Coolier - 新生・東方創想話

とある本好きの珍客

2022/12/12 17:46:21
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「あれっ」
 父親が持ち帰ってきた貸本を検分している最中に、小鈴は素っ頓狂な驚きの声を上げた。
 とある長屋の住民に貸し出していた本が三冊。続き物の上・中・下巻をそれぞれ貸し出していたはずなのだが、中巻だけタイトルがよく似た別の本だったのだ。
 裏表紙に鈴奈庵の印が押されていたから、返却時に間違えてその家の蔵書を混ぜてしまった、という可能性はほぼゼロ。貸出しのときに中巻だけ別のものと取り違えてしまったらしい。
「あちゃー」
 貸出しのときに気が付かなかったのは客の側も同じだから、一概にこちらの過失のみとは言い難い。それでも店の信用に関わる案件なのは間違いないし、そもそも一人の人間として気分の良いものではない。次回貸出しの際に、何らかの形で詫びを入れた方が良さそう。小鈴はその日の晩の食卓でミスがあったことを話した。
「あれっ、そうだったのか?」
 父親の反応は純粋な驚きであった。曰く、本の返却で件の長屋を訪問した際に貸出人、正確には貸出人の夫人と会話を交わしたが、咎められるどころか、間違いがあったことすら認識していないようだった。父親自身も小鈴の話を聞いて始めてミスがあったということに気がついたそうなのだ。
 結局互いに返却まで気がつかなかったのだから、この件自体には触れないようにして、家族一同再発防止に努めようという結論で、その場はお流れとなった。
 しかし、小鈴の疑問は深まるばかりだった。どうして長屋の人は間違いに気がつかなかったのか。少女探偵小鈴のささやかな謎解きが始まった。


***


 その日小鈴は布団に寝転がりながら、件の三冊を、中巻は間違えた本の方にして、上巻の最後→中巻の冒頭→中巻の最後→下巻の冒頭という順で流し読みしてみた。万一奇跡的に話が綺麗に繋がるのなら、気がつかなかったのも納得、本にはこういう珍しいこともあるんだ、でこの話はおしまいである。
 しかし結局どんなに好意的に捉えようとしてもおかしな繋がりにしかならない。そりゃそうだ。件の本は確かにタイトルだけは正しい本と酷似しているが、逆にタイトル以外は似ているところが皆無と断言しても良いほどの、全く別ジャンルの本なのだ。
 小鈴は本を遠ざけて行灯の火を消した。今日は「普通に本を読んでいたら、間違いに気がつかないとおかしい」ということだけ分かった。推理の続きは寝てから。
 翌朝。たまたま件の人が次に予約していた貸本を届ける日で、小鈴は持っていく本の検分を行っていた。検分といっても、表紙の題名確認と、そこから数ページめくって外側と内側とで齟齬が起こっていないか確認するだけ。返却後の検分を入念に行う分、貸出前の検分は本来非常に簡素なものである。
 だが小鈴はうち一冊のページをパラパラとめくっていた。昨日の事件の反省から入念に調べておこうという訳では無い。この本に、一つ仕掛けを施そうとしているのだ。
 途中のページで止めて、その前後を一応見る。そして小鈴は、備品の中でも大きいサイズの栞を一枚、そのページに挟んだ。このページは内容という点でも本全体の長さに対する割合という点でも非常に半端な位置にある。途中でここに栞を挟みたくなる可能性は低く、むしろ本を読むのに邪魔になってこの栞は外されて、別のページに挿入されるだろう。仮に本を読んでいるならば。
 当然低い可能性の方で長屋の人がここに栞を置く可能性もあるし、その人が几帳面な性格ならば、一度外した栞を元の場所に戻そうとするかもしれない。つまり栞が動いていなかったとして本が読まれなかった証明にはならない。
 ただ、別のページに移動していれば、本が読まれた証明にはなるのである。小鈴は長屋の人が本を読んでいないという罪を告発したいのではなく、ちゃんと本を読んでくれているという安堵を得たいのだ。
 二週間後。本が返ってきたので検分時に栞の位置を確認する。どのページに挟んだのか、番号のメモは控えていたが、それを確認する必要も無かった。栞は裏表紙の直前に移動している。長屋の人は、ちゃんと本を読んでくれていた。そのことに貸本屋の娘として安堵し、少しでも疑心を抱いてしまったことを心の中で詫びた。
 しかしこれで推理の可能性が一個潰れてしまった。本は読んでいて、それでいてあれほどの間違いに気がつかない。そんなことがあるのだろうか?


