冬になり、すっかり腑抜けてしまった秋姉妹は暇つぶしに毎日鍋を楽しんでいたが、案の定、肉が切れてしまった。
「穣子、大変よ。鍋に入れる肉が無くなっちゃったわ」
「ああ、そりゃそーよね。毎晩鍋ばっか食べてたもんね」
「このままでは美味しい鍋が楽しめないわ」
「そーね。肉がないとコクとうまみがイマイチよね」
「そういうわけで穣子。ちょっと調達してきてくれないかしら」
「私なの? 嫌よ。姉さん行ってきてよ」
「嫌よ。外寒いし」
「私だって寒いわよ!? それにこんな真冬に狩りをしろっていうの?」
「いえ、流石にそこまで無慈悲じゃないわ」
「あ、自分が無慈悲って自覚はあるのね。じゃあ、どうしろってのよ?」
「そうね。あそこに行ってもらってきなさい」
「あそこ……って。まさか……」
「その、まさかよ」
「ええー。私、あの人苦手なんだけど……」
「大丈夫。悪い人じゃないわ」
「いや、それはわかるんだけどさー……」
「穣子。美味しい鍋と平和のためよ。明るい明日と希望のために、ここは一肌脱いできなさい」
「はぁー……」
これ以上、粘っても無意味と悟った穣子は、諦めの混じったため息とともに、仕方なく肉をもらいに出かけるのだった。
◇
一肌脱ぐどころか、これでもかというくらいの防寒具で身を固め、まるでカセ鳥のような姿で雪がうっすら積もった晴れた冬の山を、えっちらおっちら飛んでいくと、そのうち山の中にこぢんまりとした藁葺き屋根の家が見えてくる。
「たのもー! たのもー! ごめんくださーい!」
穣子が家の入り口の引き戸を開けると、中は思いのほか静かで、それこそ人っこひとりの気配すら感じない。
「え、まさか留守……?」
ここまで来たのにそりゃ無いわ。と、思いながら、ふと、穣子が辺りを見渡すと、包丁が所狭しと並べられ、しかもそのいずれもピカピカに磨き上げられている。
「……おぉー。商売道具とはいえ、ここまで手入れされてるのは流石というか……」
と、思わず感心していた穣子だったが、ふとその脇に同じくテカテカに磨かれた分厚い鉄の板がおいてあるのを見つける。
「……なにこれ。これまたずいぶん重そうな鉄板だこと……。もしかして、これぶん投げて獲物仕留めるのかな?」
と、穣子がその鉄板に触れようとしたその時だ。
「誰だ! そこで、うすらがすらしてんのは!」
「ひぃ!?」
穣子の目の前には、文字通り鬼の形相で包丁を振り上げる灰色の髪の妖怪の姿が。
「なんだおめぇは! まさか、かっぱらぃか!? おめぇこの! 山姥の家さ盗み来るたぁ、良い度胸してんな!」
「ちょっちょっタンマタンマ!! 私よ!? 私!」
「おめぇみてえなヤツは知らねぇぞ! しらばっくれやがってこのやろ! かっくらつけっぞ!」
そう言い放つと、その山姥――坂田ネムノは髪を振り乱しながら包丁を穣子の方へ振りかざす。
「ほぐわあぁーーつ!?」
穣子は横っ飛びで包丁をかわしながら、慌てて防寒具を脱ぎ捨てると自分を指さしながら必死に訴えた。
「ほっ……ほら、私よ! 私! 私だってば! 私なのよ!? ね? 私でしょ!? 私!!」
「あぁーんんんー……?」
ネムノはじーっと見つめ、その正体がわかると、あっけにとられた様子で目をぱちくりさせる。
「……あぁーなぁんだ。おめぇ穣子かあ。私ぁてっきり盗人でも入ったのかと思ったわ。おーやだごど」
そう言って、からからと笑うネムノに、穣子は半ば呆れた様子で尋ねる。
「……あ、あのねぇ。用事があって来たんだけど、ちょうど留守だったのよ。まったくもう。この寒い中どこ行ってたのよ?」
「あぁ? ああ、これだ。これ」
