「外の世界の」
「ああ、前見せてくれた本の」
「そうそう!」
「初めて見ました。へぇー。本当に短いそうめんみたいなんですね」
ミスティアは、まじまじとえのきを見つめる。
「そんでね。これをにとりの奴が、美味いって言う料理にして欲しいのよ」
「へっ……?」
思わず目を丸くするミスティアに、穣子は事のいきさつを伝える。
「実はねー。かくかくしかじか、うんぬんかんぬん……ってわけでさー」
「……はぁ。つまり、これを使ってにとりさんを納得させる料理を作れば、これが幻想郷に流通するってことですか?」
「そーいうこと、そーいうこと。じゃ、頼んだわよ。えのきの命運はあなたにかかってるわ!」
「え! ちょっと待って下さい……!? なんで私が……」
困惑するミスティアに穣子は、真顔で彼女の肩を叩きながら告げる。
「……ミスティア。私には、数多くの知り合いがいるけど、あんた以上の料理人は知らない……。そう! あなたが私の最後の希望なのよ!」
「そ、そんな、急にそれらしいこと言われても……」
すかさず穣子は耳元でぼそりと呟く。
「……引き受けてくれたら、毎日通って料理頼みまくるわよ?」
ミスティアの目の色がたちまち変わる。
「よし! わかりました! 見てて下さい穣子さん! 料理人の意地ってのを見せてあげますよ!」
「いよー! 流石、天下の料理人ミスティア! それじゃ頼んだわよー!」
盛り上がるミスティアに、拍手を送りながら穣子は「しめしめ、上手くいったわ」と内心ほくそ笑んだ。
◯
「おお、こっちじゃこっちじゃ。ささ、どうぞこちらへ!」
それからしばらくして、すっかり幻想郷は春爛漫の様相となった。
山の桜の木の下にいたマミゾウは、秋姉妹の姿を見かけるなり、呼び寄せる。
と、いうのも今日は、これから皆でお花見という名の、ただの酒飲み大会を開く予定なのだ。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ! しかし、やってくれたのぉ。えのきは今や幻想郷で、もっともナウい食材となっておるぞ? このこの」
上機嫌そうにマミゾウは穣子の肩を小突く。静葉もそれに続く。
「私、信じてたわよ。穣子ならきっとやってくれるってね」
あのあと、穣子のもくろみは見事成功し、ミスティアはにとりを満足させるえのき料理を完成させることが出来た。
それはお湯でさっとゆでたえのきに、細かくしたきゅうりを軽く和えただけシロモノだったが、逆にそのいさぎよさが良かったのか、はたまたシンプルさが功を奏したのか、とにかく彼女の胃袋をわしづかみにすることが出来たのだ。そして約束通り、えのきが市場に出されると、それはたちまち大ヒット商品となり、更に色んな農民が、えのき栽培に手を出し始めた。
今、幻想郷で一番アツい食材は、春キャベツでも菜の花でもない。えのきなのである。
「いやーあははは。それほどでもー……まぁ、あるかなー?」
二人に肩で小突かれながら、思わず照れ笑いを浮かべる穣子。と、その時だ。
「皆さーん。お待たせしましたー!」
料理の入った箱を持ったミスティアがやってくる。
「お!! やっと来おったか! 今日の主役!」
「待ってたわよ。ミスティア」
二人は、すぐさま彼女の方へ駆け寄る。
「わ!? ちょっと!! 急に離れないでよ!? ぎゃあー!?」
支えを失った穣子は、そのまま、どすんと地面にダイブしてしまうが、そんなことお構いなしに、二人はミスティアが持ってきた料理に夢中だ。
「ずるい! 私も混ぜてってばー!」
すかさず穣子が起き上がって三人のところへ向かうと、ミスティアは、からかうような笑顔で彼女にあいさつをかわす。
「あ、うそりこさん、こんにちはー」
「ちょっと、人聞き悪いわね! 誰がうそりこよ!」
「だって、毎日お店来るって言って、来ていないじゃないですかー。うそつき穣子さん。略してうそりこさん」
と、言って半眼を向けるミスティアに穣子は、チッチッチッと指を振りながら告げる。
「それは違うわよミスティア。誰も私が来るなんて一言も言ってないでしょ」
「へ……?」
きょとんとするミスティアに穣子がひそひそと耳打ちする。
「……ほら、今もあいつ来てるんでしょ? 毎日」
「……ああ。……ええ。来ていますよ。毎日」
