Coolier - 新生・東方創想話

一五の月 ~Strawberry Moon~

2022/11/09 21:59:25
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 月食の月がなぜ赤色なのかと問われれば、甘くて美味しいからだと私は答えるだろう。月は真っ赤に熟れた苺のような味がする。だから、月は食べられるのである。


 時刻にして、一五時。空に月はなく、代わりに太陽が優しく輝く青い空の下。深紅に染まった屋敷の中では、お茶会が開かれていた。
 赤みがかったクロスの敷かれた小さなテーブルの上に、白い陶磁器がぽつぽつと並べられている。紅茶の入ったティーカップに、ミルクの入った小さなミルクジャグ。砂糖の入ったシュガーポットと、ショートケーキの置かれたプレートが二組。ケーキの上には綺麗な苺が一つずつ置かれており、そしてそのケーキを頂くためのフォークも同時に並べられている。──机の上には、それだけである。お茶会と呼ぶには簡素すぎる様子であるが、置かれている陶磁器らはこの場でお茶会が開かれることを確かに示していた。そんな小さなお茶会には、どうやら二名の参加者がいるようだ。

「あなたからアフタヌーンティーの招待だなんて、珍しいことをするのね、パチェ」
 現在お茶会が開かれているこの館──紅魔館の主であり、お茶会に招待された紅き吸血鬼、レミリア・スカーレットは腕を組みながら言葉を発した。

「用件がなければこんなことはしないわ。逆に言えば、今は用件があるということ。それくらいのこと、わかってるでしょう? レミィ」
 パチェと呼ばれた少女──この小さなお茶会の主催であり、普段は地下図書館にばかり籠っている陰気な魔女、パチュリー・ノーレッジはそう返す。自らの足で図書館を離れ、友人をお茶に誘うなど、普段の彼女ではしない行動である。だからこそ、レミリアは大事な用件があるだろうことなど知っていたし、それでもなお、彼女はパチュリーの行動に疑問を感じていたのである。

「聞きたいことはいろいろあるけれど、まずこの茶会の用意はどうやって?」
 レミリアはまず手近なものから話題にあげた。
「厨房にいる妖精メイドたちに用意をするよう言いつけたわ。彼女ら、私が来たのを見て『厨房に不衛生なものを入れるな』みたいな顔をしたのだけど。躾がなってないんじゃない?」
「貴女が埃っぽいのは事実よ。あんなカビ臭い図書館に棲んでいたら否が応でも汚れる」
「たとえ本当に汚れていたとしても、それを態度に出さないのが礼儀というものじゃないの?」
 パチュリーは疲れ切った顔で返す。彼女は汚いと思われたこと自体よりも、メイドの管理状況のずさんさにうんざりしているようであった。
「──礼儀じゃ済まされないほどに貴女が汚れているという可能性は?」
「これでも毎日シャワーは浴びているわ。服も魔法で洗濯してる。私は貴女が考えているほど汚くない」
「冗談だよ、悪かったね」
 二人はふふふと笑う。散々なことを言われているようであるが、これくらいの悪口はジョークの一種であるとパチュリーは最初から知っている。尖った言葉を交わしながらも、そこには笑顔が生まれる。そんな不思議な空間を生み出してしまうほどに、彼女らの友人関係は固く結ばれているのである。

「別に大丈夫よ。でもこれから話す内容は冗談じゃない。心して聞いて」
 パチュリーは紅茶を一口飲んでから話し出す。真剣な顔付きでレミリアを見つめ、見つめられた側も自然と真剣な顔付きに移る。さっきまでの場の柔らかさはあっという間に消え去った。

「パチェがそこまで言うなら余程の内容なんでしょうね。でも待って、先にケーキを一口だけ食べさせて」
「ええどうぞ」
 承諾を得ると、レミリアはフォークをゆっくりと手に持ち、ケーキに手を伸ばした。細長い三角形の先端に金属器を押し当て、そのままゆっくりと押し下げていく。力が加わった場所からケーキは柔らかく歪んでいき、一番下まで金属が通ると、ケーキの形はすっかり元の形に戻る。しかし以前と違って、白い三角形は小さな三角と台形の形に分かれていた。彼女はそのまま生まれた小さな三角をフォークで刺し、ゆっくりと口へと運んでいく。鼻の奥に甘い香りが流れていき、そして目を閉じて甘味の欠片を口に入れる。柔らかい感触が歯に伝わる。クリームの甘味をじっくりと堪能し、喉の奥へと流し込んでいく。実に優雅に、それでいてたった一口だけをを食べ終わたレミリアは、食器を置いて改めてパチュリーの方に向き直った。

「生憎、緊張するのは好きじゃなくてね。甘いケーキは私を柔らかくしてくれる。そうやっていつも余裕を持った態度で居たくてさ」
「あなたらしいわ」
 二人はまたふふふと笑う。気が付けば、あたりの空気はまた以前と同じような柔らかいものに戻っていた。

「長くなったけど、その用件の内容というのは?」
「そうね──単刀直入に言うなら、貴女、近いうちに死ぬかもしれない」
 突然の余命宣告にレミリアは口を開ける。話題に反して場の空気は凍らない。むしろ馬鹿話でもしているような空気感であった。

「……は?」
「流石に意地悪しすぎたわね。でもあんまり誇張じゃないの。というのも、どうやら幻想郷に『吸血鬼狩り』が出たらしいわ」
「『吸血鬼狩り』だぁ?」
 レミリアは怪訝そうな顔で答える。変わらずパチュリーは続ける。
「そう、『吸血鬼狩り』。名前の通り吸血鬼を狩る『人間』よ。何の目的か知らないけども、この幻想郷にたった二人しかいない吸血鬼──あなたとあの妹様を殺すためだけに、どうやらこの幻想郷に人間が来たらしいの」
「そんなこと、何処で知った?」
「最近、いろんな村で『吸血鬼をご存知ありませんか』と聞き回る人間がいるらしくて。そいつに協力してるのか、とある村が新聞に吸血鬼捜索コラムまで作ったのよ。ほら──」
 そう言ってパチュリーは切り抜かれた新聞を取り出して見せる。そこには「吸血鬼を探しています 見かけたら○○村の村長○○まで」と確かに書かれていた。さながら人探しの張り紙である。本来堅苦しい内容を掲載しているはずの新聞にオカルト的な内容が載っていることが、レミリアにはどうにも面白おかしく思えてしまう。
「大した自信ね。幻想郷に吸血鬼が住んでいることすら公には広まっていないのに、こんなことで本当に吸血鬼が見つけられるとでも思っているのかしら。仮に本当に吸血鬼がいたとしても、こんな新聞出したら恨みを買ってこの村が吸血鬼に襲われるかもとか考えないのかね。全く、いつまで経っても人間は短絡的で馬鹿な生き物だわ」
 レミリアは怠そうに呟く。
「吸血鬼は夜の王者で人間の敵。そんな吸血鬼を退治すると言い張る人間が現れたら、英雄視して協力する人間がいてもおかしくはないわ」
 パチュリーは淡々と返すばかり。まるでレミリアの返事を知っていて、元から答えを用意していたように、である。
「しかして、その人間の特徴は? 特徴がわからなければ対策もできない」
「わからない。目的もわからなければ素性も不明というわけよ」
「……一方的に存在を知られる危険性があるってことね」
 そこまで言われ、レミリアはようやく話の重みを理解する。これがただのハッタリなんかではなく、正真正銘、生死の関わる危険の知らせであると。
「それに、これは人間側の罠かもしれない。こうやって吸血鬼を焦らせ、煽り、貴女が出てくるのを向こうからじっと待っている……そんな罠よ」
「相変わらず、人間はずる賢くて残酷な生き物なのね」
 正体の見えない相手から一方的に命を狙われる恐怖感。人間からすれば、照明のない真っ暗な空間で戦いを強いられているような、そんな状況。元来、夜の王である吸血鬼は今まで闇を恐れたことがなかった。闇の中でも五感が利くからである。しかし、今の彼女は違う。今、彼女はまさしく暗闇の中に閉じ込められている。何時When何処でWhere誰がWho何故WhyどのようにHow攻撃して来るのか。今の彼女にはそれすらもわからない。ただわかっているのは、狙われているモノWhatがこの私ということだけ──。周りを全て同時に警戒しなくてはいけないという疲労と、そして何よりの命を奪われたくないが故の緊張感。それらが同時に襲い掛かるのが、暗闇の中なのである。

