人間は「子供は親を選べない」と言って、自分の出自を恨むが、これは人間に限ったことではない。妖怪にだって、精霊にだって、親を選ぶ権利はない。もしかしたら神様ですら、生まれを選ぶ自由は無いのかもしれない。
何でそんな愚痴めいたことを言うのかだって? 私もまた、自分の生まれた経緯を呪いたい側にいるからだ。
私、矢田寺成美は、地蔵に宿った魔力が生命化して生まれた。有り体に言えば、ユダヤ教のゴーレムに近い存在だ。
私の命の本質は内部の魔力であり、地蔵の体は魂の入れ物に過ぎない。で、あるのに周りの人妖は皆、私が地蔵であるかのように振る舞い、私が地蔵であることを期待する。
「そう、貴方は少し自分の生まれに無頓着過ぎる」
この世に生を受けた数年後、正真正銘の地蔵菩薩様に言われた言葉がこれだ。地蔵の姿に生まれたのだから地蔵らしく振る舞えということか? それはある種のレイシズムというものではないか?
「その理解は少々浅いですね。外面だけではありません。内面の魔力も、地蔵として受けてきた信仰に、少なからず引っ張られている。その証拠に、生まれつき、仏教知識はそれなりに有していたでしょう? 釈迦の入滅から弥勒菩薩出現までの無仏時代は何年?」
56億7000万年。確かに彼女の言うことは正論だ。しかし、良薬であるがゆえに、それは飲み込むことができないほど苦い。
「地蔵であることを捨てて、魔法使いとして生きる。それもまた一興でしょう。しかし、内心の信仰心にそうも逆張りしていては精神を蝕みます。それに……」
彼女は、私を値踏みするかのように見つめた。
「貴方は今、着る服も継ぎ接ぎでやり繰りしなければならないほど生活に困っているのでしょう? どうですか、地蔵として賽の河原で働くというのは」
事実生活苦ではあるから、渡りに船だ。しかし、地蔵菩薩、あるいは閻魔様がお金稼ぎを勧めて仕事の斡旋をしようとは。これが末法か。
「お金を稼ぐというのは悪いことではありません。働くという善行への対価なのですから。それは我々地蔵にとってだけではなく、万人に当てはまることなのです」
閻魔様が「我々地蔵」という表現で、勝手に私まで地蔵にカテゴライズしたことは不満だったが、日銭を稼ぎたかった私の首は縦に動いていた。
こうして、地蔵に生命を宿した運命の悪戯を呪ったまま、私は地蔵としての仕事を始めることになった。
***
賽の河原は陰鬱な場所だった。草木一本生えておらず、その代わりに卒塔婆と風車がそこら中に刺さっている。暖かさの欠片もない風に風車が回り、カラカラという音を立てていた。風車の音が聞こえるくらい静かな場所ということだ。
水子はあちこちに散らばってそれぞれの場所で石積みをしているようだった。見張りの仕事なのだから巡回して全員に目を配るべきなのだろうが、この広大な賽の河原の凸凹した地面を歩き通す気にはどうしてもなれなかった。それに、どのタイミングで水子は石を崩す、あるいは崩されてしまうのか知っておくべきだろう。私は適当な場所にしゃがんで、一人の水子を観察することにした。
「……一つつんでは父のため」
それにしても、ここまで水子が沢山いるとは予想外だった。一昔前ならそうではなかったのかもしれないが、現代の幻想郷は、そんなに頻繁に子供が死ぬ場所ではない。ということは、ここの水子の多くは何十年も無為に石積みを続けているのであろう。さっさと三途の川を渡ってしまえば良いのに。
「……二つつんでは母のため」
底に置いたやや小ぶりで丸い石の上に、大きめの石を乗せようとしている。物理を知らないという次元ですらない。その順番だと安定しないと、本能的に分からないものなのか。案の定、僅か二段の石の塔は早くもぐらついている。
「……三つつんでは……」
無謀にもこの水子は歪な形の石を適当に置こうとして、石積みを崩してしまった。
「……一つつんでは父のため」
水子は石積みが崩れたことに対して何の反応も見せず、また石を積み始めた。
石積みが崩れないように見張るという職務を早くも放棄してしまったが、私の感情を埋めていたのはそのことへの悔恨ではなく、水子の作業が余りにも機械的で、非人間性を感じるものだったことへの驚愕だった。この子にとっては石を積むという行為そのものが目的であり、できた塔などどうでも良いのだろう。だから積み方も乱雑だし、結果として石積みが崩れたとしても僅かな動揺すら見せない。
石積みの成果物に対する無頓着さが、この子の水子としての経験が浅いからなのか、水子全体がそういう価値観なのかはまだ分からない。しかし、少なくともこの子の作る塔には誰も、制作者本人すらも、関心を払わないのである。それを崩されないように見張ることに、意味はあるのだろうか。
次の石積みは幸運にもそれなりの高さに積み上がった。本当にただ幸運なだけだ。積み方は相変わらず乱雑で、たまたま手で掴む石の形と順番が適切なだけ。
それでも嬉しいのか、水子の口ずさむ歌は心なしか軽やかな調子になった。先程の推論は微妙に誤りで、この子とて自作品を愛する感性は持ち合わせていた。単に愛するに値する作品に到達するまでが運任せで遠く、そして賽の河原の悠久の時間の中で無限に試行できてしまうので、それがこの子の石積みスタイルになっている、ただそれだけのことだった。