***


 次に長屋の人の貸本予約は、小鈴が配達することになった。
 そういえば、この人は結構な常連さんなのだが、店にくることが一切なく、貸出しも返却も配達で済ませている。おかげで、それぞれで応対する奥さんの顔ははっきりと思い浮かぶのだが、肝心の本人の顔がおぼろげにしか想起することができない。貸出しの仕事が終わったら、長屋の様子を覗き見してみるか。
 そんなことを考えて、その長屋が配達順の最後になるように道順も調整したのだが、長屋の門前まで来て計画に穴があることに気がついてしまった。件の夫婦が住んでいる部屋は通りから外れた奥まった場所に位置していて、外からの覗き見が困難なのである。
 そういうわけで貸出しを終えてから戸口から少し離れたところでどうしたものかと思案していたら、その逡巡の様子が井戸端会議をしていた長屋の婦人集団に見つかってしまった。
「あら小鈴ちゃん。そんなに難しい顔をしてどうしたの?」
 いくらなんでも「実はあの家をこっそり覗こうとしていまして……」などと言うわけにはいかない。
「あっ……。えっと……。じ、実はですね、貸本の常連さんに感謝の印として栞を配るという企画を考えていまして。で、ここの部屋のご主人さんも常連さんなんですが、どういうデザインにすれば良いかなと……」
 口からでまかせでありもしない企画を言ってしまった。しかも御婦人方の反応も「あら、それは良いわねえ」「私も鈴奈庵で本を借りてみようかしら」とえらく好意的で、でまかせが現実になりそうな勢いである。お父さんに怒られるー。
 ただ、見方を変えればこれは好機でもある。これを口実に、あの長屋の人の人となりが知れるかもしれないし、もっと上手く行けば直接会えるよう取り次いでもらえるかも。
 そう思っていたのだが、婦人達の様子がおかしい。話題が鈴奈庵やお茶の間のうちはぺちゃくちゃと喋るのだが、そこから長屋の人に話題を持っていこうとすると、やんわりと躱されるか、ご自慢の声量と会話速度が極端に下がるかするかして情報を引き出すことができない。半刻程会話に混ざって得ることができた情報は、理由は不明だが長屋の御婦人方は件の人の話題を口にすることをタブー視しているということだけだった。
 もしかしてその長屋の人は性格が悪いか何かで嫌われているのだろうか。でもそれなら悪い噂が広まって私の耳にも入っているはずだ。人里の狭さで噂を知らずに過ごすのは至難の業。むしろあの御婦人方の様子は、長屋の人のことを徹底的に隠匿しようとしているかのようだった。


***


 何とかして内情を探れないものか。一番ストレートなのは「合わせて下さい」と長屋の奥さんに強引に頼むことだが、そこまで図々しくはなれない。かといって、この件に触れないことを選べるほど、小鈴は良い子ではなかった。街路樹にもたれかかりながらアイデアを思いつこうと、小鈴は唸った。
「そうだ!」
 一つの案が思いつき、小鈴はもたれかかっていた街路樹から離れて、その木を見上げた。
 この木は、子供達の遊び場になっていた。人里の外での遊びはそれなりに危険があるので、特に小さいうちは、こうした人里の壁の内側の物を使って遊ぶのである。体力や判断力といった、門の外側で生き延びる力を身につけて、子供の世界は人里の中から外に向けて拡大していく。
 小鈴はとうの昔に人里の内側に限定された世界からは卒業していた。寺子屋時代には大きかったこの木も、今になって見ると随分小さくなってしまった。しかし、思い出の木よりは小さくとも、登って長屋を空から観察するには十分である。幸い寺子屋の授業の時間なら、子供がやって来ることもない。
 小鈴は一度家に帰って運動用の服に着替えて、木へと向かった。
 枝に腕を、幹に足を掛けて、上へ上へと進む。文学少女と侮るなかれ。これでも現役時代は木登りマスターとして名を馳せたのである。ま、その知名度が寺子屋の外にまで至ることは無かったけれど。
 まだ落葉には季節が早く、木の葉にまみれつつ、枝葉の隙間から長屋を覗くしかない。それでもさっきは見えなかった長屋の死角まで見えるのだから、高所から偵察する作戦は大成功と言って良いだろう。
 件の部屋は、中庭に面した襖は閉められ、縁側を奥さんが掃除しているところだった。中庭は部屋から見て南向き。採光を考えれば開けておいた方が良いのではなかろうか。実際見える範囲では南向きの襖の多くは開いており、ここだけ例外といった感じだ。
 長屋コミュニティ全体がそうだったように、夫婦自身も、自分達、とりわけ主人のことを隠しておきたいのだろうか? でも奥さんの様子を見る限り、後ろめたさや悲壮感があるわけではなさそう。本の手続きのときも、今掃除しているときも普通だ。確証は持てないが、積極的に何かを隠したいから襖を閉めているというより、襖を開ける必要性を感じていないから閉めたままにしているように見える。
 奥さんが小鈴に顔を向けて手を振った。やはりこの夫婦にやましいことなど何一つとして無いのだろう。小鈴も手を振り返した。
 ん? 小鈴は木の下の方を見回して、作戦の欠陥に気がついた。
 小さな子供がここで木登りをしていても、人里住民は特に気にも留めない。それはあくまで日常風景の一部だからである。しかし、普通に人里の外で遊ぶことが許される、子供というより少年少女と呼ぶ方が適切なくらいの年長の子がわざわざここの木に登るというのは大層奇妙に映る。つまり、小鈴はこっそりと木に登り偵察するつもりが、非常に目立つ注目の的になってしまっていたのだ。そもそも対象たる長屋夫妻の片方に見つかってしまったのだから、ここいらが引き時だろう。
 観客を集めておいて普通に降りるのも芸がないな、と、小鈴は曲芸をしながら高度を下げていった。木登りを極めし寺子屋時代に編み出した軽業術。あれから大きくなって不可避的に体重が増えてしまっていることだけが懸念材料だったが、木は枝を折ることなく小鈴を受け止め続けている。乙女心の分かる良い木だ。最後は幹を両足で蹴って、後方に空中一回転して着地。観客の拍手を浴びながら、満足げに帰った。
 ただ結局、長屋の事情は不透明なままだった。後ろめたいことは無さそうだが、小鈴の好奇心をもってしても無理に首を突っ込むのは野暮ではないか、という微妙な空気を漂わせているのだ。次の返却時に、向こうの気分を害さない範囲でそれとなく事情を聞く、というのが一番穏当だろうか。


