Coolier - 新生・東方創想話

リベンジ・リターン

2022/12/31 17:58:05
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 ある晩夏の夜のこと。
 私、九十九弁々は人里から遠く離れた草地で一人演奏の練習をしていた。
 お腹もすいてきたしそろそろ帰ろうかと思った、その時だった。
 
「ああ、うるせえな」
 
 私は背後からの声に気付いて演奏を中断した。
 するとそこにはメッシュの入った黒髪と二対の角が特徴的な天邪鬼、鬼人正邪がいた。
 片手で面倒くさそうに髪をかき上げながらこちらに近付いて来る。 

「こんなところであんたに会うなんてね」

「あーあ、せっかく気持ちよく寝てたのに下手糞な演奏で目が覚めた」 

「なによ、別にここはあんたの場所ってわけじゃないでしょ」 

「なんだ、下手糞は否定しないのか」

 鬱陶しい。
 どうせ真面目に聴いてなどいなかっただろうに、人に嫌がらせをして喜ぶだけの妖怪に自分の音をどうのこうのと言われたくない。
 さっきまで寝ていたという割に目の前の天邪鬼、鬼人正邪は明了な声で言った。

「これはこれは、先日の異変ではどうもお世話になりました。えーと、どちら様でしたかね」

 芝居がかった仕草ににやにやと粘ついた笑み。
 落ち着け、相手のペースに飲まれるな。
 天邪鬼の言葉を真正面から受け止める必要はない。

「九十九弁々、琵琶の付喪神よ」

 私は努めて冷静かつ丁寧に答えた。
 すると目の前のこいつははっきりと声を上げて哄笑した。
 その品のない笑い方はますます私を不愉快にさせた。

「ああ、そんな名前でしたか。すみませんね、道具の名前なんていちいち覚えていられなくて」

「道具じゃなくて付喪神、間違えないで欲しいわね」

 ぴしゃりと訂正すると正邪は一瞬面喰らったようだった。
 でもそれは私の言葉に駁論されたからではなかった。

「おやおや、どうやら私の言葉の意味が理解出来ていないようですね」

「どういう意味よ」

「いやあ、だって」

 今度は片手で口元を、もう一方の手で腹を抑えて笑いを必死に堪えている。
 お前ごときが付喪神、神を名乗るなとでも言うつもりなのか。

「はっきり言いなさいよ」
 
「そうですか、では貴女にも分かるように説明して差し上げます」

 正邪は急に真面目腐った眼つきをすると、再び侮蔑の意が込められた視線と共に一息に言い放った。

「自分をどんな種族だと言い張ろうが、所詮お前らは小槌の魔力で生み出された存在。
この私、鬼人正邪が下剋上を成すための道具、踏み台なんだよ!」

「な……」

 分かっていた。
 いや、分かっていたつもりだった。
 空に逆さのお城が現れ、各地の道具が付喪神となって動き出したあの異変。
 
 その首謀者の一人にして黒幕、鬼人正邪。
 こいつが私達をただの駒としてしか見ていないことぐらい。
 
 それでも、こうして面と向かって言われたことのショックは大きかった。
 正邪は不貞腐れたように続ける。

「全く、せっかく世間知らずのちび餓鬼を上手く丸め込んだのに」

 誰のことを言っているのかは知っている。
 異変のもう一人の首謀者、少名針妙丸。

 でも彼女は長い歴史で小人族が虐げられ続けたという嘘を吹き込まれ利用されていただけだ。
 この天邪鬼の言葉を素直に信じて。
 
 そして弱者達のために立ち上がった彼女を、こいつは下剋上が失敗したと見るや見捨てて一人逃げ出したのだ。 
 私は実際に自分の目で異変の全てを見届けたわけではない。
 それでも世情に通じた仲間の付喪神に事の頓末を聞いた時から薄々予想はしていた。
 
 それでも、実際に言葉としてぶつけられて感じる衝撃は想像以上のものだった。 
 私は思わず言い返す。 

「あの子はあんたとは違う、私達をただの道具だなんて思ってなかった!」

「ったく面倒くせえな、騙される奴が悪いんだよ」

 正邪は一度言葉を切るとサンダルで足元の小石を蹴飛ばして続けた。

「しっかしお前も一緒にいたもう一人の道具も全然使えやしない。
足止めも出来ない上に巫女共をわざわざ城まで案内しやがって」

 妹の八橋のことまで馬鹿にしたその言葉に私の中の自制心は限界を迎えようとしている。
 こんな奴、ここでどうなろうと誰も咎めはしないだろう。
 
「あんたに、本当の芸術を教えてあげましょうか」

 私は自分の半身とも言うべき琵琶を構えて正邪を睨みつけた。
 ここは人里から十分距離があるし騒ぎになっても誰も気が付かないだろう。
 正邪は剣呑な雰囲気を漂わせながら目を細めて睨み返してくる。
 
