秋である。
秋と言えばまず最初に思い付くのは何の秋だろうか。
食欲の秋にスポーツの秋、芸術の秋や音楽の秋、行楽の秋に加えて睡眠の秋と、○○の秋という言葉は実に多くの種類がある。それだけ秋という季節は物事を行うには何かと適した季節なのだ。
そんな数ある○○の秋の中、今日のレミリアの気分は読書の秋であった。読書を選んだのに特に大した理由はない。昨日は行楽の秋と称して博麗神社まで遊びに行っていたし、一昨日は食欲の秋として一等豪勢な食事を楽しんだ。要は秋を楽しめるならば何でもいいのである。
さて、今日は読書の秋と決めたならば、紅魔館にはちょうどお誂え向きの場所がある。レミリアは折角だからと本好きなフランも誘い、親友のパチュリーが誇る大図書館の読書スペースで静かに読書にふける事にした。
本当はパチュリーも読書会に誘っていたのだが、魔法狂いの館長様は「大事な実験があるから」と言って奥の書斎に引き籠ってしまっている。どうせそんな反応が返ってくる事は予想がついていたとはいえ、何とも付き合い甲斐の無い奴だった。
§
元来体を動かす方が性に合っているレミリアは、普段あまり書物に向かい合う事をしない。
魔法適正の高いフランは魔法の勉強をしている事もあって読書が趣味になっているらしいが、残念な事にレミリアの魔法適正は高くないのだ。魔法を使うくらいならば吸血鬼特有の身体能力で相手を圧倒した方が早く、故に脳筋ファイターと化した彼女は本を読むという習慣が無かった。読んだとしてもそれは門番の私物である東洋の武術書であったりと、風情もへったくれも無い本ばかりである。
しかし、こうして気紛れに真面目な本を読んでみると、これがなかなか面白い。
今読んでいるのは人里で流行っているアガサクリスQなる人物が書いたというミステリ小説である。フランに熱心に勧められて読んでいるが、成程、確かに面白い。あまりの面白さにさっきから読む手が止まらず、いつにもなく集中して本を読んでいる。
じっとしているのは多少むず痒くはあるものの、たまにはこういう機会もいいものである。そう思いながらレミリアは先へ先へとページを繰る。
ぱらり、ぱらり。
静謐に包まれた図書館に二人分の幽かな紙をめくる音が響く。傍から見たら何とも赴き深い光景である事だろう。
小説の中では二件目の殺人事件が発生し、あろう事かその容疑者に主人公たる魔法探偵マリサが槍玉に挙げられている緊迫のシーンになっていた……主人公の名前がよく紅魔館に来る白黒の泥棒と似ている気がするのは気のせいだろうか? 他にも登場する固有名詞がいちいちどこかで聞いた事のあるものばかりな気がするが。
まぁ、それはそれとして。
話はいよいよ盛り上がりを見せ始めた。マリサが真犯人を提示し無実を証明出来なければ、その先に待つのは敏腕刑事(と言う割には結構頓珍漢な推理を披露してくるが)シキエイキによる有罪確定の断罪裁判。ラストジャッジメント待った無しの絶体絶命な状況である。
高まる緊張に思わず読む手にも力がこもる。
(――――――――)
その時である。レミリアはふっと考えてしまった。
(――これ、結末はどうなってるのかしら)
一度気になりだすともう止まらない。
真犯人は一体誰なのか。
難攻不落のアリバイはどう崩したのか。
ヒロインとの関係は進展したのか。
あの伏線やこの伏線はどのように回収して読者を唸らせてくるのか。
気になる。とても気になる。
無論、このまま読み進めて行けば最も自然な形で結末にお目にかかれる事はレミリアも重々承知している。本の楽しみ方としてもそれが最善だろう。
だが、レミリアは今気になったのだ。
後で分かるからいいや、読んで行けば分かる事だし、と言う軽い言葉で流せるものではない。今この時この瞬間に、無性にこの本の結末が知りたくなってしまったのだ。
(――はっ)
気付けばいつの間にか指が本の巻末部分に添えられていた。あとはこれを少しめくるだけでネタバレ一直線、全ての真相が明らかになる。
だが、それでいいのか。折角妹がお勧めしてくれた珠玉のミステリ小説をネタバレして読むなんて。姉として失格な行動ではないのか。
しかし、この内から湧き上がるネタバレ欲求も如何ともし難い。その衝動に身を任せて、今すぐに話の結末を知ってしまいたい気持ちも多分にある。
葛藤、そして逡巡。
自然、ページをめくる手も止まる。
それを不審に思ったのだろう。フランが怪訝な顔で声を掛けてきた。
「お姉様? 手が止まってるみたいだけど、どうかしたの?」
その声でレミリアは我に返った。
努めて平静を装い、さりげなく巻末部分から指を離す。バレてはいない、と思いたい。
「え、えぇ。ちょっとね。あまりに熱中し過ぎて読んでたから、少し知恵熱が出ちゃったみたいだわ」
少し苦しい言い訳か?
