Coolier - 新生・東方創想話

視る

2022/11/21 22:21:09
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夏を視る



 幼い頃、祖父が野球観戦に連れて行ってくれたことがあった。

 倒れるほどに暑かったことは憶えている。色のない筈の気温。ゆらめく景色と息苦しさを感じるほどの熱を纏った空気に、私は視界に映る空の青を感じていた。

 甲子園でもないものだから、どこか気の抜けたブラスバンドの音と、それとは不釣り合いなほどに必死な応援の声を聴いて、なんだか怒られているような気分になったのを憶えている。

 そんな私の記憶にある夏は、色が形を作っていた。青と白。時々に木々の緑。そして、陰の黒。

 ある年の梅雨入り時に、祖父が亡くなった。初盆の時だった。祖父の家には縁側に安楽椅子が置いてあって、そして祖父は、少なくとも私が訪れた時には必ずと言っていい頻度でそこに座り、窓から見える景色を楽しんでいた。

 祖父の家は車で行く距離ではあったがそこまで遠くは無かった。夏に行くと、外は青く、明るいのに、その光は祖父に遮られてしまって、いやに薄暗かったのを思い出した。


 もう祖父はいないはずなのに、それでも祖父の家は薄暗かった。


 じいじいと、木の幹と似た色をした蝉がどこかで鳴いているのが聞こえて、私の意識はほんの少しだけ眠りから引き上げられた。

 自分の身体が融けているように感じて、失敗したと呆とした頭で思った。縁側の障子戸を閉めずに眠ってしまったらしい。日の神様から出されるじりじりとした熱線は、私の身体から水分と思考を奪っていた。

 水を取らなくてはと頭の中にいる冷静な私が指示するが、もう一人の怠惰な私がそれを阻止する。頭が本当に鈍っていたのだろう、私は何もすることも無く開かれた障子戸から光に溢れる境内を眺めていた。

 外の世界は、今年は殺人的な暑さだと隙間妖怪から聞いた。きっと、もう私には耐えることが出来ないだろう。


「早苗?」


 ぬるりと、光だけの視界に陰が差し込んだ。耳に届く優しい声色は、間違いなく私が敬愛する神様の声で。ただ、縁側から茶の間に差し込む光に割って入った所為だろう、影を纏ったその愛らしいお顔は、塗りつぶしたように真っ黒になっている。 


「すわこさま」

「ややっ。さてはお前、こんなにも陽のあたるところで寝ていたね。汗だくだぞ」

「夢を見ていました。おじいちゃんの」

「……ふむん」


 陰に隠れたお顔は、どんな表情をなさっているのだろう。もしかしたら、私がそうだと思っているだけで、諏訪子さまに化けた何某かかもしれない。だってお顔が見えないのだ。

 真っ黒なお顔が、もぞりと動いた気がした。口にあたる部分が、もぞもぞと動くのだ。視界の端はいつの間にか暗くなり、私の浮き上がっていた意識は、諏訪子様のお声を最後に、また微睡に沈むのだった。






 私の記憶にある限りでは、祖父は常に笑顔だった。母は怒ると怖いなどと言っていたが、終ぞ私は祖父の怒った顔を見ることは無かった。それは幸運だったのかもしれないし、もしかしたら不幸だったのかもしれない。

 私は祖父母のことは好きだったが、心の中にほんの少し、祖父母の家に対して不気味さを感じてもいた。あの、光を取り込んでいるはずなのにその光が届くことのない茶の間や客間に、何か得体の知れないものを感じていたのだ。

 怖い、というのとはまた少し違う気がした。まるで時の止まったような祖父母の家で、時折に鳴る風鈴の音が、今でも記憶に残っている。音もなく、日陰が被る茶の間や縁側で、それでもりん、りん、と風鈴が鳴っていた。至極当たり前の事象なのに、その認識のずれは、もうしばらくは私の中では飲み込むことは出来ないのだろう。

 それでも私がよく祖父母の家を訪れていたのは、どうしてだろう。きっと理由はあるのだろうけれど、未だにそれを言葉には出来ていない。

 ただ、幼い私の手を引いてくれた祖父の骨ばった掌も、テストの点数なんか気にせずに、とにかく私の頭を撫でては褒めてくれた祖母のしわくちゃな掌も、ひんやりとした体温とともに、今でも憶えている。 

 記憶にあった冷たさが、もう一度私の意識を引き上げる。夢に見た掌は濡れた手拭いで、境内を映していたはずの私の視界は、自室の天井を眺めている。ふわふわとした感覚は、随分と落ち着いていた。