「はっ、道具は大人しく創造主に使われてりゃいいんだよ」

 言葉と共に手を翳すと無数の赤黒い粒状の弾幕が放たれる。
 私はそれを間一髪で横に飛びのいて躱し、琵琶から八分音符型の弾幕を撃ち出す。

「私達の創造主はあんたじゃない、少名針妙丸よ!」

























「おいおい、もう終わりかよ」

 頭上から聞こえる、吐き捨てるような言葉。
 悔しい。
 私は目から涙が零れそうになるのを必死に堪えた。

「自分から喧嘩吹っ掛けておきながらこの様とはねえ」

 こんな他者を侮辱し、利用するだけの妖怪に。

「その無様に転がってるお前の姿が芸術って訳か、それなりに面白いじゃねえか」

 私は、負けた。
 何か言い返そうにも、その気力すらない。
 それくらいの完敗だ。
 
 正邪のスペルカードが掲げられた途端、目の前の世界の右左が反転した。
 何が起きたのかを理解する間もなく、私の身は言うことを聞かず自ら飛んでくる弾幕に突っ込んでしまった。
 そのまま熱と衝撃に打ちのめされ、地面に落下した私の体には今も全身に鈍い痛みが走っている。

 うつ伏せで倒れたまま手元の土を力なく握る。
 駄目だ、起き上がれない。

「おい、お前」

 眼前で見下すように立ちはだかっている正邪は腰を屈め、私の顎を片手で掴むと無理矢理に頭を上げさせた。
 きっと今の私はさぞ情けない顔をしていることだろう。

「自分が支配されるただの道具だってことが理解出来たか?」

 何も、言い返せない。
 でも認めたくなかった。
 この幻想郷に生を受けて、私も八橋も、他の付喪神のみんなも、本当に嬉しかった。

 自由に動ける身体を手に入れたことで、自分の手で音を奏でられるようになった。
 今はただ純粋に、いろんな人に自分達の音を聴いて欲しかった。
 
 私達ははっきりと自分の意志を持って今を生きている。
 断じて使われるだけの道具なんかじゃ、ない。

「はっ、脆そうな楽器だな」

「ひっ……」

 正邪のねめつけるような視線は心を直接刃物で刺されるように痛かった。 
 反射的に嗚咽を漏らしてしまった自分が心底恥ずかしく、情けない。

 こんな奴にこれ以上無様な姿を晒すのは絶対に嫌だ。
 必死に歯を食いしばって痛みと屈辱に耐えていると正邪は道端のゴミでも見るような目で私を一瞥して去って行った。

「道具は道具らしく人里で人間に飼いならされてろよ」

























「……姉さん、大丈夫? なにかあったの?」

「大丈夫よ。ちょっと集中出来てなかったところがあったから、ごめんね」

 それから二日後の昼なかのこと。
 人里の集会場でいつものように演奏会を終えた帰路の途中、後ろから妹の八橋が話しかけてくる。 
 私は反射的に嘘をついた。

 事実演奏会が終わった直後、いつも最前列の席で私達にエールを送ってくれる女の子から言われたのだ。
「お姉ちゃん、いつもより元気ない気がするんだけど大丈夫?」と。
 なんとかその場は取り繕ったけど、子供の観察力というのはある意味大人以上に侮れない。 
 
 実際、正邪に完膚なきまでに叩きのめされた事実は私の心に黒い影を落としている。
 演奏中も頭の中に声が聞こえてきた、「道具は大人しく創造主に使われていればいいんだ」と。
 声が聞こえてくる度に私の胸は締め付けられるようにきりきりと痛んだ。

「姉さん」

 手首をぎゅっと引っ張られる。
 後ろを振り返ると、八橋がまっすぐにこちらを見つめている。
 濃い茶色の瞳には目線を逸らすことを許さない、強い意志が感じられた。

「本当のこと教えてよ。姉さんになにかあったことぐらい分かるんだよ」

「八橋……」

 かつて姉妹の契りを交わした時のことが追想される。 
 小槌の魔力によってこの世に生を受け、一人ぼっちだった私が唯一背中を預けられる家族と出会った日のことを。

 姉として情けない姿は見せたくない。
 演奏家としても、家族としても、頼れる理想の存在であり続けたい。
 
 でも、お互いに大事なことの一つも相談出来ないような関係は間違っている。
 そんなのは、私の身勝手でしかない。 
 
 八橋は姉妹として、家族として私を心配してくれているのだ。
 だったら姉として、正直に真摯な態度で応えるのが本当の家族のはず。
 私は意を決して口を開いた。

「ごめん、八橋。聞いてくれるかしら」

 それを聞いた八橋は口元を緩めてにこりと微笑んだ。

「ゆっくりでいいから、まずは何があったのか教えて」

 私は先日の正邪との出来事を語った。
 自分の音、存在を馬鹿にされたこと。
 
 さらには正邪が八橋のこと、あの異変で命が宿った付喪神みんなのことも嘲笑ったこと。
 その上私達からすれば生みの親も同然の少名針妙丸を散々利用し見捨て、使い捨てたこと。

