時はいやおうなしに進んでいく。その過程で私たちは何かを会得し、そして、会得した分よりはるかに多く、何かを失っている。
1
これは人間である私の物語だ。
この物語は今年の3月31日、つまり一か月と3日前の正午ごろ、時刻にすると12時8分に始まり、その一週間後の4月7日の11時59分に終了する。
この一週間の間、私は家を留守にして、その間のすべての時間を博麗神社で過ごした。家を留守にすることによって、本に埃が被ること、食糧がネズミに食い荒らされることが心配されたが、実際蓋を開けてみると実害といえるものは何一つとしてなく、強いて言えば、主のいない家に転がる虫の死骸の量が幾分か増えただけだった。
博麗神社の桜は、私が博麗神社に着くころにはすでに満開だった。例年よりも少し早いくらいで、やはり幻想郷は少し温暖化していた。桜が咲く前から私はこの一週間計画について話していて、霊夢から許可はもう取得してあった。
だいたい一週間計画といっても、その大方は「蒐集」だ。博麗神社は幻想郷の東に位置していて、この時期はなぜか若干、結界を越えて幻想郷に流れ着いた外界のものが多くなる。
それの蒐集だ。つまりは大方好奇心。それでその外界の遺物について文章を連ねるか、観察するかといった、ほとんど実に、ならないような無意味なことをやっているのだ。書くことは大体決まっている。例えばもしファミコンの機体を拾ったならば、そのファミコンの形状や色、カセットは何が挿さっていたとか、見たままのことだ。逆にそれしか書かないし、書けない。
猫について書くことができたところで、その猫の飼い主について何も書くことができないのと大体一緒だ。結局は見たものしか書けない。そんなものだ。
水道の水を一杯飲んで、長そでを腕まくりして(とにもかくにも最近の幻想郷は春らしからぬ暑さだ。前だって春告げ精が困惑していたのだ)、実地に向かう。森をあてもなく彷徨うのは、いつも二時間ほどに留めている。それ以上いても、たいていの場合において何にもならない。今日は春には似つかわしくない夏のような気だるい暑さが降りかかる日だ。おそらくだが霊夢はついてこないだろうから早めに切り上げるのを目標にして、家…ではなくて神社を出た。こんな日に活動的になる人間のほうが珍しいのかもしれない。
実地と言っても、神社の敷地内の少し奥に入った鬱蒼とした森の中に行けば、10パーセントほどの確率で、見慣れない何かが落ちている。持ち物は自分の体と、ちょっとしたものを入れるバッグとあたりを照らすライトだけ。あとは忘れてはいけないのが好奇心と活力。
「魔理沙、行くの?」
「ああ。行くぜ」
会話はそれだけだ。
霧雨魔理沙。そうだ。それが私の名前だ。
*
霧雨魔理沙という人間の(それは私のことだ)、過去の断片を語ろう。
母親はとうの昔に死んだ。私が八歳くらいのころだ。母については、私の「お母さん」という幼い声とともにしか覚えていない。笑顔が優しい母だった。たったそれだけだ。
活力ある人間だと幼いながら見ていたが、流行性感冒が彼女の身を侵した。
どれくらいの時間彼女の命が、その感冒に侵されていたか正確な月日は覚えていないが、本当に一瞬のうちにその病は彼女を連れ去った。
その感冒は血を吐くものだった。なぜ血を吐くのかは誰もわからなかった。当時の私は何も知らなかった。母が死にそうだということも、血を吐いていたということも。母は大丈夫だとそう聞かされていて、私もそう信じていた。
それは幼子ゆえに、といえることだったのかもしれないし、幼い子供に血を見せない大人たちの配慮だったのかもしれない。
しかしその経験は、今まさしく霧雨魔理沙、私の思想につながっている。
無知は悪だ。絶対にそうだ。そうに決まっている。
その感冒の特効薬ができたのは、それから二年もあとのことで、その感冒の高い致死率は、完全にとまでは言えないが、ほぼ0になった。その間にたくさんの人間が死んだ。だが誰も、死んだ人間を返せとは言わなかった。そして特効薬の存在に誰もが救われた。
最後に覚えている母の顔は、少なくとも生きているものではなかった。安らかな顔と死に装束は、涙に覆われてぼんやりとした像でしかない。「お母さん、お母さん」と私は涙声で多分装束に縋り付いていた。昔よくしてくれたお手伝いさんも正座して、そのふくよかな腹に涙を落していた。親父は横でじっと母の顔を見ていた。その瞳に何が移っているのか私にはわからなかった。
手足がかじかむ冬の朝のことだった。
*
この一週間でつかんだもの傍から見れば、些末な問題であるし、それによる行動の変化は、本当に些細な、ニホンミツバチであるかセイヨウミツバチであるかというくらいのことに過ぎない。
この一週間に一つ名前を付けるならば…多分こんな感じだ。
1…2…3…えっとこうだ。
「25の無意味で不確かな断章」
2
木漏れ日は確かに美しいが、野暮なことを言えば虫がひどい。多すぎる。
先ほど腕まくりをしたが、結局すぐに戻した。
森には、遺物どころかキノコの一つもなかった。全くどうかしていると嘆きたいところだが、エンカウント率がドラクエの草むらでのモンスターとぶち当たる確率(幻想郷にはドラクエだってあるのだ)くらいに低いのだから、仕方がないことだ。第一こんなところで歎いたって、音が吸われて虚空に消えていくし、もっと歎きたくなる気分に拍車がかかるだけだ。
森は整備という言葉を忘れていて、手つかずのままだった。無限に広がる雑草と広葉樹の群れ。はるか遠くに森にできるギャップから漏れ出る光が、まるでそこが聖地であるかのようにあった。鳥の鳴き声と、虫の奏でる遠い太鼓のような不思議な音と、それしか森にはない。手つかずの森とはこういう森のことを言うのだろう。
好奇心という名の橋はいつだって私を世界に駆り立てる。好奇心がなければ人間は終わっているといっても過言じゃない。もしそれがなければ今ごろ嫌になって、家に引きこもって本を読んで暮らす根暗人間になっているはずだ。
そう言ったところで、何かに出会う確率は限りなく低い。森でクマに会う確率が低いのと、木に登ってハチの巣に頭を突っ込む確率が低いのと、多分同じことだ。
戦闘ウインドウが表示されてRPG式に何かと相対することができるわけではない。遺物探しは、視力は使うし、聴力も使う。触覚も使う。意外と骨が折れる。
カタンと音がした。
それと足に何か当たった感覚がした。
これすなわち地面に何かあったのだ。めったにない発見にわたしはかがんで自前のライトを取り出す。
ぱっとライトが点いて、映し出されたのは、ねじ巻き懐中時計だ。思い切り蹴ってしまっていただろうが傷は一つもついていない。
ねじ巻き時計は、1から12までがローマ数字で刻印されていて、青の文字盤に銀のフレーム。おそらくはこれを作った者の名前か何かが小さく文字列となって書かれていた。歯車は止まっていて、3時37分を指していた。午前か午後かはわからなくて、裏面には「Ewige Wiederkunft」と書かれていた。それが何かはわからない。どこかで聞いたような響きではあったが、思い出せなかった。
触って確かめてみたが、何の変哲もない懐中時計だった。ライトで当たりの土を照らすと、懐中時計が落ちていたすぐそばの土の上に、紙が落ちている。
何の変哲もない紙だ。ぬかるんだ土がついてしまって、その水分でぐちゃっとしている。
「うええ」
変な声が出る。正直こんな紙に触れたくもない。だがこれが好奇心のなせる業だ。こういう蒐集の時はいつもハイな気分になっていて、素面ではできないようなことをやってのけている。それが私の性質だ。多分毒か薬かもわからないキノコだってほおばりそうだし、女神が出てきそうな泉に向かおうものなら、平気で手荷物を泉に投げ込んでしまうかもしれない。例外なく今だってそうだ。素面なら絶対に触らない紙を私は拾っていた。幸いながら表に書かれた文字は判別できた。何が書いてあるかまではわからなかったけれど。
そこにはこう書かれていた。
Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duos eiusdem nominis fas est dividere cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet.
読めやしない。こんなものが世界には山の数ほどある。
*
だいたいそのあとは、一定のエンカウント率に従って、外界物か誰かの落とし物かは知らないが、何かしらの見慣れぬものを拾った。
例えば、ひびの入ったLPレコード
例えば、壊れかけだが電源が入るラジオ
例えば、赤さびが付きに付きまくった鉄の棒
例えば…
例えば…
挙げればきりがないが、そのすべてを私は持ち帰った。
そのすべてが「からん」とか「かたん」とか、無機質な音を立て私のものになった。
からん からん からん からん からん からん… そんな感じ。
どこかまではわからないが、あるところで引き返して今日の探索は終わりだ。これ以上森を探し回っても何も出てこないだろうし、多分神社では今頃霊夢が退屈そうに待っている。待っていないかもしれないが。
どちらにせよ、長居すると多分同じところをぐるぐるとめぐって、路頭に迷うのがオチだ。
多分この森はそういう風にできている。
3
文学について語ろう。
私は母が死んだあと、親父に、いやたくさんの人に、いや世界から多くのことを学び取った。
そのおかげで私はいちおう、四桁足す四桁の足し算だとか、三桁掛ける三桁の掛け算くらいなら暗算でできるし、何のために必要なのかは知らないがピアノだって弾ける。「あんた食べ方がきれいね」と霊夢にだって言われる。微分積分学の基本定理はなぜか知っているし、なぜ空に雲が浮かんでいるか大体の理由を説明することができる。
傍から見ると今となっては魔法に傾倒しているかもしれないが、教養は人よりあるとは思っている。
文学だって私は嗜んだ。魔法について書かれた本だけじゃない。魔法に出会う以前から小説なんか腐るほど読んだし、太古の思想家の思想をまとめた本なんか(それのほとんどを私は理解できなかったのだが)いくらでも読んだ。
惜別を描いた本に涙したこと、人間の本能的な畏怖に震えたこと、数えきれないくらいだ。
言葉はいつだって力があった。
文章の中では、世界は意のままだったはずだ。また文章には、人を震えさせる力がある。指をパチンとならせばきっと何かが起こったはずなのだ。それは空気が震えるとか、音が聞こえるとかリアルテイストが効きすぎていて、興覚めになってしまうようなものでなくて、星が降る幻想とか、人がその文章に涙したりするとか、そういうことだ。
だが現実はそうでないし、文章を書くことは意外にも苦しいマラソンだった。紙の上から書き始めて下に行きつくまでに、紙が屑箱の中に放り去られることなんてたびたびあったし、紙が埋まるのにはよくて一時間、長いときは、3日かかった。
「整合性」が多分すべてにおいて、邪魔をしていた。人間は何にだって整合性を求めるのだ。たとえそれがファンタジアだとしても、それがたとえ夢の中に起きたことだったとしても。
小説家はなぜ、こんなにも物を書くのがうまいのだろう。私の日常は小説の世界ほど煌めいてはいないし、ほかの人間だってそうだ。小説家といわれる人間も、里に何人かいて、その人たちは全員大きいお屋敷に住んでいて、広大な庭に一人墨客ぶっているだろうけど、善良で石を投げれば当たるような平々凡々とした人なのだ。
物書きは、きっと狡猾で嘘つきな人間なのだというあらぬ考えが廻ったこともあった。しかしそれは誤りだ。
小説家とは想像を伝達しているのである。それは嗜虐、寓話、たくさんの形をとる。里にいる少なくとも一定以上の人気を博しているような、才能ある小説家は平々凡々でありながら青春時代の夏とか、推理小説とかを書いている。それは絶対に経験によってなされたものではないはずだ。
経験でしか小説は書けないというのは、才能がないものの逃げ口上だ。
本当に才能あるものは、その小さな頭蓋の中に綺羅星のごとくめぐる想像を書き起こして、伝達できる人たちなのだ。
そして私はそういう人間ではなかった。それは努力でどうにかなるものではない。生まれた環境、もともと持って生まれたもの、そういう問題だ。
それが私の文学の帰結であり、私の文学との決別だった。
その決別の瞬間は、母が亡くなってから三年ほどたったある朝のことであり、私はある朝にガウス少年が正十七角形の作図方法を思いついたように、はっきりとした天啓をもって「やめた」とつぶやいた。
魔法との邂逅はそれから少し後のことだった。
4
桜の枝がそよそよと風になびいている。
霊夢がお茶を入れてきてくれたから、花見の時間になった。茶菓子は生憎切らしていた。
と言っても縁側で座って茶を嗜むのは私くらいのもので、霊夢は私がさっき拾ってきた遺物たちを、初めて虫を捕まえた子供のような物珍しげな眼で見ている。
「なあ。そんなに見つめても何も出てこないぞ」
「でも」
「珍しいじゃない」
霊夢は仕方ないじゃないと同じニュアンスでそう言った。
「まあ、そうだが」
「何これ」
「それはLPレコード」
「何それ」
「長時間音楽が聴けるやつ」
多分それで間違いない。
「何も聞こえないけど」
「馬鹿だなあ。専用の機械がいるんだ。霖之助のところにおいてあった」
「霖之助さんが…」
霊夢は霖之助のことを霖之助さんと呼ぶ
「多分もう外の世界では使われていないんだろうなあ」
「音楽は聴けるの?」
「いやあ。聴けないだろう。そのLPはひび割れている」
「なんでひび割れちゃったのかしらね」
「わからん。そのLPはひび割れるべくしてひび割れたんだ」
「ふうん。じゃあこれは?」
取り上げたのは、私が拾ってきた紙だ。土を払い落として乾かした。土の水分でも、文字が消えなかったのは、それが手書きじゃなくて印字されたものだったからだ。
「それはただの紙」
「そんなことくらいはわかるわよ」
「印字された言語は知らん」
「小鈴案件?」
大方小鈴に読んでもらおうという意味だ
「そうだな。言い方は物騒だけど」
「それにしてもこんなもの落ちているのが分からないわね」
「多分誰かの遺物だ。遺した物。外界から流れ着いた人間が最期に持っていたものだ」
「死んじゃったの」
「ああ、死んだ。自然の連関に従って土に還った。そう紫が言っていた」
「ふうん」
「そのLPも、その紙も誰かが持っていたもの。何故持っていたのかは知らないが」
「取ってきていいの。そんなもの」
「いいよ。どうせこの無機質な遺物たちは土に還れない。森においてきぼりにされるだけ」
「そう」
「そうだ。霊夢、人間を一番死に至らしめたものは何だと思う?」
「さあ、戦争とか、殺人とか?」
「違うな」
「じゃあ、災害」
「違う」
「答えは?」
「答えは、疫病だ」
霊夢は本当に何も知らない。
*
結局小鈴が博麗神社に呼ばれた。ここに二人でいたところで読めるものでもないし、小鈴に読めないものがあると聞かせたら、飛んできた。実際飛んできてはないけれど。
「博麗神社って遠すぎませんか」
小鈴はぜーはー言いながらやってきた。
「そんなものでしょ」
「飛べない身にもなってくださいよ」
「まあ歩いてきたのは褒めるよ」
「魔理沙さんも冷徹だなあ」
そんな感じだ。
あの印字された紙を見せると、ああこれはラテン語ですよと言った。
「ラテン語」
「道理で読めないわけね」
「内容はこんな感じです
立方数を二つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を二つの4乗数の和に分けることができない。一般に冪が2より大きいとき、その冪乗数を二つの冪乗数の和に分けることはできない。
この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」
「はあ?」
霊夢は怪訝そうな顔をした。小鈴もそろって怪訝そうな顔をした。
「何ですかこれ」
「フェルマーの最終定理だ」
私はなぜか知っていた。
「何それ」
「外の世界で証明するのに三百年かかった問題だ」
「三百年?」
「ああ。そうだ」
「途方もない期間ですね」
「私も詳しくは知らないが、たくさんの天才といわれる数学者がこの問題に挑んで、この問題にねじ伏せられたんだ」
「それで三百年も?」
「霊夢、数っていうのは何個ある?ほら…1,2,3って」
「えっと、そりゃ無限にあるでしょう」
「その通り。無限にあるすべての数について冪乗数は、2つの冪乗数の和に分けることはできない」
自分で話していてあれだが、途方もないことに人類は挑んだのだ。たった一声で語ることができるその定理には、信じられないほどの重みがあった。
「それを証明するの?」
「そうだ」
「どうやって証明したんですか。そんなこと無限だなんて、そんなの不可能ですよ」
「さあな。そこまでは知らん」
私は棚の上にあったペンで紙にX^n+Y^n=Z^n (nは自然数)と書いた。
「たったこれだけのことにたくさんの人間が挑み、犠牲になった。寂しくならないか?」
「そうね」
「魔理沙さん、結局この定理の主張は正しかったんですか?」
「ああ、真だった。フェルマーは正しかったんだ」
私はものを知りすぎている。
5
「フェルマーの最終定理?」
小鈴が去った後には、早苗がやってきた。早苗は、ひとしきり私が拾ってきた遺物を触るなりなんなりして、それについてまるで梅雨時の洪水のように語った。壊れかけたラジオについては、昔彼女が外の世界にいたころに聞いたラジオ番組のMCの話を、懐中時計については、その時計が作られたブランドについて教えてくれた。そのブランドはメジャーなブランドで、子供から大人まで誰しもが1個くらいは持っている、そういわれるくらいだった。
正直そんな話を聞いたところでそのブランドが破産するわけでもないし、ラジオMCが不祥事を働くわけでもないので、そんなことはどうでもよかった。問題はフェルマーの最終定理だ。
「知っているか」
「そりゃ、知ってますよ。数学には詳しくはないですけど」
そうやって彼女はペンで、私がさっき書いた小さな数式の下に「X^4+Y^4=Z^4」と書いた。
「n=4くらいなら説明できます」
「へえ」
「説明しましょうか」
「面白そう」
霊夢が私の隣に座って紙を見つめた。
「でもどうして4なの」
「3の場合は難しいんです」
「どんなふうに?」
「それを証明するために証明すべきことがたくさんある。ラスボスの前にもっと多くの中ボスがいるみたいな感じです」
「へえ」
そして彼女は、今度はX^4+Y^4=Z^2 (XとYは互いに素)と書いた。
それからが長かった。早苗は延々と、フェルマーの最終定理の証明について、またも梅雨時の洪水のように話した。4の場合についての証明と無限降下法について。4以外はnが素数の場合についてのみ証明すればいいということ。素数は無限にあること。フライの楕円方程式とモジュラーについて。その話に日本人がかかわっていて、日本人が重大な足跡を残したこと。大体はそんな感じだ。
「こんなことやり続けるの?数学者っていうのは」
難解な理論が続いたからなのか、霊夢は大分疲れていた。
「そうです。それが三百年続いたんです」
「何かの本で読んだんですけどね。こういうのは一朝一夕でなるものではないんですよ。ある日の朝に、何かしらのアイデアが降ってくる。だけど1週間後には水泡に帰している…そしてまた一から…」
「悲しくならないか」
「なるでしょうね。でもそれでもいいんです。この定理には関係ないけれど、アルフレッドオイラーという数学者を知っていますか?」
「世界一美しい数式の人か?」
「何それ魔理沙」
「e^πi+1=0」
「はあ?」
「美しいんですよ。それが」
「そうなの」
「数学とはそういうものだ。私もわからんけど」
霊夢は不思議そうな顔をしていた。e^πi+1=0と紙に書いてやった。霊夢は奇術を見た観客のようにその紙を見つめていた。
「それで、その数学者は晩年目が見えなくなったんです。夜中にも数学に没頭しすぎて目が悪くなって、ついには盲目になってしまった。その時彼は何と言ったか?」
「さあ」
私は首を振った。盲目者の気持ちなんて考えようもなかった。
「おかげで楽になった。これで数学に打ち込むことができる。彼は一言そう言ったんです」
「マジか」
「マジです。でもちょっとわかる気もするんですよね」
「オイラーの気持ちが?」
「そうです。私は宇宙方面ですけどね。思うことがあるんですよ。例えば今指をさしたそのはるか向こうには空があって宇宙が広がっている」
そう言って早苗は、天空を指さした。釈尊が唯我独尊と指したその指に似ていた。
「世界は広すぎるんですよ。死ぬまでに広すぎる世界に少しでも触れる。理学とはそういうものです」
早苗の目は煌めいていた。まるでそれが真理であるようなそんな口調だった。
「たとえ一生の間、宇宙という大海原をこの世界という海岸から眺めることだけになったとしても?」
「海が見えない海岸に何の意味があるんですか?」
それも一理あった。
6
そのまま、早苗は帰った。
あいつはしゃべりたいことだけしゃべって帰る。そういうやつだ。長いこと話していたから、もう夕暮れ時に近くなった。結局今日は森に入った以降は、ずっと神社にいたから、霊夢に「食料はあるのか」と聞くと、「あんたが来るから買いだめしておいた」とのことだ。ありがたい話だ。
とりあえず二人で簡単に飯を作り、食べた。昼も何も口にしていなかったから、食道から胃にしみわたった飯の味は、泣けるほど美味かった。
そのあとは倉に保管されていた日本酒を一本開けて、何かにとりつかれたかのように飲んだ。大体の、私が神社にいる場合や宴会の場合は、こういう風に夕から夜は進行していく。
それで何かをテーマにして語りだすのだが、二人とも酔って何も覚えていないというのがオチなのだ。
その間は、神社は霊夢と私だけになって、まるで世界に霊夢と私しかいないような錯覚に陥ってしまう。時がゆっくりと過ぎて、霊夢と二人でどこかの密室に閉じ込められたかのようなそんな感覚だ。
詳しくについては、全て酔いが持って行ったから何も覚えていないのだが、二人とも何かについて河口から海に水が流れ出るように遺漏なく語りつくして、日付が変わるくらいの時間に眠りの海に沈んでいった。障子戸も開け放しにして、ほてった体を冷ましながら布団も敷かずに床に突っ伏したのだ。
7
私が起きたのは山際が白んできた薄明のころ。のどの渇きに耐えられなくなったのだ。
