我は聖童女仙人、物部布都。
幼馴染みだったような気がする蘇我屠自古と太子様にお仕えして、青ずくめの女の怪しげな修行現場を目撃した。
太子様に夢中になっていた我は、背後から彼女面する屠自古がなんかむかついたので、気付かれないように壺をすり替え、目が覚めたら──。
「……ん何だ、ワレか」
「確かに、我じゃが……」
不審者が布都だと確認できた芳香は、地面と水平に伸ばした両腕をだらんとぶら下げた。
青ずくめの女こと、邪仙・霍青娥に使役されるキョンシーの宮古芳香。死体には学校も試験も何にもないので、やることといえば青娥に可愛がられるか自宅警備くらいである。
そういうわけで、不真面目な青娥も一応は構えている修行場の前で鼻歌を奏でていたところ、ぶつぶつと自己紹介のフレーズを呟きながら訪問してきたのが布都だった。
「青娥に用なら残念だった。主は今忙しいのだ。ええと……塗装で?」
「うむ? まあ漆喰もだいぶ剥がれてきたかのう。我は本を返しに来ただけ故、入れていただきたい」
青娥殿も大工の真似事などするのじゃのう、と能天気に思い込み、布都はぱんぱんに膨らんだ風呂敷包みを見せ付けた。
「おぉう、それなら私とお前の仲だ。書庫まで案内してやろう」
「それはかたじけない。是非お願いする」
仙人に目覚めてからの初対面では妖しい童めと噛み付かれたのに、動く死体に随分と馴染んでしまったものだ。しみじみと思い返す布都をぴょんぴょんと先導する芳香の足取りが、突如ぴたりと止まった。
まだ廊下の途中であるのに何事かと横顔を覗き込むと、芳香は不敵な笑顔を浮かべてこう答えた。
「すいません、迷いました!」
「……青娥殿の屋敷は広いからのう。よい、我が先に行こう」
「かたじけない、お願いします!」
一度来れば大体の道筋は覚えている。キョンシーと違って脳も新鮮キレキレな布都の案内で、二人は無事書庫へと到達できたのだった。
「ふん、ぬっ! 五〇巻まで確かに。次は五一から……」
本棚の横長なスキマに、本の重みでぷるぷると震える布都がどっさりと詰め込む。もちろん巻の並びは一から順番に。それがマナーである。
「ありゃ、六三までしか無いぞ。青娥殿の話では百を超えてもまだ連載しておるという話じゃったが」
「そこに無ければ無い! たぶん!」
芳香は無駄にえっへんとふんぞり返る。
「買い揃えてないという事か? むむむ……この少年探偵がいつ元の大きさに戻るのか、我は気になって気になって……」
「青娥はいつまで経っても戻らないから飽きたんだろうなー」
「だがしかし、元に戻ればそれは話の終わりでもあり、ぐぬぬ……」
作者でもないのに漫画のジレンマで勝手に頭を抱える布都であった。
「まあ無いなら受け入れるしかあるまい。今ある分だけ借りて……いや、これだけならばここで読んでいくか」
「漫画もよいが修行もなー。青娥も神子も嘆いておったぞぉ」
「いやいや書かれた当時の時代背景を学ぶにはこういった漫画本を読むのが一番なのじゃ。例えば、始めの頃は弁当箱に仕込んでいたケータイなるものが、いつの間にかポッケに入るほど小さくなって……」
「時の流れはよせぃ! それを言ったら仙人でもないのに一向に老けん神社の巫女も……!」
長期連載では避けられない問題への野暮な突っ込みに盛り上がる二人。本というのは読んだ後もこういった場外戦が楽しいものだ。
――どすんどすん、ぱかっぱかっ。
さてそんな所へ、何か飛び跳ねるような足音が廊下に響き渡る。さては二人の話し声に誘い込まれた青娥かと期待するが、青娥にしてはこの足音は荒々しい。いったい誰ぞやと身構える二人の前に現れたのは意外な人物だった。
「頼もーーう! おお、物部様ではありませんか。書庫はここで間違いありませんな!?」
「むむ、黒駒か。確かに間違いありゃせんが……」
人物、いや人ではなく馬物か。本特有の紙の匂いを嗅ぎ分けて文字通りの単騎で乗り込んできたのは、聖徳太子の愛馬・黒駒を自称する黒天馬にして、畜生界の頸牙組長を務める驪駒早鬼である。
彼女は最近になって地上にも姿を見せるようになり、確かに布都とも知らない仲ではない。だがそれにしても、何故早鬼が青娥邸の書庫に来るのか疑問しかない。
「しまったー、門を離れたスキに通られてしまったー。で、何をしに来ましたか?」
しまったと言いつつ全然しまってない芳香の、緊張感に欠けた質問が事務的に飛ぶ。
「うむ、此度は太子様の重大任務にてこれをお返しに参った!」
布都に続いてこれまた大きな風呂敷包みを、早鬼は堂々と見せ付けた。どすんとホコリ高く置かれた包みからちらりと見えた中身は、本。山のような本だ。歴史上の偉人達を主役にしたギャグ漫画を始めとして、伝記物が大半を占めている。
早鬼の発言をつまり要約すると、豊聡耳神子から本を返しにパシらされたという事だ。まがりなりにも極道組織の長たる者が。しかし聖徳太子激推しの早鬼が断れるはずもない。
「あーそー、じゃあその辺の空いてる所に突っ込んどいてくれー。並びは揃えるのだぞう」
「承知した。いやしかし、この書庫は凄いぞ。畜生界にも本屋はあるが、古さや圧倒感ではここの方が上かもしれないな」
黄ばみに黄ばみ、いつ書かれたかも定かでない書物が並ぶ棚の前で、早鬼が素直に感嘆の声を上げた。
「ほう、畜生界にも本屋があると? 無礼を承知で言うが奴らも書を読むのじゃな」
「ハハ、小難しい本を読み耽って悦に浸るなど、理屈っぽい鬼傑組の奴ぐらいでしょうな。大体は漫画ばかりですよ」
「漫画のう……例えばどのような?」
「地上でいろいろあって処分された本は畜生界にも流れ着きましてね。物部様の前にある本なんかも見かけた気がしますよ」
布都の瞳に決意のような何かが宿った。
「──往くか、畜生界」
「……ハァ?」
布都のあまりにも軽率な決断に、流石の芳香も率直に呆れる。
「あの博麗の巫女共も行って帰ってきたのじゃろう? ならば我が行けない道理などあるまい」
「勿論です。物部様なら大歓迎。そうと決まればいざ畜生界!」
「まてぃ、待て待てぃ!」
芳香はキョンシー人生で初めての苦境に立たされていた。死んでいるくせに生き急いだ、自分が突っ込みに回らざるを得ないボケだらけのせいで。
「……行く前にぃ、誰かに伝えるべきではないですか?」
そして止められてほしいと、切にそう思った。この陶器割り人狂が、任侠の親分と共に畜生の世界へ。キョンシーでもゾッとする。
「確かに、上がり込んで家主に挨拶も無く出ていっては仁義が通らないな。では青い仙人様の所へ案内されよ!」
「青娥なら、この真向かいの部屋にいるんだがぁ……」
「それは話が早い! 仙人様ァ! 失礼いたしやす!」
「お、おまぁ、勝手に……!」
着火した暴れ馬は止められない。早鬼の勢いは討ち入りが如く、ピシャリと軽快な音を立てて襖を開け放った。
そこには、半纏姿でコントローラーを握りしめた、清楚さの欠片もない邪仙がいた。
「……なに? 私は今イクラ集めでと~~~~~~っても、忙しいんですけど?」
度重なる敗北で不機嫌の極みにあった青娥はその感情を微塵も隠さなかった。だから会わせたくなかったのになぁ、と芳香が後ろでぶつくさ溢すが、覆水盆に返らずである。
「こ、これは誠に失礼いたしました。太子様の遣いで本を返しに参ったのと、三人で畜生界の本屋へ行く運びになりましたので御挨拶を……」
「ほわぃ?」
なぜ自分まで行くことになっているのか。芳香の腐った脳では理解できなかった。
「隋の時といい、豊聡耳様ったら人を遣いに出す度に無礼がなきゃ気が済まないのかしら……ああはいはい良いわよいってらっしゃい。布都ちゃん、芳香をよろしく」
「はっ。責任を持って芳香殿をお借りいたします」
「あ~れ~~?」
乗りかかった船という言葉がある。早鬼という黒船が突っ込んできた時点でこの運命は決まっていた。
そうと決まれば後はあっという間。布都の方舟に乗り込んだ一行は、三途の川を渡って豪快に地の底へと落ちていくのだった。
驪駒、襲来。
書店内は一斉に厳戒態勢へ切り替わった。何故ならその店は驪駒率いる頸牙組派閥ではないからである。とはいえ追い出そうとして暴れられてはお手上げ。客として来たならあくまで客として丁重に応対せねばならない。
そういった事情を踏まえて、店員が取った行動は単純に、最高責任者への丸投げであった。
「よく来たなあ驪駒。まさかお前に本を読む知性があるとは思わなかったぜぇ?」
「ふっ、同盟長自らのもてなしとはな。そちらはよほど人材難らしい」
古本書店『コロニーコミック』の最高責任者、すなわち所属派閥の最上位。剛欲同盟の長、饕餮尤魔その人が堂々と早鬼の前に立つ。なお、別に呼び出されたとかでなく、たまたまオフの日で漫画を立ち読みに来ていただけである。不運だ。
「……悪いが今日の私は休養日でな、カチコミだってんなら日を改めな。じゃねぇとこっちもお前の留守ばっかり狙うことになるぜ?」
「生憎だがうちは精鋭揃いだ。留守を狙われて困るのはお前のワンマン同盟の方だろう?」
「よく言うぜ。埴輪に歯が立たねえで真っ先にふて寝してたのはどこの組員だっけ?」
「ああ? あんなもんお前が食ってしまえば終わっていたのに、尻尾巻いて雲隠れしたのはどこの饕餮だ?」
「……おい、我が見たいのは漫画じゃ。獣の縄張り争いに興味などないぞ」
布都は筋者の口喧嘩もどこ吹く風。彼女には馬と羊がヒンヒンめぇめぇ鳴いているようにしか見えないのである。恐れるものがあるとしたら、それは取っておいた栗饅頭を留守の間に奪われる事くらいだろうか。
「……っと、これは申し訳ない。饕餮よ、こちらも休暇中だ。今はこちらの連れと共に客として振る舞ってやるさ」
「やれやれだ、畜生界は生身の為の場所じゃないんだがなぁ。まあ金を払うならせいぜいごゆっくりし、て……」
尤魔は気が付いてしまった。早鬼の連れが、ブラックリストに乗っている超危険人物の身内であることに。
「ちょっとお嬢ちゃぁん……ちょっとぉ、ちょお~~~っと、バックヤードまで来てくれるかなぁ……!」
尤魔の合図で本棚の裏に待機していた動物霊が一斉に飛び出した。
「な、なんじゃー! なんじゃー!?」
尤魔が所有している膨大な石油を台無しにしかねない、歩く百円ライターこと物部布都。
「ま、またかぁー!?」
ではなく、その隣の宮古芳香に向かって──。
「……つまり、このひと月前から窃盗被害が多発していると?」
連行された先の狭苦しい部屋にて、店長のクマ霊から説明を受けた布都はそう解釈した。
