永江衣玖は嘆いていた。
近頃のチャラい天女は、龍神様から与えられた羽衣を婚活に利用しているという。
天女の羽衣という、羽衣を失った天女は天に帰れず地上の人間と結婚するという話がある。そこを逆手に取って意図的に羽衣を拾わせて、拾った男性と半ば強制的に結婚するという詐欺のような婚活を行なっているというのだ。
まったく、嘆かわしい。
彼女はため息を吐く。
羽衣は龍神様から貸与された官給品である。それを己の都合で利用しようだなんて、不敬も良いところである。
第一、龍神様に仕える誇り高い天女たる者が、そこまで必死になって婚活していること自体がみっともない。
まあ下界の男であっても、それなりのスペックで、そいつから言い寄られて、どうしてもというなら少しは考えてやらないでもない。しかしいくら婚期が遅れているからといって、天女から下界の男にアプローチするだなんて、はしたないと思わないのだろうか。
いや、衣玖とて何も結婚に対して思うところがないわけではない。
彼女は竜宮の使いの中でもエリートであった。総領の娘のお目付け役を任されるのは信頼の証である(同時に厄介ごとを押し付けられてもいるのだが)。
また、龍神様のお告げを伝えるのも竜宮の使いのお役目なのだが、特に重要なお告げは必ず衣玖の口を通じて知らせることになっている。
つまり彼女はバリバリのキャリアウーマンであった。
だからこそ、仕事が恋人という状況があまりに長く、恋にうつつを抜かしている暇などなかった。さらにデキる女である彼女に言い寄る度胸のある同僚もまたいなかった。
外界の話だが、男性は年収と既婚率が比例するのに、女性は年収と既婚率が比例しないという世知辛いデータもある。
彼女は天女の基準で言えばまだ若く、決して、決していき遅れているわけではない。
ただ周りの同年代の友人がポツポツと結婚し始め、中には子供に恵まれる者もいる。式で友人の幸せを祝いながらも、心の奥底で「何故私より仕事ができず、そこまで器量が良いわけでもない彼女が、こんな良い男を捕まえられるのだ」という薄暗い嫉妬を抱いてしまうこともある。
実家に戻れば母親は二言目には「そろそろ孫の顔が見たい」とため息を吐く。それに対して怒りを覚えているわけではないのだが、いまいちどうリアクションをとって良いか分からず、強引に話題を変えたりシカトしたりすることしかできない。流石にあまりしつこい場合は、少し声を荒げて喧嘩のようになってしまうこともある。
だからといって、婚活をしたいとは思わなかった。周囲の同僚や友人は婚活に励んでいるが、衣玖は少しそれをみっともないと感じていた。
竜宮の使いは最も格の高い龍神様に仕える立場だ。結婚するのであれば、相応しい男性に声をかけられるのを待つべきである。
多少独身であることが気になるからといって、ガツガツ男を追う自分の姿を想像すると気が引ける。
そんなことを考えながら衣玖が事務仕事をしていると、桃をむしゃむしゃと頬張っていた比那名居天子が、出し抜けに口を開いた。
それは天子がたまたま思いついたことを何も考えず言葉にしただけで、半ばどうでもよさそうな、半ば呆れるような口調だった。
「ねえ衣玖」
「はい何でしょう、総領娘様」
「衣玖って、いつになったら結婚するの?」
永江衣玖は婚活することにした。
比那名居天子は不良天人である。
世間体などはくだらないと考えているようなタイプである。
そんな彼女が、まだ結婚しないのかと言ってきたということは、本当にそろそろ独身から脱出しないとまずいのではと衣玖は焦りを覚えた。
また、焦りを覚えたのは天子に対する見栄もあった。
手のかかる妹のような彼女から、結婚の見込みがゼロで、男と交際した経験も全くないド処女とは見られるのは嫌だ。