と、言って彼女は、手書きのチラシを穣子に渡す。
「なにこれ……。『姥ぁい~つ んめぇべ屋』……?」
「んだんだ。このさぁびす始めたんだわ」
「……何よこれ?」
「食いもん運ぶさぁびすだ。この時期はちょうど暇んなっかんな。ちいとばっか仕事すっかと思ってよ」
「はぁ……。さいですか」
穣子は呆れた様子で彼女を見やる。
「んで、おめぇ。なにしに来たんだ?」
「あ、そうそう。忘れてた! 肉をもらいに来たのよ。備蓄なくなっちゃって」
「何!? 肉か!?」
「そ、そうよ。何。もしかしてないとか……?」
「いや、あんのはあっけんどもよぉ、おんめぇ、今の季節だし。生肉はねえぞ?」
「あ、いや、そこは干し肉でいいわよ。どうせ鍋にするし」
「あぁそうか。んならさすけねぇ」
「……何? サスケ? 冒険活劇飲料?」
「なぁに言ってんだ。おめぇは、このほろすけ! 干し肉なら、倉庫に、ごでっちりしょとあっから好きなだけ持ってけ! わっはっはっは!」
「……そ、そう? それじゃお言葉に甘えて」
豪快に笑うネムノを尻目に、穣子は首をかしげながら肉の保管庫へ向かう。
それにしても「さすけねぇ」だの「ほろすけ」だの一体何だというのか。彼女と話すときは、決まって謎の単語が出てくる。以前話したときもそうだ。およそ他では聞いたことない言葉がぽんぽこ出てきて穣子は困惑極まりなかった。
とりあえず彼女の表情と場の雰囲気で、なんとなく話を合わせていたが、実際は何一つわからないままだ。
多分訛りの一種辺りなんだろうとは思うが、なにしろまるで聞いたことがない。
「どうした。んなとこに、ぼーっとつったってて。どうだ。いい肉あったが?」
「あ、はいはい。肉ね。肉、肉、肉……」
穣子が彼女を苦手とする理由は、そのわけわからない訛りもさることながら。
「ええと、じゃあ、これもらってくわね」
と、穣子は手頃な干し肉を持ち、足早に帰ろうとする。すると。
「なんだぁおめぇ。それっぽっち。せっかくだからもっと持ってげ! ほら、これとか。これもこれも!」
「わ、わ、わっ、うわあっ……!?」
ネムノはあれもこれもそれもと言わんばかりに、次々と穣子に干し肉を渡す。
「い、いいの……? こんなにもらって」
「気にしっさんな。一杯あった方がいいベ?」
「ま、まぁ……」
「あ、んだ、おめぇ。そういや鍋するっつったな?」
「……あ、うん」
「んならこれも持ってけ!」
そう言ってネムノは、家の奥からヒモに連なって吊された四角いものを引っ張り出してくる。
「ほら、凍みドーフだ。こいつ鍋に入れっと、んめぇぞ! これやっから持ってけ!」
「あ、ありが……」
「あ、待て待て! あれもあるわ! 白菜! 鍋さ入れっと、柔っこくてんめぇから持ってけ!」
「そ、そう、そんじゃせっかくだから……」
「あ、んだ! それとついでだから、菜っ葉も持ってけ!」
「ちょっ! 待ってよ!? 流石にそんなに持ちきれないって!?」
「あぁー……んだな。んなら、たんがってってやっから」
「……何? タンガロイ……?」
「たんがってってやるって言ってんだわ!」
「……あ。そ、そうなの? そっ、そりゃいいわね。じゃあ、よろしく……?」
彼女の圧力に屈した穣子は、意味もわからず軽率に返事してしまう。
◇
「……姉さん。ただいま」
「おかえりなさい。穣子」
「おばんかだー。ちーっくらおじゃますっぞい」
「あら、山姥さんもいらっしゃい」
なぜか白菜と菜っ葉を持ってついてきたネムノを静葉はとりあえず歓迎すると、首をかしげながら穣子に尋ねる。
「……穣子。彼女がどうして家に?」