「その通りだ。万引き自体は本屋に付き物だが、それが最近特に酷い。だが霊魂の身で大量の本を持って逃げるのは難しいだろう? それで検証した結果、その死体の主が怪しいと結論付いたんでねえ」
尤魔は鋭い歯を剥き出しにしてにやにやと卑しい笑顔で答えた。安っぽい椅子に行儀悪く逆向きで座り、背もたれに上半身を預けてぎぃぎぃと不気味な音を奏でている。
「知らん! 少なくとも私は全く記憶にないぞぉ!」
両手を蛇の霊に巻きつかれて拘束中の芳香が、ぷりぷりとむくれて己が主の無実を訴える。
「犯人はみんなそう言うもんだ。脳みそ腐ってそうな奴じゃますますな」
「それで、仙人の方が捕まえられないからこちらを人質か。全く卑劣なお前らしい」
「やかましい、将を射んと欲すればだ。おっと、将に置いて逝かれた馬に言っちゃ悪かったかなあ?」
「貴様……ッ!」
早鬼が思わず前のめりになる。彼女にとって敬愛する神子の事は饕餮如きが軽々しく口にしていいものではないのだ。
「黒駒、安い挑発に乗るでないわ。そして饕餮とやら、寝首をかかれたくなくば……牙はその時まで隠す事じゃ」
早鬼に熱された空気が一瞬にして下がった。尤魔の言う将が逆鱗であるのは無論、彼女だけではないのだ。聖徳王の片腕として政敵を消してきた布都の言葉は、決して軽いものでない。
「……ふん、客人のお言葉を尊重しておいてやろう。ともかく容疑者の捕獲前にその所有物を差し押さえだ。そこは譲らんぜ」
「だが、あの青い仙人殿が窃盗か……物部殿、心当たりは?」
「……それは、残念ながらある。いくらでもな。青娥殿は欲しいと思えば勝手に持っていくお人じゃからな」
代表的なエピソードとしてはサンタクロースに扮してプレゼントついでに泥棒など。河童のアジトまでガラクタ漁りに行ったこともある。その時は水牢に数日間捕らわれたが、自力で脱走を遂げた。
「しかしな、値札の無い物は持っていくが商品には意外にもちゃんと金を払うのじゃ。世の中の泥棒全てが我が師にされては堪らぬ。大体、お主が青娥殿の何を知っておる。会ったことすらないであろう」
「お生憎だがよーく知ってるぜ。臓物ってのは美味えからさ、よく流してもらってんだよ。特にあいつは若いのをよく取り揃えて……」
「ああ分かった、皆まで言わんで良い……だが、疑うならば根拠を見せよ。いきなり芳香が縛られて我だけ帰るなど出来ん。その代わり、納得できれば我が責任を持って青娥殿をお連れする」
ヤクザを相手に『責任を持つ』重さは布都とて理解している。されど、如何に邪仙と謗られようと青娥は神子と自分を永らえさせた大恩人で、眠っている間の墓守を務めたのは目の前で縛られているキョンシーなのだ。
「ふーん……いいだろう。被害当日の店員を連れてくるから、店の中で漫画でも読みながら待ってな」
尤魔は不敵な笑みを浮かべて自ら立ち上がった。部下に任せず自分で行くところが剛欲同盟の気質だ。
「良かろう。窃盗犯が誰なのか、太子様の名にかけて我が見定めてやろうぞ」
神子は名探偵でも何でもないのだが、布都は臆せずきっぱりと言い放った。バタン、と華奢な体躯に見合わない大音で閉められた部屋に残ったのは容疑者御一行と、店長のクマ霊と縄役のヘビ霊だ。この状況で早鬼と同室に取り残され、居心地悪そうに縮こまっていた。
「ふう……」
張り詰めた空気から開放され、布都の胸がゆっくりと上下する。見た目こそ小生意気な童女といった趣きだが、尤魔は紛うことなき四凶の一体だ。下手をすれば対峙しただけで心を食われていたかもしれないと思うと身の毛がよだつ。
「お前ぇ……私はちょっと感動したぞ!」
「全くです。流石は太子様の懐刀!」
そんな尤魔相手に啖呵を切った布都を称え、芳香と早鬼がキラキラな瞳で顔を寄せる。実のところ芳香は布都を死んでも理解できない奴と思っていたが、これは評価を改めざるを得ない。と思いきや──。
(探偵団っ……我は少年探偵団っ……!)
布都のやる気が漫画の真似事したさに生じていたとは、知らぬが花というものであろう。
『えーえー、確かにボクは見ましたよ。あれは確かに青いヒトです。それが店内をウロウロ物色してたんですわ』
尤魔が連れてきたのは一匹のキツネ霊であった。愛嬌ある細目の顔から発される、独特の上がり調子な語り口。地上ではいわゆるナニワと呼ばれる訛りだ。今日は彼も休日だったのだが尤魔直々の呼び出しで来ないわけにはいかなかった。
「青色の泥棒なら霍青娥しかいないわな。そりゃもう決まりに決まっとるわ」
尤魔は口からほくほくと湯気を立てながら軽々しく決めつける。
「ちょっと待てぃ! お前だけ何を勝手に食っているのだぁ、ずるいぞー!」
爪楊枝をぷすりと突き刺して、もう一口。たっぷりかけられたソースと青海苔の香りに続いて、トロトロの生地とぷりぷりな具の食感。小腹の空いた尤魔が呼び出しついでに貰ってきたのは、ナニワ人のソウルフード、たこ焼きである。だから自分で行ったのだ。
「しゃーないヤツじゃのう。しゃーないから一個やるわ。貸し一つな?」
「すまん! あー……あふっ!」
楊枝から芳香の大口へと、玉入れのようにたこ焼きが放り込まれる。普通なら口内が熱で大変な事になっているが、キョンシーだから大丈夫。
「……なんか此奴、性格が変わっておらんか?」
「あー……饕餮の奴、食った相手に精神が影響されるらしくて。今はナニワの魂を食ったせいかと」
「ムードがブチ壊しじゃのう……」
せっかく宿った探偵魂がたこ焼き一つでいきなりふっ飛ばされそうになるが、布都は心の中で虫眼鏡を覗き込んで己を保った。今はキツネの話を聞くことだ。集中、コンセントなんちゃら。
「むん。青いからって絶対に青娥殿とはならんじゃろう。青い服ならそこの饕餮だって着ておるわ」
『ほな何ですか、ボクらの同盟長が自分の店から盗んだって言うんですか!? 青い服ならそっちの組長だって着てますわ!』
「持ってくならちゃんと持ってく言うわ。同盟長ナメてもらっちゃ困るで!?」
「あ、うむ。失礼……」
キツネ霊とやかましさが二割増しになった尤魔の同時口撃にさしもの布都もたじろぐ。しかしこれで引いては勝手にかけた太子も浮かばれないと体を前に乗り出した。
「青い以外に何か無いのか? いくら何でもそれだけで決めつけたわけじゃあるまい」
『そーですねー……頭の辺りに輪っかがありましたわ』
「そりゃ青娥だわ! 頭が輪っかの奴なんて青娥以外におらん!」
パチンと尤魔が柏手一発。青くて輪っかじゃ青娥に決まり。議論の余地なしハイ終わり。
「待たんかい。頭に輪っかなら八坂神奈子とかいるじゃろう。髪だって青いし」
「んー、八坂神奈子……カナコヤサカ……ああ、あのやたら柱を投げつけてきた風神か」
「それだー! 犯人はそのカナコヤサカに違いない! だから縄を解け!」
芳香が長座の姿勢のままぴょんぴょん跳ねるが、尤魔は一切見向きもしなかった。
さて、頭が青くて丸いしめ縄を何故か付けている神、カナコヤサカこと八坂神奈子。何の因果か欲張り同士、石油を巡って尤魔とも因縁のある相手だ。確かに彼女も地獄の近くまで降りては来ているから、ついでに本屋に寄った可能性も無きにしも非ずだが。
『いや、ボクの記憶じゃ神様みたいなそんな偉そうな印象じゃなかったですわ』
「じゃあカナコちゃうわー。カナコ言うたら外から逃げこんで来たくせに無駄に偉そうやしなー……」
御柱で殴られた憂さ晴らしも兼ねて、尤魔は椅子の上であぐらになりながら悪態をつく。相変わらずのなんちゃってナニワ弁のままで。
「ならば必然的に紅い館の吸血鬼でも、うちの太子様でもないのう……」
「物部様、太子様は無駄にではなく本当に偉人であって……」
千年来の豪族推しな早鬼が、引きつった表情で囁く。推し自ら幻想をぶち壊すなど、早鬼には耐えられない。
「あーあー、今のはアレじゃ、『おふれこ』でな。もちろん敬愛はしておるから……」
外面が良い人間ほど家庭では……という話はよくある。布都は知っているのだ。三日前の神子が、『洗濯物は裏返して入れろって言いましたよね?』と屠自古から説教されていた事を。
『……あ、そうです! ノミを持ってましたわ! ボクとしたことが、最初にそっちを言うべきでしたねー』
「よっしゃ青娥じゃ! 頭にノミ刺してるおかしな女なんて青娥以外におらんな!」
尤魔がパチン、パチンと両膝を打つ。壁抜けの邪仙と悪名高い青娥は、先端がノミになったかんざしを付けている。これで数多の住居に不法侵入し、命を狙われた時も逃げ延びてきたのだ。
「いや待て。ノミを持ち歩いてる奴といえば普通にあの憎き邪神の方じゃないのか? 確かにノミも付いてるが、アレを初見でノミとは思わんぞ」
生娘々を見た事のある早鬼が、彼女らしからぬ真っ当な反論で対抗した。
ノミを持ち歩いているといえば、早鬼の言う邪神ことクリエイティブ活動大好きで知られる埴安神袿姫だ。畜生界に突如降臨した彼女は全ての畜生勢力と敵対しており、真っ当な買い物など到底出来るものではない。
「確かに、あの綺羅びやかな簪が鑿には見えぬだろう。ノミといえば木槌でコンコンやるあのノミじゃ。その邪神とやらが持っているのだな?」
「ふん、いくらナンボでも奴が来店したら問答無用でお帰り願うわ。せやろコン吉」
『モチのロンですよ! 来たら力ずくで追い返しますわ、シグマさんが』
突然振られたクマ霊の店長が『えっ?』という顔でキツネを見た。いくら哺乳類最強クラスでも神相手はあまりに荷が重い。
『邪仙は不思議なノミで壁に穴を開ける。それぐらいの話は聞いてます!』
「分かった分かった、お主が見たのはおそらく青娥殿じゃろう。じゃあそういう事にして……」
布都はずいと体を乗り出してキツネに顔を近付けた。
「青娥殿が盗むところを見たのか。お主、姿を見たとしか言っておらんな?」
『ええ、ハイ。確かに本を手に取って、ボクの居た入り口に向かって……』
「そりゃ入り口に向かうじゃろうなあ。会計場はそこにあるのだから」
『だから、そこをスーッとあの、通り過ぎて……』
「会計を通さず外に出たのか? それはもう窃盗確定じゃなあ。なのに追いかけんかったのか?」
『いや、ボクだけで追いかけても、捕まりは……』
その時だ。
しどろもどろになった狐を制すように、すっと掌が持ち上がった。
「……待ちな、小童。何が言いてえんだお前は。はっきり言え」
明らかに言葉に詰まったキツネへの援護で、尤魔がドスの効いた声を上げる。口調も本来のものへ戻っていた。自身の言葉とは裏腹に布都の言いたいことは分かる、だからこそ。
「実はよくある話でのう。青娥殿ほど罪をなすりつけるのに都合の良い相手は居らんでな」
