Coolier - 新生・東方創想話

蓬莱の薬(非売品)

2022/11/26 18:48:57
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「ふー。ようやく梅雨が明けたのは良いんだが、こうも蒸し暑いと、ここにたどり着くのも一苦労だな……」
 初夏のある日、いつも通りに香霖堂を冷やかしに来た魔理沙は、いつもと違う物品が目に留まり、絶句した。
 そもそもこの店の中にある物品は顧客への配慮もなく乱雑に配置されるので、特定の物品が目に留まるということ自体が稀なことである。ましてただの茶色の壺など、普通は背景としてすら記憶されない存在だ。
 ではなぜそれが目に留まったのかといえば、それにだけ張り紙がなされていたからで、なぜ絶句までするのかといえば、その張り紙の文字列が問題なのである。


「蓬莱の薬(非売品)」


「なあ香霖、これって……」
「それは非売品だ。売らないよ」
「そうじゃなくて、この薬は何なんだよ」
「ああ、君は蓬莱の薬を知らないのか。僕の能力で分析したところによると、これは飲むと不老不死を得られるとされる薬で……」
「蓬莱の薬は知ってる。知ってるからこそ、何でそんなものがここにあるんだよってことだ」
「普通に無縁塚に落ちていたよ。能力が面白そうなので非売品扱いにして置いているが」
 魔理沙は頭を抱えた。なんでそんな大層な代物が無縁塚に落ちているんだ。月の頭脳は禁忌を作るだけでは飽き足らず、それをポイ捨てまでしたというのか?
 いや待てよ。無縁塚とは外の世界の物が流れ着く場所でもある。この蓬莱の薬は外の世界産なのかもしれない。外の世界では既に不老不死技術が完成している……? そうだとしたら、変質したであろう外の世界の人間の精神性が幻想郷に及ぼす影響は計り知れないのでは……?
 魔理沙は激しい悪寒に襲われて叫びそうになったが、ぐっとこらえて目下一番の懸念を香霖に尋ねた。
「ま、まさかこれを飲んだりなんてしていないよな?」
「飲むわけないじゃないか。これは薬としてあるから面白いのであって、自分が不老不死になるなんて何一つ面白くない」
 香霖がいつも通りのつまらない顔で、いつも通りのつまらない答えを返すのを聞いて、魔理沙は幾分安堵した。
 それでも蓬莱の薬が目の前にあるというのはあまり気持ちがよいものではない。人類社会への懸念もそうだが、魔理沙自身の信念の問題もある。必死に研究した成果として不老不死を得るのならまだしも、目の前に転がった反則当然の抜け道を使うのは何か違う。違うのだが、「使っても良いのよ?」という誘惑をこの壺は放っているのだ。ここにいてはいけない。
「そうか、そうか……。それなら良かった。じゃ、今日のところはこれで失礼するぜ。どうせ売らないんだったら目立たない所に置いておけよな」
 魔理沙はそそくさと帰ってしまった。今日彼女が香霖堂でしたことは、蓬莱の薬に驚いてそのことを霖之助に聞いたくらいである。時間にして十分足らず。何しに来たんだ。
 それに、帰り際の忠告も霖之助にとっては釈然としないものだった。不老不死を得られると「されている」という、にわかには信じがたい効果が絶妙に断言を避けた表現でなされているというのが、霖之助自身の能力で得ることができた使用用途。もし幻想郷に蓬莱の薬について詳しい人がいれば話を聞きたいと思い、あえて分かりやすい場所に張り紙付きで置いて見せびらかしているのである。なので、魔理沙の忠告は無視してそのままの場所に置いておくことにした。


