年が明けて、かれこれもう半月ほどが経つ。
私とはたては、その日もいつも通りに二人で暮らす私の家で、ゆるゆると寛いでいた。
夕飯を食べ終えて、すっかり食器も洗い終わり、二人でソファーベッドに座りながら、だらだらと垂れ流しのテレビをぼんやり見ている。たまにバラエティ番組のしょうもないギャグに笑ったり、はたてが横からちょっかい掛けてきたりして。いつもと変わらない、ゆったりとした二人きりの夜の時間。
今年の大晦日は、二人で過ごした。
少し奮発して買った、高級な感じの和牛と野菜で、毎年恒例となったすき焼きを楽しみ、適当に紅白歌合戦なんかを観ながら、夜更けに一緒に年越し蕎麦を啜っては、遠くから聞こえる除夜の鐘に風情を感じたりして。気が付けば十二時を過ぎていたから、一緒の布団で眠りに就いた。
正月の三が日はと言うと、結局実家に挨拶する事もなく、これまた二人で過ごした。
おせちは別に作らなくてもいいよ、とはたてが言ってくれたから、私もお言葉に甘えて、二人とも好きなだし巻き玉子と黒豆の煮付けだけは作って、それをつまみながら駅伝とか見たりしながら。お雑煮のおもちの数は、私は二個だったけど、はたては三個で、よく食べる奴だな、なんて思ったりして。東京風のあっさりとした醤油出汁と鶏肉、三つ葉や生麩が入ったお雑煮を、美味しいね、と笑い合ったはたてのその顔は、やっぱり可愛いなあとか、そうやって幸せを噛み締めていた。
ああ、でも一緒に初詣には行ったっけ。三が日は混むだろうから、という事で、少しずらした日に二人で守矢神社にお参りに行った。軽くお賽銭を投げてから、おみくじを引いてみると、私は吉で、はたては大吉。少し悔しかったけれど、凶を引かなかっただけマシとしよう、なんて考えていたら、大吉にはしゃぐはたてを見て、そんな事どうでも良くなったんだったな。山に吹く風は肌寒かったけれど、繋いだ手の温かさだけは確かなものだった。
そうして、だらだらしていた年末年始もとうに過ぎ去って、今はすっかり平常運転と言った感じの生活だ。
たまに二人で買い出しには行くけど、出来るだけ生活必需品は買い込んで、そのまま一緒にお風呂に入ったり、基本的にはのんびりぬくぬくと、何もかもを冬の寒さのせいにして、出来る限り家の中に引き篭もる暮らしをしている。
たまに降る雪も、それでもガッツリとした雪かきが必要なほど積もるわけでも無いから、玄関先だけ軽くサクサクと済ませて。家は日当たりのいい方だから、日中の陽差しで大体は溶けてくれる。
そんな事を思い返していると、やがてバラエティ番組も終わり、夜のニュースが始まった頃に、隣のはたてが唐突に口を開いた。
「そう言えばさー」
「ん、何?」
「姫始めって言葉あるじゃん」
「ぶっ、けほっ、けほっ」
私は飲んでいたほうじ茶を噴き出しそうになる。なったが、何とか押し留めて、その代わりにけほけほと咽せてしまった。な、何だこいつ。めちゃくちゃいきなりぶっ込んで来るじゃん。ていうか、それ、私たちもう済ませてるじゃん。何なら年明けてから三回以上はしてるじゃん。
「けほっ……いきなりどうしたのよ、いや、あるけど。確かに、そういう言葉は」
「そんな咽せるほど?」
「だって突然だったし」
「別にいいじゃん、ただの雑談だよ?」
「わかってるけど」
「それとも何? 変な妄想しちゃった? 文ったらえっちなんだからー」
「いや、いやいや、動揺するでしょ。そりゃいきなりそんな言葉ぶっ込まれたら」
「まあまあ。とりあえず話続けてもいい?」
「うん、まあ、別にいいけど」