そう言ってミスティアは、思わず苦笑を浮かべる。
そう、あれからにとりはえのき料理のとりこになってしまったらしく、連日連夜、店に入り浸っては、酒を浴びるように呑み「えのきうめぇー。えのきうめぇー」と、えのきフルコースをむさぼるようになってしまったのだという。
そしていつしか彼女は常連客から『妖怪、えのきうめー』と呼ばれるようになってしまったとか。
「……ま、まあ、そんだけこれが美味しかったってことよね?」
穣子は苦笑を浮かべつつ、器に盛られたえのきの煮物を箸ですくうと、口いっぱいに頬張る。
「ああ! おいしいーっ! しあわせぇー!」
穣子は、思わず喜色満面の笑みをはじけさせた。
その名も『スチャラカ! 冬はやっぱり鍋料理 なんちゃったりして!』
どうやらコメディアンか何かが書いたらしく、おちゃらけた文体と軽いノリが続き、文の内容が全く頭に入ってこないような、外の世界の大衆本なのだが、その中に気になる記述があった。
なんでも外の世界には『えのき』という食材があるというのだ。
それは白くて細く、まるでそうめんを短くしたような物体であり、その本によれば、炒め物や鍋料理、果ては揚げ物なんかとの相性が、この上なく『バッチグーグーハンバーグー!』とのこと。(ちなみにこれはこの本の筆者の持ちネタの一つらしい)
もちろん幻想郷にも、えのきは存在するが、普通の茶色いキノコの姿をした外の世界のものとは似ても似つかぬシロモノだ。
いや、むしろ外の世界のえのきが、こっちの姿とかけ離れているのであり、それを不思議に思った穣子は、よせばいいのに、はるばるある者の元を訪ねるのだった。
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「――で、わざわざ私のところにきたってわけなんですか……」
居酒屋の開店準備を進めていたミスティア・ローレライは、思わぬ来訪者に、困惑の色を隠しもせず、ため息をつきながら料理の下ごしらえにいそしんでいる。
「そうなのよー。みすちー。ほらさー、あなた料理人でしょー? 料理人なら食材にも詳しいと思ってさー」
などと言いながら、仕込み中の煮物をひょいひょいつまみ食いする穣子から、ミスティアは無言で鍋ごと取り上げると、何事もなかったように告げる。
「そう言われても困りますよ。ここは珍味屋じゃないんですからね」
「でも、えのきくらいはあるでしょ?」
「そりゃあありますよ」
と、言いながら彼女が取り出したえのきは、茶色い傘をした、、普通のつまらないキノコキノコしたえのきだ。すかさず穣子は「違う、そうじゃない」とばかりに首を横に振る。
「私が見たいのはこっちの『えのき』!」
そう言いながら穣子は例の本を彼女に見せる。その写真をまじまじと見ながらミスティアは、首を横に振りながら言う。
「……うーん。こんなえのきは見たことないですね」
「そっかー。そうよねー」
「すいませんね。力になれなくて」
「まー。いいってことよ。私こそ、ごめんねー? 急に押しかけたりしてー」
「いえいえ。おかまいなくですよー」
「そんじゃ、ついでだからこの煮物もらっていくわね」
「ダメです」
「けーちー」
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「……で、結局何も成果は上げられなかったってわけね」
そう言って静葉は、涼しげな顔で例の本に目を通している。
「まったくよー。ミスティアのやつったら、煮物くらいくれたっていいじゃないのよー。こちとら常連なんだからさー」
と、ぶーたれている穣子に、静葉は呆れた様子で尋ねる。
「……穣子。あなた、煮物もらいに行ったわけじゃないんでしょ?」
「いや、そうなんだけどさー……。あまりにもあの煮物おいしかったんだもん。里芋と大根とにんじんがほっこり炊けていてー。それはもういい匂いでー。って、ああっ! 話してる間にもよだれが……!」
すっかり頭が煮物神になっている穣子をほっぽって、しばらく本に目を通していた静葉だったが、不意に立ち上がって言い放つ。
「よし。ここは姉さんが一肌脱いであげましょう」
すかさず穣子が反応する。
「え!? 煮物もらってきてくれるの!?」
「違う。えのき」