内心冷や汗をかくレミリアだったが、どうやらフランは姉の言う事を信じてくれたようだった。
「そっか。まぁ、お姉様普段あまり本読まないもんね。知恵熱出しちゃってもしょうがない」
「何だか小馬鹿にされた気がするのは気のせいかしら」
「気のせいだよー。ほら、熱があるなら少し休憩してきたら?」
「……そうね。ちょっとテラスで風にでも当たって頭を冷やしてくるわ」
「はーい、いってらー」
既に本へ視線を戻して手をひらひらと振るフランに背を向け、テーブルの上に本を置いて図書館の外へ出る。
瞬間、レミリアは大きく息を吐いてずるずると床にへたり込んだ。心臓が早鐘を打ち、全身に嫌な汗が噴出しているのがよく分かる。
「はぁぁ……危なかったわ……」
さっきのは本当にヤバい所だった。あと少し運命の歯車がズレていたら、レミリアは享年五〇〇歳という若さで死んでいたかもしれない。
何を大袈裟な、と何も知らない人は思うだろう。
だが、命の危機が迫っていたのは紛れもない事実だ。
何故か。こよなく本を愛するフランは、ネタバレや流し読みと言った邪道な本の読み方を酷く嫌っているからである。
実は以前にも、つい小説の結末が気になり全ての過程を飛ばして終章から読み始めた事があったのだが、その時のフランの怒りようは凄まじいものだった。その本がフランにとって思い入れのあるらしい推理小説の【そして誰もいなくなった】だったのも、火に油を注ぐ結果となった。
烈火の如く怒り狂ったフランに『そんなお行儀の悪い目なんていらないよねぇ?』と、水風船でも割るかのような気軽さで両目をキュッとされたのは記憶に新しい。しかもそれだけでは怒りが収まらなかったのか、その後普通に殺しにかかってきた事も鮮明に覚えている。
……思い出すと寒気がしてきた。
レミリアは思わず両目に手を当てて無事を確認し、ぶるりと体を震わせた。あれは本当に酷い目にあった。まさかネタバレ程度で死の淵に追いやられる程ボコボコにされるなんて。軽くトラウマになっている。
だからそれ以来、レミリアは出来るだけネタバレ上等な本の読み方は慎むようにしていた。
しかし、しかしである。
テラスに出て秋のそよ風に心地良さを感じながら、レミリアは憮然とした表情で思うのだ。
(結末を知りたくなるのはしょうがないじゃない。持って生まれた能力の性なんだもの)
運命を操る程度の能力。
実際の所はそんなに気軽に運命を変えたりは出来ない、意外と融通の効かない能力なのだが、それでも大いなる運命の流れに大なり小なり干渉する事が出来る強大な力だ。
その能力の都合上、レミリアは自分や周りにいる他者の運命━━有り体に言えば未来を読む事が出来る。
そしてその力は、つまる所人生という物語における壮大なネタバレ能力とも言える。
レミリアは今までこの力を用いて様々な運命を読み解いてきた。如何様にでも変えられる他愛もない運命から、どう足掻いても覆しようのない不可避の運命まで。身の回りの運命はほぼ余す所なく彼女の知る所であり、彼女はそれに確かな充足感と優越感を見出していた。
だから、であろうか。
最後まで読み進めないと結末が分からない小説などはレミリアにとって、読んでいて酷くモヤモヤするものだった。これから辿る運命も知らずに物語を進めるなんてどうにもむず痒くて居心地が悪い、落ち着かない。彼女の前では全ての運命は既知であるべきなのに。
