一定のリズムで、スコップが土を抉る音がした。
土砂降りという程ではないが、傘をささずにいられない程度には雨が降っている。そんな中、洋館の裏庭で古明地さとりは一心不乱にスコップで穴を埋めていた。穴の広さは一畳程度といったところか。
ゴシックロリータの服を着た少女が、雨に濡れながら力仕事をしている光景は、他の人間の目にはアンバランスというかシュールに映るだろう。フリルのついた可愛らしい服は、土と雨でドロドロに汚れてしまっていた。
雨が降っていれば土が柔らかくて掘りやすいだろう。さとりはそう思って雨の中スコップを手に取ったのだが、実際は土が水を含んでより重くなり、かえって効率が悪かった。
しかし今更やめる気にもなれなかった。
中途半端になって、埋めたものが雨で出てきてしまっては困る。近くには妖獣も多いから、掘り返される可能性もある。さとりは土の下のそれをもう二度と目にしたくなかった。
それに力仕事をしていれば気も紛れる。
しかしそれでも穴の中のことに意識がいってしまう。
さとり妖怪とは難儀な存在だ。
第三の目は非常に優れた器官であるが、一方で危うさも孕んでいる。
心を読むという行為は、肉体という鎧なしに相手の精神に直接触れることになる。そこでは彼我を隔てる膜は非常に薄くなる。悲しみに暮れる心に触れれば悲しくなるし、激昂する人間の心に触れれば怒りを抱く。
それはまだ良い。一方通行だからだ。相手の感情に振り回されることになるが、一時的な弊害にすぎない。
さとりは心を読む能力にはその程度の代償はやむを得ないと考えていた。それに我を強く保てば、相手の感情に飲み込まれることもない。一方的に心を読むだけであれば、能力の使い方に習熟すれば危険はない。
問題は双方がさとり妖怪だった場合だ。
彼我を保っていれば数時間一緒にいる程度なら構わない。しかしずっと一緒にいることは危険だ。
互いの心に共感を続ければ、それは精神の同期と言って良い。最終的には自分と相手という概念は無くなくなる。
精神の合一は、肉体の合一の快楽を遥かに上回る。精神の行き着く先として、これ以上の幸福はないだろう。それは究極の承認だ。一度踏み込めば、もう元には戻れない。
肉体より精神に比重を置く妖怪にとって、それは醜悪な怪物の誕生を意味する。
精神が溶け合えば、それに引きずられて肉体も溶け合っていく。
この土の下には、精神の合一という快楽に溺れた、さとりの両親の成れの果てが埋まっている。
「……馬鹿な人たち」
疲れたさとりは、スコップを無造作に放った。ぬかるんだ地面にスコップが落ちる。
彼女の細腕にはかなりの重労働だったが、穴は粗方埋め終えた。
さとり妖怪は家族間の情が薄くなる傾向にある。共に過ごす時間が短いからだ。
子供の頃の第三の目が未発達のときであれば、ずっと一緒に過ごしてもそう問題ない。しかし成長し読心能力を身につけてしまうと、長い時間を共に過ごすのは溶け合ってしまう危険がある。
だからさとり妖怪は家族であっても、なるべく一緒にいないようにする。
地霊殿がやたらと広いのはそのためだ。同じ屋根の下でも、なるべく顔を突き合わせなくても済むよう、両親と姉妹の四人しか住んでいなかったのにもかかわらず、広大な敷地が必要だった。
もちろん両親への愛情がないわけではない。自分を育ててくれた恩義はあるし、幼い頃の思い出も代え難いものだ。
でもこの人たちは、自分たち姉妹のことを忘れて精神を溶け合わせる快楽に身を委ねたのだな、と思ってしまう。
さとり妖怪として最も不名誉な死に方をしたことへ対する軽蔑はあるが、それ以上に自分たちは彼らにとってその程度の存在でしかなかったことが、虚脱感にも似た悲しみをさとりに抱かせた。
「ナァ」
さとりが鳴き声の方に目を向けると、一匹の黒猫がそばに近寄ってくる。尾っぽは二つに裂けており、腹の部分に赤色の毛が生えている。
彼女を慰めるように、黒猫は足元に擦り寄って頭を擦り付ける。
その猫は地霊殿の近くを縄張りにしてる妖獣の中でも最も力をつけてきた個体で、意思疎通のできるさとりのことを気に入っていた。
「……墓を掘り返すものがいないよう、気にかけてやって」
雨に消え入りそうなか細い声だった。さとりが心の中を読むと、黒猫は聞こえていたらしくわかったと答えていた。