「あ、そっち?」
「……そっちって。元々えのきの話だったはずでしょ?」
半眼を向ける静葉に、穣子は慌てて返す。
「そ、そういや、そうだったわね! んで、何かツテでもあるの?」
「ええ。外のことに造詣の深い知り合いがいるわ。それじゃ早速行ってくるわね」
「えっ……? 今から? もう夜中よ!?」
「ええ、そうね。いい時間だわ。ま、煮物でも食べて待ってなさい」
あっけにとられている穣子を置いて、静葉はさっさと外へと繰り出した。
◯
彼女がやって来たのは人間の里。
草木も眠る丑三つ時に、かすかに灯りが漏れる家がある。
引き込まれるようにその家へ入ると、こんな時間だというのに数名の客がいる。もっともみんな、もれなく人外の様子だ。
壁には、おそらくこの店の名前だろう。『蚕食鯢呑亭』と書かれた看板が立てかけられてある。
静葉がさっそく進もうとすると、店の者と思わしきピンクの髪の女性に呼び止められてしまう。しかし、かまわず彼女が進むと、その女性は察したのか席まで案内してくれた。
「へぇ。なかなかいい感じじゃない」
その場の雰囲気に浸りながら、静葉はお通しに口をつけようとする。と、その時だ。
「おやおや、どこかで見た顔と思えば……。静葉どのじゃありませぬか」
静葉が声のする方を振り向くとそこに居たのは、妖怪ダヌキの総大将、二ツ岩マミゾウだった。
彼女は頬をほんのり紅く染めながら、いかにも上機嫌そうに、とっくり片手に煮物をつまんでいる。
「あら、久しいわね。化けダヌキさん。あっちの店で見ないと思ったら、こんなところで浮気していたのね」
「ふぉっふぉっふぉ……。浮気なんて人聞きの悪い」
「あら、浮気じゃないとなると、とうとう出禁にでもなったのかしら?」
「ああ、そうそう。ちょっと客に悪戯したのがバレてしまってな……って、そんなわけあるかい!」
「相変わらずノリが良くて何よりね」
「まったく……。冗談が過ぎるぞい」
にやりと笑みを浮かべる静葉に、マミゾウは半眼を向けながら、とっくりを口につける。
「……で、一体何しにここへ。おぬしの事じゃ。ただ呑みに来たというわけではないんじゃろ?」
「ええ、その通りよ。まさにあなたに用事があって来たのよ」
今度はマミゾウが、にやりと笑みを浮かべる。
「……ほほう。この儂に用事とな?」
「ええ。あなたは外から来た妖怪だからね」
「……ふむ。つまり外のことに関してということじゃな? ふぉっふぉっふぉ。外の世界のことなら儂にまかせるがよい。何でも答えてしんぜようぞ!」
マミゾウは自信満々に言い放つと、胸をどんとたたく。酔いも手伝ってか、いつにもまして自信過剰になってるようだ。
「では、さっそく。こいつに関してなんだけど……」
静葉は例の文献を取り出して写真を見せる。
マミゾウは目をこらしてその写真を見ると、拍子抜けしたような表情で彼女に言う。
「……なんじゃこれは。ひょっとして、えのきか……?」
「やっぱり知っているのね」
「こいつがどうかしたのか?」
「これは外の世界のえのきなんでしょ?」
静葉の問いにマミゾウは「ああ」といった感じに頷きながら答える。
「……確かにこっちに来てからは、とんと見ておらんな。そうか、こっちにはいないのか。こいつは」
「こいつは一体何者なの?」
静葉の問いにマミゾウは、したり顔で答える。
「ああ、こいつはな。もやしの同属じゃよ」
「もやしの同属?」
「ほれ、なんとなく両者、他人に見えないじゃろ?」
「……言われてみたら確かにそうね。腹違いの兄と弟みたいな雰囲気を醸し出してるわ」
「そう。こいつは兄のもやしと同じく日陰で育てられたのじゃよ。故に、こんな頼りない姿をしておる」
「ようするに闇落ちしたエノキタケって事ね」
「しかも、こんなに貧相で、負のオーラをまとっておるのに、生意気に美味いところも、もやしそっくりなんじゃよ」
「へえ。闇キャラのくせに美味いのね。幻想郷でこいつを食べる方法はないの?」
静葉の問いに頬に手を当てながらマミゾウが答える。
「ふむ。そうじゃのう……。育て方は難しくないから、栽培技術を確立させれば可能ではあるだろうが……」
「技術……。と、なるとやっぱり河童たちかしら」
「おお、確かにあいつらなら再現できそうではあるな。よし、ここはいっちょ儂が取り合ってみようか」