 闇の中の吸血鬼は背筋に悪寒が走るのを感じる。その感覚に身をぞくりと震わせ──そして、彼女はにやりと笑ったのであった。

「面白いじゃない、それだけの度胸がある人間、是非ともお会いしてみたいものだわ」
 レミリアは顔の前で指を組みながら呟く。その刹那、彼女の眼は爛々と紅く輝いていた。その光はまるで、この場が漆黒の暗闇の中だったとしても、その暗闇をかき消してしまうかのような、そんな力強いものであった。

「なんとなく貴女ならそんなようなことを言う気はしていたわ」
 パチュリーは目を瞑り、溜息を吐いてからゆっくりと話し出した。
「だからこそ、私にこの話を伝えたのでなくて?」
 レミリアは笑いながら返す。
「残念だけど、そうじゃない。私は単純に貴女を心配しているのよ。これは警告であり、貴女へのおめでたいサプライズプレゼントではないの」
「本気で警告するつもりがあるのなら、こんな甘いお菓子のある素敵なお茶会なんて開かないわ。わざわざ自分で用意してまで、ね。もっと淡々と警告すればいいのに」
「こうでもしないと真面目に取り合わないと思って。私からお茶に誘えば貴女は興味を示すに決まっているでしょう?」
「それで? 真面目に取り合った私の回答は貴女の期待にそったものだったかしら?」
 レミリアの相変わらず余裕そうな言葉ぶりを見て、パチュリーは再び溜息を吐く。彼女はティーカップに手を伸ばすと、紅茶を半分ほど飲み干し、再び話し出した。

「……もう一度言っておくわ。貴女は近いうちに命を狙われるかもしれない。どんな相手かもわからない。精々覚悟しておくことね」
「私の心配をするくらいだったら自分の心配をすべきよ、パチェ。もし仮に私がやられたら、貴女だって命を狙われるかもしれないのよ?」
「友人なら自分のことよりもまず相手のことを心配するのは当然」
 パチュリーは至極当たり前のことのように言葉を紡ぎ続ける。それを聞いたレミリアは──
「……そうかもね。ありがとう」
 少し顔を赤らめながら、ただ素直に、感謝の意を述べたのであった。
「はい、私の話はこれでお終い。折角だし、貴女の方から何か話題はある?」
 パチュリーはレミリアに問いかける。レミリアはケーキを一口食べ、少し考えるそぶりを見せてから、こう切り出した。
「このケーキ……確かに美味しいけれど、パチェはこの出来に満足してる?」
 尋ねられたパチュリーは、未だ手の付けていなかったケーキの先端をフォークで削り取って口に含む。目を瞑り、五感を味覚のみに集中させ、しっかりと味を確かめた後で彼女は答える。
「まあまあといったところかしら。妖精メイドに急いで作らせたものだもの、完璧な出来なんて求めていないわ。口に合わなかったかしら?」
「違う違う。私はこのケーキを美味しいと思ってるんだ。だけれど……」
 彼女はここまで話すと、一息置いて、こう繋げた。

「ケーキ作りも後片付けも完璧にこなす、完璧なメイドが欲しいなと考えはしない?」
「完璧なメイド……ね」
「そう、完璧なメイド。この館には中途半端な妖精メイドがたくさんいるばかりで、そいつらをまとめるメイド長がいない。もしあいつらをまとめられる完璧なメイド長がいたことなら、このケーキだってもっと美味しくなる」
 彼女は上を向きながら言い切ると、視線を下に戻し、手に持ったフォークでケーキの上の苺を突き刺してから、それを口に含む。彼女はそれを大胆に噛みしめると、甘露に口を綻ばせた。
「これだけ朱くて、甘くて、美味しい苺なのだから……この苺を載せ支えるケーキだってもっと甘くあるべき。そうでしょう?」
「否定はしないわ。でも、そんな完璧なメイドをどこで雇うつもり?」
 パチュリーは首をかしげながら、やはり当然の疑問を投げかける。
「実は当てがあるんだ。いつかパチェに紹介するよ、楽しみにしておいて」
 レミリアはにやりと笑いかける。それを見たパチュリーははっとしたような顔になって早口で問いかける。
「まさかレミィ、吸血鬼狩りをメイドにするだなんて思ってないでしょうね!?」
「さぁ、どうだか? でもきっと"使える"人間がいたらこの館だってもっと楽しくなるよ。パチェも人間と深く関わったことはないでしょう?」
「馬鹿な事を言わないで。どうしてこの吸血鬼はこんなにも余裕でいられるのかしら……」
「言ったでしょう? 私はいつも余裕を持った態度で居たいだけ。居たいからこそ、そう居られるように努力するだけよ」
 レミリアはそう言うとケーキに再び手を伸ばした。苺の載っていないケーキを大きく削り取ると、彼女はそれを一口で飲み込んだ。ケーキを胃に押しやると、今度は紅茶を口に含む。そうして紅茶を飲んだのならば、まだ今度は手をケーキの方に伸ばし──と、彼女はそれを繰り返すばかりになった。彼女がただ食欲のままに紅茶とケーキを頂いているだけでも、何故か不思議と上品さが溢れているようだった。そんなレミリアを見て、パチュリーは居心地が悪そうに紅茶を飲み干した。そして彼女は空になったカップを置き、未だ手を付けていない彼女自身のケーキに目を向ける。そして、小さく息を吸ってから、誰にも聞こえないような声で呟くのであった。

「──居たいのなら、お願いだから居なくならないでね」
「すまない、なんて?」
「……なんでもないの。レミィ、もし良かったらこのケーキは貴女にあげるわ。一口しか手を付けていないし、まだ食べられると思うわ」
 そう言って、彼女はケーキの乗ったプレートをレミリアの方に押し渡す。
「あら、生憎私もお腹いっぱい。ああでも、苺だけなら食べられるかも」
 そういって彼女は手で苺を摘み、口へと放り込んだ。甘味を嚙みしめながら食べ終わると、レミリアは不安げな顔になりながらパチュリーの顔を覗き、尋ねる。
「パチェ、もしかしてこのケーキの味苦手?」
 パチュリーは首を強く横に振る。
「違うの。ただなんでかしら……完璧なケーキっていうのを想像したらそっちの方が食べてみたくなったとでも言うのかしら。とにかくごめんなさいね、片付けは私がやっておくわ」
「やらせておくわ、でしょ?」
 席を立ちながらその言葉に二人は笑う。まるで先ほどまでの重い会話などなかったように。二人は反対向きに歩き出す。一人は片付けのメイドらを呼ぶため厨房へ。もう一人は自室へと。廊下を蹴る二つの足音が静かに鳴り響いていき、お茶会会場はやがて真の静寂へと包まれていくのであった。

 気が付けば日は暮れ始めており、人のいなくなったテーブル──そのうちパチュリーが座っていた側の窓から、レースカーテン越しに橙色の光が差し込んでいた。西の地平線へと太陽が落ちていくと、天秤にかけられたように東の地平線から月が昇ってくる。太陽が重くなるにつれて、月は軽さを示していく。地平線からゆっくりと顔を見せていくその月は、一片の欠けたるところもない満月。紅く輝きながら、日が没した夜の世界で存在を主張していく。昼は日が支配する時間であり、夜は月が支配する時間。そうして一日は廻っていく。いやに紅く輝くその日の満月は、その事実を幻想郷へと知らしめさせているようであった。

