Coolier - 新生・東方創想話

ニルギリ・マス・キリングケース

2023/01/06 18:13:54
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 冷めないうちにどうぞ。そう言って、彼女は毒殺を決行した。

   ニルギリ・マス・キリングケース

 人様の一生をたった一語に総括するというのは、いささか乱暴で、恐れ多いことではあるが、河童の一生ということなら話は別だ。それも一個人の見解であるならば猶更だ。たかだかいち河童生などは一語もあれば豪華なくらいだろう。いうならそれは「発見」の一語であると、河城にとりは常々そう決めつけていた。
 その日、にとりは山からの要請を受けて、新製品の開発に苦心していた。硬い座布団の上、痺れる脚と気を揉んでは、ときおりじっと考え込んだ。ぐしゃぐしゃに丸められた元、企画書や潰れたペンの転がる部屋のなか、企画書の裏、真っさらな空白にインクを走らせる。
「これだ……! これが今回の……」
 にとりはひとり呟きながら、またなにかを発見したようだった。にとりはさらにインクを走らせて、注釈を加えまくる。そうして出来上がったのが下記の落書きだった。読み飛ばしてもいい。


※1〝※2〝※3〝にとり〟※4〝ちゃ~ん〟〟、※5、6〝※7〝なんか〟※8〝作ってよう〟〟。※8、9〝おねがいっ!〟〟


※1 いつものセリフ ※2 イヤな響き ※3 わたしの名前
※4 イヤな響きのモト ※5 子供みたいな言いかた ※6 わたしは主婦?
※7 漠然とした響き ※8 ばかにするみたいな声色 ※9 強すぎる圧力


 ひどいありさまなので整理すると、もともと書いてあった言葉は「にとりちゃん、なんか作ってよう。おねがいっ!」のみとなる。
 にとりにとって、この言葉こそが今回の頭痛の原因だった。にとりは山の神からこの言葉が発せられる度に、ひどい頭痛を起こしては“なにか”を発見するのだ。例えばそれは労働の意義だったり意義と意味の相似だったり価値と無価値の相違だったりと、それらは結局のところ、自分本位の絶望へとつながる哲学もどきの数々だった。河童生を発見の一語であると決めつけている以上、にとりの日々は絶望探求の日々と言い換えても差し支えはない。そして、そんな卑屈な日々はいつも「にとりちゃ~ん、なんか作ってよう。おねがいっ!」という言葉から始まった。
「私はこんな、こんな軽すぎる言葉のおかげで苦痛を味わっている!」
 そう、始まりはいつも同じ言葉なのだ。にとりは毎度それを忘れて、山からの企画を受けては苦悩し、企画書の裏にインクを走らせては、頭痛の原因を再発見する。そろそろ自身の脳が想像を司る部位ではなく、忘却の炉であることに気がつく日も近いのかもしれない。ともかくとして、にとりはまたしても不振に陥っていた。雨戸を締め切った部屋は暗く、不健康な蛍光が灯っている。しかし世界は真昼間であって、外のひとびとには明るい陽が降り注いでいた。外にさえ出れば、自分にも同じ陽が当たるという当然に気がつくこともなく、にとりは頭を抱えて企画書を睨み続けた。
(この世界に生まれ落ちて、良かったことなどひとつもあっただろうか?)
 かつてのにとりを振り返れば、その日々は実に前向きな発見ばかりだったといえよう。(本当にそうか?)まず発見、その言葉のすばらしさについて。つくる楽しみと、評価を受ける喜びについて。仲間との交遊、分かち合うに嬉しさついて。(わたしに仲間なんていないんじゃないか?)その悉くが希望と感動につながる発見だった。(絶望だ!)なかでもいちばんの発見は、鍵山雛の微笑みについてだった。(雛……)この発見だけは、苦悩の頭痛の渦中にいる今だって、太陽のような輝きをもって、にとりの忸怩たる日々を照らしていた。(雛、雛……!)にとりを救うのはいつも鍵山雛だった。さあ救ってくれ! 言わんばかりに頭を抱えたにとりに、部屋の外から声がかかる。
「にとりちゃん、お茶が入ったわよ」
「……い、いま行く!」
 にとりは縋るように暗い部屋を飛び出した。

