Coolier - 新生・東方創想話

Sugar sweet nightmare

2022/11/04 17:42:59
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 宇佐見蓮子という人間について語るとして、並べられる事柄はそう多くない。曰くプランク並の頭脳を持ち、曰く夜空を見ただけで時と場を把握する生ける天文台であり、曰くあらゆる結界を暴く秘封倶楽部の実働部隊長である。全部自称だけど。
 とはいえ自らのことを語るとき主観に蓋をすれば、それこそただのパラメータの列挙になってしまう。突き詰めれば鏡に映る私は瞳に入った光が結ぶ像でしかないし、声は鼓膜が震わし耳小骨が増幅した波でしかなく、思考は細胞を跳び回る電気信号でしかない。自分という存在の確かさは他人の五感という、これ以上なく自分の介在しない領分によって担保されていて。どれだけ私が詳らかに自らを語ったつもりでも、きっとメリーが溢す愚痴や所感に対して、それこそが宇佐見蓮子だと頷く人間のほうが多いだろう。
 長々と弁じてしまったけれどまとめてしまえば、どれだけ自分の感覚が当てにならない相対的なものかという、それだけの話。



「……ねぇ、ホントに挑むつもりなの?」
「止めないでメリー、ここで踵を返したら私きっと後悔するわ」

 決戦は学生食堂。十二時二十分を数秒過ぎた頃。眼前には『本日10食限定!超激辛坦々麺 1200円(税込) 30分以内に完食で無料! ※お残し厳禁、強者のみ求む』との手書きポップ。中身には威嚇するかのような赤々とした液体をたたえ、顔と手足を加えられた丼のデフォルメキャラが添えられ『すごく辛いよ!』と誇らしげだ。
 学食のおばちゃんの思いつきで、稀に開催される一種の企画である。基本的に学食のメニューは自動調理なのだけれど、非常時等のために通常のキッチンも備え付けられている。息抜きなのか、それを使ってこういう悪ふざけが行われるのだ。前回はちょっとしたブーケが活けられそうな大きさの器に詰め込んだフルーツパフェだったが、今回は逆側の極点に振り切ったようだ。

「でも甘いのならともかくわざわざ辛くてちょっと値が張るメニュー頼まなくても……。しかも残せないし、蓮子別に辛いの得意じゃないでしょ?」
「でもねメリー、あのポップを見た時に『あ、気になる』って思ってしまったのよ。気の迷いって言われればそうかもしれないわ。だけど一度抱いた興味を無視してしまえばそれは秘封倶楽部として、いいえむしろ自分自身に負けたことと同じなのよ。わかるでしょう?」
「ううん、全然わかんない。蓮子って頭はいいけどたまに信じられないくらい賢くなくなるわよね」

 メリーも大概辛口である。

「止めないでメリー!いずれヴァルハラで会いましょう!」
「随分勇士のハードルが低いアースガルドね」

 呆れるメリーをよそに券売機横の手書き食券を掴む。十枚満数残っており、販売は振るわないようだ。こちらにも例の赤色どんぶりくん(仮名)が描かれている。可愛らしいが少し主張が激しい。

「おばちゃん!坦々麺一つ!」
「はぁ、しょうがないわね。私も同じのお願いします」

 顔は呆れたままだが横からメリーが同じ食券を差し出す。

「メリーまで挑戦することないのに」
「何言ってるの。私たち、秘封倶楽部でしょ。ヴァルハラに行くときは二人一緒よ」
「メリー……!」

 熱い友情に泣きそうになった。こんなところで流していい類の涙かはさておいて。

「あいよー!」

 現れた二人の挑戦者がよほど嬉しかったのか、おばちゃんが気合を入れて厨房に引っ込んでいった。

 談笑しながら5分程度経った頃、カウンターから出来上がりの声がかかる。緊張の面持ちで受け取りに向かう。

 赤い。
 想像の二回り以上赤い。粘度のない原色の絵の具みたい。見たことはないけど、血の池地獄でももうちょっと手心のある見た目をしていると思う。所々にオレンジ、というか朱色の油が浮いてぐつぐつ音を立てている。溶岩の過食部分を集めて拵えましたと言われたら信じてしまいそう。上に載せられた挽肉すら岩肌に見えてきた。添えられたネギとチンゲンサイがなければ食べ物と認識するのは難しいかもしれない。というかこれホントに食べ物?
 あまりの圧に唾を飲み込みながらも気を取り直して席に運び、改めて相対する。心なしか湯気すら軽く赤みがかって見える。既に目と鼻がちょっと痛いのも気のせいだろうか。
 気のせいだといいな。

「これは、すごいわね……」

 対面でメリーも顔を引き攣らせている。そうだ、一連托生を誓ってくれたとはいえ彼女を巻き込んだのはこの私だ。その私がここで尻込んでどうする。いやでもこれホントに大丈夫?割り箸突っ込んだら先が溶けたりしない?

