Coolier - 新生・東方創想話

雪空の下には

2023/02/24 20:57:28
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 その桜色の小雪を桜吹雪と呼ぶには、風は穏やかに過ぎた。
 手のひらに受けた欠片は、ほぼ透明に近い水に溶ける。雪の華は、花ではない。

 如月某日。
 旧暦でなく新暦の2月とあって、桜が咲くにはまだ早い。

 自分が今初めて産まれたような気分で、雪の薄く散り敷いた地面の上に立ち尽くしている。広い荒野、疎らな木立、寒々しい景色を前に、寒いわけだな、と他人事のように思った。
 ああ、寒いのか。
 雪が、降っているんだ。
 納得は、後から遅れてやってくる。かじかんだ指を温める、吐息は白く曇った。

 ちらつく雪が、白くない。なのに、その桜色の小雪は、さも当然のようにして、誰にも文句を言われないで、空の上から降ってくる。
 桜の色の雪の華。〝怪奇現象〟と言って差し支えない光景。

「この風景を、よく見ておきなさい」

 まだ小さかった頃、紫様に連れて行かれて、どこか遠くのほうに出掛けたことがある。
 情操教育の一環だったのだろう。紫様は度々、幼い私を白玉楼から連れ出して、別世界の風景を見聞きさせた。
 それでいて、紫様は多くを語ることを好まない。
 私も人間の言葉には慣れていなかったから、口数は極端に少ない。この奇妙な雪は何なのか、あって然るべき質問も立ち消えた。
 幽々子様のお友達。たまに屋敷に来る誰か。知らない相手との距離感を掴みかねていると言えば、人見知りの子供っぽくて微笑ましいんだろうか。

 つんと、鼻の奥に知った臭気を感じ取る。溶けた雪を口に含むと、ほんの微かに鉄臭い。
 直観的に、色付いた雪の正体を理解する。──つまりこの雪空の下には、死体が埋まっている。様子からすると、昔の合戦場あたり。

 長じてから知った胡乱な知識によれば、紫陽花の花の色は土壌が酸性かアルカリ性かで変わるそうだ。酸性では、よく見かける淡い紫色。アルカリ性では、血を吸ったような薄紅色。
 一般的な人間の血液のphは、弱アルカリ性だとか。
 紫陽花の植え込みの中で、もし一か所だけ花の色が違っているなら、ひょっとしてその下には死体が埋まっている。
 もっとも、アントシアンとアルミニウムがどうだとかで、赤い血を吸い上げて花が色付くような空想は、空想に過ぎないのだけれど。もっとも、重ねて付け加えるのなら、八雲紫に招かれた場所では、科学的には胡乱な空想も意味を持つのかも知れない。

 薄い雲を透かす陽の光でも、見上げると目が眩む。ぼやけた雲と雪の、ぼうっとして曖昧な光彩。全体の風合いは桜色の光に包まれているような……そう、ような、としか言いようがない。何色をしているとはっきり言い切ってしまったら、あの光が本来持つ儚さを取り零すからだ。
 ジョウロの水に、数滴の血を垂らす。その水を与えて育てた紫陽花が、もしも空想の通りに染まるのだとしたら? 雪空の色は、そんな色。
 雪の結晶それ自体は、白いのだろうか。ただ、空と土を巡る水は、かつて自分が血であったことを覚えている。水の記憶の名残りとして、鉄錆びの香りを残している。
 香りを、色として纏う。共感覚的な作用で、そう視える者には、血を溶かした薄い赤として目に映る。

「色付いて見える?」
「はい」

 言葉少ない問いに、返事もまた一言だけ。
 秘められた意味合いは通じていた。恐らくだが、雪の怪異が視える『条件』は、血や死への嗜好だ。健常者には、ただの白い雪としか見えない。
 幼い私は無垢さゆえの見識で、現象の本質を、ほぼ正確に見抜いていた。

「命は、生きている方がおかしいと思うのです」

 好ましい風景を前に、つい、呟いていた。
 血の味に、人の死を連想した。初めて人を斬った日の記憶も、鮮烈に甦る。先代を斬った時も、そうするのが自然だと思ったからそうしたのだった。

「命は、死んでいるべきなんです」

 これは、半分死んでる半人半霊の病気のようなもので、先代も同じだったそうだ。私の中にも、不自然や不条理を正しくなる、人として当然の気持ちがある。
 静謐な墓所が好ましい。全世界、この状態になって欲しい。こんな自分は異常だと自覚する傍らで、薄暗い願望が、決して異常でも稀有でもない、人間の普遍的な願望だという確信を抱いてもいる。顕在的か、潜在的か、その程度の違い。
 命が生きていることが、純粋に疑問だった。たぶん私は、人を殺すために生まれてきた。
 紫様は、その性根を変えられないことを分かっていたんだと思う。

「人を、殺しても良い」

 どこか、超えてはいけない一線を超えるようにして、紫様はそう言った。
 諦めたのだ。紫様は、私に人の良心を教え諭すことを諦めた。
 魂魄妖夢が殺人鬼になることを認めてしまっている。

「生きている人間を厭うなら、それでも良い」

 人が死ぬのも、命を奪うのも、生き物が不完全でどうしようもないのも、それは仕方が無いことなんだ。諦めて。
 だけど。だからその命が、美しいものであれ。

 命は、醜くない。

 紫様は直接的にそうとは言いたがらない。だけれども、諄々とそう言い含められていることだけは理解できた、つもりだ。

 だって、雪が綺麗だったんだもの。

「──はい、分かりました。師匠」
 小さく頷くと、紫様は向こうの方を向いて、傘で顔を隠した。
 たぶん、照れていたんだと思う。

 ひさかたの
 空より花の散りくるは
 その如月の、桜白雪
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コメント



0.250簡易評価
1.100東ノ目削除
良い雰囲気でした。個人的にはこれが妖々夢より前の作品で、あの人間たちを見て命が醜くないという感情を改めて得て欲しいですね(生者のエゴ)
2.100夏後冬前削除
妖夢の種族的な属性に基づく死生観と妖々夢的な冬から春への変化の淡い感覚が癖になるような話でした。短くても内容がみっちり詰まっていてよきでした。
3.100名前が無い程度の能力削除
美しい文と、命が散るさまの美しさの表現が詰まっていました。人は死ぬことは決しておかしいことではない、その価値観に美を付け足すような心情の動きがあったように感じます。素晴らしかったです。
4.100南条削除
面白かったです
妖夢の独特な生死感がとてもよかったです
6.100のくた削除
よい妖夢でした。この妖夢がどう変わるか、あるいは変わらないのか
7.100きぬたあげまき削除
雪の儚さと命の儚さが重ね合わせられているんでしょうか。
血が蒸発して雲となり雪を降らす、という発想には脱帽です。
9.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
13.80福哭傀のクロ削除
なんかこう……雰囲気は素敵だし嫌いじゃないし楽しめはしたのですが、
よくわからなかった自分の、読者としての未熟。
14.100名前が無い程度の能力削除
雲の彼方に春を見たなら、これは妖々夢より前の出来事かな?
春が見えないと集められないだろうし。
15.90ラララ削除
短くもキッパリした独特な世界観が形成されていて読み応えがありました。興味深い小説をありがとう。