***


 数日経って、博麗神社で宴会が開かれた。そこには当然魔理沙も参加していた。このときまでには蓬莱の薬の件を彼女は半ば忘れていたのだが、酒の魔力というものは恐ろしいものである。酩酊でかき回された記憶のスープから、あの香霖堂での出来事が上澄みのように染み出してきた。
「そういやさー、この前香霖堂に行ったらさ、香霖が蓬莱の薬を持ってたんだよ。全く、何考えてあんなもん拾ったんだか」
 酔って出てきた記憶を酔った勢いでそのまま口走ったものだからさあ大変。大半の参加者にはただの酔っぱらいの愚痴として聞き流されたものの、『蓬莱の薬』という単語を知る人妖にとっては、博麗神社の時が一瞬止まったかのようにすら感じられた。
 想像に難くないことだが、一番の動揺を見せたのは蓬莱の人の形こと、藤原妹紅であった。
「お、おい、それは本当なんだろうな!?」
 妹紅は二つ隣の集団からすっ飛んで来て、魔理沙の胸ぐらを掴み激く揺らす。魔理沙は肯定の返事を返そうにも、酒と揺れによる吐き気をこらえるのに精一杯で分かるようなリアクションをとることができない。手で妹紅の肩を押し、それで妹紅が一瞬正気に戻った隙をついて、「ああ、そうだ……」とだけ辛うじて返した。
「まさかとは思うが、あの店主、薬を飲んでなどいないだろうな!?」
 狂気に再び堕ちた妹紅は一層魔理沙を激しく振る。魔理沙はがっくりとうなだれた。
「畜生」
 妹紅は魔理沙から手を離した。倒れた魔理沙は一分だけ残った意識で、「もこう」というダイイングメッセージを地面に書こうと石畳を無意味に引っ掻いていたが、犯人はそれを完全に無視して宴会の主催者である霊夢の所に走った。
「すまない。急用を思い出した。幾分早いがお先に失礼させてもらう」
 霊夢も蓬莱の薬のことは知っているから何となく事情は分かる。直感的に妹紅の狼狽は取り越し苦労であるとは気がついているが、それを告げることも無意味であろうということにもまた、直感が働いていた。
「ああそう」
 何より変に首を突っ込んで面倒事に巻き込まれたく無かったので、素っ気ない返事を返して妹紅が慌てて去るのに任せた。