水子が石積みを重ねている場所よりさらに向こう側に人影が見えた。いや、人ではない。鬼だ。角が生えている。それが石積みを崩しに来た子鬼だということは直ぐに予想がついた。
その細部が確認できるまで鬼が近づいてきた。この子の石積みを崩しに来たのだろう。驚くべきことに、彼は是非曲直庁の制服を羽織っていた。
私は反射的に立ち上がって背をそむけ走り去った。背中に鬼の怒号と、石が崩れるガラガラという音が刺さった。
私は鬼が水子に対して行うであろう狼藉に目を背けたくなり去ったのではない。石積みを崩されないようにと私を雇いながら、その一方で石積みを崩すために鬼を派遣する、是非曲直庁の矛盾にカッとなって立ち去ったのだ。
しかし、何も聞こえないくらい遠くまで走り、息が上がってきたところで急速に後悔の念が湧いてきた。私は自分のエゴで職務を放棄し、結果あの水子を悲しませてしまった。あんなに楽しそうに歌いながら積んでいた作品だ。それを崩されたショックは相当なものだっただろう。大泣きする、あるいは呆然と石を持ちすらせず座り込む水子の姿が脳裏に浮かんだ。
せめて引き返して言葉を一つ、あの子にかけてあげるべきだっただろう。しかし、臆病な私はさらに現場から遠ざかるように真っ直ぐ歩を進めた。
進路上の遠くに、閻魔様の姿が見えた。幸いこちらには気がついていない。閻魔様がこちらに視線を向ける前に、私は斜め後ろに進路変更して賽の河原を後にすることにした。
私はサボり魔の死神がサボり中に私に会うたびに「今はボスに会いたくない」と怯えているのを内心で小馬鹿にしていた。だが、今なら彼女の気持ちが、なんとなく分かる気がした。
***
日を改めて来ても、賽の河原は相変わらず陰鬱な場所だった。時間に関係なく、もやがかかったかのように薄暗い。
昨日と同じ道筋を辿って再びあの子に会う勇気を持つことはまだできなかったので、別の方角で水子を探すことにした。
適当な水子を見つけ、観察を行う。私はまだ、この子達のことを知らなすぎる。
その水子は手早く石を重ねていく。手際は良いのだが、昨日の水子と同じくらいかそれ以上に石の選別や重ね方が無頓着過ぎるように思える。これでは早晩、石の塔は大崩落を起こしてしまうだろう。
そう思っていたのだが、石の塔は絶妙なバランスで安定性を保っていた。間違っていたのは私の方だった。守破離。私は石積みに関しては素人だから、物理的常識に基づいた安定性でしか見ることができないが、この子はそこにオリジナリティを付加して残す域に到達した石積み博士なのだ。
「よし、一作品できた!」
水子は途中で手を止めて、満足気に自作品の鑑賞を始めた。石の塔の高さはそう極端ではなく、この子の身長でもさらに積み上げようと思えば重ねられそうではある。しかし、さらに重ねてしまうと作品の美観を損ねてしまうと考えたからなのか、一個でも石を追加してしまうと失われる絶妙なバランスだからなのか、この子はあえて石を積むという選択肢を放棄したのだ。
昨日の水子とは真逆だ。昨日の子が仏教的な水子物語に忠実に則って、石を積むという行為そのものに意味を見出す苦行者だとするならば、この子はアナーキーな芸術家だ。そうだ、この子は石積みに際してあの歌を口ずさむことすらしない。私の内心の仏性はこの子は邪道だと警鐘を鳴らしていたが、この子のやり方を否定することはできなかった。
この子と一緒に作品を眺める。まあ私は石積み素人だから、作品の良し悪しなど分かりはしない。真ん中よりやや上で、大きな楕円形の石をあえて斜めに立てかけるように置いているのとか、芸術点が高い……のだろうか? ただまあ、何となくこれは、残すべき価値のある作品な気がした。
「良い作品ね。貴方の名前は?」
「私は戎瓔花。地蔵のお姉さん、貴方は?」
「あー、私は魔法地蔵だから地蔵とはちょっと違うのよね。で、名前は……」
瓔花に名前を告げる前に、地響きが響いた。振り向くと、子鬼が石積みを崩しにやって来ていた。
「この程度では功徳とは言えぬ」
「作品を崩そうっていうの? そうはさせないんだから!」
私は鬼と石積みの間に割って入った。子鬼は軽蔑するように私を見つめた。
「見ない顔だな。……新入りか。悪いがこれも仕事なんでね」
子鬼は私の体の側面に体当たりした。私よりも小柄だが、予想外に力が強く、私は軽く吹き飛ばされて転んでしまった。起き上がった頃には、もう石積みが崩されてしまった後だった。
「ごめんね……。大丈夫?」
瓔花は魂の抜けたような目で、遠ざかる子鬼の背中を見つめている。私は彼女に、恐る恐る声をかけた。
「残念だけれど、ま、しょうがないよね。地蔵のお姉さん、石積みを守ろうとしてくれてありがとう」
瓔花は先刻までの呆然が嘘だったかのようにまた石積みを始めた。
どんな苦しみが生ずるのでも、すべて執著(執着)に縁って起る。仏教の基本的な教えだ。彼女は完成した作品に無用な執著を向けなかったから楽しく石積みを続け、私は当人ですらないのに石積みに執著し取り乱してしまった。
瓔花は無意識のうちに、仏教の真理に近づいているのかもしれない。鬼が来るまで作品に向けていた執著は相当なもので、ここが彼女が三途の川を渡るに至らない原因なのだろう。ただ、鬼に作品が崩される無常については、諦念ではなくて所与のものとして受け入れている。それに対して私のなんと無明だったことか……!