 その紅き月の下、同じく紅き屋敷の時計の針が午後九時を指す。アフタヌーンティーを終え、さらにディナーも済ませていたレミリア・スカーレットは、自室のベッドに腰掛け、物思いに耽っていた。パチュリーの前でこそ堂々たる態度で過ごせていたが、部屋で一人思慮を巡らせていると、どうにも思考や予測は悪い方向へと進んでしまうのであった。しかし彼女はパチュリーの前で見栄を張っていたわけでもなかった。正体不明の刺客の存在が他人を疑心暗鬼にさせるのは当然のこと。疑心暗鬼の中で友人と一緒に居られれば自然と楽観的で居られるし、孤独で居れば自然と悲観的になる。彼女は自然体でいるだけなのだ。
「吸血鬼を狩る人間……家事や雑用が得意だといいけれど、そうじゃなかったらどうやって雇おうかしら」
 レミリアはすっかり「吸血鬼狩り」を雇うことしか考えていなかった。それを考えなければ今の彼女は不安で胸が押しつぶされそうであったから、無理矢理にでも考えるようにしていたのである。
「門番……は美鈴がいるから要らないわね。庭師仕事もやらせているし……。それなら、完膚なきまでに屈服させて、忠実な私の従者にしようかしら。強ければ強いほど、私の護衛には相応しいわ」
 彼女は「強い人間」について想像を膨らませていく。
「人間は寿命も短くて体も貧弱。大半は空を飛べないしずっと泳ぐこともできない。魔法も覚えている人間なんて一握りだから、攻撃手段は物理的な殴打か、精々小さなものを投擲するくらいか」
 彼女は悩む。悩めば悩むほど、彼女の思考はループから抜けられなくなっていく。
「やっぱり普通の人間が私を殺すなんて無理に思えるわね。でも、もしそいつが普通じゃない人間なら?」
 そう言って、彼女は突拍子もない、非現実的で異常な力を持った人間を思い浮かべていくことにした。
「私の弱点を突くというのなら、太陽の力を宿した人間? 洪水のような水を操れる人間も面白いわね。体臭がとんでもなくニンニク臭い人間? まさか」
 自分で思い描いた人間が、あまりにも「強い人間」とはかけ離れていることに気付き、彼女は独りでに笑う。思考は未だ止まることを知らない。
「吸血鬼以外にも強いというのなら、もっと超人的な力を持っているべきね。首を落とされても死なない人間。強靭な肉体を持つ硬派な人間。様々な武器を使いこなす器用な人間。大魔法を無限に使える人間だってもしかしたらいるかもしれない」
 まさしく「人間離れ」した業を持つ人間らを想像し、そして彼女はそんな人間すらも上回ってしまう自分のことを想像する。自然と口角は上がり、気分も高揚してくる。
「どんな見た目なのかしら。男? それとも女? 背が高くて紳士的な男性なら、きっとこの館にもぴったりね」
 メイドではなく、護衛向き。非現実的で、彼女にとって理想的。そんな「吸血鬼狩り」について考えるうちに、彼女の不安はいつしか消えていた。むしろ、今の彼女は──
「早く会えるのが楽しみね……人間」
 すっかり、パチュリーの前で見せていたような余裕を取り戻し、自分を殺しに来る人間との邂逅を楽しみに待ちきれないとしていた。
 そして、同時に彼女は確信していたのである。「その邂逅の時こそ、今夜である」と。そういう運命なのであると、彼女は天から、天に昇っている紅い月から告げられたように感じていた。

「私とあなたは主従で結ばれる運命。『人間狩りヴァンパイア』の恐怖ホラーを見せてあげようじゃないの」
 彼女の瞳が月の光を反射して紅く輝く。夕方にパチュリーの前で見せた紅い輝きよりもさらに強く、夜空に輝く無数の星々よりも強く、まるで朝を告げる太陽かのように、その眼は長く光を灯していた。



 時は流れ、時刻は午後十一時半。レミリアはエントランスホールの端にある小さな椅子に腰掛けていた。いつもと変わらぬ可愛らしい服装ではあるが、今は翼を折りたたみ、机に乗せた腕の上に突っ伏している。その姿は、何も知らぬ者が見れば間違いなく年齢相応の「少女」と勘違いしそうなもののようである。しかしこの時の彼女の齢は、数にして五百弱。到底少女とは言えない。そんな彼女は時々玄関の大きなドアの上にある時計を見ては、また体を突っ伏した姿勢に戻らせるのを繰り返していた。
 彼女はこの机に来るまでにいくつか事を済ませていた。門前払いされないように門番である美鈴を早めに上がらせた後、エントランスホールに一人来て、各部屋、各廊下との全ての出入り口を結界で封じたのである。これは万が一彼女が敗北を喫した時に、せめて他の住人と妹は守ろうという彼女なりの優しさと、そして何より、人間と一対一で向き合いたいという我儘から来たものであった。もしかしたら他の住人達と会えるのはこれが最後かもしれない。彼女はそんなことを思ってはいたものの、不思議と別れの寂しさは感じていなかった。それは、単純に負ける気がしていないという向こう見ずな発想から来るものではなく、わざわざ別れを告げるまでのことでもないという発想であったからだろうか。薄情と言われればそれまでかもしれない。だが、彼女は薄情者などではなかった。
「私には皆と過ごした沢山の時間があるものね」
 彼女は、誰よりも紅魔館の皆を愛し、思いやっていたからこそ、寂しさを感じていなかったのである。今までに過ごしてきた充実した生活──それが、彼女を強くし、いつだって皆と一緒にいるという実感を与えてくれる。別れることで皆の心まで離れ離れになることなどないと、彼女は心から信じ切っている。この強い絆が確かに存在していることを知っているから、彼女は寂しさなど感じていなかったのだ。

「まあ、私が負けることなんてないのだけどね」
 レミリアははそう言うと、手でスカートをはたいてから椅子から立ち上がる。大きく背伸びをして、同時に羽をも伸ばす。吸血鬼ならではの蝙蝠型の羽を、縦に、横に、大きく広げ、そしてやがてバサバサと羽ばたく動きをさせた。美しく、力強く、優雅に。入口のドアから反対向きに三歩歩いて、それからくるりと優雅にターンをしてドアの方へと体を向ける。上を見上げ、時計を睨む。示されたのは十一時五十九分。その上と横、窓から赤い光が斜め向きに差し込み、吸血鬼の後ろには大きな影が生まれる。真っ黒な、闇色の影である。
 そうして彼女はただ、目を瞑り、十二時の鐘が鳴るのを待っていた。

 ゴーンという低い音が鳴り、目を開く。それは紛れもない十二時の鐘。低い音と高い音が絡み合うような独特な音。鐘は何度も同じ音を刻んでいた。
 鐘は未だ鳴り続ける。満月が真南の空で紅く輝き、時計の針もその満月を指し示すかのようにXIIを指している。
 鐘は未だ鳴り続ける。大きな重低音が心臓を揺らしているのに、辺りはまるで静けさを保つようで。
 鐘は未だ鳴り続ける。息を大きく吸ってゆっくりと吐く。冷たい空気が肺へと向かう。
 鐘は未だ鳴り続ける。夕方お茶会で食べたケーキの苺の甘味を思い出す。
 鐘は未だ鳴り続ける。足踏みをして、靴音を辺りに響かせる。
 鐘は未だ鳴り続ける。スカートの裾をぎゅっとつかむ。
 鐘は未だ鳴り続ける。そっと全身の力を抜く。
 鐘は未だ鳴り続ける。指を鳴らす。
 
 そうして、鐘は鳴り止んだ。

 コンコンコン、と扉をノックする音が聞こえた。レミリアは一歩一歩床を踏みしめながら、それでいて急いでドアへと向かうと、ひとりでに彼女は呟く。
「運命とは、このように扉を叩くのね」
 彼女は脳内に「吸血鬼狩り」の人物像を思い描く。その人物は、背が高く長い銀髪をした男性。スーツと白手袋に身を包み、紳士さを容貌から溢れ出させている。その人物の顔があるであろう位置を見上げ、期待に胸を躍らせながら、ゆっくりと扉を開けた。

 しかし、そこに人はいなかった。

「あ、あれ? 誰もいない」
 彼女は拍子抜けと言わんばかりで──
「ここに居ますよ」
 向けていた視線の少し下、自分の身長よりは少し上の位置であるが、その声のした方向に彼女ははっと目を向ける。そこには、肩辺りまで伸ばした銀色の髪に、レミリアと同じ色をした紅い目を持ち、黒くゴシック調のドレスに身を包んだ、齢一五、六くらいであろう容貌の少女が、ただ不安そうに立っていた。容姿からは想像していたような殺意も伺えず、むしろこの少女は偶然この館にたどり着いただけの普通の人間のように見えた。

 ──普通の、人間?