いくら早起きが三文の徳とは言え、こんな早くに起きる理由もなければ、義理もない。とはいえ障子戸が開け放たれたままだったので、霊夢を起こさないようにそっとしめて、なるべく音をたてないように流し台の水道からの水をコップ一杯飲んだ。なんだか情事の後みたいだ。
そしてもう一度床にそのまま寝転がった。布団を敷く気にはならなかった。
と言っても、また惰眠をむさぼることを体が拒否していた。霊夢は寝息をあまり立てないタイプで、寝ているときも生きているのか死んでいるのかわからないほどだった。
健康的な頬に、長い睫毛。日が昇ってきてその華奢な体が日に照らされる。
霊夢は今どんな夢を見ているのだろう。そんなことを無性に思う。私は獏じゃない。そんなことはわからない。
無限の花園に包まれる夢か。奈落の底に堕ちる夢か。母の胎内の夢か。
私は霊夢の母親については何も知らない。どんな人間なのかも。どうやって生きたのか、それさえも。この世に生を受けた以上、母親があって父親があるのだ。木の又から生まれたり、自然発生するのはそこら辺にいる低級な妖精や妖怪だけだ。
霊夢は母親について何も語らなかったはずだ。私は彼女のライバルで親友であったかもしれない。しかし私たちはシャムの双生児ではない。同じ体を共有していない。他人であるのだ。
「」
霊夢はまだまどろみの中にいて、寝言か何か知らないが、何かを言っていた。聞こえなかった。いや聞こえなかったことにした。霊夢の中の喪失が現れた、そんな気がした。
日はのぼる。どんどん昇る。そしていずれ沈みゆくまでにそのエネルギーを地上に降り注ぐのだ。
それから霊夢が起きるまでずっと、彼女の艶やかな黒髪をずっと眺めていた。
不確かな思考の地平にさまよいながら。
8
「ゆきつくす江南の春の光かな」
人のしゃべり声と、食器が置かれる甲高い音が聞こえる。食堂の奥から漏れ出る食欲を掻き立てるにおいが鼻腔をくすぐる。
「江南?」
「川の名前だよ」
霊夢の声だけがやたら目立って聞こえた。カクテルパーティー効果というやつだ。
結局博麗神社での生活二日目は、昼にして食堂に出かける結果になった。また森の中へ遺物を探しに行くというのは二日連続でできる芸当ではなかったし、第一やる気が起きなかった。あの後霊夢が起きたのはもう日がすっかり上ったころで、私たちは朝飯を食べることはしなかった。霊夢は、はあとため息一つついて境内の掃き掃除を一通りして、「何か食べに行かない?」と提案した。断るわけもない。
それで少女二人な優雅なブランチだ。和食だが。その食堂は川が横を流れていて、川に面したほうの席は昼時になると必ず満席になる。私たちが行った時間帯はガラガラだったが、それから一人、また一人と人がやってきて、昼の喧騒が店内に満ち満ちている。
「風流ね」
霊夢は味噌汁を一口飲んでそう言った。今日は私が奢ることになっていた。
「お前に風流が分かるのか」
「少しはね」
川沿いに植えられた桜の花びらがひらひらと舞って、私の手元にまでやってくる。
「花見酒隣は洒落の知る人ぞ」
「誰の句?」
「霧雨魔理沙作」
「さっきのほうがいいわ」
「霊夢、自分の才能のなさに泣きたくなるからやめてくれ」
「今は酒を飲んでいないし、私が座っているのは魔理沙の正面」
「手厳しいな」
お手上げだ。桜の花びらを拾って川に捨てた。桜は短い時間で川に落ちて、一瞬で流れのうちに消えた。
「酒と洒落を掛けたんだ」
「洒落になってない気がする」
なんて手厳しい女だ。追い打ちまでしっかりしている。
「それに、多分それはパクリ」
「芭蕉だ」
「何だっけ」
「秋深き隣は何をする人ぞ」
「やっぱりね」
ふふんと霊夢は鼻を鳴らす。
「そういえばあの鴉はどうしたんだ」
あの鴉。去年の夏から秋にかけて神社に居座った鴉のことだ。
「鴉?」
霊夢は覚えてなかった。
「去年の秋にいただろ。早苗がやたら気にしていたやつだ」
霊夢は、「んん?」と眉をひそめた後、思い出したように「ああ、あのことか」とつぶやいた。
「さあね。私はあまり気にしてなかったけど」
「結構騒がれていたよな」
「騒いでいた人は騒いでいた。それが正しい表現」
霊夢はまた味噌汁を一口飲んで、外の桜を見た。味噌汁は全然減っていなかった。
「文屋が騒いでいた。結局あれは何だったんだ」
「さあ。でもね、魔理沙。鴉がいたところで、それはそれでいいのよ。それは桜が散っていることに意味を求めることと一緒」
「つまり」
「考えるだけ時間の無駄。神社に鴉。それが珍しいから人が騒いだだけ」
「ふうん」
食堂は正午が過ぎても、どんどん人が増えていった。座敷童が宿っているのではないかというくらいの繁盛だ。食堂のおばさんの気風のいい「いらっしゃい!」という声が何度も何度も響く。
「いらっしゃい!あら文さんじゃない!」
文?文というと文屋のことか。ブラウンで統一されたジャケットとキュロット様のパンツ。まさしく文屋の姿が店の入り口のほうに見えた。文屋は私たちのほうにまっすぐにやってきて「おやおや、ご無沙汰ですね」と言った。
「文屋の話をすると文屋がやってくる話はやはり本当だったんだな」
「あやや。何の話です」
「あの鴉の話だ」
「はて?鴉?」
「去年の秋の話のことよ」
文屋は霊夢の横に座って、「ああ、そんなこともありましたね」と言った。忘れていたのだろう。
「毎日いろんなことがありますからね。忘却しないといけないんですよ。すいません!おかみさんいつもの一つ!」
「あいよ!」というおかみさんの子気味いい声が響いた。
「ここにはよく来るの?」
「まあ、ここら辺に来たときはいつも」
「へえ」
「それでその鴉が何なんです。今更去年の話を蒸し返しても、あれじゃないですか」
「あれってなんだ」
「忘却は大切ですよ。覚えていたってどうにもならないこともあるし、私たちは前に進まないといけない」
文屋は手を広げてそう言った。
「それでいいのか」
「でもちょっと鴉の意味を考えましたよ。あの時は。何か意味がある気がしたのは事実です」
「例えばどんな?」
あの時の新聞には鴉について、まるで当たり障りのない選挙公約のような、あやふやなことしか書いていなかった。
「二人とも知っていましたか。あの鴉が飛び去るときは、必ず人里のある方角に向かっていくんです」
文屋は、それがまるで国家機密であるかのように言う。
「鴉の気まぐれでしょう。そんなの」
霊夢は外の桜を見ながらそう言った。
「私だけじゃなくて、早苗さんとかがそのことに気が付いていた。あの人は、よく鴉を観察していましたからね」
「それで?」
「私はあの鴉は、式か何かだと思ったんですよ。幻想郷を監視しているような。早苗さんのその話を聞いたのは、新聞が出た後でしたからね。どうにもならなかったんですけど」
「幻想郷を監視ねぇ」
「監視じゃないなぁ。観測と言ったほうがいいかもしれないです。幻想郷がどうなっているか、人里がどうなっているか、それを見ている?わからないですけどね」
「鴉が去るとどうなるんだ?」
「鴉が人里を見る必要がなくなった。里に平和が訪れた。そんな感じじゃないですか」
「それで?」
「鴉はいずれまたやってくる。里を含めて幻想郷がどうなっているかを観測する。定期的に経過観察ってものは何にだってあるじゃないですか。それと同じです」
「根拠は?何のために?」
「言いくるめようとしないでくださいよ」
結局それは推測の域を出なかった。所詮は文屋の推測でしかなかった。
「よかったら新聞持って行ってくださいよ。昨日出たものですし」
文屋は新聞をどこからか取り出した。
「私は新聞取ってないぞ。霊夢は読んでいるかもしれないけど…」
「ほとんど読んでないわよ。掃除には使うけど」
「それを本人の前で言いますか」
文屋が苦笑した。扱いが余りにもひどかった。
「世知辛いなあ。可哀想に。貰っていってやるよ」
「じゃあ、初回無料キャンペーンということで」
手渡されたのは本当にただの新聞だった。アガサクリスQの連載が目についた。
そのあと文屋は、何の変哲もない定食をさっと食べて、茶を飲んで、まるで砂漠の竜巻のような速さで帰っていった。幻想郷最速なだけはある。
新聞の出来はそこそこで、社説(?)らしきものもあったし、新聞の体はなしていた。
ニュースと言えば、幻想郷を揺るがすようなものはなかった。しいて言えば、里の小説家が服毒自殺した。それくらいだ。
新聞を隅から隅まで読んでやって、それで霊夢と二人で外を出たころには、店内は元の静寂に戻っていた。
9
文学についてもう一度語ろう。文学と決別した以上、これがおそらく最後だ。
文学といっても私に語れるのは、もう毒杯を仰いで死んでしまった小説家のS氏についてのことだ。(S氏とプライバシーの観点からもそう呼ばせてもらう。死人について語ることは気分のいいことではない)
親父とS氏は知り合いで(確か同窓だったとか何かだ)、私はS氏の邸宅に幼いころ連れられたことが一度だけある。
S氏は小説家の例にもれず、変な人間で尚且つ小さな茅葺の家で庭を嗜むような風流人だった。漱流枕石というやつだ。
私はまだその時は世間を知らなかったから、これが小説家の良い暮らしなのかと思っていたが、実際そんなことはなかった。いい暮らしをしている小説家は他に二、三人いた。こんな小屋に住んでいるのはこの小説家くらいだ。
子供心に察していたことだが、おそらく親父から、S氏に金の流れがあった。つまりはS氏が親父から金を借りていた。いくらかまでは知らない。
風流人と言って差支えのない人間にも俗世的な面があるのだ。だがそれは髪に裏と表があるような、表面をめくれば裏があることと同じことだろうから、私はその時S氏に幻滅することはなかった。
S氏は私をお嬢ちゃんと呼んで、なれない他人の家にきて、縮こまっていた幼い私を縁側に連れていって、庭を見せてくれた。親父は微笑んでいて何も言わなかった。
庭には桜の木と、小さな蘇鉄、そして生垣の緑だけだった。その庭にはたいていの庭にある花が少なく、雑草のほうが割合として多かった。庭はたいてい緑黒色で埋められていたが、桜の桃色がその緑のおかげでよく映えた。
「ねえ、お嬢ちゃん」
そうS氏は言って、桜のほうを指さした。
「あの桜は何色?」
私はきょとんとしていて、答えるのに多分時間がかかったと思う。見たままを答えればいいのか、何かしらの意味があるのかつかめなかったから。
「薄桃色」
「そうだね」
「じゃあ、お嬢ちゃんは桜を見てどう思った?」
「…??」
私は考え込んでしまった。
「えっと、桜は春になれば人が見に来る」
「それで?」
「きれいだけど、すぐ散ってしまう」
「そうだ。その通りだ」
この一連の流れにどんな意味があったのか、それを考えたのは成長してからのことだ。
親父に手を引かれてS氏の家から帰宅した後、幼い私宛にS氏の書き損じた原稿が一枚送られてきた。おそらく立ち消えになったストーリーの一部分で、それは不思議な桜にまつわる話だったのだが、ついにS氏の手で世に出ることはなかった。
その原稿はいまだに家に保管されている。私が霧雨の方の家を飛び出した時に一緒に持ってきたのだ。これは推測でしかないけれど、あの会話はS氏の認識と世界の認識をものさしで測るような、そんな行為だったのだ。S氏は孤独だった。桜の色を幼子に聞くくらいには。
しかしこれが真実かどうかはわからない。死人はどうしたって真実を話すことはないし、私もこれを真実かどうかを確かめようとしているわけではない。
ちなみに、S氏の書き損じの原稿の裏側には、ボールペンでこう書かれている。
文学とは伝達である。
伝達するべきものが失われたとき、文学は終わる。
そしてその時は、この世から生物が消えたその瞬間に訪れるはずだ。
10
そんなこんなで3日目だ。3日目も森に入る気は起きなかった。なぜかと言えば、朝からレミリアが神社にやってきたからだ。レミリアの話を聞くのは、命蓮寺の説法より面白いが、パチュリーの魔法談話よりはつまらない。つまりは没頭しすぎることもないし、眠くなることもない。素晴らしい塩梅だ。そんなレミリアは朝早くに日傘をさして博麗神社に現れ、いの一番に「シャーロックホームズは知ってる?」と言った。咲夜も一緒にやってきていた。
「まあ知っている」と私と霊夢は答えた。
「じゃあ、海を知らない人間も、わずか一滴の水からこの世に大海原があることを推察することは可能だ。という言葉は?」
「知らないわ」
霊夢が首を振る。
「そう、じゃあ続きを教えてあげる。人間も同じさ。人生は一本の鎖のようなもの。だとしたらたった一つのリングから、その人間の本質だって探り出すことができる」
「ホームズが言いそうなことだ」
「そうなの?」
霊夢は首を傾げる。
「コナンドイルはいつも気障な言い回しをする」
「そうね」とレミリアがからからと吸血鬼らしく笑って、「ところで、それは何?」と私が拾ってきた遺物を指さした。
「それは壊れそうなラジオ」
「それは?」
「ただの鉄棒、それでそっちは懐中時計」
「変なものばっかり拾うわね」
「仕方ない。落ちていたから拾ったんだ」
「そのラジオは誰のもの?」
「さあ。結界の境目に流れ着いたものだからな」
私も霊夢も知らない。何なら神様でも見逃しているかもしれない。
「でも推測はできるわ。たった一つのラジオからその持ち主の肖像がつかめる」
「知ってどうなるんだ?」
「面白そうじゃない。結界を越えてきた人間でしょう?」
「確かにそうね」
霊夢はラジオの方へ寄って、ラジオを手に取る
「私は、推理は素人だ」
「ヒントは意外とすぐ見つかるのよ。例えば…このラジオは、つまみの部分のギザギザが、少し削れている。すなわちこのラジオの持ち主は、ラジオをよく使った」
「なるほどねぇ」
「どこかで聞いた話だけど、ラジオはもう外の世界じゃマイナーらしいわよ」
霊夢は謎な知識が多い。
「どんどんラジオを聴く人は少なくなって、おじいさんとかが聴くものらしい」
「つまり?」
「ラジオの持ち主は、老人である可能性が高い」
霊夢は、どや顔でそう言った。いい推理だ。
「ですが、老人がなぜ山の中の、しかも結界の近くまでたどり着いたんでしょう?」
さっきまでずっと主の言葉に耳を傾けて、うなずいていただけの咲夜が口を開いた。
「そうね。じゃあ咲夜、こんなのはどう?このラジオの持ち主は、少し懐古的な趣味を持つ若者だった。若者はその足で山に入った」
「なぜ山に?」
「さあ…自殺か、冒険か。もし自殺なら、外の世界は少し荒んでいるのかもしれない」
「そんなことはないだろう。平和の隅に自殺はある」
私は否定して、レミリアに小説家の(S氏の)自殺について話してやった。普通の社会システム上の、平和である人里の片隅で起きた出来事だ。
「レミリアは、新聞は読まないのか」
「読まないわね。新聞にあるのは事実の羅列だけ。つまらないわ」
「そうか」
確かにそうだ。
「それもそうと、このラジオの電源はつくの?」
咲夜は、虎の赤子を取り上げるみたいにラジオを手に取って、そのままラジオのつまみを回した。
ぐるり。ON。
「点くよ」
ラジオからは雑音とかすかな音が流れてきた。何か不思議な力が働いたみたいにラジオは動く。
*
ザザ……ザザザザ……やあ……この時……の時間だ。…………
「ねえ。何にも聞こえないわよ」
霊夢はつまらなさそうにつぶやく。
「アンテナを伸ばしてみろ。あと音量を上げるんだ」
ぐるり。UP。
*
リクエストは、東京の××さん、30歳からだ。きっと自称だね。はははは。
お手紙を読もう。
…………(しばしの雑音)…………
「私は、上京して大学の博士課程まで行き、就職しました」えらいことだね。素晴らしいよ。
「東京は寂しいことばっかりで、時々故郷の情景を思い浮かべます。東京は夢と現実の街。私の友達は、東京が嫌になって、「東京なんてゴミの集まりだ」と言って田舎に移住しました」
はははは。「東京なんてゴミの集まり」か。はははは。
………………(不連続な雑音)……………
「故郷に高校卒業から今まで残っている人もいます。さして仲良くなかった人で、私は連絡先も知らないけれど、時々高校卒業時までの記憶だけで、その人を想像するのです。その人は今どこで何をして、どんな人生を送っているのだろう。大企業の出世競争を生き抜いているか、どこか田舎でギターでも弾きながら農業を楽しみ牧歌的な暮らしをしているのだろうか。
私の中学の同級生は、25で海外に行ってしまい、そのまま今どこで何をしているのかもわからない。もしかしたら海外でよい人と生活しているかもしれないし、死んでしまったかもしれない。そう私の中学以来の友達が言っていました。人はどう生きて死ぬのだろう。そんな気分になったとき、9回裏のサヨナラのチャンスがたったひと振りで霧消したりするとき、遠い異国の地で、デモ隊と警官が衝突して、街から火の海が上がった。そんな映像を見た時、私は決まって音楽を聴く。私は、依存ぎみなもう三十路の女です。いつも同じ音楽ばかり聴くのです。そして悲しい気持ちになるのです」
だってさ。これがリクエストだ。えっと、曲名は「神のパッサカリア」
一つこの方に、教えておくよ。
人生は絶えず前に進んでいるんだ。確かに人間は後ろを振り返ることができる動物だ。でもね。時がいやおうなしに私たちを前に押すんだ。
この言葉を覚えておいてほしい。魅力的だろう?
…………(雑音、雑音)………………
次に流れてきたのは、物悲しい音楽だった。
人間が生み出した悲しみ、憎悪、怒り、嫉妬、そしてそこから生まれる虚無と希望。
整然とした混沌のような曲だ。
………(雑音、また雑音だ)………
11
夜は月が太陽だ。
月は地平の上に顔を出せば、私たちをずっと付けまわして、慈愛の神のような顔をしている。今日は桜の後ろ側から私たちを見つめていた。
風が桜を舞い散らして、月の光のしずくと桜の花びらを底なしの闇の中に消す。月と桜。酒があれば花札の役ができている。だが酒はない。
レミリアは推理講義を垂れて、昼頃に帰った。大方レミリアは推理小説にはまって、小説の中で得た知識をひけらかしに来ただけだ。そう咲夜は言っていた。ラジオ以降の下りは全部成り行きで、その打算のなさがお嬢様の良いところなのだ。とも言った。
「月がきれいね」
私と霊夢は隣り合ってずっと桜を見ていた。その間一言もしゃべらなかったが、何の予兆もなく霊夢はそう言った。
「傾くまでに会えてよかった」
「へ?」
「そういう意味じゃないのか」
「違うわよ」
「なんだ。素晴らしい愛の告白かと思ったぞ」
霊夢は慌てふためいていた。
「月がきれいな日には月がきれいという義務があるわ」
「それはそうだけど」
月は全然傾かない。まだ夜の口、夕の終わりだ。
「誰かと満月を見られるのはそうそうあることじゃない。満月は年に12回ほどしかないのよ」
「数えたのか」
霊夢は棚の上においてあったカレンダーを持ってきて
「最近のカレンダーは月の満ち欠けが書いてあるの」
と言う。
「でも今日は満月じゃない。満月は四日後だ」
「まあいいじゃない。些末なことよ。月がきれいならそれでいい」
「そうだな」
「ねえ、魔理沙。傾くまでに…って」
15秒ほどの沈黙。
「まあ、想像に任せるよ」
「」
「そんなかっかするなよ」
「誰のせいだと思ってるの」
霊夢はかっかしていた。そんなにのぼせることもないだろうに。私と霊夢の仲だ。
*
夕飯は、芋の煮たものと、白米と味噌汁と魚と。和食だ。水仙を食わされたりはしなかった(というのも昔、私が水仙を食わそうとしたのだが)
いつものことだが、酒が入って、本格的に花見酒、月見酒になった。霊夢は夕飯中もずっとかっかしていたが、酒が作り出す頬の赤にそれもかき消された。
縁側で月を見ていたら、睡眠欲と重力にあらがえなくなった霊夢の頭が、私の膝に落ちてきた。霊夢の頭を一つ撫でてやった。
私たちは、この日常を繰り返している。
それを可としているのだ。
12
夢でも頬をつねれば痛いときと、痛くない時がある。だからこれが夢か否かは、この要素では断定できない。しかしこれは過去の、私の母を連れ去った感冒の話だ。人間は過去には戻れない。だからこれは夢だ。しかも大方悪い夢だ。
そうだ。私はあの後、すっかり眠りに落ちた霊夢を抱き上げて布団に入れてやり、そのあと酔い止めの水を一杯飲んで、もう一つの布団で寝たのだ。
寝るときにしか夢は見ない。だからこれは夢なのだ。確証が付いた。
感冒?今更私が何について語ることがある。その思いと裏腹に夢の映像として流れてくるのは、私の記憶だ。
吐き気がするくらい嫌な夢だ。
あの感冒が人里に蔓延したのは、もうずっと前だ。血を吐いて死んだ一人の百姓を起点に始まった。まず百姓の家族が子供一人残して全滅した。そして老人が一人、若者が三人…まるでマサダ陥落に際したユダヤ人がくじ引きで死の順番が決めたような、それほど無作為に人が死んだ。マサダ陥落の時、ユダヤ人は「生きて虜囚の辱めを受けず」の信念があったはずだ。里の人間にそんな信念はなかった。誰しも生きたかったはずだ。
その感冒が、何からくるものなのか誰も知らないということが、人の不安を掻き立てていた。あるものはそれを神の啓示と、あるものはそれを医療施設から漏れ出たものという嘘を、あるものはそれを仕方のないことと、そう表現した。
表現の仕方は何通りもあって、それ自体に文句をつけることはしない。あの時は、人間が切羽詰まっていた。すべては後から聞いた話だ。幼い自分には、どうすることもできなかったのだと思う。
記憶の中には、幼いころに見た死人を燃やす火の赤の光景がはっきりとある。華氏451度で、人は骨となって土には還れない。天に死の煙が登っていって、青空に染み出すような汚い灰がにじんでいく。いずれ灰が空を覆ってしまうかもしれない。そんなありもしない絶望と恐怖をその時は感じた。
今まで奥底にしまっていたものが、パンドラの匣のように開きだす。次から次へと、走馬灯のように光景が浮かびだす。
次から次へ。行きつく暇もなく。
人がせわしなく走っていく先には、医者がある。道端の赤の沙羅双樹の花びらが踏みつけられていく。医者の向こうには、人が埋まっている。死人だ。
「桜の木の下には死体が埋まっている」
そんな質の悪い言いぐさが生まれたのは、その時期だそうだ。人だけじゃない。犬も死んだ。猫だって死んだ。
こんな光景も見た。
医者に並ぶ長蛇の列だ。原罪を赦されるために免罪符を求めたカトリック教徒の行列のような、そんな長蛇の列がある。この人たちは病人ではない。病人の近親だ。明らかに病の人の顔ではないことだけは確実にわかった。では彼らは何のために?