困惑気味に穣子が返す。
「いやあ、それがさぁ。この野菜を、たんがってってやるとか言って、なんかついてきちゃったのよ」
穣子の言葉を聞いた静葉は、なるほどと頷く。
「……ああ、そういうことね。穣子。たんがくってのは担ぐって意味よ。彼女は一緒に担いでいってやるって言ってたのよ」
「……! そうだったのか……! どおりで!」
「……で、彼女、どうするの?」
「さあ、用事も終わったからもう帰るんじゃ……?」
と、そのとき、ネムノはぽんと手をたたくと二人に言い放つ。
「ああ! 良い事、思いついだわ! せっかくおめらの家さ来たんだ。ばんたろしてってやっかんな!」
「……ばんたろ? ……坂東太郎?」
「ふむ、ばんたろね」
「姉さん、どういう意味?」
穣子の問いに静葉は、ふっと笑みを浮かべて呟く。
「……それじゃ、せっかくだからお願いしようかしらね」
「ちょっと、姉さん、もしかして意味知らないんじゃ……?」
「大丈夫よ。悪い人じゃないから」
「いや、それはわかるんだけどさぁ……」
と、二人がこそこそ話していると。
「んじゃ、ちょっとすぃじば借りっぞ!」
と、言いながらネムノは勝手に家の中に入っていく。
「スィジバ……? 磁場? うちに磁石なんかないわよ?」
「炊事場。台所のことよ。穣子、しっかりしなさい。これは標準語よ?」
「え、あ。も、もちろん知ってたわよ? わざとよ。わざと!」
などと言いながら、二人も台所へと向かった。
台所では一足先にネムノが何やら料理の準備を始めようとしていた。
「さーて。んじゃ作ってやっかんな。鍋でいいべ?」
二人が返事をする前にネムノは腕まくりをすると、まな板の上に大根を置き、自前の包丁でスパァアアアーンと大根をまな板ごと真っ二つにする。
慌てて穣子が彼女に言い放つ。
「ちょっとちょっと!? 何してくれんのよ!? 大事なまな板を!?」
「いっげねぇ。つい力入っちまっだわ。許してくんちぇ」
そう言ってネムノは、申し訳なさそうに頭を下げると、穣子に尋ねる。
「……あの、この家には鉄のまな板はねぇのげ?」
「そんなのあるわけないでしょ!?」
「おあぁーそれはまいっだなぁ。私ゃあ、鉄のまな板じゃねぇど料理出来ねぇんだわぁ」
「知るか!! ……ってか、家にあったあの鉄板、もしかしてまな板だったの!?」
「んだんだ。特製のな。こう見えて私ゃあ力強くてよぉ。普通のまな板じゃダメなんだわ。まいっだなぁ。なじょすっぺ……」
困った様子のネムノに静葉が助言する。
「それなら穣子にかわりに作ってもらったらどうかしら。あなたが穣子に助言しながら」
「おぉー! それは、ないすあいであだ! んじゃさっそくそうするべ」
「ちょっと!? 勝手に決めないでよ……!?」
困惑気味の穣子に静葉がすかさず耳打ちをする。
「……この方がお互い角立たないでしょ。それにあなたが料理した方が確実よ」
「うーん。それはそうかもしれないけど……」
「美味しい鍋のためよ。ここは一肌脱ぎなさい」
「一肌って、さっき脱いだばっかりよ? また脱げっての? 露出狂じゃないんだからさぁ……」
「いいからやりなさい」
「……はい」
静葉の圧力に負けた穣子は渋々料理の準備を始めた。
◇
「……ほんじゃ始めるとすっぞ。私の言うとおりにやってくれればうんめぇ鍋が出来っかんな」
「はいはい……わかったわよ」
「じゃ、まず、干し肉を細かくちぎって酒にうるがすんだ」
「……ええと、干し肉を刻んで……うるがす? うるがすって……何? 売るガス? ガスを売るの……? えっ?」
「なに、あっぱとっぱしてんだ。はやくしっせ! 日、暮れちまう!」