***


 妹紅は香霖堂のドアを叩いたが反応が無い。強行突破もやむを得ないと数歩下がって足に気を込めたところでふっと酔いが冷めた。
 何を私は阿呆なことをしようとしていたのだ。深夜なのだから、そりゃ店主も寝ているだろう。今日の昼までに薬を飲んでしまっているのならどの道手遅れだし、そうでないのなら明日開店後を狙えば十分だ。
 妹紅は酒と自分の蛮行への恥とで顔を赤らめながら家路についた。コノハズクが自分を嘲笑するように鳴いている。ああ、耳と頭が痛い。
 なお霖之助は妹紅が扉を叩く音で一瞬目を覚ましたものの、大方猪でも体当たりしているのだろうと気にもとめなかった。色々無用心である。暴れ猪が扉を蹴破る可能性も、猪ではなく強盗という可能性も考慮せず、運が良ければ魔理沙が仕留めて猪肉を持ってきてくれるかもしれないなと楽観しながら、再びまどろみの中に堕ちていった。
 閑話休題。家に戻った妹紅だが、やはり蓬莱の薬のことは気になるので、今度は永遠亭に行った。
 今はシラフなので、紳士的に静かに扉を叩く。予想はしていたが反応はない。この家の住民は大体が昼型なのだ。
 妹紅は非紳士的手段をとることにした。塀を飛び越えて、最近開拓した隠し通路をなぞる。通路の先の部屋から縁側に出ると、この家では数少ない夜型が腰掛けていた。
「あら妹紅。久しぶりね。みんな寝てるから、対戦するのなら竹林でね」
「いや今日は殺し合いに来たんじゃない。聞きたいことがあるんだ」
 夜型の月の姫、輝夜は妹紅を少し心配そうに見つめた。妹紅の目はいつにもまして余裕がない。
「香霖堂に蓬莱の薬が入荷したらしいんだ。何か知っているか?」
「香霖堂……? ああ、森の道具屋ね。知らないわ。噂話の類がここまで来るのはどうにも遅くてねえ」
「永琳が隠しているという可能性は?」
「確かに永琳なら私に悟られずに薬を手配するのも可能だろうけれど、万に一つより低い可能性ね。あれくらい聡い人ならば無用なリスクは避けるものよ」
「それじゃあ、永琳以外に作れる人はいるか?」
「さあ? 月には他にもいるかもしれないけど、私は薬師ではないから、その辺の事情は詳しくはないわよ」
 輝夜は妹紅の慌てようが見ていて面白くなってきた。だから彼女が矢継ぎ早に質問を浴びせかけようとしてくるのに先んじて、少しからかってやることにした。
「落語の『附子(
ぶす
)
』って知ってる?」
「はあ? 確か、とある商人が貴重品の砂糖の入った壺を手に入れる。で、その壺を置いて出かけなきゃいけなくなったから、留守番を任せる使用人二人に、壺の中身は『附子』だから絶対口にするな、と告げる」
「そうそう。『附子』はトリカブトの毒のことね。でもこの使用人達は不真面目だったから壺の中身を口にして、それが砂糖であると気がついて全部食べてしまう。食べ尽くした後に言いつけを破ったことへの言い訳をしなきゃいけないってなって……」
「で、主人が大切にしていた掛け軸と茶碗を壊して、『死んで詫びようと附子を口にし続けているけれど、どれだけ食べても死ぬことができないのです』と言い訳した」
「香霖堂の蓬莱の薬もきっと附子なのよ。多分中身は舶来物の水飴か何かね」
 落語『附子』の流れからそれらしく入ったので妹紅は危うく納得しかけたが、どう考えても腑に落ちないことがある。そうならば、それこそ「附子」とでも偽れば良いのだ。「蓬莱の薬」と偽ることができるのは、蓬莱の薬という単語を知っている者のみである。
「それだとあの店主が蓬莱の薬を知っていたことの説明にはならないだろう」
「店主じゃなくて、元の持ち主が知っていれば一応辻褄は合うんじゃない? それか、薬は本物で、平行世界の永琳が捨てたとか」
 お人好しの妹紅も、流石にここまで来ると輝夜が自分をからかうことが目的だと気がついた。
「ああそうかい。役に立つのか立たないのか微妙な意見をどうもありがとう」
 妹紅は少し皮肉を込めた感謝のセリフを吐いて縁側から退出した。輝夜が自分をからかっていた下りは実際役に立たないだろうが、どうも永遠亭はこの件には関与してはなさそうということが分かっただけでも収穫だった。
 つまりは分からないことが分かったというのが現状である。そのもやもやから、折角家に帰って眠ろうとした妹紅も、その日は一睡もできなかった。