「……じゃあ何か、盗んだのは青娥じゃなくてコン吉だと? オイどうなんだコン吉ィ!」
『ぼぼぼボクは盗んでないです! 絶対に!』
「どうだ、こいつは盗んでないと言っている。罪をなすりつけようとしたのはお前の方だぜ。こりゃあ、大変なことをしちまったなあ……?」
尤魔は鋭い歯を光らせてにんまりと笑う。動物にとって、笑うというのは本来攻撃的な表情なのだ。これもまさしく狩りに出た肉食獣そのもの。哀れな獲物はもちろん目の前の──。
「……何を勘違いしておる」
布都も全く動じることなく口角を上げた。
「そもそもこの事件、本当に本を盗まれたのであろうか。窃盗犯など始めからいなかった。我はそう思っている」
「……な、なんだってー!?」
「いったいどういう事だ物部殿!」
何となく空気を読んで驚き役になった死体と馬の声を背に、小さな探偵は裸眼にかけた心のメガネをくいと微調整する。
「おいおい、現に本は失くなってるんだぜ。まさか盗んだんじゃなくて借りただけとか、どこぞの雑魚魔女みたいな事……言わねえよなあ?」
「……このチラシを見よ。先に店内で貰ったものじゃ」
布都は一枚の紙切れをすっと机の上に置いた。それは証人を呼んでくるから店内で待ってろと言われた間の話である。本棚に並ぶ探偵漫画の続きへの欲求をぐっと堪え、ご自由にお持ちくださいとラベルの貼られた籠から見付けた重要な証拠品だった。
「隅っこのここ、よーく見てみい。かなり小さいが、何と書いてある?」
一同は揃ってチラシの上に頭を並べた。何故か一回り魂のサイズが縮んだように見える一匹の霊を除いて。
「レンタルサービス…………始めましたァ…………?」
最初に声を発したのは、あろうことか店側である尤魔その人だった。
「我はエイゴに疎いのじゃが、レンタルとは貸し出しの事で間違いないな? 始まったのはひと月前で、本が大量に消えだしたのはいつじゃっけ?」
「……ひと月前からだ」
尤魔の瞳が横に揺れ動く。具体的には産卵を終えたシャケのようにぐったりしたキツネに。
「なあ饕餮よ、お前自分の店のくせにサービスの事も知らなかったのか?」
「……経営は任せているからな。なら貴様は自分の八百屋に何が並んでいるか全部言ってみろよ」
「ニンジンと、にんじんと、あとは人参だな」
「はい良く覚えてるなバーカ。ともかく私は聞いていなかった」
長同士、小学生みたいなやり取りを交わしながら、されど焦げ付きそうなオーラをぶつけ合う。そしてその熱に飛び込んで焼死できればと願っているのが一名、誰かは言うまでもない。
「まあまあ、我の時代にもいてな、帳簿をちょくちょく付け忘れる奴が。一応言っておくが我の事ではないぞ」
つまり我の事らしい。だからこそ、この推理に一早く辿り着けたのだが。
「なぜ目立たんような小文字なのかはあえて追求せぬが、慣れん業務をいきなり始めて失敗が多発とはよくある話じゃ。無論我はそんな事ないがの」
「おいコン吉……レンタルさせといて、それを忘れて、数が合わなくて、適当な犯人をでっち上げたってのか?」
『い、いや、そんなわけが……証拠もなし……』
「調べりゃ分かる事だ。今ならそんな怒らんでやるから、正直に言え」
『……えーと、その。確かに記入漏れもあったりなかったりしたような気がするんですけど、でもこれだけは言わせてください』
追い込まれたキツネの最後っ屁。もはや処分を免れないなら、奴だけは引きずり落とさなければならない。そう意を決して大きく息を吸い込んだ。
『アイツがパクってないわけないやないですか!』
それはあまりにもそうなので、一同は何も言い返せなかった。
「……うん、で? 貸したけど書き忘れた本のタイトルは? 覚えてるだけ書いとけな?」
『正直、覚えてられないですわ。異世界転生したボクがうんたらかんたら~、みたいなしょーもない垂れ流しが多くて敵いません』
キツネはやさぐれていた。ブラックな勤務体系。業務時間外の呼び出し。巡回するにも広すぎる店内。金も払わず立ち読みだけの客、そのくせ巻が抜けてるだの文句が多い。そんな中ミスに気を払う程の金は貰っていないのだ。
「まあ、面倒なのは分かる。だからって隠すのは良くないな」
『そんなんみんなやってるやないですか。同盟長だって何も言わずにずっと隠れて石油掘って……』
「すまんすまん。でもな、バレなきゃ悪くないんだよ。次からは上手くやれ、な?」
畜生達の畜生らしい会話がバックヤードに流れていく。布都の推理は正しかった。たった一枚のチラシと、よく物を壊して隠して怒られる自身の経験のみからこの真実を導いたのである。
「……私はぁ、もういいよなあ?」
芳香が長座の状態から器用にぴょいんと立ち上がる。
「ん、ああ好きにしな。いきなりとっ捕まえて悪かった」
拘束の為にずっととぐろを巻いていたヘビ霊が、もうお役御免とそそくさと腕から離れていった。
キツネの言う通り、青娥がレンタルとは関係ない所で盗んでいない保証なんてどこにもない。しかしそれは悪魔の証明というものだ。どうしても捕まえたいならやはり現行犯しかない。
「……饕餮、私の連れを勝手に捕らえておいて、誤解でしたハイすみませんで済むと思ったか?」
布都を立てて下がっていた早鬼が、ここからは自分の番だと前に出る。
「フン、どうせ頸牙の組長サマの身内なんじゃねえか。ノコノコ入ってきた己の軽率さを反省しな」
尤魔は開き直るが、しかし剛欲同盟側が被害者であるのは紛れもない事実で、その流れであまりにも怪しい邪仙の身内が敵と共に来たのだ。
「まあ、まだこっちに非があるってんなら、考えてやってもいいけどなあ?」
──ええ、まだあるのですわ。
突如として部屋に響いた、今まで無かった声音のナニワ弁。いや違う、これはナニワ弁などではない。
「むむむ……この甘い声はまさか」
これはお嬢様言葉だ。そう認識するや、塗装の剥がれかけたボロ壁に、バターナイフでも突き立てたように綺麗な丸い切れ目が入った。その隙間から吹き込む蠱惑的に甘い桃の香が、血と獣臭で満ちた畜生界を上書きしていく。もはや説明不要、開けられた穴からひょっこり現れたのは壁抜けの邪仙その人だった。
「青娥ぁ! イクラ集めのバイトはもういいのかぁ?」
青娥の胸元に芳香がぼふんと飛び込んだ。その頭をよしよしと撫でつつも、嫌な所に触れられたので頬を膨らませて。
「味方が弱くて全然勝てないから今日はもう終わりよ。それより……お楽しみだったみたいじゃない、ねえ布都ちゃん?」
「説明は不要のようで流石ですな。身の潔白を証明しに来たのですか、それとも……」
「そう、本を返しに来たのよ。まだ返却期限じゃないのにね」
青娥はずっしりと本が詰まった革製のバッグを見せびらかした。何の革で出来ているかは知る必要などない。
「仙人殿、突然の呼び出しながらご足労いただき誠に感謝致す」
「いいのいいの。考えてみれば最初から私も行けば良かったのよねえ。どうせクレームはあったんだから」
実は、待っている間に早鬼も行動していた。伝令するのは早馬の役目。店の外をたまたま通りがかった休暇中のオオカミ霊を捕まえ、自分の代わりに神霊廟へ飛ばしていたのだ。
なぜ、早鬼はそれを黙っていたのかというと、その方が何となくカッコいいと思ったからである。
「……これはこれは、我がナワバリにようこそ邪仙殿。レンタルサービスをご利用いただきありがとうございます、ってか」
「ご機嫌よう、同盟長さん。そう、そのサービスにちょっと言いたいことがあって来たのです」
青娥は袋に詰まっていた本の中から一冊を取り出した。週刊誌で連載している、世界一の海賊を目指す少年が主人公の漫画だ。
「海賊版なんですけど、これ」
その時、一匹の動物霊が大きく身震いした。
「なん、だと……?」
そして、最初に声を上げたのはまたもよりによって尤魔だった。
「ふむ、むう。海賊版、とは?」
「一体どのような物なんだ仙人殿!」
話の流れに乗って布都・早鬼の二人が説明を求める。青娥は待ってましたと言わんばかりに簪を外し、指し棒代わりに手に持った。
「海賊版とは、元々あったオリジナルを複製や改編したりで違法に販売したものです。ほら見てくださいよ、表紙は日本語なのに中身のセリフが全部中国語だし、フォントが統一されていないでしょう? こういう雑な所が祖国ながら……」
「なるほど、いつの時代も偽物が蔓延ると。まあ、青娥殿は中華の生まれだからそれでも読めるでしょうが……」
「日本の漫画は日本語で読むべきよ。日本暮らしが長くて今じゃこっちの方がペラペラですし。それにこれ、紙も粗悪なペラペラだから並べてみると薄いのが分かるわ」
青娥は正規品と揃えて見比べさせた。確かにページ数は同じはずなのに厚みが違っている。
「うーん、我々としては読めれば賊だろうがカタギだろうがどちらでもだな」
「それはどうでしょうか。例えば……ここに、お風呂上がりの豊聡耳様を写した一枚があります」
「ヒヒィン!?」
青娥が胸元からスッと取り出した写真に、早鬼は鼻息荒く反応した。
「これを早鬼ちゃんに売るとしましょう。お金は撮影した私と、肖像の本人である豊聡耳様に入ります。宜しいですか?」
「ハイ、当然の権利だと思います!」
早鬼は新入隊員のようにビシッと答えた。
なぜ、青娥が神子の風呂上がりを撮っていて、それを持ち歩いていたのかは気にしない事とする。
「ところが、です。この写真を剛欲同盟が買ってしまいました。額縁にでも飾るのかと思いきや、なんと写真をさらにカメラで撮影しまして、複写した物を大量に売り捌いています。お金は豊聡耳様など無視して自分達で総取り。はい、海賊版とはそういう物なのだけど、早鬼ちゃんはどう思う?」
「ハイ、ブチ殺しますッ!!」
「黒駒、どー! どーっ!」
例え話なのも忘れて早鬼が指詰め用に持ち歩いている小刀を抜き放つものだから、布都は慌てて暴れ馬を取り押さえた。
「……はい、ご理解いただいた所で話を戻しましょう。饕餮さんは存じてなかったという事で、首謀者はそちらのキツネさんでいいのかしら?」
『はいーっ!? いやいやこれはボクちゃいますよ! ずーっと印刷機使ってたのはシグマさんです!』
『!?』
クマ霊が仰天した顔で振り向いた。庇ってやるほど忠誠心が芽生える給料は貰っていない。こっちまで自分のせいにされちゃ堪らんと、キツネ霊はあっさり店長を売ったのだった。
「……フン、だからどうした。金儲けに貪欲な店長で何よりじゃねえか。お前さんが気に入らねえのは中国語版ってところだろう? はいはいお取り返いたしますよ、それで解決だな?」