いきなりの方言炸裂に、思わず目を白黒させる穣子へ、すかさず静葉が告げる。
「穣子。うるかすというのは、浸してふやけさせるって意味よ。それと、あっぱとっぱってのは慌てふためくって意味ね」
「あ! なるほどそーいうことね! ……ほいほい。出来たっと。お次は?」
「んじゃ飯炊くべ。水加減に気をつけるんだど。へでなしやっと、がんだ飯になっちまうかんな」
「ガンダー飯!? 何、氷付けなの!?」
「おめぇ。何言ってんだ……? このほろすけが」
「穣子。がんだ飯ってのは芯が残って美味しくないご飯の事よ。あとへでなしってのはいい加減なことを言うわ。ごじゃっぺとも言うわね」
「なるほど! そういう意味……。って、姉さん、さっきからなんでそんな方言に詳しいのよ?」
静葉は、にやっと笑みを浮かべて答える。
「ま、神の嗜みってやつよ」
「はぁ……」
思わず穣子はため息をつく。
その後もこんな調子で彼女の方言に翻弄されながらも調理は続き、日がとっぷり暮れる頃、ようやっとネムノ特製田舎鍋が完成した。
その味は筆舌にし難いくらいの美味しさで、鍋を食べ続けて舌が肥えていた二人も思わず「星3つ! 満点!」と、唸るほどの逸品だった。
そうして二人が満足そうにしていると、不意にネムノが告げる。
「ほんじゃお二人さんよ。そろそろお勘定といくべか」
「……はあ? 金取んの?」
「当たり前だベ。姥ぁい~つ出張さぁびすだ」
「はぁ!? 聞いてないわよ!? って、いうか勝手についてきただけでしょ……?」
「……まあ、しかたないわね。これだけ美味しいものを食べさせてもらったのだから文句は言えないわ。支払いましょうか」
「んじゃ、これでよろしくな。ばんたろ代込みだわ」
そう言ってネムノは静葉に請求書を渡す。それを見た静葉の動きが止まる。
「あら、困ったわ。こんな大金うちにはないわね……」
「え? そんな高いの!?」
「んだな。出張さぁびすな上に、ばんたろ代も入ってっかんな」
「ねえ、ばんたろって何なのよ!?」
すかさずネムノが答える。
「夕飯作る人のことだ。おめらんとこで飯作ったベ? その料金だ。ばんたろ代は、私んとこのさぁびすのなかで一番高けぇんだわ」
「飯作ったって……実質作ったのは私なんだけど……」
と、不服そうな穣子に静葉が告げる。
「……仕方ないわね。穣子。あなた山姥さんとこでしばらく働いてきなさい」
「あんだってぇ!? 何で私が!?」
「だって私、寒いから外に出たくないし」
「ふざけんな!? 私だって寒いっつーの!!?」
「ああ、そうが、そうが。んじゃ、たーっぷしコキ使ってやっがら覚悟しろよ?」
「は!? 勝手に決めないでよ!? ちょっと待ってぇー!!?」
こうして穣子はしばらくの間、ネムノのとこでタダ働きするハメになってしまった。
◇
――そうして一週間後
「姉さーん! 帰ったわー!」
「あら、おかえり穣子。どうだった……?」
「いんやー、まいっだわよー。あんにゃろ、私のこどさんざんコキ使いやがってよぉー」
「……穣子? ……あなた、本当に穣子?」
思わず唖然とする静葉に穣子がからからと笑いながら答える。
「何言ってんだい姉さん! 私ゃ穣子よぉ! 私以外に穣子がいるわけねぇべよー? おーやだごど。それよりお土産もらったから見てくんちぇ。ほら、どうよ? この立派なエノキダケ。あんにゃろがくれたんだわ。鍋にでも入れて食うベ。もう今度は私一人で作っからさぁー……」
郷に入れば郷に従えとでも言うのか、すっかりネムノの訛りが移ってしまった穣子が、いつもの口調へ戻るのには約一ヶ月ほどかかったという。