 居間には陽が差している。陽の差した居間にはテーブルがある。テーブルには見慣れた湯呑がある。湯呑には見慣れぬ液体が満ちている。対面で、雛はいつも通りに微笑んでいる。

「これはなにか」
「ニルギリ。ニルギリっていうの。ほら、冷めないうちにどうぞ」
 訊ねれば、彼女は微笑んで、そう答えたのだった。

 2

 にとりの場合は発見だったその一語は、鍵山雛にとっては休息だったといえる。彼女に言わせればあらゆる苦楽は次の休息までの道のりに過ぎなかった。下り坂のあとには大抵上り坂があるし、下り坂自体を上り坂としてみることもできる。下りも上りも同じならば、特別なのは平坦な道だろうと、雛は常々そう決めつけていた。雛は今日もなだらかで平坦な道を歩む。ならば、雛にとって肝要なのはお茶だった。
 その日、雛人形の無人販売所の売り上げを回収した雛はその売り上げでもって一服しようと里を歩いていた。真昼間の里を歩く人々の歩調は穏やかで、それはまるでなだらかで平坦な道が里に化けているかのようである。平坦な日は特別で、特別な日に飲むお茶は格別だろう。雛は周囲に、私、気分がいいんです、を歌にして口ずさみながら茶店へ向かう。歌はなぜかずいずいずっころばしだった。
「ずーいずーいずっころばーし……あら?」
 雛は往来のなかに違和感を覚えた。違和感といってもそれはほんの些細なもので、なにかで賑わっている様子もないし、他所行く他人にしょんぼりを見つけたわけでもない。ただ、雛にとって特別な“平坦な道”が僅かばかり隆起していた。隆起といってもそれは紙ぺら一枚ぶんの隆起だった。――地面に紙切れ一枚が落ちていることを隆起と表現するには些かの抵抗があるが、雛にとってはそれは紛れもなく隆起だから仕方がない。なにか物が好きと書いて物好きと読む。物好きというのは概ね、尋常とは大きくかけ離れているものである。そういった意味においても、雛は人ならざる者だった。――雛は地面に落ちたその紙ぺらを拾い上げる。往来の靴に踏まれて土埃に汚れてはいたが、どうやらそれは今朝の朝刊のようだった。
【効能さまざま、最高の茶葉!!】
 いいじゃない! 雛はその見出しに心を躍らせた。踊った心を躍らせたまま、往来のど真ん中で足を止めっぱなしにして雛は見出しの記事を追った。記事には茶葉の効能やらなにやらがごちゃごちゃと書かれている。
【腰痛、リウマチ、肩こり、ねんざ、あらゆる大病……効果を期する】
 すごすぎる! 雛の心はすこし冷めた。あんまりすごすぎると、それは普通のお茶ではなく、もうものすごい、特別なお茶に思えてしまって、平坦好きな雛にはすこし荷が重すぎるような感じがしたのだ。
【※でもあくまで普通のお茶です】
 いいじゃない! その注意書きを見た途端に雛の心はダンスを再開した。よくよく見ると、記事にはその特別で平坦なお茶を置いている茶店の場所が記載されていたから、雛は実際小躍りしながら駆け出しそうになった。どうやら場所は人里のなかでも山のふもとの付近らしい。なんたらロープウェイの近くらしい。守屋神社が協賛しているらしいし、その新聞はお山の天狗が書いたものらしい。自分たちの生活をねぎらうべく茶葉を買う、それってどうしてこうも特別で、普通なのかしら! らしいといえばらしい感慨を抱きながら、雛は実際に小躍りをして、スキップしながら茶店に向かった。らしい。

