Coolier - 新生・東方創想話

調停官と迷子のおうち

2022/11/22 21:49:32
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「おねえちゃんおはよー!」
「調停官さん、おはようございます」
「えぇ、おはようみんな」
 無邪気な子供たちの声に手を振って応える。
 寺子屋の玄関は慌ただしい。朝はいつもこうだ。子供というのは声だけじゃなくて動きも危なっかしくて慌ただしい。耳だけじゃなくて目にも賑やかだ。
 男の子の方は元気にぶんぶん手を振りながら廊下を歩いていく。前見ないと危ないよ、と声をかけておく。おねえちゃんと呼ばれるのだからそれくらいのお世話は焼いてあげなきゃね。女の子の方は嬉しそうに、それでいてちょっと恥ずかしそうにはにかんで、ぺこりとお辞儀をして通り過ぎていく。
 とかく、悪くないわよねぇ。こういうの。出来るだけ大人っぽく、背筋をまっすぐにして柔らかく微笑みながらそんなことを思う。
 調停官こと私、本居小鈴は寺子屋での出張授業に赴いていた。
 調停官。人妖にまつわる問題の相談役である。
 困りごと、事件、トラブルなどなど話したいことがあれば千客万来。事件難題なんでも調査、武力行使が必要なら博麗の巫女にワンコール。人間たちの親愛なる隣人として、今日も人里の一角であなたを待ちます。
 ようするに霊夢さんの承諾のもと、博麗神社までの険しい道のりに耐えられぬ人に向けた出張所みたいなことをしているのだ。詳しい話は割愛。なんだか前に話した気がするし。
 そんなこんなで私の人妖についての知恵には信頼がある。寺子屋の看板娘として国語の教養にも自信がある。なにより、人気があるもの。講師として歓迎されているのだ。
 履物を脱ぎ、私も教室へ向かおうと廊下に入ると向こうから子供たちの中では頭抜けた、けれども決して大きくはない影がこちらに向かってきていた。
「おはようございます。いつもながら協力いただいてありがとうございます」
 凛とした声の主は先生の慧音さんだ。
 私がここで講師をやることになったのはこの人がキッカケ。里に住む有識者として仕事上お世話になったことがあったのだけれど、それから話が進んでいって今ではこんな風にお呼ばれされたりするようになった。
「あぁいえ、そんなそんな。楽しんでますから」
 実際、子供たちから羨望されるのは気分が良い。授業の受け持ちはもちろん国語。といってもいろはの読み書きを教えているわけではない。軽い読書会のようなものを頼まれていた。
 せっかく文字が読めるようになっても、使わなければ身につかないし意味がない。学問を自主的に進めさせるためにも必要なこと。だそうだ。私としては好きなものについて話すのは楽しいからなんでもいいけれど。家の宣伝もできるし私にとっては良いことばかり。ちょっと準備は大変だけれどね。
 なにより、教材はこちらが選んでもいいというのが面白かった。
「今回は、“三枚のお札”でしたか」
「えぇ。話に動きがあるし、妖怪の怖さも伝わるし、ちょうどいいと思って」
 三枚のお札。やんちゃな小僧が栗拾いに行く最中で山姥に出会ってしまう物語。小僧は和尚さんにもらった不思議な三枚のお札を使って逃げるんだけれど、山姥はまったく怯まず。それでも小僧は命からがら和尚さんのいる寺まで逃げ込むことに成功して、最後には山姥は和尚さんに退治されてしまうという話。
 子供たちにも受け入れられる簡単な話、それでいて飽きを感じさせない展開。こんなにいい題材もないだろう。
「年齢を考えると、もうすこし固い話を選んでもいい気はするのですが……」
「そうですかね? これくらいがいいかな~と思うんですけど」
 国語に関してしか言えないけれど、授業なんてちょっと簡単すぎるくらいでちょうどいいのだと思う。別に問題が作れるような教科じゃないもの。一柳家の嫁女を誰が殺したか、なんて投げかけても十歳に満たない子たちにはちんぷんかんぷんだろうし。物語を楽しんで、触れることに慣れればそれでいいじゃない。
 反対に、慧音さんはちょっと詰め込みが過ぎる気がするのよねぇ。授業が難しくてつまらないともっぱらの評判だし。
「もちろんお任せはしますけど。貴方の授業は生徒にも人気ですから」
「えぇ~、またまたぁ」
「本心ですよ。難しさはともかく、今回もなかなか面白い選び方をしたと思って」
 あぁ、とちょっと恥ずかしくて口角が上がってしまう。
 まず話を見て最初に思ったのだ。小僧はさながら里のいたずら好きな男子、山姥は言わずもがな門外に住む妖怪たち、そして和尚さんは霊夢さんたちのよう。
「ちょっとした教養にもなればいいかなぁ、って」
「助かります。あの年頃だとどうしても好奇心が強いものですから。貴方が言ってくれると子供たちもよく聞いてくれるでしょうし」
 子供たちが度胸試しをしたくなる気持ちはよく分かる。妖怪に憧れるし、そんな世界に飛び込める存在にも憧れる。私もそうだったもの。
「さしずめ、小僧が子供たちで和尚さんが貴方や霊夢ですね」
「えぇ、そんなそんな。山姥を倒せるほど立派なもんじゃないですからぁ」
 えへへ、などと笑っていたそのときだった。
 ガラッ! と派手な音が鳴る。すぐ後ろ、玄関の戸が勢いよく開いた音だった。
 振り返ると思わずぎょっとするほどの形相が目に入る。慌てて走ってきたのがすぐ分かるほどの荒い息遣いで目がくわっと見張った、明らかに尋常ではない女人だ。
 目が合うまで寸刻もなかった。「なにか?」と私が聞くべきだろうかなんて変に冷静に考えたけれど、向こうの方が早い。私の姿を認めるや否や、一切の躊躇いもなくドタドタとなだれ込むように迫ってきた。慧音さんには目もくれず、私の両肩を握りしめてくるものだから反射的に逃げたくなったけど動けず。
「調停官さん、いなくなったんです!!」
 唾がかかるほどの距離で客人は叫ぶ。相当の心労か、出で立ちにしてはあまりに老けた顔だった。
 金切り声寸前の叫びまで浴びて動揺しっぱなし。
 さっきまで話していた内容が前振りだったのだろうか。それとも女人がこんな顔になる原因なんてそう無いからか。なんとなくどんな案件で来たのか察しがつく。多分これは……。
 まずは肩で息をしている客人に落ち着いてもらわないと。一呼吸置いてから、穏やかに返す。
「一体誰が?」
「うちの娘が、今朝からいなくなったんです!」
 あー、やっぱりか。
 母親と思しき客人はとうとう泣き出してしまい、私の体に突っ伏すように。すすり泣く音が玄関に響く。平静でいられないのも、無理はないだろう。
 ちょっと待たないと話を聞けなそうだなぁ。客人の様子を見ながらそんなことを思う。
 客人と自分の心の温度差に、自分って冷たい人間なのかなとすら感じてしまう。隣をちらりと見ると慧音さんは非常にいたたまれないような顔をしていた。優しい人だ。それがなんだか私には心苦しかったけど。
 ううん、でも本当に、申し訳なさすら感じるけれど、とても言いづらいことだけど、心配することはないのだ。
 神隠しの解決なんて、一番簡単な仕事だものねぇ。心のうちの呟きを、外に決して悟られぬようなんとか真面目そうに顔を固めていた。



 神隠し。
 子供や娘が忽然と姿を消し、行方が分からなくなる現象。主に起こるのは神域とされる森や山など。
 けれど今回の事件は家の中にいた娘さんが忽然といなくなったという。この幻想郷は結界に囲まれて、どこにいっても神域みたいなもの。そういうことも起きてしまう、妖怪たちの楽園なのだ。
 そもそも山なんかで子供がいなくなるなんて単なる迷子か、人の手による誘拐か、なんてことはこの神域では言わぬが花。そもそもそんな現実的な意味での神隠しはここでは起きない。
 子供だけで山遊びに行っちゃいけないなんてことはどの家でも言われること。それでも破ってしまう子もいるけれど、そうなれば天狗たちが万全の警護のもと脅かして追い返す。
 誘拐はしたところで無駄だろう。この妖怪まみれの場所で生き延びるため、人里の住人たちはとても強く繋がっている。誰にも知られずにそんなことをするのはあまりに困難。それに子供を売る相手なんているわけもなし、身代金を要求したところで逃げる先もなしだ。外来の荒っぽい小説とは違う。
 そんなわけでここで起こるのは本物の神隠しだけだ。
「あいつがやってるんじゃ、神隠しって言うのも変な気がするんだけどね」
「神じゃなくて妖怪ですからねぇ」
 下手な神様よりも恐ろしいけど、と心の中で付け足す。
 神社に事件の報告をしに来たけれど、縁側に座った霊夢さんは特に感慨もなさそうだった。
「どうせ紫がやっていることだもの。心配しなくても子供の安全は確保しているはずよ。万が一あいつの仕業じゃなかったとしても、まぁ何か動いてるんじゃない? どっちみち懲らしめに行けば話は進むわよ」
 いつもならまたテキトーな仕事を、と思うところだけどこればっかりは否定する気にならない。
 まぁ、神隠しなんて起きたら紫さんを疑うのが当然よねぇ。
 霊夢さんの表情にはまたかという呆れも怒りもないもので、なんだか話甲斐がない。いやぁ、気持ちは分かるけれど。長く”こちら側”にいると分かるけれど、紫さんは良い人でもあり大概迷惑な人でもあるのだ。
 だから、子供がいなくなるなんて一大事のはずなんだけれど。いつものことだと思ってしまう。
 今回の被害者は寺子屋に通っている女の子。私も話をしたことがある子で、白百合の簪の似合う子だった。怖い思いをしていなければいいだろうけど、まぁ紫さんのことだから心配ないか。
「毎度のことですけど、紫さん探しは霊夢さんにお任せしちゃいますね」
 幻想郷は広いから、飛べもしない私じゃ探し人には不向きだ。
「まぁ、十日もあれば見つかるんじゃない? 留守の間の仕事はよろしくね」
「一応聞きますけど、アテはあるんですか?」
「無いけど。あいつの居場所なんてよく分かんないしねぇ」
 テキトーなことを言っているようだが、こういう時の霊夢さんは一番頼りになる。アテがないくらいでちょうどいいのだ。何か思いつくと失敗することの方が多いし。何も考えていない霊夢さんが十日と言ったら十日だ。
 それに、本当に分からなくなった時は神様に話を聞くことでもできるなんて話していたことがあったっけ。神様って人を隠すよりも探す方が得意なんじゃないかしら。
 というわけで、今回の話は霊夢さんに投げっぱなし。役どころというものがある。暴力が必要なときか、面倒くさいときは霊夢さん。楽で格好がつくか、ちょっと楽しそうなときが私の出番だ。
 そんなに事件が重なることも早々ない。またあの奥方が来た時にお気の毒そうな顔をすることだけ忘れず、貸本屋としての仕事に励んでいれば大丈夫かな。そんな風に暢気しながら、神社からの長い帰り道を歩いていた。
「……あれ」
 門に近づいてきて、里の様子が見えるようになってきたあたりだ。
 目があまり良くないのは本読みの宿命だろう。ぼんやりとした見えなかったけれど、黒い動物の影が道を横切っていったのが見えた。獣らしくすばやく蠢くそれは、猫にしてはどんくさかった。姿もそれほどしなやかでないからアナグマでもないだろう。
 多分タヌキだ。里で見かけるのは珍しい。
 人里に山の動物が住みつくのはそれなりにあることだ。しかしタヌキとなると、ずいぶん久しぶりに見た気がする。妖獣としてメジャーで、化け狸の首領がやり手なこともあって大多数は妖怪化しているものね。住処に追われて里にやってくるなんてこと、早々ないんだけど。
 珍しいこともあるんだなぁ。神社までの長距離耐久歩行の疲れで頭もそんなに回っておらず、この時に感じたのはその程度のことだけだった。


 パァン!! と派手な音が家に鳴り響く。
 梯子に上っていた私はそのまま頭だけ屋根裏へ突っ込み、素早く周囲を見渡す。
「……くさい」
 顔を動かすと、物も置けぬほど狭いスキマの中に目標が三匹倒れていた。隣は糞のおまけつき。
 埃っぽいし蜘蛛の巣は張ってるし匂うし、とても不清潔で近寄りたくない要素でいっぱいの場所だ。正直入りたくはないけれど躊躇っている余裕はない。意を決して駆けあがり、長居したくない一心でさっさと首根っこを捕まえて竹で出来た檻に詰め込んでやった。
「よいしょ……っと」
 中身の詰まった檻は結構な重さになっていて、持ちながら梯子を下りるのが少し怖い。慎重に降りていたけれど、檻の中で獲物が起きた気配を察知。ゲッとしてさっさと降りてしまう。暴れられたらたまったものじゃない。
「うん、良い具合ね。その調子で集めて来てちょうだい」
「これ、一軒一軒回るんですか……?」
「残念だけど、そうするしかないわねぇ」
 うんざり顔の私に少しだけ申し訳なさそうに茨華仙は笑い返す。
 檻の中でガサゴソと毛が擦れる音が鳴る。今しがた捕まえたタヌキらが完全に目覚めたようだ。
 タヌキが家に住みついて困っている、という相談が殺到してきたのは神隠しの話があってから僅か二日後だった。
 異変なんていうのは、いつも小さな片鱗しか見えなかったのにいつの間にかに大きくなっているもので。そりゃあもう夜歩けばタヌキ、何か音が鳴ったと思えばタヌキ、妙なにおいがすると思えばタヌキの糞。惨状が人里で広がっていた。
 そんなわけで相談があって三日目、茨華仙とともにタヌキ捕獲作戦を実行中だ。
 茨華仙は山に住む仙人である。動物たちと会話し、山に住む動物を導いているのだそう。もちろん仙人らしく人間たちのことも気遣っており、里に下りては小一時間に渡ってありがたい説教をしてくれるところがたびたび目撃されている。まぁ、ちょっと固い人だけど仕事柄協力することが多い。
 ただまぁ不思議なことに、茨華仙には変な親近感が湧く。全然性格も住む場所も違うはずなのに、同じ目線というか、同じ役割というか。なんだか良く分からないけれど、何か同じような気がするのだ。そんなはずないと頭では分かっているんだけど。
 そんなわけでそれなりに縁は深い。今回の件も里に降りてきていた茨華仙を捕まえ、協力してしてもらっているのだ。
 役割分担は私がタヌキの捕獲役、動物と話せる茨華仙がタヌキへの説得および必要あらば保護役だ。
 ……まぁ、役どころというものがあるわけで。タヌキと会話なんてできるわけないんだから、面倒で汚い方を請け負うしかないのよね。
「茨華仙が呼ぶだけでタヌキの方からやってきてくれたりしないんですか?」
「無理ね。タヌキっていうのは臆病なのよ。山ならともかく、人間ばかりのこの場所じゃ警戒心が強いからねぇ。一匹一匹、丁寧なカウンセリングがいるわ」
 苦役からの逃げ道を探したが失敗。仙人様の力も万能じゃないらしい。丁寧に拉致と尋問を繰り返すしかないかぁ。
 家主の方が迷惑そうに私の持つカゴの中身を睨みつけていた。ひとまずこの家にいた一匹は捕まえたけれど、相談を受けた相手はいくらでもいるのだ。虱潰しにやっていたらどれだけかかるの……?