おそらく彼らは、医者に駆け込んで訴えに行くのだ。私の息子が死んだ。もしくは私の母が死んだと。震えた。大声で喚きたいくらいの泥のような感情が沸き上がってきた。それが幼いながらにわかったからだ。
それからあんな光景も見た。
あんな光景も…
あんな光景も…
もうやめてくれ!
私が何をした?あの時、里にいたすべての人間は罪がなかったはずだ。すべては希望も何もない悪魔のような災禍が、人間を死という奈落の底に突き落としただけじゃないか。
パンドラの匣は開け放たれると災禍をまき散らす、それと同じようにあの時の光景がまた飛び出る。もう一つ、また一つ飛び出る。
その映像は靄がかかってきて、いずれその靄が視界のすべてを支配する。
レム睡眠の途切れだ。覚醒が近づいている。
そうだ。
朝が迫っているのだ。
13
翌日、なんだか嫌な気持ちになって森に入ることにしたが、外は雨だった。泥濘がすぐ出来上がる。そんな雨だ。
あんな夢を見た以上、活動的になって気分を変えなければ、またあのような夢を見る下地のマインドが出来上がってしまう。それは机の上だけで物事を語っていると、どんどん鬱っぽくなることと似ている。なんにでも活動的にならないといけない。活動が命の源だ。悪夢を見た翌日はなおさら。
そうは言ったものの、生憎の雨だ。しかし雨に負けて神社にこもるような私ではない。
「ねえ、こんな雨でも行くの?」と、霊夢は言うけれど、行こうと思ったらやめないことを信条にはしている。「行くぜ」と一言言って森に入った。
しかし、それが雨のせいなのかはわからないが、遺物は一つたりとも落ちていなかった。
試しに「おーい」と呼び掛けてみたが、遺物はもちろん、妖怪の一人だって出てこなかった。おそらく二時間くらい彷徨い続けて、見たのは何の罪もない水たまりだけだったし、聞こえたのは木々の葉と雨が奏でる自然の音楽だけだった。
だから仕方なしに帰った。そんな日もある。巡り合わせが悪かっただけだ。
それは多分、一日のうちに雨が降ったり、カンカン照りになったりすることがあることや、私が霊夢に会う日があれば、霊夢に会わない日もあるということ。原理的にはそれと同じだ。
気分転換の方法なんていくらでもある。そう考えるしかないのだ。
*
雨が降る。しとしと降る。
降った雨は屋根で軽快な音楽を奏でて、屋根の傾斜を滑り中空をしばし漂って土に還り泥濘をつくる。
霊夢は寝転がってアガサクリスQの新刊を読んでいた。今度のQの新刊はやけに長かった。
「なあ、こんどその本貸してくれないか」
「いいわよ」
「どこまで読んだ」
「三割くらい。まだまだかかるわね」
ぱりんと音がした。霊夢がせんべいをほおばる音だ。霊夢はいつもせんべいを食べながらQの本を読む。
「速読術でも教えようか」
「私は本をゆっくり読みたい派。けど教えて」
「まあ簡単な話だが、文章を二三行まとめて読むんだ。構造ごとに理解していくことで、速く読めることができるらしい」
「速くって、どれくらい?」
「一番速くて、一ページに一秒、二秒」
「それって意味あるの?」
霊夢は少し考えこんで、起き上がってそう言った。
「多分ないな。速く読めたところで、自分の速度が増すだけだと思う」
「その速読誰が言っていたの」
「里の小説家兼評論家みたいな人」
狡猾そうな眼をしたやつだ。思想に絶対の価値を置いているのだ。
「自殺した人?」
「いや。その人は生きている」
「ふうん」
霊夢はまた寝転がった。
「ねえ、面白い話でもしてよ」
霊夢はいつも無茶を言う。
「今はQの新刊に集中したらどうだ」
「物語の進行が見えないのよ」
私は二十秒ほど考えて、思い出した話をしてやることにした。雨はまだしとしと降っている。
「昔、釣り人がいた。一人は若者。一人は老人。若者と老人は、同じ池で釣りをして、若者は二十八匹の魚を釣って、老人は一匹魚を釣った。このとき老人と若者、どちらが釣り人として良いかを推測しようと思う」
「んん?」
霊夢はまた起き上がって、机を挟んで私の真向かいに座った。
「霊夢はどちらが「良い」釣り人だと思う」
「それは…若者でしょう」
「そうだな。私もそう思う。では次はこんな仮定を付加してみる。若者は二十八匹の何の変哲もないアユを、老人は一匹の絶滅したはずの魚を釣った。そしてその老人の発見は、生物学を覆した。霊夢はどちらがいい釣り人だったと思う」
「それなら老人ね」
「そうだな。私もそう思う。じゃあ次はこうだ。若者は二十八匹の薬に使える魚を、老人は一匹の絶滅したはずの魚を釣り、発見した。これならどうだ?」
「…わからない」
霊夢は少し考えこんで言った。
「それは、どちらもいい釣り人じゃないの」
「そうだな」
「つまりこの話は何を言いたいの」
「さあ、分からん。多分何かの寓話だ」
「魔理沙が作った話じゃないのね」
「ああ、里の小説家が言っていたんだ」
「それはさっきと同じ人?」
「いいや。彼は死んだ。自殺だ」
雨の音だけが流れた。しばしの沈黙があった。
「それは新聞に載っていた人?」
「そうだ」
S氏のことだ。惜しい人ばかり死んでいく。
*
もう一つだけ文学について語る。S氏の小説についてだ。
彼は人間愛とか人生論を語るに生きてきたような人間だった。そのほとんどは寓話形式で何かを暗示していて、読み取ることができないと何一つ理解できないといった、まるでニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」のような小説だった。
読んでいて目が滑るとまではいかないが、この物語が結局何を言いたかったのか、何を意味していたのかに関しては一つもわからない。もしくは分かった気にしかなれないのが常だったから、往々にして彼の小説を忌避する人間も一定数いた。所謂アンチというやつだ。
しかし彼は自らの思念を説明することを嫌った。私は彼の文章のファンではなかったし、全ての文章を読んだわけではなかった。しかし親父がS氏と懇意にしていて、夕飯の席などで「Sくんは、たいそうな小説を書くようになったなあ」という言葉を皮切りに、S氏のエピソードについて延々と語ったものだから。否が応でもそのエピソードの始終を覚えてしまっていた。親父は同じ話ばかりする古風な人間だった。
S氏は、「時と水面」という小説で、文壇(といってもそれほど大規模なものではない)から評価された。一部の人間はその暗示的な文章と、起承転結の結の部分があいまいになっていることを「正確性に欠ける」と評したが、その指摘に対してS氏は、「正確性なんて糞喰らえ」という、普通は居酒屋の席で言う本音のようなことを文壇の偉い方々に面と向かって言ったものだからたまらない。
彼は文壇から顰蹙を買ってしまった。良くも悪くもまっすぐな人だったし、彼は、文章における思念の説明を彼の言葉を借りれば、汚い言葉ではあるが「糞」であると言って、聞かなかった。
そのおかげで私を含め、彼の文章を読んだ人間は何かしらの表現に首を傾げ、そして分かった気になっていた。本心は本人にしか分からないし、それを、彼を世界が失った今、探ることはできないだろう。
こんな話もある。
S氏はファンレターを読む人間ではなかった。ファンレターといえるのかどうかは疑問でしかないが、彼に疑問や小説の意味を問う手紙を書く人間は多々存在した。
そのすべての人間にS氏は「この小説に意味はない」という風の、手書きの、嫌にきれいな文字の手紙を、一枚一枚ファンレターを出した全員に配った。この切り取り方は少し誤解を招くだろうから、ちゃんとすべてを記載すると、
「人生に意味がないように、この小説に意味や真実はない。あるのは諸君の解釈のみだ。」
そう手書きで書いて全員に丁寧に返事したという。
その他諸々のことから、S氏は変人扱いされ、ファンレターは届かなくなった。
私に言わせれば、S氏は高潔の士であったのだろう。
高潔で純粋であるがゆえに世界のちょっとした変化やしがらみに敏感すぎた節があったのかもしれない。高潔であるがゆえに、世間との少しのずれを看破できなかったのかもしれない。
今年も主を失った桜の木が植えられた庭のみがあるのだ。桜は何を思ってそこに咲き、その花を散らせるのだろう。その桜はS氏の何を見てきたのだろう。今となってはもうわからない。
14
また悪い夢だ。
また過去の話だ。悪い夢に決まっている。
映像に流れたのは、葬儀のことだ。
棺と母の写真と、簡素な葬儀だ。葬儀屋は喪服に身を包んで、母の亡骸を丁重に扱ってくれた。棺の中の母はもう起き上がることもないし、私に語りかけることもない。それは事実としてあるのだけれど、実感としてはわかない。母は私にいろいろなことをしてくれたから、母が私を産んでくれたから。
葬儀の最中、ずっと私は下を向いて座っていた。親父が前で、しめやかに何かしら挨拶をしているのだろうけど、その言葉を私は一つたりとも聞いてなかった。
本当は泣き喚きたい気分だ。母を連れ去った実体のない何かをにらみつけて、母を返せと大声で罵倒してやりたい。だが私は霧雨の、一応里では名の知れた豪商の娘だ。葬式の席で泣き喚くような、粗相はできない。しかし脳は、生物学的本能に従い涙を流そうとする。
下らない社会的体裁に阻まれて、流した涙は一滴二滴。葬儀は粛々と進んでいた。
重苦しい空気がずっと場を支配していた。
そのあとの弔辞や、説法が何について誰が何分ほどその話をしたのか、私は一つも覚えていない。ずっと母について考えていた。
母との思い出、母が私にしてくれたこと、母が私を産んで育ててくれたということ。他にも…他にも…
思いは頭の中を何周もして、それでいて止まらなかった。
そのあと親父やら私の母方の祖父が立ち上がって、焼香をした。その間、嗚咽を隠せずにいる者、神妙な面持ちでいる者、私と同じように下を向いている者、沢山の人間が暗い顔をしていたが、そんな感情より、私の中にある悲しみのほうがずっと深いに決まっている。そう思っていた。ずいぶん他者の配慮に欠ける考えだったが、その時は他者について考える余裕もなかった。社会的体裁と自分の感情の発露がせめぎあって、収拾がつかなくなっていた。
そうして葬儀が終わって親父が誰かと立ち話なりをしている間に、私はさっさと部屋に戻ってしまっていた。私の部屋は自分で言うのもなんだが、整理されていて、簡素な、それでいて広い部屋だった。
しかしその時は部屋が空っぽに見えた。
物はそろっている。不足しているものなど何もない。しかし確実に部屋から何かがなくなっていた。何かがなくなっている。私は部屋中を見まわしてその何かを探し、そしてその何かに気付き、泣いたのだ。
社会的体裁、霧雨の娘であるということに阻まれていた感情が、逆流し湧き上がってきた。
力なく膝から崩れ落ちて泣いた。みっともなく泣いた。
お手伝いの人が私を探しに来たのもかまわずに泣いた。
私は母を亡くしたのだ。
大切な母の姿を私は未来永劫、実体として見ることはかなわないのだ。
そう思った瞬間、また涙が新しく、体の底から湧き上がってくる。
声を上げて、生まれもった金の髪を揺らして、泣いた。
そこで一生の半分近くの涙を使った気がしている。
覚醒。
その光景で夢が途切れた。
見慣れた博麗神社の、木の天井がそこにはあった。
15
まだ日はのぼっていなかった。悪夢だ。もう二度と見たくない。
「お母さん」
そう声帯が言語を発した。
隣では霊夢が安らかに眠っている。
16
朝だ。新しい朝が来た。
「おい、起きろ」
私は寝ている霊夢の頬をぺちぺちと軽くたたいて、寝ている霊夢を起こした。起こすに値するそれ相応の出来事があったからだ。霊夢は恨めしそうにこちらを見て「何よ」と一言呟いた。
「鴉がいるんだよ」
「はあ?」
私が指さす方向には、大きな名前も知らぬ針葉樹が一本あって、その天辺には、妖とも動物ともつかない鴉が一匹居座っていた。
「いつかここに来た鴉じゃないか」
そう言える確信がある。去年の秋に来た鴉のことを私も覚えていて、私はあの鴉の人を食ったような利発そうな表情や、純粋で何の濁りもない眼、すらっと整ったフォルムを覚えている。確か名前は「凛」とか何とか言ったはずだ。
「本当に?」
「ほら見ろ」
霊夢は目を細めて、その鴉を見やった。脳内処理に10秒ほどかけて霊夢は小声で
「懐かしい鴉じゃない」
そう言った。
「本当に、また来たな」
「来たわね」
そう言って、二人で鴉を眺めた。鴉は微動だにせずに、人里の方角をじっと眺めていた。それが何の意味があって、何の象徴なのかはわからないが、その鴉が今ここにあることによって、人里も、幻想郷全体も時が止まったかのような奇妙な感覚が私に降り注いだ。文屋の言っていたことは適当だったかもしれないが、本当に鴉はやってきたのだ。定期観測をしているのだろうか、幻想郷の現状をここから眺めているのだろうか。そんな思索が頭を駆け巡った。
「ねえ、魔理沙、掃除でも手伝ってくれない?」
その思索は、霊夢の声によって破られる。
「もう鴉はいいのか」
「鴉はもういいわよ。いずれ鴉はまた去って、またやってくるわ。生き物なんだもの」
「そうだな」
「かあ」と鴉が一声鳴いた。肯定とも否定とも取れないあいまいな返事なようなそんな鳴き声だ。
「魔理沙は鴉をどう思っていたの?」
「さあ、どうとも言えないな。でも他人とは思えないところはあるよ。あの鴉は私なんじゃないかとも思っている」
「何故?」
「さあな。魔法使いの勘だよ」
「?」
「勘というか、予感というか、うまく言葉にはできない」
「何それ」
「わからないけどな」
見上げると、鴉は悠然と佇んでいた。人生に何の悔恨も苦悩すらもないといった瞳だ。
「ねえ、魔理沙。今日はどうするの」
「今日は香霖堂に行ってくる」
「何をしに?」
「レコードを再生する機械を借りてくるんだ」
「へえ。あのレコード?」
霊夢は部屋の奥の一部を支配している遺物の山を指さしてそう言った。
「そう」
「音楽が聴けるの?」
鴉はもう一度「かあ」と鳴いて、飛び去った。人里とは逆の方角だ。森の向こうに自分の求めているものがある。そんな風な確固たる飛び方だった。霊夢は鴉を見上げて、視線をすぐ私に戻した。
「そうだな。多分聴けるし、多分聴けない。シュレディンガーのネコと一緒だ」
「んん…わからないけど、まあ行ってらっしゃい。気を付けてね」
「わかったよ。ああ…そうだ、霊夢に聞きたいことがあるんだ」
夢のことだ
「何?」
「人はなぜ死ぬ?」
大した答えは期待していなかった。霊夢にこたえてもらえたらうれしい。それくらいの認識だったが、霊夢は大まじめに一分ほど首をひねって考えてようやく答えを出した。
「次の世代へその思念を受け継ぐため。一人では抱えきれないほどのエネルギーを次の世代に受け継ぐため」
「なるほどな。ありがとう」
霊夢らしい答えだ。
17
香霖堂に出向いて、レコードを再生する機械を借りてきた。買ったわけではない。「壊すなよ」と一言、霖之助は言うだけだった。私はそんな非道は働いたことはない。返していないものは多々あるけれど。
レコードはひび割れていたが、予想に反して音楽が流れることには流れた。ノイズも多く混じっていて、聞けたものではなかったが。
しかしその音楽は心の琴線を揺るがすには十分だった。紙上にその音楽を書きつけることはできないし、そのLPから流れる音楽を誰が聴いて、そして誰がこのLPを大事に抱え持っていたのかは、今はもうわからない。
その音楽は、まるで空の上を走り抜けるようなそんな音楽だった。空の上を走り抜ける間、ぬくもりに満ちた存在が隣にいてくれる。二人ならどこにでも行けて、何があっても大丈夫だと前に進んでいく。そこが新しい世界の始まりで、古い世界の終わりだった。
そんな音楽だ。
18
昼下がり。何もすることがなくなったから、遺物について書きかけることにした。
最初に見つけた遺物は懐中時計だ。この時計は止まっているが、恐らくねじを回せば使えるようになる。早苗が言っていた外の世界ではメジャーなブランドの品物だそうだ。
次にあの紙。あれはフェルマーの最終定理、三百年解かれなかった難問を原文で印字したものだ。原文はラテン語で、フェルマーのいやらしいまでの文章だ。あの驚くべき証明と余白に関する文章が、たくさんの数学者の人生を狂わせたと思うと、私はしみじみとした気持ちになって、つい外の景色を眺めてしまう。そこに数学者の魂があるような気がするのだ。
あの紙は、だれがどのような理由で持っていたのかはわからない。すくなくとも幻想郷に流れ着くのは、自然のいたずらではなくて、必ず人の手によるものだから、あれは誰かが最後まで持っていたものだろう。その人がどうなったのかはわからない。フェルマーの最終定理は証明されたのだ。それに気を落としたイノセントな数学者の端くれの仕業かもしれない。
次は鉄棒だ。あれに関してはただのさびた鉄棒で、何のために持ち歩くかなんて皆目見当がつかない。だから保留だ。あれは捨て置いてもよかったかもしれない。だがそういうわけにもいかないのだろう。
そしてひびの入ったLPと、壊れかけだが実際は音声が流れたラジオ。
どちらからも音楽が流れた。人の思念が宿った音楽だ。ラジオの方はつまみが少しすり減っていること、その他諸々の事柄から、このラジオの持ち主を拙いながら想像をしてみようと思う。今までは絶対にしなかったことだ。
このラジオの持ち主は多分若者だ。霊夢が言っていたような老人説はないと思っている。おそらく夜が更けるころ、若しくは手持ち無沙汰になった昼下がりにこのラジオの持ち主は、ラジオのつまみを回して音声に耳を傾けていたのだろう。
この持ち主がどうなったかは直接的証拠がないからわからないが、恐らくは死んでしまっただろう。幻想の境目にきて生きて外の世界に戻った人間は限りなく少ない。そう紫が言っていた。ここに住み着いた外来人がいるとも最近は聞かない。
先を思い悩んで山に入る人間は多いと思うけれど、この持ち主は、死を望んではいなかっただろう。私は勝手にそう思っている。死を待ち望む人間がラジオを持って山に入るだろうか?私はそうは思わない。そんなことはないだろうと言われてしまえば、確かにそうだとしか言えないのだが。きっとこの人は、希望か何かをもって山に入った。きっとそうだ。
ラジオから流れる音楽は、悲壮感漂うものもあれば、そうでないものもある。軽快でポップな音楽もあったし、緩やかな川の流れのような静かな音楽だってあった。その音楽のリクエストを知らせる男の声はいつも一緒で、恐らくはこの男が早苗の言っていた人気ラジオMCなのだろう。
このMCはずっと一定のトーンでしゃべり続ける。このMCはリクエストの裏側に隠れている人間の心情にあまり干渉する人間ではなかった。だが彼が時折見せる、的を射た訓示みたいなもの、人生の悲哀と希望への発言集が彼を深めている。これが人気たるゆえんだろう。そう思った。
LPに入っていた音楽は、あの空の上を走り抜けるような音楽だけだった。私の記憶が正しければ、LPはもっと長い時間録音できたはずだったのだが、流れてきた音楽は6分ほどで終わってしまった。
それでいいのだろう。LPは割れてしまっていて、このまま放置しておけばいずれ聴けなくなってしまう。香霖堂で修復できるか聞くだけ聞こうと思うが、多分無理な話だろうなあと勝手に思っている。
この遺物を手に取って、気づいたことはもう少しある。少しそれ書きつけるのはまだ早い気がする。
ラジオのつまみをぐるりと回せば、またMCの声が流れてくる。この時間帯は毎日同じ番組がやっているのだ。このラジオがこの閉ざされた世界でいかにして電波を受信しているのかはわからないけれど、そんなことはどうでもいいのだ。またあの男の声が流れてくる。
*
………(雑音)………
リクエストは、東京は調布にお住いの△△さん。お手紙を読もうか。
「これは私が大好きな音楽の一つです」
ははあ。英訳文みたいな書き出しだなあ。ははは。
「私がリクエストした音楽がこの番組でかかるのが夢でした」
………(おなじみの雑音)………
「…に記述されているのです」
曲名は、おお、これは僕も好きな音楽だよ。一番までとは言えないかな。いろいろな音楽を聴いてきたからね。けれどこれほどまでに表現が力ある音楽はないなあ。
この音楽はね、歴史を踏まえないといけない。
パリの話だ。80年ほど前のね。パリはフランス。わかるね?戦禍に巻き込まれた芸術と美の街だよ。
君たちはヒトラーという男を知っているか?僕に言わせれば、孤独で無垢で残忍で弱い愚かな男だ。ドイツに一時代を築き上げた男でもある。
その男はね、コルティッツ将軍、自分の部下に、自分が制圧したパリを燃やせと言ったんだ。連合軍にパリを奪還されるくらいならば、パリを燃やせと。とんでもない話だ。
しかしパリは一向に炎に包まれることはなかった。コルティッツ将軍がそれを得策としなかったからだ。そして連合軍に降伏し、パリは連合軍の手に落ちた。
ヒトラーは、パリが連合軍の手に落ちる前にコルティッツ将軍にこう語りかけたんだ。