更に言ってしまえば、今後、天子の方が先に結婚するようなことがあったら、心が耐えられないかもしれない。自分はどんな顔をして式に参列すれば良いのか。もしお目付け役の方は未だに独身なのにねぇ、と陰口を叩かれたら、冷静でいられる自信はない。
最近彼女は地上に頻繁に赴くようになり、出会いも増えたはずだ。浮いた話の一つや二つがあってもおかしくない。先を越されない保証などどこにもないのだ。
「……ごめんください」
衣玖は魔法の森と人里の境目に位置する道具店の前に立っていた。
彼女なりに婚活について本気で考えてみた結果が、香霖堂であった。
婚活を始めると言っても、無闇に動いても仕方ない。羽衣を婚活に使うのはもちろん問題外だが、手当たり次第出会いを求めても効率が悪い。戦略を練るべきだ。
自分は悪くない物件どころか、かなりの条件のはずだ。顔は良い方だし、仕事もできるし、空気を読めるので気がきく方だ。
しかし結果を見れば未だ独身である。何故か。
それは経験不足に原因があるのではないかと衣玖は考えた。仕事上関わる男性と多少世間話くらいはするが、その程度では男性とのコミュニケーションの絶対量が少なすぎるのではないか。
したがってまずは、男性との会話の経験を積んでこうと考えたのだった。
まずはその一環として、一応知り合いである森近霖之助のもとを訪れたのだった。
断じて知らない男性といきなり話すのが怖くて日寄ったわけではない。何事も順序を踏むべきなのだ。衣玖はそう自分に言い聞かせた。
「入りますよー……」
ノックをしてもいつまでも返事がなかったので、勝手に戸を開けることにした。
店内はいつも通り統一感のない外の世界のガラクタで溢れている。店内は薄暗く、何だか埃っぽい。開いた戸から差す日光が、宙をただよう埃をキラキラと照らしていた。
奥の方には、安楽椅子に揺られる銀髪の青年がいた。
「ん、ああ、いらっしゃい」
店内に入ると流石に来客に気づいたらしく、読んでいる本から目線を上げてそう声をかけた。しかし一声かけただけで、すぐに目線は本へと逆戻りした。
まあ良い、と衣玖は彼の側に近寄った。机を挟んで彼の正面に立ったが、本に夢中らしく、衣玖が目の前に立っていることに気づかないようだ。
「……」
そして彼女は気づいた。
どう話しかけたら良いかわからない。
「……………」
厭な汗がこめかみのあたりを伝う。
決して衣玖はコミュニケーション能力に難があるわけではない。空気を読んでその場に合わせて発言するし、筋道立てて人に説明するのだって得意だ。仕事上の人間関係を円滑にするため、多少の雑談もする。
しかし一度意識してしまうと、何を話すべきなのかわからなくなってしまった。
夜寝るときに、舌を普段どこに置いていたかわからなくなって寝付けなくなるようなものだ。無意識にやっていることを意識してしまうと、途端にどうして良いかわからなくなる。
話すネタは何だって良いはずだ。天気や気温のようなくだらない話で構わない。いや、この男相手にそこから話題を広げられる気がしない。多分頷いて終わりだろう。興味のない話題ではダメだ。
脳みそがフル回転するが、回るだけで何も生み出せない。喉が乾く。空気がうまく吸えない。こんなはずでは。
勝手に半泣きになっていたが、衣玖はそこでようやく気づいた。周りの環境を利用すれば良いのだと。ここは店なのだから商品の話を聞けば良い。
しかしそれはただの店員と客の会話であった。衣玖も薄々そのことはわかっていたので、無意識に選択肢から外していたのだが、テンパった彼女は安易な解決策に飛びついたのだった。
「あの……これって何でしょう」
衣玖は近くにあった外の世界のガラクタを指差した。金属製の円柱状の筒だ。
霖之助は本に栞を挟み、見ていてもどかしいくらいゆっくりと立ち上がった。
「ああ、これは魔法瓶というものさ」
彼は楽しそうに頷く。