 はぁ。嫌になってきちゃうな。こういう辛くて地味な仕事はたまにあるけれど、一切面白くない。お礼を言われたときの喜びでなんとか踏ん張るしかないのだ。
 せめてもの救いが手早くタヌキを捕まえる秘密兵器があることだ。
「新聞がこんな威力になるとは……」
「外の世界じゃ、それなりに一般的みたいよ」
 片手に持った新聞製紙鉄砲を眺める。広がった紙がペラペラと動き、いかにも頼りなさそうな見た目をしているけどかなりの効果を発揮している。軽くて大きい紙は簡単に音が鳴るし、相当に響く。動物が好みそうな狭い場所なら尚更。これで一発驚かせてやればタヌキはすぐに気絶してしまうわけだ。私だって背後で鳴らされたら気絶しそうなくらいだもの。
 正直、本とは違うといえど読み物をこんな風に使うのは少しばかり抵抗がある。が、茨華仙が「天狗が売っているものなんて雑に扱うくらいでちょうどいいのよ」とサラリと言ってくるものだからなんとなく逆らえず。
「ま、そんなホラばかりの紙でも役立つものよねぇ」
「…………」
 茨華仙はカラカラと、しかしどこか黒い笑いをこぼしている。仙人は人間の味方とはいうけど、ねぇ。
 私の家、そのホラばかりの紙を売っているんですよね。なんてことは当然言えないわけで。とりあえず場をつなげるための苦笑い。
「さぁ、この調子で集めていきましょう。まだまだ相談先はいるんだから」
「……うへぇ」
 この人にはいつも押され気味だ。常に発せされている圧のようなものは生きる年数の重みなのか、なぜか逆らえないのだ。まぁ間違ったことを早々言うような人でもないから、その点は霊夢さんや魔理沙さんよりよっぽど頼れるけど。
 仙人ほど長生きするのは無理だけれど、私も年長者になればこんな風になれるのかな。
 軽い挨拶をして家を出る。台車に乗せた一際大きな檻にタヌキを開けてやる。檻の中は段差や壁が丁寧につけられており、隅っこ好きな動物にも親切な設計だ。小さい方と合わせて茨華仙お手製である。
「こうすると少しは落ち着けるはずよ」
 と言いながら檻に布を被せている茨華仙の顔は慈愛に満ちていた。動物に対しては優しい人なんだけどなぁ。
 一軒一軒巡っては紙鉄砲を鳴らし、倒れたタヌキを捕獲。時折子供たちがタヌキと紙鉄砲に興奮する様子が見られるのは微笑ましいものだけど、なぜか引いている保護者の視線が私の汚れた頭に向けられていると気付いた時には乙女心とか調停官のプライドとか色んなものが傷ついたり。
 茨華仙は家を巡る間、ずっと台車を引いてくれていた。流石仙人、少しも応えた様子もなく涼し気に巨大な檻とタヌキたちを運んでいる。
 タヌキへの交流も忘れていない。私がタヌキの捕獲の準備に取り掛かっている時間など合間を縫って、布の中に顔を入れてなにやらひたすらに語りかけていた。聞こえてくる声色は穏やかそのもので、表情は見えなくてもどれだけ優しげな顔をしているのかが判るくらい。長い説得がようやく届いたのか、仲間が集まってくるうちにタヌキたちも落ち着いたのか、今となってはもう檻の布を取っ払い歩きながら喋ってしまっている。ずいぶん話が盛り上がっているなぁ。
 その様子がとても楽しそうで、ちょっと羨ましい。私だってコミュニケーションにピッタリな目を持っているはずなのに。残念だけど、文字というのはよほど知能がある生き物じゃないと使えない。字には感情を込めるものだけど、知識が無いと字は書けないし読むこともできないものね。感情を伝えるためにわざわざ知識を用いるのは、人間とそれを真似する妖怪くらいしかいない。だから私の目は案外応用が効かないのよねぇ。
 そう、文字を支えているのは知識。人の知識で作られたものだから当然といえば当然な話よね。けれど、大事なのはそこじゃない。
 要は気持ちだ。文字という知識は気持ちを乗せるための媒体でしかない。
 私の目があれば、文字からも気持ちを感じることができる。でも他の人はそうじゃない。いくら文字の意味が伝わっても、気持ちが伝わらなければなんにもならないのに。
 私の書き連ねている感情は、しっかり届いているのだろうか。ふと、そんなことが不安になった。
「疲れたのなら、少し休みましょうか?」
「えっ?」
 よほど私が考えこんだ顔をしていたのか、茨華仙の目は気遣わしげな優しさで満ちていた。
「いえいえ、すみません。大丈夫ですよ。ぼーっとしちゃっただけで」
「そう? まぁ、どのみちこの子たちを連れていたら甘味も食べに行けないけどねぇ」
 どうも美化しすぎていたみたい。私の答えを聞くと茨華仙の顔の四割くらいは心底残念そうな哀しさで満ちていた、単に自分が甘いものを欲していただけというのもあったのが分かって、思わず頬が緩んだ。
 この人は堅物そうに見えて、食べることに関してはかなり貪欲だ。元々食べる必要がない体質なので、何を食べようと健康体だからタチが悪い。こういうの、ご愛嬌って言えばのかしら。
「……それに、これ以上タヌキたちを捕まえてもその場しのぎにしかならないかもしれないし」
「はい?」
「ちょっと難しい問題になりそうなのよ」
 さきほどまでの緩さが消え、カッチリとした仙人らしい表情。なんだろうかと覗きこんでいると茨華仙はちょっとだけこちらに目線を向けて、進行方向を道の端っこへと逸らしていった。
 ちょっと話したいから来い、ということなんだろうけどちょっと気が進まない。茨華仙の背中から感じる面倒ごとの予感ときたら。ただでさえ泥臭い仕事をしてるのに。不安が立ち込めてくるけど、聞かないわけにもいかないし……。大人しくついていく。
「それで、難しくなりそうっていうのは……?」
 気が進まないなりに聞いてみると、腕組みして真面目モードな茨華仙が言う。
「この子たち、みんな外の世界から来たみたいなのよ」
「外の世界、ですか」
 外面はきわめて真面目そうな茨華仙の顔を真似することに務めていたものの、内心はソワッと大きく波立っていた。
「動物が結界を越えてくるのは、なにも珍しいことじゃないけど。これだけ居て全員がそうというのはどうかしらね」
 檻の中にはざっと20匹ほどのタヌキ。
「大きな群れが一斉に結界を越えて来たんじゃないですか?」
「タヌキの群れは多くてもせいぜい4、5匹よ。子連れだとしても10を超えることはないわ。今日捕まえてきたのもそれくらいの群れだったでしょう?」
 あぁ、確かにそれぞれの家に住みついていたのはそれくらいの数だったけど。しかし。
「それにしては、ひとまとめにされても落ち着いてますよね。ケンカとかしそうなのに」
「タヌキは縄張り争いをしたりする動物じゃないからねぇ。平和主義なのよ。それに……」
 茨華仙はついとタヌキの方を見て、再びこちらに向き直る。
「どうもこの子たち、最近顔見知りになっているらしいのよね」
「……えぇと?」
 同じ群れでじゃないけど顔見知り。反対ことばみたいで混乱してしまう。
「ちょっと入り組んだ話になるけど」と前置きを置いて茨華仙がそれらしく咳払いをする。あ、そういう格好付けするんだ。ちょっと趣味が合うかも、なんてことを思った。
「まず。この子たちは漏れなく、外の世界の都市に住んでいたらしいわ」
「都市? 外の世界の、ですか?」
 あんまりにも意外だったのでまるっきりオウム返しになってしまって、後からちょっと恥ずかしい。
「外の世界って科学が進んでいるっていうから、動物なんて街に入れないイメージでした」
 弁明するように付け加えたけど、なんとなく向こうの目を見れず。
「自然は人の力で抑えられるほど弱くないわ。街にはタヌキだけじゃなくてイタチやハクビシンだっているし、時には熊も降りてくる。人がいなくなれば街はあっという間に緑に飲み込まれる。いくら科学が発達しても自然を無くすことはできないのよ」
 熊まで出るなら幻想郷より酷いくらいだと思うけど。外の世界の人間はなんでも思い通りにできていると思っていたけれど、ままならないこともそれなりにあるらしい。
 外来の科学本曰く、なんにでもエネルギー保存則というものが働くという。科学が強くなるとその分つり合いを取るように自然も強くなるんじゃないかしら。
「けど街で暮らすのも楽じゃないみたい。この子たちはみんな人の家に住みついていたけど、追い出されてしまったらしいわ。おそらく、街のタヌキが一斉に駆除されかけたんでしょうね」
「まぁ、家に勝手に住まれたら迷惑ですからね。可哀想だけど」
「そういうことね。でもそこでへこたれちゃやっていけないのが都会派タヌキだそうよ。追い出されてそのまますぐ、次の住処を探しに行ったって言ってるわ」
 自然はたくましいという話は今聞いたばかりだけれど。でも空き巣みたいなものだから、盗人猛々しいって言った方が正しいかも。
「それで、その次の住処っていうのが気になるのよね……」
 手を口に当てて考え込むポーズをし、呟くように茨華仙が言う。集中してしまっているのか、その目は細まって視線は地の方へ。
 こちらへの気遣いのないその目はなんだかやけに印象的だった。鋭く冷静で、なぜか深さを感じる表情。人と動物の味方である仙人様らしからぬ冷たさを感じるものだった。
「逃げている途中で、たまたま大きなお屋敷を見つけたそうよ。中は無人。絶交の住処でしょうね」
「……はぁ、まぁラッキーだったんじゃないですか?」
「全部の群れがそう言っているの」
「……はい?」
 つまり?