私はとりあえずもう一度ほうじ茶を啜り直して、口の中を、というか気持ちをリセットする。お茶はすっかりぬるくなってるけれど、いい茶葉を使ってるだけあって、香ばしくて美味しい。うん、私悪くない。隣のはたてはそんな私の醜態を見て、けらけらと笑っていたけれど、その内再び話し始める。
「あれってさー、元々は姫飯って言って年明け一番に炊いたやわらかいご飯を食べる事を指すんだってね」
「ああ、なんだ、はいはい。原義の話ね。いや、でもそれも諸説あるらしいわよ。飛び馬始めって書いて、その年の始めに馬に乗る事って説とか、あるいは姫糊始めって書いて、その年の始めに洗濯する事って説とか」
「あ、そうなの? そこまでは知らなかった。文、マジで物知りだよね」
「そこまででも無いけど……まあ、偏りはあるけどね。理系分野の知識とかさっぱりだし。この前、河童の店で買った洗濯機? だっけ? アレも使い方とか未だに全然分かってないし」
「えー、洗濯機は簡単だよー。洗剤入れて、洗濯物入れて、あとはスイッチ押すだけだよ。乾燥とかも自動でやってくれるし。文、カメラ弄りは好きな割に、機械には弱いよねー」
「まあ、私にだって苦手な分野はあるわよ。エアコンとかテレビの扱いには流石に慣れてきたけど」
「エアコンは本当に良い買い物したよねー。こたつと違って、部屋全体があったかくなるのが好きだなー」
そう言って、はたてはテーブルの上にあったエアコンのリモコンを手に取る。ピッピッとスイッチを押して、どうやら少し設定温度を上げたようだった。確かに、夜も更けてくると冷え込むもんね。
やがて、はたてはリモコンをテーブルに置き直すと、また喋り始める。
「で、ふと思ったんだけどさ、私達って、まあ女同士じゃん? 女同士のカップルじゃん?」
「うん、まあそりゃね。それは確かにそう」
「その場合って、どっちが姫になるの?」
「えー……どうなるのかしらね……」
何気ないはたての疑問に、確かに私は、口に手を当てて考え込んでしまう。なるほど、そう言われてみれば、なかなか判断が難しい話ではある。
「んー……でもほら、アレじゃない? こう、その日責められてる側が、何だかんだで姫になるんじゃないの?」
「あー、やっぱりそうなるのかな。うーん、でもなー」
私のとりあえずの答えに、しかし、はたては煮え切らない返事を返す。何だろう、気になる点でもあるのかな。
「いや、確かにそうではあるんだけどさー。やっぱり責めてる側も可愛いなーとはね、してる最中に思ったりするわけですよ。まー、私が責められる事の方が、私達の場合だと多くはあるんだけどさ」
「う、何か普通に照れるんだけどそれ」
「私を可愛がってくれてる時の、文の優しかったり、あるいはちょっと意地悪だったりする声色とかさー。あとは、こう、舐めたり甘噛みしたりしてくれてる時の余裕の無さとかがさ? やっぱり私としては可愛いなーなんて思うわけ」
「それ言ったら、私があんたに責められてる時も大概そんな感じだけどね。乱れた髪を耳に掛け直す仕草とか、ふと私に好きって囁いてくれる時の悪戯な微笑みとか、可愛いなって私だって思うし」
「やっぱそうだよねー、責めてる側だって可愛いなって感じるよね。うーん、そうなると、やっぱりどっちがお姫様なんだろうね」
はたては私の言葉に少し嬉しそうな笑いを見せていたけれど、しばらくしたら再び腕を組んで、あれこれと考えている様子だった。この問題は確かに難しい。実際、どっちが責められてるかって、その日の二人の気分とか、そこに至るまでの流れにもよるしなあ。少なくとも私達の場合はね。よそがどうかは流石に知らないけれど。
少しの静寂の後、ふと、何となく浮かんだ事を、私から口にしてみる。