「こんな夜更けにどうしたのかしら?」
 レミリアは優しく尋ねる。
「夜遅くにすみません、実は私には捜している方がいるのです」
 銀髪の少女はこちらの顔を見ながら申し訳なさそうに口を開く。

 ──銀色の髪に、紅い目?

「あら、そうなのね。どんな人を探しているの?」
「聞いた話なのですが、ここに吸血鬼がいると聞きまして。一度お会いしてみたいなと思っているのです」
 銀髪の少女は礼儀正しく答える。

 ──そして今日は、真っ赤な満月の夜?

「貴女、人間でしょう? 吸血鬼になんて会ったら危ないわよ」
 レミリアは羽を大げさに動かしながら答える。
「それでも私は会いたいんです。会わなければいけないんです。どうかここにいるのか教えていただけませんか?」
 銀髪の少女は頭を下げて懇願する。

 ──もしそうならば、この目の前の「人間」は?

「そこまでしても会わないといけない理由って何なの? 親の仇とか? それを聞かない限り私は答えないわ」
 レミリアがそう答えると、銀髪の少女は黙ってしまう。辺りには幾分ぶりかの静寂が訪れる。

 それから何分経っただろうか。その静寂に耐えきれなくなった頃、レミリアは少女に向かい、ぶっきらぼうに言い放ったのであった。

「──吸血鬼わたしの羽を見ても、言いたくならないの? 『月の民』さん」
「……ごめんなさい。私は吸血鬼あなたを……」
 少女は五歩後ずさりして──

「殺しに来たわ」

 両手にナイフを構え、人間離れした速さで突進した。そうやって、運命の賽は投げられた。
「甘いわ! 月人!」
 レミリアは少女をひらりとかわす。柔らかなスカートがふわりと広がり、さながら彼女は華である。そうして、高らかに宣言した。
「紅符『スカーレットシュート』ッ!」
 吸血鬼の手から赤い大玉が突進先に向かって放たれる。少女はブレーキをかけながら突進の勢いを弱め、地面を蹴って横方向へと華麗に弾幕を跳ね避けた。続けざまにレミリアは彼女に向かって二発目の弾丸を放つが、動き続ける少女には当たらない。しかし、レミリアは最初からこの大玉で仕留めようなどと思っていない。彼女の真の狙いは──
「逃げ場はないわ! 喰らいなさい!」
 手から極太の大玉群が放たれる。二発目までは追い込むための布石であり、本命の弾幕は極太の三発目であったのだ。それらは少女の方向を正確に狙って真っ直ぐと飛んでいき、少女の目の前まで迫り──まるで龍のように彼女のいた場所を飲み込んだ。しかし彼女はまだ緊張を解かない。
 紅龍がそのまま突き進み、壁に当たって砕け散ると──そこには跡形もなく少女の姿は無かった。
「消えた!?」
 レミリアは俊敏に左右を見渡す。そこにもやはり彼女の姿は無い。それも当然である。何故ならそこで被弾ミスしたはずの彼女は──
「背中ががら空きよ! 吸血鬼!」
 ──彼女の真後ろに立っていたからである。直後、そのまま少女は吸血鬼を突き刺した。否、吸血鬼の「いた場所」をである。

「やっぱり人間は短絡的ね。面白いわ」
 少女の手に肉を切り裂く感覚が伝わることはない。彼女が突き刺した場所の先、5mほど離れた場所にレミリアは平然と立っていた。
「吸血鬼の神速を舐めてもらっちゃあ困る」
「……聞いていた以上ね。不意打ちが通用しないと思わなかった」
 少女は武装解除することなく返答する。両者の紅い眼には相手の強さへの尊敬が同じように見て取れる。唯一違うのは、吸血鬼は喜びを、少女は怒りを覚えていたことであろうか。目を輝かせながらレミリアは少女に問う。
「貴女、名前は?」
 少女は黙ったままである。十秒ほどして、レミリアははっとしたように再び口を開く。
「名前を聞くときは自分から、だったわね。私の名前はレミリア・スカーレット。この館の主にして吸血鬼をやっているわ。で、貴女は?」
 そう言うとレミリアは少女の方へと歩み寄る。少女は俯きながら重々しく口を開いた。
「名前なんて……無い。名前を貰ったこともないし、人に名前を呼ばれたこともない」
「ふぅん……不便な人間ね」
 レミリアは少女を見つめる。そこには何の感情も詰まっていなかった。ただ、レミリアは少女を見ているだけであった。少女は顔をさらに横へと背け、話し出した。
「けれど……切り裂きジャックジャック・ザ・リッパーと呼ばれたことならあるわ」
「随分穢れた名前だこと」
 レミリアは溜息まじりに呟く。それから、彼女はこんな提案をするのであった。
「もし貴女が眷属になってくれた暁には、私が貴女に素敵な名前を付けてあげるよ」
「誰がそんな提案を……!」
「そう。飲まないのなら残念ね……でもそれなら!」

 レミリアは地面を蹴って空中で後ろ向きに一回転すると、そのまま空中で翼をはためかせて宣言する。
「天罰『スターオブダビデ』ッ!」
 レミリアから無数の紅いレーザーが放たれる。無数のそれは幾層にも屈折し、幾何学的な模様を描きながら空間を埋め尽くす。少女は雨のように降り注ぐレーザーの隙間へと潜り込んだ。
「悪魔の恐ろしさを味わいなさい!」
 レミリアがそう叫ぶと、レーザーが屈折した箇所から青色の弾塊が放たれ、将に少女を押しつぶさんとする。追い詰められた少女は、何処からともなく無数のナイフを周りに浮かせて宣言した。
「幻符『殺人ドール』!」
 そして、少女はレミリアに向かって、目にも見えぬ速さで無数のナイフを投げ出した。手から離れたナイフらは自身を押しつぶそうとする弾幕をも切り裂き、一直線にレミリアへと向かう。幾層にも重なったレーザーは少女を追い詰めるための有刺鉄線から、今やレミリアを守るための魔法陣となっていた。大量のナイフがレーザーにぶつかり、ジリジリと熱い金属音を立てる。しかしそれも刹那、ナイフはレーザーを打ち破り、幾何学模様を破壊していく。少女の手は緩まる事を知らず、魔法陣を壊し続ける。レミリアも対抗してレーザーの密度を上げて守りを固める。しかし、どうやら戦況は少女の方に傾くようであった。ナイフのうちの一本が全てのレーザーを破壊し尽くし、レミリアへと辿り着いたのである。直後、レミリアは態勢を崩し、彼女の弾幕は一瞬だけ効力を失う。少女はその隙を見逃さなかった。
「幻葬『夜霧の幻影殺人鬼』!」
 少女は残った全てのナイフをレミリアの心臓に向けて三点から放つ。目標の一点、ただ狙われた吸血鬼はそこから逃げることもできず、無数のナイフの猛攻を一身に受けた。彼女の体がゆっくりと地面に向けて落ち始める。それを見た少女は「勝負あった」と確信した。その時であった。

「獄符『千本の針の山』ーッ!」
 三地点からのナイフが結んだ一点──そこでは、怒涛の連撃を受けたはずのレミリア・スカーレットが周りの空間全てに向けてナイフを構えていた。そして、構えられたナイフはまるで蛇のようにうねりながら餌を探すかのようにゆっくりとレミリアから離れ始めた。
「いったい何が!?」
「──私はナイフの運命を操っただけ。運命が操れるのなら、ナイフの向きを変えることくらい容易いことよ。もしさっきのがかすりグレイズじゃなければただでは済んでなかったと思うけどね」
「チッ!」
 少女は舌打ちし、押し寄せてくるナイフ群から離れるように元来たドアの方へと駆けていく。
「あら逃げるだなんて! もっと私を楽しませてよ!」
 そう言い放ち、レミリアは全てのナイフの従属を解き放った。ナイフは一気に加速し、レミリアを中心として大きな波紋のように広がっていく。部屋中のありとあらゆる壁、床、天井──一寸の逃げ場なども無いと言わんばかりに、一面中に熾烈な深紅の雨が降り注いだ。その粒数は、数百、数千……あるいは数万だろうか。とにかく数え切れないほどの雨粒が平面へとぶつかり、閃光を放ち、砕け散っていく。そうして永く永く、あらゆる方向から閃光を走らせていた。その閃光を反射して、レミリアの瞳は何度も何度も紅く輝く。まるで線香花火のようだ。儚く、それでいて力強く、美しく。しかし、あっという間に火が消えてしまうところまでそれは線香花火にそっくりであったのだ。