私は彼女と同じ空間にいることが恥ずかしくなった。引きつった笑顔でそっけない返事だけ返して、私はそそくさとその場を立ち去った。
***
昨日と同じようにあてもなく賽の河原を歩いていると、昨日と同じように閻魔様を遠くに見た。昨日と同じように仕事から逃げてしまったことへの後ろめたさはあったが、昨日と違って立ち去る気力すら無かったので、なるように任せた。果たして閻魔様はこちらに気がついて近づいてきた。
「あら成美、ちょうどよいところに。話をしたいと思っていたのですよ」
死神に対してよくしているように、サボりについて盛大に怒るのかと思っていた。いっそ単にこちらを叱って、それで手打ちにしてくれた方が気持ち的に楽だった。話をするにはメンタルがしんどい。
「仕事が上手くいっていないと思っているようですね」
閻魔様は心底心配そうな顔をしていた。私の精神状態も見抜いているのだろう。それでいてズケズケと話を続けることをやめないのだからたちが悪い。善意の嫌われ者。
「……」
「だんまりですか。私には上司として、部下の労働環境を改善する義務があります。そのためには貴方がこの二日間の仕事で何を経験したのか知る必要がある。荒療治になり申し訳ないですが」
閻魔様は浄玻璃の鏡を取り出した。プライバシーの侵害だ、話すからと口を挟もうかとも思ったが、鏡で見られるにしろ自分で話すにしろ結果は変わらない。そうであれば貝のように口を閉ざし続けた方が楽だ。
「一日目は水子の失敗で石積みが崩れるのを阻止できず、子鬼の妨害を止めずに逃亡。二日目は子鬼の妨害に立ち向かうも、それが正しい行動だったのか疑問に思っている……」
赤裸々に所業が語られる。非難がましい口調ではなく、ニュートラルな調子なのがむしろ不気味だ。
「結論から言えば、貴方の行動は全て白です。つまり貴方は仕事が上手くいっていないと思いこんでいただけということ」
そうなのか?
「まず、水子の過失で石積みが崩れることを防ぐ必要はありません。水子の行動の結果なのですから、水子の側が責を負うべきです。監視の目的は石積み技術の向上ではないので、口出しも不要」
「次に子鬼が石積みを崩す場合への対応、これは地蔵側に完全に任されています。不介入でもよいし、水子の側に立っても構わないということです。子鬼に石積みを崩される経験を繰り返すことで悟りを開く水子もいれば、縋る菩薩を欲する水子もいるので、それぞれのパターンの地蔵が求められているのです。強いて言えば貴方の対応には一貫性がなく、迷いが見られますが、仕事に慣れていく過程で軸足を定めていけば良いでしょう」
閻魔様の言葉に救われる気はするが、納得はいかない。そうであるならば、この仕事は、結局何をするのだ?
「これら二つの事例に当てはまらない場合、つまり自然現象や子鬼以外の介入で石積みが崩されることを防ぐ、あるいはそれらで石積みが崩されてしまった場合のアフターケアが基本です。あとは何か異変があれば私や死神、鬼神長に報告をしたり、子鬼に抵抗すると決めた場合はその対応をしたりですね」
そんな単純なことだったとは。最初から教えてくれれば悩まずに済んだのに。
「意地悪な言い方ですが、葛藤してもらうことそれ自体が目的で、あえて伝えていなかったのです。生命を得てから日の浅い人妖というのはどうしても視野が狭い。人間であれば大抵社会に組み込まれるので勝手に見聞を広めるのですが、行動半径の狭い孤立気味の妖怪はそうもいかないので」
閻魔様は鏡をしまった。
「では私からも問いかけを。貴方はこの仕事を始めるまで、自分が地蔵と見られることに忌避感を抱いていたようですが、今はどうですか?」
「今でも地蔵扱いされることに違和感はあります。それに、この二日間で改めて実感しました。私は地蔵として信仰されるようなほど大した存在ではない」
「でしょうね」
社交辞令でも否定するのが筋だろうに、閻魔様は、即答で私の回答を肯定した。
「貴方が本物の地蔵菩薩ではないということは、当然私には分かります。ただそれは私が本物の地蔵だからという特殊な事情によるものです。世の中の大多数、貴方を知らない人は、取り敢えず外観から貴方はお地蔵様なのだろうと仮定して接触するしかない」
「見た目で判断されるのは嫌です」
「ええ。外観のみで決めつけるというのは解像度が非常に低い行為。非は向こう側にあるでしょう。しかし、内面を晒し合って誤解を解いていくというのは時間のかかる、難しいことなのです。だからこそ『ファーストインプレッション』、『人は見た目が九割』といった言葉や格言が生まれる」
「仏様の教えでそんなのありましたっけ?」
「これは仏教ではなく、社会で生きる上での一種の処世術です。先程も言いましたが、貴方のような出自の妖怪は視野が狭い。もっと他人を見るべきで、そのためには俗物的な処世術も使いよう、というわけです」
言われてみれば、この二日間で私にも小さな変化が起きていた。二人の水子の様子を見て、水子という一つの雑な括りは、水子にも色々いるというところにまで分解された。あのときの私は殻に籠もっていたから、それ以上の知見は得られなかったが、上手くやれば……。
「あと、私からもう一つ質問があるのですが、お地蔵様と見なされることってそんなに嫌ですか? 貴方がそう思っているのは、元地蔵として少し傷つくのですが……」
「あっ……。申し訳ございません」
「いや、傷つくというのは私なりの冗談ですよ」
閻魔様は笑っているが、堅物の人が放つブラックジョークほど気味が悪いものはない。肝が冷えた。
「冗談はさておき、他者から望まれるように振る舞うという生き方もあるわけです。最近人里に新しくお寺ができたのですが、行ったことはありますか? あそこの本尊の寅丸星の振る舞いなんかは中々興味深い」