「アレじゃない? 私達の場合は、ほら、あんたの苗字に姫って入ってるし、あんたが姫でいいんじゃない?」
「それは流石に無理やりじゃない? まー、文に姫って呼ばれるのはときめくけどさ。え、じゃあちょっと呼んでみてよ」
「ん、どういう事? 私があんたを姫って呼んでみるって事?」
「そうそう」
「えー……ちょっと恥ずかしいけど、まあ、あんたが望むって言うなら……」
私はこほん、と一つ咳払いをしてから、少しだけカッコつけて呼んでみる。
「姫、愛してますよ」
「あ、めちゃくちゃ良い。それめちゃくちゃ良いわ。でも、もうちょっと砕けた感じでもいいかも」
「注文多いなあ」
「いいじゃん。じゃあもう一度お願い」
「好きだよ、姫」
「んんんんん、良い。めっちゃ良い。ときめく。いつもとちょっと違う感じが良いね」
はたては軽く身悶えしながら、頬を赤らめる。やっぱり可愛いな、こいつ。まあ、呼んでるこっちも大概頬が熱いのだけれど。
「まー、でもアレだね。若干エヴァ破っぽくはあるね」
「うわ、こいつ一気にムード崩してきやがった」
「いや、ときめきはしたけど、何となく思い出しちゃって」
「あんた、ここまで甘い空気作っておいて自分からそれ言うか?」
「マリはなかなか良いキャラしてるよねー。そういや文ってシンエヴァ観た?」
「え、観てない。だって幻想郷にはまだフィルム入ってきてないでしょ、流石に」
「いや、それが河童のところにはもう入って来てるらしくて、私もう観てきたよ」
「マジで? 河童すごいな」
「いやー、なんていうか、きちんと終わらせるっていう気概を持って作られた感じがして良かったよ。私はテレビ版より好きかも」
「そんなに? マジか、それは流石に私も観たいな。今度、取材がてら河童のところ行ってみようかな」
「ネタバレじゃ全然無いけど、いやー、庵野も丸くなったなーって感じたよ」
「そうなんだ……あんなに尖ってたのにねえ。テレビ版の終わり方、賛否両論あるけど、私アレはアレで結構好きよ」
「まあ、それはねー。いや、これ以上はネタバレになるから言わないけど。文自身の目で確かめてみろ」
そう言って、はたてが私を指差す。うーん、近い内に私も観に行こう。しかし、河童の輸入技術って本当にすごいな。何だか、それっぽいムードが一気に談笑の空気になってしまって、思わず笑いが溢れてしまう。そんな私を見て、はたても釣られてふふふっ、と笑っていた。
「まあ、なんていうか、可愛い苗字よね。姫海棠って」
「うん、実は私も結構気に入ってるよ。仮に結婚出来るようになったとしても、苗字はそのままがいいなー」
「今は別姓とかも出来るみたいだしね」
「それに射命丸って何か古臭い感じしない?」
「お、喧嘩か?」
「嘘嘘、冗談だって。私は好きだよ、射命丸文って名前。凛とした感じがして、吹き抜けるそよ風みたいで、素敵だなって思う」
「はあ……あんた、本当に恥ずかしい事サラッと言うわよね」
「んー? そうかな? じゃあ、まあ」
はたてがそう言って何やら言葉を濁すと、テレビのリモコンを手に取って、パチリとその電源を消す。
部屋に流れていたニュースの声がブツンと消えて、聞こえるのはエアコンが発する微かな音だけ。
やがて、はたては私の手を取って、そのまま、その手の甲に優しく口付けをした。
「──今夜は、文が私のお姫様になってくれる?」
「は、はひ……」
ニヤリと、それでいて柔らかに微笑むはたての、ちょっと甘えた声音のお誘いに、私は一気に燃え上がるような頬の熱さを感じる。漏れ出たのは私の情けない返事。
ああ、このお姫様には敵わない。多分、一生。