「あいつは……?」
 雨が止んで暗くなった空間──無論、防弾対策のされているシャンデリアは未だ輝いているが、先ほどの花火のせいで相対的に暗く思えてしまう空間で、彼女の声が独り反響する。
「あのまま花火に飲まれて吹き飛んだ? そんな弱いはずがない」
 レミリアは少女が生きていることを信じていた。目を凝らす。しかし、くるりと空中で回ってホールの床中を見てみても少女の姿は見えなかった。そうして、彼女はある一つの答えを導き出す。
「花火は月を隠すだけ。確かに花火の方が眩しく見えるけれど、終わってから夜空を見上げてみれば──」
 首を大きく上に向けて。

「……月は変わらずそこに在る」
「ご名答」
 ──重力を利用して、月の少女は上から吸血鬼へと落ちてきていた。しかしそれはあまりにも一瞬であった。吸血鬼でも認識できないほどの一瞬。まさに須臾。そうして次の瞬間には、少女は吸血鬼の下にいた。彼女は、悪魔を──悪魔の心臓を丸ごと貫いていた。それは先の攻撃でのような少女の妄想、思い込みなどではない。少女は確かに悪魔を刺し殺した感覚を覚えていたし、そして何より、悪魔は少女に刺し殺された感覚を覚えていた。事実、少女は銀のナイフでレミリアを切り裂いたのである。

「ごはっ!!」
 レミリアは落ちる。ただ落ちる。抵抗もできずに落ちる。先に少女が足からすたっと着地し、そしてそのすぐ横に吸血鬼が仰向きのままどさりと着地した。勿論、それは着地というより、ただ地面に体を打ち付けられただけというのが正しい表現だろう。彼女は受け身も取れず、全身に鈍い衝撃を受ける。衝撃が加わり、そのまま身体は地面に反発して大きく跳ねる。当時に彼女の口からは大量の血が溢れ、そして再び重力のままに地面へと落ちる。もう一度地面にぶつかった時、彼女の体は跳ねることはなかった。それから、彼女は今にも体が割れそうな痛みと、既に体が裂かれた痛みに悶絶しだした。瞳孔はチカチカと収縮を繰り返し、口は必死に空気を取り込もうとする。しかし、その努力もむなしく、彼女の口はただ努力のたびに血を吐き出すばかりであった。レミリアは普段他人の血を吸って生きている吸血鬼であるが、今はただ血を吐くしかない弱者となっていたのである。そのことを苦しみの中で自覚した彼女は、情けなさに大粒の涙をこぼす。泣き声が自然と上がりそうになり、それを必死に抑えようとする。そのようなプロセスを通って生まれるのが普段なら「嗚咽」という行為なのだろうが、嗚咽特有の必死に息を吸うような泣き声は、今の彼女の口からは聞こえなかった。代わりに彼女の口があげるのは、血の中で泡が上がって立てるこぽこぽというような雑音だけ──。彼女は勝負に負け、自尊心を破壊され、全身の激痛に泣き、血の池に溺れるかのように苦しみ、そして今や最期の時を迎えるのを待つのみと言わんばかりになっていた。
「……今度こそ勝負あったわね」
 銀色の髪をした少女は一人で呟く。彼女の綺麗な白い肌やゴシック調の黒いドレスも、返り血を浴びてすっかり紅色に染まっていた。
「ご……う…………うぅ……うぁあぁ……ひくっ……」
 レミリアはなんとか口の中の血を吐き切り、仰向きのまま何度も空気を取り入れようとする。とたん、彼女の口は失っていた嗚咽音をあげる。過呼吸になってひくひくと悶えたり、かと思えば息を吸えずにむせ返ったり。そうしている間も、彼女の瞳は涙を溢れさせ続ける。溢れた涙は目の横から地面へと伝っていき、もはや黒色と形容すべき色をした血痕へと流れていく。彼女の倒れている下からは、未だ乾いていない血が流出し続けているのである。
「し、しんで、たまる、かぁっ……!」
 彼女は地面にだらりと密着したままの手に力を込めて起き上がろうとする。少女はその様子を確認すると、先ほどの銀のナイフで彼女の腕を容赦なく一刀する。
「うあぁ……!」
 彼女は再び悲鳴をあげる。その音は先ほどよりも弱々しい。音が響き渡るにつれて、残されていた僅かな全身の力も悟ったかのように抜かれていき、我慢していたものが崩れ落ちるかのように、ゆっくりと言葉を漏らし始めた。

「……しに……しにたく、ない……げほっ、げほっ……たすけて……」
 レミリアの瞳がゆっくりと少女の方を向く。ただ涙を流し続け、今の彼女は生物として皆が持つ欲求──「死にたくない」とただ冀い続けるばかりとなった。その弱々しさは、まさしく見た目相応の少女のものであると言って差し支えない。
「随分と余裕がなくなったのね、紅い悪魔さん」
「…………悪魔、じゃなくて、さ……さいご、くら、い……なま、え……なまえで、よんでよ……?」
 突如、吸血鬼はそう話しかける。すでに顔の筋肉に力が入らなくなっているにも関わらず、彼女は無理矢理にでも笑おうとして不器用に口角をあげた。
「……この期に渡ってまだ笑う余裕があるのね。もう一刺し必要かしら?」
 少女は先ほどレミリアを切り裂いた銀のナイフを取り出し、吸血鬼の首にあてがう。刀身にはべったりと血糊がついており、それはまるで、この凶器こそが今の状況を作り上げたのだと高らかに宣言するかのようであった。
「なまえ……よんで…………?」
 再び言われると、ナイフを構えて銀髪の少女は立ち上がった。
「…………吸血鬼レミリア・スカーレット。切り裂きジャックジャック・ザ・リッパーが貴女の命を──」
「ちが、う」
「何?」
 少女はレミリアを睨む。
「名前で呼んでと言われたから仕方なく呼んであげたのに……それを遮って否定だなんて随分な態度ね」
 激しい憤りは感じた彼女はレミリアにとどめの一撃を喰らわせようとして──そしてそれは、はっきりと聞こえるレミリアの声に制された。

「あなたの、な、まえは……さくや、だから……いざよい、さくや……だから…………ッ!」
「訳の分からないことを言うのはやめなさい、本気で黙らせるわよ」
「あなたは、わたしの咲夜……だからッ!」
「名前……貴女の眷属になるなんて言った覚えは」
 床が金属音を発した。対して少女の言葉は止まった。正確に言うなら止まったのではなく、止められた。
 レミリアが体を起こして咲夜の肩へとしがみつき、そのまま首へと嚙みついたのである。

「!! ぐ……離、せ……ッ!」
「はな……さないっ!! 咲夜はわたしの……ものっ!!」
 レミリアは嚙みつきながら答える。吸血鬼は嚙みついた箇所から激しく血を吸い始めた。咲夜は前かがみの体勢のままレミリアを必死に振り払おうとするも、貧血症状だろうか、上手く全身に力を入れることができない。
「まず、い……このまま、じゃ……!」
 彼女の吸血は止まることを知らない。普段は決して血を吸いつくせずに残してしまうレミリアであるが、今回ばかりは咲夜の血液を吸いつくしてしまいそうな勢いであった。
 だが、吸血はそこで止まった。
「ッ! 今なら!」
 そう言って咲夜はしがみついているレミリアを突き刺そうと、床へと落ちたナイフを拾いに手を伸ばす。しかし、それすら咲夜は再び制された。
 
