穣子が倒れた。幻想郷に冬がやってきたのだ。
立冬を迎えて既に一日過ぎたが、幸い雪はまだ降らず、周りはいまだ晩秋の域を出ていない。
静葉は妖怪の山の奥へ足を伸ばす。そこは山の中でも最も寒い場所だけあって周りの木々は既に葉を落とし、静寂に包まれ、あたかも死の世界といった様相だ。
落ち葉をかき分けながら、その、まるでガイコツの手のひらのような木々の間を歩いていると、太い枝に腰かけている冬妖怪の姿があった。
彼女は静葉に気づくと手を振りながら上機嫌そうに話しかける。
「あら、秋神さんじゃない。どうしたの?」
「挨拶をしに来たのよ」
「そ。ま、今年もよろしくね」
「早く帰ってほしいものだわ」
「そうはいかないわよ」
彼女は、すとんと静葉の前に着地する。
「私が現れたってことは、幻想郷に冬が来たってことだもの」
「暗くつらい冬の始まりね」
「明るく楽しい冬の始まりよ」
そう言って機嫌良さそうにくるりと回る彼女を、静葉はさめた眼差しで見つめる。思わず彼女は興ざめしたかのように真顔になって尋ねる。
「……で、辛気くさい顔して何しに来たのよ」
「穣子が倒れたわ」
「あらそう、それはお気の毒様。……で、まさかそれを私のせいにしようっていうわけじゃないでしょうね?」
怪訝そうな表情を向ける彼女に、静葉は平然と尋ね返す。
「もし、そうだとしたら?」
あっけにとられていた彼女だったが、やがて呆れたように大きく息をつく。
「……そんなの知ったこっちゃ無いわ。私はただ冬を満喫しているだけであって、別にあなたの妹さんをどうこうしに来たわけじゃない。倒れたのはそちらの勝手でしょ」
彼女の言葉を聞いた静葉は、ふっと笑みを浮かべる。
「そう言うと思っていたわ。安心した」
「……まったく。趣味悪いわね」
「何を今更」
にべもなく言い放った静葉に、思わず半眼を向けながら彼女は告げる。
「……その様子だと本当にただ挨拶に来ただけみたいね。『挨拶』なんて言うから、てっきり追い返されるのかと思ったわ」
「ええ、そうね。本音を言えば西比利亜の永久凍土辺りに閉じ込めておきたいくらいだけど」
「あら、それは居心地良さそう」
「行ってきてもいいのよ。なんならそのまま帰ってこなくても良いし」
「遠慮しておくわ。私は幻想郷が好きなの」
「迷惑ね」
そのとき一陣の風が吹き抜ける。冬を感じさせる寒風だ。思わず静葉は肩をすくめる。一方、彼女はいかにも嬉しそうに笑みを浮かべる。
「ふふ。よく冷えた良い風だわ。この調子ならあと数日後には初雪が見られることでしょう。期待していてね。張り切って大雪降らせるから」
「……そう、それは楽しみにしておくわ」
そう言って不敵な笑みを向けると、静葉は姿を消すようにその場を去った。
◇
熱が出て苦しい。意識が混濁する。体が疼くように痛い。文字通り七転八倒する穣子のもとに静葉が帰ってくる。
「はぁー……。おかえりぃ……」
「……穣子。よっぽど苦しいみたいね」
「……うぁー……。わかる?」
「ええ。わかるわ。だって家の中がめちゃくちゃだもの」
「あぁ……。苦しくてゴロゴロしてたから……」
布団や枕はあさっての方向へ吹き飛び、クリやクルミの殻もあちこちに散らばり、ちゃぶ台はひっくり返され、座布団も吹き飛ばされ、その何枚かは天井へ引っかかっているという有様だ。
一体どんな勢いで転がっていたというのか。
「穣子。気持ちはわからなくはないけど、頼むから、家、壊さないでね?」
「ふあー……」
穣子は、魂の抜けたような返事をしたかと思うと、いかにも苦しそうな様子で、どすんと寝返りをうつ。その衝撃で床に散らばっていたクリの殻が吹き飛び、ふすまに穴が開いた。
それを見た静葉は「なるほど。ああやって家が散らばったのね」と、思わず納得してしまう。
ふと、穣子が苦笑いを浮かべ、うめくように告げる。
「ねえ、姉さん……。立冬迎えた途端にさ。……こう、体調悪くなるなんて……。私ったらほんと、秋神の鏡……よね」
「……そうね」
静葉は表情を変えずに頷く。
「……そういえば。あいついた?」
「……ええ、いたわよ」
「やっぱり……。なんて言ってた?」
「今年もよろしくって」