命蓮寺は、住職様が魔法使いでその術法が私に近いので、時々お世話になっている。当然星さんのことも知っているが、私にはあんな風な生き方はできない。彼女は修行で自分を律した結果、自然に生きているだけで人々の信仰に叶うのだ。私が同じことをしようとしても、窮屈さに窒息してしまうだけだろう。
「それならそれで。貴方は矢田寺成美であって寅丸星ではないのだから、同じ生き方をしろとは言わない。私の観察で見てても、貴方は彼女のような優れた役者というよりは、かなり自由人寄りな性格ですから」
閻魔様は立ち上がった。長々と続いた説教、もといお話もこれで仕舞いなのだろう。
「とはいえ完全にコピーしないまでも吸収できる要素は吸収する、というのも視野を広げるということです。それに、元地蔵菩薩として、貴方が生まれながらの智慧を死蔵していることは余りにも惜しい」
***
次の日の仕事。私はまず最初に、瓔花と話をしに行った。
「あ、地蔵のお姉さん!」
「そういえば、昨日名前を伝えそびれていたわね。私の名前は成美。よろしくね」
「成美お姉さん!」
私は彼女と石積みのことについて話をした。水子と親交を深める上で、彼女の美意識を学ぶことは大きな助けになると考えたのだ。しかし残念ながら彼女は自分の石積みに込めた哲学について言語化はしてくれなかった。幼すぎるが故の限界なのだろう。
遠くに鬼が見えた。鬼が石積みを崩すまで、瓔花の作品が崩れることはもうないだろう。彼女の腕を踏まえれば、そもそも鬼以外で崩される可能性を想定すること自体が杞憂なのかもしれないが。私は他の子の様子を見に行くね、と告げてその場を後にした。
適当に様子を見回って、初日に見つけた水子らしき子を見つけた。見回りという仕事内容で特定の子に入れ込むのはあまり良くないことかもしれない。ただ既に瓔花と散々話し込んでおいて何を今更という話だし、かつての失敗への後悔もある。
「……一つつんでは父のため」
「こんにちは」
「……」
水子はこちらを見たが、言葉は発しない。挨拶がぼんやりとし過ぎでいたかも。
「私は新しくここで仕事をすることになった、魔法地蔵の成美。貴方の名前は?」
「……」
「……二つつんでは母のため」
やはり答えは返ってこない。言葉を話すことができないのだろうか。いや、水子なのだから、名前を持っていない可能性だってあるのだ。当たり障りない切り口にしたつもりが、センシティブな案件だったのかもしれない。失敗したなあ。
その後も話をしたが、この子の声を聞くことはできなかった。話すことができないと考えた方がよさそうだ。幽霊というのは得てして話すことができないものであり、瓔花の方が例外なのだ。
ただ、石積みの歌の調子の変化があるので、感情は有しているのだろうということは分かる。おかげで壁に話しかけているような気分にならないのは有り難い。私が話している間、歌のテンションが一向に上がらなかったのは誠に遺憾だが、まあそれは引きこもりだった私のトークスキルの限界だろう。
また向こうに鬼が見えた。一昨日のことを踏まえて今度は戦おうかとも思ったが、立ち去ることにした。鬼に抵抗するには私の信念が足りていない。自分の立場が確固たるものになり、自信を持って鬼と対峙する、あるいは鬼に仕事を譲ることができるようになるのはいつになるだろうか。私はまだまだ未熟者だ。
その後も適当に巡回したり水子と話したりしていたが、水子が石積みを間違えるか鬼が来るか以外の理由で石積みが崩れることは結局無かった。仕事そのものは実に退屈だ。慣れれば水子との会話以外にもやりがいを見出すことができるのだろうか。
***
あれから数年経ったが、仕事は相変わらず退屈なままだ。本物の地蔵菩薩ならば、そうでなくても敬虔な仏教徒ならば、その退屈さを受け入れることができたのだろうが、私の精神はもっと不良寄りだったようだ。
それでも、不良なりに変化はあった。水子との会話は楽しい。未だに双方向の会話が可能な水子は瓔花以外に見つかってはいないが、他の水子とも、石積みの声の調子を判断材料にしてコミュニケーションをとり、いくらかは水子に好評な話もできるようになった。魔理沙からも、性格がいくらか明るくなったと評価された。もっとも彼女には私の仕事を「賽の河原で石積みが崩れないように見張る仕事」としか伝えていないので、何故引っ込み思案な出不精のまま性格が変わったのか不思議がっているようだが。
それに、地蔵ということを肯定的に受け入れられるようになった。前は魔法地蔵という語を地蔵とは違うということを強調するために使っていたが、今では魔法使いかつお地蔵様という意味で使うことが増えた。
そうなってくると、前まで使っていたスペルカードがどうにも古すぎるというのが気になり始めた。今の私としては、魔法使いの側面だけではなく、もう少し地蔵感も前面に押し出したい。
私は産まれて初めて作った地蔵風スペルカードに命名をした。この退屈な仕事に敬意を表して。
「56億7千万年の単純労働」
何でそんな愚痴めいたことを言うのかだって? 私もまた、自分の生まれた経緯を呪いたい側にいるからだ。
私、矢田寺成美は、地蔵に宿った魔力が生命化して生まれた。有り体に言えば、ユダヤ教のゴーレムに近い存在だ。
私の命の本質は内部の魔力であり、地蔵の体は魂の入れ物に過ぎない。で、あるのに周りの人妖は皆、私が地蔵であるかのように振る舞い、私が地蔵であることを期待する。
「そう、貴方は少し自分の生まれに無頓着過ぎる」
この世に生を受けた数年後、正真正銘の地蔵菩薩様に言われた言葉がこれだ。地蔵の姿に生まれたのだから地蔵らしく振る舞えということか? それはある種のレイシズムというものではないか?