私とはたては、その日もいつも通りに二人で暮らす私の家で、ゆるゆると寛いでいた。
夕飯を食べ終えて、すっかり食器も洗い終わり、二人でソファーベッドに座りながら、だらだらと垂れ流しのテレビをぼんやり見ている。たまにバラエティ番組のしょうもないギャグに笑ったり、はたてが横からちょっかい掛けてきたりして。いつもと変わらない、ゆったりとした二人きりの夜の時間。
今年の大晦日は、二人で過ごした。
少し奮発して買った、高級な感じの和牛と野菜で、毎年恒例となったすき焼きを楽しみ、適当に紅白歌合戦なんかを観ながら、夜更けに一緒に年越し蕎麦を啜っては、遠くから聞こえる除夜の鐘に風情を感じたりして。気が付けば十二時を過ぎていたから、一緒の布団で眠りに就いた。
正月の三が日はと言うと、結局実家に挨拶する事もなく、これまた二人で過ごした。
おせちは別に作らなくてもいいよ、とはたてが言ってくれたから、私もお言葉に甘えて、二人とも好きなだし巻き玉子と黒豆の煮付けだけは作って、それをつまみながら駅伝とか見たりしながら。お雑煮のおもちの数は、私は二個だったけど、はたては三個で、よく食べる奴だな、なんて思ったりして。東京風のあっさりとした醤油出汁と鶏肉、三つ葉や生麩が入ったお雑煮を、美味しいね、と笑い合ったはたてのその顔は、やっぱり可愛いなあとか、そうやって幸せを噛み締めていた。
ああ、でも一緒に初詣には行ったっけ。三が日は混むだろうから、という事で、少しずらした日に二人で守矢神社にお参りに行った。軽くお賽銭を投げてから、おみくじを引いてみると、私は吉で、はたては大吉。少し悔しかったけれど、凶を引かなかっただけマシとしよう、なんて考えていたら、大吉にはしゃぐはたてを見て、そんな事どうでも良くなったんだったな。山に吹く風は肌寒かったけれど、繋いだ手の温かさだけは確かなものだった。
そうして、だらだらしていた年末年始もとうに過ぎ去って、今はすっかり平常運転と言った感じの生活だ。
たまに二人で買い出しには行くけど、出来るだけ生活必需品は買い込んで、そのまま一緒にお風呂に入ったり、基本的にはのんびりぬくぬくと、何もかもを冬の寒さのせいにして、出来る限り家の中に引き篭もる暮らしをしている。
たまに降る雪も、それでもガッツリとした雪かきが必要なほど積もるわけでも無いから、玄関先だけ軽くサクサクと済ませて。家は日当たりのいい方だから、日中の陽差しで大体は溶けてくれる。
そんな事を思い返していると、やがてバラエティ番組も終わり、夜のニュースが始まった頃に、隣のはたてが唐突に口を開いた。
「そう言えばさー」
「ん、何?」
「姫始めって言葉あるじゃん」
「ぶっ、けほっ、けほっ」
私は飲んでいたほうじ茶を噴き出しそうになる。なったが、何とか押し留めて、その代わりにけほけほと咽せてしまった。な、何だこいつ。めちゃくちゃいきなりぶっ込んで来るじゃん。ていうか、それ、私たちもう済ませてるじゃん。何なら年明けてから三回以上はしてるじゃん。
「けほっ……いきなりどうしたのよ、いや、あるけど。確かに、そういう言葉は」
「そんな咽せるほど?」
「だって突然だったし」
「別にいいじゃん、ただの雑談だよ?」
「わかってるけど」
「それとも何? 変な妄想しちゃった? 文ったらえっちなんだからー」
「いや、いやいや、動揺するでしょ。そりゃいきなりそんな言葉ぶっ込まれたら」
「まあまあ。とりあえず話続けてもいい?」
「うん、まあ、別にいいけど」
私はとりあえずもう一度ほうじ茶を啜り直して、口の中を、というか気持ちをリセットする。お茶はすっかりぬるくなってるけれど、いい茶葉を使ってるだけあって、香ばしくて美味しい。うん、私悪くない。隣のはたてはそんな私の醜態を見て、けらけらと笑っていたけれど、その内再び話し始める。