「ようやくお目覚めかい」

「諏訪子様」

「うん。瞳もはっきりしている。まったくお前は昔からどこでも眠るからなあ。気をつけなさいよ。頭がゆであがってしまう所だったんだから」


 言いながらも笑っている諏訪子様のお顔に、私は安らぎを覚えるのだ。

 今日の夕飯は私がこしらえてやろうと部屋を後にした諏訪子様についていく。誰もいなくなった残された私の部屋には、掛け時計の音だけがもう夕闇に染まった薄暗い部屋の中で響いていた。

 おゆはんの時に、帰ってきた神奈子様と諏訪子様に、夢の内容を話した。お二方とも、ほんの少し目を細めてくれたのが、私には何よりも嬉しかった。


 夢を見ることも無く、翌日もまた朝からくっきりとしたお日様が大地を覗いていた。

 きっと、こうして何度か夏を過ごしていくうちに、私は祖父母の顔を忘れてしまうのだろう。その穴を埋めるように、きっと新しい夏の思い出を手に入れて。その度に、きっとこんな気持ちになるのだろう。

 瞳に焼き付く太陽に、私は私だけの夏を見た気がした。
  






冬を視る



 何をもって季節の移り変わりを感じるかは、人それぞれだと思う。それは例えば気怠い授業中に窓から眺める空の色だったり、仕事帰りの人々の服装だったり、もしかしたら食事の内容なんかもそうかもしれない。

 補講という名の拷問を終えて学校を後にしようとした時には、既に日が沈みかけていた。普段の喧騒はもう校内からは聞こえなくて、ただ遠くから野球部の掛け声と吹奏楽のいつかどこかで聞いたクラシックの音楽が、微かに窓を叩くだけだ。

 今年は例年に比べて暖かいらしい。もう日の落ちた道を駅に向かいながら、朝のニュース番組が言っていたような言葉を思い出した。確かにそうかもしれないけど、やっぱり寒いものは寒いよね。スカートとかやってられない。

 夏の頃に比べて、道を行く人々の足取りが早くなっている気がする。私が感じたこの感覚はきっと間違っていないだろう。これからやってくる冬に『師走』と名付けた先人のネーミングセンスに感心する。

 乗り慣れた電車から眺める街並みは、形だけを残して橙と藍色に染まり始めている。その内にこの街並みにもっと夜空の黒が足されて、そして寒さも足されるんだ。寒いのは嫌だけどさ。さむさ、どんとかむ。

  
 最寄り駅に着いた頃には、藍色の空に星がちらつき始めていた。


 最寄り駅の商店街はセピアな佇まいを夕闇に隠していた。少し古臭い空気に、以前は嫌悪感に似た何かを感じていたんだけれど、あの幻想少女たちと触れ合うようになってから少し考えが変わった気がする。きっともう後はゆっくりと衰えていくだけの景色を見て、こういうのも悪くないってさ。

 首元を、ひゅうと風が通った。
 
 子どもの頃から感じている不思議な感覚があるんだ。

 言葉にすると『冬の訪れ』ってやつが近いのかもしれないけれど、それともまた違う気がする。とにかく、今この瞬間に、それが私の中を駆け巡ったんだ。

 風の出所は、今はもう畳まれているタバコ屋の横の路地からだ。路地の先は丁字路になっていて、あまり聞いたことのない名前のコンビニがある。そこにしか売っていないやたらと量がある焼きそばパンを、小学生の頃に何度か食べたことがある。

 そんな、なんの変哲もない五十メートルほどのその路地は、まるで呼吸するように風を吐き、もう一度ひゅうと私の身体を撫でていった。

 
 居ても立っても居られなかった。

 
 大きな怪物の口に飛び込むようだ。あの風が身体を通り抜けたとき、私の中にある、胸の奥のなんだかよくわからないものが音を鳴らしたんだ。走ったりはしない。そんなに子供じゃあないし、第一疲れるし。

 路地を抜けて、そういえば暫く寄っていなかったコンビニは、いつの間にかその名前が変わっていた。ついでにロゴまで変わっていたみたいで、その真新しいロゴが周りの景色からいやに浮いていて、少し笑ってしまった。

 丁字路の左側はゆるやかな上り坂になっていて、住宅街を突き抜けるように丘の上に伸びている。私の足はすでに坂を上り始めていた。時折に吹き降ろしてくる風が、私の身体の奥深くの何かを再び叩く。今日だけではない。毎年似たような『何か』が私にやってきて、その度に私はこんなことをしている。これは儀式なのかもしれない。きっと誰にも理解はされないだろうけど。