「ええい、ままよ!」
 
 初めて実生活でこの言葉を使った。箸を割った勢いに任せてそのまま麺を口に運ぶ。
 痛い。
 味とかそういう次元じゃなくて痛い。
 あとから知ったことだけど本当のところ味の種類は甘、塩、酸、苦、旨味の五つで、刳味は副次的なものだし、辛味と渋味に至っては味蕾で感じるものではなく痛覚なのだという。じゃあ私がさっき抱いた興味は心で感じるものよね、うふふ。
 思わず逃避してしまった。そういう御託はどうでもいいので辛痛とかもっとわかりやすい表記にしてもらいたい。からいというよりも、もうつらいの域に入っている。つらいといたいのダブルパンチだ。
 麺を咥えたまま項垂れる間抜けな格好で、恐る恐るメリーのほうにチラリと視線を向ける。

「意外といけるわね……」
「ごぼっ!?」

 嘘でしょ!?
 でも強がっている風じゃない。こちらは驚きの声すら満足にあげられない体たらくだというのに、メリーといえば少し多く汗をかく程度で、滑らかな箸捌きで麺を口に運んでいる。一緒に走ろうと約束したマラソンで、いざスタートしたらソニックブームを残して一瞬で彼方に消えていかれた気分だ。

「見た目がすごいからどうなることかと思っちゃった。ね、蓮子。……蓮子?」

 いまどうにかなっている真最中である。こちらを気にしつつ、時間制限があるということもあってメリーはその箸を休めない。思えば昔と比べて随分麺を啜るのが上手くなったなぁ。どんどん量が減っていくわ。あれ、すごいペース早くない?真面目に平気なの?ドッキリとかじゃなくて?
 焦って目を泳がせると手元の半券に映る赤色どんぶりくんと視線がぶつかった。さっきまでは可愛く見えていたのに今はもう憎たらしくて仕方がない。手足を大きく広げた格好が獲物を追い詰めた猛獣にすら見える。その中身の真っ赤な汁はなに?犠牲者の血?聖杯は聖者の血を受けて奇跡を授ける遺物になったらしいが、こんな邪悪なものに力があったとして、ろくな奇跡にあやかれそうにない。でも、できるならこれ全部甘くしてくれないかな。

「ごちそうさま……。蓮子20分くらいお箸進んでないけど、大丈夫?」

 大丈夫じゃない。大丈夫じゃないけど引く訳にもいかない。残すのがダメだと分かっていて挑んだ以上、単なる敗北以上の何かを失ってしまう気がする。主に尊厳とか、あとおばちゃんの信頼とか。唇が震えてきたと思ったら涙も出てきた。さっきの感動でも堪えたのに。辛さと痛みに加えて悔しさのトリプルアタックだ。

「ちょっと蓮子、ホントに大丈夫?」
「か……」
「か?」

「辛いよぉ……」



 制限時間を大きくオーバーして58分。途中、おばちゃんも異変を感じ取りリングにタオルを投げ入れようとしてくれたけれど、そこはもう意地で辞退した。よくよく考えると単に居座られて迷惑だったのかもしれない。半ばあたりから口内の感覚も怪しくなり、箸は進んだが虚無を啜っていた。午後が休講で助かった。いや、助かってはいないけど。

「お疲れ様」

 メリーがデザートのロールケーキと冷たいミルクを持ってきてくれた。突っ伏して動けない私の代わりに坦々麺の代金を支払いに行った際、おばちゃんが健闘を讃えてサービスしてくれたらしい。疑ってごめんなさい、ファンになってしまいそう。

「私まだ生きてる……?」
「生きてるわよ。魂が召し上げられるのは当分先になりそうね」

 笑いながらプレートとカップを並べる。それにしても驚くほどケロッとしているわね。思わぬところでメリーの新しい一面を知ってしまった。同時に自分の弱点も知れてしまったので、ある意味有意義だったかもしれない。震える手先に鞭打ち、瀕死の動きでロールケーキに手を伸ばす。

「わぁ、あまぁーい」
「うわ、なに、びっくりした。なにその声」

 体に活力が漲る。さっきまで対極の刺激を受けていたせいか甘味が何倍にも感じられる。なんなら供給過多で軽い幼児退行すらしてしまった。やはり糖分。糖分ならきっとなんでも解決してくれる気すらする。差し当たってこのあとに待っているレポートとか。