「あれってさー、元々は姫飯って言って年明け一番に炊いたやわらかいご飯を食べる事を指すんだってね」
「ああ、なんだ、はいはい。原義の話ね。いや、でもそれも諸説あるらしいわよ。飛び馬始めって書いて、その年の始めに馬に乗る事って説とか、あるいは姫糊始めって書いて、その年の始めに洗濯する事って説とか」
「あ、そうなの? そこまでは知らなかった。文、マジで物知りだよね」
「そこまででも無いけど……まあ、偏りはあるけどね。理系分野の知識とかさっぱりだし。この前、河童の店で買った洗濯機? だっけ? アレも使い方とか未だに全然分かってないし」
「えー、洗濯機は簡単だよー。洗剤入れて、洗濯物入れて、あとはスイッチ押すだけだよ。乾燥とかも自動でやってくれるし。文、カメラ弄りは好きな割に、機械には弱いよねー」
「まあ、私にだって苦手な分野はあるわよ。エアコンとかテレビの扱いには流石に慣れてきたけど」
「エアコンは本当に良い買い物したよねー。こたつと違って、部屋全体があったかくなるのが好きだなー」
そう言って、はたてはテーブルの上にあったエアコンのリモコンを手に取る。ピッピッとスイッチを押して、どうやら少し設定温度を上げたようだった。確かに、夜も更けてくると冷え込むもんね。
やがて、はたてはリモコンをテーブルに置き直すと、また喋り始める。
「で、ふと思ったんだけどさ、私達って、まあ女同士じゃん? 女同士のカップルじゃん?」
「うん、まあそりゃね。それは確かにそう」
「その場合って、どっちが姫になるの?」
「えー……どうなるのかしらね……」
何気ないはたての疑問に、確かに私は、口に手を当てて考え込んでしまう。なるほど、そう言われてみれば、なかなか判断が難しい話ではある。
「んー……でもほら、アレじゃない? こう、その日責められてる側が、何だかんだで姫になるんじゃないの?」
「あー、やっぱりそうなるのかな。うーん、でもなー」
私のとりあえずの答えに、しかし、はたては煮え切らない返事を返す。何だろう、気になる点でもあるのかな。
「いや、確かにそうではあるんだけどさー。やっぱり責めてる側も可愛いなーとはね、してる最中に思ったりするわけですよ。まー、私が責められる事の方が、私達の場合だと多くはあるんだけどさ」
「う、何か普通に照れるんだけどそれ」
「私を可愛がってくれてる時の、文の優しかったり、あるいはちょっと意地悪だったりする声色とかさー。あとは、こう、舐めたり甘噛みしたりしてくれてる時の余裕の無さとかがさ? やっぱり私としては可愛いなーなんて思うわけ」
「それ言ったら、私があんたに責められてる時も大概そんな感じだけどね。乱れた髪を耳に掛け直す仕草とか、ふと私に好きって囁いてくれる時の悪戯な微笑みとか、可愛いなって私だって思うし」
「やっぱそうだよねー、責めてる側だって可愛いなって感じるよね。うーん、そうなると、やっぱりどっちがお姫様なんだろうね」
はたては私の言葉に少し嬉しそうな笑いを見せていたけれど、しばらくしたら再び腕を組んで、あれこれと考えている様子だった。この問題は確かに難しい。実際、どっちが責められてるかって、その日の二人の気分とか、そこに至るまでの流れにもよるしなあ。少なくとも私達の場合はね。よそがどうかは流石に知らないけれど。
少しの静寂の後、ふと、何となく浮かんだ事を、私から口にしてみる。
「アレじゃない? 私達の場合は、ほら、あんたの苗字に姫って入ってるし、あんたが姫でいいんじゃない?」