 家に着くと、雛はしあわせ気分でお茶を入れた。茶店は例のお茶のおかげか繁盛していて、雛にとって普通の茶葉を買うにしてはずいぶんと並ばされたが、まあよかった。近頃のにとりは自分にはわからない仕事で難儀しているようだし、雛にしたって、雛人形の売り上げは芳しくない。それどころか子供たちに悪戯されていて悲しい気持ちになる日がけっこう多かった。(そんなふたりの労をねぎらうべく、私はいまお茶を淹れているのね……!)。沸してみるとわかったがそれはどうやら紅茶らしく、台所に、それらしい香りが充足感と共に満ちてゆく。小窓の向こうは昼下がりだ。ティータイムにはちょうどいいだろう。にとりを呼ぶには良い頃合いかもしれない。そう思ったが、雛はふと、茶葉の包みに目を落とした。(あれ? これって……)包みにはでかでか“ニルギリ”とあった。革命的なフォントで、でかでかとそう綴られていた。雛は一寸ぽかんとする。
「……変な名前!」
 一笑に付して、雛はにとりを呼びつけた。
 
 居間には陽が差している。陽の差した居間にはテーブルがある。テーブルには見慣れた湯呑がある。湯呑にはしあわせの液体が満ちている。対面で、にとりはなんだかドギマギしている。

「これはなにか」
「ニルギリ。ニルギリっていうの。ほら、冷めないうちにどうぞ」
 にとりは恐る恐るに手を伸ばして、ニルギリを口に含んだ。それを見て、雛は太陽みたいに微笑んだ。

 3

 にとりの場合は発見で、雛の場合は休息だった一語は、射命丸文にとっては忘却だった。訳を綴ると長い話になる。そう、射命丸文にとって天狗生はあまりにも長すぎた。いわばそれは永遠で、永遠は文にとって地獄の同義語で、地獄の一語は忘却炉の扉を開くキーワードだった。意外とそんな長い話にはならなかったが、文は今現在も構内印刷部前のベンチでその長すぎる時間を待ち惚けている。
 (印刷が終わればあとは出版に回すだけ……忙しそうならまた自分で撒くはめに……あれ、校閲って……いや済ましてないと印刷部には……まあいいや)
 どうせまた同じ明日がやってくる。それだけで、文の忘却炉は易々と稼働を始める。何分、いや何時間待っただろうか。ベンチのわきのゴミ箱はインスタントコーヒーの空き容器で飽和していたが、このゴミ箱が空になっているところを文は見たことがなかった。或いは覚えていないだけか。わからないが、ゴミ箱の中身すべてが自分の飲み下したあとの容器であるとすれば、そんな恐ろしい話はないなと文は思って、またすぐにその考えを忘却炉へと送り込んだ。そしてまた一杯をゴミ箱に放ったころ、文にやっと声がかかる。
「文さん、できましたよ今日のぶん」
 はいこれ、と渡された紙面の束はずっしりと重く文の両腕をたっぷりいじめる。(最近なんだか、肩が重い気が……最近?)文は重たい紙面に上身をいじめられながら、なんとかそれを出版に回した。幸い今日は機動の部隊は手すきだったから、文はひとまず安心して部屋に戻った。
 部屋に戻って、持ち帰った一紙をぼんやりと眺める。見出しには【大盛況、里の茶店】と綴られていた。
「へえ……」
 アホっぽい見出しだな、と思い読み進めていると記者の欄に“射命丸文”という名があった。
「へえ……」
 文は紙面をぐしゃぐしゃに丸めて、ゴミ箱に放って眠りについた。目覚めれば、また同じ朝。また同じ明日……暗澹たる思いのまま瞼を閉じると、文の視界の暗闇がぼうっと輝いた。
(……すみ……やすみ……)
 瞼の裏、ぼんやりした光から声がして、光は次第に輝きを増してゆく。なんだろうか。すみ、やすみ……おやすみ、ということだろうか。今まさに寝ようとしている自分におやすみなどと吐きながら依然として増してゆく輝きに文は腹を立てた。おやすみおやすみと言うのなら、暗くして、さっさと眠らせてはくれないだろうか。まぶしくて、まぶしくて仕方がない……。苛立てど、光は強く、強くなってゆくばかりだ。
(やすみ……明日は休み!)
 ああっ! 文は飛び起きた。明日は休みであることを、文はまたはっきりきっかりたっぷり忘れていたのだ。「明日休みじゃん!」射命丸はそれをばっちりしっかりにっこり発音して、勢いをつけて布団に上身を倒れこませた。休日のことでさえ忘れてしまう自分の記憶力にうっかりすっかりがっくりきたりもしたが、休みと休みじゃないのであれば、休みのほうがいいに決まっていた。そりゃ、やっぱりぜったいがっちりと。ねー。