「でもねぇ。ネタバレなんて読み方したらフラン絶対怒るわよねぇ。あれ、フランが勧めてくれた本だし、絶対マジギレ間違い無しだわ」
秋風に乗せて憂いの息を吐く。
運命が読めるレミリアは、最終章をいきなり読み始めたらどうなってしまうのかも当然把握している。待っているのは妹による残虐な私刑であり、これはネタバレをしようと試みる限り覆しようのない無慈悲な運命だった。
無論、本を最後まで真っ当に読み通せばそんな事は起こり得ない。だが、レミリアはどうしても結末を先に知り得たい欲求に駆られていた。
「本の一冊や二冊、好きに読んだっていいじゃないのよー……」
頭を抱え頬を膨らませながらうー、と唸る。
そも、ここ紅魔館にはネタバレを嫌悪する過激派が多過ぎるのだ。
フランは先述の通りだし、読書を執筆者に対して敬意を表する神聖な行為だと捉えている節のあるパチュリーには、親友であるにも関わらずロイヤルフレアでこんがり焼かれた覚えがある。ご丁寧に強火でじっくりと、ウェルダンになるまで業火に呑まれ続けた。
広大な大図書館の事実上の管理者である小悪魔もネタバレが許せないらしく、全身丸焦げになって動けなくなった所を執拗に分厚い百科辞典の角で叩かれた事は忘れていない。一番可愛らしくてダメージの少ない仕置ではあったが、あまりに何十何百回と叩かれるものだから精神的には一番ダメージが大きかった。
意外だったのは腹心の従者たる咲夜にまでナイフをグサグサ刺された事だ。自分のスペルカードに『夜霧の幻影殺人鬼』だったり『ミステリアスジャック』と名付けるだけあって彼女もまたミステリ小説をよく好んでいるのだが、いくら敬愛する主だとしてもネタバレだけは許せなかったらしい。弾け飛んで収めるべき物が無くなった眼窩にナイフを勢いよく捩じ込まれたのは、永い時を生きてきたレミリアでも全くの新しい経験だった。
妖精メイド達はそもそも読書習慣がないのでネタバレなんてお構い無しだが、メイドとは言え所詮は妖精。ノリと勢いだけで生きているような奴等だ。咲夜やフランが号令を下せば後先考えずに当主たるレミリアへ攻撃を仕掛けてくるので、実質敵である。
正しく四面楚歌。ことネタバレに関して紅魔館は異常に厳しく、レミリアは立つ瀬が無かった。
唯一美鈴だけは『本なんて好きに読めばいいじゃないですかー』と擁護してくれたが、『ネタバレを許容するなどとんでもない!』と言わんばかりに皆からとばっちりを食らって敢え無く血溜まりに沈んでいった。正直とても申し訳ない気持ちでいっぱいである。その内いつか埋め合わせをしないといけないだろう。
「うーん……これはあれかしら。読書の秋だなんて格好付けて、本を読もうとしたのは失敗だったかもしれないわね」
読むにしても自室でこっそりと、誰にも邪魔されない環境で静かに楽しむべきだったか。己の軽率な行動を今更後悔するも、時既に遅い。
結構時間も経っている。そろそろ戻らないとフランにまた怪しまれてしまうだろうし、致し方あるまい。
レミリアはしばし瞠目し、決意した。
ネタバレを我慢する決意、ではない。
こうなりゃ是が非でもネタバレしてやるぞ、という黒い決意である。
「大体なんで当主の私がいちいち他人の顔色気にして本読まなきゃいけないのよ。もっと自由かつ奔放であるべきだわ」
何よりこの形容し難いむず痒さを放置する事なんて出来るはずも無い。訪れる結末を知り得ないまま先を進むなんて真っ平御免である。
ミステリ作家に対する侮辱? 冒涜?