「穣子、大変よ。鍋に入れる肉が無くなっちゃったわ」
「ああ、そりゃそーよね。毎晩鍋ばっか食べてたもんね」
「このままでは美味しい鍋が楽しめないわ」
「そーね。肉がないとコクとうまみがイマイチよね」
「そういうわけで穣子。ちょっと調達してきてくれないかしら」
「私なの? 嫌よ。姉さん行ってきてよ」
「嫌よ。外寒いし」
「私だって寒いわよ!? それにこんな真冬に狩りをしろっていうの?」
「いえ、流石にそこまで無慈悲じゃないわ」
「あ、自分が無慈悲って自覚はあるのね。じゃあ、どうしろってのよ?」
「そうね。あそこに行ってもらってきなさい」
「あそこ……って。まさか……」
「その、まさかよ」
「ええー。私、あの人苦手なんだけど……」
「大丈夫。悪い人じゃないわ」
「いや、それはわかるんだけどさー……」
「穣子。美味しい鍋と平和のためよ。明るい明日と希望のために、ここは一肌脱いできなさい」
「はぁー……」
これ以上、粘っても無意味と悟った穣子は、諦めの混じったため息とともに、仕方なく肉をもらいに出かけるのだった。
◇
一肌脱ぐどころか、これでもかというくらいの防寒具で身を固め、まるでカセ鳥のような姿で雪がうっすら積もった晴れた冬の山を、えっちらおっちら飛んでいくと、そのうち山の中にこぢんまりとした藁葺き屋根の家が見えてくる。
「たのもー! たのもー! ごめんくださーい!」
穣子が家の入り口の引き戸を開けると、中は思いのほか静かで、それこそ人っこひとりの気配すら感じない。
「え、まさか留守……?」
ここまで来たのにそりゃ無いわ。と、思いながら、ふと、穣子が辺りを見渡すと、包丁が所狭しと並べられ、しかもそのいずれもピカピカに磨き上げられている。
「……おぉー。商売道具とはいえ、ここまで手入れされてるのは流石というか……」
と、思わず感心していた穣子だったが、ふとその脇に同じくテカテカに磨かれた分厚い鉄の板がおいてあるのを見つける。
「……なにこれ。これまたずいぶん重そうな鉄板だこと……。もしかして、これぶん投げて獲物仕留めるのかな?」
と、穣子がその鉄板に触れようとしたその時だ。
「誰だ! そこで、うすらがすらしてんのは!」
「ひぃ!?」
穣子の目の前には、文字通り鬼の形相で包丁を振り上げる灰色の髪の妖怪の姿が。
「なんだおめぇは! まさか、かっぱらぃか!? おめぇこの! 山姥の家さ盗み来るたぁ、良い度胸してんな!」
「ちょっちょっタンマタンマ!! 私よ!? 私!」
「おめぇみてえなヤツは知らねぇぞ! しらばっくれやがってこのやろ! かっくらつけっぞ!」
そう言い放つと、その山姥――坂田ネムノは髪を振り乱しながら包丁を穣子の方へ振りかざす。
「ほぐわあぁーーつ!?」
穣子は横っ飛びで包丁をかわしながら、慌てて防寒具を脱ぎ捨てると自分を指さしながら必死に訴えた。
「ほっ……ほら、私よ! 私! 私だってば! 私なのよ!? ね? 私でしょ!? 私!!」
「あぁーんんんー……?」
ネムノはじーっと見つめ、その正体がわかると、あっけにとられた様子で目をぱちくりさせる。
「……あぁーなぁんだ。おめぇ穣子かあ。私ぁてっきり盗人でも入ったのかと思ったわ。おーやだごど」
そう言って、からからと笑うネムノに、穣子は半ば呆れた様子で尋ねる。
「……あ、あのねぇ。用事があって来たんだけど、ちょうど留守だったのよ。まったくもう。この寒い中どこ行ってたのよ?」
「あぁ? ああ、これだ。これ」
と、言って彼女は、手書きのチラシを穣子に渡す。
「なにこれ……。『姥ぁい~つ んめぇべ屋』……?」