 それがどうしても許せなくて、喧嘩を売った挙句惨敗した。
 恥ずかしくて最後は声が震えてしまったけど、私は恐る恐る顔を上げて八橋の顔を見た。
 
 すると彼女の細い手が腰に添えられ、身体を引き寄せられる。 
 私より小さいはずの手は不思議と心強く、とても温かい。

「八橋……?」

 頬が触れ合うのではないかという距離で、八橋は言った。
 彼女の吐息が肌に触れ、私の胸は無意識に早鐘を打つ。

「姉さんは弱くなんか、ないよ」

「でも私はあいつに負けて……」

「誰かのために必死になれる人が弱いわけないよ。それにあたし、嬉しいもん」

「嬉しい?」

「だってあたしや仲間のみんな、それに針妙丸ちゃんの代わりに怒ってくれたんでしょ?」

「……それは」

「あたしだってそんな風に言われたら絶対同じことしてるよ」

 会話が一段落したところで、八橋は身体を離して言った。

「じゃ、作戦会議だね」

「え?」

「決まってるじゃない、だってそのままじゃ気持ち収まらないでしょ」

「それはそうだけど……」

 八橋は表情を引き締め、一呼吸置いてから言った。

「姉さんは、そのままでいいの?」

 あの日の光景が思い起こされる。
 妹を、生みの親の小さな小人を、沢山の同胞を嘲り笑った、あいつ。
 そいつ相手に何も出来ずに地に這いつくばることしか出来なかった己の不甲斐ない姿。

 でも、もう一度挑んで勝てるだろうか。
 繰り出される未知の弾幕の前に何も出来なかった事実が私の心を苛む。

 それだけじゃない。
 正邪はその軽薄さとは裏腹に、実に正確に私の弾幕を躱していた。
 
 悔しいけど、あいつは強かった。
 私は思わず不安を声に出してしまっていた。

「もう一度挑んで、勝てるかどうか……」

「勝つんだよ」

 気付けば両手を握られていた。
 少しずつ、握られる力が強くなる。

「一度負けたぐらいでそんなに落ち込むなんて姉さんらしくないよ、それに」

 彼女の黒いスカートを縁取るように輝く赤色の弦が徐々に輝きを増していく。
 それはまるで彼女の感情の高まりが可視化されていくようだった。

 八橋は一呼吸置いた後目を閉じ、弦を軽く鳴らした。
 その澄んだ音は周りの草花を静かに震わせるようにゆっくりと響いた。

「今度はあたしもいるんだから」

 演奏に限らず私達はいつも二人一緒に行動することが多い。
 私しか意見を出さないというわけではなかったけど、音頭を取ったり姉妹を代表して矢面に立ったりするのはいつも私だった。
 
 だから今のように彼女に強く引っ張られることはとても珍しい。
 八橋がそれだけ私を想い、本気になっているということだろう。
 これだけ心強い味方がいるのに、引くわけにはいかない。
 
「……分かったわ。もう一度、勝負する。そして、あいつに私達の存在を認めさせる」

 私がそう言うと八橋は先程までの真剣な表情を崩し、愛嬌のある笑みとともに握り拳を掲げた。

「うんうん、それでこそ姉さんだわ! よーし、それじゃあ早速特訓よ!」
























 それから三日間、私は八橋に協力してもらいながら弾幕ごっこの特訓をした。
 同時に、自分が敵を全く知らないことを思い知った。 
 実際に顔を合わせたのはこの前が初めてだったし、判明している事実は僅かしかなかった。

 でも、少ないヒントからでも推測出来ることはきっとある。
 そう信じて私はひたすらに妹と一緒に汗を流した。
 
 特訓を始めた当初は「本当にこれで勝てるのか」とか
「また負けてしまったら八橋に申し訳が立たない」等の不安もあった。
 
 でも、目標に向かって身体を動かすことがそれらの不安を自然と打ち消してくれた。
 何故なら今取り組んでいるのは練習で苦手なパートを潰し
より完璧なパフォーマンスを目指す、私の大好きな音楽と同じだからだ。
 