「……何が、よろしくよ。……あいつが暴れたりしなければ、もう少し冬も過ごしやすいのに……」
穣子は、脱力した様子でぐったりと両手足を広げ、大の字になる。
「……そうね。明日は元気になれるといいわね」
静葉は、そう呟くように告げると、散らばったクリやクルミを集めて穣子の枕元へ置く。そして物憂げそうな様子で机に向かうと、筆をとった。
――秋が終わると冬が来る。それは自然の摂理であり、世の道理だ。しかし、それを頭では理解していても、心の底では腑に落ちない。それが冬という季節だ。冬は招かれざるものであり、また必要悪でもある。
彼女はただ冬を満喫してるだけだ。自分たちへの悪意は一切ない。彼女は純粋に冬へ憧憬を抱き、待ち焦がれていたにすぎない。
彼女の冬への思いは本物だ。
もし季節さえ違っていれば、あるいはお互い、良き理解者になり得たのかもしれない。そんな世界線もあったのかもしれない。
彼女は私たちと同じなのだ。ただ、信仰する季節が違うだけ。
いかんともしがたいものが、お互いにそこはかとなく繋がっているのだ。
◇
数日後、寒風吹きすさぶ妖怪の山に初雪が降りた。山の上空では彼女が上機嫌そうに、真白な新雪を身一杯に浴びていた。
冷たく心地よい感触が体中に広がり、彼女が恍惚に浸っていたその時。ふと、とある人物の顔が脳裏を横切る。
彼女はその脳裏の人物に向けてほほ笑みを浮かべると、呟くように告げる。
――あなたが嫌いなのは承知の上。でも、それはきっとお互い様のこと。私とあなたはきっと似たもの同士。あなたの好きは私の嫌い。だから私は精一杯冬を楽しむ。そう、あなたが精一杯秋を楽しんだように……。
彼女の感情の高ぶりに呼応するように雪の勢いが強くなる。山は雪雲にすっぽり覆い尽くされ、視界は、ほぼ無きに等しい状態だ。その一面が真白に覆われた雪山に、彼女の高笑いがこだまする。
それはまるで、冬の訪れを告げる鐘のごとく、山中にへと響き渡った。
もちろん、二人の家にも。
立冬を迎えて既に一日過ぎたが、幸い雪はまだ降らず、周りはいまだ晩秋の域を出ていない。
静葉は妖怪の山の奥へ足を伸ばす。そこは山の中でも最も寒い場所だけあって周りの木々は既に葉を落とし、静寂に包まれ、あたかも死の世界といった様相だ。
落ち葉をかき分けながら、その、まるでガイコツの手のひらのような木々の間を歩いていると、太い枝に腰かけている冬妖怪の姿があった。
彼女は静葉に気づくと手を振りながら上機嫌そうに話しかける。
「あら、秋神さんじゃない。どうしたの?」
「挨拶をしに来たのよ」
「そ。ま、今年もよろしくね」
「早く帰ってほしいものだわ」
「そうはいかないわよ」
彼女は、すとんと静葉の前に着地する。
「私が現れたってことは、幻想郷に冬が来たってことだもの」
「暗くつらい冬の始まりね」
「明るく楽しい冬の始まりよ」
そう言って機嫌良さそうにくるりと回る彼女を、静葉はさめた眼差しで見つめる。思わず彼女は興ざめしたかのように真顔になって尋ねる。
「……で、辛気くさい顔して何しに来たのよ」
「穣子が倒れたわ」
「あらそう、それはお気の毒様。……で、まさかそれを私のせいにしようっていうわけじゃないでしょうね?」
怪訝そうな表情を向ける彼女に、静葉は平然と尋ね返す。
「もし、そうだとしたら?」
あっけにとられていた彼女だったが、やがて呆れたように大きく息をつく。
「……そんなの知ったこっちゃ無いわ。私はただ冬を満喫しているだけであって、別にあなたの妹さんをどうこうしに来たわけじゃない。倒れたのはそちらの勝手でしょ」
彼女の言葉を聞いた静葉は、ふっと笑みを浮かべる。
「そう言うと思っていたわ。安心した」
「……まったく。趣味悪いわね」
「何を今更」
にべもなく言い放った静葉に、思わず半眼を向けながら彼女は告げる。
「……その様子だと本当にただ挨拶に来ただけみたいね。『挨拶』なんて言うから、てっきり追い返されるのかと思ったわ」
「ええ、そうね。本音を言えば西比利亜の永久凍土辺りに閉じ込めておきたいくらいだけど」
「あら、それは居心地良さそう」
「行ってきてもいいのよ。なんならそのまま帰ってこなくても良いし」
「遠慮しておくわ。私は幻想郷が好きなの」