「あら、本当? うれしいわ。でも、大丈夫? あいつらって、変な条件突きつけてきそうな気がするけど……」
「ふぉっふぉっふぉ! まぁ、この儂にまかせとけ! 大船に乗ったつもりでいるがよい!」
と、自信満々に言い放つマミゾウ。それを見た静葉は大船というより泥船だろう、タヌキだけに。と、一抹の不安を覚えるのだった。
◯
それから約一ヶ月くらい経ち、春も近づき、草木も賑やかになり出した頃、静葉たちの家に、意気揚々とマミゾウがやってくる。
なんでも、えのきの栽培が成功したらしく、その試作品を二人の元へ持ってきたのだという。
さっそく煮込んで、醤油とかで適当に味付けして食べてみると、それは想像以上に美味しかった。
「うまっ!? なにこれ、うまぁっ!! こんなのいくらでも食えるわ! うまあっ!!」
「予想以上の美味しさだわ。煮汁がえのきによく染み込んでいる。これからお花見の季節だから、酒のお供なんかに最適ね」
驚く二人にマミゾウが得意げに胸を張って言う。
「ほーれほれ、どうじゃ! 儂にまかせて正解だったろう?」
「うまぁ! うまあっ!」
「ええ、そうね。見直したわ。ただのいたずらダヌキじゃなかったのね」
「ふぉっふぉっふぉ! もっと褒めてもいいんじゃぞ!」
と、得意満面に胸を張るマミゾウ。その様子は、もはや、たぬきと言うよりも天狗だ。
そのとき、それまでひたすらえのきを、わしわしとむさぼり食っていた穣子が、ふと呟くように言う。
「……ところでさー。これってこっちの世界でも流通するようになるの?」
「……む? と、いうと」
「いや、ほら、外の世界ではこれ広く流通してるんでしょー? こっちでも誰でも食べられるようになるのかなって」
静葉が続く。
「……確かにそうね。これがどこでも手に入るようになれば、もっと美味しい調理法とか出てくるかもしれない。これを幻想郷に広げてみるのも悪くなさそうね」
すかさずマミゾウが答える。
「……ああ、すまんがそれは無理じゃ」
「あら、どうして?」
「なんで!?」
二人の問いにマミゾウは、ばつが悪そうに、目をそらしながら答える。
「……いやぁ、実はな。このえのきの栽培を頼んだ際に、向こうからの条件として、もし成功したらこの栽培技術を独占していいかと言われてな……」
「……え!? もしかしてそれを認めちゃったの!?」
「うむ……。まぁ」
と、頭をかくマミゾウに穣子が言い放つ。
「なにしてくれてんのよ!? このバカダヌキ!」
すかさずマミゾウが言い返す。
「ばっ、バカダヌキとは何じゃ!? 儂が交渉しなかったら、こいつは幻想郷では食えんかったのじゃぞ!?」
「それはそれ、これはこれ! もういいわ! 私、にとりに会って交渉してくる! こんな美味いものを独り占めなんて絶対許さない!」
「ちょっと穣子。待ちな……」
静葉の制止も聞かず穣子は、そのまますっ飛んで行ってしまう。
「まったくもう……」
まるで沸騰したヤカン。引火した爆薬庫。一度火がついたらもう止まらない穣子の様子に思わずため息をつく静葉だった。
◯
「……あんの、腐れへちゃむくれ河童め! こんな美味いものを独り占めしようだなんて絶対させないんだからねっ!」
穣子は、鬼もおののくような、すさまじい勢いで、にとりの研究所へ乗り込むと、まるで焼けた芋のように顔を真っ赤にして、部屋でくつろいでいたにとりに詰め寄った。
「やいやいやいやい!! この腐れ河童ぁ!」
「ななななななななななななに!?」
突然、家に乗り込まれたうえに、凄い剣幕で怒鳴られたにとりは、思わず吹っ飛ぶように飛び退く。さながら八艘跳びならず十艘跳びといった様相だ。義経も真っ青である。
かまわず穣子は更に詰め寄ると、凄みを効かせた声で言い放つ。
「聞いた話によると、何だってぇ? あんたら河童どもは、えのきを独占しようとしてるとか、してないとか? ……そんなの例え天が許しても、この穣子様が許さないんだからね!」
「えっ……。あ、そんなことで……?」
「そんなこととは何よ!!?」
「ひぃー!?」
雷のような穣子の物言いに、にとりは思わず悲鳴を上げる。
「あんな美味いものを独り占めしようなんて不届き千万無礼者めが! あんたのような悪の秘密結社の親玉は、私が正義の名において、芋にかわっておしおきしてやる!」