 五分ほど坂を上ると、見慣れた建物が私の視界に入ってきた。私が今よりも頭一つ小さかった頃に通っていた小学校は、あの頃と変わらぬままに夕闇のなかに佇んでいた。


 風が吹いて、そして私はその風に乗った。


 誰もいない小学校の屋上。降り立って、街並みを眺める。
 
 住宅地から駅へ、明かりが蛇の尾のように。今私が見ているこの景色も中々にロマンチックなものなのだろう。沢山の人の生命の光が、光る蛇を生み出しているのだから。

 ぞわぞわとしたものが、胸の中を走る。緊張、とは違う。それは子どもの頃に悪戯を隠していた時のような痺れを思い起こさせるんだ。

 そう、風が呼ぶんだ。私の中にある『それ』を。そうして『それ』は、私の瞳に宿り、私に冬を見せてくれるんだ。

 目を閉じて、眉間にほんの少しだけ力を込める。踏みしめていたアスファルトの感覚が無くなって、胸に走っていた痺れが、身体の中をゆっくりと昇っていく。少しずつ、少しずつ身体が夜空に溶けていく感覚を味わう。

 目を開く。風は止んでいる。さっきまで見ていた明かりたちは遥かに小さくなっていて、見えなかった他の明かりも、私の目に飛び込んでくる。


 時が止まった気がした。そう、気がしただけ。


 きっと、普通の人間達には私の身体に走るこの痺れは死んでもわからないのだろう。だって今眼下にいる人々は、私のように超能力を使えないのだから。

 以前の私なら、この止まったような世界を独り占めして、自分だけが持っている能力に優越を感じて楽しんでいただろう。けれど、今は違う。そんなことよりもワクワクすることに出会ってしまったのだから。

 ほんの少し瞼を閉じると私以外に誰もいないこの夜空に、霊夢っちの影が、魔理沙っちの影が、あの幻想少女たちの幻影が浮かんでくる。

 恥ずかしい考え方かもしれないけれど、嬉しかったんだ。子どもの頃に見た、日曜日の特撮番組で見たことのあるお話みたいに、法律だとか、モラルだとか、そういうのを全部取っ払って、全力で楽しむことが出来るんだ。こんなに幸せなことってないでしょう。


 あの時の気持ちを確かめていると一際強い風が吹いた。


 風は、微かに棘を持っているような気がした。そうしてその棘で、誰も通らないような路地の隙間で死んでいた晩秋の空気を追い立てるんだ。


 そうだ、この景色を見て、私は初めて秋の終わりを、そして冬の訪れを見るんだ。


 誰もいない夜空で秋の葬送を済ませて、私は帰路についた。おかしなもので、あんなに私の中では秘するべきな大切な、言葉にできないあの痺れも、母さんが買ってきたテーブルサイズのクリスマスツリーを見たら無くなってしまった。

 不思議なものよね。






生命を視る



「ごめんなさいね、いきなりこんなこと頼んじゃって」

「構やあしないさ。おゆはん、期待してるからな」


 本当に偶然だったんだ。偶々里で新しく開いた洋菓子店で買い物をしてさ。その帰りに慧音センセーから頼まれたんだ。


故人の遺物整理を頼みたい


 つい先日に、眠るようにぽっくりいってしまったそのお婆さんは、なんでも結構昔に外の世界から来た外来人だったらしい。私も縁側で茶を飲んでいた婆さんの姿を憶えている。

 ひとり身だったこともあり家はそのままになっているらしい。誰かがやらなくてはならないことだし、生前に顔見知りだったセンセーが、自分から思い立ったとのことだ。

 センセーから事情を聞き終わるよりも少し早く、いいよと口を開いた。空気も冷え込み始めて、人間も妖怪も動物たちも、動きを鈍くしているような気がした。受ける理由はそれだけで充分だった。つまりはさ、暇だったんだ。


「少し、埃っぽいな」


 慧音センセーの勤めている寺子屋から然程離れていない通り。件の平屋は、長屋街のそれよりかは幾分か立派だった。何故、なんの伝手もない外来人が平屋を丸々一つ借りることが出来たのか。聞くも涙か、それとも血沸き肉躍る話があったのか。少しばかり聞いてみたい気もしたけど、本人はすでに壺の中だ。

 三和土を上がって茶の間にしていたのだろう和室に入る。くたびれた畳と卓袱台は、今も持主を待っているのだろうか。

 意外と、慧音センセーからこういった依頼を受けることは少なくない。受けるか受けないかもその時の気分次第だが、それに対してあまり突っ込まないのがセンセーのいいところだ。きっとこういうのが人づきあいが上手いってやつなのかもな。


「さて」
 

 やると決めたからには、ぱぱっと終わらせるのがいい。情報も食材も掃除も速度と新鮮さが肝要だ。

 センセーが台所を片付け始めたのを見てから、私は個人の寝室だったのだろう一室を担当した。

 襖を開けた寝室からは、日陰の部屋特有の空気と、若干の黴臭さを感じた。薄っぺらく潰れた布団に、きっと張り替えることも難しかったのだろうこぶし大に穴の開いた障子が、目覚ましのように光を部屋に取り入れていた。婆さんは、毎日の始まりをどうやって過ごしていたのだろうか。

