メディスン・メランコリーが鈴蘭畑でそれを見つけたのは、夏に入ったある時分の、日差しの強い日だった。
大きさはメディスンよりも小さいぐらいだろうか。
いつものようにふらふらと鈴蘭畑を回っているときに、土が少しついたそれを見つけた。
「……なにかしら、これ?」
それは毛糸のブロンドの髪に赤い三角の鼻をした、布でできた外国人の男の子の人形だった。
男の子だけど、丸い顔をしていて可愛らしい。
拾っていじっていると、突如片腕がぴょこりと動く。
動くのは片腕だけのようだけど、一生懸命に動かしている。
なにか仕掛けでもあるのかと思ったけど、別にそんなものはありはしない。
もしやこれが妖怪化の始まりなのかと思ったメディスンは、試しにその人形を永遠亭の八意永琳のところにまで持っていってみた。
「確かにあなたの言う通り、この人形、ああ、ラガディ・アンディっていうアメリカのキャラクターなんだけど、これ、妖怪化しつつあるわね」
「どうしたら完全な妖怪になるんですか?」
「まあ、鈴蘭畑にしばらく置いてみたら?」
そんなことでいいのかとは思ったけど、とりあえず試しにやってみようと思った。
だけど雨風に打たれるのは流石にかわいそうだから、住まいを作ってあげることにした。
打ち捨てられた木材をがんばって集め、小さな家を組み立てる。
一日がかりで作り上げたその家の中に、両腕をぴょこぴょこ動かしているラガディ・アンディ人形を入れてあげた。
その翌日も良い天気だった。
家の中を見てみると今度は脚を動かしている。
だけどまだ立ったり歩くことはできないみたいで、メディスンは入口のあたりで腰をかがめて、ラガディ・アンディ人形に背丈を合わせた。
「あなた、ラガディ・アンディっていうのよね。長いからアンディって呼ぶわ」
聞こえたのか、アンディ人形は腕をぶんぶん動かした。メディスンはアンディを取り出し、抱っこして鈴蘭畑を回ることにした。
「あんたも人間に捨てられたの?」
相変わらず腕をぱたぱたと動かすだけで、肯定なのか否定なのか、よくわからない。
「かわいそうにね。いつか人間たちに仕返ししてやろうね」
メディスンはアンディにそう言った。
妖怪化しているからか少しだけぬくもりを感じた。
翌日。
家の中を覗いてみたが空っぽだった。
後ろに気配を感じた。振り返るとアンディがふわふわと浮かんでいる。
「あら、あんた、空を飛べるようになったの」
アンディは右手を上げて合図をした。
メディスンはアンディのもとに飛んでいく。
「ねえ、行こうか」
アンディはそっとメディスンの手に、指のない自分の手を重ねた。
共に空を飛ぶ。
ひとしきり飛んだ後、二人は小屋の前に戻った。
「アンディさ、あんたって誰かに捨てられたんでしょう?」
アンディはこくりとうなずく。
「じゃあ、私と同じね。一緒にいましょうよ」
アンディは嬉しそうにぱたぱたと両腕を動かした。
小さな家に行くたびに、アンディは嬉しそうに両手両足を動かす。
メディスンが手を繋いであげると、アンディは腕を振り回す。
「ちょ、ちょっと、痛いわよ、アンディ」
元気一杯にメディスンの腕を振り回すアンディ。
だけど、メディスンはそんな姿をどこか嬉しく思ったのだった。
八意永琳に聞くところによると、ラガディ・アンディにはラガディ・アンという姉がいるらしい。
気になって聞いてみたところ、アンディは首を小さく縦に振った。
それが何を意味しているものなのか、メディスンにはよくわからなかった。
一つ、気になっていたことがあった。
アンディもメディスンと同じ様に鈴蘭の毒で妖怪化したものらしい。
だけどアンディのほうが毒をよく吸い込む材質でできているからなのか、日に日にその力が強くなっていくようにメディスンには思われた。
無論、メディスンも妖怪化して日は浅いのだが。
だけれども、自分と同じ様に鈴蘭畑にいるだけなのだから、別にいいだろうと考えることにした。
夏も中旬に差し掛かった頃。
いつものように一緒にふわふわ飛んでいるときに、メディスンはアンディに聞いてみた。
「あんたさ、やっぱりお姉ちゃんに会いたいの?」
アンディはこくりとうなずいた。
「でもさ、なんであんただけ、捨てられたの? 男の子はいらないって言われたの?」
しばしの沈黙の後、アンディは小さくうなずいた。
「私は嬉しいわよ。あんたが男の子で。だって弟ができたみたいなんだもの」
アンディはパタパタと腕を動かした。
それを見たメディスンはアンディの頭をなでてあげた。
アンディは表情を変えられないけど、その顔はどこか嬉しそうに見えた。
ある日の鈴蘭畑。ひどく暑い日。
泥に塗れた、アンディによく似た女の子の人形が捨てられていた
それを見つけたのはアンディだった。
立ち尽くすアンディはうなだれていた。
メディスンは声をかけることができなかった。
ラガディ・アン人形は腹や腕の部分がズタズタに裂かれ、綿が滅茶苦茶に飛び出ていた。
おそらくは元の持ち主が投げたり叩きつけたりと乱暴な扱いをしたのだろう。
これでは妖怪になることはないだろうな、とメディスンでもわかった。
次の日。
いつもの家にアンディはいなかった。
メディスンはどこか嫌な予感がしたけれど、無名の丘の外に出る気にはなれなかった。
一応丘を回ってみた。
