Coolier - 新生・東方創想話

星は瞬き流れて消えた

2023/01/20 08:41:29
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かつて鬼と天狗との間で、大規模な抗争に至りかねない闘いの前哨戦があったことを覚えている者は、妖怪の間にすらもはや多くない。
時は江戸時代。呑気な人間どもは太平の世を謳歌していたものの、その裏では、東は天狗、西は鬼、日夜強大な物の怪同士の勢力争いは尚も続いていた。
鬼どもは個々の圧倒的な暴を、天狗たちはその組織を貫く複雑な知を、それぞれ武としていた。
いくら天狗が並の妖怪とは比べ物にならないほどに強いとはいえ、鬼に殴られでもしたらひとたまりもない。
ならばと天狗たちは一人の鬼には五人十人でかかることを常としていた。
これには鬼も手を焼いて、天狗に比べれば遥かに足らぬ頭を働かせるものの、良い知恵はなかなか浮かばない。
そんな折。
天狗の側から仕掛けた些細な喧嘩が火種となる。
その火種は次第に大きくなり、ついには一触即発の事態となった。
困ったのは天狗の側である。
こちら側から売った喧嘩のせいで鬼対天狗の全面戦争になりかねなかった。
手打ちをしたとしてもこちらが鬼の要求を飲まされることは目に見えているし、それ以前に鬼との全面対決は何が何でも避けたかった。
そして天魔と大天狗、鬼の頭と取り巻きが座して会合を開いていたときに、鬼の頭から一つの案が飛び出した。
ここは一つ、遊戯に属するもので勝敗を決しようではないか。
鬼の側も天狗と全面抗争となったらただでは済まない。
それならば、死人も怪我人も出ない真剣遊戯で、禍根を残さないための勝負をつけようではないか。
これには天狗も願ったり叶ったりであった。
なにせ数では勝るとはいえ、天狗の懸念はそのまま鬼の懸念と被さったからだ。
いや、それ以上であった。

「それで何にいたしますかな?」

天魔が鬼の頭にそう尋ねる。

「そうだな……将棋、などはどうだ?」

「将棋、ですか?」

「ああ、もっとも人間どもが指してるような、ママゴトみたいなヤワなものではない」

お前らのちっぽけな脳みそではその人間どもにすら勝てないくせに何を言う、と喉元まで出かけたが、天魔は抑えて聞き返す。

「元はと言えばこちらの者が売った喧嘩。口を挟む権利などありはしませぬ」

「なに、こっちもお前らに一つ、花を持たせてやろうと思ってるんだ。お前らがやっている、天狗泰将棋で勝負をつけてやろう」

天魔は無論その案を飲まないわけにはいかなかった。
だが天魔とて馬鹿ではない。自分たち天狗の遊戯で勝負をつけようとはいかなる魂胆なのだろうか?
当然相手側とて対策を施しているはず。
天狗泰将棋は天狗大将棋とは異なり、長命な天狗とて指せる者は決して多くはない。
天狗大将棋と比べればその駒の数は多く、当然決まりごとも複雑で、自然長丁場の対局となる。

「まあいいですが……」

「ただし、お前らがいつもやっている遊戯で戦うんだ。こちらからも注文をつけさせてもらう。一つ、俺たちは俺たちが選んだ、配下の妖怪に戦わせる。二つ、お前らの側は獅子と麒麟を落とす。これだけだ」

とりあえずは鬼にしては必要以上に理不尽な要求ではなかったことに安堵する。
しかしそれは逆に言えば、この要求を飲まざるをえない、ということに他ならない。
1つ目はともかくとして、2つ目はなかなかに手痛い。
獅子と麒麟という二つの駒は、いわゆる大駒に属するものだ。
それぞれもとから2つずつ用意されている。
獅子は飛車角の動きを二回ずつ。麒麟は三回ずつできるという強力無比な駒である。
普通の将棋で言えば、飛車角落ちという具合なのだろうか。
だがこちら側に断る、という選択肢は存在しない。

「仕方が有りませぬな。良いでしょう。その提案、飲みましょう」

鬼の頭はにやりと笑った。

「その言葉、ゆめ忘れるなよ」

そして、ぱん、ぱん、と手をたたく。

「入れ」

その声に応じて入ってきたのは、大きな頭をした、小柄で醜い妖怪であった。

「こいつはぬらりひょん。俺たちの側はこいつにやらせる」

ぬらりひょん。妖怪の中でも上に位置する者であり、そのずる賢さは並び立つ者がないと聞く。
しかし、ずる賢さと将棋の腕前は全く別。
そう思っていた。

ぬらりひょんはひひっ、と嗤い、懐から何かを取り出し、床にぽいと無造作に投げ捨てる。

それは切り口から血の滴る、まだ生暖かい、人間の右手。

「……これは、どうされたのですかな?」

「いやな、こいつがここに来る前に、どうしても時間つぶしに将棋を指したいというから、人間の名人のところに連れて行ったんだ。こちらが飛車落ちで指す代わりにあっちに右手を賭けさせたら、このザマだよ」

そう言って鬼の頭は豪快に笑い出した。
つまり、この妖怪は名人と指し、容易く勝利したというのか。
自分たち天狗も何度か、無論将軍の許可は得ていたのだが、名人と将棋を指したことがある。
人間だが、その手強さは自分たち天狗の背筋を何度も凍らせるほどだった。
なにせ、実は自分も手合わせを願ったことがあるが、こてんぱんにのされてしまった。
その名人を、いとも簡単に倒してしまう、この妖怪。
そして、床にごろりと転がる、人間の右手。
その意味するところを考えるのはあまりに恐ろしかった。
それはそのまま、天狗の行く末を暗示しているかのようであった。

天魔は後日、配下の天狗に招集をかけた。
集まった大勢の天狗に尋ね回る。
誰か、誰でもいいから、兎にも角にも将棋の強い者はいないだろうか。
ぬらりひょんに勝てる者はいないだろうか。
しかし誰に聞いても黙って首を横に振るだけだ。
なにせ人間の名人にも勝てるか極めて怪しい連中である。
その名人以上の腕前をもつ者に勝てるはずがない。
そんな諦めが天狗の間に漂っていた。