この黒猫は辺りの妖獣で最も強く、逆らえる者もいないから、これで安全だろう。
もしこの子がもっと妖獣としての格を上げて、人型に変化できるようになれば、墓穴を掘るのも任せられたのに。そう思いながらさとりは黒猫を抱き抱えて、黒猫の顎を指で撫でた。
黒猫の体は雨でずぶ濡れだったが、既に雨と土で服はぐちゃぐちゃになっているので気にならなかった。
近いうちにこの黒猫に名前を与えてやろう。
名前を持てば妖獣として格が上がり、人間変化ができるようになるかもしれない。そうすれば色んな仕事を任せられる。
これからさとりは地霊殿を自分で切り盛りしなければならない。少しでも人手はあった方が良い。文字通り猫の手も借りたい状況にある。
「……」
黒猫を抱きかかえながら、両親を埋めて土がこんもりと盛り上がったところを眺める。
墓碑も用意しなければ。極力旧都に足を運びたくなかったが、こればかりは仕方ない。
埋めるのも依頼してしまえば良かったかと一瞬思ったが、両親のあの哀れな姿を他人に見られたくなかったから、どの道自分で埋葬するしかなかっただろう。
スコップで力仕事をしたせいで、手の皮こそ剥けていないものの、手のひらがじんじんと痛んでいた。
何をするでもなく、黒猫を抱えたまま、さとりはその場にただずみ続けた。
このまま雨に身を任せていれば、この虚しさも一緒に洗い流してくれるような気がした。
黒猫は抱かれるのが心地よいのか、大人しくしている。
それからどれだけの間立ちつくしていたのだろうか。
後ろから、彼女の名前を呼ぶ声がした。
「お姉ちゃん」
黒猫がさとりの腕から降りた。
無気力になっていた彼女は、すぐには動けなかった。
さとりはぼうっとしながら、声をかけられるまで妹の存在に気づかないとは、相当自分も参っているのだなと思った。
いや、違う。
さとりはようやく気づいた。声をかけてきた妹の心の声が全く聞こえない。
嫌な予感が背筋を這う。
さとりは振り向いて、妹の姿を見た。
「おねーちゃんっ」
「うぐっ……おかえりなさい、こいし」
ベッドの上で寝そべりながら読書に興じていたさとりの元に、突如こいしが現れて姉にのしかかるようにして抱きつく。
お空が暴走した異変の後、以前よりも増して地上に遊びに行くことが多いこいしだが、そうでないときは常に姉と一緒にいる。
「どこへ行ってきたの?」
さとりが本を閉じてベッドに座り直すと、妹はそれに引っ付くようにして隣に座る。
「今日はお寺に行ってたんだけど、住職さんが面白くてね……」
こいしの話にさとりは耳を傾けて、愛しそうに目を細めながら相槌を打つ。
小さい頃からこいしは色んな人と遊ぶのが好きだった。そしてさとり妖怪だとわかると皆が彼女を遠ざけた。
だから人に嫌われたくなくて第三の瞳を潰したのは本当だろう。
皆と仲良くしたいと願ったこいしは、性格がさとり妖怪に向いていなかった。いずれは何らかの形で破綻していたかもしれない。
しかしそれだけではない。
彼女が己の種族を捨てる決断をしたのはあの日だ。きっと両親の死体を一人で埋める姉の姿を見て、覚悟を決めたのだろう。
最後に背中を押したのはあの一件だ。彼女のさとりと一緒に過ごすため、そして両親と同じ末路を辿らないために彼女は瞳を閉じた。
さとりが妹の頭を撫でると、彼女はくすぐったそうに身をよじった。
「なぁに、お姉ちゃん」
「何でもないわ」
姉がそう答えるのを聞いて「変なの!」とこいしは笑った。
何てことない時間だったが、それは貴重な時間でもあった。妹の壮絶な覚悟によって齎された時間だ。
たった一人残されたこの肉親を、自分の手で守らなくてはと、さとりは一層そう思うのだった。
それから二人は夜が更けるまで話し続け、一緒に眠りについた。
精神の合一とその回避のためというのは面白いと思いました。
愛が重い古明地姉妹はいいものですね
理解し合おうとすればとことんまで理解し合えるだけに、その果てがプチ人類補完計画とは悲しいものですな。
ただ、そう考えると夫婦間の相互理解と家族(姉妹)間の相互理解は違うものじゃないのかなぁ、という疑問が沸いてきて、そこのところに踏み込んだ解釈も欲しかったなー、などと思うのでした
重く美しい姉妹です
覚妖怪のままならない生態がとてもよかったです