 勿論演奏の練習もおろそかにならないよう、むしろ普段以上に力を入れて取り組んだ。
 毎日へとへとに疲れたけど、得られた充実感は確かなものでとても心地が良かった。
 
 今日も帰宅して早々に夕食と湯浴みを済ませて布団に身体を入れる。
 隣の布団では同じように疲れ切った八橋が微かな寝息を立てている。
  
 ありがとう。 
 私は八橋の乱れた布団をそっと直し、自分も目を閉じた。

 明日はもう一度、正邪と対峙した草地に足を運ぶ予定だ。
 またあの場所を訪れる保証は全くないけど、来ないなら来ないで構わない。
 その時が来るまで通い続けるだけだ。

























 翌日。
 私と八橋は早朝から件の場所に足を運びいつものように演奏の練習を始めた。
 
 巨木に囲まれたそこはほとんど日の光が射さず、夏でも比較的涼しい。
 正午を過ぎたところで持ってきたお弁当を広げる。
 
「いただきまーす!」

「はい、いただきます」

 箸を持った次の瞬間。
 私は背後に気配を感じて反射的に後ろを振り向いた。
 
 しかし、そこにあったのはいつも通りの風景、無数の喬木だけだった。
 八橋が言った。 

「どうしたの姉さん?」

「ううん。なんでもないわ」

 確かに何者かに見られているような気がしたけど、気のせいだろうか。
 私は釈然としないまま八橋と一緒に昼食を済ませ、午後もひたすら練習に明け暮れた。

 それから演奏会の合間を縫ってはこの場所に通い続けた。
 でも、あいつは一向に姿を現さない。
 
 一方で時々誰かに見られているように感じることが何度かあった。
 でも確認しようと私が振り向くとその気配はすぐになくなるので確かなことは何も分かっていない。  

 仲間の付喪神から聞いた話によると、元々妖怪はなんらかの組織に属している者を除き、
住居を転々として暮らしている者が少なくないらしい。

 正邪が先日の異変の黒幕だということは既に幻想郷の多くの住民の知るところとなっている。
 既に拠点をどこか別の地域に移したのかもしれない。

 この場所に通い始めてから五日目。
 今日もいつも通りに早朝から演奏の練習をした。
 陽が完全に沈んだところで私は八橋に言った。

「今日はここまでにしましょうか」
 
「あいつ、今日も来なかったね」

「そうね」

「もうこの辺にはいないのかな、でも手がかりも何もないし……」

 私が相槌を打とうとしたその時、がさっと物音がする。
 間違いない、私達の後ろからだ。

「ああうるせえ、耳障りな音だ」

 振り返るとあの時と同じように声の主、鬼人正邪が立っていた。
 急なことに私がどうするか考えている間に、八橋が先に口を開いた。

「やっと見つけたわ、あんたが鬼人正邪ね」

 正邪はそれを聞くと皮肉めいた冷笑を浮かべた。
 それから気怠そうにサンダルで硬い地面を踏み付け、八橋に近付きながら言った。

「下手糞な演奏を毎日毎日、それも飽きもせずに同じ曲ばっかり。あーやだやだ」

 八橋は頬を紅潮させて言い返す。

「なによ、ここはあんたの場所じゃないしあたし達が何を練習しようが勝手でしょ」

「毎日毎日同じところで来るかどうかも分からない奴を待って、来なかったらどうする気だったんだよ」

「そんなの、待ってみなきゃ分からないでしょ……って」

 何かに気付いたように八橋の言葉は途中で急に途切れた。
 そうだ、こいつは明らかにどこかで私達のことを見ていたんだ。

「なんだ、本気で気付かなかったのかよ」 

 正邪が勝ち誇ったように言った。

「二人がかりなら勝てると思ったのか知らねえが、協力して出した知恵がそれじゃ本当に救いがねえな」
 
 私はようやく理解した。
 時折感じていた視線は目の前の天邪鬼、鬼人正邪のものだったのだと。

 おそらく周囲の無数の巨木のどこかに身を潜めていたのだろう。
 そしてこいつはいつでも私達に不意打ちを仕掛けられる立場にいた、ということになる。  

 でも同時に、もう一つ気になることを言っていた。
 落ち着け、熱くなったら負けだ。

 八橋はショックのあまり言葉を失っている。
 とにかく、ここで引くわけにはいかない。
 私は二人の間に割って入った。

「じゃあ、なんで今になって姿を現したの?」

「別に。お前らがあんまり間抜けだから、優しい私が種明かしをしてやろうと思っただけさ」

「本当に?」

「あん?」

「今あんた、言ったわよね。毎日毎日同じ曲ばっかりって」

「それがどうした、本当のことだろうが」