「たまたま複数の群れが、たまたま見つけた無人のお屋敷で、たまたま仲良く暮らしたそうよ」
「いやいやいやいや」
 どう考えてもおかしい。というか、あからさまに茨華仙もそれを分かっている言いぶりだし。
「タヌキは群れ同士で争いなんてしない、とは言ったけれど。それでも好んで別の群れ同士が一緒に暮らすことはないわ。習性から言っても不自然ね」
 いくら大きな家でもこれだけの数のタヌキが居たんじゃ狭いだろうし。たまたまと言われてしまえばそれまでかもしれないけど。
 うーん、なんだか奇妙な話。ほのかに異変のような気もするけれど、ただ私がそうあって欲しいと期待しちゃっているだけかな。
「……分からないことは気にしていてもしょうがない。きっと手掛かりにはなるはずだけれど、今はどうしようもないわ」
 腑には落ちないけれど、それもそうかもしれない。幻想郷の事件は不可解なことや理不尽なことがたくさん起きる。いちいち立ち止まっていると調査が進まないのよね。
「じゃあ、タヌキたちはそこからどうやってこっちに?」
「それが、また襲われたと言っているわ。突然家がめちゃめちゃにされて、驚いたみんなは必死。気が付いたら見覚えのない場所に居て、人の住む場所を探してこの里に来た。それで私たちに捕まった、と。結局その家にいたのはそう長い期間じゃなかったみたい」
「襲われたって、何に……」
 と、問おうとしたところで一つ、思い当たりにぶつかる。
「分からないそうよ。まぁ物音が鳴ったらすぐ逃げるか気絶するかする動物だもの、仕方ないわ」
 親切にも私の尻切れな問いにも茨華仙は答えてくれていた。まぁ、軟弱動物の証言が役に立ちそうにないからか伝えた本人が苦笑していたけれど。しかし私の中では一本の明確な疑いが立っていた。
「……少なくとも人間ではないでしょうね」
「? どうしてそう確信できるの」
「タヌキみたいな小さな動物が逃げられる距離なんてたかが知れているでしょう。そもそも相当境界の近くから走ってなければ結界は越えられないはずです。結界は幻想と実体を分けるモノ、普通の人間は境界近くにもやってこれませんよ」
「ふぅん、そういうものなのね」
 意外なことに茨華仙は結界については疎いらしい。素直に感心してくれた様子を見せてくれて、なんだかちょっと鼻が高くなってしまう。
「ということは、人ならざるものの仕業ということになるけれど……」
 そう。人外によってタヌキが同じ場所に引き寄せられ、そこを何かに襲撃され、気が付いたら幻想郷にいる。まるで、誰かがタヌキを集めて幻想郷に連れてきたみたいなのだ。
「神隠しのようだけれど、紫の仕業ではないでしょうね。人ならともかく、タヌキが幻想郷に増えて紫が喜ぶとは思えないもの」
「まぁ紫さんはそうかもしれないですけれど」
 それに今、紫さんは神隠しの第一容疑者だ。そんなタヌキと人と節操なしになんでもかんでも引き込むような迷惑な人では────あるかもだけど。
「タヌキが増えて喜ぶ人なら……他にいるじゃないですか」
 疑うべくは他にいる。私の頭の中にはあまりにもくっきりと犯人像が浮かび上がっていたけど、名前を言うのは躊躇いがあった。
 あの人のことはちょっと苦手になっていた。だってなんだか……恥ずかしいじゃない。上手いこと騙されていて色々と聞き出されていたのに、あんなに憧れていたなんて。良いようにされていたとしか言えないもの。
「いえ。わざわざ街中に住むタヌキを連れてくる理由はないと思うわ。人の住む環境から山住まいに矯正するのは手間だもの。初めから野生慣れしたタヌキをスカウトした方が効率が良い」
「そういうことじゃ。今回のことに儂は関わっておりゃせんよ」
 今まさしくな声が聞こえて氷が喉を通ったかのような感覚。
 あまりなタイミングの良さに振り返るのに躊躇していたらぬっと横から顔が出てくる。うわっと驚いてしまい、後ろに下がった拍子に何か、多分声の主の体に腰がぶつかってしまう。
 そのまま顔を見上げれば丸眼鏡の似合う、お馴染みの顔がこちらを見下ろしていた。
「久しぶりじゃのう」
「脅かさないでくださいよマミゾウさん!」
 文句を飛ばした相手はふぉっふぉっふぉ、と表面上は気のいい笑顔を見せてきた。化け狸らしい意地の悪い顔……。
 ずっと背中を預けているのもなんだか間抜け、と気付いてマミゾウさんの元を離れ茨華仙の背後に隠れるように距離を取る。
 毎度のことながら袴にしろ羽織にしろ一目で上物と分かる恰好(化けているだけだろうけど)で、せっかく変装しているというのに嫌でも目立つであろう風体。そこに化けて作っているであろう艶やかな長髪に、昔の憧憬の気持ちを思い出して湧き上がる恥ずかしさまで加わってしまうと、なんだか、なんだかなあ……苦手だ。
「そう警戒せんでもいいじゃろうに。それとも、まだ疑われているのかのぅ」
 そう口にしながらもマミゾウさんは一切気にしている様子はなく、どこか胡散臭い笑みを依然続けていた。
「で。人里まで何しに来たのかしら」
 茨華仙の声色は心なしか少し低めに聞こえる。仲が悪い、っていうわけじゃなさそうだけどそれ以上でもないらしい。
「タヌキが迷惑をかけていると聞いての。必要なら早めにうちで引き取ろうと思っていただけじゃよ。いらぬことで儂らの評判が下がっては敵わんわい」
 マミゾウさんは化け狸の親分をやっている。といっても昔から幻想郷に住んでいるわけじゃなくて、元々は外来の妖怪。こちらに来てすぐに頭角を現したのだとか。今回の話が本当に関係ないというのなら、化け狸たちを引っ張る立場としては確かにいい迷惑だろう。
 けど、そう簡単に信じていいのかしら。
 確かに都会派のタヌキをわざわざ集める理由はないのかもしれないけど、こちらの疑いを避けるためにそうしているだけかも? ちょっと冷たいようだけど、知り合いの妖怪だろうと容赦なく疑うのは普通のことだ。みんなしてはた迷惑なんだもの。
「ま、お前さんたちが動いておるなら儂が里で余計なことはせん方がええじゃろ。どれ、引き取り手くらいなら受け持つが……」
「結構よ。山にこれだけの狸が増えたらバランスが崩れて山が荒れるわ。外の世界に帰ってもらうべきよ」
 キッパリ、という表現が似合う心地良いくらいの拒否。
 バランスというのは何も生態系の話だけではない。妖怪の勢力にも関わってくる。どこがどう均衡しているかなんてことは分からないけれど、一勢力の戦力が急に増えても良いことはない。なにより、こういうことは霊夢さんがうるさいのだ。
 はなから冗談のつもりだったのだろう。あれだけはっきりした拒否にもマミゾウさんは動じず笑みを崩さない。
「そりゃ残念。しかしお前さんたちも大変じゃのう。なんでも神隠しもあったとかなんとか」
「それなら霊夢さんが調査してますから、大丈夫ですよ」
 便乗するようにして反論するのはずいぶんと気が楽だった。ちょっと言ってやれてなんだかスッキリ、したのだけれど。なぜだかマミゾウさんはずっと続けて笑いを解いてやけに驚いた顔を見せていた。
 はて、とこちらから聞くより先にマミゾウさんの口が動くのが早かった。
「そりゃ、ずいぶん手早い対応じゃのぅ。儂は今朝起きたと聞いたが……」
「え────」



 今度の被害者もまた子供だった。男の子で、これまた寺子屋で通っている。顔も名前も知っている子だ。
「授業が始まる前に、玄関で挨拶をしたのは確かです」
 慧音さんも流石の事態に参ってしまっているようだった。気のせいか顔は青く見え、いつもの凛々しさはどこか薄れていていた。
 子供がいなくなるのは重大なことだけれど、あまりに珍しいというわけではない。きっと解決はできるものだという希望がある。でも、こんな短い期間で二度も起こるなんてことは異常としか言えない。
 聞き込みに寺子屋に来たはいいものの、話を聞くに聞けず。お別れの挨拶も上手く言えずに別れてしまった。
 慧音さんを気遣って、というのもあるけれど。私だってショックだった。
「流石に、紫ならこんなことしないわね」
 茨華仙が呟いたけれど、それは言われるまでもないことだった。
 明らかな油断、軽率な決めつけ、慢心。自分の非がいくらでも思い浮かんできて、そのまま重くのしかかってくる。あぁ。いくらなんでも雑な考えだった。里の人間に危機が迫っていたのに、いつものことと流してしまった。
 陰陽玉を使って霊夢さんとも連絡を取ったが、タヌキが結界を渡ってきた件もある。やはり紫さんに話を聞きたいということで捜索をそのまま続けてもらうことにした。あちらも声色は少しこわばっていたけれど「あんたは仕事をしっかりやってるわ。自分を責める必要なんてないわよ」と声をかけてくれた、意外と気遣いをしてくれる人なのだ。それが逆に、辛く感じてしまったけれど。
「こうなると霊夢にばかり任せてられないわ。明らかに危険よ」
 茨華仙の目からは先ほどまであった温かみが消え、これが危険な事件であるとありありと思わされた。責任を問うことより問題の解決が優先。説教がなくなって良かったと少しだけ考えてしまう自分が嫌だった。
「人里で起こったことじゃ。何も知らぬ新参者かの仕業か、バレずに行える自信がある奴の犯行じゃな」
「有力な妖怪ほど人里の存在は重く見るはずよ。こんな無茶はしないわ」
「そうとも限らぬじゃろう。たとえば何かよほど悪い事情があって思い詰めていれば、どこだってなりふり構っていられんわい」
「そういう動向についてはあなたが詳しいんじゃないかしら。別の勢力に妙な動きがあれば、化け狸を背負って立つあなたがこんな場所を彷徨いているはずがない」
「ほぉ、儂らの情報網をずいぶん信用してくれているのぉ」
「ボスが直々に里の偵察をするような連中だもの。こそこそ嗅ぎ回るのが好きなんでしょう」
 私抜きで話がどんどん進んでいた。なにかを言う気にもなれないから、その方が助かった。
「けれど、そうね。どうにも忙しないというのは神隠しもタヌキの方もたしかに当てはまっている。同一犯とみてもいいかもしれないわ」
 似たやり口で近い時期に起きた事件だもの。そう見るのが妥当。
 だとすればマミゾウさんの疑いは無くなる。化け狸は人を驚かす種族だ。人を襲うという話はあるけど、攫って食べるなどといった伝承はない。人がいなければ生きていけない、とても幻想郷らしい妖怪なのだ。
 それを逆手に取っている、というのもありえない。自らの生き方を否定するような手段を選ぶなんて、大妖怪の矜持が許さないだろうから。
「しかし……人もタヌキも攫うような妖怪にはとんと覚えがないわい」
「それは私もだけれど、あなたは?」
「えっ……あぁ、私も特には」
 急に話を振られて反応が遅れる。
 妖怪の親分に仙人に専門家というこのメンツで答えが出ないのならば、ピッタリ当てはまるような妖怪はいないのだろう。
 目的不明。推理においてこれほど厄介なことはない。
「厄介かもしれんの。そういう習性のある妖怪がすることならともかく、ただ乱雑に暴れていると見える。計画性のない動きを追うのは骨じゃぞ」
 つまり、対策ができない。マミゾウさんはそう言っていた。
 沈黙が流れる。これじゃ実質手の打ちようがない。マミゾウさんも茨華仙も神妙な顔で押し黙っていた。犯人の正体も掴めなければ手口も分からない。
 こんな、里が脅かされている事態だったというのに私は呑気にしていたのだ。
「こちらから捕まえには行けない以上、里で犯人を張るしかないわ」
 重い口を開いたのは茨華仙だった。
「それしかないのぅ。じゃがその前にお前さんは一度帰るといい、いつまでも檻に入れられて引かれていては同胞が不憫じゃからな」
「でも、あなた一人じゃ里中を見張るのはいくらなんでも……」
「なあに。今ならタヌキがいくら里にいても、誰も不審には思わんじゃろう」
「……そうね。どのみち二人でも人手は足りないか」
 ……? 二人の言っていることがよく分からず、ついと顔を上げる。ちょうどこちらを向いた茨華仙と目が合う。なんでもないのにビクリとしてしまう。
「あなたも、今日は帰った方がいい。見張りは危険だし、なにより休んだ方が体のためよ」
 それはありがたくもあり、心を傷つける言葉でもあった。
 必要とされていない。
 私がもっとちゃんと動いていれば未然に防げた事件だったかもしれない。ううん、そんなの自惚れかもしれない。けれど、何もしていなかったことへの償いもできないのは確かなことだった。
 ならば何もせず休んでいた方が建設的、というのはとても正しい判断だ。
「……そうですね。今日は、帰らせてもらいます」
 そうして別れの挨拶だけして、この日は解散となった。
 帰り道は振り返らずに歩いて行った。泣きそうなところを見られたくはなかった。自分が悪いのだ、涙を流す権利もない。早く部屋で一人になりたかった。
 とにかくまっすぐ家に向かった。けれども歩みは滑稽なくらい小さく、歩けど歩けどちっとも進まなかった。
 なにが、人気者だ。肝心な時になにもできないで。
 人の命に何かあれば取り返しがつかない。そんなのは当たり前のことなのに。紫さんを第一に疑うのはいい、もしものことに備えていなければならなかったのだ。少なくとも寺子屋に誰か護衛を呼ぶべきだった。やれることは、間違いなくあった。
 惨めだった。けれどちっとも同情されるような立場じゃない。全部、全部自分のせい。誰かの慰めは要らない。
 だからただただ、帰りたかった。一人で落ち込む時間が欲しい。家に、帰りたい。
 何か、足の踏んだ感触がおかしくなったのはその瞬間だった。
「えっ」
 ぐにゃり。
 明らかに土ではない、異質としか言えない感触。踏んだというより飲み込まれているような、受け止められているような不思議な感覚。
 私は落っこちていった。どこに、って言われても分からないけど。地面の下ではないと思う。ぐるぐると体が回って、ふんわりと体が軽くなるような感覚もあって、とにかく怪異に巻き込まれたんだなという自覚だけあった。
 訳も分からないままで体を固く縮こませていたことにやっと気付く。なんだかふんわり空間の中でわたしだけ浮いているような感覚。まぁ、そもそも物理的に浮いている気もするんだけど。あれ、でもさっきは落ちていたような────。
「ぎゃっ!」
 おしりに衝撃が走って思わずなんともな声をあげてしまう。
 最初の感覚通り、”落ちている”が正解だったか。ちゃんと下に床か地面がある場所にたどり着いたみたい。
「……家?」
 周囲を見渡した時の率直な感想だった。
 背の低く漆の光沢が際立った机、黄ばみと修復の跡で飾り付けられた障子、床の間に飾られた掛け軸と埃被った布袋様の置物には年季が感じられた。そもそも私が畳の上に落っこちてきたことにも今更気付く。
 格式ある家、だったんだろうなぁ。落ち着いてよく目を凝らしていくと残念さが際立ってきた。
「なんだか古いし……しかも臭い」
 カビの生えた匂いもするけれど、それ以上に感じるのはもっと野性味のある、今日一日嗅ぎ慣れた獣臭。よく見ると畳には決して古くない染みができていて、土汚れのおまけつきだった。意識しだすと空気もなんだかジメっとしているような……。
 座っていると汚れが自分の体を登ってくる気がして、ゆっくり立ち上がる。腰を痛めたりはしていないらしい。外履きのままだけれど、かえってちょうどいいくらいの汚れっぷりなので特に躊躇いもない。
 あまり長居したい場所じゃないなぁ。
 帰れるのならさっさと帰ってしまおう。陰陽玉を懐から取り出す。
「霊夢さーん、聞こえますかー?」
 呼びかけてみるけど、反応がない。うーん、ダメかな。霊夢さんに引っ付いて外に出られれば楽だったんだけど。
 いつもならなんとなしに感じている陰陽玉の妖気みたいなものが感じられない。というより、家じゅうからそれらしい気が出ているせいで陰陽玉の気が分からないというのが正しいかも。他の妖気が邪魔して陰陽玉が働かない、とか?