「用途はただのお湯を温かいまま保存する、というものだが……面白いことにこれは外の世界の道具には珍しく、電気を必要としていないんだ。他の家電には必ずと言って良いほどある、ケーブルの差し込み口の類が存在しない。名前から順当に解釈すれば、魔法を使って保温するのだろう。外の世界では魔法はすっかり廃れたものと思っていたが、一部は残っているんだね」
店主はすらすらと言葉を続ける。衣玖はなるほどと頷いた。
しかしそれと同時に、頭のどこかで警鐘が鳴っていた。
この予感は何だろう。そう思った数分後に思い出すことになる。森近霖之助という男が、相手の顔色を一切窺わず、好き勝手に蘊蓄と考察を長々と喋り続ける人物であることを。
「何故この魔法瓶だけが、電気でなく魔法を動力としているのか。僕は外の世界で魔法が用いられない理由は効率の悪さだと思っている。電力や蒸気の効率の良さが、魔法を駆逐したんだ。であれば効率性をこれが求めていないということなんじゃないか。簡単に思いつくのは、あえてローテクを用いたアンティーク品のようなものだということだ。効率性をあえて用いず、古い文化に耽溺する……なるほどこれは一理ある。しかし多分正解ではないのだろうね。他の家電で未だかつて魔法を用いるものはお目にかかったことがない。魔法で動く洗濯機やテレビは存在しないだろう?これじゃ理屈に合わない。お湯を温めておく、という用途だからこそ電気でなく魔法を必要としたと考えるべきだ。僕がこの前思いついたのはだね、電気というものはお湯に何かしら悪い影響を……」
もしここに魔理沙や霊夢がいたら、「はいはいアンタの長話はお腹いっぱいよ」と遮っただろう。しかしここにいるのは永江衣玖という空気を読む女だ。人の話を雑に遮ることができなかった。
「ええ…………ははぁ……なるほど……」
彼女は恐らくなくてもあっても問題ないだろう相槌を打ちながら、体感で3時間程度の虚無な時間を過ごした。
永江衣玖は疲労していた。
このままでは一方的に香霖堂の店主の長話に付き合わせられただけで、一日が終わってしまう。それは彼女のプライドが許さなかった。
次に向かったのは、普段散々馬鹿にしていた出会い茶屋だった。しかしそもそもそのような場所に出向く男女を馬鹿にしているので、言葉の節々に相手を見下しているのが滲み出てしまう。結果、まともな男性であるほど態度を見てサッと引いてしまう。それにどうしても天界と下界では価値観や会話のテンポが異なり、どうにも会話が噛み合いづらいというのもあった。
それでも男は下半身の生き物であるから、顔さえ良ければとそういう目的でぐいぐい行く者もいる。しかしそれこそ最も衣玖が唾棄すべきと考えてる存在である。
最終的には、晴れ渡る人里に一発の落雷が落ちることとなった。そして衣玖は下界の男はろくでもないという偏見を深めた。
「疲れた……」
疲労で服を着替える気も、風呂に入る余裕もなかった。部屋に入って、そのままベッドに倒れ込んだ。
その他にもナンパ待ちをするなど何かしらの収穫を得ようと奮闘したが、結局無駄骨に終わった。
婚活に励む友人たちの顔を思い返して、本当にこんなことして楽しいのか、と衣玖は疑問に思った。
いや、実際楽しくないのかもしれない。それでも彼女たちは頑張っているのだ。こんなに大変なことに彼女たちは取り組んでいるのだ。
それを自分は心のどこかで見下していたのだ。あんな必死になって、みっともないと。
自分が本気を出せば、イケメンの一人や二人簡単に捕まえられると、明確に意識したことはないがぼんやり思っていた。みっともないのはどちらだろうか。実際には、マトモな男性と人間関係を築くことすらできなかった。
「はぁ〜……」
布団に寝っ転がったまま、人生で最長の、長々としたため息をついた。
お高くとまって、婚活なんてみっともないと言うのは簡単だ。