そんなとき。

「一人、私の知っている中に該当する者がいるやもしれませぬ」

そう告げたのは一人の鴉天狗であった。

「その者の名をなんという?」

「龍、飯綱丸龍と申します」


飯綱丸龍はまだ年若い、それでもどこか怜悧さを漂わせている少女であった。
しかし天魔は彼女を最初に見たとき、こんな小童(こわっぱ)で大丈夫なのだろうかと思ってしまった。
龍は天狗の様々な書類を扱う仕事をしており、その立ち回りはいわば非常に地味なものであった。
だから、天魔と顔を合わせる機会など、どこにもないと言って等しかった。
いくら多数の天狗の顔と名前を一致させている天魔とは言え、これほど下位の者の名は知らなくても無理はなかった。

「天魔様、ご足労誠に恐れ入ります。わたくし、飯綱丸龍と申します」

龍はそう述べて、頭を深々と下げる。

「良い、そんなにかしこまらなくとも。今回は私がお前に頭を下げる方だ」

「何があったのです?」

「困ったことになった。天狗泰将棋で鬼どもと決着をつけるのだが、相手は人間の名人を簡単にいなすほどの腕前で、その上こちらは駒落ちを強いられている」

「将棋ですか」

「聞くところによると、お前は将棋が強いそうではないか」

「まあ、少々嗜む程度ですが……」

龍はそう静かに告げた。
ただ、その瞳には、確かな自信、いや、来るべき戦いへの隠しようのない期待、そんなものが宿っている、天魔はそう感じた。

「私とてお前のことを信頼していない、というわけではない。だが天狗全体の沽券にかかわる問題だ。一つ、腕試しをさせてもらってもいいだろうか?」

「構いません。なんなりと」

天魔はその言葉を聞くと、懐から紙の束を取り出した。
表にはなにか色々と書かれている。

「天狗の中でも腕の立つ連中を集めて7日がかりで考えさせた詰将棋だ。泰将棋だから、一枚の紙にまとめるわけにはいかなかった」

龍はその紙束を受け取ると、しばらくじっと見つめ、めくっていった。
それは天魔にも、それほど長い時間ではなかったように思われた。
そして龍はおもむろに口を開く。

「七二飛。533手で、七二飛で詰みです」

それを聞いた天魔は、ふう、と息をついた。

「すまんな、重い責任を背負わせてしまって。頼めるだろうか?」

「無論です。必ずや、勝利いたします」

そう告げる飯綱丸の目は、先程の瞳の色と少しも変わってはいなかった。


対局は京都の名もなき山中で行われることとなった。
打ち捨てられた寺院の中に明かりが灯される。
上座に座るはぬらりひょん。脇には鬼の頭も控えている。
そして約束の時刻の少し前に、天魔に連れられた飯綱丸が部屋に入ってくる。

「なんだ、どんな達人を連れてくるのかと思っていたら、こんな小娘か」

鬼の頭はそう嘲り笑う。ぬらりひょんもそれに呼応してゲタゲタと嗤い始める。

「なに、山椒は小粒でもぴりりと辛い、という言葉がありましてな」

飯綱丸は下座に座り、ぬらりひょんに深々とお辞儀をした。
それを見たぬらりひょんはますます下品な嗤いを強くした。
将棋盤が広げられ、白狼天狗が駒を置いていく。
その間もぬらりひょんは何が可笑しいのかゲラゲラ嗤っていたが、飯綱丸は黙ってじっと盤面を見ていた。

対局はちょうど日が変わった頃に始まった。
先手はぬらりひょんであった。
定石通り歩を前に突き上げ、龍もそれに習う。
対局は序盤は緩やかに、そして徐々にその速さを増していった。
最初の方は討ち取られる駒の数も少なかったのだが、次第に中駒も盤上から取り去られていくようになる。
天魔は龍の側を見ていたのだが、ぬらりひょんのそれと比べると大駒の動きが少ないように思われた。
ぬらりひょんは大駒の数の優位を生かし、果敢に龍の側に攻め入ってくる。
しかし龍はあえて歩でそれを迎え撃つのではなく、鉄将や銅将、仲人などでそれらを抑える戦法を取っていた。

泰将棋には基本的に持ち駒という概念はない。
そのため、駒を消耗した結果、詰みが見えても相手に逃げられる、ということがある。
そのため、なるべく強力な駒を温存することは戦略の一つである。
そして歩は通常の将棋と同じく、敵陣に入ることで成ることができる。
ただ、盤が大きい上に持ち駒という概念がない以上、敵に討ち取られることなく敵陣に入ることは歩にとっては困難を要する。
そのため、成った場合は元の動きとは比較にならないほどの強力な駒となるのである。
歩が成った場合奔王(ほんおう)となるが、これは通常の将棋でいうところの、飛車と角行を合わせたのと同じ動きをする。
そのため、いかにして敵の歩を減らすか、というのは駒が多く、持ち駒のない泰将棋においては非常に重要であった。
横歩取りなどの戦法はすぐに見破られてしまうが、一度決まればそれだけで勝敗を決するほどの威力すらあった。
両者ともこれまで泰将棋を指す機会には恵まれていなかった。
そのため天狗の遊戯とはいえ、両者の経験値にこの泰将棋に関して言えば経験値の差はさほどない。
しかし両者とも、この遊戯において最も重要な駒、むろんそれは通常の将棋とて変わらぬことではあるが、それは歩であること、そして、その重要性は人間の将棋のそれを遥かに凌駕することを見抜いていた。
実際のところ、天魔が懸念し、鬼の頭がしてやったりと考えるほど、龍の側に課せられた駒落ちは手痛いものでなかったのである。
鬼の頭はいまだ気付いていなかったが、この一種の失策は頭が指せるのが普通の将棋だけであることに起因していた。
普通の将棋では持ち駒の概念があり、更に駒の数も少ないゆえ、飛車角を落とすことなどは手痛いものとなる。
しかし泰将棋ではそれは必ずしも当てはまらない。討ち取られた駒はそのまま盤上から永久に除外される上に、駒の数は多く、そして密集している故、むしろ大駒を減らされることは場合によっては利点にすらなりうる。

最初に敵陣に歩を入れたのは龍の方であった。
それを見たぬらりひょんは舌打ちをする。
奔王と成った歩は敵陣に睨みを効かせていく。
対局も中盤に入り、ぬらりひょんが最初に得ていた駒数の優位は徐々に失われていった。
龍は余分な駒をわざと討ち取らせつつ、歩を成らせることで睨みの効く大駒を作り出していったのである。