 となると、ここはそれだけ妖力がこもった空間なんだろう。少なからず普通じゃない。
 ……普段ならもっと気分が上がるか、怖くなってしまうところなんだけれどね。ここ汚いし。そんな気になれなかった。
 他にもっとまともな部屋はないか探しに行こう。つま先立ちでできるだけ清潔な場所を選んで足を運び、障子の方へ進む。やっとこさたどり着き、障子に手をかけようとした瞬間にひとりでに戸が開く。
「ギャァーーーッ!!」
「「わーーー!」」
 開けた視界に急に人影が入ってきて思わず気絶しそうになるが、すぐさま後ろがどういう状況か脳裏に浮かび上がるとともに身の底からあんなところで寝そべるのはごめんだと湧き上がった力が足と腹へと走り、あらんかぎりの淑女の心で踏ん張る。火事場の馬鹿力と恐怖心の一騎打ちは無事に前者へ軍配が上がった。
 つんのめるようにして向かいの人影の肩に手を置き、ようやく体勢が落ち着く。向こうも大層怯えていたようで手を置いた瞬間に身が跳ね上がるのが伝わってきた。
「……小鈴先生?」
「……あれ」
 立っていたのは神隠しの被害者である子供たち二人だった。



 つまり、この家が神隠しの現場だったみたい。
「もうずっとこの家から出られないの」
 こちらは一番最初に被害に遭っていた女の子。歩くたびに頭につけた白百合の髪飾りが揺れ、どことなく友達を思い出す。
「本当だぜ。いくら戸を開けても玄関がないんだもん。窓もだよ、換気くらいしたいのに」
 続いて話すのは今朝やってきたという男の子。クシャクシャとした髪からはなにとなしに生意気さとヤンチャさが漂っている。
「そっか。まぁ、簡単に出られたならとっくに帰ってきてるもんね」
 子供たち二人に連れられながら家の中を進んでいく。戸を開けるたび小さな茶の間、宴会場にもなりそうな大きな畳の間を抜けて廊下にたどり着く。
 壁に覆われていて奥が見えないくらい長い。時折戸があって、それぞれ柄違いになっていてなんとか区別がつきそう。この先にも部屋が連なっているのかな。明らかにおかしな空間であることは確かだ。
 二人とも、ここに来た経緯は私と同じようなものだった。突然飲み込まれて、気付いたらこの家にいた。まずやってきたのが白百合の子。そこにクシャ髪くんの方が今朝やってきて合流し、そこに私も来て今に至ると。
 全部がつながってきた。タヌキたちの言っていた空き家というのはここのことだったのだ。きっとタヌキたちも同じように連れられてきて、ここで暮らしていた。そこらじゅうの臭いがその証拠。どこか嗅ぎ慣れていたのもそのせいだろう。
「こっちの奥に、寝床があるんです。そこは綺麗にしてたから……」
 白百合の子が戸を開けて案内をしてくれる。この家には一番長く居るだけあって、慣れているみたいだった。清潔な場所があるというのはこちらも安心できた。今日はずっと、汚い思いをしてばかりだったもの……。
 寝床には廊下から部屋を三つ通り抜けてたどり着く。二人とも戸の前で靴を脱いでいたのでそれにならってお邪魔する。
 部屋は一家が川の字になって寝られるくらいの広さのある、普通の寝室。変なところといえば布団が一つしかないところだった。不審に思い布団へ目を凝らすと、少しだけタヌキのらしき毛が。
「ごめんなさい、先生の分も後で持ってくるから。元々他にも布団があったんだけど、臭くなってて……」
 タヌキにマーキングでもされていたのだろう。なにせ大量に住んでいたんだから。無事な布団があるだけラッキーだったくらいだ。
 この部屋も掃除をしてくれんだろうな。他と比べればいくぶんとマシ。けれども周囲の部屋からか、どうしても消えない残り香か、やっぱり臭い匂いは漂ってしまっていた。掃除だってきっと、触りたくないものに触らなければならなかっただろうに。
 こんなところに女の子が閉じ込められていたのだ。そう思うと、何もせずにはいられなかった。
「つらかったね」
 そっと白百合の子の方に寄り、小さな手を握る。暖かいけれど、儚さを感じるほどに柔らかい手だった。
「もう大丈夫。私が本当の家まで連れていってあげるから」
 できる根拠はなかったけれど、そうしなければいけないと思った。しなきゃいけないなら、何がなんでもやり遂げなければいけないもんね。だからつい言い切ってしまった。
 白百合の子は、握られた手にすこし戸惑いながらもやがて「ありがとう、先生」と言いながら優しくはにかんでくれた。
 ちょっと、前のめり過ぎたかも? まぁ笑ってくれたからいいよね。
「小鈴おねーちゃーん、俺もいるんだけどぉ」
「あぁ、ごめんね。みんなで一緒に帰ろっか」
 ついおまけのような言い方になってしまったのが気に食わなかったのか、不服の声をあげたクシャ髪くんは一層に拗ねてしまった。なかなか大人も難しい。慧音さんはもちろんだけど、霊夢さんとか魔理沙さんとかも子供たちの相手は得意なのよね。なにかとまだまだなんだなぁ私。
「そうだ。私、煎餅を見つけてたんです。先生も一緒に食べましょ」
 両手を合わせ、ぱあっと明るい表情を見せる白百合の子。
「煎餅? こんなところに食料が?」
「客室とか、居間を探すと結構見つかるんです」
 ははぁ、ちゃんと色々探しているんだなぁ。見た目に反してたくましい。一週間ここに閉じ込められて無事なのだと思えば、当然かも。
 白百合の子が戸から取り出した四角いスチール缶からはえもしれぬ懐かしさが。私もちょっと落ち着きたかったし、小休憩をいただくことにした。
 ちょっとぶりの清潔な場所に座っておせんべいをかじっていると、なんだか安心感。
 白百合の子は私のすぐそば、クシャ髪くんはちょっとまだ跳ねっ返りの態度を見せているのかちょっと離れた場所に座る。機嫌直してくれるといいんだけどなぁ。
 さて、家まで連れてくと言ったからには仕事しないとね。
「ここにはたくさん部屋があるみたいだけど、書斎もあるのかしら」
「えー! お姉ちゃん、こんな時にも本?」
「ここがどういう家か、手がかりがあるかもしれないでしょ」
 まぁ、いわくつきの場所だから妖魔本もいっぱいありそうだなとは思うけど。
 私にはここから力業で出られる程度の能力はない。できるのは文字を読むくらい。やれることをやっていくしかない。
「んーっと、書斎みたいな場所はなかったかな、全部の部屋を見たわけじゃないですけど……」
「そっか。ならまだ見てないところを探すのがいいかな」
「そんなの見たってしょうがないよ。出口、探そうよ」
「多分だけど、出口なんて無いんじゃないかしら」
「えぇ!?」
 怪訝な声をあげられてしまう。見れば白百合の子まではたとした目をこちらに向けている。しまった、言い方が悪いなぁこれは。
「単純に出口から出られるような場所じゃないと思うのよね。そもそも入口だって普通じゃなかったでしょ? そんなに分かりやすく出入りできる家じゃないのよここは」
 地面が入口なんだから、不思議の国みたいに目を覚ましたら外に出られるかも。まだ玄関を探すよりはそっちの方が可能性がある気がする。
「……入り方が変だからって、出方も変だとは限らないじゃん」
 んまぁ、小賢しい。
 幼い子は主観が全て。ヘンテコ空間の中を落ちてきた実体験から、ただそういうものだと理解してくれると思ったんだけど……向こうは私が思っていたよりも大人みたい。理屈が通じてしまう。
「う~ん、説明しても分からないだろうけど……この家はそこらじゅうから妖気を感じるの。里からじゃこんな家があるなんて分からなかったし、きっと何かの力が働いて一種の結界みたいな場所になっていると思う。そうなると決まった手順を踏むか、結界を解くかしないとここから出られないの」
「だからって家のこと調べたって解き方が分かるわけじゃないよ」
 なんだか妙に反抗してくる。お年頃ってそういうものかな……? もうちょっと調停官のお姉さんとして信用されているつもりだったんだけれど。
 さっきから機嫌が悪いみたい。そんなにさっきの扱いが嫌だったのかしら。いやでもさすがにそれだけでヘソを曲げるほどワガママな歳じゃないだろうし……。なにか他に怒らせるようなことしたかなぁ。
「ちょっと、なんで先生の言うことにつっかかるの!」
 白百合の子からの援護射撃。
「なんだよ、俺の意見だって聞いてくれたっていいじゃん!」
「先生は調停官なの、こういうことだって慣れてるんだから。あんたよりずっと信用できるの!」
「俺の方が先にここに来たぞ! ここのことなら俺の方が知ってるよ!」
「そんなに変わらないでしょ!だったら私が一番先に来たもん。私が先生の言うこと聞くって決めたの」
「なんで、そんなにお姉ちゃんの肩ばっか……!」
 クシャ髪くんの論はどんどん軸を失い、意地になってなんだか喚いているだけになってきた。なんだか、矛先も私というか白百合の子の方に向かい出しているような、変に突っかかているような。
 ……あー。
 謎の怪異、巻き込まれた少女、二人きりの空間。そこに現れた私は頼りになる大人、ではなくて。
 悪いことしちゃったかもしれないなぁ。とはいっても今更どうしようもないけど。まぁ、こういうのは障壁はつきものって言うものね。
「分かったわ。それじゃあ玄関を探そっか。本はそのついででいいから」
 ちょっとした罪滅ぼしのつもりで向こうを立てておく。
 仲裁が入り二人の言い争いは中断。白百合の子の方は少し不服そうで「でも、」とでも言いたげな顔。クシャ髪くんはまだなんだか言い足り無さそうで、チラリとだけ白百合の子を見ていた。まぁそりゃあ、本を探すか玄関を探すかなんて本当はどうでもいいだろうし。
 どうでもいいのは私も同じ。何を探そうが家の中を歩き回るしかないものね。だったら譲ってあげた方が一応場は収まる。
 それに、なんだかいじらしくて悪い気もしない。……大人の立場って面白いかも。
「まだ行ってない部屋はどれくらい?」
「……廊下の奥の方に、いっぱい」
 警戒して近づいていなかったらしい。感心感心。
「それじゃそっちに行ってみようか。何かあっても大丈夫。私、調停官だもの」
 懐から陰陽玉を見せて、できるだけ決め顔して言っておく。本当は使い物にならないんだけど、こういうアイテムって見せるだけでそれっぽいもの。
 効果はそれなりだったみたいで、二人ともまだ言いたげではあったけどとりあえず不安なく了承してくれた。私と霊夢さん両方の信頼のおかげね。そんなこんなでいざ三人で実地調査へ。この未知なる家がなんたるかの手掛かりを探しに、ドキドキワクワクの探検が始まった。
 出歩いて見ると、やはりというかこの家はなかなかにファニーでユニークな場所で。
 ガラリ。
「ゲーッ! くっさ!」
「……せっかくのお屋敷なのに」
「溜め糞されちゃ形無しよねぇ……」
 ガラリ。
「茶の間だ、やっぱりここ良い家なんだね」
「えーっ、お前こんな場所住みたいなんて思うのかよ」
「まあ、茶の間より玄関の方が欲しいところよねぇ」
 ガラリ。
「キャーーーッ! すごーーい! 妖気で溢れた本棚ばっかりーーーー!! やっぱりこういう場所があると思ったのよ!!」
「……お姉ちゃん、変なスイッチ入っちゃった」
「……とりあえず、待とっか」
 とまぁこんな感じにうろうろしていた。
 結局、本は珍しくもないものばかりで期待外れ。妖力は感じるのだけれど……ただそれだけであって面白いものでもない。部屋から出てくる気が染み付いているだけなのだろう。
 文字は気持ちを込める入れ物。そんな文字の塊でもある本は気が集まりやすく、比較的付喪神にもなりやすい。曰く付きの場所に置いておくだけ、漬物方式のなんちゃって妖魔本なら案外簡単に作れちゃうのよね。
「手がかりなし、かぁ」
「お姉ちゃーん、いい加減俺疲れたよ」
 家探しを始めてから結構時間が経ってしまっていた。まぁ、その大半は書斎の膨大な蔵書への調査にかかっているんだけど。つい、ね。
 しかしまぁ、家の中を歩いているとモワモワと疑問が立ち込めてきてくる。
 寝床がある。広い部屋がある。本だってたくさんあるし、食べ物もあるらしい。妖力こそ満ちているけれど、今のところ害もない。長時間ここにいる白百合の子にも異常があるとは思えない。
 タヌキたちが荒らした跡さえ掃除してしまえば、いっそ住むに困らないのではと思ってしまうほど居心地がいいじゃない。
 そういえばタヌキたちもそんなことを言っていたという話だっけ。出ていく気がしなかったとか。うん、この家はあんまりにも都合が良すぎる。
 タヌキを結界の外からこっちに連れてくるだけなら、こんなに広い場所はいらない。そもそも民家の形をしているのも不思議。山に住むタヌキではなく家に住むタヌキを呼び寄せるため? ううん、それなら開けた部屋は作らない。タヌキが臆病というならきっと狭い物置みたいな場所の方が落ち着くはずだもの。
 人の家の形をしているからには、きっとここは人を閉じ込めるために作られているのだろう。ここは人を住ませるために作られた家なんじゃないかな……当たり前のようなことだけど。
 となるとここは安全なのかしら……いや、それは甘過ぎるなぁ。そんな風にタカを括って失敗したばかりじゃない。
 タヌキはこうも言っていた。何かに襲われて追い出されたと。
 この家のどこから出られたのかは分からない。けど襲ってくる敵がいたことだけは確か。タヌキたちと同じように熊でも迷い込んだのかしら。今のところそんな大きなものが住んでいる気配はしてないけれど。
 うーん、これも甘い考えかもしれないけど。もしかしてタヌキたちが襲われたのって────。
「……ちゃん、おねーちゃーん! ねえ、おねーちゃーーーん!」
「わっ、え? あ……」
 もう何度目になるかのクシャ髪くんからの嫌そうな視線。状況を飲み込むまでしばし時間がかかる。
 しまった。二人を放っておいて一人で考え込み過ぎていた。この間魔理沙さんにも怒られたっけ。早くこの癖直さないとなぁ。
「あぁ、ごめんごめん……ちょっと考え事してて」
「今日は休もうよ。お姉ちゃんもぼーっとしてるみたいだし」
「だから考え事だってば」
 なんだか腑抜けた人みたいに思われてないかしら……。年頃の子って生意気。私は大人だから寛大な心で許すけど。大人だから。
「でもそうだね、今日はもう休んじゃおうか。多分外はもう暗い頃────」
 途端に走る地響きにはたと口を止める。
 次には轟音とともに激しい衝撃に家全体が揺れ、床が跳ね上がったかのように体が浮かび上がる。転ばずに着地できた、と思いきや今度は横に吹っ飛ばされるように揺れが襲う。
 ガバリと起き上がり、周囲を確認。
「二人とも怪我は?!」
「だいじょう、うっわ!」
 声をかけられたのも束の間。途端に床が壁の様に反り立ち始め、私たち三人は転がり落ちながら廊下を走っていく。何が起きてるかなんてサッパリだけど「頭を守って!!」と叫び自分も丸まる要領で身を守る。閉じた視界の中で分かる情報は体中をぶつける痛みだけ。
 子供たちがどうなってるか。それだけはなんとか確認しなければと、目だけを必死に走らせてどうにか二人の着物の柄だけは捉えられた。
「うわっ!」
 三度、衝撃。今度こそ体が完全に投げ出されてしまい、下へ真っ逆さま────!