「もう食べ物全部これくらい【甘】かったらいいのにな、三日間くらいでもいいから」
「それはそれでなんというか……かなり大変そうよね」
「そうかしら、きっと天国だと思うけど」

 メリーが眉根を寄せる。最初は私の言葉に呆れているのかと思ったが、居心地が悪そうなあたりどうも違うらしい。

「メリー?どうかした?」
「ううん、平気だけど、なんだかちょっと嫌な感じが」
「ダメージが遅れてきたんじゃない?いくら辛さに強くてもちょっとペース早すぎたもの」
「ううん……そういうこともあるのかしら」

 自分を棚に上げつつメリーをからかう余裕が出きてきた。長々と占有していた席を立つ。おばちゃんを見るとサムズアップをしていた。好敵手よ、またいずれ。



 ちなみに今日は我が家でレポートパーティ記念日だ。嘘、そんな記念日はない。たまに期日が近い提出物が重なるとどちらかの部屋に集まってスパートをかける。余裕があるときは一緒に料理したりもするのだけど、今回は私が切羽詰まっているのでスーパーのお弁当で済ませることになった。お惣菜コーナーは主に油方面での誘惑が多い。それでもメリーのチョイスは和風幕の内。もう私より日本食が板についている。一方その私はといえば

「え、カップラーメン?お昼も食べたのに」
「だからこそよ。早めに記憶を上塗りしないと私、麺類がトラウマになっちゃいそう」

 メリーが痛ましげな視線を向けてきて、思ったより精神ダメージを受けた。でも今後ラーメンを頂けない人生なんて、それこそいただけない。こういうときはありふれたジャンクな味で認識を戻すのが一番いいのだ。甘んじて憐れみを受け止めて、ついでに甘いボトルのミルクティー二つも買い物に加えてスーパーを後にした。



 午後八時。
 想定より少し早くレポートに決着がついた。メリーは翌週までなのでそもそもそんなに焦りはないのだけど、私の分のデッドラインはあと2時間。個人的には上々なのだが、メリーには毎度ギリギリを攻めるわねと呆れられている。

「もうちょっと余裕を持たせた方がいいんじゃないの?」
「やだなぁメリー、何事も刺激的にするのが人生のコツよ」

 自分で言った刺激的というワードにお昼の惨劇を思い出した。行ったそばからなんだけど、ああいうタイプの刺激はしばらく味わいたくない。

「蓮子?」

 いけない、遠い目をしてしまっていた。おばちゃん、あるいは自動調理器謹製のロールケーキで持ち直したつもりだったけれど傷は深かったようだ。

「なんでもない。よし、そろそろごはんにしよっか」

 メリーがお弁当を取り出してレンジで温め始める。こういうお弁当だと個人的にはちょっと冷めた白飯が好きなんだけど、メリーの同意を得られたことはない。丁度いいポソポソ感が癖になるんだけどな。
 こちらもカップラーメンにお湯を注いで、3分待つ。現在の技術ならもっと短縮できるそうだけれど、心理的な部分も含めて一番美味しく感じられるのがこの時間らしい。ヒロシゲの所要時間といい無駄な時間を楽しめるのは知性ある者の特権だというけれど、これはきっともう人類の遺伝子に刻まれてしまったお約束なのね。封をした蓋から漏れ出る醤油ベースの香りが鼻をくすぐる。やっぱりこれよ。お昼の攻撃的、むしろ殺人的な刺激臭を放っていたあれはやはり劇物だったのかもしれない。

「それじゃあ、頂きましょうか」
「いただきます」

 果てしなく遠い3分を超えて、麺に口をつける。

「甘っ!?」
 甘い。それも極めて。
 クリスマスケーキに乗った砂糖菓子みたいな味がする。メリーが焼き鮭をほぐす途中で固まってキョトンとしているけど、私も何が起きたのか理解できていない。咄嗟に香りを確認してもさっき人類の叡智を感じた食欲をそそる芳しい香りのままだ。たとえどんなハズレを引いたとしても、どれだけ傷んでいたとしてもこんな味にはなりそうもない。味覚だけがピンポイントで致命的にずれてしまっているようだ。