大いに結構! 冒涜的で侮蔑的で背徳的。正しく悪魔の本懐である。お行儀よく決められた通りにページをめくるだけなどつまらないではないか!
その果てに妹に目を潰されようともはや知った事ではない。
ネタバレひいては未来を知る事の利点は覚悟出来る事だ。推しの登場人物が死んでしまっても、予め知っていれば冷静にそれを受け止められる。どんなに悪い不可避の運命が待ち受けていたとしても、前もって分かってさえいれば絶望などしない。覚悟を持ってその時に臨める。
ネタバレを敢行する以上、フランがマジギレするのに始まり、美鈴を除く紅魔館一同にお仕置きされるのは避けようのない確定事項だ。どう足掻いたところで以前の様に肉塊同然の有様にされてしまうだろう。
しかし、それが一体どうしたというのだ。下手に自分を偽ってネタバレを諦め、窮屈な思いをするよりは断然マシである。
この揺ぎ無い決意を、不退転の覚悟をもって全力でネタバレを楽しんでやろうではないか!
両の瞳に爛々と決意の炎を灯し、妙に不敵な笑みを浮かべながらレミリアは読書スペースへと戻る。
「お帰り、お姉様。随分遅かったね?」
「秋風が心地良くてつい、ね。待たせたかしら?」
「ううん。いないならいないで普通に本読んでたし」
「そう。じゃ、私も読書に戻ろうかしら。ええと、どこまで読んだのだっけ……」
ソファに深く身を沈め、ページをぱらぱらとめくっていく。
どうせ不可避の運命である。変に小細工して隠したりするような事はしない。紅魔館の主らしく堂々と、毅然としてネタバレをしてやるのだ。
本来読み進めていたページから大幅に飛ばして、最終章でページを繰る指を止める。全ての真相がそこにはしっかり記されていた。
ほう、まさかあのキャラが真犯人だったとは! そしていつの間にか推しの端役が死んでしまっている。これはこれは、予め知れてよかった。変に入れ込み過ぎた末の喪失感に悩まなくてよくなる。
どれ、肝心要のトリックの内容は——
ぱぁん、と湿った不快な音と共に、レミリアの両の瞳が弾け飛んだ。一筋の光さえ見えない。
何と言う事だ。後少しで完全にネタバレ出来たのに、これでは消化不良である。一応大まかな結末だけは把握出来たので、それで良しとすべきだろうか。
「お~ね~え~さ~ま~?」
怒った様子のフランがこちらにゆらぁりと幽鬼の如く近付いてくるのが気配で分かる。
だが、レミリアは動じない。とうに覚悟を済ませているからだ。ジタバタした所で結局負ける事に変わりはないのだから、ここは潔くお仕置きを受け入れるべきであろう。ここまで泰然自若としていられるのも、全ては未来を見通したからに他ならない。やはりネタバレとは素晴らしい物だ。
さて、今度は目が潰されてもちゃんと最後まで読めるように、次の機会までには分裂させた眷属と視界を同期させる術でも覚えておかねばなるまい——
「また性懲りもなくそんな読み方しようとして……天誅ーーーっ!」
反省の色も見せず、それどころか爆ぜ散らかした目元の辺りをそっと撫でながら妙に満足げに笑うレミリアに、フランは渾身の怒りを込めて刧炎の剣を振り下ろした。
秋と言えばまず最初に思い付くのは何の秋だろうか。
食欲の秋にスポーツの秋、芸術の秋や音楽の秋、行楽の秋に加えて睡眠の秋と、○○の秋という言葉は実に多くの種類がある。それだけ秋という季節は物事を行うには何かと適した季節なのだ。
そんな数ある○○の秋の中、今日のレミリアの気分は読書の秋であった。読書を選んだのに特に大した理由はない。昨日は行楽の秋と称して博麗神社まで遊びに行っていたし、一昨日は食欲の秋として一等豪勢な食事を楽しんだ。要は秋を楽しめるならば何でもいいのである。
さて、今日は読書の秋と決めたならば、紅魔館にはちょうどお誂え向きの場所がある。レミリアは折角だからと本好きなフランも誘い、親友のパチュリーが誇る大図書館の読書スペースで静かに読書にふける事にした。