先に王手をかけたのはぬらりひょんの方であった。
攻め入った麒麟が龍の側の囲いを壊し、そこに他の駒も殺到する。
これは厳しいことになるやもしれぬ、と天魔は思った。
長考の末、龍は囲いを修繕する方針をとった。
ぬらりひょんの側も、攻め落とし切るにはまだいささか早いと判断する。
敵陣に数個の大駒を置いたまま、ひとまずは退却の策をとることとなった。
しかし龍はといえば、その間隙を突き、いくつかの歩を成らせていた。
これでようやく五分になったのだろうか、天魔はそう感じた。

対局も終盤になり、駒の数は少なくなっていく。
最初はぎっちりと詰まっていた盤上も、今は多くの隙間ができている。
両の王も既に囲いの中にいる。
通常の将棋と同じく、王将は八方に一つしか動くことができない。
つまり、相対的にこの将棋では王は非常に弱い駒、と言ってもよかった。
そのため、囲い、というものはやはり重要なものではあるが、持ち駒がないこの将棋では、どの駒を王の側近に置くか、は一つの思案すべき点であった。
通常の将棋と同じく、王を下に置き、その上や横に金将や銀将、あるいは鉄将や銅将を置く、というのは一つの手である。
しかしこれらの駒は、守りのときに真価を発揮するとはいえ、それでも王将よりも弱い駒。
その分、大駒を攻勢に回すことができるとはいえ、守りはときにやわなものとなる。
ぬらりひょんはこちらを採用していたが、龍が採っていたのは、むしろ歩を大駒中駒で護送しつつ、余ったいくつかの大駒を王から少し離れた場所から睨みを効かせる形で配置する方法であった。
結果的に、この戦法は功を奏することとなった。
歩を多く成らせることができた故、ぬらりひょんの囲いを崩すのにはそこまで苦労はなかった。
そのうえ、ぬらりひょんは金や銀といった足の遅い駒を多く守りに配置していたため、大駒が戻るにはいささか隙間がなさすぎる。
ぬらりひょんは灰色の頭を赤くしたり青くしたりするようになった。

そして対局が始まってちょうど20日後。

ぬらりひょんが深々とお辞儀をした。
それは他ならぬ、敗北を認める合図であった。
それを見た天魔はいささか驚きを隠せなかった。
あの妖怪が、人間を虫けらのように扱い、対局前も散々に無礼を働いた、あの下衆が、潔く負けを認めるとは思ってもいなかった。
それに応じ、龍も深々と礼をした。

「てめえ! なに負けてやがる!!」

鬼の頭がぬらりひょんに襲いかかる。

「おっと、お待ちくだされ」

天魔は鬼の頭に扇を向けた。

「あまり申し上げたくはございませぬが、この勝負、勝たせていただいたのはこの我々。そちらから勝負を持ちかけておきながら、負けた腹いせにこの場でそのような狼藉を働くとはいくらなんでもご自愛がすぎるのではありませぬかな?」

「ぐぬぬ……」


「まあいいです。勝ったとはいえ、元はと言えば私達の方から売った喧嘩であることには変わりませぬ。ここはお互いに痛み分け、ということにしたいのですが、よろしいですな?」

「……しかたねえ」

「それと……」

「なんだ?」

「鬼にも傷を癒やす秘薬ぐらいはあるでしょう。名人の右手、治していただきたいものです。我らとて、名人と対局できなくなるのは心苦しいですからな」

「……わかったわかった」

こうして天狗と鬼の真剣勝負は幕を閉じた。
鬼と天狗はその後、正式に手打ちを行い、天狗は表向きは鬼の下につくものの、要所要所では鬼に要求を飲ませることとなるのだった。





私がとある鴉天狗の先輩から頼み事をされたのは随分と前だ。
それこそ博麗の巫女も今の代ではないぐらいには昔である
文々。新聞も創刊したばかりで、私はまだ駆け出しの記者と言っても良かったかもしれない。
先輩も新聞記者をやっていたのだけど、急な昇進で代わりに私に頼むことにしたらしい。

「先輩に頼まれたら流石に断るわけにはいきませんよね」

私がそう軽口を叩くと、先輩は私にこう返す。

「長い取材になるかもしれない、それでもいいかな?」

「任せてくださいよ」

そうは言ったものの、肝心の取材内容を先に聞いておけばよかったかな、と承諾のあとで軽く後悔する。
まあいいか、そんな無茶なことは言ってこないだろう。

「それでどういう内容ですか?」

「将棋の対局を観戦してもらいたい。天狗泰将棋だから長丁場になる」

天狗泰将棋か。さっきあんなことを思ったけど、かなり大変なことになりそうだ。
大丈夫だろうか。

「……わかりました。ちなみにどなたとどなたの対局ですか?」

「片方は私達がよく知っている方だ。飯綱丸龍殿」

「龍さん?」

龍さんとはあまり顔を合わせたことはないけど、それ相応の地位にいる方であることはもちろん知っている。
だからこそ、龍さんがどれだけ忙しいのかもわかっている。
言っては悪いけど、あの人に将棋なんかに興じる時間はあるのだろうか?
それ以前に、あの人が将棋を指すとはどんな相手なのだろうか?

「それでもう一方は?」

「人里の人間だ。名を均と言う」

「人間?」

おもわず素っ頓狂な声をあげた。
理由は二つ。
まず、ただの人間が天狗泰将棋を指すということ。
あれは暇な白狼天狗ですら指したがらないぐらいには時間がかかることは知っている。
短命な人間がそれを指すということは、自然その人生の多くを費やすことになるのは目に見えている。
そしてもう一つ。

「それでその方、いったいどういう方なんですか? それ相応の地位におられる方とか?」

「いや、そういうわけじゃない。ただの、将棋が強い青年だ」

「はあ。龍さんとは一体どういうご関係で?」

「私もよくは知らない。詳しくは本人たちに聞いてくれ」

なんとまあ、無責任なとは思ったけど、こういう若干ミステリアスな取材も面白いものかもしれない。
先輩に頼まれた手前もある。とりあえずは一度、立ち会ってみるか。



まず始めに私が会ったのは均さんの方だった。
均さんは里にある豪商の家の次男坊だった。
里での商売は少数の家に寡占されていた。均さんの家はその内の一つである。
どこにでもいそうな青年で、だけれども少し恥ずかしがりなのか、私と話すときにはちょっとたどたどしかった。

「あ、ありがとうございます……射命丸、文さん、でしたっけ? ごめんなさい……僕なんかの対局に付き合ってもらって……」

「いえ、いいんです。私の方はお礼を言いたいですよ。面白いネタ、というのはなかなか転がってはいないものですからね」

実際にはその言葉にお世辞が含まれていたことは否めない。
正直なところ、将棋の対局というのは面白くないと思っている。
ルールを知っていても、それだけでは何をしているのかわからないものだ。
ある程度の実力をつけてからでないとわからないものだし、そして天狗であろうと人間であろうと、読者の中にそれほどの実力を有するものはほとんどいない。