「迷惑ね」
そのとき一陣の風が吹き抜ける。冬を感じさせる寒風だ。思わず静葉は肩をすくめる。一方、彼女はいかにも嬉しそうに笑みを浮かべる。
「ふふ。よく冷えた良い風だわ。この調子ならあと数日後には初雪が見られることでしょう。期待していてね。張り切って大雪降らせるから」
「……そう、それは楽しみにしておくわ」
そう言って不敵な笑みを向けると、静葉は姿を消すようにその場を去った。
◇
熱が出て苦しい。意識が混濁する。体が疼くように痛い。文字通り七転八倒する穣子のもとに静葉が帰ってくる。
「はぁー……。おかえりぃ……」
「……穣子。よっぽど苦しいみたいね」
「……うぁー……。わかる?」
「ええ。わかるわ。だって家の中がめちゃくちゃだもの」
「あぁ……。苦しくてゴロゴロしてたから……」
布団や枕はあさっての方向へ吹き飛び、クリやクルミの殻もあちこちに散らばり、ちゃぶ台はひっくり返され、座布団も吹き飛ばされ、その何枚かは天井へ引っかかっているという有様だ。
一体どんな勢いで転がっていたというのか。
「穣子。気持ちはわからなくはないけど、頼むから、家、壊さないでね?」
「ふあー……」
穣子は、魂の抜けたような返事をしたかと思うと、いかにも苦しそうな様子で、どすんと寝返りをうつ。その衝撃で床に散らばっていたクリの殻が吹き飛び、ふすまに穴が開いた。
それを見た静葉は「なるほど。ああやって家が散らばったのね」と、思わず納得してしまう。
ふと、穣子が苦笑いを浮かべ、うめくように告げる。
「ねえ、姉さん……。立冬迎えた途端にさ。……こう、体調悪くなるなんて……。私ったらほんと、秋神の鏡……よね」
「……そうね」
静葉は表情を変えずに頷く。
「……そういえば。あいついた?」
「……ええ、いたわよ」
「やっぱり……。なんて言ってた?」
「今年もよろしくって」
「……何が、よろしくよ。……あいつが暴れたりしなければ、もう少し冬も過ごしやすいのに……」
穣子は、脱力した様子でぐったりと両手足を広げ、大の字になる。
「……そうね。明日は元気になれるといいわね」
静葉は、そう呟くように告げると、散らばったクリやクルミを集めて穣子の枕元へ置く。そして物憂げそうな様子で机に向かうと、筆をとった。
――秋が終わると冬が来る。それは自然の摂理であり、世の道理だ。しかし、それを頭では理解していても、心の底では腑に落ちない。それが冬という季節だ。冬は招かれざるものであり、また必要悪でもある。
彼女はただ冬を満喫してるだけだ。自分たちへの悪意は一切ない。彼女は純粋に冬へ憧憬を抱き、待ち焦がれていたにすぎない。
彼女の冬への思いは本物だ。
もし季節さえ違っていれば、あるいはお互い、良き理解者になり得たのかもしれない。そんな世界線もあったのかもしれない。
彼女は私たちと同じなのだ。ただ、信仰する季節が違うだけ。
いかんともしがたいものが、お互いにそこはかとなく繋がっているのだ。
◇
数日後、寒風吹きすさぶ妖怪の山に初雪が降りた。山の上空では彼女が上機嫌そうに、真白な新雪を身一杯に浴びていた。
冷たく心地よい感触が体中に広がり、彼女が恍惚に浸っていたその時。ふと、とある人物の顔が脳裏を横切る。
彼女はその脳裏の人物に向けてほほ笑みを浮かべると、呟くように告げる。
――あなたが嫌いなのは承知の上。でも、それはきっとお互い様のこと。私とあなたはきっと似たもの同士。あなたの好きは私の嫌い。だから私は精一杯冬を楽しむ。そう、あなたが精一杯秋を楽しんだように……。
彼女の感情の高ぶりに呼応するように雪の勢いが強くなる。山は雪雲にすっぽり覆い尽くされ、視界は、ほぼ無きに等しい状態だ。その一面が真白に覆われた雪山に、彼女の高笑いがこだまする。
それはまるで、冬の訪れを告げる鐘のごとく、山中にへと響き渡った。
もちろん、二人の家にも。
ここがすごく好きでした。
季節感がすばらしかったです
季節に影響される様が神様らしくてよかったです
リリーホワイトとレティも、もしかしたらこういう関係なのかもしれませんね。
この内容でこのタイトルをつけるセンスはいいですね。
今年の秋もお疲れ様でした。