***


 妹紅は香霖堂の扉を開けた。中から挨拶の一つも聞こえてこないので、店主が留守にしているのかと一瞬思ったが、店主は普通に中にいた。聞きしに勝る無愛想さである。
 店主の机に手が届くか、という所まで近づくと、ようやく店主は本から目線を外した。
「やあ魔理沙、猪肉は捕れたかい……。ん? ああ、お客さんか。いらっしゃい」
「ああどうも。ただ私は客として来たというよりはな……。ここに、蓬莱の薬が入荷したと聞いたんだが」
「売ることはできないよ。これが薬だから、閲覧ならご自由に」
 薬は結構目立つ場所に張り紙付きで置かれていた。店主に言われるまで気がつかないとは、無意識に目を背けていたのだろうか。
 妹紅は店主の許可をとって壺の蓋を開けた。中には透明で粘性のある液体が入っていて、甘美な匂いを漂わせている。なるほど、昨日輝夜が言っていたように、蓬莱の薬の壺の中身は高級水飴なのかもしれない。
 だがその特徴をもってこれが偽物と鑑定することはできない。あの忌々しい薬もまた、その見た目と匂いは水飴なのだ。薬学の、それも月の都に伝わる薬の知識があれば水飴と蓬莱の薬との細かな違いを見分けることができるのだろうが、素人にできる判別は、それを舐めることだけだ。
 この壺の中身を食した可能性がある奴は……目の前にいる。
「なあ店主よ。お前はこれを舐めてみたか?」
「魔理沙といい君といい、どうして僕が薬を服用したと考えるんだい。好き好んで不老不死を得ようだなんて、僕はそんな愚かじゃないよ」
 店主は呆れ顔で首を横に振った。そうかい、蓬莱の薬を飲むのは愚か者のすることかい。ああ、確かにそうだな。妹紅は表情筋が極端に硬直するのを感じながら、「ハハハ……」と乾いた笑いを返した。
 とはいえ、「何も知らない香霖堂店主が不老不死に惹かれて拾った薬を飲んでしまい、『蓬莱の薬服用被害者の会』に仲間入りする」という最悪の事態は避けられているのは、被害者の会第一会員としては僥倖だった。魔理沙が薬のことを話していたとき、その口調がやけに軽かったのも、店主が蓬莱人と化すことはないと気がついていたからか。
 他人の心配をしなくてよくなった妹紅は、自分のことを考えていた。目の前にあるのは、四個目の蓬莱の薬。富士の山に岩笠が運んだ――そして私が彼から奪って口にした――薬は三個。


蓬莱の薬、人間は決して口にしては
ならぬ禁忌の薬。

一度手をだしゃ、大人になれぬ。
二度手をだしゃ、病苦も忘れる。

三度手をだしゃ……、

(東方永夜抄、禁呪の詠唱組、StageEX)


 四度手をだしたら、どうなるのだろうか?
 昔、鈴仙が自作の薬を披露してくれたことがある。「国士無双の薬」というその薬は肉体強化の薬だったが、四度目の服用で自爆するようになっていた。どうしてそんな副作用があるのか。彼女は独特の感性(中二病)で「得すぎた力というのは暴走するものなのよ」と笑っていたが、「三つの願い」という逸話が数多あるように、三回まで正の方向性で、四回目で負の方向に逆転する、というのは確かにある種の美しさがある。
 蓬莱の薬の制作者の永琳は鈴仙の師匠でもある。同じような洒落を仕込み、幻の四回目で効果反転するようになっているのだとしたら? これを飲んで、死ぬことが……。
 妹紅は店主の顔を見て、ふっと殺意が湧いてきた。こいつが薬を売らないせいで、私は目の前の薬を飲むことができない。岩笠のときと違って、今の私にならば不意打ちでなくてもこいつを亡き者にする手段などいくらでも……。
 具体的な殺害手段を考えているうちに我に返った。それこそまるっきり岩笠のときと同じではないか。確かにあのとき一度のみならず三度薬を食べたのは、輝夜の善意を無駄にして復讐してやろうという思いからでもあった。しかし同時に、一度目でことの重大さに気がついて、そこから抜け出そうと効能の変化を求めて二度目と三度目を試みたという思いも正直あったのだ。その結果どうなった? 四度目だってきっと同じ結末だ。四回目で自爆させるあの感性は結局鈴仙特有のものだ。永琳がそんな仕込みを仕掛けているなど、根拠のない与太話でしかない。
 頭を冷やさなければ。蓬莱の薬がある場所にいては駄目だ。外に出よう。
「すまなかったな」
 妹紅は殺意を向けたことを店主に詫びて、店を後にした。
 当の霖之助本人はきょとんとしていた。彼は妹紅の殺意に気がついていてはいなかった。確かにぶっきらぼうな娘だが、ここの「常連」を思えばだいぶ真っ当な客だった。謝るような要素など微塵もないと思うが。
 それにしても、彼女は蓬莱の薬について何か知っているようだったが、結局そそくさと帰ってしまった。昨日の魔理沙といい、この薬には人を帰らせる魔力があるのだろうか。一人の時間を守るための人避けとして使えるかもしれない。「蓬莱の薬(非売品)、置いています」とでも店先に掲げて、大々的に宣伝してみるか。