「でも、どうして龍さんと指すことになったんですか?」

「いえ、あの……えっと、八雲藍さんって知ってますか? あの、狐の方」

「ええ、もちろん知ってますけど」

「藍さんとよく将棋を指してたんですけど、藍さんが、良い相手がいるからって紹介してくれたんです」

「へえ、藍さんが」

八雲藍のことは知っている。
でも、彼女が将棋を指している、なんてことは知らなかった。

「失礼なことをお聞きしますけど、それは、藍さんが強すぎるとか時間がないから、とか、そういう理由なんでしょうか?」

「えっと、それはちょっと違って。元々は兄貴が仕事の縁で紫さんと知り合ったらしくて。兄貴は紫さんと商売のことで長く話をすることが多くて、それでその合間に藍さんと将棋を指すことになったんです。それで藍さんがもっといい相手がおられるからって」


「そうですか……でも、なんで天狗の将棋を指そうと?」

「うーん……天狗の将棋を指したいって言ったのは僕の方なんですが、同じ指すのだったらなるべく駒が多い方がいいのかなって」

なんとまあ、のんきな話だろうか。

「僕も龍さんと会うのは初めてなんです。でも藍さんが紹介してくれるんだから、きっと良い将棋が指せると思うんです」

「いいですね、そんな対局になると」

私は彼にお礼を言って、別の部屋でお茶を飲んでいた龍さんのところを訪れた。
龍さんのことはそこまでよく知っているわけではない。
だけど私も職務上の裁可なんかのために事務的な顔合わせぐらいはしたことがあった。
こうやって、どこかプライベートな状況で会うのは初めてではあったけれども。

「こんにちは、この度、対局を観戦させていただくことになりました、射命丸文です」

「ああ、よろしく。長い対局になりそうだから、その点だけは留意しておいてほしい」

龍さんはそれだけ告げると、再びお茶を飲み始めた。
まあ、わかっていたけど、大天狗の方を前にすると少しプレッシャーがあるな。
そうでなくとも、こういうふうに中途半端にお互いを知っていると、取材というのはやりにくい。
でも今のところはとりあえず大丈夫ではないだろうか。
徐々に親密になっていけばいい。
そうすれば龍さんも色々と話してくれるようになるだろう。


均さんと龍さんは大きな将棋盤を挟んで向かい合う。
二人とも足を崩すことはしない。
駒を動かすのはこの家の下女の仕事らしい。
だから駒を動かすときには盤面の位置を宣言することになっている。
持ち時間は特に決まっていない。
その辺りは紳士協定、といったところだろうか。

よろしくお願いします、とお互いに礼をする。
先手は均さんである。
第一手目。均さんは飛車先の歩を突き上げた。
それに対し、龍さんも同じ手を指す。
まずは両者とも、定石に従った形になるのだろうか。
天狗泰将棋とて飛車が強力な駒であることには代わりはない。
むしろ盤が大きい分、通常の将棋よりも重要といってもよいのではないだろうか。
そして天狗泰将棋では、飛車は成ると龍王ではなく、雲龍という駒となる。
この雲龍という駒は強力で、なにしろ縦横に動きの制限はなく、その上、他の駒を一度だけ飛び越すことができる。
そして駒が連続しているなら、その駒全てを飛び越えることができるのである。
盤が大きい天狗泰将棋では、縦横の制限のない飛車をとりあえず敵陣に入れて成らせておく、というのはうなずける。
あとは端の歩を突き上げたり、王を移動させたりと、一日目はそこまで動きなく終わった。

龍さんは、紙に次の手を書き、封筒に入れて厳封してもらった。
そして立会人の下女がそれを部屋に設置された金庫に入れる。
いわゆる封じ手、である。

互いに礼をして、対局は次に持ち越しとなった。
次回の対局は10日後である。
新聞にはとりあえず両者のプロフィールと棋譜、そして私からみた両者の対局中の印象などを記すことにした。
もっとも両者とも、一日目だけあって長考があったり妙手や悪手が出たりということはない。
そして天狗泰将棋を知らない多くの読者のためにルールを説明せねばならず、自然そのために多くの欄を割かなくてはならなかった。
そのため、一日目の対局については特筆して書くことはない、というのが実際のところである。


2日目も大きな動きはなかった。
相変わらずお互いに何分か考えてから駒を動かしてもらう。
のんびりとした対局に思えた。
それこそ老人が庭先で、余暇で指しているような、そんな風にも見えた。
だけれども、片方は千年を生きる大天狗であり、片方はその五十分の一すら生きていない青年である。
そんな二人の悠長な対局を眺めていると、思わず睡魔が襲ってきたりもする。
だけれどもそこは記者の宿命たるもの。
決して取材を疎かにするわけにはいかないのである。


何日目かの対局が終わった後、龍さんにお茶を誘われた。
私としては龍さんの方から誘ってくるのは少々意外だった。
だけれども、こちら側が取材している以上、私の方から誘う、というのは少しやりにくいところがあった。
だからこそ、龍さんの方から誘ってくれたのはなかなかにありがたいことではあった。

人里のお茶屋で私たちは顔を突き合わせる。
こうしてプライベートな話をするのは本当に初めてだ。

「無礼講でいこう。そこまで固くなってもらわなくてもいいから」

龍さんはそういって表情を崩した。
私は上司としての龍さんしか見たことがなかったから、そんな顔ができることを知らなかった。
私は結構プライベートでもそうでなくとも、どちらかというと感情を表に出すタイプであるから。
もっとも最近は作り笑いがうまくなってはきたけれども。
龍さんの方はお酒を、私の方はお茶を頼む。
まあ、天狗だから酔っ払うことなんてないとは思うけど、取材の一環である以上、こちらは素面の方が望ましい。

「お前とこうやって飲み交わすのは初めてだね」

「まあ、役職が違いますから」

「私は結構好きなんだ、文の新聞」

「あ、そう言ってもらえると嬉しいです」

「他の新聞は扇情的な記事ばかりで結構うんざりしているところもあるからさ」

「まあ、そこはやっぱり仕方がないのかもしれません……それでいかがですか? 対局の方は?」

「まだまだわからないよ」

そう言って龍さんは盃を手にとって口につけ、ぐびりと喉を鳴らした。

「なかなかね、こうやって将棋を指す相手がいなかった」

「それはお忙しいから、ですか?」

「それは大きい。今こんなふうに指しているのも仕事が終わった後になるわけだから。白狼天狗なんかはよく将棋を指しているが、そんな暇があったら哨戒の方を頑張ってほしいよ」

私は知り合いの将棋好きの白狼天狗のことを思い出した。
まあ、それほど頭が良い奴ではないから、あいつなりに楽しく指せているのではないだろうか。

「それでどうしてあの人と将棋を指すことにしたんですか?」

「やっぱり八雲藍の紹介、というのは大きかった。彼女は八雲紫の式神だろう? 式神の強さというのは主の力量にも左右される。
自分より弱い者の言うことを聞くやつなんてまずいないからね」

龍さんも管狐を従えていることは知っていた。
従者を従える者同士、思うところはあったのだろうか?