 休日の朝、久々のいい気分で目を覚ました文にうれしい来客があった。優雅に朝食の準備なぞしてしまおうかと思っていたところ、インターホンがなったのである。誰だろうか、インターホンのカメラ越しにみやれば、来客は射命丸文の旧友、河城にとりだったのだ。朝食もご機嫌余って二人分作ってしまったから、これはちょうどいい。文はうれしくなってにとりを招き入れた。
「いやあ、どうも! おはようございます。どうしたんですかこんな朝っぱらに。ああいえ、朝っぱらからいらっしゃってくれるなんて、うれしいですよ、私は。それが休日なら殊更……ふふん。そして、かくゆう私は今日……休日! というわけなんですよね、これが!」
「あ、ああ。邪魔するよ……」
 さあ上がって上がって、と常軌を逸したテンションで文はにとりを招き入れた。対照的に、敷居を跨ぐにとりといえば暗い顔をしている。邪魔するよ、の一声もこの世の終わりめいた暗さを持っていた。なんかやだな、と文は思ったけど、努めて気にしないことにした。自分の愉快な休日に、愉快じゃないともだちがいるはずがない。
「ほら、ウインナーですよ。いいでしょう」
「う、うん」
「ほらあ、ハムだってある」
「ああ、あるね……」
「そしてこれ! こっちはソーセージです。ウインナーとソーセージ。違いがわかりますか? ふふん、私にはさっぱりですが……ただ、どっちもおいしいですよ。似たような味がして」
「そうだな、お前は頭が良い……」
 朝食を食べ終えて、文はそうだ! と勇んで席を立った。友人が来た。友人と朝食を摂り終えた。とくればお茶を出さないわけにはいかない。文は箪笥までダッシュで移動した。――テーブルから箪笥までは60cmある――お茶を用意しますね、と言って文は箪笥を超スピードで引き放った。すると、にとりはがたっ、と席を立った。
「ま、待った!」
 文は唇を尖らせる。
「なんですか、もう。愉快な朝食のあとには愉快なティー・タイムでしょう。今日は愉快な休日なんです。なにを待つ必要があるんですか」
 わざとらしく拗ねた口調で文は言ったが、にとりには口調よりなにより文のときおり真ん丸になる目玉がこわかった。こと、“愉快、休日”と口にしているときの文の目玉はあまりにも真ん丸すぎた。
「わかった! お、お前がその、愉快とか、休日とかをすごく大事にしていることはわかった。わかったんだけど、そのう。わたしが今日来たのは“お茶”なんだよ!」
「なんですか、もー。お茶はいま用意しますよう。そんなに楽しみにされても、お茶はすぐ沸きませんよ、ふふまったく。……あ、でもでも! へそで茶を沸かすって言葉があるじゃないですか。あれって面白くて、ばかばかし過ぎてへそで茶が湧いちゃうって意味ですよね? そんなに楽しみにされたら、案外すぐ沸いちゃうかもしれませんよ、お茶! もう、にとりさんどうするんですか! すぐにお茶が沸いちゃったら、お茶が沸くまでの楽しみが減るじゃないですか。なんだっていうんですかいったい。いい加減にしてくださいよ。あ、知ってます? そもそもへそで茶を沸かすって言葉の由来には諸説あってぇ……」
 言葉の由来から始めて地球の裏側からへその緒までのすべてを話してしまおうかなとわくわくしていた文だったが、にとりはまた“待った”をかけた。なんだろう、普通じゃないなこの河童は。文は今朝訪れてからのにとりを思った。思えば、インターホン越しからみてもわかるほどにとりは暗かったし、実際声を聞くとなんとも憔悴しきった感じで不憫さもあった。冷静に考えてみるとこの河童は失調中ほかならない。文は愉快な休日を仕方なくしまいこんで、すこしにとりの言葉に耳を傾けてみることにした。――よかった!――。
「相談が、相談があって来たんだ。今日は……その、お茶のことでさ。お茶というか、毒、というかだな……とりあえず、お前が出そうとしてるそのお茶、銘柄は?」
「はあ、相談。銘柄ですか。……さあ。詳しいことはわかりませんが、はたてが言うには出涸らしってやつらしいですよ」
「出涸らし……出涸らしなら、まあ。……一応、ニルギリって名前に聞き覚えは?」
 ニルギリ。文は一寸ぽかんとして、なにか思い出せそうな、やっぱり思い出せなさそうな感じになった。なにか以前2、3回記事にしたような気がするし、気がしないような気もする。でもやっぱりけっきょく思い出せそうになかったから、わからないです、とだけ答えた。
「そうか。……出涸らしなら、まあ。飲んでやらんこともない」
「よかった。すこし待っててくださいね、用意しますから。出涸らし」
 結局、出涸らしの用意が終わるまでにとりが口を開くことはなく、代わりに文のご機嫌な鼻歌が響いていた。言わずもがなのずいずいずっころばしである。
 