「あま……?」
「ちょっとメリー、これ食べてみて」
「え、いいけど……」

 困惑するメリーを遮り容器を渡す、というか半ば押し付ける。
 恐る恐る麺をそそる。

「……普通のカップラーメンね、ごく一般的な」
「そうよね、そうだよね、甘くはないわよね、普通はね」

 それはそうだろう。ただあまりの衝撃にもう一度口をつける勇気が湧かない。というか香りが至って美味しそうな醤油スープのままなので、舌がそのギャップを拒否している。

「とりあえず、佃煮食べてみる?」

 アルミカップに盛られた昆布の佃煮。
 これなら旨味も強いし元々甘辛いし、希望が見えるかもしれない。なんの根拠もないけど。
 縋るように摘んで口に運ぶ。

「どう?」

 どうもこうもなかった。
 本当に生前ずっと海水に晒されていたのか疑わしくなるほど、塩味も旨味も面影がない。さらに言えば甘辛の辛部分が完全なる甘に置き換えられて甘と激甘だ。口の中に二種類の甘さが全く混じり合わずに同居、いや家庭内別居している。体験したことのない負の相乗効果だ。普段与えられている料理がどれだけ考えられて調和しているかを実感する。だけどこんなタイミングで気付きたいありがたみではない。

「……じゃあ、えっと、これは?」

 表情から察したのか、メリーがほぐした鮭を、半ば諦めた雰囲気で差し出してくれている。本来なら香ばしさと塩味にご飯が欲しくなる完成されたおかずの一つ。本来なら、だけども。もうなんとなく結果は見えているが意を決してパクリといった。
 やはり甘い。味と香りに舌触りの乖離も合わさって脳がスパークする。これならまだビジュアルと実際に整合性があった食べる溶岩の方がマシだ。あまりの不味さに涙が出てきた。なんで一日に二度も落涙しないといけないのだろうか。こんなことならメリーが友情を見せつけてくれたときに涙を涸らしておけばよかった。

「蓮子?」
「つ……」
「つ?」

「辛いよぉ……」



 手元のおつまみや、果ては水道水まで試したが全てが甘い。それも、常軌を逸した甘さだった。

「どうなってるのよ、一体……」

 明らかな異常だった。こういう時、私たちは起こっている結果よりも経緯に重点を置いて考える。結界周りの異常だとか怪異にまつわる事柄に関しては科学的な理屈よりも、連想や言霊みたいなものを辿って行った方が原因を突き止めやすいからだ。けどそれにしたって今回は思い当たる節が少なすぎる。

「蓮子、一つ確認してもいい?」
「うん」
「学食から帰る直前、変な感じがしたんだけど」
「ああ、そういえば……なんか嫌な感じが、って」

 その時は多幸感に包まれていて流していたけれど、メリーがそんな感覚を訴えるとき、その大部分はなにか道理ではないことが起きる予兆だ。それこそ結界の異常か、妖怪・怪異の悪さか、あるいはそのどちらでもないトンチキか。

「うまく言えないけれど、帳尻を合わされたというか、無理やり言葉尻を捕まえられたみたいな感覚があったのね。弱いものだったから一時的なものだとは思うけど」

 それこそさっき例に挙げた連想を土台にした異変・怪異関連でメリーが感じる雰囲気に似ている。一見なんの繋がりもない話の細かな接点を繋ぐそんな結界の力だ。

「それであの時、蓮子が言ってたじゃない。全部甘味になれば天国だって」
「……そんなこと言ったっけ」

 言った。それも三日間続けばいいと。あのタイミングで感じたロールケーキの甘さが基準になっているならこの鋭すぎる甘さも頷ける。

「それでね、その時何か願いを叶えて欲しいなー、とか思い通りになればいいなーみたいなこと考えなかったかなって思ったの」
「そんなこと全然……」

 あ。
 考えた。
 赤色どんぶりくん(邪悪)を、よりによって聖杯なんていう特級の聖遺物に準えて。聖者は水を葡萄酒に変えたというけれど、私はその連想だけで自らの舌を遍く全てを糖分と誤認するものに変えてしまったらしい。
 え、じゃあなに?あんなしょぼくれたイメージのせいで、これがあと三日も続くってこと?
 膝からがくりと崩れ落ちた。メリーもかける言葉が見つからず私を見つめていたが、しばらくして何かに思い至ったようだった。
 
「あれ?ねえ蓮子」
「……なに?」
「さっき水もダメだったのよね」
「私が想像できる最強の砂糖水って感じだった」
「でも蓮子、ミルクティー飲んでた間はそんなこと言ってなかったじゃない」

 ハッとした。そう言われればそうだ。元々甘い飲み物だったから無意識に対象から外していたけど確かに作業中に飲んでいた分には常識的な味をしていた。

 咄嗟に飲みかけのミルクティーに手を伸ばし、そのまま口に含む。数秒、硬直、そして沈黙。先に口を開いたのはメリーだった。

「……どう?」
「すごいよメリー!普通!!」
 
 喜びに打ち震える感情に反して、口から出た言葉はともすれば全く誉めていると認識されなさそうなものだった。どうもこの短期間で味に関する感動の敷居が著しく下がってしまったみたい。