本当はパチュリーも読書会に誘っていたのだが、魔法狂いの館長様は「大事な実験があるから」と言って奥の書斎に引き籠ってしまっている。どうせそんな反応が返ってくる事は予想がついていたとはいえ、何とも付き合い甲斐の無い奴だった。
§
元来体を動かす方が性に合っているレミリアは、普段あまり書物に向かい合う事をしない。
魔法適正の高いフランは魔法の勉強をしている事もあって読書が趣味になっているらしいが、残念な事にレミリアの魔法適正は高くないのだ。魔法を使うくらいならば吸血鬼特有の身体能力で相手を圧倒した方が早く、故に脳筋ファイターと化した彼女は本を読むという習慣が無かった。読んだとしてもそれは門番の私物である東洋の武術書であったりと、風情もへったくれも無い本ばかりである。
しかし、こうして気紛れに真面目な本を読んでみると、これがなかなか面白い。
今読んでいるのは人里で流行っているアガサクリスQなる人物が書いたというミステリ小説である。フランに熱心に勧められて読んでいるが、成程、確かに面白い。あまりの面白さにさっきから読む手が止まらず、いつにもなく集中して本を読んでいる。
じっとしているのは多少むず痒くはあるものの、たまにはこういう機会もいいものである。そう思いながらレミリアは先へ先へとページを繰る。
ぱらり、ぱらり。
静謐に包まれた図書館に二人分の幽かな紙をめくる音が響く。傍から見たら何とも赴き深い光景である事だろう。
小説の中では二件目の殺人事件が発生し、あろう事かその容疑者に主人公たる魔法探偵マリサが槍玉に挙げられている緊迫のシーンになっていた……主人公の名前がよく紅魔館に来る白黒の泥棒と似ている気がするのは気のせいだろうか? 他にも登場する固有名詞がいちいちどこかで聞いた事のあるものばかりな気がするが。
まぁ、それはそれとして。
話はいよいよ盛り上がりを見せ始めた。マリサが真犯人を提示し無実を証明出来なければ、その先に待つのは敏腕刑事(と言う割には結構頓珍漢な推理を披露してくるが)シキエイキによる有罪確定の断罪裁判。ラストジャッジメント待った無しの絶体絶命な状況である。
高まる緊張に思わず読む手にも力がこもる。
(――――――――)
その時である。レミリアはふっと考えてしまった。
(――これ、結末はどうなってるのかしら)
一度気になりだすともう止まらない。
真犯人は一体誰なのか。
難攻不落のアリバイはどう崩したのか。
ヒロインとの関係は進展したのか。
あの伏線やこの伏線はどのように回収して読者を唸らせてくるのか。
気になる。とても気になる。
無論、このまま読み進めて行けば最も自然な形で結末にお目にかかれる事はレミリアも重々承知している。本の楽しみ方としてもそれが最善だろう。
だが、レミリアは今気になったのだ。
後で分かるからいいや、読んで行けば分かる事だし、と言う軽い言葉で流せるものではない。今この時この瞬間に、無性にこの本の結末が知りたくなってしまったのだ。
(――はっ)
気付けばいつの間にか指が本の巻末部分に添えられていた。あとはこれを少しめくるだけでネタバレ一直線、全ての真相が明らかになる。
だが、それでいいのか。折角妹がお勧めしてくれた珠玉のミステリ小説をネタバレして読むなんて。姉として失格な行動ではないのか。
しかし、この内から湧き上がるネタバレ欲求も如何ともし難い。その衝動に身を任せて、今すぐに話の結末を知ってしまいたい気持ちも多分にある。
葛藤、そして逡巡。
自然、ページをめくる手も止まる。
それを不審に思ったのだろう。フランが怪訝な顔で声を掛けてきた。
「お姉様? 手が止まってるみたいだけど、どうかしたの?」
その声でレミリアは我に返った。
努めて平静を装い、さりげなく巻末部分から指を離す。バレてはいない、と思いたい。
「え、えぇ。ちょっとね。あまりに熱中し過ぎて読んでたから、少し知恵熱が出ちゃったみたいだわ」
少し苦しい言い訳か?