 テーブルに出涸らしのふたつが並び、ふたりはようやく対面する。にとりからすれば殊に“ようやく”の対面といえるだろう。
「はあ。おいしいですね、出涸らしは。それで、相談ってなんです? 雛さんのことですか? そういうの、聞き飽きましたけどねぇ。記事にもならないし……」
 にとりは見るからに憔悴、失調中といった感じで、文の淹れた出涸らしに口をつける様子もない。むしろ嬉々として茶を啜る文にじとっとした目線を送っているほどである。(おいしいのに。このにとりさんときたら、遠慮がちなところがある)文は湯呑を口元にあてたまま胸中で感慨を遊ばせる。一寸沈黙があって、そのうちに、にとりは重々しく口を開いて、文に相談を打ち明けた。

「えっ! 毒ですか!」

 失調中のにとりの重々しい口調で語られたかくかくしかじかに文は驚いて、思わず湯呑を落っことした。テーブルの上を出涸らしが徐に占拠してゆく。波紋のように広がっていく出涸らしとにとりの語った相談、その正体たる疑念は瓜二つに思えた。にとりの語った内容を文はメモしていた。下記に。

・前提。にとりは最近山に酷使されている。(だからなに?)
・雛に冷たくし過ぎたかもしれない。(だからなに?)
・雛に毒を盛られた。(わあああああ!)