「それは流石に無理やりじゃない? まー、文に姫って呼ばれるのはときめくけどさ。え、じゃあちょっと呼んでみてよ」
「ん、どういう事? 私があんたを姫って呼んでみるって事?」
「そうそう」
「えー……ちょっと恥ずかしいけど、まあ、あんたが望むって言うなら……」
私はこほん、と一つ咳払いをしてから、少しだけカッコつけて呼んでみる。
「姫、愛してますよ」
「あ、めちゃくちゃ良い。それめちゃくちゃ良いわ。でも、もうちょっと砕けた感じでもいいかも」
「注文多いなあ」
「いいじゃん。じゃあもう一度お願い」
「好きだよ、姫」
「んんんんん、良い。めっちゃ良い。ときめく。いつもとちょっと違う感じが良いね」
はたては軽く身悶えしながら、頬を赤らめる。やっぱり可愛いな、こいつ。まあ、呼んでるこっちも大概頬が熱いのだけれど。
「まー、でもアレだね。若干エヴァ破っぽくはあるね」
「うわ、こいつ一気にムード崩してきやがった」
「いや、ときめきはしたけど、何となく思い出しちゃって」
「あんた、ここまで甘い空気作っておいて自分からそれ言うか?」
「マリはなかなか良いキャラしてるよねー。そういや文ってシンエヴァ観た?」
「え、観てない。だって幻想郷にはまだフィルム入ってきてないでしょ、流石に」
「いや、それが河童のところにはもう入って来てるらしくて、私もう観てきたよ」
「マジで? 河童すごいな」
「いやー、なんていうか、きちんと終わらせるっていう気概を持って作られた感じがして良かったよ。私はテレビ版より好きかも」
「そんなに? マジか、それは流石に私も観たいな。今度、取材がてら河童のところ行ってみようかな」
「ネタバレじゃ全然無いけど、いやー、庵野も丸くなったなーって感じたよ」
「そうなんだ……あんなに尖ってたのにねえ。テレビ版の終わり方、賛否両論あるけど、私アレはアレで結構好きよ」
「まあ、それはねー。いや、これ以上はネタバレになるから言わないけど。文自身の目で確かめてみろ」
そう言って、はたてが私を指差す。うーん、近い内に私も観に行こう。しかし、河童の輸入技術って本当にすごいな。何だか、それっぽいムードが一気に談笑の空気になってしまって、思わず笑いが溢れてしまう。そんな私を見て、はたても釣られてふふふっ、と笑っていた。
「まあ、なんていうか、可愛い苗字よね。姫海棠って」
「うん、実は私も結構気に入ってるよ。仮に結婚出来るようになったとしても、苗字はそのままがいいなー」
「今は別姓とかも出来るみたいだしね」
「それに射命丸って何か古臭い感じしない?」
「お、喧嘩か?」
「嘘嘘、冗談だって。私は好きだよ、射命丸文って名前。凛とした感じがして、吹き抜けるそよ風みたいで、素敵だなって思う」
「はあ……あんた、本当に恥ずかしい事サラッと言うわよね」
「んー? そうかな? じゃあ、まあ」
はたてがそう言って何やら言葉を濁すと、テレビのリモコンを手に取って、パチリとその電源を消す。
部屋に流れていたニュースの声がブツンと消えて、聞こえるのはエアコンが発する微かな音だけ。
やがて、はたては私の手を取って、そのまま、その手の甲に優しく口付けをした。
「──今夜は、文が私のお姫様になってくれる?」
「は、はひ……」
ニヤリと、それでいて柔らかに微笑むはたての、ちょっと甘えた声音のお誘いに、私は一気に燃え上がるような頬の熱さを感じる。漏れ出たのは私の情けない返事。
ああ、このお姫様には敵わない。多分、一生。
なんとなーく昔に流行った?現代入りのような空気を感じて、
そこは少し懐かしく思いました。