「ぐえっ!」
 本日二度目の汚い声とともに着地。傍でピシャリと何かが閉まる音が聞こえた。
 音も気になるけれど、まずは身のことが先だった。なんとか頭は守ってたけど……起きあがろうとして痛みが走る。あちこち打ちつけて打撲になっちゃってるみたい……。
「あたたた……」
 首を押さえて痛みを誤魔化しながら、顔を上げる。
 まず見えるのは深い色をした木造りの戸。上座に置かれた竹造りの小さな座椅子。長机を囲むように置かれた座布団。糸鞠や魚などの形をした吊り飾り。二方の壁を包む、たくさんの落書きがされた書類棚たち。
 最初に落ちた部屋ほどではないけれど、ずいぶんと広い。手を入れられているようで暖かみのある明け透けさに包まれた部屋だった。
「居間……」
 何を持ってしてなのか、こういうのは見ればすぐ分かるものだった。
「なあ、大丈夫かよ……」
「いたた……うん、平気」
 クシャ髪くんと白百合の子も私と同じように大怪我はしていないようだ。
「……また都合のいい」
 私たちが吹っ飛ばされたのは座布団の山の上だった。居間にあって当然のものだというのに、こうも高く積み重なってしまうと違和感が凄まじい。
 なにより、ここだけはタヌキが入ってこなかったのか妙に綺麗だった。
 家自体が傾いてここまで転がらされてきたのだ。何らかの意図が働いて私たちが閉じ込められたのは間違いない。今はもう床が下に戻っているようだけれど……。
 轟音が鳴る。しかし先ほどと比べるとずいぶんと遠くから聞こえるようで、届いてきた振動もずいぶんと小さい。
「逃げられた、んでしょうか」
「……どうかな」
 嘘でも大丈夫だと言ってあげた方がよかったかも、と口にしてしまったから気付く。しまったと顔を二人に向ける。
 子供たちの顔に映っていたのは、今日に見たことないほどの不安と恐怖。
 何を言うべきか、言葉を告げなかった。
 一体何が起きているのか。この家から出られるのか。この先どうなるのか。無事でいられるのか。その顔は色んなことを問いていた。
 思えば、私はそういったことに何一つ答えてこなかった。分からないから。考えてもしょうがないから。本当にそうだったのだろうか。
 轟音が鳴る。先ほどより音が明らかに近い。何かが歩いてこちらに向かってきているかのようだった。
 子供たちは戸を見つめ固まっている。恐ろしいものが迫ってきていることが、本能的な部分で分かったのだろう。
 分からないことが怖いのは当たり前だ。それは小心者の私が一番分かっていたことじゃないのだろうか。どんな些細なことでも伝えてあげなければいけなかったんじゃないだろうか。
 だって私は大人で、調停官じゃない。
 轟音が鳴る。振動でまた体が揺さぶられ始めていた。間違いない、何かがここを、私たちを目指して近付いてきている。
「────大丈夫」
 口から出た声は、自分でもすこしおかしくなっちゃうくらい頼りなかった。
 二人がこちらを向くと、再度衝撃が走りまた目線が戸へ。
「大丈夫!」
 かき消すようにもう一度言う。
 痛みで身を捩るようにして立ち上がる。あぁ、もうボロボロ。まぁ私はそもそも強くないし、全快でも変わんないよね。気合いが入る分、今の方がマシかも。
「何かあったら守ってあげるって言ったじゃない。これでも霊夢さんと一緒に仕事してるんだから、危ないのは慣れっこなの!」
 陰陽玉を取り出す。何の役にも立たない、単なるお守りみたいなものだ。けれど今はそれだけでも頼もしく感じてしまう。
 子供たちを守らないと。大人として、責任を果たさないと。なんとか足を踏ん張る。それでもって、笑った。
「しっかり私が、帰してあげるから」
 力が無いからなんて、関係ない。やらないといけない。そう思えば怖くない、なんてそんな都合よく気持ちは変わってくれないけど! でも立ち向かう気持ちがちょっとくらいは芽生えてくれた。
 戸に向き合う。また音とともに揺れが走って、うっかり体が崩れかける。あぁ、もうずいぶん近いらしい。正体不明の敵が迫り来る、それに立ち塞がる調停官! きっとさぞカッコいい場面なんだろうけど、今は何より怖くて仕方がない!
 やっぱりカッコつけすぎたかもしれない、あぁ今更ちょっと後悔。
 せめてなにか武器を。炊事場に出られれば金物なんかがあるだろうけど、この家じゃ今の隣が炊事場だなんて限らないし、そもそも自分から外に出たくない……あ! そういえばそもそも敵が目の前の戸から入ってくるなんて限らない、他に出入り口があるんじゃ、それにやっぱり武器も欲しい! 周りを見渡す。
 神棚、賞状、それにやけに尖った三角の旗? あぁなんでそんな要らないものなんか飾ってるのよ。余計なものしか目に入らない。他の場所、なにか無いの!
 そう歩き出すと、もう体も心も余裕がないのだから仕方がない。哀れにも何もないところで転びかけ、すんでのところで柱に手をつき助かる。
 大黒柱だ。さすが家を支えてくれることだけあって、私のことも……
「──────あ」
 見つけたのは、取るに足らない、なんでもないものだった。
 家を出る手立てにも、身を守るための術にも使えない。取るに足らない小さなこと。
 轟音がもう一度鳴る。戸が響き、激突の余波が襲いかかる。もはや振動ではない、空気の壁だ。けれど私はもう身構えることをやめていた。
 まず、そう。この家は危険なものではないし、危険なものが住んでいるはずもない。それだけは断言できた。
 さっきの自分だったら何よりも嬉しい報だったはずだけど、そんなことはもうどうでもよかった。体の力が抜けて、その場にへたり込む。
 もう一度、戸に激しい衝撃。でもこれは、きっと敵じゃない。呆然とそれを眺めていた。二度、三度、とそれが続き、ついには戸に穴が空く。
「……敵じゃない」
 きっと子供たちが怯えているだろうから、そうとだけ告げる。
 突き破ってきたのは、見覚えのある包帯まみれの腕。
 腕が引っ込み、今度は二つの手が穴を掴んでこじ開けてくる。戸がミシミシと音を上げ、割れていく木の悲鳴となり、ガラスが割れたかのように一際高く破裂音が鳴る。空間にヒビが走った。抗う力をねじ伏せるように手はヒビを広げていく。
 やっぱり力業で解決できるのが一番手っ取り早いみたいだった。
 バキン。
 降伏したかのような音が鳴るとともに戸が両の壁へと吹っ飛び、派手に激突音と土煙を巻き上げる。舞い上がった風に反射的に目を閉じ、ゆっくりとまた前を見ると視界は完全に遮られていた。
 やがて見えてくる、等身大の一つの影。奥から現れたのはやはり見知った顔だった。
「助けに来たわ! あなたたち、無事!?」
 今日会っていたはずなのに、なんだかちょっと懐かしい茨華仙の声が部屋に響き渡った。



 引きずりだされるようにして、あの屋敷を脱出した。行きはゆっくり降りてきたけれど帰りは超特急。あの不思議空間を圧縮したような光景が流れていき、物凄い勢いで元の世界にたどり着いた。
 人里は飲み歩く人すらいないほど、すっかり真っ暗だった。
 立つ元気はなく、寝っ転がりたいほど。妙に緊張してしまったし、どうにもこっちと向こうの行き来は体力を使うみたい。被害者三人仲良く、地べたに手をついて座り込んでいた。
 そんな私たちを見下ろすように、茨華仙とマミゾウさんが安堵の表情をして立っていた。二人の持つ黄いろの明かり、どことない安心を覚える。
「ひとまず、もう安全よ」
 茨華仙の優し気な声に糸が切れたのか、子供たちはすっかり泣き出してしまった。
 そりゃあ、めちゃくちゃ怖かったもの。家を揺らしていたのは茨華仙だったのだ。私たちを呼び戻すために、外から空間を壊して侵入してきたらしい。いったいどういう理屈なのかは分からないけれど、なんとも荒っぽい。
 泣いたまま立てずにいる子供二人に茨華仙はそっと寄り添い、何やら声をかけながら頭を撫でている。こんな優しい仙人の姿からは想像もつかないけど、めちゃくちゃな人……。
 大体、子供たちが泣いている原因の七割くらいは茨華仙本人だもの。一見優しいけどよく考えたらアメとムチというか、マッチポンプというか。
「お前さんまで居たとは予想外じゃったが……なるほど。結果としては助かったぞい」
 マミゾウさんがしゃがみ込んできながらなんだか得心した顔をしていた。はて、助かった?
「私、何か役に立ってました……?」
「この場所から結界の歪みが見つかってな。おそらくお前さんが神隠しに遭った跡じゃろう。そこからあの仙人に突入してもらったわけじゃ。お前さんが手掛かりを作ってくれた形になるの」
 そういえば、視界が低いし、周りが暗いせいで気付いていなかったけど……ここは茨華仙らと別れた場所から家までの帰り道だ。
「よくそんなもの見つけましたね」
 歪み、といってもそれはきっと微かなものだろう。寺子屋に向かった時には茨華仙もマミゾウさんも何も感じてなかったみたいだったもの。時間が経って消えてしまったか、よほど小さいものだったか。そんなに派手に残るものではないはず。
「なぁに、人海戦術じゃよ。元々は捜査ではなく警備のつもりじゃったんがな」
 ついとマミゾウさんが後ろに目線をやる。何かを示している?