 これは記事になるかもしれない。愉快な休日がなんぼのもんじゃい。なにかを記事にするのならばまずは聞き込みである。最近の文といえばお山の言いなりで、お山の売りたい商品とかを言われるがまま記事にするのみでいた。おかげで文は山では使い勝手のいいヒットメーカーと成り果てているが、文にはそんな自覚もない。久方ぶりに自分の興味だけで記事を書けるかもしれない。愉快な休日よりずっと大事なことを思い出して、文は思考を切り替えた。
「にとりさん、詳しく聞かせてくださいよ。毒を盛られたって。確証はあるんですか」
「わたしの顔をみろよ。このみるからに憔悴、失調中……不幸でございって河童の顔をさ」
 文はいま一度、にとりの顔をまじまじと見つめた。
「た、たしかに。説得力はありますが、その。ほかにありませんか。ただ顔を見つめたって、照れるだけというか。えへへ、照れちゃいますよね」
 にとりはテーブルの上に広がった出涸らし、中心付近をひとつ指先でつついて波紋を走らせ、それをじっとりと眺めていった。文の言葉などまるで耳に入っていない様子で語りだす。
「……冷めないうちにどうぞ」
「え?」
「冷めないうちにどうぞってさ、どういう意味だと思う?」
「そりゃあ。お茶とか出して、それが冷めないうちに、おいしい間に飲んでくださいねーって、そういうことじゃないんですか」
 にとりはゆっくりと首を横に振って、違うよ、と苦々しく口にする。にとり用に出された湯呑のなかの出涸らしはいまだ手付かずで放置されている。
「射命丸、お前、自分のお茶こぼしただろう。わたし、まだ手つけてないからお前が飲むといいよ。まだ温かい。ほら。冷めないうちに、飲むといい……」
 にとりの口調に怪しさを感じながらも、文は渋々、湯呑手に取り啜ってみる。なんてことはない、いつもの出涸らしの味だった。文が表情で疑問符をつくると、にとりはテーブルの上に広がった出涸らし、中心付近を今度はふたつ、指先でつつく。波紋は端まで広がって、それまで表面張力で持ちこたえてきた出涸らしは、いまにもテーブルの端から滴り落ちそうだった。
「な、なんですか。普通の、いつもの出涸らしの味がしますが……いったいなにを言いたいんです?」
「わかんないかな、射命丸。お前、わたしのお茶を飲んだろう。どうして、なんで飲んだんだ?」
「なんでって、そりゃ。にとりさんが飲めっていうから……」
 にとりはバンっ! とテーブルを叩いた。勢いよく飛沫が跳ねる。それがとどめになって、出涸らしはとうとうテーブルの端から滴り落ちる雫と化す。
「そうさ! 冷めないうちにどうぞっていうのはつまり、とっととそれを飲めってこと! 行動の強制なのさ! たかが友達にそれを言われただけでお前はおいしくもなんともない三級の出涸らしを飲んだろう! 相手がわたしだったら最悪、断ることもできたかもしれないが……そうだな。たとえば椛、いや。はたてに同じことを言われたら、おまえどうする? 断れるか、その、三級の出涸らしを」
 三級……? 文はそこだけ引っかかったが、他はにとりの言う通りだと感じた。
「いやあ。それは断れませんが、結局、それがなんだというんです? それがどうして、雛さんに毒を盛られたなんてことになるんですか」
「……ドラマでみたんだ。若い女が、同じセリフを使って社長をころしてた。ころしてたんだよ! お茶にみせかけた、猛毒で!」
 そこまで言うとにとりはわあっと泣きじゃくるように錯乱し始めた。にとりの言と態度にはたしかな説得力があった。毒を盛られていなければこんな錯乱はありえないし、ドラマでみた、というのも圧倒的な妥当性があるように思える。文はここでにとりの話を全面的に信じることにした。それから、文は錯乱中のにとりに気がかりをひとつ尋ねた。
「にとりさん。使われた毒の名前って、もしかして……」
「ああそうだよ! それが“ニルギリ”さ! 雛は紅茶だなんて言ってたけど、ありえない! ニルギリなんて殺傷力の高そうな名前のお茶、あってたまるか!」
 そこまで聞くと、文はにとりをさっさと追い返した。
 (このことはさっそく記事にしよう。ニルギリ、最近里で流行ってる茶葉の名前と似てる気がするし、放っといたらなんだろう、なんかやばい気もするから)
 ニルギリを里に流行らせたのは記事を書いた文ほかならないが、そんなことは文の知ったことではない。長い天狗生をやり過ごすには経験すべてを曖昧な記憶に留めておく必要がある。つまるところ、文はそれまでの因果とかは放っぽりだして、急ぎ号外を書き上げることに決めた。
 