しかし尤魔は居直った。そもそもここは畜生界だ。まともな本が欲しければまともな本屋に行けばいい。本として読めれば他の事はどうだっていいのだ。別に誰も損はしていないのだから。
「……それはどうじゃろうか」
いいや、良くはない。弟子らしく、先の青娥の言葉を借りて布都が得意げに微笑んだ。
別に誰も損はしていない、果たして本当にそうだろうか。
「商品というのは当然、卸している所が有るじゃろう。黒駒、畜生界の出版社は誰が所有しておるのじゃ?」
「ん? ええっと……私はそういうの部下に任せっきりなもので」
「あ、すまん。ええとな、こういうのは本の最後にあるもんじゃろう」
布都は青娥が持っていた正規品の発刊情報をめくって見せた。
「……出版社の名は『畜書房』で、鬼の丸印があるということは鬼傑組とやらではないか?」
「はい、それで間違いないです。いや待て、鬼傑組だと? という事は……」
「そうじゃ。此奴らは本来鬼傑組に払うべき金を払っていない、であろう?」
クマ霊の体毛が鳥肌でピンと逆立った。
なぜ、彼は海賊版など作る必要があったのか。それは自分達が本の出版元ではないからに決まっている。布都は僅かな間にそこへ辿り着いていたのだ。
「くく、なあ饕餮よ。吉弔といえば権利ゴロで有名だよなあ。この事を奴が知ったら、さてどうなるかな?」
さっきまで畜書房の名すら知らなかったくせにと言われたら馬の耳に念仏で、早鬼も便乗して尤魔に詰め寄った。
鬼傑組の長である吉弔八千慧。畜生界一の切れ者と名高い彼女は、あらゆるルールの穴を突いて利益を貪る銭ゲバとしても悪名高い。使いもしない特許を数百は所持しているとも噂されている。
こうなってしまっては二つに一つ。ゲザる(這いつくばって無様に謝罪する)か、殺すか。しかしあちらに居るのは暴力だけは最強の早鬼と、逃げに関しては天下一品の青娥を含む四人。いかに尤魔でもこれを同時に黙らせるのは現実的ではなかったのだ。
「う、むう……まあなんだ、今回の事は私の預かり知らぬ所で起きたのであって、こいつにはよーく言って聞かせるから多少は大目に……って、おいぃ?」
こいつこと、シグマ店長。ヤクザが責任を取る時はどうするか、先ほど怒髪天を衝いた早鬼が何を取り出したか。それを見ていた彼は、はてさてどのような行動を取るだろうか。
アンサー。脱兎のごとく逃走を図る、である。
「にぃぃがぁぁすぅぅかぁぁぁぁい!」
そうはさせんと芳香、駆ける。
逃げる獲物より無防備なものはない。縛られた復讐をせんと無言でずっと力を溜めていた彼女は、背中を見せたクマ霊にほぼ条件反射の速さで飛び付く。その太い胴体に腕を回し、剛力で持ち上げて締め上げる。
「お、おおー……!」
芳香はクマ相手にベアハッグを決めたのだ。見事なホールド技術に、敵・味方関係なく一同から感嘆の声が上がる。
勝負あり、だった。
「……えー、この度は私の可愛い部下共が大変な事をしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。どうか吉弔の奴には黙っておいてください」
正座の饕餮が頭を下げたのに続き、両サイドで二匹の畜生がそれに倣った。
「ですってよ、組長さん。別に私達が損するわけでもないし、許してあげたら?」
「んー、仙人殿がそう言うのならば。だがせっかくの謝罪だ、もう一声サービスしてくれないか」
どちらが欲張りなのだか分からない要求に、神霊廟の皆はくすくすと笑みをこぼした。
「チッ、じゃあ図書券も付けてやる。こんだけありゃあ、本棚がぶっ壊れるぐらい買えるはずだぜ」
一方の尤魔は剛欲の名を冠すると思えないほど気前良く図書券の束を渡した。いくら早鬼でも口約束だけでは信用できない。口止め料の賄賂と考えれば安いものなのだ。
「よし、良いだろう。いやー、たまには本屋も来てみるもんだな。こんな愉快なものが拝めたんだから」
「……こっちはとんだ災難だよ。たまの休みで本屋に来たらお前だぜ。見て見ぬふりして漫画読んでりゃ良かったよ」
「そう、それよ。漫画を読みに来たんだよ。お前さあ、サラリーマンのグルメなおっさんが一人で飯を食うだけの漫画知ってる? 最近出来た蜈蚣の飲み仲間がオススメしてきてさあ」
「おーアレか、それなら案内してやろう。なんだよその蜈蚣、良い趣味してるじゃねえか。今度私にも紹介してくれよ」
「お前と間接的に飲み友なんて御免だわ。気になるなら勝手に虹龍洞まで行きな」
「そりゃどーも。お前がそう言ってたって伝えとくぜ」
先ほどまで殺す殺すやっていたのが信じられないほど早鬼と尤魔は呑気だった。なぜかというと、今日の二人は本来オフだから。ただそれだけである。
「うおぉい、私にもサービスしろぉ。さっき半端に一口だけ貰ったせいで逆に腹が減ったぞ!」
「あァん? 分かった分かった、縛ったお詫びにちゃんとたこ焼き一パック奢ったるわ、この食いしん坊め」
「よっしゃー、お前、良いヤツだなー!」
食いしん坊同士、芳香もたこ焼き八個で水に流してくれるようである。とはいえ、彼女はキョンシーだ。縛られたことも、尤魔の顔も、明日には綺麗さっぱり忘れているかもしれないし、あるいはしっかり根に持っているかもしれない。
「……おい、小童」
最後に一人、尤魔には同盟長としてこのままでは済ませておけない者が残っていた。
「小童ではない。物部布都じゃ、覚えておけ」
「ああ、忘れねえよ。私を相手に見事なクソ度胸だったぜ。死んでここまで堕とされたらウチに来な」
どんな相手でも有能ならば取り入れる。それが剛欲同盟の、饕餮尤魔の強さである。それは敵対している驪駒早鬼や吉弔八千慧ですら例外ではない。むしろ喉から手が出るほど欲しい逸材なのだ。
「お生憎じゃが、我は死んでも今の主に付き従う所存でな。我らはどうせ、死ねば諸共地獄行きじゃて」
「ああそうかい。じゃあ布都よ、主共々可愛がってやるから楽しみに待ってるぜ」
その日が来るとしても何百、何千年後だろうか。それでも尤魔は待ち続けるだろう。未来永劫満たせぬ程に底無しの剛欲、それも尤魔の負った業なのだから。
「……青娥殿、少しこちらへ宜しいですか?」
話を終えた布都は青娥と共に、バックヤードを離れていい感じに人目を避けられそうなカーテンのかかった区画へ。
何やら動物同士、密着してじゃれあっている本ばかりだが、それは置いといて青娥にこっそり質問した。
「実際のところ、盗んでおりましたか?」
「あのねえ、くだらない質問をしないでくれる? 弟子が信じなければ誰が師匠の潔白を証明するのよ」
「そうですな。貴女が証拠の残るようなヘマなどするはずがない。証拠が無い以上は盗んでいないのが真実。私もそう思っておりましたよ」
「そうそう、バレなければ良いんだからお互い様よ。それにどうせ海賊版ですし、もし何らかのトラブルで無くなったとしても、きっとそれは天誅に違いありませんわ」
天から見放された邪仙が天誅という言葉を使う滑稽さ。師匠と弟子、二人仲良く邪仙らしい笑みを浮かべるのだった。
「……なんだぁ、二人して。そういう趣味があったのかぁ?」
ズラッと並ぶアニマルビデオの棚の端から、甘い香りを辿って芳香がぴょいと顔を覗かせた。
「うむ? 確かに小動物は好きじゃが、そういえば我より屠自古の方が重症だったな。この辺りの一冊でも貰って帰るとするかの」
布都は適当に屠自古が好きそうなものを見繕って手に取った。表紙ではコーギーらしき犬が仰向けで十個ある乳首を見せつけている。天然なのか否か、その真実は布都のみぞ知る。
「ところでだがぁ、半分ハッタリだったろうがあの動物共を追い込んだのは見事だった。九点をあげてもいい!」
隔離エリアから離れた所で、芳香が布都の健闘を称え背中をばちんばちんと良い音立てて引っ叩いた。キョンシーは加減というものを知らない。
「おふっ、す、そこは十点でないのか……まあ、おっちょこちょいの気持ちは我もよーく分かるからのう。紙幣を入れたまま服を洗濯したり、麻酔を忘れて刃を入れたり。あの時も、うっかり壺を割ってしまって本当に血の気が引いたわ……」
「……ん?」
さしもの芳香も聞き流せなかった。今、とんでもない過ちをさらっと告白しなかっただろうか。
「布都、お前ぇ……まさか、おっちょこちょいで屠自古の壺を入れ替えたのか……?」
「いやあ、慌てて代わりの壺を探したのじゃが、まさかそれも焼いてなかったとは気付かず……って、そんなわけないじゃろ。そのような情けない理由で死んだら屠自古も浮かばれんわ」
「いや、浮かばれんからああなったのでぇ……つまり、結果オーライか?」
「そうじゃそうじゃ。バレていたら結末はもっと悲惨だったじゃろう。つまりこれでヨシと。はっはっは」
ぎくしゃくとした動きで乾いた笑い声をあげる布都を見て、芳香は思うのであった。
やっぱり、ワレは割れ女だなと。
「それはともかく……芳香の事もしっかり守ってくれてありがとうね」
ともかくで流してはいけないと思われるが、青娥は叩かれた分だけ布都の背中を優しくさすり上げた。
「そーそー、ありがとなあ。お前ってよく分からんからあの時は嬉しかったぞ!」
二人からの称賛に、布都の顔もでへへと緩む。探偵ごっこもしたかったとはいえ、庇う相手は誰だって良いわけではない。
「なんのなんの。先生はもちろん、芳香の事も妹分として大事に思っておりますから」
「……ちょっと待てぃ。私より小さいくせに妹だと? 烏帽子と厚底靴でごまかせると思ったか?」
「おお? 背の高さは関係ないじゃろ今は。生まれは我の方が古いのだから必然お主が妹で……」
「なにおう。さっさとぐーすか眠りについたお前よりぃ、私の方が死体人生は長いのだから……」
「はい、やめなさいやめなさい」
青娥が二人の頭を抱えて自分の体に押し付けた。同時に口をふさぐにはこれが一番である。
「んむぐぬっふぅ! まあなんだ、布都は見ていて飽きないから好きだぞ。たこ焼きの次くらいに!」
「我は刻まれた軟体動物より下か……だがしかし、まあ良いか」
顔に感じるのは大人のお姉さん特有の暴力的な柔らかさ。肺に満ちていく甘ったるい香りが脳を痺れさせる。それに比べればタコイカなんてどうでもいい事だ。
布都は知らないが、芳香の好きなものランキングは変動が非常に激しい。不動の一位は青娥として、そこから下は最も記憶に新しい物から埋まっていく。だから食べたばかりの物の次は結構良い方である。そもそも名前を覚えてもらえている時点で不動のお気に入りなのだ。
名探偵にもいろいろあるが、今回の布都は紛れもなくそれだったと言っていい。
何故ならば、世に存在する名探偵の多くが……美女に弱いからである。