 その後検証を重ねた結果、私が普段から甘いと認識しているものには激甘フィルターがかからずそのままの味を感じられることが分かった。
 緩和策は見つかったものの、健康上甘いものばかり食べる訳にもいかない。ある程度は尋常じゃない甘さの栄養食でつなぐ羽目になり、控えめに言っても地獄の七十二時間だった。誰だ天国とか言ったのは。しかし、こちらも手を替え品を替え、ストレートティーや微糖コーヒー、メリーの手作り糖分控えめスイーツに支えられて、命辛々耐え切ったのだった。

 そして、この甘味地獄が終わるタイミングで、最初に食べるものといえばこれしか考えられない。

 それはもうある種の熱病だった。
 渇きと言い換えてもいいかもしれない。

 決戦は学生食堂。十三時二十分を数秒過ぎた頃。
 頼んだものを残すわけにもいかなかったので、基本的に外食を断ち、プロテインバーみたいな細々としたものしか食べていなかった私にとっては本当の戦場にすら思える。

「それにしても懲りないわねぇほんと」
「だってもういろんな味食べないとおかしくなりそうなんだもん!」

 味の基本要素は甘みを除けば、基本味四つと別枠三つ。辛味、酸味、塩味、旨味を兼ね備え、苦味そこから派生する渋味、刳味を野菜でカバーできるメニューは何か。

 そう、坦々麺である。勿論普通の。同じ轍は踏まない。というか限定メニューだったことや甘味だけの生活を経ても、あれにもう一度手を出す勇気は湧いてこない。

「おばちゃん、坦々麺一つ!」
「私は鯖味噌定食」
「あいよー」

 おお……。常識的な色彩の坦々麺だ。香りにも多少の刺激はあれど、胡麻の風味もしっかり感じて程よく食欲をそそる。なにより前回みたいに一歩間違えれば精神を破壊されそうな危うさはカケラもない。事前に飲料水で効果切れは確認済みだ。万事憂いはない。

 いただきます。

「おいひぃー!」
「言えてないけど、何が言いたいかはわかるわよ。美味しいのね、おめでとう」
 
 久しぶりに前向きな涙を流す私と対照的にメリーは坦々、もとい淡々とした表情で手を小さく叩いてくれている。危ない、美味しすぎて坦々麺に心を持っていかれすぎた。ここで辛いものずっと食べたいとか迂闊なことを言うわけにはいかない。繰り返しになるけど、相手がなんであろうと同じ轍を踏まないからこそプロの秘封倶楽部だ。アマ部門があるかは知らない。

 感動に咽んでいると、手の空いたらしい、おばちゃんがカウンターから出てきてこちらにパタパタと駆け寄ってきた。号泣している私を見て少し引く様子を見せながらもおばちゃんが口を開く。

「坦々麺で思い出したんだけど、この前チャレンジした娘たちよね?これ自信作なんだけど渡しそびれちゃってさ。あんたたち以外挑戦者出なかったし貰っていってよ」

 そう言うおばちゃんの手には参加賞だという、散々【辛酸】を舐めさせられた忌まわしい彼のマスコットキーホルダーが握られていた。
 確かに【旨】い【塩】梅にできているのがまたなんとも言えない気分にさせられる。
 涙が引っこみ【渋】くなる表情を必死に隠すけど、私を見るメリーの【苦】笑いに心が【刳】られる。

 これも言霊というのだろうか。待ちに待っていたはずの味たちは舌だけに留まらず、私の心中にも文字となって一気に襲ってくるのだった。
 
これは実体験ですが、寝ぼけて粉末スープの代わりに粉ココアを入れたカップラーメンはこの世の終わりみたいな味がしました。
れどうど(レッドウッド)
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コメント



0.50簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.50名前が無い程度の能力削除
いつ二人がリバースするのかとワクワクしながら読んでました。吐きませんでした。良かったです。でもやっぱり吐いて欲しかったです
4.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。なるほどナイトメアってそういう。
5.100南条削除
面白かったです
苦しむ蓮子がとてもよかったです
これは悪夢
6.80竹者削除
よかったです
7.100Actadust削除
どこか馬鹿っぽさのある秘封っていいですよね。秘封の二人の可愛さと少し不思議が詰まった、良い作品でした。面白かったです。
8.100已己巳己削除
面白い作品でした。全部の食べ物が甘く感じてしまうとは、正に悪夢。全部辛いとか酸っぱいよりはまだマシなのかな。
9.90めそふ削除
本当に蓮子が可哀想でした。ひどい。