 【ニルギリは毒!!】

 翌日、里の中空に無数の紙面が舞い踊った。

 4

 文が撒き散らした号外はウイルスのように伝播して里を混乱に陥れた。最近の流行すべてを作ったヒットメーカーたる射命丸文の記事である。鵜呑みにしない人間のほうがすくない。したがって、永遠亭に“中毒患者”が押し寄せた。なんの中毒かといえば他ならぬ“ニルギリ中毒患者”達である。殺到した患者たちはみな一様に「身内に毒を盛られた!」と騒ぎ立て、賢明な医師の献身にも聞く耳を持たなかった。しかし医師としてはただお茶を飲んだだけの人間に薬を処方するわけにもいかない。結局手ぶらで帰らされたニルギリ中毒患者たちはこれに関してもまた喧々囂々、非難、糾弾、さまざまな手段を用いて騒ぎ立てる。里でこんな事件が起きれば記者が記事にしないはずもなく、耳聡い射命丸文ならさっそく噂を聞きつけてまた号外を飛ばした。
【悪徳診療所!! 永遠亭、薬処方せず。】
 文が撒き散らした号外は混乱したニルギリ中毒患者達を絶望の淵へと叩き落した。覆水は盆に返らない。あの日、床に滴り落ちた出涸らしがテーブルの上に戻ることなどありえなかった。
「死ぬ、死ぬ! みんな死ぬ!」
 里では民衆運動が巻き起こった。絶望したニルギリ中毒患者達が起こした運動で、名付けてどうせみんな死ぬ運動である。運動にはにとりも参加していた。人の思い込みとは恐ろしいもので、ニルギリの服毒に至った者は日常的な不摂生から起こる総てをニルギリのせいと思い込んだ。しかし永遠亭を筆頭に、ニルギリはただのお茶であると提言する者達もあった。
「どうせ死ぬ! みんな死ぬ!」
 だが中毒患者達には関係ない。始まった運動はひとつ時代が終わるまで続くものである。「これが証拠! 動かぬ証拠!」ニルギリお茶説に反論する材料として、中毒患者たちは射命丸文のでっち上げた紙ぺらを掲げて里を縫うように行進し続けた。にとりに関していえば山へ提出する企画書の提出期限が迫っていた。都度それだけでひどい頭痛を起こすにとりならば、ニルギリという毒もひとの数倍作用したことだろう。何処かから「そんな新聞はデマよ!」と声が上がると、にとりの頭はまた激しく痛んだ。その痛みなかなかどうして、受難に焼かれる者が授かる天啓と酷似していた。
「デマでもなんでも、どうせ死ぬ!」
 運動は連日、日暮れまで続いた。