幼馴染みだったような気がする蘇我屠自古と太子様にお仕えして、青ずくめの女の怪しげな修行現場を目撃した。
太子様に夢中になっていた我は、背後から彼女面する屠自古がなんかむかついたので、気付かれないように壺をすり替え、目が覚めたら──。
「……ん何だ、ワレか」
「確かに、我じゃが……」
不審者が布都だと確認できた芳香は、地面と水平に伸ばした両腕をだらんとぶら下げた。
青ずくめの女こと、邪仙・霍青娥に使役されるキョンシーの宮古芳香。死体には学校も試験も何にもないので、やることといえば青娥に可愛がられるか自宅警備くらいである。
そういうわけで、不真面目な青娥も一応は構えている修行場の前で鼻歌を奏でていたところ、ぶつぶつと自己紹介のフレーズを呟きながら訪問してきたのが布都だった。
「青娥に用なら残念だった。主は今忙しいのだ。ええと……塗装で?」
「うむ? まあ漆喰もだいぶ剥がれてきたかのう。我は本を返しに来ただけ故、入れていただきたい」
青娥殿も大工の真似事などするのじゃのう、と能天気に思い込み、布都はぱんぱんに膨らんだ風呂敷包みを見せ付けた。
「おぉう、それなら私とお前の仲だ。書庫まで案内してやろう」
「それはかたじけない。是非お願いする」
仙人に目覚めてからの初対面では妖しい童めと噛み付かれたのに、動く死体に随分と馴染んでしまったものだ。しみじみと思い返す布都をぴょんぴょんと先導する芳香の足取りが、突如ぴたりと止まった。
まだ廊下の途中であるのに何事かと横顔を覗き込むと、芳香は不敵な笑顔を浮かべてこう答えた。
「すいません、迷いました!」
「……青娥殿の屋敷は広いからのう。よい、我が先に行こう」
「かたじけない、お願いします!」
一度来れば大体の道筋は覚えている。キョンシーと違って脳も新鮮キレキレな布都の案内で、二人は無事書庫へと到達できたのだった。
「ふん、ぬっ! 五〇巻まで確かに。次は五一から……」
本棚の横長なスキマに、本の重みでぷるぷると震える布都がどっさりと詰め込む。もちろん巻の並びは一から順番に。それがマナーである。
「ありゃ、六三までしか無いぞ。青娥殿の話では百を超えてもまだ連載しておるという話じゃったが」
「そこに無ければ無い! たぶん!」
芳香は無駄にえっへんとふんぞり返る。
「買い揃えてないという事か? むむむ……この少年探偵がいつ元の大きさに戻るのか、我は気になって気になって……」
「青娥はいつまで経っても戻らないから飽きたんだろうなー」
「だがしかし、元に戻ればそれは話の終わりでもあり、ぐぬぬ……」
作者でもないのに漫画のジレンマで勝手に頭を抱える布都であった。
「まあ無いなら受け入れるしかあるまい。今ある分だけ借りて……いや、これだけならばここで読んでいくか」
「漫画もよいが修行もなー。青娥も神子も嘆いておったぞぉ」
「いやいや書かれた当時の時代背景を学ぶにはこういった漫画本を読むのが一番なのじゃ。例えば、始めの頃は弁当箱に仕込んでいたケータイなるものが、いつの間にかポッケに入るほど小さくなって……」
「時の流れはよせぃ! それを言ったら仙人でもないのに一向に老けん神社の巫女も……!」
長期連載では避けられない問題への野暮な突っ込みに盛り上がる二人。本というのは読んだ後もこういった場外戦が楽しいものだ。
――どすんどすん、ぱかっぱかっ。
さてそんな所へ、何か飛び跳ねるような足音が廊下に響き渡る。さては二人の話し声に誘い込まれた青娥かと期待するが、青娥にしてはこの足音は荒々しい。いったい誰ぞやと身構える二人の前に現れたのは意外な人物だった。
「頼もーーう! おお、物部様ではありませんか。書庫はここで間違いありませんな!?」
「むむ、黒駒か。確かに間違いありゃせんが……」
人物、いや人ではなく馬物か。本特有の紙の匂いを嗅ぎ分けて文字通りの単騎で乗り込んできたのは、聖徳太子の愛馬・黒駒を自称する黒天馬にして、畜生界の頸牙組長を務める驪駒早鬼である。
彼女は最近になって地上にも姿を見せるようになり、確かに布都とも知らない仲ではない。だがそれにしても、何故早鬼が青娥邸の書庫に来るのか疑問しかない。
「しまったー、門を離れたスキに通られてしまったー。で、何をしに来ましたか?」
しまったと言いつつ全然しまってない芳香の、緊張感に欠けた質問が事務的に飛ぶ。
「うむ、此度は太子様の重大任務にてこれをお返しに参った!」
布都に続いてこれまた大きな風呂敷包みを、早鬼は堂々と見せ付けた。どすんとホコリ高く置かれた包みからちらりと見えた中身は、本。山のような本だ。歴史上の偉人達を主役にしたギャグ漫画を始めとして、伝記物が大半を占めている。
早鬼の発言をつまり要約すると、豊聡耳神子から本を返しにパシらされたという事だ。まがりなりにも極道組織の長たる者が。しかし聖徳太子激推しの早鬼が断れるはずもない。
「あーそー、じゃあその辺の空いてる所に突っ込んどいてくれー。並びは揃えるのだぞう」
「承知した。いやしかし、この書庫は凄いぞ。畜生界にも本屋はあるが、古さや圧倒感ではここの方が上かもしれないな」
黄ばみに黄ばみ、いつ書かれたかも定かでない書物が並ぶ棚の前で、早鬼が素直に感嘆の声を上げた。
「ほう、畜生界にも本屋があると? 無礼を承知で言うが奴らも書を読むのじゃな」
「ハハ、小難しい本を読み耽って悦に浸るなど、理屈っぽい鬼傑組の奴ぐらいでしょうな。大体は漫画ばかりですよ」
「漫画のう……例えばどのような?」
「地上でいろいろあって処分された本は畜生界にも流れ着きましてね。物部様の前にある本なんかも見かけた気がしますよ」
布都の瞳に決意のような何かが宿った。
「──往くか、畜生界」
「……ハァ?」
布都のあまりにも軽率な決断に、流石の芳香も率直に呆れる。
「あの博麗の巫女共も行って帰ってきたのじゃろう? ならば我が行けない道理などあるまい」
「勿論です。物部様なら大歓迎。そうと決まればいざ畜生界!」
「まてぃ、待て待てぃ!」
芳香はキョンシー人生で初めての苦境に立たされていた。死んでいるくせに生き急いだ、自分が突っ込みに回らざるを得ないボケだらけのせいで。
「……行く前にぃ、誰かに伝えるべきではないですか?」
そして止められてほしいと、切にそう思った。この陶器割り人狂が、任侠の親分と共に畜生の世界へ。キョンシーでもゾッとする。
「確かに、上がり込んで家主に挨拶も無く出ていっては仁義が通らないな。では青い仙人様の所へ案内されよ!」
「青娥なら、この真向かいの部屋にいるんだがぁ……」
「それは話が早い! 仙人様ァ! 失礼いたしやす!」
「お、おまぁ、勝手に……!」
着火した暴れ馬は止められない。早鬼の勢いは討ち入りが如く、ピシャリと軽快な音を立てて襖を開け放った。
そこには、半纏姿でコントローラーを握りしめた、清楚さの欠片もない邪仙がいた。
「……なに? 私は今イクラ集めでと~~~~~~っても、忙しいんですけど?」
度重なる敗北で不機嫌の極みにあった青娥はその感情を微塵も隠さなかった。だから会わせたくなかったのになぁ、と芳香が後ろでぶつくさ溢すが、覆水盆に返らずである。
「こ、これは誠に失礼いたしました。太子様の遣いで本を返しに参ったのと、三人で畜生界の本屋へ行く運びになりましたので御挨拶を……」
「ほわぃ?」
なぜ自分まで行くことになっているのか。芳香の腐った脳では理解できなかった。
「隋の時といい、豊聡耳様ったら人を遣いに出す度に無礼がなきゃ気が済まないのかしら……ああはいはい良いわよいってらっしゃい。布都ちゃん、芳香をよろしく」
「はっ。責任を持って芳香殿をお借りいたします」
「あ~れ~~?」
乗りかかった船という言葉がある。早鬼という黒船が突っ込んできた時点でこの運命は決まっていた。
そうと決まれば後はあっという間。布都の方舟に乗り込んだ一行は、三途の川を渡って豪快に地の底へと落ちていくのだった。
驪駒、襲来。
書店内は一斉に厳戒態勢へ切り替わった。何故ならその店は驪駒率いる頸牙組派閥ではないからである。とはいえ追い出そうとして暴れられてはお手上げ。客として来たならあくまで客として丁重に応対せねばならない。
そういった事情を踏まえて、店員が取った行動は単純に、最高責任者への丸投げであった。
「よく来たなあ驪駒。まさかお前に本を読む知性があるとは思わなかったぜぇ?」
「ふっ、同盟長自らのもてなしとはな。そちらはよほど人材難らしい」
古本書店『コロニーコミック』の最高責任者、すなわち所属派閥の最上位。剛欲同盟の長、饕餮尤魔その人が堂々と早鬼の前に立つ。なお、別に呼び出されたとかでなく、たまたまオフの日で漫画を立ち読みに来ていただけである。不運だ。
「……悪いが今日の私は休養日でな、カチコミだってんなら日を改めな。じゃねぇとこっちもお前の留守ばっかり狙うことになるぜ?」
「生憎だがうちは精鋭揃いだ。留守を狙われて困るのはお前のワンマン同盟の方だろう?」
「よく言うぜ。埴輪に歯が立たねえで真っ先にふて寝してたのはどこの組員だっけ?」
「ああ? あんなもんお前が食ってしまえば終わっていたのに、尻尾巻いて雲隠れしたのはどこの饕餮だ?」
「……おい、我が見たいのは漫画じゃ。獣の縄張り争いに興味などないぞ」
布都は筋者の口喧嘩もどこ吹く風。彼女には馬と羊がヒンヒンめぇめぇ鳴いているようにしか見えないのである。恐れるものがあるとしたら、それは取っておいた栗饅頭を留守の間に奪われる事くらいだろうか。
「……っと、これは申し訳ない。饕餮よ、こちらも休暇中だ。今はこちらの連れと共に客として振る舞ってやるさ」
「やれやれだ、畜生界は生身の為の場所じゃないんだがなぁ。まあ金を払うならせいぜいごゆっくりし、て……」
尤魔は気が付いてしまった。早鬼の連れが、ブラックリストに乗っている超危険人物の身内であることに。
「ちょっとお嬢ちゃぁん……ちょっとぉ、ちょお~~~っと、バックヤードまで来てくれるかなぁ……!」
尤魔の合図で本棚の裏に待機していた動物霊が一斉に飛び出した。
「な、なんじゃー! なんじゃー!?」
尤魔が所有している膨大な石油を台無しにしかねない、歩く百円ライターこと物部布都。
「ま、またかぁー!?」
ではなく、その隣の宮古芳香に向かって──。
「……つまり、このひと月前から窃盗被害が多発していると?」
連行された先の狭苦しい部屋にて、店長のクマ霊から説明を受けた布都はそう解釈した。
「その通りだ。万引き自体は本屋に付き物だが、それが最近特に酷い。だが霊魂の身で大量の本を持って逃げるのは難しいだろう? それで検証した結果、その死体の主が怪しいと結論付いたんでねえ」