「お前も知っているとは思うが、八雲紫というのは一筋縄ではいかない相手だ。
その実務を一手に引き受けているわけだから、当然その力量も察して然るべきだろう。
妖怪だから人間よりも賢い、というのは全くもって大違いだ。馬鹿な妖怪の方がずっと多い。だけれども、賢い妖怪は本当に賢い。
過ごした年月を無駄にすることなく、絶えず成長を続けていく。その点は老いていくだけの人間とは決定的に異なるだろうな」

「それで、八雲藍さんはその賢い方の妖怪、というわけですか?」

「そう言っていいだろう。私も古くからこの地に出入りしているけど、決して彼女のことを侮るわけにはいかない」

「それで藍さんはなぜ龍さんに紹介を?」

「彼女は別にものすごく将棋が好きなわけではないから。それに……」

「それに?」

「負けっぱなしだったんだよ」

「均さんが、ですか?」

「いや、八雲藍の方が」

「えっ」

私は少し驚いてしまった。
龍さんの仰ったように、彼女は優れた頭脳の持ち主だ。外の世界でいうところの高度な計算機械に例えられるほどに。
殊に将棋のような、数学的なゲームにも長けていることは想像に難くない。
無論彼女とて本職の将棋指しではないのだから、負けること自体はありえないことではない。
でもそれはあの臆病そうな青年とて同じことである。
将棋というのは番狂わせが非常に起きにくい遊戯である。
つまりあの青年は、八雲藍よりもずっと将棋が強い、ということになる。
単純明快な結論。でもなかなか信じることは難しい。
人が、その幾倍もの年月を生きた妖怪に勝つ。
無論、妖怪退治というのは古来からそういうものだ。
それは私がかつて対峙した、幾人もの命知らずの人間たちを思わせた。
だけれども彼らにあったのは大概が蛮勇だった。
彼らは人間と妖怪の埋めがたい力量差をすっかり忘れているものだった。

「……つまりは、均さんに相応しい相手として龍さんを紹介した、と」

龍さんは残ったお酒を飲み干して、言った。

「まあ、そういうことになるな」

私は知らなかった。
均さんのことは無論である。
しかし、龍さんがそれほどまでに将棋に長けているとは。
八雲藍に勝利する相手である。それに相応しい力量をもつ相手となると限られるのは目に見えている。
天狗も将棋は指す。だけど、ほとんどの天狗はただの暇つぶしとして指すにすぎない。
長命の利を活かし人間よりも多く指しているから、それなりの腕前になっている者は多くいるだろうが。
だからこそ、短命な人間が別種族である天狗と対等に指せる、というのは、考えてみればおかしなことである。
しかも彼はまだ年若い。無論、龍さんとてやはり本職ではないのだが、それでも経験の差というのは出てくるはずである。
私は龍さんが人里の豪商の気まぐれに付合わされているのかとすらどこかで思っていた。



「だからこの対局は両者の合意の上だ。指すのが天狗泰将棋であることも」

「なぜですか?」

「それは均さんが言い出したことだ。私としては断る理由がなかったから受けただけ」

龍さんはそう言うと、ため息を付いた。

「悪かったね。こんなプライベートなことに巻き込んでしまって」

私はなんと返してよいのかわからなかった。
でも、私は今更立会を止める気にはなれなかった。
もちろん、先輩のように誰かに頼んでも誰も怒りはしないだろう。
ただ、私は少しずつ、この対局の行方を見届けたくなりつつあった。
この期を逃しては、二度とこういう機会は回ってこない、そう感じていた。



対局を始めて数年ほど経つ。
なにせ龍さんも忙しい方だ。平均して半月に一度、長いときは三ヶ月ほど間が開く。
そして指しているのは魔物のような迫力をもつ、天狗泰将棋である。
対局をしている際はお互いに黙っている。
二人共ただ盤面を見つめている。
私には二人のそれぞれの双眸になにが映っているのかうかがい知ることはできない。
ただ私は、二人を観察し、そして素人なりに感想を記すことぐらいしかできない。

その日の対局も終わった。
均さんが封じ手をし、いつものようにお互いに礼をして終わる。
二人が部屋を出ていった後、均さんのお兄さんが部屋に入ってきた。

「射命丸さん、いつもありがとうございます」

お兄さんはそう言って礼をした。

「いえ、いいんですよ。私も見ていて楽しいですから」

こうやって言葉を取り繕う。
だけれども、それは記者として必要なスキルではある。
均さんのお兄さんはこの家の長男であり、先代の跡を継いで商売を取り仕切っていた。
何回か会ったことはあるけれども、こうやってゆっくりお話を伺う機会はなかった。

「まあ、あいつは昔から鼻垂れでしたから。こうやって相手になって下さる方がおられるのはありがたいことです」

「鼻垂れ?」

「ええ。私もあいつにこの家の商売を手伝ってもらいたかったんです。だけれども、均は寺子屋に言ってもちっともものにならない。
寺子屋の先生方には随分と手を焼かせました。だけどそろばんはおろか、読み書きですらひどく覚えが悪い。未だに数を数えるのに指を折る始末です。だから、仕事の手伝いは均の弟にさせることにしたんです」

「えっと、つまり、均さんはお兄さんのご商売には関わっていない、ということですか?」

「そういうことです。向いていないものを無理にやることはないですから」

お兄さんはそう言ってため息をついた。

「将棋なんて何の役にも立ちません。でも、残念なことに、均にはそれしか取り柄がなかった。助かっております。龍さんも射命丸さんも、こうやって均なんかに付き合って下さるのが」

私は黙っていた。
それは均さんと会ったときに心のどこかで感じていたことであった。
彼はきっと、不器用なのだ。
それこそ龍さんのように、色々なことができる人では決してない。