 私はあえて演奏会で観客に振り撒く時の笑顔を作って言った。
 声を普段より一オクターブ上げることも忘れない。

「毎日聴いてくれてたんだな、って思って」

 正邪は初めて言葉を詰まらせた。
 先程までの自分の有利を信じて疑わない強気の態度も崩れている。
 私はここぞとばかりに畳みかけた。

「おかしいわよね。耳障りだと思っているなら違う場所に移動するなり私達を追い払うなりすればいいのに」

 正邪はばつの悪そうな顔をしていたが、やがて吐き捨てるように言い放った。

「私は寛大だからな、いくらお前らが能無しの雑魚妖怪だからってすぐに叩きのめすような真似はしないのさ」

「そう、随分と行儀良く聴いてくれたのね」

 本人は気付いていないのかもしれないけど、正邪は先程からしきりにサンダルで地面を小刻みに蹴っている。 
 先日のように私が動揺しないからか、明らかに苛ついているようだ。 

 今のところは精神的に優位に立てていると言っていいだろう。
 本番はここからだ、気を引き締めてかからなかればいけない。
 私はさらに言った。

「ねえ、もう一度勝負しない?」

「はあ?」

「弾幕ごっこ。前にここでやったわよね」

 正邪はぷっと噴き出して言った。

「おいおい、この前ズタボロにされたのをもう忘れたのかよ。それとも一人じゃ勝てないから今度は妹と二人がかりで来ようってか」

「やるのは私一人よ」

 この言葉にそれまで私達の様子を黙って見守っていた八橋が口を挟む。

「姉さん」

 私は続く言葉を手で制した。

「大丈夫、そこで見ていて頂戴。手出しは無用よ」

 八橋はまだなにか言いたそうな様子だったけど、やがて納得したように頷いた。

「……分かったわ、姉さん」















 周囲を喬木に囲まれた草地で正邪と向かい合う。
 その距離は約十メートル。
 八橋は既に茂みの中、視界に入らない位置まで離れている。

 この日のために八橋と特訓を重ねてきた。
 そして、途中で気が付いた。
 リベンジをするにあたって、弾幕の練習以外にもやるべきことがあるのだと。

 私はそれをずっと考え続けてきた。
 あとは実践に活かすことが出来るか、もうゆっくり思考を巡らせる余裕はない。
 
 正邪と視線が合う。
 その表情で真っ先に印象に残るのは先程までと同様の、明らかに私を侮った嘲りの表情。
 
 でも、目はさっきまでと明確に違った。
 油断なく敵を見据える、戦う者の目。
 先日の異変で戦った人間達もこんな目をしていたような気がする。

 それによく見ると正邪の身体には無数の細かい生傷がある。
 一つ一つの大きさは大したことはないけどそれは見ていてとても痛々しかった。 
 
 逃亡生活も決して楽ではない、ということなのだろう。
 それでもこうして生き延びている以上、やはり正邪は只者ではない。 
 
 前回の戦いにおいて私は正邪をただ嫌悪するだけで何も見ようとせず、目を背けていた。
 それでは敵の本質を見極めることは出来ない。
 
 きっと大事なのは、相手を知ろうとする気持ちだ。
 しばし無言で睨み合っていたところ、正邪が口を開いた。 

「おい、お前」 

「九十九弁々、前も言ったわよね」

 正邪がうんざりしたように舌を鳴らす。

「ったく面倒くせえ、まあいい。今度は楽器ごと壊すかもしれねえからべそかく前にとっとと降参しろよ」

「私は」

「ああ勿論、お前の大事な大事な妹の見てる前で手をついて無様にな」

「……そうなるといいわね」

 私が言い終わった途端、対峙する私達の間を一羽の烏が横切った。
 それを合図に正邪は左腕を翳して赤黒い弾幕を、私は琵琶に右手を滑らせて八分音符型の弾幕を撃ち出す。

 あの時と同じ。
 でも、今度は以前のようにはいかない。

 横方向に規則正しく、等間隔に並んだ赤黒い弾の波を身をのけぞらせながらもなんとか躱す。
 しかし抜けた先には既に次の波が迫ってきている。
 落ち着け、まずは回避に専念するんだ。

「どれだけ必死に逃げようが結末は変わらねえよ」

 五波目を抜けたところで正邪がスペルカードを掲げた。
 来る。

「逆符『鏡の国の弾幕』!」

まるで絵本の見開き頁をめくったように目の前に広がる世界が回転し右と左が入れ替わった。
 正邪の手元を見るとカードを掲げる手の方向も逆方向になっている。
 
 そしてもう片方の手からは無数の白く輝く弾が強く発光しながら徐々にこちらに迫ってきた。
 為す術なく敗れたあの日の苦い記憶が嫌でも蘇る。
 でも今の私は、あの時とは違う。
 