***


 魔法の森を氷精が飛んでいた。この妖精、チルノは仕事帰りだった。彼女の仕事は沢や池の蛙を凍らせること。労働の対価は蛙入りの氷である。梅雨明けは繁忙期。チルノは今日も我ながら良い仕事をしたなあと、ポケットに十匹近い数の蛙を入れながら上機嫌に漂っていた。
 チルノの眼下で、白い服と赤いもんぺを着た少女が歩いていた。能天気に上機嫌な自分とは真逆で、この赤もんぺは気難しい顔でテンションが低い。こういう顔の人には無性にいたずらがしたくなる。可哀想だからなのではない。思い詰めている人間というのは大概隙が大きいから、いたずらし易いのだ。
「真後ろががら空きだぜ」
 チルノはそう呟いて、この人の首の後ろから氷塊を入れた。冷たさにビクッとなる反応を期待していたのだが、彼女は無気力な顔のまま、前に回り込んだチルノに一言だけ声をかけた。
「ああなんだ、氷精か」
 最強の妖精に対してなんと無礼な。チルノは少しカチンと来たが、改めて近くでその顔を見ると、何処かで見覚えがある。
「お前、昨日の宴会に来ていなかったか?」
「来てたね。訳があって早めに帰ったが」
「ふーん。それでその浮かない顔、さては二日酔いだな?」
「違うよ」
 チルノにしては中々良い推理だったのだが、彼女、妹紅が落ち込んでいる理由はそうではない。
「じゃあ何でそんなに暗いのさ。こんなに天気も良いのに」
 妹紅は、妖精にしては微妙に面倒くさいやつだなこいつ、と思った。妖精を撃退するのには小難しい話をするに限る。そして自分の悩みの原因は、まさに小難しい話なのだ。
「なあお前、蓬莱の薬って知ってるか?」
「ほうらいのくすり? 何それ」
「飲むと不老不死が得られる薬だ。ま、妖精のお前には関係のない効能だな」
 ふろうふし。不老不死。不死。死ぬことがなくなる。何だそれ、凄すぎる。
 チルノにとって死とは、底なしの大穴にも等しい恐怖であった。確かに妖精である彼女は死んでも復活する。だが、花の異変のときに閻魔様に説教されてからというもの、妖精でなくなったら二度と復活できなくなるかもしれないという思いが、説教の内容を忘却してからも意識の奥底に残り続けている。
 そんな悩みも、ほうらいのくすりを飲めばおさらばだ。夢のような話だ。そう、まさに夢。信じられない。
「不老不死だなんて、そんな都合のよいこと、あるわけないじゃないか」
「妖精のお前がそれを言うのか……。ところがこれは現実の話だ。薬も香霖堂に入荷しているよ」
「それでなんでお前が落ち込むんだ? ははーん、さては薬が高すぎて買えなかったな?」
「買うも何も、薬は非売品だよ」
 妹紅は弱っていた。不老不死なんて小難しい話題だし、妖精にとっては関係のない話だからつまらなくなって帰るだろうと思っていたのだが、何故かこの氷精は興味津々なのである。
 妹紅はチルノと戦ったことがない。もしかして自分が見た目で妖精だと思っているだけで、実は彼女は妖精ではないのだろうか。死ぬ可能性がある存在なら薬に興味を持ってもおかしくはない。
 だが、チルノが妖精ではなくて妖怪の側ならば大問題だ。死ぬ定めの存在が、その理を捻じ曲げることなど、これ以上あってはいけない。
「薬を手に入れようとしているな。やめときな。不老不死なんて、ろくなもんじゃない」
「そんなわけないじゃないか。不老不死はすごいんだぞ」
 ふと妹紅は首筋に寒さを覚えた。精神的なもの、ではない。物理に寒い。襟の後ろに手を入れると、氷が入っていた。初夏の昼間に氷。原因は一つしかない。
「このいたずら妖精が!」
 妹紅はチルノを蹴り上げた。妹紅としてはお仕置き程度のつもりだったのだが、長年の妖怪退治で鍛えられた蹴りは、多少手加減されていたとしても、フィジカルに関しては平凡な妖精に毛が生えた程度の彼女には十分すぎる威力だった。
 チルノは放物線を描き、自由落下した。
「あっ、やばい」
 妹紅は救命のために落下地点に駆け寄ったが、そこにチルノの姿はなく、撃破ボーナスのパワーと点アイテム、ボム一個が転がっているだけだった。
 結局チルノは外見通りに、不老不死な妖精だったのだ。