 荷物と呼べるようなものは殆どなく、片付けは順調に進んでいった。

 布団を畳み、押し入れを開けて仕舞われていたものを確認する。楽ならそれに越したことは無い。そんなことを考えながら押し入れを開けた私の目に映ったものは、意外なものだった。







「ああ、あの女性か。憶えているよ。そうか、もうそんなに経つのか」


 魔法の森に入ってほどなくの場所。いつ客が来ているのかもわからない香霖堂に、私は件のものの一部を持ってきていた。

 カウンターに肘をついていた私にはお構いなしに、店主である出不精は顔を天井に向ける。視線を中空に彷徨わせるのは、香霖が何かを思い出すときによくする仕草だ。少なくとも、私は婆さんの顔を大体ではあるが憶えている。こんな辺鄙な道具屋に来ているところを見たことは無い。

 そのことを伝えると、どうやら足を悪くしてからは来なくなったらしい。『ひょうひょう』と香霖は言っていたが、その言葉の中には、きっと私が思う以上の時間の溝があるのだろう。

 私が婆さんの家から持ってきた『それ』は、きっと外の世界の技術で作られたのだろう装丁をしているスケッチブックだった。

 押し入れの中には大量の紙や墨、そして何冊ものスケッチブックがあった。彼女は、どうやら絵を描くのが好きだったらしい。

 その中には昔、私が産まれるよりも随分と前の私の実家も描かれていた。そこには今よりも少しばかり髪の短い香霖と、私の記憶よりも随分と若いお父様の顔もあった。

 中身を捲り、眺めて、香霖は薄く微笑んだ。仏頂面のこの男がこんな風に笑ったのを見たのは久しぶりな気がする。


「そうか、亡くなったのか。そうか」

「知り合いだったのか」

「いや……まあ、そうだな。顔見知り、くらいだったかもね」


 ぽつり、ぽつりと香霖は言葉を紡ぎ始めた。それはまだ私がこの世に産まれ落ちる前の話。

 曰く、外から来たその女は人里に腰を落ち着けると、里の農作業などを手伝いながら生活をしていたそうだ。人当たりもよく、悪いうわさも立たない。気風のいい女性だったらしい。

 そんな女は何かしらを描くことが趣味だったらしく、時折道具屋に紙と墨を買いに来たらしい。ある時、店番をしていた半人半妖は、興味本位で何を描いているのかを尋ねたそうだ。

 女ははにかみながらも一言、店番に返したそうだ。


「……を描いているのです。たしか、そう言っていたな」

「なるほどな」


 縁側から見たんだろう里の子どもたち

 旦那か、恋人か、きっと特別な感情を抱いていたのだろう男の顔。


 外の世界の風景

 幻想郷の山々

 子どもの頃の父母の記憶

 大人になってからの心の内

 
 歳を重ねてからは腕も指先も思うように動かなくなったのだろう、段々と崩れていく作品たちは震える線を何十も引かれていて、それでも婆さんは沢山のものを描いていた。

 スケッチブックには、婆さんの生命があったんだ。







 婆さんの家の遺品や荷物を整理を終えたその日から、時々ではあるが私も絵を描くことにした。弾幕のイメージ図とかだけではなく、風景画とか、人物像とかさ。日記や研究結果だけじゃあ味気ないからな。

 婆さんの描いた作品の内の一部は、私の家の本棚に眠っている。形見分けみたいなものだとセンセーに言われた。いつか私の記憶や思い出も、どこかの誰かの本棚に眠ることになるのだろうか。

 窓を開けると、何かを描くにはちょうど良い、心地よい日が差していた


 


 久しぶりに手のままに書きました。

 最後まで読んでくださった方に感謝を。ありがとうございました。
 
モブ
https://twitter.com/mob_sosowa
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コメント



0.200簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.90東ノ目削除
情緒的でしんみりとする作品でした。良かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
見たものを見たままに美しく、丹精込めて切り出された文章に惚れ込んでしまうようです。
夏の物語、日差しとその逆光で見えぬ陰、その両面性がとりわけ好きなものでした。
4.100名前が無い程度の能力削除
良かったです。やわらかい表現と、すこし寂しさのある情緒が、綺麗に映っていたように感じます。視るのタイトル通り、スケッチのような感覚がありました。
5.100夏後冬前削除
いい意味でストーリーの型にとらわれ過ぎない自由な発想のお話だったな、と思ってそれが非常に好感触でした。面白かったです。