 私は静かに行動を開始した。
 身体を左右に、ステップを踏むように小刻みに動かす。
 右に動かせば左、左に動かせば右に、私の身体は動いた。
 
 頭で考えるな、身体で理解しろ。
 必死に自分に言い聞かせる。

「じゃあな」
 
 勝ち誇った声が聞こえてくる。
 正邪との距離は約十五メートル。

 弾幕の塊が私に到達するまで約四メートル。
 嘲り笑う声が絶え間なく聞こえてくる。 

 弾幕と接触するまであと一メートル。
 回避のルートは右、左、左、右。
 つまりは左、右、右、左。
 
 頭の中で動く手順を復唱する。
 その後は、ただ自分の感覚に身を委ねるだけだった。
















 一体いくつの弾を躱しただろう。
 十か二十か、はたまた五十以上か。
 私は無心で弾と弾の間の細い通り道に体を滑り込ませ続けた。

 正邪の喚くような途切れ途切れの言葉が徐々に大きく、明瞭に聞こえ始める。
 距離が少しずつ、しかし確実に縮まっているのが分かった。

 私の取った行動は至ってシンプルだ。
 目の前に弾幕が迫ってきていようがいまいが身体を左右、小刻みに揺らし続けることで自分が実際に動く方向を身体に感覚で叩き込む。
 
 もし少しでもこれを怠れば脳は必ず普段の方向感覚に従い、自ら弾幕に当たりにいくことになるだろう。
 私が先日のように被弾しない事実にもはや動揺を隠そうともしない正邪の声が響く。

「お前、なんでこの反転した世界の中をまともに動けるんだ!」

「そんなの、練習したからに決まってるじゃない」

「練習、だと?」

 正邪はまるで信じられない物を見たかのようにしばし表情を失った。
 私は構わずに続けた。

「そうよ、私は以前あんたに惨敗した。それが悔しかったから、今度は絶対勝ってやると思って特訓をしてきたのよ」

「さっきから馬鹿みたいに身体をひょこひょこ動かしてたあれがか?」

「う、うるさいわね」

 確かに周りに何もないのに常時身体を揺らし続ける動きをするのは端から見れば相当滑稽だろう。
 でも私、正確には私達に他に策はなかった。

 それでもやってみる価値はあると、妹に助けてもらいながら至極当たり前のことをしたに過ぎない。
 何がそんなにも予想外なのだろうか。

「ちいっ!」

 正邪の表情がはっきり見えるところまで距離を詰めると不意に弾幕が止んだ。
 同時に世界が再び反転し、光とともに方向感覚が元に戻る。

「手こずらせやがって、さっさと堕ちろ!」

「逆符、『天地有用』!」

 正邪がカードを掲げた途端世界が再び、今度は上下にひっくり返った。 
 果てしなく広がる夜空が足元に広がる。
 雲一つないその空間には星が輝き、思わず心を奪われそうになる。

 でも今はのんびり景色を鑑賞している暇などない。
 眼下に視線を向けると既に正邪がこちらに向かって無数の青白い光球を放出し始めている。

 私に向かって投げかけられたその視線は完全に自分より低い位置にいる存在、地を這う虫や小動物を見下すそれだった。
 今は私の方が高い位置にいるのにと思ったけど、正邪からすれば常に自分が見下す側、ということなのだろう。
 
 やがて撃ちだされた弾幕に隠れて正邪の姿形は曖昧になっていく。
 まるで煮えたぎるマグマが徐々に地表に溢れ出ようとするかのように、弾幕が私の足元を覆い尽くす。

 私は再び気を引き締めると思い切って弾幕に突っ込んだ。
 しかし身体はより高い場所へと登っていき、弾幕との距離が遠くなる。
 やはり予想通り、近づこうとすれば離れ、離れようとすれば近づくのがこの弾幕の絡繰りのようだ。

 思えば八橋と二人で特訓を始めた時、左右だけでなく上下の感覚もスムーズに切り替えられるように私は練習を積んでいた。
「きっとあいつのことだから、左右だけじゃなくて上下も逆にしてくるに違いないわ」と、
その場にいない空想の鬼人正邪に向かって八橋が凄んでいたのを思い出す。
 
 種が分かってしまえば決して避けられない密度の弾幕じゃない。
 それに理由は分からないけど弾幕の偏りが先日戦った時よりも妙に大きく、隙間を見つけるのが実に容易だ。 

 左右の隙間の広い方向に向かっての移動と距離を詰められた際の前進、これを守っていればいい。
 これでこのスペルカードも攻略したも同然、私の勝機は十分にある。

 そんなことを考えていると、弾幕が止んで距離が縮まったことで再び正邪の姿が鮮明に映った。 
 よし、今度はこちらの反撃だ。
 
 愛用の琵琶に指を掛け、弾幕を放出する構えを取った時だった。
 正邪がカードを持っていない方の手で腹を抑えている。 
 よく見ればカードを持つ手元も小刻みに震えている。
  