孤独な男の、美術大学を落ち、芸術に受け入れられなかった男の高慢なルサンチマンがそうさせたんだ。そこには怒りと倒錯と憎悪という愚かしい弱い感情が詰まっている。それがこの曲名だ。
「パリは燃えているか」
ねえ。みんなはどう思う?人間はおろかだ。だがパリという街を作り上げるほど偉大だ。
この曲は、時の中を進みいく人間の絶望と希望の曲だと僕は思うんだ。聴いてほしいね。
曲名は、「パリは燃えているか」
………(雑音)………
ぐるり。OFF。
*
「何しているんですか。魔理沙さん」
頭上から緑の髪がカーテンのように下がる。
「早苗じゃないか」
「書き物ですか。見せてくださいよ」
「いやだよ。恥ずかしい」
人に駄文なんか見せたくない。当たり前だ。
「えー。けち」
早苗はむくーと膨れる。そんなに見たいのだろうか。
「まあ、いいです。ここに来たのはそれがメインじゃないんですよ」
「じゃあどうした」
「紅魔館でパーティをやるらしいんですよ。しかも今日」
「へえ」
「行きませんか。いくらでも人を呼んでくれということだったし」
それなら妙だ。レミリアがパーティをやるときは、決まって招待状が出るものだ
「招待状の一つも来てないぞ」
「いやあ、さっき紅魔館の図書館にお邪魔したんですよ。その時、たまたまレミリアさんがパーティをやろうってことになって。それで招待状を今から作るのも大変だから、私が霊夢さんと魔理沙さんを呼んでくる係に任命されたんです」
ずいぶん適当な話だ。レミリアはどうも最近カリスマらしからぬ、適当な発言、行動が多い。
「それでいいのか」
「いいんですよ。楽しければ」
「それもそうだな。おーい。霊夢。お前はどうする」
私が奥で水仕事をしていた霊夢を呼ぶと、霊夢は神社中に響く大きな声で、「何が?」と聞いた。
「紅魔館で今日パーティをやるそうだ。霊夢も行くよな」
「そりゃあ、行くに決まってるでしょ」
即決だった。これで夜は予定ができたし、夕飯は咲夜の美味い飯が食えることになる。
19
いつ来ても紅魔館は瀟洒だ。
これをどういう建築様式と呼ぶかは忘れたが、シンメトリーと赤で統一された館は人を引き込む。大広間には、数学的に完璧な円形の丸机があって、そこに十数人はいすを並べて座ることができる。瀟洒なうえに派手だ。スケールが違う。
レミリアの思い付きで開かれたもので、急遽湧いて出てきた話だったのにもかかわらず、多くの妖怪が紅魔館にやってきていた。大体数えて十数人だが、紅魔館の影響力は意外に大きいのかもしれない。実際はそんなことは一つも考えていない奴らばかりなのだろうが。
咲夜がようこそとか適当な挨拶をして、パーティの開会を認めた。パーティと言っても、主たる目的は一つもないようなものだったから、参加者は思い思いのことをしていたし、それで認められていた。会場の端の方では、急遽雇われの身となったプリズムリバー三姉妹
が、BGMを奏でていた。場は声に満ちていて、それに合わせて三姉妹は酔狂な音楽を奏でている。メルランの音楽が今日は少しだけ強い。その証拠に近くで聞いていたやつが突然踊りだしていた。
咲夜のふるまうものは、いつ何時、どのような方法で食べたとしても美味い。平生和食や、意味の分からないものばかり食べているから、西洋料理について一つも知らない。よって「美味い」以外は何も言えないのだが、隣にいた霊夢も「美味しい」以外、何も言わなかったし、咲夜に「美味いぞ。この料理」と言ったところで、「そりゃどうも」と言われるだけだった。そんな程度だ。逆に、霊夢が通っぽく料理について語りだしたら、その珍妙な絵面に椅子ごとひっくり返るに決まっている。
パーティは時とともにどんどん盛り上がっていった。
霊夢は酒が入って人が変わったようになり、同じく酒が入った早苗とよくテーマがつかめない話をしていた。いつもそうだ。酔っ払い同士話しても何にもならないのに。斯くいう私は、酒はやめて腕を組んで椅子をぐらぐらさせながら、プリズムリバーの陽気な音楽を聴いていた。
「魔理沙、ここは空いてる?」
咲夜がやってきた。役立たずの妖精をまとめ上げて、なおかつ主の気まぐれに対応しなければいけないのだ。それでも咲夜は疲れた雰囲気の一つも出していなかった。
「空いてる」
「座っていいかしら」
「どうぞ。なあ、このパーティの経緯でも話してくれるか」
私はあまりに話すことがなかったから、そう聞いてみた。
「お嬢様の気まぐれよ。お嬢様が、「ねえ咲夜、パーティでもぱーっとやりたくはない?」なんて言うからこうなったの。私はそれに従っただけ」
「それでいいのか」
「いいわよ。お嬢様は言っても聞かないもの」
「咲夜、知ってるか。昔の日本で殿様を諫めるのは、家来の役目だったんだぞ。殿様の言うことをハイと聞くだけが家来や従者じゃないんだ」
「でもあなたは、このパーティで迷惑した?」
「してない。ただ」
「強いて言えば酔ってぶっ倒れた霊夢を背負って帰らないといけないことは迷惑と言っていい」
「ならよかった」
「よくないが」
「霊夢を大事にしてやりなさいよ。親友でしょう?」
咲夜は、広間の天井を眺めてそう言った。広間の天井は、アラビア風の幾何学文様がいたるところに意匠としてあしらわれていて、見ているだけで目が回ってくる。
「確かにそれはそうだが、一番迷惑をこうむっているのは、プリズムリバーのような気がする」
「いいわよ。ご近所さんだもの」
「いいのか」
「そんなことを気にしているうちに人生は進んでいくわ」
「人生ねえ」
「ねえ魔理沙知ってる?トリウム崩壊系列の核種質量数は必ず4の倍数なのよ」
「?」
「そして鉛となって不動となる。それと同じよ。人生も」
プリズムリバーの音楽は酔狂のまま広間に反響する。
「そうか」
わかったような、わからないようなそんな返事をした。
「まあ、魔理沙にはわからない話かもしれないけど」
「なあ、幻想の音って知ってるか?」
次は私のターンになった。流れのまま会話は進行していた。
「外の世界で死んだ音だったかしら」
「大体あってる。それをさ、キーボードを弾いているリリカが、集めているわけなんだ。キノコが成長する音とか、硬貨が落ちる音だとか…」
「それで?」
「それが失われた外の世界はどうなっているんだろうな」
咲夜は少し考えて、「きっとつまらない世界よ」と微笑を浮かべて言った。
「つまらない世界?」
「きっと外の世界はもっと進歩しているだろうけど、同時にいろんなものを失ったはず。それも人が生きる上で大切なものをね」
「それで生きられるのか?」
「さあ。でも人は忘れていくもの。時代はそうやって流れていく」
「そう…」
私は黙った。考えることがいくらでもあった。
「なんだかしんみりするな」
「そうね。悪かったわね。私たちもぱーっと行きましょう。ぱーっと」
「今日はささやかに行きたくないか?」
「じゃあささやかにぱーっと。ね。」
「ね」じゃない。咲夜はこういう天然ボケなところがある。咲夜はボトルをとりに行くと言って席を外した。
咲夜が戻ってくる間、私はいろいろ考えながらプリズムリバーの演奏を聞いていた。彼女たちも、幻想郷で天寿を全うした四人目のプリズムリバーから生まれた騒霊だったのだ。四女は何を失い、何を得たのだろう。創造主を失ったプリズムリバーは何を思い、演奏するのだろう。
咲夜が戻ってきた。そのあとのことはいつものように、酔いがすべてを隠している。
ただ一言いえば、ささやかにぱーっとやったのだ。
何もかも忘れて。
20
心の奥底にしまった魔法との邂逅の記憶を引き出す時が来たと思っている。
それは私が一つ大きなものをこの一週間でつかんだからだ。この一週間でつかんだもの傍から見れば、些末な問題であるし、それによる行動の変化は、本当に些細な、ニホンミツバチであるかセイヨウミツバチであるかというくらいのことに過ぎない。
しかし語るときは来たのだ。
魔法について語ろう。
親父とお手伝いの人と私の家を、母がいない家を抜け出して香霖堂で魔導書を読んでいたということが「ささやかな小児的な冒険」と呼べるのならば、その「小児的な冒険」が私の人生をすっかり変えてしまったのだ。いやこの表現は正しくない。私の人生は、私の行動によってすっかり変わったのだ。私が私の人生を変えたのだ。
魔導書を、魔法の本を読みだしたのは当たり前だが、私が幼いながら文学との決別を果たした後のことで、魔法を知ったことによって私は、月並みな表現かもしれないが、雷に打たれたような、そんな衝撃を覚えたのだ。
魔法には力があった。それは文学に内在している不確かで表れにくい力ではなくて、はっきりと体現できる力。つまり「power」であった。
それの強大さは、私の人生の、大きく反動が強すぎて一度引くともう元に戻れない石弓のようなトリガーだった。香霖堂にあった(もう私の所有物になった)魔導書は、魔法の基礎的な、人間でも真似事でできるような初歩的なことのみしか書かれていない。言うなれば寺小屋で習う、初歩的な算数や数学レベルのことしか載っていない。しかしその魔導書の前書きの一文はこうである。
「魔法とは力である」
その通りだ。この文言を目にした時の衝撃は計り知れない。これが私の嘱望したものだ。喪失を無に帰して、それを価値に変えて一歩踏み出すために必要なものだ。
それ以来、私は家を抜け出しては香霖堂に魔導書を読みに通った。読むたびに世界が広がっていく。世界は小さいようで大きく、そこには無限の彼方に広がる星空が、理論によって証明された美が確かに存在した。
魔法とは、その多くは自然科学に依拠している部分が多い。自然からあふれ出る人類がまだ獲得していないエネルギーの学問。そう言っても差し支えない。そこには人類の卑小さをあざ笑うかのような嫌味さは一つもなく、むしろ人間をそのまま包み込むような温かさを持っていた。それはまだ私が経験しえなかった温かさだ。
家を抜け出していることがばれたのは、あの衝撃的な邂逅からすぐのことだった。親父は本当によく私のことを見ていたし、私の内面を知ろうとはしてくれた。親父にはこっぴどく叱られたが、それであきらめるほどの非力の私はなかった。そうだ。私は力を得ようとしている。
勘当という形にはなった。
何度も何度も夜を越えて、口論とも舌戦ともつかない、沈黙と意見対立がないまぜになった話し合いを親父と続けた。私はその時持っていたすべてを親父に話したことだけは覚えている。沈黙がその場を支配するならば、さらけ出した方がいい。そう思った。
魔法という力のこと、これからの自分について。黙っていることが一番悪だと思っていた。伝えないと始まらない。人生のその多くは「伝達」であるからだ。伝達によって自分が存在しているからだ。
親父はその一言一言に頷き、時折に反論を入れた。そこに親父がこの霧雨の家を継いでほしいという思い、自分の娘にまっとうな生活を送ってほしいという思いを聞いた。
親父は魔法なんて。とは一言も言わなかった。それだけは感謝している。
その言い合いのすべてが終わったとき、親父は「ならば」とつぶやき、一息ついて、
「出ていってくれ」
そう言った。
それは単なる利害の不一致による帰結だったと思っている。私は私で生き、親父は親父で生きるという決断だった。それだけだ。
人生とはそうあるべきだ。自分の思う価値を追求して生きるべきだ。たとえ人生が短くても、無意味だったとしても。私は今もそう思っている。
私はもうあの家には帰らないだろうが、禍根は一つも残していない。
その証拠が私の名前だ。霧雨魔理沙。
「霧雨」という名前は、今も私をさす言葉として残っている。
21
咲夜から教わったねじ巻き時計の動かし方に基づいて、遺物の懐中時計のねじを巻く。
時刻を合わせて、そして、
時が動き出す。
22
眼下には街が広がっている。夕暮れだ。
六日目を私はすべて無為に過ごした。霊夢が日々こなさなければいけない雑務を手伝ってやって、そのあとは何もせず、霊夢と何にもならない話をして過ごした。雑務と言っても、入るはずがないお賽銭が入っていないか確認したり、桜の絨毯を箒で掃き、また桜が散るという鼬ごっこであったり、様々だ。そのあとは、何でもない話をして、アガサクリスQの過去の小説を読み返した。
そうするうちに夕暮れになった。眼下の街、人里はほのかな灯に満ちていく。神社からの眺めは山と川と、そして街。すべてがその画角に収まっていて、整然とした街並みは人の小さいながらも確実とした歩みを感じさせた。
世界はまるで雨だれがゆっくりゆっくり石を穿つように、遅々として、しかし確実に変わっていた。灯りが一つ、また一つとともっていく。夜に向けて街が動き出すのだ。人間は永久に続くとも思える夜のために灯りをつけるのだ。そう思うとなんだか泣けてくる。向こうにはお屋敷があって、向こうには百姓の家がある。山の方にも妖怪たちの活動拠点がある。その灯りは何度も何度も夜を迎えて、その夜の下でたくさんの人たちが、その人の数だけ生きたのだ。本当にいろいろな人生があった。この一週間だけで、数人の人が(S氏を含めて)亡くなって、その分新たなる命も生まれようとしている。
そうやって常に横にあり続ける喪失をそのたびそのたび乗り越え続けた、人間の世界が存続し続けてきたことに、街があり続けたことに、涙を禁じえなくなるのだ。
私は泣いていた。泣いたのはいつぶりだろう。確か最後に泣いたのは、母が死んだあの葬儀の時だ。そうだ。私はずっと泣いていなかった。まだあの喪失を乗り越えられなかったからか。
私は神社の鳥居のその太い柱に寄りかかってずっと、西日に照らされる街を見ていた。そして泣いていた。
霊夢が隣に立って、私の顔を覗き込んだ。多分ずっとここに佇んでいたからだろう。
「泣いてるの?」
霊夢はそう言った。
「泣いてない」
「でも涙が出ている」
「…泣いてるよ」
「街を見ていたの?」
私はこくりとうなずいた。涙は止まらなかった。
「そう」
その時、ぬくもりが体を包んだ。懐かしい母の暖かさのようなそんなぬくもりだ。霊夢が私を抱きしめていた。私の目の前に霊夢の細い小さな肩があった。
もうなんでもいい気がした。ここで泣いても許される気がした。
「ごめん」
そう一言言って、私は泣いた。
涙が、地に小さな滲みを作っていた。
23
六回目の夜が来て、六日と一日目の朝が来た。出立の時だ。
そうは言うけれども、これは別に霊夢との惜別でもなんでもない。どうせ明日には私は「来たぜ」とか言って、博麗神社に舞い降りることになる。
荷物の、そして思想の整理が必要なのだ。とりあえず持ち帰ることにした遺物の数々は、箒にまたがって持っていく限界に近い重さだったし、そのほとんどが壊れ物だったから低調に扱うことを強いられた。この一週間の思想の分、頭は少し重くなった。はたして無事に帰れるかどうか、途中で重みのせいで箒が耐えられなくなって墜落するかもしれない。まあその時はその時だ。
霊夢は、「昨日は急に泣きだすからびっくりしたわよ」と言って、私の頭を一回撫でた。
「ごめん」
そう言うしかない。あの時はなんだかテンションがおかしくなっていたのだ。そしてその涙の分だけ思想が一つ増え、その分少し頭が重くなった。
「まあ、気を付けてね。くれぐれもその荷物を落とすんじゃないわよ」
霊夢はそう言って、お祓い棒で遺物が包まれた風呂敷をつついた。
「ああ、わかってる。でもどうせまた明日、ここに来るよ」
「わかってるわよ。あんたがここに来なかった日のほうが少ないもの」
「そうか。それもそうだな」
ははは。と二人で笑う。霊夢は何でも分かっている。
「じゃあな。また明日」
「またね」
箒が浮き上がる。遺物を乗せた割には、軽快な浮上だ。
風を切って、進んでいく。私はこの感覚が、もう何回も体験したこの感覚が好きだ。
遺物で唯一手に持っていた懐中時計は、11時59分を指していた、
かちり。
もしこの一週間を終えたまでの私の人生を「第一章」と呼ぶのであれば、「第二章」がもう近くにまで迫っているのかもしれない。
そんな気がする。
24
これで私の一週間は終わりなのだが、もちろん後日談はある。
結局、次の日もその次の日も、博麗神社に行って、霊夢に「あんた、毎日来るわね」と言われた。それを繰り返すうちに桜の花びらは風がすべて持ち去り、その対抗措置として桜は青葉を茂らせた。季節が進んでいた。
時折聞こえる鶯のような鳥の鳴き声は雲雀の鳴き声に変わり、博麗神社にやってきた鴉は、あの一度きりでもう姿を見せなくなった。
森の中では夜に蛙が「げこ」という馬鹿みたいに大きな鳴き声を上げて、それで目覚めることもあったし、人里の田には青の稲が少しずつ見られた。
人生の「第一章」を終えた(ような気がしている)としても、ファンファーレも何も鳴らない。しかし確実に私の誕生日が一年のうちにあって、それは確実に近づいていた。少しずつ何かが変わっていた。
ある日、私は思い立って、人里のはずれの丘の上に行くことにした。
丘の上には、一本の名前も知らない木があって、眼下には無限に広がる白の花園がある。晴天は、はるか遠くまで広がる空を見せて、丘の青草は安らかに、風になびいていた。
天国のような光景がそこには広がっている。
ここは墓地だ。あの感冒で亡くなった人たちのものだ。
私は墓と墓の間を縫って、ゆっくりと、母のものを探した。私の記憶が正しければ、それは少し材質のいい石が使われていたはずだ。
整然と並んだ墓の、前から五番目の、左から5番目に母のものはあった。
墓には、私の母の名前と、生きた年月がそこには記されている。
里で買った花を手向け、合掌した。
花は、私が幼いころに私が「何の花が好き?」と聞いた時に母が答えた紫のトルコ桔梗だ。墓に持っていくものとしてはふさわしくないかもしれないが、これは私と母だけの御豪みたいなものだ。母は多分笑って許してくれる。
雲雀の唄がたえずこだましている。大方あの木の上に巣があるのだ。
私はずっとその鳴き声を聞いていた。墓の前に座って、無限に続く空と花園を眺めながら。
私はもう少しすればこの場所を去って、世界の中に身を投じ生きていくのだ。
この場面は私の「第二章」のプロローグなのだろう。
1
これは人間である私の物語だ。
この物語は今年の3月31日、つまり一か月と3日前の正午ごろ、時刻にすると12時8分に始まり、その一週間後の4月7日の11時59分に終了する。
この一週間の間、私は家を留守にして、その間のすべての時間を博麗神社で過ごした。家を留守にすることによって、本に埃が被ること、食糧がネズミに食い荒らされることが心配されたが、実際蓋を開けてみると実害といえるものは何一つとしてなく、強いて言えば、主のいない家に転がる虫の死骸の量が幾分か増えただけだった。
博麗神社の桜は、私が博麗神社に着くころにはすでに満開だった。例年よりも少し早いくらいで、やはり幻想郷は少し温暖化していた。桜が咲く前から私はこの一週間計画について話していて、霊夢から許可はもう取得してあった。
だいたい一週間計画といっても、その大方は「蒐集」だ。博麗神社は幻想郷の東に位置していて、この時期はなぜか若干、結界を越えて幻想郷に流れ着いた外界のものが多くなる。
それの蒐集だ。つまりは大方好奇心。それでその外界の遺物について文章を連ねるか、観察するかといった、ほとんど実に、ならないような無意味なことをやっているのだ。書くことは大体決まっている。例えばもしファミコンの機体を拾ったならば、そのファミコンの形状や色、カセットは何が挿さっていたとか、見たままのことだ。逆にそれしか書かないし、書けない。
猫について書くことができたところで、その猫の飼い主について何も書くことができないのと大体一緒だ。結局は見たものしか書けない。そんなものだ。
水道の水を一杯飲んで、長そでを腕まくりして(とにもかくにも最近の幻想郷は春らしからぬ暑さだ。前だって春告げ精が困惑していたのだ)、実地に向かう。森をあてもなく彷徨うのは、いつも二時間ほどに留めている。それ以上いても、たいていの場合において何にもならない。今日は春には似つかわしくない夏のような気だるい暑さが降りかかる日だ。おそらくだが霊夢はついてこないだろうから早めに切り上げるのを目標にして、家…ではなくて神社を出た。こんな日に活動的になる人間のほうが珍しいのかもしれない。
実地と言っても、神社の敷地内の少し奥に入った鬱蒼とした森の中に行けば、10パーセントほどの確率で、見慣れない何かが落ちている。持ち物は自分の体と、ちょっとしたものを入れるバッグとあたりを照らすライトだけ。あとは忘れてはいけないのが好奇心と活力。
「魔理沙、行くの?」
「ああ。行くぜ」
会話はそれだけだ。
霧雨魔理沙。そうだ。それが私の名前だ。
*
霧雨魔理沙という人間の(それは私のことだ)、過去の断片を語ろう。
母親はとうの昔に死んだ。私が八歳くらいのころだ。母については、私の「お母さん」という幼い声とともにしか覚えていない。笑顔が優しい母だった。たったそれだけだ。
活力ある人間だと幼いながら見ていたが、流行性感冒が彼女の身を侵した。