「んだんだ。このさぁびす始めたんだわ」
「……何よこれ?」
「食いもん運ぶさぁびすだ。この時期はちょうど暇んなっかんな。ちいとばっか仕事すっかと思ってよ」
「はぁ……。さいですか」
穣子は呆れた様子で彼女を見やる。
「んで、おめぇ。なにしに来たんだ?」
「あ、そうそう。忘れてた! 肉をもらいに来たのよ。備蓄なくなっちゃって」
「何!? 肉か!?」
「そ、そうよ。何。もしかしてないとか……?」
「いや、あんのはあっけんどもよぉ、おんめぇ、今の季節だし。生肉はねえぞ?」
「あ、いや、そこは干し肉でいいわよ。どうせ鍋にするし」
「あぁそうか。んならさすけねぇ」
「……何? サスケ? 冒険活劇飲料?」
「なぁに言ってんだ。おめぇは、このほろすけ! 干し肉なら、倉庫に、ごでっちりしょとあっから好きなだけ持ってけ! わっはっはっは!」
「……そ、そう? それじゃお言葉に甘えて」
豪快に笑うネムノを尻目に、穣子は首をかしげながら肉の保管庫へ向かう。
それにしても「さすけねぇ」だの「ほろすけ」だの一体何だというのか。彼女と話すときは、決まって謎の単語が出てくる。以前話したときもそうだ。およそ他では聞いたことない言葉がぽんぽこ出てきて穣子は困惑極まりなかった。
とりあえず彼女の表情と場の雰囲気で、なんとなく話を合わせていたが、実際は何一つわからないままだ。
多分訛りの一種辺りなんだろうとは思うが、なにしろまるで聞いたことがない。
「どうした。んなとこに、ぼーっとつったってて。どうだ。いい肉あったが?」
「あ、はいはい。肉ね。肉、肉、肉……」
穣子が彼女を苦手とする理由は、そのわけわからない訛りもさることながら。
「ええと、じゃあ、これもらってくわね」
と、穣子は手頃な干し肉を持ち、足早に帰ろうとする。すると。
「なんだぁおめぇ。それっぽっち。せっかくだからもっと持ってげ! ほら、これとか。これもこれも!」
「わ、わ、わっ、うわあっ……!?」
ネムノはあれもこれもそれもと言わんばかりに、次々と穣子に干し肉を渡す。
「い、いいの……? こんなにもらって」
「気にしっさんな。一杯あった方がいいベ?」
「ま、まぁ……」
「あ、んだ、おめぇ。そういや鍋するっつったな?」
「……あ、うん」
「んならこれも持ってけ!」
そう言ってネムノは、家の奥からヒモに連なって吊された四角いものを引っ張り出してくる。
「ほら、凍みドーフだ。こいつ鍋に入れっと、んめぇぞ! これやっから持ってけ!」
「あ、ありが……」
「あ、待て待て! あれもあるわ! 白菜! 鍋さ入れっと、柔っこくてんめぇから持ってけ!」
「そ、そう、そんじゃせっかくだから……」
「あ、んだ! それとついでだから、菜っ葉も持ってけ!」
「ちょっ! 待ってよ!? 流石にそんなに持ちきれないって!?」
「あぁー……んだな。んなら、たんがってってやっから」
「……何? タンガロイ……?」
「たんがってってやるって言ってんだわ!」
「……あ。そ、そうなの? そっ、そりゃいいわね。じゃあ、よろしく……?」
彼女の圧力に屈した穣子は、意味もわからず軽率に返事してしまう。
◇
「……姉さん。ただいま」
「おかえりなさい。穣子」
「おばんかだー。ちーっくらおじゃますっぞい」
「あら、山姥さんもいらっしゃい」
なぜか白菜と菜っ葉を持ってついてきたネムノを静葉はとりあえず歓迎すると、首をかしげながら穣子に尋ねる。
「……穣子。彼女がどうして家に?」
困惑気味に穣子が返す。
「いやあ、それがさぁ。この野菜を、たんがってってやるとか言って、なんかついてきちゃったのよ」