「ねえ咲夜……私のものになって?」
 レミリアが腕を咲夜の肩から首へと滑らせ、そしてそのまま咲夜の体を抱きしめたのだ。
「本当にいい加減に……!」
 咲夜はやはりレミリアを振り払おうとするが、もう満足に体が動かない。勝負の運命は既に十分狂っていた。
「咲夜……ナイフはね、人を切るためじゃない……食材を切るため、料理を作るためにあるのよ」
「だから何だというの!?」
 強い言葉で反発する咲夜を抱擁しながらレミリアは続ける。
「ねえ貴女……うちのメイドにならない? そうすれば眷属にしないであげてもいい」
 レミリアは言いながら、「きっとこれも否定されるのだろう」と考えていた。だから、彼女はその否定にどう返せばいいのか考え、考えてそれでも頭の中で答えを用意できずにいた。しかし、咲夜の返答は違った。
「……メイドをしたら、生かしてくれるの?」
 依然抱きしめられたままの咲夜は、俯きながらそう返した。
「ええそうよ……私が衣食住全部用意してあげる。それに貴女のこと、ここの住人ならきっとみんな気に入ってくれるわ」
 レミリアは抱きしめる手を強めながら耳元で優しく囁く。
「…………」
 それでも咲夜は顔を上げない。レミリアはただそれを見守り続ける。鮮烈に血を流した吸血鬼と、散々に血を吸われた吸血鬼狩り。ここに居るのはある意味で「負けた」者同士の二人だけであった。それだというのに、今その二人はお互いを励まし合うわけでも、傷口をなめ合うわけでもなく、己の欲望のままに行動するだけ。レミリアは自らを殺しに来た少女を抱きしめたいから抱きしめていたし、咲夜は殺そうとした相手に抱きしめられていることに少なからず安心感を覚えていたから抱きしめられたままでいた。この時既に双方満身創痍と雖も、流石は超人的な二人である、再び戦いを始めることが可能なほどまでには精神を回復していた。そしてその精神は、戦いに費やされることなく、静かに浪費されていくばかりであったのだ。

 そのままどれだけの時間が経っただろうか、ようやく咲夜は重々しく言葉を紡ぎ始めた。
「……ごめんなさい。私は貴女のメイドにはなれない」
 咲夜の顔がゆっくりと上がり、レミリアの目と視線が合う。そうしてレミリアは気付く。咲夜の目が涙で埋まっていること。元から紅い目が泣きじゃくったかのようにさらに赤くなっていることに。
「……そうかい。ちなみにそれはどうして?」
 レミリアは包み込むような口調で尋ねる。
「私は──私は、『吸血鬼狩り』としてしか生きられない。そうやることでここまで生き延びてきた。住まいを持たずに転々とし、少ない依頼を受けてはようやくその日の食事にありついて、その次の日には吸血鬼を狩りに出発する。ただ、ただそれの繰り返し。今更になって吸血鬼に保護されるだなんて、耐えられない……」
 発する咲夜の言葉は震えていた。
「それに……」
「それに?」
「私が『吸血鬼狩り』をやめたら、今までの私はどうなっちゃうのさぁ…………!」
 そこまで言うと、咲夜は声を上げて哭きだした。レミリアは咲夜をさらに強く抱きしめ、彼女の頭をゆっくりと撫でる。何度も何度も撫で続ける。それはまるで母親が赤ん坊をあやすように。心を込めて、ただ咲夜を想って撫で続けていた。

 咲夜がようやく少し落ち着いた頃。レミリアは咲夜の顎を掴んでこちらを向かせ、もう片方の手で未だ彼女を撫でながら、こう言葉を紡ぎ始めた。
「人はどうとだって生きていける。大切なのは過去じゃなくて未来、そして今だよ。貴女がどんな選択をしようとも、過去の咲夜はいなくならない」
「でも、私は貴女を殺さないと!!」
「私は死なない。わかっただろう? 銀のナイフで心臓を貫かれても吸血鬼なんて死なないんだよ」
 レミリアは咲夜にウインクする。
「それでも、でも……!」
「なら、殺してみる?」
 そういうと、レミリアは咲夜を抱きかかえながら立ち上がる。彼女は咲夜の服の汚れを少し払うと、それから少し後ずさりして両手を大きく横に広げた。
「ねえ咲夜、本当に私を殺せる? 今ならいくらでも刺されてあげる」
 全ての抵抗をやめ、レミリアは咲夜に問いかける。
「馬鹿に、しないで……!」
 咲夜は叫ぶ。二人の間の距離は僅か一メートルほど。彼女は今、吸血鬼に試されていた。レミリアは続ける。
「『聖者は十字架に磔られました』って言ってるように見えるかい?」
「それ、ここに来る道中でも同じことを言っていた妖怪が居た」
「ああ、それは私があいつに教えたのさ。『そう言っておけば死んでも三日で復活できる』ってね」
 レミリアは冗談めかして言う。彼女の表情は未だ余裕を感じさせる。
「馬鹿馬鹿しい……。第一、そんなに手を広げなくても私は貴女を殺せるから……!」
 咲夜はナイフを構える。レミリアはそれでも一切表情を変えないまま、再び言葉を続ける。
「……本当は、『私が貴女を抱きしめてあげる』って言ってるのが見えないのかしら?」
「『悪魔は十字架に弱い』って見えるのよ!」
 咲夜は血に塗れていない銀のナイフを構え、レミリアの胸元へと光速で飛び込んだ。そのナイフの柄は、十字架の形をあしらっていた。
 そうして、咲夜はそのナイフでレミリアの心臓を再び突き刺した。吸血鬼は血を吐き、それは胸の中の咲夜へと飛び散った。
「あらあ、ら……抱きしめられ、たかったの……かし、ら……?」
 レミリアは、手を咲夜の背中に回しながら尋ねる。二度同じ弱点を突かれたのにも関わらず、彼女はまだ生を保っていた。むしろ、一度目に突かれたときよりも苦しんではいないように見える。
「なんで、なんでッ!?」
 咲夜はナイフを引き抜き、目を見開きながら咲夜は叫ぶ。過去、少女はこのナイフで吸血鬼の心臓を幾度となく刺してきた。先ほど使われた十字架のナイフは獲物を仕留める時専用のナイフであり、彼女がこのナイフで殺し損ねたのはこれが初めてであったのだ。
「言った、でしょう? 私は貴女を抱きしめるって……」
 レミリアは傷口をさすって答える。刺された傷跡は既に塞がってた。
「違う! なぜ貴女が生きてるのかってことよ!」
「それもさっき言ったわね。私は死なないのよ」
「そんなわけ!! 私が今まで何匹の吸血鬼を殺してきたとッ!」
 咲夜はいまや涙をも流していた。当然のことである。当たり前の常識が崩れ落ちる感覚。「吸血鬼は心臓を刺されると死ぬ」。「吸血鬼は十字架を恐れる」。「吸血鬼は銀製の物に弱い」。どれも、吸血鬼レミリア・スカーレットの前では意味を成していなかったのである。咲夜は初めて吸血鬼に恐れを覚えていた。自らを奮い立たせていた自信も勇気も今や崩れ落ちていた。「自分は吸血鬼に勝てる」という超人的な妄想──その妄想は幾度もの吸血鬼討伐という結果によって確かに説得性を持つようになり、彼女の中で揺るぎないものとなっていた。しかしそれももう過去のものである。「人間が吸血鬼に勝てない」ことがどういうことかなど、吸血鬼と最も多く戦ってきた少女は人一倍知っていた。今や意味を成さない勇気が、吸血鬼は恐ろしいものだという知識が、そしてここまでの状況を生み出した吸血鬼の絶対的な力が、根本から少女を恐れさせていた。