「そうですか……お話しいただいてありがとうございます」

「いえ、大丈夫です。ただ……できればこのことは内密にしておいていただきたいですな。やはり私も均の兄ですから」

「ええ、無論そのつもりです」

お兄さんはそう言って私に頭を下げると、部屋を出ていった。
後には私だけが残された。

「将棋なんて何の役にも立ちません」
お兄さんのその言葉が私の中で静かに反響していた。


対局を始めて十年ほどが経つ。
気弱そうな青年だった均さんも大分落ち着きを手に入れてきたように見える。
もっとも私と話すときは相変わらずだ。
きっと話す、ということ自体に慣れていないのだろう。
駒を動かす係の下女も、最初とは別の人に変わっていた。
今日もいつものように対局は終わる。
戦局は中盤に差し掛かっている。お互いに囲いは完成しており、共に虎視眈々と攻めの機会を伺っている。
守りは均さんの方がやや固いように思われる。
ただその分、龍さんの方は歩を多く成らせている。
どちらが優勢なのかは一見してはよくわからない。おそらくは両者にしかわからないのだろう。

その日私は均さんを取材することにした。
均さんは私にお礼を言って頭を下げる。

「文さんには長いこと付き合ってもらっています。だから、今日は僕の部屋でお話しましょう」

均さんはそう言うと、離れにある小さな部屋に案内してくれた。

「どうぞ」

私は誘われるがままに部屋の中に入った。
窓から差す光が部屋を照らしている。それに映し出された部屋の中には大量の紙束が転がっていた。
壁にも多くの紙が貼ってある。
その表面にはなにか多くのものが書かれていた。

「……これは、将棋の?」

「ええ……棋譜、です」

「一体どうされたんですか? こんなに沢山」

私は思わずそう尋ねた。

「最初は鈴奈庵で、外来の将棋の本を借りていたんです。でも、藍さんがそれを見て、ご自分のご主人に頼み込んでくださったらしく、外の世界の棋譜を手に入れられるようになったんです」

「つまり、これらはみんな外の世界のもの、ですか?」

「はい。この幻想郷では将棋を指してくれる相手というのは、隠居されたご老人ぐらいしかいませんからね」

机の上には将棋についての雑誌もあった。
きっと結界の外ではそれほどまでに将棋が人気なのだろう。

「外の世界では最近、将棋のタイトル、えっと、全部で5つ、いや、6つだったかな、あれを全て獲得した方が出てきたらしいです。本当にすごいことです。できることなら、私もお手合わせ願いたいですね」

均さんはにこにこ笑いながらそう私に言った。
私は言葉を返すことができなかった。



龍さんに取材を申し込んだのはその次の対局が終わった後だった。
均さんの容貌は変わったけど、この人は何も変わっていない。
その事実は否応なしに人間と天狗の差を思わせずにはいられなかった。
そしていつものように取材を終えた後のこと。

「龍さん、一つご相談してもいいですか?」

「どうしたんだ?」

「この観戦、続けるべきなんでしょうか?」

「……どうしたんだ? お前がそんなことを言うなんて珍しい」

「最初は軽い気持ちで始めたのは事実です。でも……本当に、これを続けることが良いことなのか、私にはよくわからなくなってきました」

「つまり?」

「私は自分の新聞、というものに対して誇りをもっています。ええ。そりゃ、私の記事はインパクト重視なところがあるわけで、読者はそこまで考えていないんでしょう、ただ……」

「ただ?」

「静かに暮らしている方の秘事を無闇矢鱈に暴き立てるような、扇情的な記事はやはり似つかわしくないように思うときがたまにあります。ああ、別にペンは剣よりも強いとか、公益性だとかそんな殊勝なことを考えているわけじゃないですよ。でも、私は結構自由に取材をさせて頂いています。だからこそ、時折そう思うことがあるんです」

「それがこの対局とどうつながるんだ?」

「人の一生を左右するような出来事についての記事を、幸か不幸か、私はまだ書いたことがありません。せいぜい博麗の巫女についての記事ぐらいです。頒布することにはどこか重圧がある」

「お前がそんなことを言うなんてな。商売敵が出てきて触発されでもしたのかな?」

「別にそんな訳ではないですけどね……」

「まあいいさ……だけど、私はできれば続けてもらいたいよ」

「正直そう仰るとは思ってましたけどね」

「でも嫌ならやめてもらってもいい。誰も責めはしないさ。対局しているのは私達なんだから」

「考えておきます……それでは」

「ああ。それじゃ」

龍さんはそれだけ言うとさっさと帰ってしまった。



その約五年後にあたる対局。
戦局は大きく動く。
均さんが横歩取りを仕掛けたのだ。龍さんは自陣の守りを少し疎かにしていた部分があったのは否めない。
龍さんは素早く攻める将棋の方が得意なようだったから、そこを突かれてしまったように思われた。
均さんは奔王で龍さんの王を射程に収めつつ、歩の横に駒を置いた。
無論歩は横に動くことができない。多くの歩を切り捨てなければ龍さんの方は自陣に攻め込まれるのは目に見えている。
久しぶりの龍さんの長考。およそ3年ぶりだろうか。
その果てに龍さんが選んだのは、やはり歩を切り捨てる方だった。
無理もない。現時点では、龍さんの陣には均さんの大駒が複数存在している。
一気に詰みにまで持ち込まれる、そうでなくとも多くの駒を損耗するのは得策ではないだろう。
両者の均衡が崩れたように一見思われた。
ただ、その予想が正しいのかどうかはわからない。
私は二人には、この対局についてどちらかが投了するまで具体的に尋ねることをしないでおこうと決めていた。
だから、どちらが優勢なのか、あるいは二人がどう感じているのか、私には知りようがなかった。


均さんはその日の私の取材に快く応じてくれた。

「楽しいですね、将棋は」

均さんの髪には、少し白髪が混じっている。


「兄貴にはいつも迷惑をかけっぱなしです。普通はこんなことはさせてくれない。
私は読み書きもそろばんも苦手です。田んぼや畑もしていますけど、段々と体にもガタが来始めている。
だけど兄貴も、もちろん藍さんとそのご主人も、私に将棋の時間を与えてくれる。そしていつもあなたは付き合って下さる」