***


 その返却日がやってきたので小鈴は長屋に向かった。ところが夫婦は留守であった。今までこの長屋の人が返却日を破ったことなどないのに。
 小鈴は鍵がかかった扉の隙間から中の様子が見えないかと屈んで顔を近づけた。その様子を不審に思った通りがかりの婦人が小鈴に声をかけた。
「あら小鈴ちゃん。その部屋の夫婦は不在よ。竹林のお医者様の所に行っているから」
「そうなんですか? どこか悪く……」
 そこまで口にしてから小鈴は、もしかして井戸端会議であの長屋の人の話がタブーだったのは、と気がついて、無神経に口走ったことを後悔したが時すでに遅し。
「小鈴ちゃんには詳しく話しておいた方が良いわよねえ……」
 婦人は観念したかのような顔で、小鈴に事の真相を話し始めた。
「ここの部屋のご主人、目の病気を患っているのよ。本人は全く問題無いかのように振る舞うのだけれど、明らかに視力が落ちていってるからその様子が余りにもいたたまれないし。それに、目が悪くなるにつれて他の感覚が研ぎ澄まされていってね。例えば地獄耳。正直どこで話を聞かれたものか分かったもんじゃないから気味悪くてね」
 それで誰もあの人のことを話題にしたがらなかったのか。
「で、とうとう今朝玄関近くの段差で転んで頭をぶつけたらしくて。頭の怪我を診てもらうのもそうだけど、目の方ももう殆ど見えないんじゃないかって急遽病院に」
 婦人は憐れみの目を小鈴に向けた。その同情は長屋の主人よりもむしろ小鈴の側に向けられているようだった。
「奥さんに伝言頼まれていたのよ。今日は貸本の返却日だから鈴奈庵の方が来るだろうし、通院しているって話しておいてって。ご主人には読書趣味があったのね。目が悪くなって失明する前に色々読んでおこうってことだったのかしら。でももう……」
 小鈴は可哀想な、寂しい気持ちになった。話しぶりだと長屋の人達はここの主人の失明がごく最近のことだと思っているようだが、恐らくもっと前に殆ど盲になってしまっていたのだろう。だから中巻の取り違えが起きたときもそれに気がつかなかった。彼は読書はしていたが、本を読めてはいなかったのだ。
 目が見えないにも関わらず読書を続けていたのはどうしてなのだろうか。目が見えていないことを悟られまいとする意地なのか。それならもう取り繕う意味がなくなったので、読書趣味をやめてしまうかもしれない。しかし、そうではなく、純粋に読書を楽しんでいるのだとすれば……。