どれくらいの時間彼女の命が、その感冒に侵されていたか正確な月日は覚えていないが、本当に一瞬のうちにその病は彼女を連れ去った。
その感冒は血を吐くものだった。なぜ血を吐くのかは誰もわからなかった。当時の私は何も知らなかった。母が死にそうだということも、血を吐いていたということも。母は大丈夫だとそう聞かされていて、私もそう信じていた。
それは幼子ゆえに、といえることだったのかもしれないし、幼い子供に血を見せない大人たちの配慮だったのかもしれない。
しかしその経験は、今まさしく霧雨魔理沙、私の思想につながっている。
無知は悪だ。絶対にそうだ。そうに決まっている。
その感冒の特効薬ができたのは、それから二年もあとのことで、その感冒の高い致死率は、完全にとまでは言えないが、ほぼ0になった。その間にたくさんの人間が死んだ。だが誰も、死んだ人間を返せとは言わなかった。そして特効薬の存在に誰もが救われた。
最後に覚えている母の顔は、少なくとも生きているものではなかった。安らかな顔と死に装束は、涙に覆われてぼんやりとした像でしかない。「お母さん、お母さん」と私は涙声で多分装束に縋り付いていた。昔よくしてくれたお手伝いさんも正座して、そのふくよかな腹に涙を落していた。親父は横でじっと母の顔を見ていた。その瞳に何が移っているのか私にはわからなかった。
手足がかじかむ冬の朝のことだった。
*
この一週間でつかんだもの傍から見れば、些末な問題であるし、それによる行動の変化は、本当に些細な、ニホンミツバチであるかセイヨウミツバチであるかというくらいのことに過ぎない。
この一週間に一つ名前を付けるならば…多分こんな感じだ。
1…2…3…えっとこうだ。
「25の無意味で不確かな断章」
2
木漏れ日は確かに美しいが、野暮なことを言えば虫がひどい。多すぎる。
先ほど腕まくりをしたが、結局すぐに戻した。
森には、遺物どころかキノコの一つもなかった。全くどうかしていると嘆きたいところだが、エンカウント率がドラクエの草むらでのモンスターとぶち当たる確率(幻想郷にはドラクエだってあるのだ)くらいに低いのだから、仕方がないことだ。第一こんなところで歎いたって、音が吸われて虚空に消えていくし、もっと歎きたくなる気分に拍車がかかるだけだ。
森は整備という言葉を忘れていて、手つかずのままだった。無限に広がる雑草と広葉樹の群れ。はるか遠くに森にできるギャップから漏れ出る光が、まるでそこが聖地であるかのようにあった。鳥の鳴き声と、虫の奏でる遠い太鼓のような不思議な音と、それしか森にはない。手つかずの森とはこういう森のことを言うのだろう。
好奇心という名の橋はいつだって私を世界に駆り立てる。好奇心がなければ人間は終わっているといっても過言じゃない。もしそれがなければ今ごろ嫌になって、家に引きこもって本を読んで暮らす根暗人間になっているはずだ。
そう言ったところで、何かに出会う確率は限りなく低い。森でクマに会う確率が低いのと、木に登ってハチの巣に頭を突っ込む確率が低いのと、多分同じことだ。
戦闘ウインドウが表示されてRPG式に何かと相対することができるわけではない。遺物探しは、視力は使うし、聴力も使う。触覚も使う。意外と骨が折れる。
カタンと音がした。
それと足に何か当たった感覚がした。
これすなわち地面に何かあったのだ。めったにない発見にわたしはかがんで自前のライトを取り出す。
ぱっとライトが点いて、映し出されたのは、ねじ巻き懐中時計だ。思い切り蹴ってしまっていただろうが傷は一つもついていない。
ねじ巻き時計は、1から12までがローマ数字で刻印されていて、青の文字盤に銀のフレーム。おそらくはこれを作った者の名前か何かが小さく文字列となって書かれていた。歯車は止まっていて、3時37分を指していた。午前か午後かはわからなくて、裏面には「Ewige Wiederkunft」と書かれていた。それが何かはわからない。どこかで聞いたような響きではあったが、思い出せなかった。
触って確かめてみたが、何の変哲もない懐中時計だった。ライトで当たりの土を照らすと、懐中時計が落ちていたすぐそばの土の上に、紙が落ちている。
何の変哲もない紙だ。ぬかるんだ土がついてしまって、その水分でぐちゃっとしている。
「うええ」
変な声が出る。正直こんな紙に触れたくもない。だがこれが好奇心のなせる業だ。こういう蒐集の時はいつもハイな気分になっていて、素面ではできないようなことをやってのけている。それが私の性質だ。多分毒か薬かもわからないキノコだってほおばりそうだし、女神が出てきそうな泉に向かおうものなら、平気で手荷物を泉に投げ込んでしまうかもしれない。例外なく今だってそうだ。素面なら絶対に触らない紙を私は拾っていた。幸いながら表に書かれた文字は判別できた。何が書いてあるかまではわからなかったけれど。
そこにはこう書かれていた。
Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duos eiusdem nominis fas est dividere cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet.
読めやしない。こんなものが世界には山の数ほどある。
*
だいたいそのあとは、一定のエンカウント率に従って、外界物か誰かの落とし物かは知らないが、何かしらの見慣れぬものを拾った。
例えば、ひびの入ったLPレコード
例えば、壊れかけだが電源が入るラジオ
例えば、赤さびが付きに付きまくった鉄の棒
例えば…
例えば…
挙げればきりがないが、そのすべてを私は持ち帰った。
そのすべてが「からん」とか「かたん」とか、無機質な音を立て私のものになった。
からん からん からん からん からん からん… そんな感じ。
どこかまではわからないが、あるところで引き返して今日の探索は終わりだ。これ以上森を探し回っても何も出てこないだろうし、多分神社では今頃霊夢が退屈そうに待っている。待っていないかもしれないが。
どちらにせよ、長居すると多分同じところをぐるぐるとめぐって、路頭に迷うのがオチだ。
多分この森はそういう風にできている。
3
文学について語ろう。
私は母が死んだあと、親父に、いやたくさんの人に、いや世界から多くのことを学び取った。
そのおかげで私はいちおう、四桁足す四桁の足し算だとか、三桁掛ける三桁の掛け算くらいなら暗算でできるし、何のために必要なのかは知らないがピアノだって弾ける。「あんた食べ方がきれいね」と霊夢にだって言われる。微分積分学の基本定理はなぜか知っているし、なぜ空に雲が浮かんでいるか大体の理由を説明することができる。
傍から見ると今となっては魔法に傾倒しているかもしれないが、教養は人よりあるとは思っている。
文学だって私は嗜んだ。魔法について書かれた本だけじゃない。魔法に出会う以前から小説なんか腐るほど読んだし、太古の思想家の思想をまとめた本なんか(それのほとんどを私は理解できなかったのだが)いくらでも読んだ。
惜別を描いた本に涙したこと、人間の本能的な畏怖に震えたこと、数えきれないくらいだ。
言葉はいつだって力があった。
文章の中では、世界は意のままだったはずだ。また文章には、人を震えさせる力がある。指をパチンとならせばきっと何かが起こったはずなのだ。それは空気が震えるとか、音が聞こえるとかリアルテイストが効きすぎていて、興覚めになってしまうようなものでなくて、星が降る幻想とか、人がその文章に涙したりするとか、そういうことだ。
だが現実はそうでないし、文章を書くことは意外にも苦しいマラソンだった。紙の上から書き始めて下に行きつくまでに、紙が屑箱の中に放り去られることなんてたびたびあったし、紙が埋まるのにはよくて一時間、長いときは、3日かかった。
「整合性」が多分すべてにおいて、邪魔をしていた。人間は何にだって整合性を求めるのだ。たとえそれがファンタジアだとしても、それがたとえ夢の中に起きたことだったとしても。
小説家はなぜ、こんなにも物を書くのがうまいのだろう。私の日常は小説の世界ほど煌めいてはいないし、ほかの人間だってそうだ。小説家といわれる人間も、里に何人かいて、その人たちは全員大きいお屋敷に住んでいて、広大な庭に一人墨客ぶっているだろうけど、善良で石を投げれば当たるような平々凡々とした人なのだ。
物書きは、きっと狡猾で嘘つきな人間なのだというあらぬ考えが廻ったこともあった。しかしそれは誤りだ。
小説家とは想像を伝達しているのである。それは嗜虐、寓話、たくさんの形をとる。里にいる少なくとも一定以上の人気を博しているような、才能ある小説家は平々凡々でありながら青春時代の夏とか、推理小説とかを書いている。それは絶対に経験によってなされたものではないはずだ。
経験でしか小説は書けないというのは、才能がないものの逃げ口上だ。
本当に才能あるものは、その小さな頭蓋の中に綺羅星のごとくめぐる想像を書き起こして、伝達できる人たちなのだ。
そして私はそういう人間ではなかった。それは努力でどうにかなるものではない。生まれた環境、もともと持って生まれたもの、そういう問題だ。
それが私の文学の帰結であり、私の文学との決別だった。
その決別の瞬間は、母が亡くなってから三年ほどたったある朝のことであり、私はある朝にガウス少年が正十七角形の作図方法を思いついたように、はっきりとした天啓をもって「やめた」とつぶやいた。
魔法との邂逅はそれから少し後のことだった。
4
桜の枝がそよそよと風になびいている。
霊夢がお茶を入れてきてくれたから、花見の時間になった。茶菓子は生憎切らしていた。
と言っても縁側で座って茶を嗜むのは私くらいのもので、霊夢は私がさっき拾ってきた遺物たちを、初めて虫を捕まえた子供のような物珍しげな眼で見ている。
「なあ。そんなに見つめても何も出てこないぞ」
「でも」
「珍しいじゃない」
霊夢は仕方ないじゃないと同じニュアンスでそう言った。
「まあ、そうだが」
「何これ」
「それはLPレコード」
「何それ」
「長時間音楽が聴けるやつ」
多分それで間違いない。
「何も聞こえないけど」
「馬鹿だなあ。専用の機械がいるんだ。霖之助のところにおいてあった」
「霖之助さんが…」
霊夢は霖之助のことを霖之助さんと呼ぶ
「多分もう外の世界では使われていないんだろうなあ」
「音楽は聴けるの?」
「いやあ。聴けないだろう。そのLPはひび割れている」
「なんでひび割れちゃったのかしらね」
「わからん。そのLPはひび割れるべくしてひび割れたんだ」
「ふうん。じゃあこれは?」
取り上げたのは、私が拾ってきた紙だ。土を払い落として乾かした。土の水分でも、文字が消えなかったのは、それが手書きじゃなくて印字されたものだったからだ。
「それはただの紙」
「そんなことくらいはわかるわよ」
「印字された言語は知らん」
「小鈴案件?」
大方小鈴に読んでもらおうという意味だ
「そうだな。言い方は物騒だけど」
「それにしてもこんなもの落ちているのが分からないわね」
「多分誰かの遺物だ。遺した物。外界から流れ着いた人間が最期に持っていたものだ」
「死んじゃったの」
「ああ、死んだ。自然の連関に従って土に還った。そう紫が言っていた」
「ふうん」
「そのLPも、その紙も誰かが持っていたもの。何故持っていたのかは知らないが」
「取ってきていいの。そんなもの」
「いいよ。どうせこの無機質な遺物たちは土に還れない。森においてきぼりにされるだけ」
「そう」
「そうだ。霊夢、人間を一番死に至らしめたものは何だと思う?」
「さあ、戦争とか、殺人とか?」
「違うな」
「じゃあ、災害」
「違う」
「答えは?」
「答えは、疫病だ」
霊夢は本当に何も知らない。
*
結局小鈴が博麗神社に呼ばれた。ここに二人でいたところで読めるものでもないし、小鈴に読めないものがあると聞かせたら、飛んできた。実際飛んできてはないけれど。
「博麗神社って遠すぎませんか」
小鈴はぜーはー言いながらやってきた。
「そんなものでしょ」
「飛べない身にもなってくださいよ」
「まあ歩いてきたのは褒めるよ」
「魔理沙さんも冷徹だなあ」
そんな感じだ。
あの印字された紙を見せると、ああこれはラテン語ですよと言った。
「ラテン語」
「道理で読めないわけね」
「内容はこんな感じです
立方数を二つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を二つの4乗数の和に分けることができない。一般に冪が2より大きいとき、その冪乗数を二つの冪乗数の和に分けることはできない。
この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」
「はあ?」
霊夢は怪訝そうな顔をした。小鈴もそろって怪訝そうな顔をした。
「何ですかこれ」
「フェルマーの最終定理だ」
私はなぜか知っていた。
「何それ」
「外の世界で証明するのに三百年かかった問題だ」
「三百年?」
「ああ。そうだ」
「途方もない期間ですね」
「私も詳しくは知らないが、たくさんの天才といわれる数学者がこの問題に挑んで、この問題にねじ伏せられたんだ」
「それで三百年も?」
「霊夢、数っていうのは何個ある?ほら…1,2,3って」
「えっと、そりゃ無限にあるでしょう」
「その通り。無限にあるすべての数について冪乗数は、2つの冪乗数の和に分けることはできない」
自分で話していてあれだが、途方もないことに人類は挑んだのだ。たった一声で語ることができるその定理には、信じられないほどの重みがあった。
「それを証明するの?」
「そうだ」
「どうやって証明したんですか。そんなこと無限だなんて、そんなの不可能ですよ」
「さあな。そこまでは知らん」
私は棚の上にあったペンで紙にX^n+Y^n=Z^n (nは自然数)と書いた。
「たったこれだけのことにたくさんの人間が挑み、犠牲になった。寂しくならないか?」
「そうね」
「魔理沙さん、結局この定理の主張は正しかったんですか?」
「ああ、真だった。フェルマーは正しかったんだ」
私はものを知りすぎている。
5
「フェルマーの最終定理?」
小鈴が去った後には、早苗がやってきた。早苗は、ひとしきり私が拾ってきた遺物を触るなりなんなりして、それについてまるで梅雨時の洪水のように語った。壊れかけたラジオについては、昔彼女が外の世界にいたころに聞いたラジオ番組のMCの話を、懐中時計については、その時計が作られたブランドについて教えてくれた。そのブランドはメジャーなブランドで、子供から大人まで誰しもが1個くらいは持っている、そういわれるくらいだった。
正直そんな話を聞いたところでそのブランドが破産するわけでもないし、ラジオMCが不祥事を働くわけでもないので、そんなことはどうでもよかった。問題はフェルマーの最終定理だ。
「知っているか」
「そりゃ、知ってますよ。数学には詳しくはないですけど」
そうやって彼女はペンで、私がさっき書いた小さな数式の下に「X^4+Y^4=Z^4」と書いた。
「n=4くらいなら説明できます」
「へえ」
「説明しましょうか」
「面白そう」
霊夢が私の隣に座って紙を見つめた。
「でもどうして4なの」
「3の場合は難しいんです」
「どんなふうに?」
「それを証明するために証明すべきことがたくさんある。ラスボスの前にもっと多くの中ボスがいるみたいな感じです」
「へえ」
そして彼女は、今度はX^4+Y^4=Z^2 (XとYは互いに素)と書いた。
それからが長かった。早苗は延々と、フェルマーの最終定理の証明について、またも梅雨時の洪水のように話した。4の場合についての証明と無限降下法について。4以外はnが素数の場合についてのみ証明すればいいということ。素数は無限にあること。フライの楕円方程式とモジュラーについて。その話に日本人がかかわっていて、日本人が重大な足跡を残したこと。大体はそんな感じだ。
「こんなことやり続けるの?数学者っていうのは」
難解な理論が続いたからなのか、霊夢は大分疲れていた。
「そうです。それが三百年続いたんです」
「何かの本で読んだんですけどね。こういうのは一朝一夕でなるものではないんですよ。ある日の朝に、何かしらのアイデアが降ってくる。だけど1週間後には水泡に帰している…そしてまた一から…」
「悲しくならないか」
「なるでしょうね。でもそれでもいいんです。この定理には関係ないけれど、アルフレッドオイラーという数学者を知っていますか?」
「世界一美しい数式の人か?」
「何それ魔理沙」
「e^πi+1=0」
「はあ?」
「美しいんですよ。それが」
「そうなの」
「数学とはそういうものだ。私もわからんけど」
霊夢は不思議そうな顔をしていた。e^πi+1=0と紙に書いてやった。霊夢は奇術を見た観客のようにその紙を見つめていた。
「それで、その数学者は晩年目が見えなくなったんです。夜中にも数学に没頭しすぎて目が悪くなって、ついには盲目になってしまった。その時彼は何と言ったか?」
「さあ」
私は首を振った。盲目者の気持ちなんて考えようもなかった。
「おかげで楽になった。これで数学に打ち込むことができる。彼は一言そう言ったんです」
「マジか」
「マジです。でもちょっとわかる気もするんですよね」
「オイラーの気持ちが?」
「そうです。私は宇宙方面ですけどね。思うことがあるんですよ。例えば今指をさしたそのはるか向こうには空があって宇宙が広がっている」
そう言って早苗は、天空を指さした。釈尊が唯我独尊と指したその指に似ていた。
「世界は広すぎるんですよ。死ぬまでに広すぎる世界に少しでも触れる。理学とはそういうものです」
早苗の目は煌めいていた。まるでそれが真理であるようなそんな口調だった。
「たとえ一生の間、宇宙という大海原をこの世界という海岸から眺めることだけになったとしても?」
「海が見えない海岸に何の意味があるんですか?」
それも一理あった。
6
そのまま、早苗は帰った。
あいつはしゃべりたいことだけしゃべって帰る。そういうやつだ。長いこと話していたから、もう夕暮れ時に近くなった。結局今日は森に入った以降は、ずっと神社にいたから、霊夢に「食料はあるのか」と聞くと、「あんたが来るから買いだめしておいた」とのことだ。ありがたい話だ。
とりあえず二人で簡単に飯を作り、食べた。昼も何も口にしていなかったから、食道から胃にしみわたった飯の味は、泣けるほど美味かった。
そのあとは倉に保管されていた日本酒を一本開けて、何かにとりつかれたかのように飲んだ。大体の、私が神社にいる場合や宴会の場合は、こういう風に夕から夜は進行していく。
それで何かをテーマにして語りだすのだが、二人とも酔って何も覚えていないというのがオチなのだ。
その間は、神社は霊夢と私だけになって、まるで世界に霊夢と私しかいないような錯覚に陥ってしまう。時がゆっくりと過ぎて、霊夢と二人でどこかの密室に閉じ込められたかのようなそんな感覚だ。
詳しくについては、全て酔いが持って行ったから何も覚えていないのだが、二人とも何かについて河口から海に水が流れ出るように遺漏なく語りつくして、日付が変わるくらいの時間に眠りの海に沈んでいった。障子戸も開け放しにして、ほてった体を冷ましながら布団も敷かずに床に突っ伏したのだ。
7
私が起きたのは山際が白んできた薄明のころ。のどの渇きに耐えられなくなったのだ。
いくら早起きが三文の徳とは言え、こんな早くに起きる理由もなければ、義理もない。とはいえ障子戸が開け放たれたままだったので、霊夢を起こさないようにそっとしめて、なるべく音をたてないように流し台の水道からの水をコップ一杯飲んだ。なんだか情事の後みたいだ。
そしてもう一度床にそのまま寝転がった。布団を敷く気にはならなかった。
と言っても、また惰眠をむさぼることを体が拒否していた。霊夢は寝息をあまり立てないタイプで、寝ているときも生きているのか死んでいるのかわからないほどだった。
健康的な頬に、長い睫毛。日が昇ってきてその華奢な体が日に照らされる。
霊夢は今どんな夢を見ているのだろう。そんなことを無性に思う。私は獏じゃない。そんなことはわからない。
無限の花園に包まれる夢か。奈落の底に堕ちる夢か。母の胎内の夢か。
私は霊夢の母親については何も知らない。どんな人間なのかも。どうやって生きたのか、それさえも。この世に生を受けた以上、母親があって父親があるのだ。木の又から生まれたり、自然発生するのはそこら辺にいる低級な妖精や妖怪だけだ。
霊夢は母親について何も語らなかったはずだ。私は彼女のライバルで親友であったかもしれない。しかし私たちはシャムの双生児ではない。同じ体を共有していない。他人であるのだ。
「」
霊夢はまだまどろみの中にいて、寝言か何か知らないが、何かを言っていた。聞こえなかった。いや聞こえなかったことにした。霊夢の中の喪失が現れた、そんな気がした。