「その理解は少々浅いですね。外面だけではありません。内面の魔力も、地蔵として受けてきた信仰に、少なからず引っ張られている。その証拠に、生まれつき、仏教知識はそれなりに有していたでしょう? 釈迦の入滅から弥勒菩薩出現までの無仏時代は何年?」
56億7000万年。確かに彼女の言うことは正論だ。しかし、良薬であるがゆえに、それは飲み込むことができないほど苦い。
「地蔵であることを捨てて、魔法使いとして生きる。それもまた一興でしょう。しかし、内心の信仰心にそうも逆張りしていては精神を蝕みます。それに……」
彼女は、私を値踏みするかのように見つめた。
「貴方は今、着る服も継ぎ接ぎでやり繰りしなければならないほど生活に困っているのでしょう? どうですか、地蔵として賽の河原で働くというのは」
事実生活苦ではあるから、渡りに船だ。しかし、地蔵菩薩、あるいは閻魔様がお金稼ぎを勧めて仕事の斡旋をしようとは。これが末法か。
「お金を稼ぐというのは悪いことではありません。働くという善行への対価なのですから。それは我々地蔵にとってだけではなく、万人に当てはまることなのです」
閻魔様が「我々地蔵」という表現で、勝手に私まで地蔵にカテゴライズしたことは不満だったが、日銭を稼ぎたかった私の首は縦に動いていた。
こうして、地蔵に生命を宿した運命の悪戯を呪ったまま、私は地蔵としての仕事を始めることになった。
***
賽の河原は陰鬱な場所だった。草木一本生えておらず、その代わりに卒塔婆と風車がそこら中に刺さっている。暖かさの欠片もない風に風車が回り、カラカラという音を立てていた。風車の音が聞こえるくらい静かな場所ということだ。
水子はあちこちに散らばってそれぞれの場所で石積みをしているようだった。見張りの仕事なのだから巡回して全員に目を配るべきなのだろうが、この広大な賽の河原の凸凹した地面を歩き通す気にはどうしてもなれなかった。それに、どのタイミングで水子は石を崩す、あるいは崩されてしまうのか知っておくべきだろう。私は適当な場所にしゃがんで、一人の水子を観察することにした。
「……一つつんでは父のため」
それにしても、ここまで水子が沢山いるとは予想外だった。一昔前ならそうではなかったのかもしれないが、現代の幻想郷は、そんなに頻繁に子供が死ぬ場所ではない。ということは、ここの水子の多くは何十年も無為に石積みを続けているのであろう。さっさと三途の川を渡ってしまえば良いのに。
「……二つつんでは母のため」
底に置いたやや小ぶりで丸い石の上に、大きめの石を乗せようとしている。物理を知らないという次元ですらない。その順番だと安定しないと、本能的に分からないものなのか。案の定、僅か二段の石の塔は早くもぐらついている。
「……三つつんでは……」
無謀にもこの水子は歪な形の石を適当に置こうとして、石積みを崩してしまった。
「……一つつんでは父のため」
水子は石積みが崩れたことに対して何の反応も見せず、また石を積み始めた。
石積みが崩れないように見張るという職務を早くも放棄してしまったが、私の感情を埋めていたのはそのことへの悔恨ではなく、水子の作業が余りにも機械的で、非人間性を感じるものだったことへの驚愕だった。この子にとっては石を積むという行為そのものが目的であり、できた塔などどうでも良いのだろう。だから積み方も乱雑だし、結果として石積みが崩れたとしても僅かな動揺すら見せない。
石積みの成果物に対する無頓着さが、この子の水子としての経験が浅いからなのか、水子全体がそういう価値観なのかはまだ分からない。しかし、少なくともこの子の作る塔には誰も、制作者本人すらも、関心を払わないのである。それを崩されないように見張ることに、意味はあるのだろうか。
次の石積みは幸運にもそれなりの高さに積み上がった。本当にただ幸運なだけだ。積み方は相変わらず乱雑で、たまたま手で掴む石の形と順番が適切なだけ。
それでも嬉しいのか、水子の口ずさむ歌は心なしか軽やかな調子になった。先程の推論は微妙に誤りで、この子とて自作品を愛する感性は持ち合わせていた。単に愛するに値する作品に到達するまでが運任せで遠く、そして賽の河原の悠久の時間の中で無限に試行できてしまうので、それがこの子の石積みスタイルになっている、ただそれだけのことだった。
水子が石積みを重ねている場所よりさらに向こう側に人影が見えた。いや、人ではない。鬼だ。角が生えている。それが石積みを崩しに来た子鬼だということは直ぐに予想がついた。
その細部が確認できるまで鬼が近づいてきた。この子の石積みを崩しに来たのだろう。驚くべきことに、彼は是非曲直庁の制服を羽織っていた。
私は反射的に立ち上がって背をそむけ走り去った。背中に鬼の怒号と、石が崩れるガラガラという音が刺さった。