尤魔は鋭い歯を剥き出しにしてにやにやと卑しい笑顔で答えた。安っぽい椅子に行儀悪く逆向きで座り、背もたれに上半身を預けてぎぃぎぃと不気味な音を奏でている。
「知らん! 少なくとも私は全く記憶にないぞぉ!」
両手を蛇の霊に巻きつかれて拘束中の芳香が、ぷりぷりとむくれて己が主の無実を訴える。
「犯人はみんなそう言うもんだ。脳みそ腐ってそうな奴じゃますますな」
「それで、仙人の方が捕まえられないからこちらを人質か。全く卑劣なお前らしい」
「やかましい、将を射んと欲すればだ。おっと、将に置いて逝かれた馬に言っちゃ悪かったかなあ?」
「貴様……ッ!」
早鬼が思わず前のめりになる。彼女にとって敬愛する神子の事は饕餮如きが軽々しく口にしていいものではないのだ。
「黒駒、安い挑発に乗るでないわ。そして饕餮とやら、寝首をかかれたくなくば……牙はその時まで隠す事じゃ」
早鬼に熱された空気が一瞬にして下がった。尤魔の言う将が逆鱗であるのは無論、彼女だけではないのだ。聖徳王の片腕として政敵を消してきた布都の言葉は、決して軽いものでない。
「……ふん、客人のお言葉を尊重しておいてやろう。ともかく容疑者の捕獲前にその所有物を差し押さえだ。そこは譲らんぜ」
「だが、あの青い仙人殿が窃盗か……物部殿、心当たりは?」
「……それは、残念ながらある。いくらでもな。青娥殿は欲しいと思えば勝手に持っていくお人じゃからな」
代表的なエピソードとしてはサンタクロースに扮してプレゼントついでに泥棒など。河童のアジトまでガラクタ漁りに行ったこともある。その時は水牢に数日間捕らわれたが、自力で脱走を遂げた。
「しかしな、値札の無い物は持っていくが商品には意外にもちゃんと金を払うのじゃ。世の中の泥棒全てが我が師にされては堪らぬ。大体、お主が青娥殿の何を知っておる。会ったことすらないであろう」
「お生憎だがよーく知ってるぜ。臓物ってのは美味えからさ、よく流してもらってんだよ。特にあいつは若いのをよく取り揃えて……」
「ああ分かった、皆まで言わんで良い……だが、疑うならば根拠を見せよ。いきなり芳香が縛られて我だけ帰るなど出来ん。その代わり、納得できれば我が責任を持って青娥殿をお連れする」
ヤクザを相手に『責任を持つ』重さは布都とて理解している。されど、如何に邪仙と謗られようと青娥は神子と自分を永らえさせた大恩人で、眠っている間の墓守を務めたのは目の前で縛られているキョンシーなのだ。
「ふーん……いいだろう。被害当日の店員を連れてくるから、店の中で漫画でも読みながら待ってな」
尤魔は不敵な笑みを浮かべて自ら立ち上がった。部下に任せず自分で行くところが剛欲同盟の気質だ。
「良かろう。窃盗犯が誰なのか、太子様の名にかけて我が見定めてやろうぞ」
神子は名探偵でも何でもないのだが、布都は臆せずきっぱりと言い放った。バタン、と華奢な体躯に見合わない大音で閉められた部屋に残ったのは容疑者御一行と、店長のクマ霊と縄役のヘビ霊だ。この状況で早鬼と同室に取り残され、居心地悪そうに縮こまっていた。
「ふう……」
張り詰めた空気から開放され、布都の胸がゆっくりと上下する。見た目こそ小生意気な童女といった趣きだが、尤魔は紛うことなき四凶の一体だ。下手をすれば対峙しただけで心を食われていたかもしれないと思うと身の毛がよだつ。
「お前ぇ……私はちょっと感動したぞ!」
「全くです。流石は太子様の懐刀!」
そんな尤魔相手に啖呵を切った布都を称え、芳香と早鬼がキラキラな瞳で顔を寄せる。実のところ芳香は布都を死んでも理解できない奴と思っていたが、これは評価を改めざるを得ない。と思いきや──。
(探偵団っ……我は少年探偵団っ……!)
布都のやる気が漫画の真似事したさに生じていたとは、知らぬが花というものであろう。
『えーえー、確かにボクは見ましたよ。あれは確かに青いヒトです。それが店内をウロウロ物色してたんですわ』
尤魔が連れてきたのは一匹のキツネ霊であった。愛嬌ある細目の顔から発される、独特の上がり調子な語り口。地上ではいわゆるナニワと呼ばれる訛りだ。今日は彼も休日だったのだが尤魔直々の呼び出しで来ないわけにはいかなかった。
「青色の泥棒なら霍青娥しかいないわな。そりゃもう決まりに決まっとるわ」
尤魔は口からほくほくと湯気を立てながら軽々しく決めつける。
「ちょっと待てぃ! お前だけ何を勝手に食っているのだぁ、ずるいぞー!」
爪楊枝をぷすりと突き刺して、もう一口。たっぷりかけられたソースと青海苔の香りに続いて、トロトロの生地とぷりぷりな具の食感。小腹の空いた尤魔が呼び出しついでに貰ってきたのは、ナニワ人のソウルフード、たこ焼きである。だから自分で行ったのだ。
「しゃーないヤツじゃのう。しゃーないから一個やるわ。貸し一つな?」
「すまん! あー……あふっ!」
楊枝から芳香の大口へと、玉入れのようにたこ焼きが放り込まれる。普通なら口内が熱で大変な事になっているが、キョンシーだから大丈夫。
「……なんか此奴、性格が変わっておらんか?」
「あー……饕餮の奴、食った相手に精神が影響されるらしくて。今はナニワの魂を食ったせいかと」
「ムードがブチ壊しじゃのう……」
せっかく宿った探偵魂がたこ焼き一つでいきなりふっ飛ばされそうになるが、布都は心の中で虫眼鏡を覗き込んで己を保った。今はキツネの話を聞くことだ。集中、コンセントなんちゃら。
「むん。青いからって絶対に青娥殿とはならんじゃろう。青い服ならそこの饕餮だって着ておるわ」
『ほな何ですか、ボクらの同盟長が自分の店から盗んだって言うんですか!? 青い服ならそっちの組長だって着てますわ!』
「持ってくならちゃんと持ってく言うわ。同盟長ナメてもらっちゃ困るで!?」
「あ、うむ。失礼……」
キツネ霊とやかましさが二割増しになった尤魔の同時口撃にさしもの布都もたじろぐ。しかしこれで引いては勝手にかけた太子も浮かばれないと体を前に乗り出した。
「青い以外に何か無いのか? いくら何でもそれだけで決めつけたわけじゃあるまい」
『そーですねー……頭の辺りに輪っかがありましたわ』
「そりゃ青娥だわ! 頭が輪っかの奴なんて青娥以外におらん!」
パチンと尤魔が柏手一発。青くて輪っかじゃ青娥に決まり。議論の余地なしハイ終わり。
「待たんかい。頭に輪っかなら八坂神奈子とかいるじゃろう。髪だって青いし」
「んー、八坂神奈子……カナコヤサカ……ああ、あのやたら柱を投げつけてきた風神か」
「それだー! 犯人はそのカナコヤサカに違いない! だから縄を解け!」
芳香が長座の姿勢のままぴょんぴょん跳ねるが、尤魔は一切見向きもしなかった。
さて、頭が青くて丸いしめ縄を何故か付けている神、カナコヤサカこと八坂神奈子。何の因果か欲張り同士、石油を巡って尤魔とも因縁のある相手だ。確かに彼女も地獄の近くまで降りては来ているから、ついでに本屋に寄った可能性も無きにしも非ずだが。
『いや、ボクの記憶じゃ神様みたいなそんな偉そうな印象じゃなかったですわ』
「じゃあカナコちゃうわー。カナコ言うたら外から逃げこんで来たくせに無駄に偉そうやしなー……」
御柱で殴られた憂さ晴らしも兼ねて、尤魔は椅子の上であぐらになりながら悪態をつく。相変わらずのなんちゃってナニワ弁のままで。
「ならば必然的に紅い館の吸血鬼でも、うちの太子様でもないのう……」
「物部様、太子様は無駄にではなく本当に偉人であって……」
千年来の豪族推しな早鬼が、引きつった表情で囁く。推し自ら幻想をぶち壊すなど、早鬼には耐えられない。
「あーあー、今のはアレじゃ、『おふれこ』でな。もちろん敬愛はしておるから……」
外面が良い人間ほど家庭では……という話はよくある。布都は知っているのだ。三日前の神子が、『洗濯物は裏返して入れろって言いましたよね?』と屠自古から説教されていた事を。
『……あ、そうです! ノミを持ってましたわ! ボクとしたことが、最初にそっちを言うべきでしたねー』
「よっしゃ青娥じゃ! 頭にノミ刺してるおかしな女なんて青娥以外におらんな!」
尤魔がパチン、パチンと両膝を打つ。壁抜けの邪仙と悪名高い青娥は、先端がノミになったかんざしを付けている。これで数多の住居に不法侵入し、命を狙われた時も逃げ延びてきたのだ。
「いや待て。ノミを持ち歩いてる奴といえば普通にあの憎き邪神の方じゃないのか? 確かにノミも付いてるが、アレを初見でノミとは思わんぞ」
生娘々を見た事のある早鬼が、彼女らしからぬ真っ当な反論で対抗した。
ノミを持ち歩いているといえば、早鬼の言う邪神ことクリエイティブ活動大好きで知られる埴安神袿姫だ。畜生界に突如降臨した彼女は全ての畜生勢力と敵対しており、真っ当な買い物など到底出来るものではない。
「確かに、あの綺羅びやかな簪が鑿には見えぬだろう。ノミといえば木槌でコンコンやるあのノミじゃ。その邪神とやらが持っているのだな?」
「ふん、いくらナンボでも奴が来店したら問答無用でお帰り願うわ。せやろコン吉」
『モチのロンですよ! 来たら力ずくで追い返しますわ、シグマさんが』
突然振られたクマ霊の店長が『えっ?』という顔でキツネを見た。いくら哺乳類最強クラスでも神相手はあまりに荷が重い。
『邪仙は不思議なノミで壁に穴を開ける。それぐらいの話は聞いてます!』
「分かった分かった、お主が見たのはおそらく青娥殿じゃろう。じゃあそういう事にして……」
布都はずいと体を乗り出してキツネに顔を近付けた。
「青娥殿が盗むところを見たのか。お主、姿を見たとしか言っておらんな?」
『ええ、ハイ。確かに本を手に取って、ボクの居た入り口に向かって……』
「そりゃ入り口に向かうじゃろうなあ。会計場はそこにあるのだから」
『だから、そこをスーッとあの、通り過ぎて……』
「会計を通さず外に出たのか? それはもう窃盗確定じゃなあ。なのに追いかけんかったのか?」
『いや、ボクだけで追いかけても、捕まりは……』
その時だ。
しどろもどろになった狐を制すように、すっと掌が持ち上がった。
「……待ちな、小童。何が言いてえんだお前は。はっきり言え」
明らかに言葉に詰まったキツネへの援護で、尤魔がドスの効いた声を上げる。口調も本来のものへ戻っていた。自身の言葉とは裏腹に布都の言いたいことは分かる、だからこそ。
「実はよくある話でのう。青娥殿ほど罪をなすりつけるのに都合の良い相手は居らんでな」
「……じゃあ何か、盗んだのは青娥じゃなくてコン吉だと? オイどうなんだコン吉ィ!」