「いえ……私の方もありがたいですから」

「文さん、泰将棋はね、持ち駒がないから普通は終盤に行くにつれてゆっくりとした戦いになるんです」

「つまり、これから長丁場になる、ということですか?」

「私には全然予想もつきませんよ。勝負の結果は、将棋の神様だけがご存知でしょう」

その言葉が本当かどうか、はわからない。
ただ、将棋の神様、が本当にいるのならば、それはきっとどこまでも底意地の悪い、いや、残酷と言ってもいい存在なのではないだろうか。
私は均さんの部屋にあった大量の棋譜を見て、そう思わざるを得なかった。
だったら、せめて私はこの対局を見届けるべきではないだろうか。
将棋の神様がいるのかどうかなんてわかりっこない。
だけれども、この対局をその手慰みにすることは私にはどうしても許せなかった。
見届けよう。私はそう心に決めた。


一番最初に均さんが最初の手を指してからどれほど経っただろうか。
あれほどまでに盤面に詰まっていた駒も、随分と数を減らしてしまった。
どこか寂しさを感じる。そしてそれは駒が少ない、というだけの理由ではないように思われた。
私の長きに渡る観戦記だけど、意外と人間にも天狗にも読んでくれている人が結構いるのだそうだ。
天狗でいうと、仕事の合間に将棋をよく指している白狼天狗はもとより、大天狗の中にもこの連載を楽しみにしている方がそれなりにいるらしい。
同僚が人間と将棋を指している、という物珍しさもあるけれど、単純に私の記事が面白いからだ、と直接私に言ってきた方もいた。
それはもちろん嬉しいことだけど、せっかくの他の記事が埋もれてしまうのはちょっと悔しいところもある。
人間の中にも、これを期に将棋を始めた人、なんてのもぽつぽつと出てきたそうで、鈴奈庵では詰将棋の本などが密かな人気になっていると聞いている。
まあ、球蹴り遊びがブームになったりするぐらいだから、それも一過性に終わる気もしないではないけれど。

そして対局はまたしても大きく動く。
龍さんが、一挙に攻勢を仕掛けたのだ。
あの横歩取りは均さんだけでなく、龍さんにとっても有利な点があったのだと今更になって気付いた。
歩、というのは動きが非常に遅い駒であるがゆえ、自陣にあっては障害となり得る。
だからこそ、龍さんは自陣に待機していた大駒を集結させ、敵陣に攻め込むことを試みたのだ。
ただ、これは一つの賭け、であるだろう。
既に駒の数が少ないがゆえに、詰ませられるだけの数の駒がなければ一気に敗勢に傾くことは明らかである。
そして均さんの側にはまだ歩がそれなりに残されている。
動きは鈍いが行く手を一時的に阻む壁にはなる。
両者とも囲いは既に固まっている。ここまで来たら、一つのミスが間違いなく命取りとなる。
だけれども、二人とも目に見えるミスをすることはない。
先に長考に移ったのは、均さんの方だった。
そして、均さんは鉄将を王の斜め上に動かした。
一見するとなんでもない手に思える。
しかし龍さんはそれを受け、長考を始めた。
きっとこの二人に見えている盤上の世界を私が覗き見ることは叶わないのだ。
ただ、私は静かにこの行く末を見守り、そして記録することしかできない。


龍さんの策は成功したように思われた。
均さんは敵陣にある大駒のうち、いくつかを自陣に戻さざるを得なくなった。
これで五分五分なのだろうか。私には正確なところはわからない。
ただ、龍さんが獅子を盤の中央付近に進めたところ、均さんの表情がやや硬くなったようには思われた。
再び長考。指し、龍さんはすぐに指し返す。
その日の対局が終わり、龍さんが手を封じた。


刻々と終わりが近づいているのはわかった。
そして均さんの言ったとおり、対局は次第にゆっくりと進んでいくようになる。
大駒は数を減らし、そこまで動きの激しくない中駒が主役となり始める。
終盤戦はどちらが早く詰ませられるか、の勝負であるから、持ち駒のある普通の将棋ではそれなりに早く進んでいく。
しかし持ち駒がないこの将棋ではそれは当てはまらない。
最悪の場合、引き分けもあるかもしれない。
だが、私はあまりその結末が望ましいものには思えなかった。
どちらかが勝ってほしい、そう思った。そしてそれはどちらかが負けることを意味している。
私はどちらを応援しているのだろうか? 正直なところ、どちらにも勝ってほしい。でも、それは不可能な話である。
どこまでも残酷だ、勝負というものは。


そして私は決めていた。
この対局が終わるまで、二人に取材をすることはしないでおこう、と。

私はその日の前日、一番最初に観戦を始めた日の新聞を読んでいた。
私も駆け出しの記者だったから、今から見ると他の記事も随分と荒っぽいもので、少し恥ずかしくなってくる。
まあ、随分と長く続けたものだ。
これだけは、他のどの新聞の記事にも負けていない、そう思う。
思えば他の天狗が取材に来ても良かった。
だけど、別の記者が来ることはついになかった。それがなぜなのか、あいつにすら聞いてみたことはない。
ただ、私には薄っすらとわかる気がした。
これもきっと一種の紳士協定なのだ。
土足でずかずかと踏み入ることの許されない領域というのがどの世界にもある。
それは人間にも妖怪にも存在している、というわけなのだろう。



その日。
髪は白くなり、顔にも皺が刻まれた均さんと、対局を始めたときからほとんど変わることのない龍さんは、お互いに礼をして対局を再開した。
封じ手を開き、均さんの側が駒を進める。
もう終盤戦か。思えばあっという間だったように思われた。
だけれども、実際には随分と長い年月が経っている。
それは他ならぬ均さんが体現している。
博麗の巫女も代替わりした。この間に死んでいった者もいれば新たに生まれた者もいる。
天狗の社会にはそこまで大きな変化はないけれど、人里ではこの対局の終わりを見ることなく死んでいった者もそれなりにいるということを思うと、どこか複雑な気持ちだった。

静かだった。
動かす場所を告げる声。そして下男が駒を動かす音。
この対局の最初の方はもっと辺りがざわついていたように思われる。
しかし、実際はなにも変わっていないのだ。
私はこの静寂の中、ただ二人の様子を観察していた。
均さんが歩を上に進めた、あの最初の一手から変わっていない。
二人とも、ただ盤面を見つめ、そこにあるどこまでも広い世界を眺めている。
ただ二人だけが、その広漠とした世界に住処を得ている。
私にできるのは、その世界に通じたのぞき窓から見える僅かな景色を言葉で伝えることぐらいだ。
その時は来てほしくもあり、来てほしくなくもあった。
だが、そのときは刻一刻と近づいている、盤上の駒の数が少なくなっていき、否が応でもそう実感させられた。