内心冷や汗をかくレミリアだったが、どうやらフランは姉の言う事を信じてくれたようだった。
「そっか。まぁ、お姉様普段あまり本読まないもんね。知恵熱出しちゃってもしょうがない」
「何だか小馬鹿にされた気がするのは気のせいかしら」
「気のせいだよー。ほら、熱があるなら少し休憩してきたら?」
「……そうね。ちょっとテラスで風にでも当たって頭を冷やしてくるわ」
「はーい、いってらー」
既に本へ視線を戻して手をひらひらと振るフランに背を向け、テーブルの上に本を置いて図書館の外へ出る。
瞬間、レミリアは大きく息を吐いてずるずると床にへたり込んだ。心臓が早鐘を打ち、全身に嫌な汗が噴出しているのがよく分かる。
「はぁぁ……危なかったわ……」
さっきのは本当にヤバい所だった。あと少し運命の歯車がズレていたら、レミリアは享年五〇〇歳という若さで死んでいたかもしれない。
何を大袈裟な、と何も知らない人は思うだろう。
だが、命の危機が迫っていたのは紛れもない事実だ。
何故か。こよなく本を愛するフランは、ネタバレや流し読みと言った邪道な本の読み方を酷く嫌っているからである。
実は以前にも、つい小説の結末が気になり全ての過程を飛ばして終章から読み始めた事があったのだが、その時のフランの怒りようは凄まじいものだった。その本がフランにとって思い入れのあるらしい推理小説の【そして誰もいなくなった】だったのも、火に油を注ぐ結果となった。
烈火の如く怒り狂ったフランに『そんなお行儀の悪い目なんていらないよねぇ?』と、水風船でも割るかのような気軽さで両目をキュッとされたのは記憶に新しい。しかもそれだけでは怒りが収まらなかったのか、その後普通に殺しにかかってきた事も鮮明に覚えている。
……思い出すと寒気がしてきた。
レミリアは思わず両目に手を当てて無事を確認し、ぶるりと体を震わせた。あれは本当に酷い目にあった。まさかネタバレ程度で死の淵に追いやられる程ボコボコにされるなんて。軽くトラウマになっている。
だからそれ以来、レミリアは出来るだけネタバレ上等な本の読み方は慎むようにしていた。
しかし、しかしである。
テラスに出て秋のそよ風に心地良さを感じながら、レミリアは憮然とした表情で思うのだ。
(結末を知りたくなるのはしょうがないじゃない。持って生まれた能力の性なんだもの)
運命を操る程度の能力。
実際の所はそんなに気軽に運命を変えたりは出来ない、意外と融通の効かない能力なのだが、それでも大いなる運命の流れに大なり小なり干渉する事が出来る強大な力だ。
その能力の都合上、レミリアは自分や周りにいる他者の運命━━有り体に言えば未来を読む事が出来る。
そしてその力は、つまる所人生という物語における壮大なネタバレ能力とも言える。
レミリアは今までこの力を用いて様々な運命を読み解いてきた。如何様にでも変えられる他愛もない運命から、どう足掻いても覆しようのない不可避の運命まで。身の回りの運命はほぼ余す所なく彼女の知る所であり、彼女はそれに確かな充足感と優越感を見出していた。
だから、であろうか。
最後まで読み進めないと結末が分からない小説などはレミリアにとって、読んでいて酷くモヤモヤするものだった。これから辿る運命も知らずに物語を進めるなんてどうにもむず痒くて居心地が悪い、落ち着かない。彼女の前では全ての運命は既知であるべきなのに。