穣子の言葉を聞いた静葉は、なるほどと頷く。
「……ああ、そういうことね。穣子。たんがくってのは担ぐって意味よ。彼女は一緒に担いでいってやるって言ってたのよ」
「……! そうだったのか……! どおりで!」
「……で、彼女、どうするの?」
「さあ、用事も終わったからもう帰るんじゃ……?」
と、そのとき、ネムノはぽんと手をたたくと二人に言い放つ。
「ああ! 良い事、思いついだわ! せっかくおめらの家さ来たんだ。ばんたろしてってやっかんな!」
「……ばんたろ? ……坂東太郎?」
「ふむ、ばんたろね」
「姉さん、どういう意味?」
穣子の問いに静葉は、ふっと笑みを浮かべて呟く。
「……それじゃ、せっかくだからお願いしようかしらね」
「ちょっと、姉さん、もしかして意味知らないんじゃ……?」
「大丈夫よ。悪い人じゃないから」
「いや、それはわかるんだけどさぁ……」
と、二人がこそこそ話していると。
「んじゃ、ちょっとすぃじば借りっぞ!」
と、言いながらネムノは勝手に家の中に入っていく。
「スィジバ……? 磁場? うちに磁石なんかないわよ?」
「炊事場。台所のことよ。穣子、しっかりしなさい。これは標準語よ?」
「え、あ。も、もちろん知ってたわよ? わざとよ。わざと!」
などと言いながら、二人も台所へと向かった。
台所では一足先にネムノが何やら料理の準備を始めようとしていた。
「さーて。んじゃ作ってやっかんな。鍋でいいべ?」
二人が返事をする前にネムノは腕まくりをすると、まな板の上に大根を置き、自前の包丁でスパァアアアーンと大根をまな板ごと真っ二つにする。
慌てて穣子が彼女に言い放つ。
「ちょっとちょっと!? 何してくれんのよ!? 大事なまな板を!?」
「いっげねぇ。つい力入っちまっだわ。許してくんちぇ」
そう言ってネムノは、申し訳なさそうに頭を下げると、穣子に尋ねる。
「……あの、この家には鉄のまな板はねぇのげ?」
「そんなのあるわけないでしょ!?」
「おあぁーそれはまいっだなぁ。私ゃあ、鉄のまな板じゃねぇど料理出来ねぇんだわぁ」
「知るか!! ……ってか、家にあったあの鉄板、もしかしてまな板だったの!?」
「んだんだ。特製のな。こう見えて私ゃあ力強くてよぉ。普通のまな板じゃダメなんだわ。まいっだなぁ。なじょすっぺ……」
困った様子のネムノに静葉が助言する。
「それなら穣子にかわりに作ってもらったらどうかしら。あなたが穣子に助言しながら」
「おぉー! それは、ないすあいであだ! んじゃさっそくそうするべ」
「ちょっと!? 勝手に決めないでよ……!?」
困惑気味の穣子に静葉がすかさず耳打ちをする。
「……この方がお互い角立たないでしょ。それにあなたが料理した方が確実よ」
「うーん。それはそうかもしれないけど……」
「美味しい鍋のためよ。ここは一肌脱ぎなさい」
「一肌って、さっき脱いだばっかりよ? また脱げっての? 露出狂じゃないんだからさぁ……」
「いいからやりなさい」
「……はい」
静葉の圧力に負けた穣子は渋々料理の準備を始めた。
◇
「……ほんじゃ始めるとすっぞ。私の言うとおりにやってくれればうんめぇ鍋が出来っかんな」
「はいはい……わかったわよ」
「じゃ、まず、干し肉を細かくちぎって酒にうるがすんだ」
「……ええと、干し肉を刻んで……うるがす? うるがすって……何? 売るガス? ガスを売るの……? えっ?」
「なに、あっぱとっぱしてんだ。はやくしっせ! 日、暮れちまう!」
いきなりの方言炸裂に、思わず目を白黒させる穣子へ、すかさず静葉が告げる。