『ぼぼぼボクは盗んでないです! 絶対に!』
「どうだ、こいつは盗んでないと言っている。罪をなすりつけようとしたのはお前の方だぜ。こりゃあ、大変なことをしちまったなあ……?」
尤魔は鋭い歯を光らせてにんまりと笑う。動物にとって、笑うというのは本来攻撃的な表情なのだ。これもまさしく狩りに出た肉食獣そのもの。哀れな獲物はもちろん目の前の──。
「……何を勘違いしておる」
布都も全く動じることなく口角を上げた。
「そもそもこの事件、本当に本を盗まれたのであろうか。窃盗犯など始めからいなかった。我はそう思っている」
「……な、なんだってー!?」
「いったいどういう事だ物部殿!」
何となく空気を読んで驚き役になった死体と馬の声を背に、小さな探偵は裸眼にかけた心のメガネをくいと微調整する。
「おいおい、現に本は失くなってるんだぜ。まさか盗んだんじゃなくて借りただけとか、どこぞの雑魚魔女みたいな事……言わねえよなあ?」
「……このチラシを見よ。先に店内で貰ったものじゃ」
布都は一枚の紙切れをすっと机の上に置いた。それは証人を呼んでくるから店内で待ってろと言われた間の話である。本棚に並ぶ探偵漫画の続きへの欲求をぐっと堪え、ご自由にお持ちくださいとラベルの貼られた籠から見付けた重要な証拠品だった。
「隅っこのここ、よーく見てみい。かなり小さいが、何と書いてある?」
一同は揃ってチラシの上に頭を並べた。何故か一回り魂のサイズが縮んだように見える一匹の霊を除いて。
「レンタルサービス…………始めましたァ…………?」
最初に声を発したのは、あろうことか店側である尤魔その人だった。
「我はエイゴに疎いのじゃが、レンタルとは貸し出しの事で間違いないな? 始まったのはひと月前で、本が大量に消えだしたのはいつじゃっけ?」
「……ひと月前からだ」
尤魔の瞳が横に揺れ動く。具体的には産卵を終えたシャケのようにぐったりしたキツネに。
「なあ饕餮よ、お前自分の店のくせにサービスの事も知らなかったのか?」
「……経営は任せているからな。なら貴様は自分の八百屋に何が並んでいるか全部言ってみろよ」
「ニンジンと、にんじんと、あとは人参だな」
「はい良く覚えてるなバーカ。ともかく私は聞いていなかった」
長同士、小学生みたいなやり取りを交わしながら、されど焦げ付きそうなオーラをぶつけ合う。そしてその熱に飛び込んで焼死できればと願っているのが一名、誰かは言うまでもない。
「まあまあ、我の時代にもいてな、帳簿をちょくちょく付け忘れる奴が。一応言っておくが我の事ではないぞ」
つまり我の事らしい。だからこそ、この推理に一早く辿り着けたのだが。
「なぜ目立たんような小文字なのかはあえて追求せぬが、慣れん業務をいきなり始めて失敗が多発とはよくある話じゃ。無論我はそんな事ないがの」
「おいコン吉……レンタルさせといて、それを忘れて、数が合わなくて、適当な犯人をでっち上げたってのか?」
『い、いや、そんなわけが……証拠もなし……』
「調べりゃ分かる事だ。今ならそんな怒らんでやるから、正直に言え」
『……えーと、その。確かに記入漏れもあったりなかったりしたような気がするんですけど、でもこれだけは言わせてください』
追い込まれたキツネの最後っ屁。もはや処分を免れないなら、奴だけは引きずり落とさなければならない。そう意を決して大きく息を吸い込んだ。
『アイツがパクってないわけないやないですか!』
それはあまりにもそうなので、一同は何も言い返せなかった。
「……うん、で? 貸したけど書き忘れた本のタイトルは? 覚えてるだけ書いとけな?」
『正直、覚えてられないですわ。異世界転生したボクがうんたらかんたら~、みたいなしょーもない垂れ流しが多くて敵いません』
キツネはやさぐれていた。ブラックな勤務体系。業務時間外の呼び出し。巡回するにも広すぎる店内。金も払わず立ち読みだけの客、そのくせ巻が抜けてるだの文句が多い。そんな中ミスに気を払う程の金は貰っていないのだ。
「まあ、面倒なのは分かる。だからって隠すのは良くないな」
『そんなんみんなやってるやないですか。同盟長だって何も言わずにずっと隠れて石油掘って……』
「すまんすまん。でもな、バレなきゃ悪くないんだよ。次からは上手くやれ、な?」
畜生達の畜生らしい会話がバックヤードに流れていく。布都の推理は正しかった。たった一枚のチラシと、よく物を壊して隠して怒られる自身の経験のみからこの真実を導いたのである。
「……私はぁ、もういいよなあ?」
芳香が長座の状態から器用にぴょいんと立ち上がる。
「ん、ああ好きにしな。いきなりとっ捕まえて悪かった」
拘束の為にずっととぐろを巻いていたヘビ霊が、もうお役御免とそそくさと腕から離れていった。
キツネの言う通り、青娥がレンタルとは関係ない所で盗んでいない保証なんてどこにもない。しかしそれは悪魔の証明というものだ。どうしても捕まえたいならやはり現行犯しかない。
「……饕餮、私の連れを勝手に捕らえておいて、誤解でしたハイすみませんで済むと思ったか?」
布都を立てて下がっていた早鬼が、ここからは自分の番だと前に出る。
「フン、どうせ頸牙の組長サマの身内なんじゃねえか。ノコノコ入ってきた己の軽率さを反省しな」
尤魔は開き直るが、しかし剛欲同盟側が被害者であるのは紛れもない事実で、その流れであまりにも怪しい邪仙の身内が敵と共に来たのだ。
「まあ、まだこっちに非があるってんなら、考えてやってもいいけどなあ?」
──ええ、まだあるのですわ。
突如として部屋に響いた、今まで無かった声音のナニワ弁。いや違う、これはナニワ弁などではない。
「むむむ……この甘い声はまさか」
これはお嬢様言葉だ。そう認識するや、塗装の剥がれかけたボロ壁に、バターナイフでも突き立てたように綺麗な丸い切れ目が入った。その隙間から吹き込む蠱惑的に甘い桃の香が、血と獣臭で満ちた畜生界を上書きしていく。もはや説明不要、開けられた穴からひょっこり現れたのは壁抜けの邪仙その人だった。
「青娥ぁ! イクラ集めのバイトはもういいのかぁ?」
青娥の胸元に芳香がぼふんと飛び込んだ。その頭をよしよしと撫でつつも、嫌な所に触れられたので頬を膨らませて。
「味方が弱くて全然勝てないから今日はもう終わりよ。それより……お楽しみだったみたいじゃない、ねえ布都ちゃん?」
「説明は不要のようで流石ですな。身の潔白を証明しに来たのですか、それとも……」
「そう、本を返しに来たのよ。まだ返却期限じゃないのにね」
青娥はずっしりと本が詰まった革製のバッグを見せびらかした。何の革で出来ているかは知る必要などない。
「仙人殿、突然の呼び出しながらご足労いただき誠に感謝致す」
「いいのいいの。考えてみれば最初から私も行けば良かったのよねえ。どうせクレームはあったんだから」
実は、待っている間に早鬼も行動していた。伝令するのは早馬の役目。店の外をたまたま通りがかった休暇中のオオカミ霊を捕まえ、自分の代わりに神霊廟へ飛ばしていたのだ。
なぜ、早鬼はそれを黙っていたのかというと、その方が何となくカッコいいと思ったからである。
「……これはこれは、我がナワバリにようこそ邪仙殿。レンタルサービスをご利用いただきありがとうございます、ってか」
「ご機嫌よう、同盟長さん。そう、そのサービスにちょっと言いたいことがあって来たのです」
青娥は袋に詰まっていた本の中から一冊を取り出した。週刊誌で連載している、世界一の海賊を目指す少年が主人公の漫画だ。
「海賊版なんですけど、これ」
その時、一匹の動物霊が大きく身震いした。
「なん、だと……?」
そして、最初に声を上げたのはまたもよりによって尤魔だった。
「ふむ、むう。海賊版、とは?」
「一体どのような物なんだ仙人殿!」
話の流れに乗って布都・早鬼の二人が説明を求める。青娥は待ってましたと言わんばかりに簪を外し、指し棒代わりに手に持った。
「海賊版とは、元々あったオリジナルを複製や改編したりで違法に販売したものです。ほら見てくださいよ、表紙は日本語なのに中身のセリフが全部中国語だし、フォントが統一されていないでしょう? こういう雑な所が祖国ながら……」
「なるほど、いつの時代も偽物が蔓延ると。まあ、青娥殿は中華の生まれだからそれでも読めるでしょうが……」
「日本の漫画は日本語で読むべきよ。日本暮らしが長くて今じゃこっちの方がペラペラですし。それにこれ、紙も粗悪なペラペラだから並べてみると薄いのが分かるわ」
青娥は正規品と揃えて見比べさせた。確かにページ数は同じはずなのに厚みが違っている。
「うーん、我々としては読めれば賊だろうがカタギだろうがどちらでもだな」
「それはどうでしょうか。例えば……ここに、お風呂上がりの豊聡耳様を写した一枚があります」
「ヒヒィン!?」
青娥が胸元からスッと取り出した写真に、早鬼は鼻息荒く反応した。
「これを早鬼ちゃんに売るとしましょう。お金は撮影した私と、肖像の本人である豊聡耳様に入ります。宜しいですか?」
「ハイ、当然の権利だと思います!」
早鬼は新入隊員のようにビシッと答えた。
なぜ、青娥が神子の風呂上がりを撮っていて、それを持ち歩いていたのかは気にしない事とする。
「ところが、です。この写真を剛欲同盟が買ってしまいました。額縁にでも飾るのかと思いきや、なんと写真をさらにカメラで撮影しまして、複写した物を大量に売り捌いています。お金は豊聡耳様など無視して自分達で総取り。はい、海賊版とはそういう物なのだけど、早鬼ちゃんはどう思う?」
「ハイ、ブチ殺しますッ!!」
「黒駒、どー! どーっ!」
例え話なのも忘れて早鬼が指詰め用に持ち歩いている小刀を抜き放つものだから、布都は慌てて暴れ馬を取り押さえた。
「……はい、ご理解いただいた所で話を戻しましょう。饕餮さんは存じてなかったという事で、首謀者はそちらのキツネさんでいいのかしら?」
『はいーっ!? いやいやこれはボクちゃいますよ! ずーっと印刷機使ってたのはシグマさんです!』
『!?』
クマ霊が仰天した顔で振り向いた。庇ってやるほど忠誠心が芽生える給料は貰っていない。こっちまで自分のせいにされちゃ堪らんと、キツネ霊はあっさり店長を売ったのだった。
「……フン、だからどうした。金儲けに貪欲な店長で何よりじゃねえか。お前さんが気に入らねえのは中国語版ってところだろう? はいはいお取り返いたしますよ、それで解決だな?」
しかし尤魔は居直った。そもそもここは畜生界だ。まともな本が欲しければまともな本屋に行けばいい。本として読めれば他の事はどうだっていいのだ。別に誰も損はしていないのだから。