「ま、待って! 話せばわかる!」
「問答無用!」
怒りがトップギアに達した穣子が、弾幕を構築してハデにぶっ放そうとしたそのときだ。
「静葉きりもみ反転きーっく」
かけ声とともに、穣子の背中に静葉の華麗な跳び蹴りが炸裂する。
「イヤァーーーーーーー!」
蹴りを食らった穣子は、悲鳴を上げながら、もんどり打って吹っ飛ぶ。
「まったくもう……。食い物のことになると見境ないんだから」
静葉はそう呟くと、窓を突き破ってそのまま外にすっ飛んでいく穣子を、ちらりと見やる。
「……はぁ。もう、一体何事なのさ……」
「ごめんなさい。お騒がせしたわね」
「まったくだよ……」
うんざりした様子のにとりに、静葉は笑みを浮かべて尋ねる。
「……ところでにとり、話があるんだけど。……ちょっといいかしら……?」
「ひっ!?」
その静葉の表情を見たにとりは、思わず顔を引きつらせた。
◯
「……と、いうわけよ」
「ほえぇーーー……」
静葉の話を聞いた穣子は、思わず呆けた顔で鳴いた。
と、いうのも、にとりはえのきを幻想郷に広げたいなら、その条件として、えのきが美味しい食材であるという証拠を見せろと言ってきたのだ。
にとりからすれば、えのきは希少価値のある貴重品という認識であり、下手に流通させてしまうと、その価値が下がってしまう恐れがある。それならば、流通させるだけの食用価値があるのか示して欲しいということなのである。
「……あいつ、また面倒な条件つきつけてきたもんだわねぇー」
「誰かさんが特攻したりしなければ、もう少し穏便に済んだかもしれないけどね」
「うっ……!? だ、だって仕方ないのよ! あいつあんな美味いものを……」
「はいはい、わかったわ。済んだこと言っても仕方ないから先のことを考えましょ」
「って、言うけどさー……。あいつを料理で満足させる方法なんてあるの? どうせ、きゅうりと酒以外の味なんてわからないでしょーあいつ」
と、面倒そうにごろんと床に寝っ転がる穣子。すると静葉が彼女に言い放つ。
「そうだわ。穣子。この問題はあなたが解決しなさいな」
「えー? なんでよー?」
「この問題の解決は、あなたの方が適してるわ。それじゃよろしく」
そう言うなり静葉は家を出て行ってしまう。
「はぁ!? ちょっと待ってよ!?」
いや、確かに姉は料理の腕が、壊滅的に壊滅しているので、その選択は決して間違っていない。間違ってはいないが、だからと言ってどうしろというのか。
穣子は思わず天を仰ぎ、しばらく考え込んでいたが、そのうち何やら妙案を思いついたらしく、にやっと笑みを浮かべると、早速、家を飛び出した。
◯
「――で、わざわざ私のところにきたってわけなんですか……」
居酒屋の開店準備を進めていたミスティア・ローレライは、思わぬ来訪者に、困惑の色を隠しもせず、料理の下ごしらえにいそしんでいる。
「そうなのよー。みすちー。ほらさー、あなた料理人でしょー? 料理人なら食材にも詳しいと思ってさー」
「……って、前もこんなやりとりありませんでした?」
「えー。そうだっけ……?」
と、首をかしげる穣子に、ミスティアはため息をついて告げる。
「とにかく、私は忙しいんで、用が済んだらとっとと帰って下さいね」
「はーい。そんじゃ早速だけど……」
と、穣子はミスティアに、えのきを見せる。
「これなんだけどさ」
「なんですかこれ」
「えのきよ」
「えのき……?」
「外の世界の」
「ああ、前見せてくれた本の」
「そうそう!」
「初めて見ました。へぇー。本当に短いそうめんみたいなんですね」
ミスティアは、まじまじとえのきを見つめる。
「そんでね。これをにとりの奴が、美味いって言う料理にして欲しいのよ」
「へっ……?」
思わず目を丸くするミスティアに、穣子は事のいきさつを伝える。
「実はねー。かくかくしかじか、うんぬんかんぬん……ってわけでさー」
「……はぁ。つまり、これを使ってにとりさんを納得させる料理を作れば、これが幻想郷に流通するってことですか?」
「そーいうこと、そーいうこと。じゃ、頼んだわよ。えのきの命運はあなたにかかってるわ!」
「え! ちょっと待って下さい……!? なんで私が……」