 なんだろう、と釣られて目を凝らしてみるけれど。暗いせいなのか普通に家が建っているようにしか見えない。次第に目が慣れてくる。けれどやっぱり何も分からず、もしかしてからかわれているだけかも……と思い始めたころに家と家の隙間に黒い影が蠢くのが見えた。猫にしても、アナグマにしても太すぎるシルエット。
「あ」
 タヌキである。それもきっと、昼間探していた外から流れ着いてきたタヌキたちではない。
「……霊夢さんが知ったらなんて言うかなぁ」
「じゃからこっそりとな。ふぉっふぉっふぉ」
 間違いない。あれは化け狸だ。マミゾウさんの口ぶりから察するに、きっと一匹や二匹どころじゃない。里中に隠れているはずだろう。確かに人里全てを見回るには人手が足りていなかったけど、そんなのは明らかにルール違反じゃない。
 ズルと組織力と力業と、なんだか途方もない方法で助けられていて、思わず渇いた笑いが出る。文字通り人間離れ……。
 いつになったらこの人たちに追いつけるのかなぁ。
「とりあえず、ありがとうございます。正直抜け出す方法が分からなくて」
「なぁに、これくらいは軽いもんじゃよ。お礼をしてくれるというなら……どれ、向こうでの様子でも聞こうかの」
「そんな必要はないわ」
 茨華仙の声はホッとした空気を断ち切るように鋭かった。
「あの家の中に妖怪が居た気配はない。誰かが結界を作ったような跡も感じられなかった。となると、あの家自体が妖怪である可能性が高いわ」
 やっぱり。床が動かして私たちを居間に閉じ込めたのは他でもない、家がそうしたのだ。人が住むのに都合が良いのは、家の妖怪だもの。そうしなきゃ家として存在が保てないんだろう。
 だからきっと、私たちを居間に誘導したのは家の妖怪にとっては助けるつもりだったのだ。
「里の子供を攫う妖怪なら今すぐ消す他ないもの。無くなる場所の話なんて、知ったことじゃない」
 声だけではない。立ち上がってこちらに向き直った茨華仙の風貌はどこか冷たく、どこまでも深い怒りが感じられた。
「人間の敵に対しては随分とおそろしいのぅ」
 マミゾウさんはどこか含みのある笑いをしていたが、茨華仙は意にも返さないようで何もない地面を見つめ出した。私たちがあの空間から引きずり出された出口だ。なにやら右腕を伸ばす。
「あの妖怪は私が退治するわ。あなたたちは子供たちを────」
「待ってください!」
 たまらず立ち上がって茨華仙の腕を掴んで止める。
 ぐにゅり、とした異質な感触。
 ワッと驚いて手を放してしまう。思わず自分の手と茨華仙の包帯に巻かれた手を見比べる。今掴んだのは腕、だよね? こちらとあの家を繋ぐ空間に似た感触だったような……入口をこじ開ける術みたいなものの影響だろうか。そう結論づけて、頭を切り替える。
「退治しちゃ、ダメです。あの家は悪いことしようとしたわけじゃないんですから」
 予想もしない物言いに驚いたのか、それとも術の最中に邪魔されて動揺したのか、茨華仙は目をシパシパと動かしていたがやがて落ち着いてきたのか、また目に冷酷さが戻る。
「何を根拠にそんなことを? 何があったかは知らないけれど、あれは里の人たちにとって危険極まりないものよ」
 決してこちらに敵意を向けた言葉ではない。けれど、その文言は毅然とした否定でもあった。厳しく、追求にすら近いプレッシャーを感じる。
 でも、譲れなかった。
「現に、私もその子たちも危害は加えられていません。こうして生きているんですから」
「誘拐は危害じゃないと? 里の人間に手を出した妖怪へ情けをかけるなんて、愚劣もいいところ」
 こちらの手緩い考えが気に障ったのか、一気に鋭く尖った視線がこちらに刺さってくる。思わず背筋がまっすぐに伸びて寒気の波が走る。あぁ、霊夢さんなんか目じゃないくらい怖い……。
「いつになく言葉が殺気立ってるじゃないか」
 空気が張り詰めてきているのも意にも返さず、マミゾウさんがかっかっかと笑いながら言う。茨華仙に代わって子供たちに寄り添い、背中を叩いてあげている。オロオロとしていた二人はまだどうしていいか分からないようでマミゾウさんの顔を眺めている。
 茨華仙は眉のシワを一層深めるも、やがてムググとでも鳴りそうに口をへの字に曲げた。
 その行動が子供への優しさだけではなく、子供の前だぞという牽制を兼ねていることにしばし経って気付く。流石、ボスらしい面倒見の良さとしたたかさ……。
「それじゃあお前さんはどうしたい? まさか誘拐犯を放っておくわけにもいかんじゃろ」
 マミゾウさんは私に向かって問いかける。茨歌仙の柔らかい顔とも厳しい顔とも違う、値踏みしてくるような笑み。
 私の手番が渡される。あまりに分が悪いと見て味方してくれたのだろうか。
 子供と一緒に気を遣ってもらっているようでなんだか恥ずかしくなるけど、ありがたいものはありがたい。気勢を削がれた茨華仙は、ちょっぴりだけ戦いやすいように見えた。
「……あの家は────────」
 一呼吸してから始めた私の話をマミゾウさんは変わらずの笑顔で受け取り、茨華仙は隠す気もないように眉をひそめていた。
 そんなに長い時間口を動かしたわけじゃないけれど、話し終えると一息つきたくなった。
「……確証が持てないわ。そんな甘い同情で動くことはできない」
 やっぱり茨華仙は私の提案をすんなりと受け入れてくれなかった。
「あれを残しておけばまた誰かが攫われるかもしれない。そもそもまた近づくことだって安全とは言い難いわ。わざわざ危険を冒してまで、なぜ助けようとするの?」
 なぜ。
 そう問われると、私はちゃんとした答えが出せない。誘拐犯なんて退治してしまえばそれが最も後腐れがない。里で人に危害を加える妖怪などいない方がいい、駆除するべきだ。妖怪としてのルールを犯しているのだから、調停官としても庇う義理立ては無い。考えれば考えるほど、論理は自分の気持ちを否定する方に形成されていく。
 あぁ、そうか。
 私がやりたいことは正しいことではないのかもしれない。というか、きっと、茨華仙が正しいのかも。そう気付いた。
 だから、私が今動きたいのは正しいからとかではなくて────。
「────そんなの、可哀想だからに決まってるじゃないですかぁ!」
 夜中には不適切な声量だったかもしれない。みんな随分驚いていたもの。顔も泣きそうにもなってたし、みっともない。
 要するに、私は開き直ったのだ。この衝動は決して正しくない。後先も算段も考えていない、優しさと言うにはあまりに拙い感情。今私を突き動かしているのはただのわがままだった。
 呆れられるだろうか、そうだろうなぁ。けれど私にはこう言うしかなかった。
「カッカッカ!」
 返ってきたのは予想だにしていなかった上機嫌な笑い声だった。
「なんじゃいその情けない訴えは。すこし偉くなったと聞いたんじゃがな。立派になったのは肩書きと背丈かい」
「……我儘なのは分かってますよ」
 ほぉ、と息を吐いてマミゾウさんがこちらに歩み寄る。
「そうじゃのぅ。お前さんの言い分はただの我儘、まるで子供じゃ。儂等が従う道理は無かろうて」
 言葉とは裏腹に、その態度は柔らかく諭すようだった。聴いていると落ち着いてくるような、場を支配する声。こちらを見る視線は決して刺さってきたりなどはしないけれど、目を逸らせる気がしなかった。
 じゃがのぅ、とマミゾウさんは続ける。
「自分の思いを貫き通せる力があるのが大人、そうは思わんか?」
 またも予想外の言葉に、しばし意味を飲み込めないまま呆けてしまった。
「……えぇと」
「貴方……!」
 ようやく出てきた返事は茨華仙のそりゃあもう恐ろしく静かな怒りの声の前にかき消された。
「元々相談を受けたのは儂等じゃなかろう。決めるのは調停官様じゃよ。なぁに、儂も付き添ってやるわい。危険になればすぐ止めて帰ってくる。そしたらお前さんが退治でも何でもかんでもすれば良い」
 茨華仙を尻目に相変わらずマミゾウさんは飄々としていた。その態度に決して剛さはない、けれどマミゾウさんの背中がどこまでも大きく見えた。
 協力してくれる。そう言っているんだ。
「またその子をあんな場所に向かわせるつもり?! ただでさえ私が無理やり入口を開けたせいで不安定になっているの、次に帰って来られる保証はないわ」
「本人がやると言うとるんじゃ、そこまでは責任が持てんわい。どれお前さん、帰ってくる手段……というかまず入るアテはあるのかい。一度敵が入ってきたんじゃ。向こうも簡単には入れてくれぬと思うが」
 そう聞かれると答えは一つだ。
「無い、ですけど」
 予想通り茨華仙の眉が一層に吊り上がって一歩踏み出してきたのを見てすぐさま身構えたけれど、それをマミゾウさんが制する。
「そうじゃろうな。まったく、無計画で危なっかしい」
 そう言うとマミゾウさんは懐に手を入れ、一つの巻物を取り出す。それを見て思わず声を上げそうになるほどの驚きが心の底から噴き出す。
「こいつは貸すだけじゃ。あとは自分でどうにかせい」
 これを目にするのは幾年ぶりか。けれど見間違うはずもない。私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺がマミゾウさんの手にあった。



「行きますよ!」
 巻物を腕いっぱいに広げて念を込める。絵巻の妖気が脈を打ち、次には黒い手たちが溢れてきた。立ち上った腕たちは折り返すようにして地面へ突き刺さり、何かをこじ開けていく。あの家の中で聞いた音に似た、バキバキと何かが壊れていく音が響く。
 バキン。
 途端に地面に穴が広がって私、それとマミゾウさんは真っ逆さま。
 初めて落ちた時に感じた浮遊感はどこか薄れているようだった。体全体が明確に落ちていることを自覚している。
「思った以上に妖力が不安定なようじゃな、あの仙人がよほどの強行をしたと見える」
「分かるんですか?」
「結界にしちゃ力が緩い。入口を締めていたのも最後の力だったのかもしれんな。下手するとこのまま結界の狭間に落ちて永久に出られなくなるかもしれんぞ」
「えーーーーっ!?!!」
 あの家を助けたいと言ったのは自分だけど、それは困る! まだやりたいことなんていくらでもあるのに!
「ほれ、入口はあそこじゃろ。見逃せばどうなるか……」
「変なプレッシャーかけないでくださいよ!」
 マミゾウさんが指差した方向には光が差す隙間が見えた。そこから畳が覗いている。間違いない、あそこが家の入口。
 絵巻から再度腕を伸ばす。二つの腕で隙間を端を掴む。さらにもう一本生やしてマミゾウさんをぐるぐるに掴み、隙間を引き寄せるようにして飛ぶ。
 突っ込む勢いで家への二度目の着弾、といきたかったのだけれど。
「え?!」
 家の中はバラバラになっていた。空間ごと千切れ、割れたかのような異様な光景が広がっている。私とマミゾウさんは見事にその千切れた狭間へ一直線────!
「ぎゃあああーーーーッ!」
 必死に絵巻に気を送り、といってもイマイチこれで合ってるか自信ないし、久しぶりだし!もう正しいかとか分からないけど、とにかく気合を込めて絵巻を握りしめるしかできない!!
 妖力が溢れ出す。絵巻から無数の腕が突き出し、そこらじゅうの物がある場所を掴み出し蜘蛛の巣を張ったかのようになり、ようやくブレーキがかかった。押し潰されるかのような感覚に襲われるけど、生きてる……。
 し、死にかけた……思わず呼吸が荒くなる。しばらく落ち着くまで、ゆっくり深呼吸しないと……。
「す、すまんがどこかに降ろしてくれんかの……」
「あっ、ごめんなさい!」
 括られたままビョンビョンと振り回されていたマミゾウさんは先程までの余裕はどこへやら、かなり青ざめた顔をしていた。その状態で飛び回っていたら、そりゃあ私よりダメージが酷くなるに決まっている。
 巻物を下向きにし、自分の体ごと上に昇るよう腕を伸ばす。腕の根元が足下で束ねられて垂れ下がる形だ。蜘蛛の巣の形から、今度は蜘蛛そのものみたいになっているだろう。
 マミゾウさんを掴む腕を引き寄せて、足場に下ろす。私以上にどっと疲れた顔だ。
「もっと、安全運転は、できんのかい……」
「すみません……」
 二人とも早速息絶え絶えだけど、とにかくなんとか着いた。
 周りを見渡す。一応家には入れたらしい。途中の通り道のようなふわふわした感覚は一切ないけれど、見た目はさほど変わらない。飛び島みたいに家の一部がそこら中に浮いている。
 これ全部茨華仙が壊したのかしら……どれだけ派手な突入をしたか、この光景だけでなんとなく分かる。
「……まぁ、上手いとは言えんがの。出来るもんじゃないか……」
 少しだけ呼吸を整えたマミゾウさんがそんな労いをかけてくれる。
「なかなか、忘れないみたいで……」
「ふぅ。それじゃあ、後は任せたぞい。儂は手を出さんからの」
 ようやく落ちついてきたマミゾウさんへはい、と返事をして絵巻へ意識を集中する。巻物を掴む手からだいたい、おおよそどこから強い妖気を感じるかが伝わってくる。居間の場所は……あっちだろうか。
 見当をつけて妖力を込める。腕を生やした蜘蛛が飛び上がり、そのまま散り散りになった空間を足場にして飛び交う。
 側からみればどんな見た目になっていることだろう。ちょっとだけ妖怪気分で楽しいかも……。
 大きな足場にたどり着く。あの長廊下だ。ところどころ壊れているものの、まだ形を保っている。こうなれば飛ぶより走った方が早い。腕が蠢き、だかだかと床を揺らしながら走っていく。
 廊下の端が見え、その先の空中に戸が浮いている。あそこが入口だ。
「いっけーーー!!」
 ふたたび蜘蛛が宙を舞い、戸へと飛びかかる。幾つもの手が戸を掴みにかかる。そのまま横開きにしようと腕を使役させるが、開けまいという抵抗する力が働き戸を震わせるに留まる。家が敵から居間を守ろうとしているんだ。
 ちょっと、いやかなり荒っぽいけど────ごめんね。
 心の中で謝りながら一気に気をこめる。黒い腕が一気に外へ開き、戸が破壊音と共に開けられる。
「突入します!」
 それっぽい声がけをして絵巻を閉じて蜘蛛から飛び出し、開いた部屋へ入っていく。勢いに任せて飛び出したはいいけど着地を考えていなくて、ほとんど倒れ込むようになってしまった。
 振り返ると黒い腕から霧のようなものが立ち込めていた。妖力を失ったんだ。きっとあのまま消えていき、最後には形も残らないだろう。
「ここが話に出た居間かのう」
 私と違い、綺麗に着地を決めたマミゾウさんが周りを見渡していた。私もスマートに決めたいんだけど、やっぱり場数が違うのかしら。
「えぇ、間違いなく……」
 起き上がりながら周囲を見渡すと、先ほど見た居間の景色がそのまま残っていた。先ほどまでボロボロの空間にいただけに、そのままというのはおかしささえ感じる。
 やっぱり、そうか。私の確信が深まる。
 ヒュン、と風切音が鳴る。目を向けると真っ直ぐむかってきているのは、包丁?!