 5

 八坂神奈子の神生は決断の連続だった。かの対立も、外の世界からの移住も、東風谷早苗に関して連なるさまざまな葛藤の日々も、すべて自身で決断することによって前へ進んできた。かなこー、さなえがアレ欲しいって、とか、かなこー、さなえがあそこ行きたいって、とか。ぜんぶ神奈子が決めてきた。あとロープウェイとか、ニルギリ売ったり企画通したり通さなかったりとか、ぜんぶ。
 夕暮れ。外からはニルギリ中毒患者達の怒号に似た悲鳴が響いている。
 今現在も、神奈子の神生は続いていた。企画室には神奈子の対面に血色の悪い河童が目をぎらつかせて座っている。決断のときは近い。河童は持参したリュックから企画書を数枚取り出しながら、ぼそり「わたし、考えたんですよ……」とつぶやいた。神奈子は神妙な面持ちで河童の様子を伺う。河童はみるからに憔悴、失調中で、不幸通り越して絶望の渦中にいるようにみえた。しかし充血した目の玉だけがいやに開かれていて、神奈子は恐怖ともつかぬ君の悪さを覚える。近頃ニルギリ中毒患者達の起こした剣呑な事件の数々が神奈子の脳裏を過ってゆく。
「ほらぁ!」
 河童の大音声とともに机に企画書が叩きつけられた。神奈子はもう引き気味になった。企画書には【超・健康器具】と書かれている。(これのプレゼンを聞くのか。いまから。わたしが……)神奈子は引き気味に加えてちょっとこわくなってきた。すべての因果をたどると自分に行きつくこともわかっていたので、余計にこれからのプレゼンと至る決断が恐ろしくなってきた。
「みてください!!」
 と見せられた超・健康器具の図案は完全にフラフープの形をしていて、フラフープはきっと河童の頭痛の形だった。それがわかると、神奈子もフラフープ状の頭痛に見舞われた。
「この器具は万病にたしかな効能を発揮する、健康のための健康な素晴らしい健康器具なんです。我々の発明した、従来の健康器具などご存知でしょうが……あれらはせいぜいひとっつ。ひとっつの病にしか効果を期せぬものなのです。やれ腰痛だ、やれリウマチだ……。けち臭い話だとは思いませんか。腰痛、リウマチ、肩こり……。里の人間たちからすれば、それら病を癒してくれるのは我々か、あの悪名高い永遠亭のほかないというのに。薬をもらえればしばらくのあいだ健康に暮らせるが、永遠亭は薬を出さない。では縋り掴んだ藁はどうか? 腰痛、リウマチ、肩こり、ねんざ……大枚はたいたところ、ひとっつの病にしか効能を発揮しないなんて! けち臭い話じゃありませんか、そんなのは。里を御覧なさいましたか、あの阿鼻叫喚の地獄を……腰痛、リウマチ、肩こり、ねんざ……ニルギリ中毒症! ……治してやろう、ぜんぶ治してやろうじゃないか、この“一台”で! そう! そうしてはじめて、全河童及び私は! 商売人たる自身を発見できるのです。ただのでかい輪っか? いやだなあ。器具の効能は、でっち上げなんかじゃありませんよう。ほらぁ聞こえてきませんかどうせ死ぬ……そら! みんな死ぬ! ひとびとを救うならイマしかない!」
 世界には中毒症が響き渡っている。
【死ぬ、死ぬ、どうせ死ぬ!】
 神奈子は気圧される。部屋の秒針の音はいやにけたたましい。「かくいうわたしも……ああ!」河童は頭を抱え込み、その手で髪をぐしゃぐしゃとする。悲鳴は続く。
【死ぬ、死ぬ、みんな死ぬ!】
 河童は、やおらかきむしる片手をぎゅっと握りこむ。指と指のあいだからはぐしゃぐしゃの髪の毛が疎らな束になってとびだしている。そして、もう片手はふらふらと虚空を徘徊し、不意に静止し、そのまま二度、同じ虚空をノックする……バァン! と、その手は異様な勢いで机上の企画書に振り下ろされた。
「さあ! 決断してもらいましょう! みながまだ生きているうち! さあ! さあ! さあ!」
 決断のときである。尋常ではないひとびと、そして目の前の河童の異様にたじろぎ、気付けば懐から判を取り出していた。わたしなんて死んだっていいんだ、と眼前。神奈子は繰り返される叫喚から逃げ出したいのを一心にして、ソレに、判を――ぽんっ――と、押した。

 ――生産工場が稼働開始したのが二日前。法外な値の付いた超・健康器具が飛ぶように売れたのが昨日。その後、阿鼻叫喚の地獄絵図がさらなる下層へ降るのが、本日、あるいは、あすの、このはなし。

『ニルギリ・マス・キリングケース』


 完。
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コメント



0.150簡易評価
2.100きぬたあげまき削除
無秩序だ…
でも読みながらひとりでに笑ってしまっている自分がいました。
3.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
良かったです。にとりのとりつかれたようながんじがらめの思考回路が面白かったです。発見に総括されるから、ニルギリという名前に殺意を見出してしまい、しかもその発想に執着してしまうのかなと思いました。
7.100名前が無い程度の能力削除
作者さんはそんなつもりないんだろうけど、ここ最近の騒ぎを想起して(あれも名前が・・・)面白く読みました。
8.90福哭傀のクロ削除
こう……落語チックな話の構成とか、少し癖のある文章表現とか、いろいろとある作品なのだと思うんですがすいません。
あほの子の射命丸がかわいいなあになってしまいました。
これじゃあ妖精級も河童級も天狗級も大して変わらんて!
9.100のくた削除
テンパったにとり強い。面白かったです
10.90竹者削除
面白かったです
11.100南条削除
面白かったです
河童がトチ狂ってると思っていたらほぼだいたいトチ狂ってて笑いました
こうして世界は回っていくのだと思いました
12.100夏後冬前削除
めちゃくちゃ流れが鮮やかにクリティカルヒットしていく感じが滑稽話の手本のようで楽しく読めました。笑いました。