***


 チルノが復活したのは翌朝のことだった。ポケットに手を入れると、蛙入り氷はちゃんと入っている。妖精のデスペナに「手持ちアイテムを落とす」は無い。
 なんで死んだんだっけか。妹紅とかいう赤もんぺに蹴られて。あんにゃろめ。いや、その前にもっと大事なことが……。
 そうだ、ほうらいのくすり。これの入手は一刻を争うぞ。
 そういうわけで、チルノは香霖堂にやって来た。入口の横には「蓬莱の薬(非売品)、置いています」と張り紙があるが、無論チルノは見ようともしない。
「おう! ほうらいのくすりを買いに来たぞ!」
「入口に張り紙があっただろう。見なかったのか。……見なかったんだろうな。これは非売品、売り物じゃないんだ」
「なんで売り物じゃないのを店に置いているんだ。あっ、さては独り占めしようって思ってるな、卑しん坊め」
 チルノはケタケタと笑う。霖之助からしてみれば、薬を独り占めしようとしている卑しん坊はどっちだという話だが、妖精に常識や倫理を問うほど馬鹿らしいことも早々ない。
「この薬のことがいまいちよく分からないから、詳しい人が見に来るのを待っているんだ。大体不老不死を得ようだなんて、僕はそんなに馬鹿じゃないよ」
 妹紅といいこの店主といい、不老不死になることをどうしてそんなに嫌うのか、チルノには理解することができなかった。彼女はただ、こんな素晴らしい力を得ようとしないだなんて、二人共馬鹿だなあと思っていた。
「むー。どうしても欲しいぞ。あたいの全財産と引き換えでも駄目か?」
「妖精の財産なんて、どうせ大したことはないだろう。ま、そもそも売らないのは金額の問題ではないからどの道駄目だね。さ、帰った帰った」
 チルノは店から追い出されてしまった。悔しさに地団駄を踏んだが、その後も未練がましく店の周りをぐるぐる回っていた。
 前に霊夢から鯉を盗もうとしたときみたいに、三妖精の力を借りようか。でもあいつらに貸しを作りたくはないんだよなあ。それにあの薬の量が一人分しか無かったら、盗んだ後に誰が飲むかで大喧嘩になるに決まってる。どうせあたいが勝つだろうが、最強の妖精たるもの、もっとスマートな手段をとるべきだ。やっぱ三妖精に頼むのは無しだな。
 チルノは窓から店の中を見た。追い出されてからそれなりに時間が経っていたらしくて、店主は暢気に本を読んでいる。あいつ本当に商売人か?
 その様子を見ていて、一つの閃きが下りてきた。あいつは本を読んでいてあたいが店のすぐ外にいることに気がついていない。窓に後頭部を見せている位置関係だから、振り返りでもしない限り、あたいのことは見えないのだ。そしてそう、あいつの後頭部とあたいとを隔てているのは、一枚の窓だけなのだ。これはいける!
 チルノは手のひらの中に、氷塊を生成した。