「キャッ!?」
「おっと」
 グジョッ、と生々しくどこか奇妙な刺殺の音。
 反射的に出した手を避けると、目の前では人の形をした、記号みたいな何かが私の身代わりになっていたのが見える。
 もしかしなくても、マミゾウさんが庇ってくれたのだろう。
「いかんいかん、手を出さんという話じゃったな」
「……すみません」
 どう考えても気を抜かしていた私が悪い。
「ほれ、次が来るぞい」
 マミゾウさんの言葉で一気に警戒心が高まる。聞き耳を立てれば金属がカタカタ震える音が部屋中から響いている。
 次の瞬間、部屋から物という物が吹っ飛んできた。
「うっわ!」
 巻物を開き、黒い腕を正面に放つ。
 一個一個叩き落とす暇なんてないし、そんなに細かく動かす自信もない! とにかくたくさんの腕を出して壁のようにして身を守る。
 腕の隙間からはお玉や菜切り包丁などの金物、時計や椅子、果てはちり紙入れなどとにかくしっちゃかめっちゃかという他ない。あまりの数で、まるで雪崩みたいだった。
 物がぶつかる感覚がなんとなく伝わってくる。その数が一向に収まっていくような気配はない。埒が開かない。
「こんっの……!」
 今日一番、目一杯の妖力を全身から絞り出す。気が波打ちながら指先から巻物へ走っていくのを感じた。
「いい加減に、しろっ!!」
 突き出した巻物から溜め込んだ妖力が一気に吹き出し、私の身丈よりも太い巨大な二つの腕が飛び出し、飛んでくる全てを薙ぎ払った。
 そのまま壁に叩きつけ、押さえ込む。家具が破壊される甲高い悲鳴のような音と壁が容赦なく叩かれる残酷さすら覚える衝撃音が部屋を包み、静寂が訪れる。
 家の中で嵐が起きたかのような荒れ果てた殺風景が広がっていた。
 ここまで暴力的にやるつもりはなかったのだけれど……加減が分からないんだもの。
 ひとつ呼吸を整えて罪悪感を押し殺し、まっすぐ歩み出す。
 茨華仙が突入してきたとき、大黒柱に触れたときのことだ。そこから他と明らかに違う量の妖力を感じた。
 この家の本体とも言える場所は大黒柱なのだ。
 側からペンが飛んでくる。必死の抵抗のようであったけど、なんてことはなかった。黒い手でそれを防いで構わず歩く。
 そう広い部屋でもない。すぐに目的地には辿り着いた。
 大黒柱に手を触れる。記憶よりもずっと妖力が弱まっている。茨華仙からの攻撃もあるし、先ほど力を使いすぎたのもあるだろう。
 けど私が確かめたかったのはそんなことではない。くるりと柱の裏に回る。
 うん、やっぱり。間違いない。
 先ほど見つけた、小さな傷と刻印がそこにはあった。

『1958 6.4 ミチ子』

 よくある話だ。大黒柱に子供の背丈の高さの線と日付を刻み、成長を残す。里でもそう珍しいことでもない、なんでもない傷だった。
 けれど、私にとってこれは取るに足らないものなんかにはできないのだ。その文字に刻まれた深い愛情が見えてしまうのだから。
 傷はこれ一つだけではない。刻まれた日付に従って傷の位置は高くなっていき、その差が短くなっていき収束するように刻まれなくなっている。
 かつてこの家に子の成長を願う幸せな家族が住んでいたのだろうことは容易に想像できた。とても深い愛で満たされた時間が、この家で流れていたのだ。
 家とは人を住まわせるためのもの。この家にとってもそれはとても幸せなことだっただろう。
 これを見つけた私は同時に、この家に落ちてきた時のことを思い出していた。
 あの時私はこう考えていた。帰りたい、と。
 少しでもいいから安心したかった。落ち着いて休める場所を求めていた。タヌキたちだって、きっと子供たちもそうだっただろう。帰りたいという気持ちがキッカケで、この家に繋がったのだ。
 この家は、家自体が妖怪なのだ。
 今までの行動は全部きっと、人恋しかっただけ。その証拠に、茨華仙から私たちを守ろうとしていた。家族の居場所である居間だけは必死に形を保っていた。愛情が刻まれたこの柱を守ろうとした。
 この家は誰かにもう一度、住んでほしかっただけなんだ。だったら、私がかけてあげるべき言葉は一つじゃない。
「────ただいま」
 辺りの妖力が輝きに満ち出した。



「あれは付喪神になりそこなった、幽霊に近い存在じゃろうな」
 事件の後、マミゾウさんは自分の見解を話してくれた。
「付喪神は普通、もっと小さな道具がなるものじゃろ? 家のような大きなものが妖怪になるには生半可な妖力じゃ足りんからの。きっとあの家も妖力が足りず付喪神になりきれんで、妖力だけが家の形をして彷徨い出して結界を超えてきたんじゃろ」
 直に大黒柱に込められた思いを見た私には、納得がいく話だった。
「外の世界ではな、今は誰も住んでいない空き家が大量にある。まぁ人が減ったり税金だったりが影響しているんじゃがな、無念を思う家は他にもあろうて」
「なら他にも似たような幽霊がこちらに来るんでしょうか?」
「それはないじゃろうな。ああなるだけでも相当な妖力が必要……例外じゃよ」
 それだけ長く家族を見守ってきた家だったのだろう。人間だけでなく、住処を求めていたタヌキと結びつくのも納得がいく……けれど。
「なんでタヌキだけが住みついたんでしょう。外の世界にも他の動物はいるでしょう? タヌキだけが家を求めていたなんてことはないと思うんですが……」
「そうじゃのう……これはあまりアテにしないで欲しい推論じゃがな。タヌキの生態が大きいかもしれん」
 マミゾウさんはちょっとだけ恥ずかしそうにして続ける。
「タヌキというのはな、珍しいことに一家で仲良く暮らす習性があるんじゃよ」
 あくまでも、住民ではなく愛を求めていたらしい。
 それじゃあそんなタヌキを追い出したのは一体何だったのか。その正体も、あの家だったらしい。
 まぁ結局、人の家にタヌキは合わなかったんじゃないかしら。いっぱい荒らされていたもの。そりゃあ家からすれば怒ってほっぽり出したくもなるわよ。出口をわざと開けて、私を居間に移動させる要領で追い出してやればいいものね。
 人を誘拐し出したのはそんな風に暴れて混乱した中での犯行だったのだろう。
 妖怪として、自分の性に逆らっては生きていけない。なりふり構っていられないから人間を攫って、帰したくもないから閉じ込める。そうやって白百合の子が犠牲になったわけだ。
 私とマミゾウさんが突入したあと、白百合の子は突然倒れたらしい。診断は栄養失調。茨華仙の賢明な処置と給仕によりなんとか回復したという話だった。あの家自体が妖力で出来ていたのだから食べ物もまた妖力で出来たまがい物だったようで、外に出ると食べた栄養ごと消えてしまうみたいだった。あれ以上長く閉じ込められていたら、外に出た途端に亡くなってしまったかも……。とにかく、間に合ってよかった。
 それとまぁ、これはあんまり大っぴらに言えないことだけど。帰ってきたら説教されることを覚悟していたから、白百合の子を看病するために茨華仙が早々に帰っていてちょっとラッキーなんて思ったり。
 さて。そんな状態から無事に快方に向かっている白百合の子、それとクシャ髪くんが家に落ちてきたときの話を聞いてみたら。
「実は、家を出てから宿題をやってくることに気付いて……。慧音先生って、宿題を忘れた男子には頭突きをしていたからそれが怖くなっちゃって、寺子屋に向かわず逃げちゃいたいなぁって……」
「慧音先生の授業って、すっげーつまんねぇんだぜ! あの日も帰りたくてしょうがなくてさぁ。どうせ覚えられっこないような細かい話ばっかなんだから聞き流したんだけど、そしたら突然あの家に落っこちたんだよ」
 これは、その。ちょっと悩んだ末、流石に自分が子供がいなくなった原因の一部になったなんて知ったら傷つくだろうし黙っておくことにした。それにまぁ、伝えたって結局授業についてはなんにも変えないだろうし。
 そんなこんなで、事件の全貌は紐解かれていったわけ。まぁ、みんな無事だったことだし汚名は返上できたんじゃないかしら。
「ふぅ」
 筆を置いて一呼吸。返事のない手紙をこんなに熱心に書くなんて、私って優しいわねぇ本当。
「みんな無事、ね。本当に”みんな”よね」
 新しく手に入れた書斎を見渡しながらそんなことを呟いた。
 ここはいい。誰にも邪魔されないし、とても広いし、良い家具が揃っている。なによりも、屋敷幽霊の中だなんて風情があるじゃない。
 家の幽霊には、私の調停官事務所になってもらうことにした。
 調停官なんて名乗ったからには、やっぱり事務所か下宿かにいるべきよねぇ。今まではうちの店のカウンターを使わせてもらっていたけれど、いつまでも迷惑かけてられないとも思っていたし。
 私があの言葉を口にした後、屋敷幽霊は心が満たされたのかすぐに崩壊した空間を元通りにしていた。それだけでなく、余裕を取り戻したんだろう。歪みきっていた迷路空間から普通の間取りに戻っていた。
 なによりも、ようやくまともに玄関ができた。それもさまよう幽霊らしく住所不定の玄関。私が入ろうと思えば、どこからでも幽霊屋敷の玄関に繋がるの。素敵だと思わない?