「……それはどうじゃろうか」
いいや、良くはない。弟子らしく、先の青娥の言葉を借りて布都が得意げに微笑んだ。
別に誰も損はしていない、果たして本当にそうだろうか。
「商品というのは当然、卸している所が有るじゃろう。黒駒、畜生界の出版社は誰が所有しておるのじゃ?」
「ん? ええっと……私はそういうの部下に任せっきりなもので」
「あ、すまん。ええとな、こういうのは本の最後にあるもんじゃろう」
布都は青娥が持っていた正規品の発刊情報をめくって見せた。
「……出版社の名は『畜書房』で、鬼の丸印があるということは鬼傑組とやらではないか?」
「はい、それで間違いないです。いや待て、鬼傑組だと? という事は……」
「そうじゃ。此奴らは本来鬼傑組に払うべき金を払っていない、であろう?」
クマ霊の体毛が鳥肌でピンと逆立った。
なぜ、彼は海賊版など作る必要があったのか。それは自分達が本の出版元ではないからに決まっている。布都は僅かな間にそこへ辿り着いていたのだ。
「くく、なあ饕餮よ。吉弔といえば権利ゴロで有名だよなあ。この事を奴が知ったら、さてどうなるかな?」
さっきまで畜書房の名すら知らなかったくせにと言われたら馬の耳に念仏で、早鬼も便乗して尤魔に詰め寄った。
鬼傑組の長である吉弔八千慧。畜生界一の切れ者と名高い彼女は、あらゆるルールの穴を突いて利益を貪る銭ゲバとしても悪名高い。使いもしない特許を数百は所持しているとも噂されている。
こうなってしまっては二つに一つ。ゲザる(這いつくばって無様に謝罪する)か、殺すか。しかしあちらに居るのは暴力だけは最強の早鬼と、逃げに関しては天下一品の青娥を含む四人。いかに尤魔でもこれを同時に黙らせるのは現実的ではなかったのだ。
「う、むう……まあなんだ、今回の事は私の預かり知らぬ所で起きたのであって、こいつにはよーく言って聞かせるから多少は大目に……って、おいぃ?」
こいつこと、シグマ店長。ヤクザが責任を取る時はどうするか、先ほど怒髪天を衝いた早鬼が何を取り出したか。それを見ていた彼は、はてさてどのような行動を取るだろうか。
アンサー。脱兎のごとく逃走を図る、である。
「にぃぃがぁぁすぅぅかぁぁぁぁい!」
そうはさせんと芳香、駆ける。
逃げる獲物より無防備なものはない。縛られた復讐をせんと無言でずっと力を溜めていた彼女は、背中を見せたクマ霊にほぼ条件反射の速さで飛び付く。その太い胴体に腕を回し、剛力で持ち上げて締め上げる。
「お、おおー……!」
芳香はクマ相手にベアハッグを決めたのだ。見事なホールド技術に、敵・味方関係なく一同から感嘆の声が上がる。
勝負あり、だった。
「……えー、この度は私の可愛い部下共が大変な事をしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。どうか吉弔の奴には黙っておいてください」
正座の饕餮が頭を下げたのに続き、両サイドで二匹の畜生がそれに倣った。
「ですってよ、組長さん。別に私達が損するわけでもないし、許してあげたら?」
「んー、仙人殿がそう言うのならば。だがせっかくの謝罪だ、もう一声サービスしてくれないか」
どちらが欲張りなのだか分からない要求に、神霊廟の皆はくすくすと笑みをこぼした。
「チッ、じゃあ図書券も付けてやる。こんだけありゃあ、本棚がぶっ壊れるぐらい買えるはずだぜ」
一方の尤魔は剛欲の名を冠すると思えないほど気前良く図書券の束を渡した。いくら早鬼でも口約束だけでは信用できない。口止め料の賄賂と考えれば安いものなのだ。
「よし、良いだろう。いやー、たまには本屋も来てみるもんだな。こんな愉快なものが拝めたんだから」
「……こっちはとんだ災難だよ。たまの休みで本屋に来たらお前だぜ。見て見ぬふりして漫画読んでりゃ良かったよ」
「そう、それよ。漫画を読みに来たんだよ。お前さあ、サラリーマンのグルメなおっさんが一人で飯を食うだけの漫画知ってる? 最近出来た蜈蚣の飲み仲間がオススメしてきてさあ」
「おーアレか、それなら案内してやろう。なんだよその蜈蚣、良い趣味してるじゃねえか。今度私にも紹介してくれよ」
「お前と間接的に飲み友なんて御免だわ。気になるなら勝手に虹龍洞まで行きな」
「そりゃどーも。お前がそう言ってたって伝えとくぜ」
先ほどまで殺す殺すやっていたのが信じられないほど早鬼と尤魔は呑気だった。なぜかというと、今日の二人は本来オフだから。ただそれだけである。
「うおぉい、私にもサービスしろぉ。さっき半端に一口だけ貰ったせいで逆に腹が減ったぞ!」
「あァん? 分かった分かった、縛ったお詫びにちゃんとたこ焼き一パック奢ったるわ、この食いしん坊め」
「よっしゃー、お前、良いヤツだなー!」
食いしん坊同士、芳香もたこ焼き八個で水に流してくれるようである。とはいえ、彼女はキョンシーだ。縛られたことも、尤魔の顔も、明日には綺麗さっぱり忘れているかもしれないし、あるいはしっかり根に持っているかもしれない。
「……おい、小童」
最後に一人、尤魔には同盟長としてこのままでは済ませておけない者が残っていた。
「小童ではない。物部布都じゃ、覚えておけ」
「ああ、忘れねえよ。私を相手に見事なクソ度胸だったぜ。死んでここまで堕とされたらウチに来な」
どんな相手でも有能ならば取り入れる。それが剛欲同盟の、饕餮尤魔の強さである。それは敵対している驪駒早鬼や吉弔八千慧ですら例外ではない。むしろ喉から手が出るほど欲しい逸材なのだ。
「お生憎じゃが、我は死んでも今の主に付き従う所存でな。我らはどうせ、死ねば諸共地獄行きじゃて」
「ああそうかい。じゃあ布都よ、主共々可愛がってやるから楽しみに待ってるぜ」
その日が来るとしても何百、何千年後だろうか。それでも尤魔は待ち続けるだろう。未来永劫満たせぬ程に底無しの剛欲、それも尤魔の負った業なのだから。
「……青娥殿、少しこちらへ宜しいですか?」
話を終えた布都は青娥と共に、バックヤードを離れていい感じに人目を避けられそうなカーテンのかかった区画へ。
何やら動物同士、密着してじゃれあっている本ばかりだが、それは置いといて青娥にこっそり質問した。
「実際のところ、盗んでおりましたか?」
「あのねえ、くだらない質問をしないでくれる? 弟子が信じなければ誰が師匠の潔白を証明するのよ」
「そうですな。貴女が証拠の残るようなヘマなどするはずがない。証拠が無い以上は盗んでいないのが真実。私もそう思っておりましたよ」
「そうそう、バレなければ良いんだからお互い様よ。それにどうせ海賊版ですし、もし何らかのトラブルで無くなったとしても、きっとそれは天誅に違いありませんわ」
天から見放された邪仙が天誅という言葉を使う滑稽さ。師匠と弟子、二人仲良く邪仙らしい笑みを浮かべるのだった。
「……なんだぁ、二人して。そういう趣味があったのかぁ?」
ズラッと並ぶアニマルビデオの棚の端から、甘い香りを辿って芳香がぴょいと顔を覗かせた。
「うむ? 確かに小動物は好きじゃが、そういえば我より屠自古の方が重症だったな。この辺りの一冊でも貰って帰るとするかの」
布都は適当に屠自古が好きそうなものを見繕って手に取った。表紙ではコーギーらしき犬が仰向けで十個ある乳首を見せつけている。天然なのか否か、その真実は布都のみぞ知る。
「ところでだがぁ、半分ハッタリだったろうがあの動物共を追い込んだのは見事だった。九点をあげてもいい!」
隔離エリアから離れた所で、芳香が布都の健闘を称え背中をばちんばちんと良い音立てて引っ叩いた。キョンシーは加減というものを知らない。
「おふっ、す、そこは十点でないのか……まあ、おっちょこちょいの気持ちは我もよーく分かるからのう。紙幣を入れたまま服を洗濯したり、麻酔を忘れて刃を入れたり。あの時も、うっかり壺を割ってしまって本当に血の気が引いたわ……」
「……ん?」
さしもの芳香も聞き流せなかった。今、とんでもない過ちをさらっと告白しなかっただろうか。
「布都、お前ぇ……まさか、おっちょこちょいで屠自古の壺を入れ替えたのか……?」
「いやあ、慌てて代わりの壺を探したのじゃが、まさかそれも焼いてなかったとは気付かず……って、そんなわけないじゃろ。そのような情けない理由で死んだら屠自古も浮かばれんわ」
「いや、浮かばれんからああなったのでぇ……つまり、結果オーライか?」
「そうじゃそうじゃ。バレていたら結末はもっと悲惨だったじゃろう。つまりこれでヨシと。はっはっは」
ぎくしゃくとした動きで乾いた笑い声をあげる布都を見て、芳香は思うのであった。
やっぱり、ワレは割れ女だなと。
「それはともかく……芳香の事もしっかり守ってくれてありがとうね」
ともかくで流してはいけないと思われるが、青娥は叩かれた分だけ布都の背中を優しくさすり上げた。
「そーそー、ありがとなあ。お前ってよく分からんからあの時は嬉しかったぞ!」
二人からの称賛に、布都の顔もでへへと緩む。探偵ごっこもしたかったとはいえ、庇う相手は誰だって良いわけではない。
「なんのなんの。先生はもちろん、芳香の事も妹分として大事に思っておりますから」
「……ちょっと待てぃ。私より小さいくせに妹だと? 烏帽子と厚底靴でごまかせると思ったか?」
「おお? 背の高さは関係ないじゃろ今は。生まれは我の方が古いのだから必然お主が妹で……」
「なにおう。さっさとぐーすか眠りについたお前よりぃ、私の方が死体人生は長いのだから……」
「はい、やめなさいやめなさい」
青娥が二人の頭を抱えて自分の体に押し付けた。同時に口をふさぐにはこれが一番である。
「んむぐぬっふぅ! まあなんだ、布都は見ていて飽きないから好きだぞ。たこ焼きの次くらいに!」
「我は刻まれた軟体動物より下か……だがしかし、まあ良いか」
顔に感じるのは大人のお姉さん特有の暴力的な柔らかさ。肺に満ちていく甘ったるい香りが脳を痺れさせる。それに比べればタコイカなんてどうでもいい事だ。
布都は知らないが、芳香の好きなものランキングは変動が非常に激しい。不動の一位は青娥として、そこから下は最も記憶に新しい物から埋まっていく。だから食べたばかりの物の次は結構良い方である。そもそも名前を覚えてもらえている時点で不動のお気に入りなのだ。
名探偵にもいろいろあるが、今回の布都は紛れもなくそれだったと言っていい。
何故ならば、世に存在する名探偵の多くが……美女に弱いからである。
布都ちゃんが本当に探偵してて驚きました