***


 妹紅は再び香霖堂を訪れた。昨日帰ってからああだこうだと考えた挙げ句、やはりあんな危険物こちらで引き取るべきという結論に至ったのだ。一応永琳にも蓬莱の薬の存在だけは伝えた。忙しくて当面見に行けないから持ってきて、とのことだったので、やはりこれを口実に入手するしかない。
 だが、店の外まで近づいた段階で何やら様子がおかしいと感じた。違和感の正体は大きく二つ。一つは入口の横に貼られた紙。「蓬莱の薬(非売品)、置いています」とある。非売品を宣伝するのか……。あの店主の思考回路はつくづく謎だ。もっとも張り紙は些事でしかない。より大きな違和感として、やたらとうるさいのだ。
 店に入り喧騒の正体は判明したが、混迷の度合いはむしろ深まった。激昂して怒号を飛ばす店主。店主に襟首を掴まれながら泣きわめく氷精。机の上には僅かばかりの小銭と溶けかけの氷。氷から滴る水は床に落ちて、その周りをアマガエルが跳ね回っている。
 脳内が大量のクエスチョンマークで埋め尽くされながら、妹紅は蓬莱の薬を探した。昨日置いてあった場所に無いのである。店内を見回して、床に転がった壺がそれだったのだろうと判断した。確証は持てない。床を転がった拍子に剥がれたのかか張り紙が無く、しかも中身も空なのだ。なんで中身が無いの!?
 事ここに至り完全に思考停止した妹紅は先人に教えを請うことにした。魔理沙が先客として来ていたのだ。彼女は店主と氷精から十分距離をとった場所に椅子を置いて腰掛け、見世物を見るかのようにこの状況を楽しんでいる。妹紅も売り物ではなさそうな椅子を一個選び、魔理沙の横に運んだ。
「なあ魔理沙、一体何があったんだ?」
「私が来たときには既にこうなっていたんだよな。あの二人が言ってることから、事の顛末は大体分かったが」
 そうして魔理沙は経緯を話し始めた。
 チルノは蓬莱の薬を買いに店に来たらしい。だが蓬莱の薬は非売品だから買うことができなかった。諦めろって話なのだが、チルノは店を追い出されてからも諦め悪く蓬莱の薬を手に入れる方法を考えていた。
 で、結局思いついた方法は物凄く単純だった。窓越しに氷塊をぶつけて香霖を気絶させて、その隙に薬を奪おうとしたんだ。
 魔理沙は窓を指さして、「割れてるだろ?」と言った。店の中が余りにも酷すぎて気がつかなかったのだが、確かに窓が割れている。ガラス片の大半が店内に落ちていることも、外側からの衝撃で割れたことを示唆している。
 馬鹿みたいな、というか馬鹿が考えた作戦だが、香霖を気絶させるとこまでは普通に上手くいった。だが、壺が重すぎたのか薬を飲みたい衝動が抑えきれなかったのかは知らんが、チルノはその場で薬を服用した。で、丁度薬を飲み終えたあたりで香霖が目を覚まして、後はご覧の通りだ。
 妹紅は魔理沙の説明を聞いて、霖之助とチルノの二人を、いや、チルノ一人を見つめた。結局あの壺の中身は本物の蓬莱の薬だったのだろうか、それとも只の水飴だったのだろうか。蓬莱の薬。不老不死を強要させる禁忌の薬。だが妖精とは元々子供のままだし死にもしないのだ。薬が本物だったとして何の意味があろうか。偽物だったとして不老不死が消えようか。
 妹紅は可笑しくなって泣き笑いした。嗚呼、帝は、岩笠は、なんて愚かだったんだ! 解決策はこうも単純だったじゃないか! 不死の山の頂上に登り薬を燃やそうなどと、そんな迂遠なことをしなくても、そこらの妖精に薬を舐めさせれば、それで物語は大団円だったのだ。
 魔理沙と妹紅がそれぞれの意図で霖之助とチルノの喧嘩を笑っていると、霖之助の怒りの矛先が二人にも向いた。
「二人共、これは笑い事じゃないんだ。考えてもみてくれ。この妖精がしたことは強盗だぞ?」
「ぐすっ。盗みじゃないもん。ちゃんとお金払ったもん」