「なんで、なんでなのよ……ッ!」
 少女は泣き嘆く。涙は落ち、静かに床を濡らす。しかし、それでも彼女は命乞いをしなかった。

 それを静かに見守る吸血鬼は、彼女の嘆き──「なんで」という問いに、ようやく透き通る声で答えを与えた。
「……こんなに月も紅いから、ね。」
「……ッ!!」
 咲夜は歯軋りする。咲夜はレミリアを見上げ、有り得ないと言わんばかりの目で見つめる。神でも目にしたような、悪魔でも見たような、非現実的な現実を見てしまった時のような、諦めと、それと同時に諦めたくないという感情が籠ったかのような目。そんな咲夜に対し、レミリアはごく単純に笑って言う。
「咲夜……やっぱりメイドにならない? 私には貴女が必要なんだ。『人間』の貴女がね」
「…………」
 咲夜はやはり口を開かない。そんな彼女にかまわず、レミリアは続ける。
「過去の貴女だって私なら受け入れられる。私と一緒に、今を、この先の未来を生きてほしい。こんなに強くて愉しい人間初めてなんだよ。だから──」

 そこまで言って、彼女の言葉は止まった。
「!!」
 咲夜はレミリアを渾身の力で蹴り飛ばしていた。油断していたレミリアは壁まで吹き飛ばされる。そして、少女は涙ながらに宣言した。
「『デフレーションワールド』ー!!」
 咲夜の手元から幾本かのナイフが舞う。それを見たレミリアは壁から急いで起き上がり、ナイフの軌道から逸れると──
 ──先ほどまで何もなかった首の横の空間を、一瞬にしてナイフの列が通り過ぎ去った。
「ナイフが、増えた!?」
 レミリアは動揺しながら体制を整える。しかし、そうしている間にも咲夜は再びナイフを放っていた。
「くっ!」
 レミリアは横に飛ぶ。しかし咲夜もそれに向かってナイフを投げ続ける。そして次の瞬間、再びナイフはレミリアの真横を掠めながら列となって貫いていった。
「これは……ナイフが伸びてる? まるで通ってきた過去の道と通るはずの未来の道を繋ぐように……」
 レミリアは理解する。しかしその理解は、あまりにも現実の法則からはかけ離れていた。彼女の辿り着いた結論は、すなわち「時間の圧縮・膨張」を意味していた。
「……仕組みがわかったとしても、貴女に手品のタネは見破れない!」
 そう返し、咲夜は再び宣言した。
「空虚『インフレーションスクウェア』!」
 声が響いた次の瞬間、無数のナイフがレミリアを取り囲んでいた。スペルカードを宣言したばかりなのに、である。
「!? どうやって──」
 逃げ場を失ったレミリアは成す術なく被弾する。
「がはっ!」
 悲鳴が響く。レミリアは被弾直前、霧状の蝙蝠に変身していた。そうやることで傷を最小限に抑えていたが、それでも彼女の体力は確かに削られていた。
「な、なに……? いきなりナイフに取り囲まれるなんて……」
「最初からこうすればよかったかしら? まだまだ行くわよ!」
 今度はレミリアが体制を整え直す前にナイフを構える。そして武器を構えた次の瞬間には、再びナイフが一瞬にして現れた。
「だからこんなのどうしたら……!」
 レミリアは混乱する。無情にもナイフは動き出す。そしてそれは目標の一点、レミリアを再び貫いた──はずだった。

「月符『サイレントセレナ』!」
 不思議な青白の光線がレミリアの周りを取り囲むように出現した。その光に触れるとナイフはかき消され、全ての狂気が消滅したのを確認したと同時に光の発射は止まった。
 レミリアはスペルカードを宣言したわけでも、何を執り行った訳でもない。ただ、突然現れた光に目を疑うことしかできなかった。どこからともなく現れたこの光の原因が何か。そして先ほどのスペルカードの使用者が誰か。レミリアは知っていた。知っていたからこそ、彼女は未だ疑いながらも、封印したはずの屋敷の中央廊下へ振り返った。そしてそこにある人影を確認して、彼女はその友人の呼びにくい名を叫んだ。
「パチュリー・ノーレッジ!! なんでここに!?」
「そう呼ばれるのも久々ね。レミリア・スカーレットさん」
 本名で呼ばれた少女──この小さな吸血鬼の友人であり、七曜を操る知識の権化、魔女パチュリー・ノーレッジはそこにいた。
「ここには来れないように結界を張って置いたのに!」
「……あんな簡単な結界で私が破れないとでも思ったのかしら。あんまり魔女を舐めすぎないことね」
 パチュリーは気怠げに返す。必死なレミリアとは対照的に。
「二対一とは、随分卑怯なことをするのね」
 それを見ていた咲夜は新たに現れた敵を睨みながら言葉を発する。
「別に一対一じゃなきゃいけないだなんて決まりはどこにもないさ」
 レミリアはパチュリーの方を向きながら答える。そして吹っ切れたように咲夜の方へ向き変えると、こう言い放った。
「それに、これで咲夜もわかるでしょう?」
「何がよ」
「仲間がいることの素晴らしさ、がね!」
「……!!」
 彼女は一層ナイフを握る手に力を込め、後方へと大きく飛んだ。
 それを横目にパチュリーはレミリアに向かって語り掛ける。
「レミィ。あの少女──咲夜って呼んでたかしら、あの子の弾幕のタネについて教えに来たわ」
「ありがたいことだね。でもそれはお断りしておくよ」
「え? どうして?」
 パチュリーは不思議そうな顔を浮かべる。
「クイズで答えを直接言うのは趣がない。だから出題者は『ヒント』を出すのさ」
 レミリアがそう答えると、パチュリーは口に笑みを浮かべて返した。
「……貴女らしいわね。じゃあヒント。私も貴女もあの子も、みんな同じ力を利用してる。そしてそれは今も紅色に染まっているわ」
 それを聞いてレミリアは不敵な笑みを浮かべながら答える。
「なるほど『血液』ってわけね」
 冗談めかしてレミリアは答える。
「不正解」
 対してパチュリーは溜息混じりに返す。
「あはは、解ってるよ。でもあながち間違いでもないんじゃない? あの子の血縁、つまり生まれを考えれば……」
「あら、そこまで解ってるならもう私が言わなくてもいいでしょ? 答えが合ってるかはあの子に直接聞くといいわ」
 そう言ってパチュリーは咲夜を指差す。彼女の目は真っ赤に染まっていた。

「咲夜。貴女の力、『時間操作』でしょう?」
「……ご名答」
 二人に聞こえるぎりぎりの声量で呟くと、咲夜は目を更に紅く輝かせ、打って変わって堂々と宣言した。
「幻象『ルナクロック』!」
 咲夜は一瞬にしてナイフを放ち、そして次の一瞬には、そのナイフの軌道を屈折させた。荒れ狂う嵐のようなナイフ達がレミリアらに襲い掛かる。
「レミィ、私から離れて」
「……任せた」
 二人は一瞬にして言葉を交わす。レミリアは後ろに大きく飛び、パチュリーは魔導書を構えて一人咲夜の前に立ち塞がる。魔導書から、彼女自身から溢れ出す魔力を言葉に乗せるようにして、パチュリーは宣言した。
「日符『ロイヤルフレア』!」
 咲夜とパチュリーの間に巨大な炎が生まれ、盾のようにナイフを熱でかき消していく。それだけではない。太陽のように輝く炎の集合は徐々に膨らみだし、焼け付くような光を咲夜へと放ち始めた。
「甘いわ!」
 咲夜はそれをワープするように交わし、別の角度から再び幾層ものナイフを放つ。しかしそのナイフは、今度は全く別の弾幕によってかき消されるのであった。
「神槍『スピア・ザ・グングニル』!」
 その太陽よりも遥かに紅く、その光よりも遥かに鋭い槍が、咲夜の方向へと放たれた。その槍の勢いは、進行上の全てのナイフを貫き弾き、そして咲夜をも貫かんとする程であった。咲夜はそれが自身に当たる直前、時を止めて避けようとして──失敗した。
「ぐっ!!」
 咲夜は槍の勢いのまま吹き飛ばされる。しかしそれも束の間、傷だらけの身体を無理やり起こして再び二人の方向へと向き直る。
「ごめんなさいね。この弾幕はかすりすら許さないグレイズ不可よ」
「巫山戯た真似を……!」
 懐中時計を手に取った咲夜は、半目で時計を一瞥する。その短針はⅢを指し、長針はⅫを指していた。直後、彼女は呟く。
「これ以上、時間は取らせない。貴女の鼓動も止めて見せる」
「……いい加減、諦めなさい」
「私は諦めない。『十六夜咲夜』なんて名前、気に入らないのよ」
「そう。私は気に入っていたんだけどな」
 レミリアは残念そうに肩をすぼめる。そのまま思いつくままに言葉を返す。
「でも──、『咲夜』って呼んだらちゃんと応えてくれるじゃない」
「…………」
 そう言われると、咲夜は黙りこくってしまう。何も言い返せないこと。言い返したところで、それは確かに「咲夜」という名前に反応していた過去の自分の否定にしかならないこと。彼女はそれを知っていた。だから、彼女は黙ってしまう。
 そして、そんな浅はかな理由も、レミリアは当然のように理解していた。
「次で終わりにしよう。一対一の真剣勝負。それで貴女が勝ったら私を殺していい。でも、もし私が勝ったら──」
 大きく息を吸うと。
「貴女は一生私の咲夜。これでどう?」
 吸血鬼は言い放つ。それを聞いた魔女はひらりと姿を消す。そして肝心の幼い人間は──。