やらない善よりやる偽善。冷笑するだけに比べて、実際に行動に起こすことは何よりも尊いのだということは、今更語るべくもない真実であった。
彼女は己の最低ぶりに身悶えした。そして決心した。今度友人たちに会ったらスイーツを奢ろう。向こうは困惑するだろうが。
「衣玖邪魔するわよー……うわ相変わらずきったな」
「……最近忙しくて片付ける暇がないんですよ」
「いつもじゃない、それ」
家に入ってきた天子が、その汚さに眉を顰めた。
衣玖の部屋は基本荒れがちだ。有給が取れたときに一気に掃除をするのだが、逆を言うと有給が取れない限り部屋は散らかり続ける。
「それで、今度は何の問題を起こしたんですか?」
「失礼ね……今日はそういうんじゃないわよ」
衣玖は体を起こして天子に向き直った。
実際天子が何かやらかした際、助けを求めに衣玖の家を訪れることは多々あった。しかしそれを差し引いても彼女はこの家に特に目的も持たず、しばしば暇つぶしに上がり込んでいた。
「地上で美味しいお団子をもらったけど、一人じゃ食べきれないから持ってきただけよ」
そう言って彼女は笹に包まれたお団子を掲げてみせた。一人では食べきれない、というのはただの照れ隠しだろう。あまり自分のキャラに合わないことをしているのが恥ずかしいのはわかるが、お土産を買ってきたくらい普通に言えば良いのにと衣玖は思った。
「ありがとうございます。お茶を淹れるから少しお待ちくださいな。最近良いお茶っ葉が……」
洗濯待ちの衣服を部屋の隅に押し退けると、下からちゃぶ台が現れた。衣玖は立ち上がってお湯を沸かしに行く。
先ほどまでは疲れて布団から起き上がれなくなっていたのだが、天子の来訪に気を取られてすっかり忘れてしまっていた。
緑茶を二つの湯呑みに注いで、笹を開いてお団子を取り出す。
「鈴瑚屋のお団子ですか。美味しいんですよね、これ」
「ふふん、そうでしょ。もっと私を敬うべきじゃないかしら」
「ええ、とても嬉しいのです。総領娘様絡みの始末書を書かかされる枚数が減るともっと嬉しいです」
「うるさいな一言余計だよ」
二人でお団子を頬張りながら、軽口を叩きつつ、何てことない会話を交わす。
下界で男どもと話すのに比べると、何と楽なことか。涙すら出そうであった。
男という生き物はやたらと武勇伝を語りたがる生き物だ。今日話した中にも何人かいた。
しかし武勇伝という話題においては、破天荒に生きている天子のエピソードに比べるとどれもこれも大分弱火である。例えば博麗神社に手を出した男など一人もいないだろう。そう考えると、衣玖は天子のせいで、すっかり男を見る目が肥えていた。
確かにその辺の男よりよっぽど天子は男らしい。
彼女は問題児ではあるが、その反面人の先に立つ才能もあるのではないだろうか。周りの人間を好き勝手振り回す彼女ではあるが、少し古風な価値観からすれば、男は多少わがままなくらいが丁度良い。
加えて言えば家柄も申し分ない。天人の中でもエリートである比那名居家の跡継ぎである。容姿も良いし、3高とは言わないまでも、中々の条件だ。
今更気を使う関係でもないし、隣にいて衣玖は気疲れしたりしない。
疲労にお茶が染み込んだ脳みそは、ある一つの結論を導き出した。
「総領娘様、私と結婚してくれませんか?」
「は? いや普通に嫌だけど……」
作者様の腕がいいのですらすら読めました。
個人的な感覚でいえば霖之助さんの下りは文量的にもなくてもいい気もしましたが、
なんとなく書いてて楽しかったんだろうななんて勝手に邪推しつつ、
読んでても楽しかったです。
空回りしている衣玖もスパッと切り捨てる天子も素晴らしかったです
焦り方がとてもリアルですごかったです
婚活頑張れ衣玖さん
婚活シーンが妙にリアルで良い意味で嫌でした。
(婚活したことないのにこんな感想ですみません…)
それはともかく天子に指摘されて即行動に移る単純な衣玖さん可愛い