 チルノにも良心の呵責はあったようで、机の上の小銭は薬の対価として彼女が支払ったものらしい。その近くにあった氷とその下で跳ねている蛙も、元は氷に閉じ込められた蛙という一つのアイテムで、チルノの宝物だったのだろう。もっとも霖之助の側が小銭の額を十分とみなすか、蛙の入った氷に価値を見出すかはまた別の問題である。
「ま、奇襲とはいえ妖精に負けるなんてお前もまだまだってことだ。精進しな」
 魔理沙が退治屋ガチ勢として霖之助にマウントをとっている。
「半妖で人間よりは体が丈夫とはいえ、後頭部に高速で飛ぶ硬いものをぶつけられたら目を回すくらいはするだろう。それに」
 霖之助はかつて蓬莱の薬が入っていた只の壺を拾った。
「僕が怒っているのは強盗が許せないというのもあるし、蒐集家として集めたものを台無しにされたことへの怒りもあるんだ。魔理沙だって集めた物が無くなっていることが時々あるだろ? あれだって妖精が盗んでいるのかもしれない」
「おっと、それは聞き捨てならないな。よしチルノ、歯食いしばれ」
「おうぼうだー!」
 魔理沙が喧嘩に混ざってしまった。ニヤニヤ笑いながら加わったから、霖之助の言い分を真に受けたというより、面白そうだからくらいの理由なのだろう。妹紅はチルノが少し可哀想だと思った。
 妹紅はどうにも気乗りしなかった。チルノはまあ悪ガキだ。しかし、チルノが悪行に走らずに、当初の計画通りに自分が薬を引き取って永琳に任せるという流れになっていたら、それで正しかったのか、はたまた薬を飲むべきだったかいつまでもうだうだ悩むことになっていただろう。そうした悩みを馬鹿馬鹿しいという思いに昇華してくれたのだから、妹紅にとってはある種大英雄でもある。本心としてはあまり彼女を叱りたくはないのだが。
「ほら、君も何か言ってやりなさい」
 実力主義の幻想郷で隙を見せた店主もちょっとだけ悪い、という点において十割とまでは言わないが、九割方チルノが悪いのも事実ではある。妹紅は「やれやれ」と立ち上がり、この不死の英雄に相応の報いを受けさせに行った。
フレドリック・ブラウンのショートショート『悪魔と坊や(原題:Armageddon)』という作品が好きです。作中のチルノの役回りやオチは同作品から影響を受けています
東ノ目
https://twitter.com/Shino_eyes
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コメント



0.150簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.80福哭傀のクロ削除
少し説明口調なセリフが気になりました(附子の話なんかはせっかく三人称の地の分ならセリフではなくそっちで書いてもよかった気が)。
あとは妹紅と蓬莱の薬(非売品)を中心としているのなら
その存在が発覚した時に、妹紅はそれを何のためにどうしたいのかを書いている方が
行動の目的がはっきりして読みやすいかもと思いました(なんとなくはわかるのですが)。
どこか昔話というか落語みたいと言うか
そんな話の展開で楽しめました。
5.90已己巳己削除
不老不死を得る蓬莱の薬と、元々の不死性を持つ妖精の絡め方が上手いと思いました。
我が儘なチルノや商売する気のない霖之助など、キャラもしっかり立っていて面白かったです。
6.100名前が無い程度の能力削除
とんでもないアイテムを手にして、価値もそれなりにわかっているはずなのにのんきに見せびらかしている霖之助がらしくて面白かったです
7.100南条削除
面白かったです
こんな超危険物がポンと置いてあるのを目にしたときの魔理沙や妹紅の気持ちを考えるとすごく楽しかったです
香霖がマイペース過ぎて素晴らしくそれらしかったです