「でもねぇ。ネタバレなんて読み方したらフラン絶対怒るわよねぇ。あれ、フランが勧めてくれた本だし、絶対マジギレ間違い無しだわ」
秋風に乗せて憂いの息を吐く。
運命が読めるレミリアは、最終章をいきなり読み始めたらどうなってしまうのかも当然把握している。待っているのは妹による残虐な私刑であり、これはネタバレをしようと試みる限り覆しようのない無慈悲な運命だった。
無論、本を最後まで真っ当に読み通せばそんな事は起こり得ない。だが、レミリアはどうしても結末を先に知り得たい欲求に駆られていた。
「本の一冊や二冊、好きに読んだっていいじゃないのよー……」
頭を抱え頬を膨らませながらうー、と唸る。
そも、ここ紅魔館にはネタバレを嫌悪する過激派が多過ぎるのだ。
フランは先述の通りだし、読書を執筆者に対して敬意を表する神聖な行為だと捉えている節のあるパチュリーには、親友であるにも関わらずロイヤルフレアでこんがり焼かれた覚えがある。ご丁寧に強火でじっくりと、ウェルダンになるまで業火に呑まれ続けた。
広大な大図書館の事実上の管理者である小悪魔もネタバレが許せないらしく、全身丸焦げになって動けなくなった所を執拗に分厚い百科辞典の角で叩かれた事は忘れていない。一番可愛らしくてダメージの少ない仕置ではあったが、あまりに何十何百回と叩かれるものだから精神的には一番ダメージが大きかった。
意外だったのは腹心の従者たる咲夜にまでナイフをグサグサ刺された事だ。自分のスペルカードに『夜霧の幻影殺人鬼』だったり『ミステリアスジャック』と名付けるだけあって彼女もまたミステリ小説をよく好んでいるのだが、いくら敬愛する主だとしてもネタバレだけは許せなかったらしい。弾け飛んで収めるべき物が無くなった眼窩にナイフを勢いよく捩じ込まれたのは、永い時を生きてきたレミリアでも全くの新しい経験だった。
妖精メイド達はそもそも読書習慣がないのでネタバレなんてお構い無しだが、メイドとは言え所詮は妖精。ノリと勢いだけで生きているような奴等だ。咲夜やフランが号令を下せば後先考えずに当主たるレミリアへ攻撃を仕掛けてくるので、実質敵である。
正しく四面楚歌。ことネタバレに関して紅魔館は異常に厳しく、レミリアは立つ瀬が無かった。
唯一美鈴だけは『本なんて好きに読めばいいじゃないですかー』と擁護してくれたが、『ネタバレを許容するなどとんでもない!』と言わんばかりに皆からとばっちりを食らって敢え無く血溜まりに沈んでいった。正直とても申し訳ない気持ちでいっぱいである。その内いつか埋め合わせをしないといけないだろう。
「うーん……これはあれかしら。読書の秋だなんて格好付けて、本を読もうとしたのは失敗だったかもしれないわね」
読むにしても自室でこっそりと、誰にも邪魔されない環境で静かに楽しむべきだったか。己の軽率な行動を今更後悔するも、時既に遅い。
結構時間も経っている。そろそろ戻らないとフランにまた怪しまれてしまうだろうし、致し方あるまい。
レミリアはしばし瞠目し、決意した。
ネタバレを我慢する決意、ではない。
こうなりゃ是が非でもネタバレしてやるぞ、という黒い決意である。
「大体なんで当主の私がいちいち他人の顔色気にして本読まなきゃいけないのよ。もっと自由かつ奔放であるべきだわ」
何よりこの形容し難いむず痒さを放置する事なんて出来るはずも無い。訪れる結末を知り得ないまま先を進むなんて真っ平御免である。
ミステリ作家に対する侮辱? 冒涜?