 とは言っても、使えるようになるまで大変だったんだけどね。まずタヌキに付けられたであろう汚れはそのまま、というかむしろ酷くなっていた。どうも暴れていたころの屋敷幽霊は空間が歪んで大きく伸びきっていたようで、落ち着いた今は元のサイズに戻ってしまい汚れが濃縮されちゃったみたい。惨状は言うまでもなく……。
 タヌキのやったことの後始末はタヌキが、ということでマミゾウさんが掃除に手を貸してくれてようとしたのはよかったんだけれど、屋敷幽霊はすっかりタヌキが嫌いになっちゃっていて……。マミゾウさんたちが入るや否や大暴れしてもう大変。結局人間に変化して屋敷幽霊を化かせたのはマミゾウさんだけで、人手が足りないってことで茨華仙も巻き込んで……そんなこんなで家を綺麗にするまでひと悶着では済まず。今はとりあえず書斎だけは綺麗にして使える。墨と紙さえあれば快適なものだ。
「また百鬼夜行絵巻を貸してくれたら、掃除も楽なんじゃないかな~って思うんですけど。ほら、あれなら手が足りないなんてことなくなりますし~」
「いいや、もうあれはやらんぞい。危険で貴重じゃからな。あの時は特別じゃよ」
 私の時短と労力削減と趣味を兼ね備えた素晴らしい提案はあえなく却下された。
 あんな思い出の品が出てくるなんて、思いもしなかった。懐かしいなぁ。あの時の事件でマミゾウさんが回収したというのは聞いていたけれど。
 晴れて妖怪側に立ったのだから別にモノにこだわらなくてもなんてあの時は思っていたけれど、とんでもない。改めて握ってみたら溢れてくる妖力の物凄いこと。手放すに惜しい貴重な品だったことが今なら、昔よりも遥かに、とーーーーっても良く分かってしまう。
 ……まぁ今更返してなんて言えないわよね。あれさえあれば自力で戦えるんだろうなぁ。
「あんた、妖怪側になるつもり?」
 神社にて。今回はすっかり蚊帳の外になってしまっていた霊夢さんに事の顛末を報告をしに行ったところ、特に勝手に妖怪を使いだしたのと妖魔本で暴れたというのが気に食わなかったみたいでお小言と一緒に白い目を向けられた。
「妖怪神社の巫女に言われたくないですけど」
 そう返したら「生意気」と悪態を吐かれながら頭を小突かれた。
 霊夢さんの紫さん探しは時間がかかったものの、上手くはいったらしい。まぁ、今回について紫さんは無関係だったのだから当然骨折り損になってしまったみたいだけど。疑われた詫びに付き合ってくれてもいいじゃない、とお茶やらお酒やらとにかくずっと相手をさせられているうちに事件はどんどん進んでいってとっくに終わってしまったそうな。
 ……でもこれだけの妖怪が結界を越えてきたのに、紫さんが気付かないなんてことあるのかしら。霊夢さん曰く「気付いていてもすっとぼけそうな奴だし、あいつの考えることなんて想像するだけ無駄よ無駄」とのこと。ついでにこの文言のあと、「普段から人さらいばっかりやってるんだから疑われて当然じゃない」とか「会いたい時に限って出てこないのが一層胡散臭いのよ」とかとめどなく愚痴が溢れてきた。つまりまぁ、お茶しながらじゃれ合いを楽しんできたのだろう。
「そういえば、妙に熱心にあんたのこと聞いてきたっけ。独り立ちさせてもいいんじゃないってさ」
 あら、大妖怪に褒めてもらえるとなるとちょっと嬉しい。
「危なっかしくてそんなことさせられないって言っておいたけど」
 がっくし。
「そんなぁひどい、今回だって」
「妖怪に捕まって助けてもらったでしょ」
 うぐ。それはまさしくそのとおりで。
 しかし紫さんも私を気に入ってくれるのは嬉しいけど、それなら閉じ込められた時点で助けてくれてもよかっただろうに。マミゾウさんらが見つけた空間の歪みをスキマの専門家が見つけられないとも思えないし。
 ……やっぱりまた裏で何かされていたような予感。といっても、頭のいい人の考えることは良く分からない。勘ぐりは霊夢さんの言うように無駄だということで。
「……まぁ、よくやったんじゃない? 住んでもらえるならその妖怪も本望でしょうし」
 ……お?
 しばし固まって、瞼だけがぱちくりと動く。気を取り戻したところで何を言われたのか思い出すけれど、やっぱりなんだか言われたことが受け入れられずまた呆けて直してしまう。
「……なによ、人が褒めてあげたってのに」
「いやぁ……霊夢さんからそんな言葉を聞けるなんて、ちょっと気持ち悪いなぁって」
「あー?」
 霊夢さんが瞬く間に見慣れたちょっと不機嫌な表情になったのがなんだかおかしくって、軽く吹き出してしまう。次第に笑いがこみあげてきて、止まらなくなってしまった。
「なんなのよもう! 説教すればぶー垂れるくせに、褒めたら褒めたで人の事笑って!」
 そんなことを言う霊夢さんの顔に映る赤みは、怒りと照れのブレンドといったところ。素直なようで、ちょっと不器用。そんな霊夢さんがなんだかいとおしくすら感じて、そしてなにより、認めてもらえたことが嬉しかった。
 あとで手紙に書き足しておこうっと。そんなことを内心で思いながら、自分の満悦がバレちゃうのがなんだか恥ずかしくって笑い声で隠した。
 そんなこんな今回も無事解決。早く出てこないとどんどん面白い事件見逃しちゃうわよ、阿求。



「……見つけた」
 山の中の動物の住処を探すのはそう苦労のないはずだけど、化け狸相手となると話が変わってくるらしい。なかなかに骨が折れてしまった。
「……なんじゃ仙人様か。どうかしたかの? 」
 山の中、地が剥げて緑のない岩場にマミゾウは座っていた。
 おおよそタヌキが住むには適さない、それどころか大勢が集まって休むにしても足場の悪い場所。どう見ても普段の住処ではない。私を待っていた? 探していることに気が付いたのか。
「気遣いいただいて助かるわ」
「はて? なんのことやら」
 表面上だけの笑顔をひとまず返してやる。
「何を企んでいるのかしら」
「……目を付けられるようなことに覚えはありゃせんが」
「惚けるな」
 化け狸相手に婉曲な言い回しをしていては日が暮れる、とはいえ感情をむき出しにしても化け狸のペース。ただ強く、冷静に言葉を発してやるのが一番だ。
 こちらの顔を覗く相手の表情にはいまだ余裕が見える。化け狸ごときに舐められている事に対する苛立ちは上手く抑えられれば言に圧を乗せるのに役立ちそうだった。
「付喪神といえば化け狸とは協力関係にある仲。人里の有力者────その見習いの傍に置いておけばなにかと良からぬことができると思わない?」
 私の問いに対し、向こうは鼻白んだ顔を見せてきた。
「なんじゃ、そんなつまらんことを疑っておったのか」
「……はぁ?」
「小鈴を立ててやっただけじゃよ。それとも、お前さんの意見を無視したのがそんなに気に食わなかったのか」
「だとすれば甘すぎる。あんな妖魔本を貸してもあの子の力でもなんでもない、ただ自分の思うまま物事を進めるために他に頼り切っているだけ。そんなことが親玉の貴方に分からないはずがない」
 だから、きっと別の思惑があるのだ。
 人里は不可侵領域、それが建前であることは重々分かっている。しかし実際に知っている人間が危機に瀕しているところを見過ごすわけにはいかない。
 化け狸はフーっとキセルから吸った煙を吐いた。それは観念した深いため息のようにも見えた。
「ほれ、持ってみればいい」
 そう言って懐から取り出されたのは、先に小鈴に渡された妖魔本そのものだった。
 ……何が狙い? 疑ってはかかったが、特に不審な様子はない。まぁ何かされたところでやられるようなつもりもないけど。手で催促するように、より近くに差し出されたところでその巻物を掴む。
「……これって」
「そう。確かに妖魔本じゃがな、大したものじゃない。そいつは百鬼夜行絵巻というシロモノの写しじゃよ」
 巻物を握る手を通じて感じられる妖力はたかが知れたものであった。曰く付きなのは間違いない。しかし少なくとも先日に見たような強大な現象を起こせるような力は決してない。
「儂が持っておる本物を元に作ったんじゃがの、見ての通りクズ。多少物珍しいだけじゃよ」
「それじゃあどういうこと、あの時は何か細工していたの?」
「違う違う。小鈴はそれを使って侵入していったんじゃ。本人は偽物とは気付いておらんがな」
 ヒク、と口元が変に動く。
「……本当?」
「マジじゃ」
 向こうも私と同じような顔をしている。どうしたものかという苦笑いだ。
 何年も妖魔本と触れてきたせいなのだろうか。まだ空も飛べないあたりきっと妖力そのものはそれほど大きくないだろうけど、妖魔本を通して力を外に出すまでに小鈴の妖力が強まっているということになる。
「少しでも妖術らしいことが出来て頑張りが見えればそれで良しとしようと思ったんじゃがのぅ」
「人間の成長は早いものね……」
 私が知っている小鈴は神社のお祭りの手伝いに駆り出されるようななんでもない少女だったのだけど。
「本人には言わん方がいいだろうがな。心が追い付いているとはとても思えん」
「あぁそれは……今から柿でも植えて待った方がいいかもしれないわ」
 マミゾウがたまらずといった具合に笑う。だってあの調子乗りと来たら。今どきの若い娘はみんなああなのかしら。
 ……というよりあれくらいアグレッシブじゃなきゃわざわざ妖怪側に近づかないということなのかしらね。何人かの顔がちらほら浮かぶ。
「けど、やっぱり甘すぎるわよ。今回は良かったけど、あの妖怪がもっと危険だったかもしれないと考えれば」
「退治すべきだった、かの。お前さんも霊夢も、妖怪にはとことん容赦がない」
「霊夢のとは別よ。実害が出てるとなれば……」
「それが悪意があったことではないとあの子が見つけたんじゃよ。汲んでやろうとは思わんか?」
「それは……」
 そりゃあ、思ってはいたけれど。
「小鈴はお前さんみたいに真面目には生きられぬタチじゃよ。責任より自分の気持ちで動く。それがああいう優しさで動いているうちは、そう悪いことにはならんよ」
 少しは放っておけ、なんてまるで育児みたいな話だ。口うるさい自覚はあるけれど……。
 力もつけてきている。人里に頼られる立場にもなってきている。確かに、小鈴を尊重して見守るということも必要なのかもしれない。そこまで深入りするつもりもないが、霊夢にも言っておこうかしら。
「なかなか面白いものじゃよ。子分が育っていくのを見守るというのは」
 それは分かる気もする。ペットたちの成長は嬉しいものだ。マミゾウも、親分としてそういったことを楽しみにしているのかもしれない。しかし、だ。
「なんだかおばあちゃんみたいよ貴方」
「何を?! 儂はまだ若いわ!」
 マミゾウが珍しく口角を飛ばす様子がなんだかおかしくってつい笑ってしまう。
 まぁ、悪い気はしないか。
 長い一生にするつもりなのだから、楽しみくらい増やした方がいい。次代の幻想郷を担う人間がどのようになるのか、たまに見るのは良い刺激になりそうだった。
調停官シリーズ第二話です。そそわシリーズものが受け入れられない風土を感じていたのでちょっと怖いながらの投稿になります。
今回は小鈴がタヌキを持ち上げる画が思い浮かんで作り上げた作品です。
初期プロットでは「マミゾウが里にタヌキを送り込んだが、迷い込んできた屋敷幽霊に部下を囚われてしまい、小鈴を使って救出しに行きつつ絵巻を渡して貸しを作る形にするしたたかな話」というモノだったのですが、色んなキャラを詰めたりタヌキの生態を詰めたりしたら優しい物語になりました。世界は結構優しさで出来ています。
霊夢が責任、茨華仙が信条で動くのなら小鈴は感情で動くのかなと思っています。楽しくない仕事はやる気ないし、助けたいと自ら動く時に積極的にいて欲しい。そういう自己中な優しさが伝わっていれば幸いです。
ケスタ
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コメント



0.簡易評価なし
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
小鈴の危なっかしさや背伸びしようとする心、理想の大人像を目指して頑張ろうとする姿がふんだんに伝わってくる地の文で、長さを気にせず気持ち良く読む事が出来ました。
人間側としては実直過ぎる華扇と妖怪側としては人情臭くもあるマミゾウといった、書籍媒体でお馴染みでもあった二人のキャラクターを野生のタヌキというスタートから上手く描き出し、かつそれを通して小鈴が小さな異変を自ら主体となって解決しようとする姿や自身の力の及びなさに悩む姿をとても魅力的に映し出していたものでした。そしてそれが家屋への再突入から報われ大団円となるまでに至るのですから喜ばしく、かつ最後まで面白く読めたものです。
事務所のパワーアップイベント、我儘だと見られても自らの感情を押し通したいというスタンスを小鈴に再確認させる物語、本人は自覚せずとも今後の更なる成長を期待させるその妖力――そういった要素はまさしく二作目に相応しい展開となっており、次回以降の作品への期待を更に増大させてくれるものでした。またお待ちしております。
後なんと言うか、酔蝶華19話を思い出すようでした。……まさかね?
3.100東ノ目削除
前作もでしたが、小鈴の「大きくなった子供」感が良きでした。もえ先生の作画で脳内再生されます。
4.100福哭傀のクロ削除
多少なりとも前作を前提とし、結構オリジナル色が強いですが、それでもやっぱり面白い。
読んでいる最中は、小鈴の能力で大黒柱に込められた感情を読み取る絵から始まった物語かと思いましたが、
作者さんはもっと話の流れとかしっかり構成を考えている人、
やっぱり長い作品書ける人はしっかり考えてるんだなぁと。
文字に込められた思いを読み取る設定といい百鬼夜行絵巻といい
原作からしっかりと設定もってきて練られているのがお上手。
ヘイト?的にも危険度的にも結構綱渡りな気がするのですが、そこは作者さんのバランス感覚を信頼できると安心して読めます。
お見事でした。
5.100名前が無い程度の能力削除
とても面白かったです。家そのものが付喪神化し、ルールを破ってしまう、しかし調停者たる小鈴が感情に任せて異変は解決しつつも丸く収める一連の流れが、コミカルかつ丁寧で楽しめました。
この図々しくて、身勝手で、それでも頑張って何とかなっちゃう小鈴のずぶとさが非常にキャラが立っていると感じました。
6.80竹者削除
よかったです
7.100南条削除
とても面白かったです
調停官として育っていく小鈴が素晴らしかったです
それでいてまだまだ危なっかしい所もすごくよかったです
事務所も手に入れて調停官も本格始動ですね
8.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
あらすじから綺麗な流れで事件発生、大きな失敗に落ち込んだのちに事件の渦中に巻き込まれ、ここぞというところで本居小鈴の魅力が発揮されて全て解決。
綺麗な流れで良かったと思います。
小鈴の自分勝手さがやや大きすぎるかな……と思っていたところにしっかり反省パートが来たので、最終的にはバランスがよかったと感じました。
紫はむしろマミゾウ側のように見守る側、手助けはしつつも小鈴が事件に絡むことを喜ぶ側かな……と個人的には思いましたが、このような形の紫とマミゾウのやり取りもこれはこれで良かったと思います。真の解釈一致は存在しない云々。
有難う御座いました。第三弾も楽しみです。