日はのぼる。どんどん昇る。そしていずれ沈みゆくまでにそのエネルギーを地上に降り注ぐのだ。
それから霊夢が起きるまでずっと、彼女の艶やかな黒髪をずっと眺めていた。
不確かな思考の地平にさまよいながら。
8
「ゆきつくす江南の春の光かな」
人のしゃべり声と、食器が置かれる甲高い音が聞こえる。食堂の奥から漏れ出る食欲を掻き立てるにおいが鼻腔をくすぐる。
「江南?」
「川の名前だよ」
霊夢の声だけがやたら目立って聞こえた。カクテルパーティー効果というやつだ。
結局博麗神社での生活二日目は、昼にして食堂に出かける結果になった。また森の中へ遺物を探しに行くというのは二日連続でできる芸当ではなかったし、第一やる気が起きなかった。あの後霊夢が起きたのはもう日がすっかり上ったころで、私たちは朝飯を食べることはしなかった。霊夢は、はあとため息一つついて境内の掃き掃除を一通りして、「何か食べに行かない?」と提案した。断るわけもない。
それで少女二人な優雅なブランチだ。和食だが。その食堂は川が横を流れていて、川に面したほうの席は昼時になると必ず満席になる。私たちが行った時間帯はガラガラだったが、それから一人、また一人と人がやってきて、昼の喧騒が店内に満ち満ちている。
「風流ね」
霊夢は味噌汁を一口飲んでそう言った。今日は私が奢ることになっていた。
「お前に風流が分かるのか」
「少しはね」
川沿いに植えられた桜の花びらがひらひらと舞って、私の手元にまでやってくる。
「花見酒隣は洒落の知る人ぞ」
「誰の句?」
「霧雨魔理沙作」
「さっきのほうがいいわ」
「霊夢、自分の才能のなさに泣きたくなるからやめてくれ」
「今は酒を飲んでいないし、私が座っているのは魔理沙の正面」
「手厳しいな」
お手上げだ。桜の花びらを拾って川に捨てた。桜は短い時間で川に落ちて、一瞬で流れのうちに消えた。
「酒と洒落を掛けたんだ」
「洒落になってない気がする」
なんて手厳しい女だ。追い打ちまでしっかりしている。
「それに、多分それはパクリ」
「芭蕉だ」
「何だっけ」
「秋深き隣は何をする人ぞ」
「やっぱりね」
ふふんと霊夢は鼻を鳴らす。
「そういえばあの鴉はどうしたんだ」
あの鴉。去年の夏から秋にかけて神社に居座った鴉のことだ。
「鴉?」
霊夢は覚えてなかった。
「去年の秋にいただろ。早苗がやたら気にしていたやつだ」
霊夢は、「んん?」と眉をひそめた後、思い出したように「ああ、あのことか」とつぶやいた。
「さあね。私はあまり気にしてなかったけど」
「結構騒がれていたよな」
「騒いでいた人は騒いでいた。それが正しい表現」
霊夢はまた味噌汁を一口飲んで、外の桜を見た。味噌汁は全然減っていなかった。
「文屋が騒いでいた。結局あれは何だったんだ」
「さあ。でもね、魔理沙。鴉がいたところで、それはそれでいいのよ。それは桜が散っていることに意味を求めることと一緒」
「つまり」
「考えるだけ時間の無駄。神社に鴉。それが珍しいから人が騒いだだけ」
「ふうん」
食堂は正午が過ぎても、どんどん人が増えていった。座敷童が宿っているのではないかというくらいの繁盛だ。食堂のおばさんの気風のいい「いらっしゃい!」という声が何度も何度も響く。
「いらっしゃい!あら文さんじゃない!」
文?文というと文屋のことか。ブラウンで統一されたジャケットとキュロット様のパンツ。まさしく文屋の姿が店の入り口のほうに見えた。文屋は私たちのほうにまっすぐにやってきて「おやおや、ご無沙汰ですね」と言った。
「文屋の話をすると文屋がやってくる話はやはり本当だったんだな」
「あやや。何の話です」
「あの鴉の話だ」
「はて?鴉?」
「去年の秋の話のことよ」
文屋は霊夢の横に座って、「ああ、そんなこともありましたね」と言った。忘れていたのだろう。
「毎日いろんなことがありますからね。忘却しないといけないんですよ。すいません!おかみさんいつもの一つ!」
「あいよ!」というおかみさんの子気味いい声が響いた。
「ここにはよく来るの?」
「まあ、ここら辺に来たときはいつも」
「へえ」
「それでその鴉が何なんです。今更去年の話を蒸し返しても、あれじゃないですか」
「あれってなんだ」
「忘却は大切ですよ。覚えていたってどうにもならないこともあるし、私たちは前に進まないといけない」
文屋は手を広げてそう言った。
「それでいいのか」
「でもちょっと鴉の意味を考えましたよ。あの時は。何か意味がある気がしたのは事実です」
「例えばどんな?」
あの時の新聞には鴉について、まるで当たり障りのない選挙公約のような、あやふやなことしか書いていなかった。
「二人とも知っていましたか。あの鴉が飛び去るときは、必ず人里のある方角に向かっていくんです」
文屋は、それがまるで国家機密であるかのように言う。
「鴉の気まぐれでしょう。そんなの」
霊夢は外の桜を見ながらそう言った。
「私だけじゃなくて、早苗さんとかがそのことに気が付いていた。あの人は、よく鴉を観察していましたからね」
「それで?」
「私はあの鴉は、式か何かだと思ったんですよ。幻想郷を監視しているような。早苗さんのその話を聞いたのは、新聞が出た後でしたからね。どうにもならなかったんですけど」
「幻想郷を監視ねぇ」
「監視じゃないなぁ。観測と言ったほうがいいかもしれないです。幻想郷がどうなっているか、人里がどうなっているか、それを見ている?わからないですけどね」
「鴉が去るとどうなるんだ?」
「鴉が人里を見る必要がなくなった。里に平和が訪れた。そんな感じじゃないですか」
「それで?」
「鴉はいずれまたやってくる。里を含めて幻想郷がどうなっているかを観測する。定期的に経過観察ってものは何にだってあるじゃないですか。それと同じです」
「根拠は?何のために?」
「言いくるめようとしないでくださいよ」
結局それは推測の域を出なかった。所詮は文屋の推測でしかなかった。
「よかったら新聞持って行ってくださいよ。昨日出たものですし」
文屋は新聞をどこからか取り出した。
「私は新聞取ってないぞ。霊夢は読んでいるかもしれないけど…」
「ほとんど読んでないわよ。掃除には使うけど」
「それを本人の前で言いますか」
文屋が苦笑した。扱いが余りにもひどかった。
「世知辛いなあ。可哀想に。貰っていってやるよ」
「じゃあ、初回無料キャンペーンということで」
手渡されたのは本当にただの新聞だった。アガサクリスQの連載が目についた。
そのあと文屋は、何の変哲もない定食をさっと食べて、茶を飲んで、まるで砂漠の竜巻のような速さで帰っていった。幻想郷最速なだけはある。
新聞の出来はそこそこで、社説(?)らしきものもあったし、新聞の体はなしていた。
ニュースと言えば、幻想郷を揺るがすようなものはなかった。しいて言えば、里の小説家が服毒自殺した。それくらいだ。
新聞を隅から隅まで読んでやって、それで霊夢と二人で外を出たころには、店内は元の静寂に戻っていた。
9
文学についてもう一度語ろう。文学と決別した以上、これがおそらく最後だ。
文学といっても私に語れるのは、もう毒杯を仰いで死んでしまった小説家のS氏についてのことだ。(S氏とプライバシーの観点からもそう呼ばせてもらう。死人について語ることは気分のいいことではない)
親父とS氏は知り合いで(確か同窓だったとか何かだ)、私はS氏の邸宅に幼いころ連れられたことが一度だけある。
S氏は小説家の例にもれず、変な人間で尚且つ小さな茅葺の家で庭を嗜むような風流人だった。漱流枕石というやつだ。
私はまだその時は世間を知らなかったから、これが小説家の良い暮らしなのかと思っていたが、実際そんなことはなかった。いい暮らしをしている小説家は他に二、三人いた。こんな小屋に住んでいるのはこの小説家くらいだ。
子供心に察していたことだが、おそらく親父から、S氏に金の流れがあった。つまりはS氏が親父から金を借りていた。いくらかまでは知らない。
風流人と言って差支えのない人間にも俗世的な面があるのだ。だがそれは髪に裏と表があるような、表面をめくれば裏があることと同じことだろうから、私はその時S氏に幻滅することはなかった。
S氏は私をお嬢ちゃんと呼んで、なれない他人の家にきて、縮こまっていた幼い私を縁側に連れていって、庭を見せてくれた。親父は微笑んでいて何も言わなかった。
庭には桜の木と、小さな蘇鉄、そして生垣の緑だけだった。その庭にはたいていの庭にある花が少なく、雑草のほうが割合として多かった。庭はたいてい緑黒色で埋められていたが、桜の桃色がその緑のおかげでよく映えた。
「ねえ、お嬢ちゃん」
そうS氏は言って、桜のほうを指さした。
「あの桜は何色?」
私はきょとんとしていて、答えるのに多分時間がかかったと思う。見たままを答えればいいのか、何かしらの意味があるのかつかめなかったから。
「薄桃色」
「そうだね」
「じゃあ、お嬢ちゃんは桜を見てどう思った?」
「…??」
私は考え込んでしまった。
「えっと、桜は春になれば人が見に来る」
「それで?」
「きれいだけど、すぐ散ってしまう」
「そうだ。その通りだ」
この一連の流れにどんな意味があったのか、それを考えたのは成長してからのことだ。
親父に手を引かれてS氏の家から帰宅した後、幼い私宛にS氏の書き損じた原稿が一枚送られてきた。おそらく立ち消えになったストーリーの一部分で、それは不思議な桜にまつわる話だったのだが、ついにS氏の手で世に出ることはなかった。
その原稿はいまだに家に保管されている。私が霧雨の方の家を飛び出した時に一緒に持ってきたのだ。これは推測でしかないけれど、あの会話はS氏の認識と世界の認識をものさしで測るような、そんな行為だったのだ。S氏は孤独だった。桜の色を幼子に聞くくらいには。
しかしこれが真実かどうかはわからない。死人はどうしたって真実を話すことはないし、私もこれを真実かどうかを確かめようとしているわけではない。
ちなみに、S氏の書き損じの原稿の裏側には、ボールペンでこう書かれている。
文学とは伝達である。
伝達するべきものが失われたとき、文学は終わる。
そしてその時は、この世から生物が消えたその瞬間に訪れるはずだ。
10
そんなこんなで3日目だ。3日目も森に入る気は起きなかった。なぜかと言えば、朝からレミリアが神社にやってきたからだ。レミリアの話を聞くのは、命蓮寺の説法より面白いが、パチュリーの魔法談話よりはつまらない。つまりは没頭しすぎることもないし、眠くなることもない。素晴らしい塩梅だ。そんなレミリアは朝早くに日傘をさして博麗神社に現れ、いの一番に「シャーロックホームズは知ってる?」と言った。咲夜も一緒にやってきていた。
「まあ知っている」と私と霊夢は答えた。
「じゃあ、海を知らない人間も、わずか一滴の水からこの世に大海原があることを推察することは可能だ。という言葉は?」
「知らないわ」
霊夢が首を振る。
「そう、じゃあ続きを教えてあげる。人間も同じさ。人生は一本の鎖のようなもの。だとしたらたった一つのリングから、その人間の本質だって探り出すことができる」
「ホームズが言いそうなことだ」
「そうなの?」
霊夢は首を傾げる。
「コナンドイルはいつも気障な言い回しをする」
「そうね」とレミリアがからからと吸血鬼らしく笑って、「ところで、それは何?」と私が拾ってきた遺物を指さした。
「それは壊れそうなラジオ」
「それは?」
「ただの鉄棒、それでそっちは懐中時計」
「変なものばっかり拾うわね」
「仕方ない。落ちていたから拾ったんだ」
「そのラジオは誰のもの?」
「さあ。結界の境目に流れ着いたものだからな」
私も霊夢も知らない。何なら神様でも見逃しているかもしれない。
「でも推測はできるわ。たった一つのラジオからその持ち主の肖像がつかめる」
「知ってどうなるんだ?」
「面白そうじゃない。結界を越えてきた人間でしょう?」
「確かにそうね」
霊夢はラジオの方へ寄って、ラジオを手に取る
「私は、推理は素人だ」
「ヒントは意外とすぐ見つかるのよ。例えば…このラジオは、つまみの部分のギザギザが、少し削れている。すなわちこのラジオの持ち主は、ラジオをよく使った」
「なるほどねぇ」
「どこかで聞いた話だけど、ラジオはもう外の世界じゃマイナーらしいわよ」
霊夢は謎な知識が多い。
「どんどんラジオを聴く人は少なくなって、おじいさんとかが聴くものらしい」
「つまり?」
「ラジオの持ち主は、老人である可能性が高い」
霊夢は、どや顔でそう言った。いい推理だ。
「ですが、老人がなぜ山の中の、しかも結界の近くまでたどり着いたんでしょう?」
さっきまでずっと主の言葉に耳を傾けて、うなずいていただけの咲夜が口を開いた。
「そうね。じゃあ咲夜、こんなのはどう?このラジオの持ち主は、少し懐古的な趣味を持つ若者だった。若者はその足で山に入った」
「なぜ山に?」
「さあ…自殺か、冒険か。もし自殺なら、外の世界は少し荒んでいるのかもしれない」
「そんなことはないだろう。平和の隅に自殺はある」
私は否定して、レミリアに小説家の(S氏の)自殺について話してやった。普通の社会システム上の、平和である人里の片隅で起きた出来事だ。
「レミリアは、新聞は読まないのか」
「読まないわね。新聞にあるのは事実の羅列だけ。つまらないわ」
「そうか」
確かにそうだ。
「それもそうと、このラジオの電源はつくの?」
咲夜は、虎の赤子を取り上げるみたいにラジオを手に取って、そのままラジオのつまみを回した。
ぐるり。ON。
「点くよ」
ラジオからは雑音とかすかな音が流れてきた。何か不思議な力が働いたみたいにラジオは動く。
*
ザザ……ザザザザ……やあ……この時……の時間だ。…………
「ねえ。何にも聞こえないわよ」
霊夢はつまらなさそうにつぶやく。
「アンテナを伸ばしてみろ。あと音量を上げるんだ」
ぐるり。UP。
*
リクエストは、東京の××さん、30歳からだ。きっと自称だね。はははは。
お手紙を読もう。
…………(しばしの雑音)…………
「私は、上京して大学の博士課程まで行き、就職しました」えらいことだね。素晴らしいよ。
「東京は寂しいことばっかりで、時々故郷の情景を思い浮かべます。東京は夢と現実の街。私の友達は、東京が嫌になって、「東京なんてゴミの集まりだ」と言って田舎に移住しました」
はははは。「東京なんてゴミの集まり」か。はははは。
………………(不連続な雑音)……………
「故郷に高校卒業から今まで残っている人もいます。さして仲良くなかった人で、私は連絡先も知らないけれど、時々高校卒業時までの記憶だけで、その人を想像するのです。その人は今どこで何をして、どんな人生を送っているのだろう。大企業の出世競争を生き抜いているか、どこか田舎でギターでも弾きながら農業を楽しみ牧歌的な暮らしをしているのだろうか。
私の中学の同級生は、25で海外に行ってしまい、そのまま今どこで何をしているのかもわからない。もしかしたら海外でよい人と生活しているかもしれないし、死んでしまったかもしれない。そう私の中学以来の友達が言っていました。人はどう生きて死ぬのだろう。そんな気分になったとき、9回裏のサヨナラのチャンスがたったひと振りで霧消したりするとき、遠い異国の地で、デモ隊と警官が衝突して、街から火の海が上がった。そんな映像を見た時、私は決まって音楽を聴く。私は、依存ぎみなもう三十路の女です。いつも同じ音楽ばかり聴くのです。そして悲しい気持ちになるのです」
だってさ。これがリクエストだ。えっと、曲名は「神のパッサカリア」
一つこの方に、教えておくよ。
人生は絶えず前に進んでいるんだ。確かに人間は後ろを振り返ることができる動物だ。でもね。時がいやおうなしに私たちを前に押すんだ。
この言葉を覚えておいてほしい。魅力的だろう?
…………(雑音、雑音)………………
次に流れてきたのは、物悲しい音楽だった。
人間が生み出した悲しみ、憎悪、怒り、嫉妬、そしてそこから生まれる虚無と希望。
整然とした混沌のような曲だ。
………(雑音、また雑音だ)………
11
夜は月が太陽だ。
月は地平の上に顔を出せば、私たちをずっと付けまわして、慈愛の神のような顔をしている。今日は桜の後ろ側から私たちを見つめていた。
風が桜を舞い散らして、月の光のしずくと桜の花びらを底なしの闇の中に消す。月と桜。酒があれば花札の役ができている。だが酒はない。
レミリアは推理講義を垂れて、昼頃に帰った。大方レミリアは推理小説にはまって、小説の中で得た知識をひけらかしに来ただけだ。そう咲夜は言っていた。ラジオ以降の下りは全部成り行きで、その打算のなさがお嬢様の良いところなのだ。とも言った。
「月がきれいね」
私と霊夢は隣り合ってずっと桜を見ていた。その間一言もしゃべらなかったが、何の予兆もなく霊夢はそう言った。
「傾くまでに会えてよかった」
「へ?」
「そういう意味じゃないのか」
「違うわよ」
「なんだ。素晴らしい愛の告白かと思ったぞ」
霊夢は慌てふためいていた。
「月がきれいな日には月がきれいという義務があるわ」
「それはそうだけど」
月は全然傾かない。まだ夜の口、夕の終わりだ。
「誰かと満月を見られるのはそうそうあることじゃない。満月は年に12回ほどしかないのよ」
「数えたのか」
霊夢は棚の上においてあったカレンダーを持ってきて
「最近のカレンダーは月の満ち欠けが書いてあるの」
と言う。
「でも今日は満月じゃない。満月は四日後だ」
「まあいいじゃない。些末なことよ。月がきれいならそれでいい」
「そうだな」
「ねえ、魔理沙。傾くまでに…って」
15秒ほどの沈黙。
「まあ、想像に任せるよ」
「」
「そんなかっかするなよ」
「誰のせいだと思ってるの」
霊夢はかっかしていた。そんなにのぼせることもないだろうに。私と霊夢の仲だ。
*
夕飯は、芋の煮たものと、白米と味噌汁と魚と。和食だ。水仙を食わされたりはしなかった(というのも昔、私が水仙を食わそうとしたのだが)
いつものことだが、酒が入って、本格的に花見酒、月見酒になった。霊夢は夕飯中もずっとかっかしていたが、酒が作り出す頬の赤にそれもかき消された。
縁側で月を見ていたら、睡眠欲と重力にあらがえなくなった霊夢の頭が、私の膝に落ちてきた。霊夢の頭を一つ撫でてやった。
私たちは、この日常を繰り返している。
それを可としているのだ。
12
夢でも頬をつねれば痛いときと、痛くない時がある。だからこれが夢か否かは、この要素では断定できない。しかしこれは過去の、私の母を連れ去った感冒の話だ。人間は過去には戻れない。だからこれは夢だ。しかも大方悪い夢だ。
そうだ。私はあの後、すっかり眠りに落ちた霊夢を抱き上げて布団に入れてやり、そのあと酔い止めの水を一杯飲んで、もう一つの布団で寝たのだ。
寝るときにしか夢は見ない。だからこれは夢なのだ。確証が付いた。
感冒?今更私が何について語ることがある。その思いと裏腹に夢の映像として流れてくるのは、私の記憶だ。
吐き気がするくらい嫌な夢だ。
あの感冒が人里に蔓延したのは、もうずっと前だ。血を吐いて死んだ一人の百姓を起点に始まった。まず百姓の家族が子供一人残して全滅した。そして老人が一人、若者が三人…まるでマサダ陥落に際したユダヤ人がくじ引きで死の順番が決めたような、それほど無作為に人が死んだ。マサダ陥落の時、ユダヤ人は「生きて虜囚の辱めを受けず」の信念があったはずだ。里の人間にそんな信念はなかった。誰しも生きたかったはずだ。
その感冒が、何からくるものなのか誰も知らないということが、人の不安を掻き立てていた。あるものはそれを神の啓示と、あるものはそれを医療施設から漏れ出たものという嘘を、あるものはそれを仕方のないことと、そう表現した。
表現の仕方は何通りもあって、それ自体に文句をつけることはしない。あの時は、人間が切羽詰まっていた。すべては後から聞いた話だ。幼い自分には、どうすることもできなかったのだと思う。
記憶の中には、幼いころに見た死人を燃やす火の赤の光景がはっきりとある。華氏451度で、人は骨となって土には還れない。天に死の煙が登っていって、青空に染み出すような汚い灰がにじんでいく。いずれ灰が空を覆ってしまうかもしれない。そんなありもしない絶望と恐怖をその時は感じた。
今まで奥底にしまっていたものが、パンドラの匣のように開きだす。次から次へと、走馬灯のように光景が浮かびだす。
次から次へ。行きつく暇もなく。
人がせわしなく走っていく先には、医者がある。道端の赤の沙羅双樹の花びらが踏みつけられていく。医者の向こうには、人が埋まっている。死人だ。
「桜の木の下には死体が埋まっている」
そんな質の悪い言いぐさが生まれたのは、その時期だそうだ。人だけじゃない。犬も死んだ。猫だって死んだ。
こんな光景も見た。
医者に並ぶ長蛇の列だ。原罪を赦されるために免罪符を求めたカトリック教徒の行列のような、そんな長蛇の列がある。この人たちは病人ではない。病人の近親だ。明らかに病の人の顔ではないことだけは確実にわかった。では彼らは何のために?