私は鬼が水子に対して行うであろう狼藉に目を背けたくなり去ったのではない。石積みを崩されないようにと私を雇いながら、その一方で石積みを崩すために鬼を派遣する、是非曲直庁の矛盾にカッとなって立ち去ったのだ。
しかし、何も聞こえないくらい遠くまで走り、息が上がってきたところで急速に後悔の念が湧いてきた。私は自分のエゴで職務を放棄し、結果あの水子を悲しませてしまった。あんなに楽しそうに歌いながら積んでいた作品だ。それを崩されたショックは相当なものだっただろう。大泣きする、あるいは呆然と石を持ちすらせず座り込む水子の姿が脳裏に浮かんだ。
せめて引き返して言葉を一つ、あの子にかけてあげるべきだっただろう。しかし、臆病な私はさらに現場から遠ざかるように真っ直ぐ歩を進めた。
進路上の遠くに、閻魔様の姿が見えた。幸いこちらには気がついていない。閻魔様がこちらに視線を向ける前に、私は斜め後ろに進路変更して賽の河原を後にすることにした。
私はサボり魔の死神がサボり中に私に会うたびに「今はボスに会いたくない」と怯えているのを内心で小馬鹿にしていた。だが、今なら彼女の気持ちが、なんとなく分かる気がした。
***
日を改めて来ても、賽の河原は相変わらず陰鬱な場所だった。時間に関係なく、もやがかかったかのように薄暗い。
昨日と同じ道筋を辿って再びあの子に会う勇気を持つことはまだできなかったので、別の方角で水子を探すことにした。
適当な水子を見つけ、観察を行う。私はまだ、この子達のことを知らなすぎる。
その水子は手早く石を重ねていく。手際は良いのだが、昨日の水子と同じくらいかそれ以上に石の選別や重ね方が無頓着過ぎるように思える。これでは早晩、石の塔は大崩落を起こしてしまうだろう。
そう思っていたのだが、石の塔は絶妙なバランスで安定性を保っていた。間違っていたのは私の方だった。守破離。私は石積みに関しては素人だから、物理的常識に基づいた安定性でしか見ることができないが、この子はそこにオリジナリティを付加して残す域に到達した石積み博士なのだ。
「よし、一作品できた!」
水子は途中で手を止めて、満足気に自作品の鑑賞を始めた。石の塔の高さはそう極端ではなく、この子の身長でもさらに積み上げようと思えば重ねられそうではある。しかし、さらに重ねてしまうと作品の美観を損ねてしまうと考えたからなのか、一個でも石を追加してしまうと失われる絶妙なバランスだからなのか、この子はあえて石を積むという選択肢を放棄したのだ。
昨日の水子とは真逆だ。昨日の子が仏教的な水子物語に忠実に則って、石を積むという行為そのものに意味を見出す苦行者だとするならば、この子はアナーキーな芸術家だ。そうだ、この子は石積みに際してあの歌を口ずさむことすらしない。私の内心の仏性はこの子は邪道だと警鐘を鳴らしていたが、この子のやり方を否定することはできなかった。
この子と一緒に作品を眺める。まあ私は石積み素人だから、作品の良し悪しなど分かりはしない。真ん中よりやや上で、大きな楕円形の石をあえて斜めに立てかけるように置いているのとか、芸術点が高い……のだろうか? ただまあ、何となくこれは、残すべき価値のある作品な気がした。
「良い作品ね。貴方の名前は?」
「私は戎瓔花。地蔵のお姉さん、貴方は?」
「あー、私は魔法地蔵だから地蔵とはちょっと違うのよね。で、名前は……」
瓔花に名前を告げる前に、地響きが響いた。振り向くと、子鬼が石積みを崩しにやって来ていた。
「この程度では功徳とは言えぬ」
「作品を崩そうっていうの? そうはさせないんだから!」
私は鬼と石積みの間に割って入った。子鬼は軽蔑するように私を見つめた。
「見ない顔だな。……新入りか。悪いがこれも仕事なんでね」
子鬼は私の体の側面に体当たりした。私よりも小柄だが、予想外に力が強く、私は軽く吹き飛ばされて転んでしまった。起き上がった頃には、もう石積みが崩されてしまった後だった。
「ごめんね……。大丈夫?」
瓔花は魂の抜けたような目で、遠ざかる子鬼の背中を見つめている。私は彼女に、恐る恐る声をかけた。
「残念だけれど、ま、しょうがないよね。地蔵のお姉さん、石積みを守ろうとしてくれてありがとう」
瓔花は先刻までの呆然が嘘だったかのようにまた石積みを始めた。
どんな苦しみが生ずるのでも、すべて執著(執着)に縁って起る。仏教の基本的な教えだ。彼女は完成した作品に無用な執著を向けなかったから楽しく石積みを続け、私は当人ですらないのに石積みに執著し取り乱してしまった。
瓔花は無意識のうちに、仏教の真理に近づいているのかもしれない。鬼が来るまで作品に向けていた執著は相当なもので、ここが彼女が三途の川を渡るに至らない原因なのだろう。ただ、鬼に作品が崩される無常については、諦念ではなくて所与のものとして受け入れている。それに対して私のなんと無明だったことか……!