そして。

「負けました」

そう告げたのは均さんの方だった。
立会人の下女が龍さんの勝ちを宣告する。
二人とも深々と礼をして、ゆっくりと立ち上がった。
劇的な幕切れ、などでは決してなかった。
ただ均さんのその一言で、長きに渡った対局はあっさりと終わった。
盤の片付けが終わり、下男や立会人が部屋を出て私はひとり残された。




「いやあ、悔しいです」

あの離れの部屋。均さんは訪ねた私にそう告げた。

「あと数手、手を早めるべきだったのかもしれません。難しいものですね。あの横歩取りも功を奏したのかわからない。将棋の神様に、今回の将棋についてお叱りを頂きたいものです」

「そうですか……」


「まだまだ勉強不足です。外の世界では随分と若い方がいくつも将棋のタイトルを獲得しておられるみたいですね。私も精進したいところです。私には将棋ぐらいしか取り柄がないのですから」

「……お疲れ様でした」

「そう言っていただけると嬉しいです。最近、近所の子達に将棋を教えてほしいとせがまれましてな。これも文さんの記事のおかげです。ありがとうございました。良い将棋でしたよ。でも、やっぱり勝ちたかったなあ……」

均さんはそう言うと私に深々と頭を下げた。
その顔を伺うことはしたくはなかった。

「いえ……こちらこそ……」




そして私は龍さんのもとを訪れる。
龍さんは私が来るのを待っていたらしい。
自身の管狐も同席はさせていない。
きっとこれがこの観戦記における最後の取材となるのだろう。

「強かった、ええ、本当に。今まで幾度となく将棋を指してきたけど、間違いなく一番、強かった」

龍さんは憔悴しつつも、どこかすっきりした顔でそう私に答えた。
だけどそれは、勝利の余韻に浸っている、とかそんな感じでは決してなかった。
むしろどこか名残惜しさもある、そう思えた。

「数百年前、とても強い相手と同じ泰将棋を指したことがある。あの相手よりもずっと手強かったよ」


私は龍さんに尋ねる。
これは均さんにはついに尋ねることのできなかった質問だった。
本来なら必ずするべき質問であるにもかかわらず。

「……終わってみていかがですか?」

「なんだろうな、私はすごく悔しいんだ」

「なぜ?」

しばしの沈黙の後、龍さんは口を開く。

「思うんだよ。彼が外の世界に生まれていれば将棋を生業にもできたはずだ。ここに生まれてしまったから、人生の大半を費やして私なんかと戦う羽目になった。私はそれが悔しい。もっと相応しい生き方があったはずじゃないか? そりゃあ、私だって将棋の腕には自信がある。でも、それは長く生きているから、というのは大きい。単純な才能だけで言えば、私は彼には及ばない。私はかつて天狗全体のために将棋の腕を役に立てることができた。でもこの対局は彼に一体何をもたらしたんだ? 彼はこの一局のため、人生のほとんどを費やしたというのに」



それは独白だった。私が記事にすることも、いや、誰も文字に残すこともない、懺悔にも似た、告白。
でも、私にはただひとつだけ、言えることはあった。
それは長年にわたり、盤面を見る対局者、としてではなく、二人を見る観戦者、であったからこそ言えること。

「私なんか、と言うのはお互いに対して失礼です。もちろん私にも。龍さんは勝ちました。胸を張ってください」

龍さんはしばらく口をつぐんでいた。
そして口を開く。

「……天狗泰将棋を指したいと言ってきたの、均さんの方だったな。こうなること、わかっていたんだろうか?」

「誰だってわかることですよ。だからこそ指したかったのかもしれません。そして何としてでも勝ちたかったんですよ、きっと」

「……長いこと見届けてもらったこと、感謝するよ、良い将棋が指せた」

龍さんはそういって表情を和らげた。
随分と長い間、龍さんのそんな顔を見ていなかったように思えた。



人里では前よりも将棋が流行っている。
私の記事のおかげ、とばっさり言い切ってってしまうのもどうかとは思うけど。
今は天狗仲間なんかが出題した詰将棋を載せたりすることもある。
以前は人里の人間と天狗との間の交流というものは少なかったけれども、腕に覚えのある人間が人里などで天狗と将棋を指すことも出てきた。
最近では私の新聞に載っている詰将棋をカメラで撮影し、無断で外の世界の電波に乗せる不届き者も出てくる始末。
そして私はたまに均さんのところに将棋を教わりにいくようになった。
均さんは変わらない。相変わらず将棋はひどく強い。
ただ、次第に皺が増えていくだけだ。
龍さんの言うように、幻想郷の外で生まれたら全く違った人生が待っていたのかもしれない。
だけど私には何が最善手かなんてわからない。
一見悪手に見えたとしても、それが実は妙手であった、なんてことは将棋ではよくあることらしい。
無論その逆のパターンもあるのだろう。
最後の最後まで対局の結果などわからないものだ。


今日も私は人里に取材に行く。
さて、明日は一体何の記事になるだろうか?
人里で開催される子供将棋大会の結果報告になるのではないか。
あるいは白狼名人対人里名人の対局の観戦記になるかもしれないな。
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途方もなく長い時間をかけて読みあい、ゆるやかに進む流れが美しく感じられました。
5.100南条削除
とても面白かったです
一局の将棋を通して時の流れを感じさせられました
こんなにも長く天狗と戦い続けた人間は他に居ないと思います
素晴らしかったです
6.100Actadust削除
長い時を掛けた将棋。一勝負に費やした人間の人生。ロマンチックでほんと好きです。一人の男の生き様を見せられた気分です。楽しませてもらいました。
7.100きぬたあげまき削除
将棋の描写がすごくリアルだと思います。それこそ新聞のようで。
二人に流れていた静謐で幸福な時間を密かに葛藤しながら見守っていた文の感覚がよかったです。
8.100夏後冬前削除
まずボードゲームの対戦自体をテーマにして面白い話を書けるだけでも凄いのですが、そこに人間の価値そのものが乗っかってくる作りが素晴らしい。本当に楽しめました。
9.100のくた削除
とても良かった
10.100東ノ目削除
題材が普通の将棋ではなく、一局に時間のかかる大将棋系であったことで人生をかけた対極として描写されていたこと、その中で「均さん」が老いていくことで、「もし均さんの側が最後まで衰えていなかったら勝てていたのかもしれない」という無常さを最後感じることのできるストーリーとなっているのが見事でした