 もしや騙し打ちかと警戒して目を細めると、自分のその見立てが間違いであることにすぐに気付いた。
 正邪の腹を抑えている手元から足に向かって、一筋の赤黒い血が流れている。
 私の弾幕は一度もあいつに当たっていない以上、過去に出来た傷口が開いたということだ。

 今攻撃すれば、間違いなく避け切れない。
 勝てる、勝てるのに。
 何故か私の手は動かなかった。
 
 私は琵琶を下ろし、弾幕を撃つ構えを解く。
 鎖がしゃんと音を立てた。 
 すると正邪が憎々し気な形相を浮かべて言った。
 
「お前、なんのつもりだ」

 私の口は考えるより先に言葉を紡ぎ出した。

「……その傷じゃ、まともに勝負できないでしょう」

「うるせえ、お前に関係ねえだろ」

「関係あるわ、ちゃんと回復してからじゃなきゃ不公平じゃない」

 正邪は大きく溜息をつき、吐き捨てるように言った。

「付喪神に情けをかけられるほど落ちぶれてねえよ」

「違う、私はそんなつもりじゃ」

「お前は一体なんなんだよ!」

 正邪はぴしゃりと私の言葉を遮るとそれまで翳していたカードを下ろした。
 それと同時にひっくり返った世界が再び元に戻る。

「仲間と自分が馬鹿にされたからって喧嘩を売って返り討ちにあったかと思えば今度は馬鹿正直に特訓して」

 気付けば私達を隔てる距離は三メートルもない。
 これ以上近寄られると放たれた弾幕を避けるのは不可能だ。
 
「来るかどうかも分からない奴を毎日毎日待ち続けて」

 でもどうしてか、私の身体はぴくりとも動かなかった。
 天邪鬼の言葉なんか聞く価値もないと、ずっと思っていたのに。
 むしろ今こちらから攻撃すれば、確実に被弾させられるのに。

「挙句の果てには相手が怪我をしてたら不公平な勝負だと、勝てるチャンスをみすみす捨てやがる」

 確かに、私は甘いのかもしれない。
 それでも、明らかに大怪我をしている相手に追い打ちをかけることはどうしても出来なかった。

 それだけでなく、心の中の引っかかりも私に攻撃を躊躇わせた。
 先日私が惨敗した時に正邪は私に追い打ちをしなかった。
 その気になれば琵琶を壊すぐらいのことも出来たはずなのに。
 
「……それはあんただって、前の勝負の時やろうと思えば私のことをもっと痛めつけられたじゃない」

「あんなの気まぐれに決まってんだろ、格下の付喪神なんかをいちいち本気で潰すかよ」

 相変わらず険しい表情を浮かべる正邪の真意は分からない。
 私に攻撃を躊躇わせる理由、正確には疑問はもう一つある。
 でも、私がそれを問う前に正邪は言い放った。

「お前、勝てる相手を泳がせてそれで満足か?」

「違う、そんなんじゃない。私は」

 正邪は私の言葉を最後まで聞くことなく、震える足をもう一本の足で蹴飛ばすと勢いよく飛び去って行った。
 私はその後姿をただ見つめていることしか出来なかった。
 
 八橋に言われるかもしれない、姉さんは甘すぎる、と。
 でも、正邪は先日のように私を道具とは言わなかった。
 
 私のことを道具ではなく、付喪神だと言った。
 それは正邪もまた、私という存在から完全に目を背けてはいないことの証明なのではないか。 

 本当は、私達の演奏を陰できちんと聴いてくれていたのではないか。
 それは演奏家としての私の願望がそう思わせているだけなのかもしれない。
 
 でも、不思議と後悔する気持ちは沸いてこなかった。
 私は八橋に事の頓末を報告するべく、ゆっくりと地上に降りた。
 汗で濡れた肌を撫でる夜風が妙に心地良かった。

























 刺された腹がずきずきと痛む。 
 くそ、忌々しい。

 あの日、琵琶の付喪神を返り討ちにした直後の出来事が頭を過る。
 魔法の森の入口近くの茂みで身体を休めていたところをいきなり何者かに襲われたのだ。
 
 敵の姿ははっきり見えなかったが、多分人間だった。
 一人は刃物を持っていたはず。
 三、四人からいきなり不意を突かれ、私は無我夢中でその場から逃げ出した。
 
 突然攻撃されたことに別段腹は立たなかった。
 恨みならこれまでいろんなところで数えきれないぐらい買ってきた。
 
 多人数で一人を闇討ち、結構じゃねえか。
 何故かって、それは弱者が強者に対してやることだからだ。
 
 だから私は大して気にかけることもなく、適当な場所で傷を癒してから復讐の計画を立てるつもりでいた。
 あの琵琶の付喪神のことはあれだけ手酷く負かされれば二度とやってこないだろう、程度にしか考えていなかった。