「…………幻世『ザ・ワールド』!!」
 時空間を切り裂きながら、そう、返事を返した。レミリアは錯綜する凶器に目を向け、決意を固めると言葉をゆっくりと紡いだ。
「私は貴女の主人マイスタになる。絶対、死なせなんかしない」
 それは、誰にも見せたことのない秘密の弾幕。世界を紅に染める秘術。戦いの中で彼女が編み出した弾幕は、そうして初めて披露された。
「紅符『スカーレットマイスタ』!!」
 レミリアは手から赤い弾幕群を咲夜に向かって放つ。それはまるで彼女が最初に見せた弾幕のようだった。
「同じ手なんてネタ切れかしら?」
 咲夜は最初に避けたのと同じように地面を蹴って横方向へと華麗に跳ねる。ここまでは一度目と同じだった。そう、ここまでは、の話である。。
「ねえ咲夜──Shall we dance私と踊らない?」
 レミリアは弾を放ったまま、時計の針の回る向きに舞い踊った。優雅なターンに合わせて、部屋中が紅い弾幕に染め上げられていく。それを咲夜は軽い足取りで避ける。床を蹴り、床を蹴り、なんども跳び、そうやって紅色の世界を駆け回る。少女は一頻りの弾を避けると、攻撃を仕掛けようとレミリアの方へ向き直った。しかし、吸血鬼の舞はまだ終わってはいなかった。
「こんな甘いものではなくてよ!」
 レミリアはもう一度、時計の回る向きとは逆向きにターンを舞った。弾幕はばらまかれ、時が加速したかのように、一瞬で世界の紅色はさらに濃さを増す。
「……!!」
 咲夜は時を止め、隙間を抜けようとして、気が付いた。驚愕した。絶望した。もう、彼女のいる場所に空いている場所など存在しなかった。一縷の隙間もなかった。そうして彼女は迫り来ていた赤い弾幕群を見つめて、それらが意味するものをゆっくりと理解した。これが、私の「敗北」であるのだと。
 直後、懐中時計の針が、静かに音を立て──そして世界は再び回り出した。その世界上空、黒の夜空では輝く月が影に食され、南西の空で苺色に鈍く紅く輝いていた。それは、空の下、屋敷の中でも同じだった。

 これが「月の少女」の結末であり、「十六夜咲夜」の発端となった事件の顛末である。

 あれから何年経っただろうか。
 時刻にして、一五時。空に月はなく、太陽が優しく輝く青い空の下。深紅に染まった屋敷の中では、吸血鬼と魔女の小さなお茶会が開かれていた。
「そんなことも、あったわね」
 パチュリー・ノーレッジは紅茶を飲みながら、過去を懐かしむように笑っている。どうやら二人は、人間のメイドとの出会いについて昔話に花を咲かせているようであった。
「ああいう体験も良いけど、やっぱり私は今の紅茶を飲む生活が一番好きだね。ねえ、咲夜?」
 レミリア・スカーレットはケーキを少しずつ食べながらしみじみと語り掛ける。
「……何年も聞いていると、名前というのは自然と体に馴染んでしまうものなのですね」
 十六夜咲夜は、レミリアのティーカップに紅茶を注ぎながら照れくさそうに呟く。あの日──幼い少女と幼い吸血鬼が命をかけて戦いあった日。敗北した少女は、名を受けた。その少女は、今は吸血鬼の住む館で給仕係をしている。
「名付けはその人の運命を決める行為。『名は体を表す』というように、名がその人の今を、未来を作り出すこともある。貴女の名前には、ちゃんと意味を込めたのよ?」
「へえ、そうだったのですね。ちなみにどんな意味なのですか? この館の中で私の名前だけ和名ですけれども」
 咲夜は純粋な興味から尋ねる。
「……『苺のショートケーキがもっと美味しくなりますように』っていう意味だったかしらね」
「全然繋がっていませんね。またお嬢様お気に入りの変なクイズですか?」
「じゃあヒント。上に乗ってる苺は私で、下で支えてるケーキが貴女を表しているはずよ」
「おかしいですわね。もしその配役ならその苺のショートケーキは誰が食べるんです?」
 咲夜がそう尋ねると、レミリアは苺を一口で頬張ってからこう答えた。
「それが、貴女の名前の意味よ。あとは頑張って考えなさい」
「そんな無責任な」
 二人は笑う。それを見ていたパチュリーも、安心して笑みを溢す。一度は本気で殺しあった者同士でもこんなふうに笑い合えるということに、彼女は不思議な感覚を覚えていた。それでも、異質なその関係が崩れることなどないと皆が信じていた。青空の下の紅魔館、そこにはいつまでも笑顔が溢れていた。

 その日の夜は満月であった。それも、皆既月食の満月である。レミリアと咲夜はテラスから月見をしているようだった。一五夜の月は苺色に輝き、おどろおどろしくはあるも、闇を払うような光を放っている。
「貴女の名前の意味、わかったかしら?」
 レミリアは優しく問う。
「いいえ、全く。十六夜の昨夜は満月ってことくらいしか。やはら西洋風の名前を付けた方がこの館には馴染んだのではないでしょうか」
 咲夜は首をかしげながら答える。それに対してレミリアは後ろの咲夜を見つめながらこう自然に返す。
「貴女の眼って、本当に紅くて綺麗ね」
「お嬢様の眼の方が何倍も素敵ですよ」
「ふふ、ありがとう」
 レミリアは満足気に微笑む。
「……そろそろ教えてくださいよ、私の名前の意味」
 咲夜は降参したかのように懇願する。レミリアは軽く息を吐くと、切り出した。
「そうね、わかったわ。教えてあげる」
 彼女はテラスの柵に腰掛けて、月を背に向ける。咲夜は月に重なる彼女の様子に自然と畏怖と尊敬を覚えるながらも、ゆっくりとレミリアの隣へと歩いていく。それを見たレミリアは優しく答えた。
「貴女の名前が和名なのは、貴女が月に思えたからね」
「時間を操るのは、月の力の特権ですからね」
 そう言うと咲夜は懐中時計を取り出す。ヒビも無く、欠けたることもない美しい銀色の時計を。咲夜の視線が時計からレミリアに戻ったのを確認して、彼女は告げた。
「貴女の名前の意味はね……『貴女のことが食べちゃいたいくらい大好き』って意味よ」
 レミリアは勢いよく柵から降り、咲夜の首元へとゆっくりとキスをした。
「もう、なんですかそれ」
 咲夜は照れながらもレミリアを愛しげに抱きしめる。
「月が綺麗ですね、お嬢様」
「……咲夜、愛してる」
 月食の夜、苺色の光が二人を照らす。その光に照らされた少女の首元──吸血鬼の愛を受けたその箇所には、いつまでも消えない紅い跡が控えめに、そして確かに残っていた。
昨夜は素敵な月食でしたので。
少々新鮮味に欠ける内容となってしまいましたが、原作、特に紅魔郷を遊ばれたことのある方ならより一層楽しんでいただけたかと思われます。
桜おはぎ
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