私は彼女と同じ空間にいることが恥ずかしくなった。引きつった笑顔でそっけない返事だけ返して、私はそそくさとその場を立ち去った。
***
昨日と同じようにあてもなく賽の河原を歩いていると、昨日と同じように閻魔様を遠くに見た。昨日と同じように仕事から逃げてしまったことへの後ろめたさはあったが、昨日と違って立ち去る気力すら無かったので、なるように任せた。果たして閻魔様はこちらに気がついて近づいてきた。
「あら成美、ちょうどよいところに。話をしたいと思っていたのですよ」
死神に対してよくしているように、サボりについて盛大に怒るのかと思っていた。いっそ単にこちらを叱って、それで手打ちにしてくれた方が気持ち的に楽だった。話をするにはメンタルがしんどい。
「仕事が上手くいっていないと思っているようですね」
閻魔様は心底心配そうな顔をしていた。私の精神状態も見抜いているのだろう。それでいてズケズケと話を続けることをやめないのだからたちが悪い。善意の嫌われ者。
「……」
「だんまりですか。私には上司として、部下の労働環境を改善する義務があります。そのためには貴方がこの二日間の仕事で何を経験したのか知る必要がある。荒療治になり申し訳ないですが」
閻魔様は浄玻璃の鏡を取り出した。プライバシーの侵害だ、話すからと口を挟もうかとも思ったが、鏡で見られるにしろ自分で話すにしろ結果は変わらない。そうであれば貝のように口を閉ざし続けた方が楽だ。
「一日目は水子の失敗で石積みが崩れるのを阻止できず、子鬼の妨害を止めずに逃亡。二日目は子鬼の妨害に立ち向かうも、それが正しい行動だったのか疑問に思っている……」
赤裸々に所業が語られる。非難がましい口調ではなく、ニュートラルな調子なのがむしろ不気味だ。
「結論から言えば、貴方の行動は全て白です。つまり貴方は仕事が上手くいっていないと思いこんでいただけということ」
そうなのか?
「まず、水子の過失で石積みが崩れることを防ぐ必要はありません。水子の行動の結果なのですから、水子の側が責を負うべきです。監視の目的は石積み技術の向上ではないので、口出しも不要」
「次に子鬼が石積みを崩す場合への対応、これは地蔵側に完全に任されています。不介入でもよいし、水子の側に立っても構わないということです。子鬼に石積みを崩される経験を繰り返すことで悟りを開く水子もいれば、縋る菩薩を欲する水子もいるので、それぞれのパターンの地蔵が求められているのです。強いて言えば貴方の対応には一貫性がなく、迷いが見られますが、仕事に慣れていく過程で軸足を定めていけば良いでしょう」
閻魔様の言葉に救われる気はするが、納得はいかない。そうであるならば、この仕事は、結局何をするのだ?
「これら二つの事例に当てはまらない場合、つまり自然現象や子鬼以外の介入で石積みが崩されることを防ぐ、あるいはそれらで石積みが崩されてしまった場合のアフターケアが基本です。あとは何か異変があれば私や死神、鬼神長に報告をしたり、子鬼に抵抗すると決めた場合はその対応をしたりですね」
そんな単純なことだったとは。最初から教えてくれれば悩まずに済んだのに。
「意地悪な言い方ですが、葛藤してもらうことそれ自体が目的で、あえて伝えていなかったのです。生命を得てから日の浅い人妖というのはどうしても視野が狭い。人間であれば大抵社会に組み込まれるので勝手に見聞を広めるのですが、行動半径の狭い孤立気味の妖怪はそうもいかないので」
閻魔様は鏡をしまった。
「では私からも問いかけを。貴方はこの仕事を始めるまで、自分が地蔵と見られることに忌避感を抱いていたようですが、今はどうですか?」
「今でも地蔵扱いされることに違和感はあります。それに、この二日間で改めて実感しました。私は地蔵として信仰されるようなほど大した存在ではない」
「でしょうね」
社交辞令でも否定するのが筋だろうに、閻魔様は、即答で私の回答を肯定した。
「貴方が本物の地蔵菩薩ではないということは、当然私には分かります。ただそれは私が本物の地蔵だからという特殊な事情によるものです。世の中の大多数、貴方を知らない人は、取り敢えず外観から貴方はお地蔵様なのだろうと仮定して接触するしかない」
「見た目で判断されるのは嫌です」
「ええ。外観のみで決めつけるというのは解像度が非常に低い行為。非は向こう側にあるでしょう。しかし、内面を晒し合って誤解を解いていくというのは時間のかかる、難しいことなのです。だからこそ『ファーストインプレッション』、『人は見た目が九割』といった言葉や格言が生まれる」
「仏様の教えでそんなのありましたっけ?」
「これは仏教ではなく、社会で生きる上での一種の処世術です。先程も言いましたが、貴方のような出自の妖怪は視野が狭い。もっと他人を見るべきで、そのためには俗物的な処世術も使いよう、というわけです」
言われてみれば、この二日間で私にも小さな変化が起きていた。二人の水子の様子を見て、水子という一つの雑な括りは、水子にも色々いるというところにまで分解された。あのときの私は殻に籠もっていたから、それ以上の知見は得られなかったが、上手くやれば……。
「あと、私からもう一つ質問があるのですが、お地蔵様と見なされることってそんなに嫌ですか? 貴方がそう思っているのは、元地蔵として少し傷つくのですが……」
「あっ……。申し訳ございません」
「いや、傷つくというのは私なりの冗談ですよ」
閻魔様は笑っているが、堅物の人が放つブラックジョークほど気味が悪いものはない。肝が冷えた。