おそらく彼らは、医者に駆け込んで訴えに行くのだ。私の息子が死んだ。もしくは私の母が死んだと。震えた。大声で喚きたいくらいの泥のような感情が沸き上がってきた。それが幼いながらにわかったからだ。
それからあんな光景も見た。
あんな光景も…
あんな光景も…
もうやめてくれ!
私が何をした?あの時、里にいたすべての人間は罪がなかったはずだ。すべては希望も何もない悪魔のような災禍が、人間を死という奈落の底に突き落としただけじゃないか。
パンドラの匣は開け放たれると災禍をまき散らす、それと同じようにあの時の光景がまた飛び出る。もう一つ、また一つ飛び出る。
その映像は靄がかかってきて、いずれその靄が視界のすべてを支配する。
レム睡眠の途切れだ。覚醒が近づいている。
そうだ。
朝が迫っているのだ。
13
翌日、なんだか嫌な気持ちになって森に入ることにしたが、外は雨だった。泥濘がすぐ出来上がる。そんな雨だ。
あんな夢を見た以上、活動的になって気分を変えなければ、またあのような夢を見る下地のマインドが出来上がってしまう。それは机の上だけで物事を語っていると、どんどん鬱っぽくなることと似ている。なんにでも活動的にならないといけない。活動が命の源だ。悪夢を見た翌日はなおさら。
そうは言ったものの、生憎の雨だ。しかし雨に負けて神社にこもるような私ではない。
「ねえ、こんな雨でも行くの?」と、霊夢は言うけれど、行こうと思ったらやめないことを信条にはしている。「行くぜ」と一言言って森に入った。
しかし、それが雨のせいなのかはわからないが、遺物は一つたりとも落ちていなかった。
試しに「おーい」と呼び掛けてみたが、遺物はもちろん、妖怪の一人だって出てこなかった。おそらく二時間くらい彷徨い続けて、見たのは何の罪もない水たまりだけだったし、聞こえたのは木々の葉と雨が奏でる自然の音楽だけだった。
だから仕方なしに帰った。そんな日もある。巡り合わせが悪かっただけだ。
それは多分、一日のうちに雨が降ったり、カンカン照りになったりすることがあることや、私が霊夢に会う日があれば、霊夢に会わない日もあるということ。原理的にはそれと同じだ。
気分転換の方法なんていくらでもある。そう考えるしかないのだ。
*
雨が降る。しとしと降る。
降った雨は屋根で軽快な音楽を奏でて、屋根の傾斜を滑り中空をしばし漂って土に還り泥濘をつくる。
霊夢は寝転がってアガサクリスQの新刊を読んでいた。今度のQの新刊はやけに長かった。
「なあ、こんどその本貸してくれないか」
「いいわよ」
「どこまで読んだ」
「三割くらい。まだまだかかるわね」
ぱりんと音がした。霊夢がせんべいをほおばる音だ。霊夢はいつもせんべいを食べながらQの本を読む。
「速読術でも教えようか」
「私は本をゆっくり読みたい派。けど教えて」
「まあ簡単な話だが、文章を二三行まとめて読むんだ。構造ごとに理解していくことで、速く読めることができるらしい」
「速くって、どれくらい?」
「一番速くて、一ページに一秒、二秒」
「それって意味あるの?」
霊夢は少し考えこんで、起き上がってそう言った。
「多分ないな。速く読めたところで、自分の速度が増すだけだと思う」
「その速読誰が言っていたの」
「里の小説家兼評論家みたいな人」
狡猾そうな眼をしたやつだ。思想に絶対の価値を置いているのだ。
「自殺した人?」
「いや。その人は生きている」
「ふうん」
霊夢はまた寝転がった。
「ねえ、面白い話でもしてよ」
霊夢はいつも無茶を言う。
「今はQの新刊に集中したらどうだ」
「物語の進行が見えないのよ」
私は二十秒ほど考えて、思い出した話をしてやることにした。雨はまだしとしと降っている。
「昔、釣り人がいた。一人は若者。一人は老人。若者と老人は、同じ池で釣りをして、若者は二十八匹の魚を釣って、老人は一匹魚を釣った。このとき老人と若者、どちらが釣り人として良いかを推測しようと思う」
「んん?」
霊夢はまた起き上がって、机を挟んで私の真向かいに座った。
「霊夢はどちらが「良い」釣り人だと思う」
「それは…若者でしょう」
「そうだな。私もそう思う。では次はこんな仮定を付加してみる。若者は二十八匹の何の変哲もないアユを、老人は一匹の絶滅したはずの魚を釣った。そしてその老人の発見は、生物学を覆した。霊夢はどちらがいい釣り人だったと思う」
「それなら老人ね」
「そうだな。私もそう思う。じゃあ次はこうだ。若者は二十八匹の薬に使える魚を、老人は一匹の絶滅したはずの魚を釣り、発見した。これならどうだ?」
「…わからない」
霊夢は少し考えこんで言った。
「それは、どちらもいい釣り人じゃないの」
「そうだな」
「つまりこの話は何を言いたいの」
「さあ、分からん。多分何かの寓話だ」
「魔理沙が作った話じゃないのね」
「ああ、里の小説家が言っていたんだ」
「それはさっきと同じ人?」
「いいや。彼は死んだ。自殺だ」
雨の音だけが流れた。しばしの沈黙があった。
「それは新聞に載っていた人?」
「そうだ」
S氏のことだ。惜しい人ばかり死んでいく。
*
もう一つだけ文学について語る。S氏の小説についてだ。
彼は人間愛とか人生論を語るに生きてきたような人間だった。そのほとんどは寓話形式で何かを暗示していて、読み取ることができないと何一つ理解できないといった、まるでニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」のような小説だった。
読んでいて目が滑るとまではいかないが、この物語が結局何を言いたかったのか、何を意味していたのかに関しては一つもわからない。もしくは分かった気にしかなれないのが常だったから、往々にして彼の小説を忌避する人間も一定数いた。所謂アンチというやつだ。
しかし彼は自らの思念を説明することを嫌った。私は彼の文章のファンではなかったし、全ての文章を読んだわけではなかった。しかし親父がS氏と懇意にしていて、夕飯の席などで「Sくんは、たいそうな小説を書くようになったなあ」という言葉を皮切りに、S氏のエピソードについて延々と語ったものだから。否が応でもそのエピソードの始終を覚えてしまっていた。親父は同じ話ばかりする古風な人間だった。
S氏は、「時と水面」という小説で、文壇(といってもそれほど大規模なものではない)から評価された。一部の人間はその暗示的な文章と、起承転結の結の部分があいまいになっていることを「正確性に欠ける」と評したが、その指摘に対してS氏は、「正確性なんて糞喰らえ」という、普通は居酒屋の席で言う本音のようなことを文壇の偉い方々に面と向かって言ったものだからたまらない。
彼は文壇から顰蹙を買ってしまった。良くも悪くもまっすぐな人だったし、彼は、文章における思念の説明を彼の言葉を借りれば、汚い言葉ではあるが「糞」であると言って、聞かなかった。
そのおかげで私を含め、彼の文章を読んだ人間は何かしらの表現に首を傾げ、そして分かった気になっていた。本心は本人にしか分からないし、それを、彼を世界が失った今、探ることはできないだろう。
こんな話もある。
S氏はファンレターを読む人間ではなかった。ファンレターといえるのかどうかは疑問でしかないが、彼に疑問や小説の意味を問う手紙を書く人間は多々存在した。
そのすべての人間にS氏は「この小説に意味はない」という風の、手書きの、嫌にきれいな文字の手紙を、一枚一枚ファンレターを出した全員に配った。この切り取り方は少し誤解を招くだろうから、ちゃんとすべてを記載すると、
「人生に意味がないように、この小説に意味や真実はない。あるのは諸君の解釈のみだ。」
そう手書きで書いて全員に丁寧に返事したという。
その他諸々のことから、S氏は変人扱いされ、ファンレターは届かなくなった。
私に言わせれば、S氏は高潔の士であったのだろう。
高潔で純粋であるがゆえに世界のちょっとした変化やしがらみに敏感すぎた節があったのかもしれない。高潔であるがゆえに、世間との少しのずれを看破できなかったのかもしれない。
今年も主を失った桜の木が植えられた庭のみがあるのだ。桜は何を思ってそこに咲き、その花を散らせるのだろう。その桜はS氏の何を見てきたのだろう。今となってはもうわからない。
14
また悪い夢だ。
また過去の話だ。悪い夢に決まっている。
映像に流れたのは、葬儀のことだ。
棺と母の写真と、簡素な葬儀だ。葬儀屋は喪服に身を包んで、母の亡骸を丁重に扱ってくれた。棺の中の母はもう起き上がることもないし、私に語りかけることもない。それは事実としてあるのだけれど、実感としてはわかない。母は私にいろいろなことをしてくれたから、母が私を産んでくれたから。
葬儀の最中、ずっと私は下を向いて座っていた。親父が前で、しめやかに何かしら挨拶をしているのだろうけど、その言葉を私は一つたりとも聞いてなかった。
本当は泣き喚きたい気分だ。母を連れ去った実体のない何かをにらみつけて、母を返せと大声で罵倒してやりたい。だが私は霧雨の、一応里では名の知れた豪商の娘だ。葬式の席で泣き喚くような、粗相はできない。しかし脳は、生物学的本能に従い涙を流そうとする。
下らない社会的体裁に阻まれて、流した涙は一滴二滴。葬儀は粛々と進んでいた。
重苦しい空気がずっと場を支配していた。
そのあとの弔辞や、説法が何について誰が何分ほどその話をしたのか、私は一つも覚えていない。ずっと母について考えていた。
母との思い出、母が私にしてくれたこと、母が私を産んで育ててくれたということ。他にも…他にも…
思いは頭の中を何周もして、それでいて止まらなかった。
そのあと親父やら私の母方の祖父が立ち上がって、焼香をした。その間、嗚咽を隠せずにいる者、神妙な面持ちでいる者、私と同じように下を向いている者、沢山の人間が暗い顔をしていたが、そんな感情より、私の中にある悲しみのほうがずっと深いに決まっている。そう思っていた。ずいぶん他者の配慮に欠ける考えだったが、その時は他者について考える余裕もなかった。社会的体裁と自分の感情の発露がせめぎあって、収拾がつかなくなっていた。
そうして葬儀が終わって親父が誰かと立ち話なりをしている間に、私はさっさと部屋に戻ってしまっていた。私の部屋は自分で言うのもなんだが、整理されていて、簡素な、それでいて広い部屋だった。
しかしその時は部屋が空っぽに見えた。
物はそろっている。不足しているものなど何もない。しかし確実に部屋から何かがなくなっていた。何かがなくなっている。私は部屋中を見まわしてその何かを探し、そしてその何かに気付き、泣いたのだ。
社会的体裁、霧雨の娘であるということに阻まれていた感情が、逆流し湧き上がってきた。
力なく膝から崩れ落ちて泣いた。みっともなく泣いた。
お手伝いの人が私を探しに来たのもかまわずに泣いた。
私は母を亡くしたのだ。
大切な母の姿を私は未来永劫、実体として見ることはかなわないのだ。
そう思った瞬間、また涙が新しく、体の底から湧き上がってくる。
声を上げて、生まれもった金の髪を揺らして、泣いた。
そこで一生の半分近くの涙を使った気がしている。
覚醒。
その光景で夢が途切れた。
見慣れた博麗神社の、木の天井がそこにはあった。
15
まだ日はのぼっていなかった。悪夢だ。もう二度と見たくない。
「お母さん」
そう声帯が言語を発した。
隣では霊夢が安らかに眠っている。
16
朝だ。新しい朝が来た。
「おい、起きろ」
私は寝ている霊夢の頬をぺちぺちと軽くたたいて、寝ている霊夢を起こした。起こすに値するそれ相応の出来事があったからだ。霊夢は恨めしそうにこちらを見て「何よ」と一言呟いた。
「鴉がいるんだよ」
「はあ?」
私が指さす方向には、大きな名前も知らぬ針葉樹が一本あって、その天辺には、妖とも動物ともつかない鴉が一匹居座っていた。
「いつかここに来た鴉じゃないか」
そう言える確信がある。去年の秋に来た鴉のことを私も覚えていて、私はあの鴉の人を食ったような利発そうな表情や、純粋で何の濁りもない眼、すらっと整ったフォルムを覚えている。確か名前は「凛」とか何とか言ったはずだ。
「本当に?」
「ほら見ろ」
霊夢は目を細めて、その鴉を見やった。脳内処理に10秒ほどかけて霊夢は小声で
「懐かしい鴉じゃない」
そう言った。
「本当に、また来たな」
「来たわね」
そう言って、二人で鴉を眺めた。鴉は微動だにせずに、人里の方角をじっと眺めていた。それが何の意味があって、何の象徴なのかはわからないが、その鴉が今ここにあることによって、人里も、幻想郷全体も時が止まったかのような奇妙な感覚が私に降り注いだ。文屋の言っていたことは適当だったかもしれないが、本当に鴉はやってきたのだ。定期観測をしているのだろうか、幻想郷の現状をここから眺めているのだろうか。そんな思索が頭を駆け巡った。
「ねえ、魔理沙、掃除でも手伝ってくれない?」
その思索は、霊夢の声によって破られる。
「もう鴉はいいのか」
「鴉はもういいわよ。いずれ鴉はまた去って、またやってくるわ。生き物なんだもの」
「そうだな」
「かあ」と鴉が一声鳴いた。肯定とも否定とも取れないあいまいな返事なようなそんな鳴き声だ。
「魔理沙は鴉をどう思っていたの?」
「さあ、どうとも言えないな。でも他人とは思えないところはあるよ。あの鴉は私なんじゃないかとも思っている」
「何故?」
「さあな。魔法使いの勘だよ」
「?」
「勘というか、予感というか、うまく言葉にはできない」
「何それ」
「わからないけどな」
見上げると、鴉は悠然と佇んでいた。人生に何の悔恨も苦悩すらもないといった瞳だ。
「ねえ、魔理沙。今日はどうするの」
「今日は香霖堂に行ってくる」
「何をしに?」
「レコードを再生する機械を借りてくるんだ」
「へえ。あのレコード?」
霊夢は部屋の奥の一部を支配している遺物の山を指さしてそう言った。
「そう」
「音楽が聴けるの?」
鴉はもう一度「かあ」と鳴いて、飛び去った。人里とは逆の方角だ。森の向こうに自分の求めているものがある。そんな風な確固たる飛び方だった。霊夢は鴉を見上げて、視線をすぐ私に戻した。
「そうだな。多分聴けるし、多分聴けない。シュレディンガーのネコと一緒だ」
「んん…わからないけど、まあ行ってらっしゃい。気を付けてね」
「わかったよ。ああ…そうだ、霊夢に聞きたいことがあるんだ」
夢のことだ
「何?」
「人はなぜ死ぬ?」
大した答えは期待していなかった。霊夢にこたえてもらえたらうれしい。それくらいの認識だったが、霊夢は大まじめに一分ほど首をひねって考えてようやく答えを出した。
「次の世代へその思念を受け継ぐため。一人では抱えきれないほどのエネルギーを次の世代に受け継ぐため」
「なるほどな。ありがとう」
霊夢らしい答えだ。
17
香霖堂に出向いて、レコードを再生する機械を借りてきた。買ったわけではない。「壊すなよ」と一言、霖之助は言うだけだった。私はそんな非道は働いたことはない。返していないものは多々あるけれど。
レコードはひび割れていたが、予想に反して音楽が流れることには流れた。ノイズも多く混じっていて、聞けたものではなかったが。
しかしその音楽は心の琴線を揺るがすには十分だった。紙上にその音楽を書きつけることはできないし、そのLPから流れる音楽を誰が聴いて、そして誰がこのLPを大事に抱え持っていたのかは、今はもうわからない。
その音楽は、まるで空の上を走り抜けるようなそんな音楽だった。空の上を走り抜ける間、ぬくもりに満ちた存在が隣にいてくれる。二人ならどこにでも行けて、何があっても大丈夫だと前に進んでいく。そこが新しい世界の始まりで、古い世界の終わりだった。
そんな音楽だ。
18
昼下がり。何もすることがなくなったから、遺物について書きかけることにした。
最初に見つけた遺物は懐中時計だ。この時計は止まっているが、恐らくねじを回せば使えるようになる。早苗が言っていた外の世界ではメジャーなブランドの品物だそうだ。
次にあの紙。あれはフェルマーの最終定理、三百年解かれなかった難問を原文で印字したものだ。原文はラテン語で、フェルマーのいやらしいまでの文章だ。あの驚くべき証明と余白に関する文章が、たくさんの数学者の人生を狂わせたと思うと、私はしみじみとした気持ちになって、つい外の景色を眺めてしまう。そこに数学者の魂があるような気がするのだ。
あの紙は、だれがどのような理由で持っていたのかはわからない。すくなくとも幻想郷に流れ着くのは、自然のいたずらではなくて、必ず人の手によるものだから、あれは誰かが最後まで持っていたものだろう。その人がどうなったのかはわからない。フェルマーの最終定理は証明されたのだ。それに気を落としたイノセントな数学者の端くれの仕業かもしれない。
次は鉄棒だ。あれに関してはただのさびた鉄棒で、何のために持ち歩くかなんて皆目見当がつかない。だから保留だ。あれは捨て置いてもよかったかもしれない。だがそういうわけにもいかないのだろう。
そしてひびの入ったLPと、壊れかけだが実際は音声が流れたラジオ。
どちらからも音楽が流れた。人の思念が宿った音楽だ。ラジオの方はつまみが少しすり減っていること、その他諸々の事柄から、このラジオの持ち主を拙いながら想像をしてみようと思う。今までは絶対にしなかったことだ。
このラジオの持ち主は多分若者だ。霊夢が言っていたような老人説はないと思っている。おそらく夜が更けるころ、若しくは手持ち無沙汰になった昼下がりにこのラジオの持ち主は、ラジオのつまみを回して音声に耳を傾けていたのだろう。
この持ち主がどうなったかは直接的証拠がないからわからないが、恐らくは死んでしまっただろう。幻想の境目にきて生きて外の世界に戻った人間は限りなく少ない。そう紫が言っていた。ここに住み着いた外来人がいるとも最近は聞かない。
先を思い悩んで山に入る人間は多いと思うけれど、この持ち主は、死を望んではいなかっただろう。私は勝手にそう思っている。死を待ち望む人間がラジオを持って山に入るだろうか?私はそうは思わない。そんなことはないだろうと言われてしまえば、確かにそうだとしか言えないのだが。きっとこの人は、希望か何かをもって山に入った。きっとそうだ。
ラジオから流れる音楽は、悲壮感漂うものもあれば、そうでないものもある。軽快でポップな音楽もあったし、緩やかな川の流れのような静かな音楽だってあった。その音楽のリクエストを知らせる男の声はいつも一緒で、恐らくはこの男が早苗の言っていた人気ラジオMCなのだろう。
このMCはずっと一定のトーンでしゃべり続ける。このMCはリクエストの裏側に隠れている人間の心情にあまり干渉する人間ではなかった。だが彼が時折見せる、的を射た訓示みたいなもの、人生の悲哀と希望への発言集が彼を深めている。これが人気たるゆえんだろう。そう思った。
LPに入っていた音楽は、あの空の上を走り抜けるような音楽だけだった。私の記憶が正しければ、LPはもっと長い時間録音できたはずだったのだが、流れてきた音楽は6分ほどで終わってしまった。
それでいいのだろう。LPは割れてしまっていて、このまま放置しておけばいずれ聴けなくなってしまう。香霖堂で修復できるか聞くだけ聞こうと思うが、多分無理な話だろうなあと勝手に思っている。
この遺物を手に取って、気づいたことはもう少しある。少しそれ書きつけるのはまだ早い気がする。
ラジオのつまみをぐるりと回せば、またMCの声が流れてくる。この時間帯は毎日同じ番組がやっているのだ。このラジオがこの閉ざされた世界でいかにして電波を受信しているのかはわからないけれど、そんなことはどうでもいいのだ。またあの男の声が流れてくる。
*
………(雑音)………
リクエストは、東京は調布にお住いの△△さん。お手紙を読もうか。
「これは私が大好きな音楽の一つです」
ははあ。英訳文みたいな書き出しだなあ。ははは。
「私がリクエストした音楽がこの番組でかかるのが夢でした」
………(おなじみの雑音)………
「…に記述されているのです」
曲名は、おお、これは僕も好きな音楽だよ。一番までとは言えないかな。いろいろな音楽を聴いてきたからね。けれどこれほどまでに表現が力ある音楽はないなあ。
この音楽はね、歴史を踏まえないといけない。
パリの話だ。80年ほど前のね。パリはフランス。わかるね?戦禍に巻き込まれた芸術と美の街だよ。
君たちはヒトラーという男を知っているか?僕に言わせれば、孤独で無垢で残忍で弱い愚かな男だ。ドイツに一時代を築き上げた男でもある。
その男はね、コルティッツ将軍、自分の部下に、自分が制圧したパリを燃やせと言ったんだ。連合軍にパリを奪還されるくらいならば、パリを燃やせと。とんでもない話だ。