だけれども、どこにもアンディはいなかった。
メディスンのもとに真剣な顔をした八意永琳が訪ねてきたのはその次の日だった。
「……あなた、一応聞くけど、人里で人間に危害を加えたりしてないわよね?」
「なんのことですか?」
「人里で子供が襲われたの。幸い大事には至らなかったけど、私の見立てでは鈴蘭の毒にやられたらしくて。
まさかあなたではないとは思うけど……あ、ちょっと!」
メディスンはあの家に向かう。
初めてアンディを見つけたあの日と同じ様に日差しは強い。
本当は心のどこかでわかっていたのかもしれない。
あいつが次にどんな行動へでるのかなんて。
だって、あいつはいつの日かの私だったから。
アンディは家の上にふわふわと浮かんでいた。
にぃっ、と口元を歪める。
「あら……アンディ、あんた、いつの間にかそんな表情も作れるようになったのね」
口元の歪みを保ったまま、こくり、こくりと頷いた。
「でもさ……私、見たくなかったわよ。あんたのそんな顔!」
メディスンはアンディに向かって黒い毒霧を放った。
無論、こんなものがアンディに効くとは思わない。ただの目眩ましだ。
滞留した霧の中からアンディが姿を表す。
案の定効いていないようだ。
ふらふらと飛び回るアンディの腹に、メディスンは蹴りを食らわせる。
やったか? と思ったが、アンディは両の手でメディスンの足をつかんでいた。
口角を悲しそうに下げて、アンディはメディスンの足をぎりぎりと締め上げる。
痛みに呻く。
いつの間に、こんなに力が強くなったのだろうか。
そうだ、あんた、男の子だものね。
思わずそんなことを考えてしまう。
体を近づけ、アンディを殴りつける。
怯んだ隙に足を抜く。
アンディは体勢を整え、今度は体からほつれている糸を自在に動かし、メディスンに叩きつける。
「っ!」
鞭の様にしなる糸は、メディスンをかすめるたびに、びゅん、という音を奏でる。
手数の多さではあちらのほうが残念ながら上、メディスンはそう判断する。
毒も効かないのなら。
メディスンはアンディの横に素早くつける。
そちらを向いたアンディは糸を下ろす。
「なによ、何もできないの?」
アンディはメディスンに思い切り体をぶつけてくる。
そして、怯んだメディスンの首を締め上げる。
ぎりぎりと、力を込めるアンディ。
息が苦しくなる。しかし、メディスンもまた、手の届く距離にいるアンディの首に素早く手をかける。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
アンディの力が一瞬弱まった。
メディスンはその一瞬を逃さず、アンディを下にしたまま地上へと急降下する。
アンディの体を強い衝撃が襲った。
無論メディスンもただでは済まない。
だが、人形としての強度と妖怪と化してからの年月、そして何よりも体格差が勝敗を分けた。
アンディはメディスンの首から手を離した。
あとはバタバタと腕を動かすだけ。
そのはずだった。
「……す……けて……」
か細い声が聞こえた。
メディスンは一瞬力を弱めそうになった。
「た……すけ……て……お……ねえ……ちゃ……」
あんた、今頃喋れるようになったんだ。
そして、メディスンは口を開く。
「……ごめん」
そう呟いた瞬間の、布と真綿をびりりと引きちぎったあの感覚を、メディスンは今でもはっきりと覚えている。
目が覚める。
柔らかい。布団の上だろうか。
「あら、目が覚めたの」
「八意さん?」
「…………」
「……アンディは、どうなったんですか?」
「ただの人形に戻っていたわ。裂けていた部分、私が補修しておいたから。アンの方も」
「そうですか……ありがとうございます」
「どうして? 人間を憎んでいた貴方が?」
「だから、アンディにはあれ以上行ってほしくなかった。アンディは私なんかよりももっと力が強くなって、今度はきっと誰かの命を奪うから……」
「そう……」
「ねえ、八意さん」
「どうしたの?」
「アンとアンディ、もらっていいですか?」
「まあいいけど……」
草木は風になびいていた。
夏ももうすぐ終わるのだろうか。
メディスンはどこからか吹いてくる涼しい風を感じながらそう思った。
あの家を訪れる。
もう動くことのない姉弟の人形が肩を並べている。
良かった。あんた、やっとお姉ちゃんと一緒になれたんだね。
そう呟く。
来年も夏は訪れる。
だけどこの夏とは違う。
そうだ。いつだって、その夏は一度きりなんだ。
私が気付いていなかっただけだったんだ。
メディスンは一人そんなことを思い、小さな家を後にした。
寿命ネタとか含めてこのてのなんだか悲しくなっちゃうような物語は
(あくまで個人的な好みとして)読んでてしんどくなるので正直苦手なのですが、
この手の作品でそれこそしんどくならない、毒にも薬にもならない作品ではいけないと思いますし、
この作品はこの長さでちゃんと心に響いたので、
すごくいいものなんだと思います。
お姉ちゃんと一緒になれた、の一文にひやりとしました。
肉弾戦のバトルが生々しくてよかったです
愛されるために生まれてきた人形がこうなってしまうというのが悲しかったです
自身も成長途中のメディスンが身体を張ってアンディを止めるシーンが
とてもよかったです。