 ところがあいつは、度を越した馬鹿正直だった。
 負けた悔しさから私の弾幕を研究した、まではまだ分かる。
 
 だが相手がいつ、そもそも来るかどうかすら分からないのに毎日毎日同じ場所に通い続けるというのは到底理解が出来ない。
 しかもそれでいて私がすぐ近くに潜んでいることにはまるで気づきやしない。

 最初はずっと無視しているつもりだった。
 格下の付喪神ごときのためにこちらが場所を譲ってやる理由などないのだから。
 奴らご自慢の演奏だってお上品なだけでなんの面白みもないと思っていた。

 姉妹の片割れ、九十九弁々だったか。
 奴は確か演奏の練習中にこんなことを言っていた。

「昨日の私達と今日の私達の奏でる音は必ずどこかが違う、二つとして同じ演奏はこの世界に存在しない。 
だから毎日、自分の奏でる音を大切にしましょう」と。
 
 奴らは毎日同じ曲を練習していた。
 流石に楽器の付喪神というだけあって、演奏の完成度の高さは認めてやってもいい。

 最初私にその曲は既に完成されているようにしか聞こえなかった。
 昨日と今日とで何が違うのかもまるで分からなかった。
 だが二日三日とあいつらの演奏を毎日聴いているうちに、同じ曲でも少しずつ違う点があることに気付いた。
 
 音の微妙な強弱、高低差、伸び具合。
 一度耳が理解するとそれは次から次へと湧いて出てきた。 

 そうなるともう意識しないようにと努めても演奏が気になって仕方がなく、あの場所を動く気も起きなくなってしまった。
 奴らの前では死んでも言わないが、演奏に耳を傾けていた事実は認めざるを得ない。

 そしてついには居場所がバレるヘマをしてしまい、再び勝負を受ける羽目になった。
 挙句、この様だ。
 
 コンディションは最悪だったが一度勝った相手だと、高を括っていたのは否定出来ない。
 だが奴は人の気配にはろくに気付けないくせに私の弾幕への対策は腹立たしいほどに万全だった。
 
 その上あと一息で勝てるところまで私を追い込んだのに、こっちが手負いだと気付いた途端攻撃を止めてしまった。
 しかも私により惨めな敗北を味わわせるためかと思えば、本心から取った行動だと言うから本当に理解が出来ない。
 多分あいつに建前だとか原理原則だとかいう言葉は通用しないだろう。
 
 頭から放り出そうにもしつこく記憶に残る奴の顔と音。 
 この世界はお前が思っているほど単純で幸せな世界じゃねえってこと、いつか必ず思い知らせてやる。
 
 私は頭の後ろで腕を組み、倒木の隣に身を横たえて眠ろうと目を閉じた。
 くそ、どうしても傷が疼く。
 すると闇の中で頭に浮かんだのは、奴の後姿だった。
 
 やめろ、こっちを振り向くな。
 やめろ!

 叫びは聞き入れられず、奴は紫のツインテールを揺らしながら静かにこちらを振り返った。
 私の腹の傷に気付いた時の、どこか不安げにそれをいたわるような眼つき。
 そんな目で見るな、私が見たいのは怒りと憎しみに支配されたお前の顔だ!





「……覚えてろよ、九十九弁々」
八作目の投稿になります、ローファルです。
弁々と正邪の絡みを一度書いてみたくなり今回執筆しました。

相変わらずの駄文ですが少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
ここまで読了頂き、ありがとうございました。
ローファル
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コメント



0.90簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.80福哭傀のクロ削除
少し読点の少なさというか、文章の切れ目のなさが気になりました。
正邪のキャラクターが作者さんの今までのキャラの引き出しの中にいなかった気がしたので、
作風とかも含めて新しいことをしようとしているのかと思いますが、
その反面やはりというか、正邪のキャラ像がもう少し深みが欲しかったかもと思いました。
あとちょっと展開に無理を感じたのと、八橋を出す割に役割が少ない気がしたので
出さないか、出すならもう少し役割が欲しく感じました。
作風が広がった作者さんの次回作を楽しみにしております。
5.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。反撃は弱小妖怪のたしなみ、反骨の精神の権化たる正邪に逆らう展開良かったです。ラストシーンもよきでした。
6.90ヘンプ削除
頑張って練習した弁々がとても可愛かったです。