しかしパリは一向に炎に包まれることはなかった。コルティッツ将軍がそれを得策としなかったからだ。そして連合軍に降伏し、パリは連合軍の手に落ちた。
ヒトラーは、パリが連合軍の手に落ちる前にコルティッツ将軍にこう語りかけたんだ。
孤独な男の、美術大学を落ち、芸術に受け入れられなかった男の高慢なルサンチマンがそうさせたんだ。そこには怒りと倒錯と憎悪という愚かしい弱い感情が詰まっている。それがこの曲名だ。
「パリは燃えているか」
ねえ。みんなはどう思う?人間はおろかだ。だがパリという街を作り上げるほど偉大だ。
この曲は、時の中を進みいく人間の絶望と希望の曲だと僕は思うんだ。聴いてほしいね。
曲名は、「パリは燃えているか」
………(雑音)………
ぐるり。OFF。
*
「何しているんですか。魔理沙さん」
頭上から緑の髪がカーテンのように下がる。
「早苗じゃないか」
「書き物ですか。見せてくださいよ」
「いやだよ。恥ずかしい」
人に駄文なんか見せたくない。当たり前だ。
「えー。けち」
早苗はむくーと膨れる。そんなに見たいのだろうか。
「まあ、いいです。ここに来たのはそれがメインじゃないんですよ」
「じゃあどうした」
「紅魔館でパーティをやるらしいんですよ。しかも今日」
「へえ」
「行きませんか。いくらでも人を呼んでくれということだったし」
それなら妙だ。レミリアがパーティをやるときは、決まって招待状が出るものだ
「招待状の一つも来てないぞ」
「いやあ、さっき紅魔館の図書館にお邪魔したんですよ。その時、たまたまレミリアさんがパーティをやろうってことになって。それで招待状を今から作るのも大変だから、私が霊夢さんと魔理沙さんを呼んでくる係に任命されたんです」
ずいぶん適当な話だ。レミリアはどうも最近カリスマらしからぬ、適当な発言、行動が多い。
「それでいいのか」
「いいんですよ。楽しければ」
「それもそうだな。おーい。霊夢。お前はどうする」
私が奥で水仕事をしていた霊夢を呼ぶと、霊夢は神社中に響く大きな声で、「何が?」と聞いた。
「紅魔館で今日パーティをやるそうだ。霊夢も行くよな」
「そりゃあ、行くに決まってるでしょ」
即決だった。これで夜は予定ができたし、夕飯は咲夜の美味い飯が食えることになる。
19
いつ来ても紅魔館は瀟洒だ。
これをどういう建築様式と呼ぶかは忘れたが、シンメトリーと赤で統一された館は人を引き込む。大広間には、数学的に完璧な円形の丸机があって、そこに十数人はいすを並べて座ることができる。瀟洒なうえに派手だ。スケールが違う。
レミリアの思い付きで開かれたもので、急遽湧いて出てきた話だったのにもかかわらず、多くの妖怪が紅魔館にやってきていた。大体数えて十数人だが、紅魔館の影響力は意外に大きいのかもしれない。実際はそんなことは一つも考えていない奴らばかりなのだろうが。
咲夜がようこそとか適当な挨拶をして、パーティの開会を認めた。パーティと言っても、主たる目的は一つもないようなものだったから、参加者は思い思いのことをしていたし、それで認められていた。会場の端の方では、急遽雇われの身となったプリズムリバー三姉妹
が、BGMを奏でていた。場は声に満ちていて、それに合わせて三姉妹は酔狂な音楽を奏でている。メルランの音楽が今日は少しだけ強い。その証拠に近くで聞いていたやつが突然踊りだしていた。
咲夜のふるまうものは、いつ何時、どのような方法で食べたとしても美味い。平生和食や、意味の分からないものばかり食べているから、西洋料理について一つも知らない。よって「美味い」以外は何も言えないのだが、隣にいた霊夢も「美味しい」以外、何も言わなかったし、咲夜に「美味いぞ。この料理」と言ったところで、「そりゃどうも」と言われるだけだった。そんな程度だ。逆に、霊夢が通っぽく料理について語りだしたら、その珍妙な絵面に椅子ごとひっくり返るに決まっている。
パーティは時とともにどんどん盛り上がっていった。
霊夢は酒が入って人が変わったようになり、同じく酒が入った早苗とよくテーマがつかめない話をしていた。いつもそうだ。酔っ払い同士話しても何にもならないのに。斯くいう私は、酒はやめて腕を組んで椅子をぐらぐらさせながら、プリズムリバーの陽気な音楽を聴いていた。
「魔理沙、ここは空いてる?」
咲夜がやってきた。役立たずの妖精をまとめ上げて、なおかつ主の気まぐれに対応しなければいけないのだ。それでも咲夜は疲れた雰囲気の一つも出していなかった。
「空いてる」
「座っていいかしら」
「どうぞ。なあ、このパーティの経緯でも話してくれるか」
私はあまりに話すことがなかったから、そう聞いてみた。
「お嬢様の気まぐれよ。お嬢様が、「ねえ咲夜、パーティでもぱーっとやりたくはない?」なんて言うからこうなったの。私はそれに従っただけ」
「それでいいのか」
「いいわよ。お嬢様は言っても聞かないもの」
「咲夜、知ってるか。昔の日本で殿様を諫めるのは、家来の役目だったんだぞ。殿様の言うことをハイと聞くだけが家来や従者じゃないんだ」
「でもあなたは、このパーティで迷惑した?」
「してない。ただ」
「強いて言えば酔ってぶっ倒れた霊夢を背負って帰らないといけないことは迷惑と言っていい」
「ならよかった」
「よくないが」
「霊夢を大事にしてやりなさいよ。親友でしょう?」
咲夜は、広間の天井を眺めてそう言った。広間の天井は、アラビア風の幾何学文様がいたるところに意匠としてあしらわれていて、見ているだけで目が回ってくる。
「確かにそれはそうだが、一番迷惑をこうむっているのは、プリズムリバーのような気がする」
「いいわよ。ご近所さんだもの」
「いいのか」
「そんなことを気にしているうちに人生は進んでいくわ」
「人生ねえ」
「ねえ魔理沙知ってる?トリウム崩壊系列の核種質量数は必ず4の倍数なのよ」
「?」
「そして鉛となって不動となる。それと同じよ。人生も」
プリズムリバーの音楽は酔狂のまま広間に反響する。
「そうか」
わかったような、わからないようなそんな返事をした。
「まあ、魔理沙にはわからない話かもしれないけど」
「なあ、幻想の音って知ってるか?」
次は私のターンになった。流れのまま会話は進行していた。
「外の世界で死んだ音だったかしら」
「大体あってる。それをさ、キーボードを弾いているリリカが、集めているわけなんだ。キノコが成長する音とか、硬貨が落ちる音だとか…」
「それで?」
「それが失われた外の世界はどうなっているんだろうな」
咲夜は少し考えて、「きっとつまらない世界よ」と微笑を浮かべて言った。
「つまらない世界?」
「きっと外の世界はもっと進歩しているだろうけど、同時にいろんなものを失ったはず。それも人が生きる上で大切なものをね」
「それで生きられるのか?」
「さあ。でも人は忘れていくもの。時代はそうやって流れていく」
「そう…」
私は黙った。考えることがいくらでもあった。
「なんだかしんみりするな」
「そうね。悪かったわね。私たちもぱーっと行きましょう。ぱーっと」
「今日はささやかに行きたくないか?」
「じゃあささやかにぱーっと。ね。」
「ね」じゃない。咲夜はこういう天然ボケなところがある。咲夜はボトルをとりに行くと言って席を外した。
咲夜が戻ってくる間、私はいろいろ考えながらプリズムリバーの演奏を聞いていた。彼女たちも、幻想郷で天寿を全うした四人目のプリズムリバーから生まれた騒霊だったのだ。四女は何を失い、何を得たのだろう。創造主を失ったプリズムリバーは何を思い、演奏するのだろう。
咲夜が戻ってきた。そのあとのことはいつものように、酔いがすべてを隠している。
ただ一言いえば、ささやかにぱーっとやったのだ。
何もかも忘れて。
20
心の奥底にしまった魔法との邂逅の記憶を引き出す時が来たと思っている。
それは私が一つ大きなものをこの一週間でつかんだからだ。この一週間でつかんだもの傍から見れば、些末な問題であるし、それによる行動の変化は、本当に些細な、ニホンミツバチであるかセイヨウミツバチであるかというくらいのことに過ぎない。
しかし語るときは来たのだ。
魔法について語ろう。
親父とお手伝いの人と私の家を、母がいない家を抜け出して香霖堂で魔導書を読んでいたということが「ささやかな小児的な冒険」と呼べるのならば、その「小児的な冒険」が私の人生をすっかり変えてしまったのだ。いやこの表現は正しくない。私の人生は、私の行動によってすっかり変わったのだ。私が私の人生を変えたのだ。
魔導書を、魔法の本を読みだしたのは当たり前だが、私が幼いながら文学との決別を果たした後のことで、魔法を知ったことによって私は、月並みな表現かもしれないが、雷に打たれたような、そんな衝撃を覚えたのだ。
魔法には力があった。それは文学に内在している不確かで表れにくい力ではなくて、はっきりと体現できる力。つまり「power」であった。
それの強大さは、私の人生の、大きく反動が強すぎて一度引くともう元に戻れない石弓のようなトリガーだった。香霖堂にあった(もう私の所有物になった)魔導書は、魔法の基礎的な、人間でも真似事でできるような初歩的なことのみしか書かれていない。言うなれば寺小屋で習う、初歩的な算数や数学レベルのことしか載っていない。しかしその魔導書の前書きの一文はこうである。
「魔法とは力である」
その通りだ。この文言を目にした時の衝撃は計り知れない。これが私の嘱望したものだ。喪失を無に帰して、それを価値に変えて一歩踏み出すために必要なものだ。
それ以来、私は家を抜け出しては香霖堂に魔導書を読みに通った。読むたびに世界が広がっていく。世界は小さいようで大きく、そこには無限の彼方に広がる星空が、理論によって証明された美が確かに存在した。
魔法とは、その多くは自然科学に依拠している部分が多い。自然からあふれ出る人類がまだ獲得していないエネルギーの学問。そう言っても差し支えない。そこには人類の卑小さをあざ笑うかのような嫌味さは一つもなく、むしろ人間をそのまま包み込むような温かさを持っていた。それはまだ私が経験しえなかった温かさだ。
家を抜け出していることがばれたのは、あの衝撃的な邂逅からすぐのことだった。親父は本当によく私のことを見ていたし、私の内面を知ろうとはしてくれた。親父にはこっぴどく叱られたが、それであきらめるほどの非力の私はなかった。そうだ。私は力を得ようとしている。
勘当という形にはなった。
何度も何度も夜を越えて、口論とも舌戦ともつかない、沈黙と意見対立がないまぜになった話し合いを親父と続けた。私はその時持っていたすべてを親父に話したことだけは覚えている。沈黙がその場を支配するならば、さらけ出した方がいい。そう思った。
魔法という力のこと、これからの自分について。黙っていることが一番悪だと思っていた。伝えないと始まらない。人生のその多くは「伝達」であるからだ。伝達によって自分が存在しているからだ。
親父はその一言一言に頷き、時折に反論を入れた。そこに親父がこの霧雨の家を継いでほしいという思い、自分の娘にまっとうな生活を送ってほしいという思いを聞いた。
親父は魔法なんて。とは一言も言わなかった。それだけは感謝している。
その言い合いのすべてが終わったとき、親父は「ならば」とつぶやき、一息ついて、
「出ていってくれ」
そう言った。
それは単なる利害の不一致による帰結だったと思っている。私は私で生き、親父は親父で生きるという決断だった。それだけだ。
人生とはそうあるべきだ。自分の思う価値を追求して生きるべきだ。たとえ人生が短くても、無意味だったとしても。私は今もそう思っている。
私はもうあの家には帰らないだろうが、禍根は一つも残していない。
その証拠が私の名前だ。霧雨魔理沙。
「霧雨」という名前は、今も私をさす言葉として残っている。
21
咲夜から教わったねじ巻き時計の動かし方に基づいて、遺物の懐中時計のねじを巻く。
時刻を合わせて、そして、
時が動き出す。
22
眼下には街が広がっている。夕暮れだ。
六日目を私はすべて無為に過ごした。霊夢が日々こなさなければいけない雑務を手伝ってやって、そのあとは何もせず、霊夢と何にもならない話をして過ごした。雑務と言っても、入るはずがないお賽銭が入っていないか確認したり、桜の絨毯を箒で掃き、また桜が散るという鼬ごっこであったり、様々だ。そのあとは、何でもない話をして、アガサクリスQの過去の小説を読み返した。
そうするうちに夕暮れになった。眼下の街、人里はほのかな灯に満ちていく。神社からの眺めは山と川と、そして街。すべてがその画角に収まっていて、整然とした街並みは人の小さいながらも確実とした歩みを感じさせた。
世界はまるで雨だれがゆっくりゆっくり石を穿つように、遅々として、しかし確実に変わっていた。灯りが一つ、また一つとともっていく。夜に向けて街が動き出すのだ。人間は永久に続くとも思える夜のために灯りをつけるのだ。そう思うとなんだか泣けてくる。向こうにはお屋敷があって、向こうには百姓の家がある。山の方にも妖怪たちの活動拠点がある。その灯りは何度も何度も夜を迎えて、その夜の下でたくさんの人たちが、その人の数だけ生きたのだ。本当にいろいろな人生があった。この一週間だけで、数人の人が(S氏を含めて)亡くなって、その分新たなる命も生まれようとしている。
そうやって常に横にあり続ける喪失をそのたびそのたび乗り越え続けた、人間の世界が存続し続けてきたことに、街があり続けたことに、涙を禁じえなくなるのだ。
私は泣いていた。泣いたのはいつぶりだろう。確か最後に泣いたのは、母が死んだあの葬儀の時だ。そうだ。私はずっと泣いていなかった。まだあの喪失を乗り越えられなかったからか。
私は神社の鳥居のその太い柱に寄りかかってずっと、西日に照らされる街を見ていた。そして泣いていた。
霊夢が隣に立って、私の顔を覗き込んだ。多分ずっとここに佇んでいたからだろう。
「泣いてるの?」
霊夢はそう言った。
「泣いてない」
「でも涙が出ている」
「…泣いてるよ」
「街を見ていたの?」
私はこくりとうなずいた。涙は止まらなかった。
「そう」
その時、ぬくもりが体を包んだ。懐かしい母の暖かさのようなそんなぬくもりだ。霊夢が私を抱きしめていた。私の目の前に霊夢の細い小さな肩があった。
もうなんでもいい気がした。ここで泣いても許される気がした。
「ごめん」
そう一言言って、私は泣いた。
涙が、地に小さな滲みを作っていた。
23
六回目の夜が来て、六日と一日目の朝が来た。出立の時だ。
そうは言うけれども、これは別に霊夢との惜別でもなんでもない。どうせ明日には私は「来たぜ」とか言って、博麗神社に舞い降りることになる。
荷物の、そして思想の整理が必要なのだ。とりあえず持ち帰ることにした遺物の数々は、箒にまたがって持っていく限界に近い重さだったし、そのほとんどが壊れ物だったから低調に扱うことを強いられた。この一週間の思想の分、頭は少し重くなった。はたして無事に帰れるかどうか、途中で重みのせいで箒が耐えられなくなって墜落するかもしれない。まあその時はその時だ。
霊夢は、「昨日は急に泣きだすからびっくりしたわよ」と言って、私の頭を一回撫でた。
「ごめん」
そう言うしかない。あの時はなんだかテンションがおかしくなっていたのだ。そしてその涙の分だけ思想が一つ増え、その分少し頭が重くなった。
「まあ、気を付けてね。くれぐれもその荷物を落とすんじゃないわよ」
霊夢はそう言って、お祓い棒で遺物が包まれた風呂敷をつついた。
「ああ、わかってる。でもどうせまた明日、ここに来るよ」
「わかってるわよ。あんたがここに来なかった日のほうが少ないもの」
「そうか。それもそうだな」
ははは。と二人で笑う。霊夢は何でも分かっている。
「じゃあな。また明日」
「またね」
箒が浮き上がる。遺物を乗せた割には、軽快な浮上だ。
風を切って、進んでいく。私はこの感覚が、もう何回も体験したこの感覚が好きだ。
遺物で唯一手に持っていた懐中時計は、11時59分を指していた、
かちり。
もしこの一週間を終えたまでの私の人生を「第一章」と呼ぶのであれば、「第二章」がもう近くにまで迫っているのかもしれない。
そんな気がする。
24
これで私の一週間は終わりなのだが、もちろん後日談はある。
結局、次の日もその次の日も、博麗神社に行って、霊夢に「あんた、毎日来るわね」と言われた。それを繰り返すうちに桜の花びらは風がすべて持ち去り、その対抗措置として桜は青葉を茂らせた。季節が進んでいた。
時折聞こえる鶯のような鳥の鳴き声は雲雀の鳴き声に変わり、博麗神社にやってきた鴉は、あの一度きりでもう姿を見せなくなった。
森の中では夜に蛙が「げこ」という馬鹿みたいに大きな鳴き声を上げて、それで目覚めることもあったし、人里の田には青の稲が少しずつ見られた。
人生の「第一章」を終えた(ような気がしている)としても、ファンファーレも何も鳴らない。しかし確実に私の誕生日が一年のうちにあって、それは確実に近づいていた。少しずつ何かが変わっていた。
ある日、私は思い立って、人里のはずれの丘の上に行くことにした。
丘の上には、一本の名前も知らない木があって、眼下には無限に広がる白の花園がある。晴天は、はるか遠くまで広がる空を見せて、丘の青草は安らかに、風になびいていた。
天国のような光景がそこには広がっている。
ここは墓地だ。あの感冒で亡くなった人たちのものだ。
私は墓と墓の間を縫って、ゆっくりと、母のものを探した。私の記憶が正しければ、それは少し材質のいい石が使われていたはずだ。
整然と並んだ墓の、前から五番目の、左から5番目に母のものはあった。
墓には、私の母の名前と、生きた年月がそこには記されている。
里で買った花を手向け、合掌した。
花は、私が幼いころに私が「何の花が好き?」と聞いた時に母が答えた紫のトルコ桔梗だ。墓に持っていくものとしてはふさわしくないかもしれないが、これは私と母だけの御豪みたいなものだ。母は多分笑って許してくれる。
雲雀の唄がたえずこだましている。大方あの木の上に巣があるのだ。
私はずっとその鳴き声を聞いていた。墓の前に座って、無限に続く空と花園を眺めながら。
私はもう少しすればこの場所を去って、世界の中に身を投じ生きていくのだ。
この場面は私の「第二章」のプロローグなのだろう。
確かに無意味で確かに不確かでしたけども、魔理沙が言葉にできない何かを得るにはゆるぎなき必然性があったのだと思いました
魔法とは力であるというたったひと言が魔理沙に芯を与えたのだと思うと胸にじんと来るものがありました
素晴らしかったです
でもあとがきは蛇足もいい所だと思いました
無意味に見えるものでも価値が付加されて意味が出る、という「意味やテーマ」を書いたのだから、堂々とこれは意味のある作品だと主張するべきだと思います。
また、伝えたいことが強すぎるのか、作者がキャラクターに乗り移り過ぎてしまい、霧雨魔理沙があまり霧雨魔理沙っぽくないなと感じてしまいました。霧雨魔理沙が私の日常は小説の世界ほど煌めいてはいないし、などと薄暗く思うでしょうか? 会得した分よりはるかに多く、何かを失っている、という書き出しが似合う少女でしょうか?
勿論この作品中で描かれた背景(文学をやめたと言いながらも執着している姿勢、母親との死別の仕方)であれば、このような魔理沙になるのはわかります。しかしそのどちらの要素も二次的に付け加えられたものであり、二次創作としては納得がいかないなという描き方だったと、個人的には思いました。
とはいえ文学や過去の背景から脱却し、魔法という(数学的な)方向に進み、未来へ前向きに身を運ぶ姿はしっかりと描かれていたと思います。
前半が(それが文学的とはいえ)やや冗長に感じたものの、後半のまとめ方は上手かったように感じました。
後書きですが、全体的に斜に構えていてよくなかったと思います。
「あとがきにかえて送る」と書いておきながら100%あとがきでしたし、作品中でしっかりと描けていたことを後書きで再度書いてしまってるのも自身の無さに見えてしまいました。
純粋な後書きとして書くならまだしも、そこもまた斜に構えて作中の一部であるかのように書いてしまっているのはいかがなものかと感じました。
斜に構えず、しっかりと意味のあるものを書いたと自信を持ったほうが良いと思います。実際に意味のあるものを書けていると思いますので。
なんだかんだと興味深く読めました。魔理沙と父親が、意見は会わずともお互いを否定しないくだりは大変好きでした。
有難う御座いました。