困惑するミスティアに穣子は、真顔で彼女の肩を叩きながら告げる。
「……ミスティア。私には、数多くの知り合いがいるけど、あんた以上の料理人は知らない……。そう! あなたが私の最後の希望なのよ!」
「そ、そんな、急にそれらしいこと言われても……」
すかさず穣子は耳元でぼそりと呟く。
「……引き受けてくれたら、毎日通って料理頼みまくるわよ?」
ミスティアの目の色がたちまち変わる。
「よし! わかりました! 見てて下さい穣子さん! 料理人の意地ってのを見せてあげますよ!」
「いよー! 流石、天下の料理人ミスティア! それじゃ頼んだわよー!」
盛り上がるミスティアに、拍手を送りながら穣子は「しめしめ、上手くいったわ」と内心ほくそ笑んだ。
◯
「おお、こっちじゃこっちじゃ。ささ、どうぞこちらへ!」
それからしばらくして、すっかり幻想郷は春爛漫の様相となった。
山の桜の木の下にいたマミゾウは、秋姉妹の姿を見かけるなり、呼び寄せる。
と、いうのも今日は、これから皆でお花見という名の、ただの酒飲み大会を開く予定なのだ。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ! しかし、やってくれたのぉ。えのきは今や幻想郷で、もっともナウい食材となっておるぞ? このこの」
上機嫌そうにマミゾウは穣子の肩を小突く。静葉もそれに続く。
「私、信じてたわよ。穣子ならきっとやってくれるってね」
あのあと、穣子のもくろみは見事成功し、ミスティアはにとりを満足させるえのき料理を完成させることが出来た。
それはお湯でさっとゆでたえのきに、細かくしたきゅうりを軽く和えただけシロモノだったが、逆にそのいさぎよさが良かったのか、はたまたシンプルさが功を奏したのか、とにかく彼女の胃袋をわしづかみにすることが出来たのだ。そして約束通り、えのきが市場に出されると、それはたちまち大ヒット商品となり、更に色んな農民が、えのき栽培に手を出し始めた。
今、幻想郷で一番アツい食材は、春キャベツでも菜の花でもない。えのきなのである。
「いやーあははは。それほどでもー……まぁ、あるかなー?」
二人に肩で小突かれながら、思わず照れ笑いを浮かべる穣子。と、その時だ。
「皆さーん。お待たせしましたー!」
料理の入った箱を持ったミスティアがやってくる。
「お!! やっと来おったか! 今日の主役!」
「待ってたわよ。ミスティア」
二人は、すぐさま彼女の方へ駆け寄る。
「わ!? ちょっと!! 急に離れないでよ!? ぎゃあー!?」
支えを失った穣子は、そのまま、どすんと地面にダイブしてしまうが、そんなことお構いなしに、二人はミスティアが持ってきた料理に夢中だ。
「ずるい! 私も混ぜてってばー!」
すかさず穣子が起き上がって三人のところへ向かうと、ミスティアは、からかうような笑顔で彼女にあいさつをかわす。
「あ、うそりこさん、こんにちはー」
「ちょっと、人聞き悪いわね! 誰がうそりこよ!」
「だって、毎日お店来るって言って、来ていないじゃないですかー。うそつき穣子さん。略してうそりこさん」
と、言って半眼を向けるミスティアに穣子は、チッチッチッと指を振りながら告げる。
「それは違うわよミスティア。誰も私が来るなんて一言も言ってないでしょ」
「へ……?」
きょとんとするミスティアに穣子がひそひそと耳打ちする。
「……ほら、今もあいつ来てるんでしょ? 毎日」
「……ああ。……ええ。来ていますよ。毎日」
そう言ってミスティアは、思わず苦笑を浮かべる。
そう、あれからにとりはえのき料理のとりこになってしまったらしく、連日連夜、店に入り浸っては、酒を浴びるように呑み「えのきうめぇー。えのきうめぇー」と、えのきフルコースをむさぼるようになってしまったのだという。
そしていつしか彼女は常連客から『妖怪、えのきうめー』と呼ばれるようになってしまったとか。
「……ま、まあ、そんだけこれが美味しかったってことよね?」
穣子は苦笑を浮かべつつ、器に盛られたえのきの煮物を箸ですくうと、口いっぱいに頬張る。
「ああ! おいしいーっ! しあわせぇー!」
穣子は、思わず喜色満面の笑みをはじけさせた。
ミスティアの再登場で笑ってしまいました
えのき食べに行こう