***


 遠くから小さな鈴の音が聞こえてきた。今日の貸本配達は娘さんの方らしい。
 玄関の扉が開く音。それに続いて妻の声と、溌剌とした鈴奈庵の娘さんの声が聞こえる。
 鈴奈庵の娘さんの気配が遠ざかると、妻が部屋に入ってきて、本を書見台の上に載せてくれた。今回借りたのは外国の田舎の一軒家を舞台とする小説だったか。脳裏に、想像の一軒家とその前に広がる草原を思い浮かべた。
 ページをめくり、紙の匂いを嗅ぐ。自らの視覚の未来がそう長くはない、ということを悟ったときにはたいそう絶望した。妻に代わりに朗読してもらおうかとも思ったものだが、中々どうして、視覚以外の感覚のみを用いる読書体験というのも悪くない。
 だが今日の匂いはいつもとは違った。紙の匂いに混ざって、花の匂いがするのである。
 匂いの元を手に取った。一枚の栞らしき長方形の紙である。目には見えないが、押し花で装飾がなされているのだろう。季節と匂いから判断するに、コスモスだろうか。そう言えば、妻が本を置くときに、「今回の栞は常連さんへの感謝の印だから貰って良いって」と言っていた。粋なことをするではないか。
 一旦栞は脇に置いておいた。その匂いの影響か、気づけば想像上の家を囲む草原に花が咲き乱れていた。私は畳敷きの花畑に座り、ページを一枚一枚めくっていった。
その後幻想郷でも点字が発明されることになるのだが、それはまた別のお話

余談ですが、十四作品目にして初の人外が出てこない作品だったりします
東ノ目
https://twitter.com/Shino_eyes
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コメント



0.150簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.100福哭傀のクロ削除
綺麗なお話しだったのとそれ以上にすごく読みやすかったです。
ついに作者さんの頭脳レベルに私の読者レベルがおいつけたのか
なんてことはないのできっとこちらに歩み寄ってくれたのかと。
起点がすごく端的にわかりやすくまとめられていて
それに対する小鈴の読まれてないことへの告発ではなく読んだことへの安堵のための行動というのがキャラクターの心情的にもそれに伴う行動的にも納得がいき、
それでも好奇心を抑えられずに実地調査に乗り出し、その結論を持ってくる。
途中で理由には気づいたので読み聞かせのオチかと思ったのですが、
たしかにそれなら妻に頼めばいいですし、栞の伏線が回収されえいて見事に予測を超えられました。
とてもいい意味でお手本のような作品でした。お見事。
3.100あけのアル削除
最後の段でふっと心が軽くなるのを感じました。
良い作品でした。
4.100ローファル削除
最後の栞の伏線が回収されたところでとてもほっこりしました、面白かったです。
5.100きぬたあげまき削除
とても良い作品でした…
好奇心の背後にあるものが善意や悪意ではなく、本への愛だからこそ、謎解きの部分も小鈴を応援する感覚で読み進められましたし、読み終えたときは、この2人は本への愛で繋がっていたのかもしれない、と温かい気持ちになれました。
6.100ケスタ削除
とても綺麗な話でした。栞でお客さんの動向を図ったと思えば結局木登りまでして見に行ってしまう小鈴が可愛らしかったです。この子はどうにも落ち着いてくれませんね。本好きおてんば娘らしさ全開で楽しかったです
7.100名前が無い程度の能力削除
妖怪の絡まず、されど幻想郷みを感じられる、素敵な作品でした。
8.100めそふ削除
綺麗な話でした。ちょっとした謎を見つけ、それを解決する為にとことんやろうとする小鈴がおてんばで可愛らしいと感じました。同時にその謎が少し悲しげな事実であった時、それに同情をするというよりも、相手の事情をちゃんと考えてあげる思慮深さがあるのは彼女の人柄の良さが表れていると思います。読書体験において、文字を読むだけではなく紙の触感や匂いを楽しむというのは聞きますが、それだけしか許されなくなった時、割り切ってしまえた長屋の男の感性もとても素敵なものだったなと感じました。
9.100のくた削除
綺麗なお話でした。栞のラストがとても良いです
10.90竹者削除
よかったです
11.100名前が無い程度の能力削除
めちゃくちゃ面白かったです。謎にガンガン首突っ込んでいく小鈴が魅力的でした。栞の情緒が、目が見えなくとも感じ取れるラストシーンが美しかったです。
12.90夏後冬前削除
これ小説で欲しい要素が全部詰まっててめちゃくちゃ好きでした。常連さんの本の楽しみ方がもうひとひねりあったらもっと良かったと思いました。でも好きです。
13.100已己巳己削除
凄く良いお話でした。
本の読み方、楽しみ方でこうも綺麗に話を纏め上げられているのは見事だと思います。
とても面白かったです。
16.90名前が無い程度の能力削除
よかったです
17.100南条削除
とても面白かったです
小鈴の好奇心とアクティブなところが素晴らしかったです