大いに結構! 冒涜的で侮蔑的で背徳的。正しく悪魔の本懐である。お行儀よく決められた通りにページをめくるだけなどつまらないではないか!
その果てに妹に目を潰されようともはや知った事ではない。
ネタバレひいては未来を知る事の利点は覚悟出来る事だ。推しの登場人物が死んでしまっても、予め知っていれば冷静にそれを受け止められる。どんなに悪い不可避の運命が待ち受けていたとしても、前もって分かってさえいれば絶望などしない。覚悟を持ってその時に臨める。
ネタバレを敢行する以上、フランがマジギレするのに始まり、美鈴を除く紅魔館一同にお仕置きされるのは避けようのない確定事項だ。どう足掻いたところで以前の様に肉塊同然の有様にされてしまうだろう。
しかし、それが一体どうしたというのだ。下手に自分を偽ってネタバレを諦め、窮屈な思いをするよりは断然マシである。
この揺ぎ無い決意を、不退転の覚悟をもって全力でネタバレを楽しんでやろうではないか!
両の瞳に爛々と決意の炎を灯し、妙に不敵な笑みを浮かべながらレミリアは読書スペースへと戻る。
「お帰り、お姉様。随分遅かったね?」
「秋風が心地良くてつい、ね。待たせたかしら?」
「ううん。いないならいないで普通に本読んでたし」
「そう。じゃ、私も読書に戻ろうかしら。ええと、どこまで読んだのだっけ……」
ソファに深く身を沈め、ページをぱらぱらとめくっていく。
どうせ不可避の運命である。変に小細工して隠したりするような事はしない。紅魔館の主らしく堂々と、毅然としてネタバレをしてやるのだ。
本来読み進めていたページから大幅に飛ばして、最終章でページを繰る指を止める。全ての真相がそこにはしっかり記されていた。
ほう、まさかあのキャラが真犯人だったとは! そしていつの間にか推しの端役が死んでしまっている。これはこれは、予め知れてよかった。変に入れ込み過ぎた末の喪失感に悩まなくてよくなる。
どれ、肝心要のトリックの内容は——
ぱぁん、と湿った不快な音と共に、レミリアの両の瞳が弾け飛んだ。一筋の光さえ見えない。
何と言う事だ。後少しで完全にネタバレ出来たのに、これでは消化不良である。一応大まかな結末だけは把握出来たので、それで良しとすべきだろうか。
「お~ね~え~さ~ま~?」
怒った様子のフランがこちらにゆらぁりと幽鬼の如く近付いてくるのが気配で分かる。
だが、レミリアは動じない。とうに覚悟を済ませているからだ。ジタバタした所で結局負ける事に変わりはないのだから、ここは潔くお仕置きを受け入れるべきであろう。ここまで泰然自若としていられるのも、全ては未来を見通したからに他ならない。やはりネタバレとは素晴らしい物だ。
さて、今度は目が潰されてもちゃんと最後まで読めるように、次の機会までには分裂させた眷属と視界を同期させる術でも覚えておかねばなるまい——
「また性懲りもなくそんな読み方しようとして……天誅ーーーっ!」
反省の色も見せず、それどころか爆ぜ散らかした目元の辺りをそっと撫でながら妙に満足げに笑うレミリアに、フランは渾身の怒りを込めて刧炎の剣を振り下ろした。
というのはおいておいて内容に対して
少し事前説明が多いというか本題までの準備が長いようにも少し感じました。
ネタの落としどころは好きです。
ネタバレはジャンルによるかなぁ
己を貫き通すレミリアがとてもよかったです
譲れないものは誰にでもあるのだと思いました。
共感しかありません