「穣子。うるかすというのは、浸してふやけさせるって意味よ。それと、あっぱとっぱってのは慌てふためくって意味ね」
「あ! なるほどそーいうことね! ……ほいほい。出来たっと。お次は?」
「んじゃ飯炊くべ。水加減に気をつけるんだど。へでなしやっと、がんだ飯になっちまうかんな」
「ガンダー飯!? 何、氷付けなの!?」
「おめぇ。何言ってんだ……? このほろすけが」
「穣子。がんだ飯ってのは芯が残って美味しくないご飯の事よ。あとへでなしってのはいい加減なことを言うわ。ごじゃっぺとも言うわね」
「なるほど! そういう意味……。って、姉さん、さっきからなんでそんな方言に詳しいのよ?」
静葉は、にやっと笑みを浮かべて答える。
「ま、神の嗜みってやつよ」
「はぁ……」
思わず穣子はため息をつく。
その後もこんな調子で彼女の方言に翻弄されながらも調理は続き、日がとっぷり暮れる頃、ようやっとネムノ特製田舎鍋が完成した。
その味は筆舌にし難いくらいの美味しさで、鍋を食べ続けて舌が肥えていた二人も思わず「星3つ! 満点!」と、唸るほどの逸品だった。
そうして二人が満足そうにしていると、不意にネムノが告げる。
「ほんじゃお二人さんよ。そろそろお勘定といくべか」
「……はあ? 金取んの?」
「当たり前だベ。姥ぁい~つ出張さぁびすだ」
「はぁ!? 聞いてないわよ!? って、いうか勝手についてきただけでしょ……?」
「……まあ、しかたないわね。これだけ美味しいものを食べさせてもらったのだから文句は言えないわ。支払いましょうか」
「んじゃ、これでよろしくな。ばんたろ代込みだわ」
そう言ってネムノは静葉に請求書を渡す。それを見た静葉の動きが止まる。
「あら、困ったわ。こんな大金うちにはないわね……」
「え? そんな高いの!?」
「んだな。出張さぁびすな上に、ばんたろ代も入ってっかんな」
「ねえ、ばんたろって何なのよ!?」
すかさずネムノが答える。
「夕飯作る人のことだ。おめらんとこで飯作ったベ? その料金だ。ばんたろ代は、私んとこのさぁびすのなかで一番高けぇんだわ」
「飯作ったって……実質作ったのは私なんだけど……」
と、不服そうな穣子に静葉が告げる。
「……仕方ないわね。穣子。あなた山姥さんとこでしばらく働いてきなさい」
「あんだってぇ!? 何で私が!?」
「だって私、寒いから外に出たくないし」
「ふざけんな!? 私だって寒いっつーの!!?」
「ああ、そうが、そうが。んじゃ、たーっぷしコキ使ってやっがら覚悟しろよ?」
「は!? 勝手に決めないでよ!? ちょっと待ってぇー!!?」
こうして穣子はしばらくの間、ネムノのとこでタダ働きするハメになってしまった。
◇
――そうして一週間後
「姉さーん! 帰ったわー!」
「あら、おかえり穣子。どうだった……?」
「いんやー、まいっだわよー。あんにゃろ、私のこどさんざんコキ使いやがってよぉー」
「……穣子? ……あなた、本当に穣子?」
思わず唖然とする静葉に穣子がからからと笑いながら答える。
「何言ってんだい姉さん! 私ゃ穣子よぉ! 私以外に穣子がいるわけねぇべよー? おーやだごど。それよりお土産もらったから見てくんちぇ。ほら、どうよ? この立派なエノキダケ。あんにゃろがくれたんだわ。鍋にでも入れて食うベ。もう今度は私一人で作っからさぁー……」
郷に入れば郷に従えとでも言うのか、すっかりネムノの訛りが移ってしまった穣子が、いつもの口調へ戻るのには約一ヶ月ほどかかったという。
訛りが移っちゃう穣子がかわいらしかったです
導入が強引ですごくよかったです