「冗談はさておき、他者から望まれるように振る舞うという生き方もあるわけです。最近人里に新しくお寺ができたのですが、行ったことはありますか? あそこの本尊の寅丸星の振る舞いなんかは中々興味深い」
命蓮寺は、住職様が魔法使いでその術法が私に近いので、時々お世話になっている。当然星さんのことも知っているが、私にはあんな風な生き方はできない。彼女は修行で自分を律した結果、自然に生きているだけで人々の信仰に叶うのだ。私が同じことをしようとしても、窮屈さに窒息してしまうだけだろう。
「それならそれで。貴方は矢田寺成美であって寅丸星ではないのだから、同じ生き方をしろとは言わない。私の観察で見てても、貴方は彼女のような優れた役者というよりは、かなり自由人寄りな性格ですから」
閻魔様は立ち上がった。長々と続いた説教、もといお話もこれで仕舞いなのだろう。
「とはいえ完全にコピーしないまでも吸収できる要素は吸収する、というのも視野を広げるということです。それに、元地蔵菩薩として、貴方が生まれながらの智慧を死蔵していることは余りにも惜しい」
***
次の日の仕事。私はまず最初に、瓔花と話をしに行った。
「あ、地蔵のお姉さん!」
「そういえば、昨日名前を伝えそびれていたわね。私の名前は成美。よろしくね」
「成美お姉さん!」
私は彼女と石積みのことについて話をした。水子と親交を深める上で、彼女の美意識を学ぶことは大きな助けになると考えたのだ。しかし残念ながら彼女は自分の石積みに込めた哲学について言語化はしてくれなかった。幼すぎるが故の限界なのだろう。
遠くに鬼が見えた。鬼が石積みを崩すまで、瓔花の作品が崩れることはもうないだろう。彼女の腕を踏まえれば、そもそも鬼以外で崩される可能性を想定すること自体が杞憂なのかもしれないが。私は他の子の様子を見に行くね、と告げてその場を後にした。
適当に様子を見回って、初日に見つけた水子らしき子を見つけた。見回りという仕事内容で特定の子に入れ込むのはあまり良くないことかもしれない。ただ既に瓔花と散々話し込んでおいて何を今更という話だし、かつての失敗への後悔もある。
「……一つつんでは父のため」
「こんにちは」
「……」
水子はこちらを見たが、言葉は発しない。挨拶がぼんやりとし過ぎでいたかも。
「私は新しくここで仕事をすることになった、魔法地蔵の成美。貴方の名前は?」
「……」
「……二つつんでは母のため」
やはり答えは返ってこない。言葉を話すことができないのだろうか。いや、水子なのだから、名前を持っていない可能性だってあるのだ。当たり障りない切り口にしたつもりが、センシティブな案件だったのかもしれない。失敗したなあ。
その後も話をしたが、この子の声を聞くことはできなかった。話すことができないと考えた方がよさそうだ。幽霊というのは得てして話すことができないものであり、瓔花の方が例外なのだ。
ただ、石積みの歌の調子の変化があるので、感情は有しているのだろうということは分かる。おかげで壁に話しかけているような気分にならないのは有り難い。私が話している間、歌のテンションが一向に上がらなかったのは誠に遺憾だが、まあそれは引きこもりだった私のトークスキルの限界だろう。
また向こうに鬼が見えた。一昨日のことを踏まえて今度は戦おうかとも思ったが、立ち去ることにした。鬼に抵抗するには私の信念が足りていない。自分の立場が確固たるものになり、自信を持って鬼と対峙する、あるいは鬼に仕事を譲ることができるようになるのはいつになるだろうか。私はまだまだ未熟者だ。
その後も適当に巡回したり水子と話したりしていたが、水子が石積みを間違えるか鬼が来るか以外の理由で石積みが崩れることは結局無かった。仕事そのものは実に退屈だ。慣れれば水子との会話以外にもやりがいを見出すことができるのだろうか。
***
あれから数年経ったが、仕事は相変わらず退屈なままだ。本物の地蔵菩薩ならば、そうでなくても敬虔な仏教徒ならば、その退屈さを受け入れることができたのだろうが、私の精神はもっと不良寄りだったようだ。
それでも、不良なりに変化はあった。水子との会話は楽しい。未だに双方向の会話が可能な水子は瓔花以外に見つかってはいないが、他の水子とも、石積みの声の調子を判断材料にしてコミュニケーションをとり、いくらかは水子に好評な話もできるようになった。魔理沙からも、性格がいくらか明るくなったと評価された。もっとも彼女には私の仕事を「賽の河原で石積みが崩れないように見張る仕事」としか伝えていないので、何故引っ込み思案な出不精のまま性格が変わったのか不思議がっているようだが。
それに、地蔵ということを肯定的に受け入れられるようになった。前は魔法地蔵という語を地蔵とは違うということを強調するために使っていたが、今では魔法使いかつお地蔵様という意味で使うことが増えた。
そうなってくると、前まで使っていたスペルカードがどうにも古すぎるというのが気になり始めた。今の私としては、魔法使いの側面だけではなく、もう少し地蔵感も前面に押し出したい。
私は産まれて初めて作った地蔵風スペルカードに命名をした。この退屈な仕事に敬意を表して。
「56億7千万年の単純労働」
特に大きな起伏や強い盛り上がりがあるわけではないですが、
なんだか読んでいてほー……と思うようなお話。
水子と成美をこういう視点で書いてきたのは面白いと思いました
もう少し読みやすくなるといいのかなとは思いますが、個人的にこの作風は好きです。
仕事を通じて少しずつ変わっていく成美が素敵でした
仕事を通しての成美の変化を最終的にスペルカードの名前で表す、というのはお見事でした。