「ただいまー。姉さんごめーん……キノコ全然生えてなかったよー」
めっきり昼間も涼しくなり、過ごしやすくなったある日のこと、穣子が山から帰ってくると姉の姿が見えない。
「なーんだ。姉さんまたどこかに出かけちゃったのね……」
穣子はどうせいつものことだと、気にせず家で過ごしていたが、姉は夜になっても帰ってこなかった。
――どーせまた天狗のとこにでも泊まりに行ったんだわ。朝になったら帰ってくるわね。
穣子は夜が明けるのを待った。しかし次の日になっても、その次の日になっても姉は帰ってこなかった。
そこでようやく穣子は何かおかしいことに気づく。
というのも、姉が何日も家を離れるときは、必ず何かしら書き置きを残していくはずだ。しかし今回は、机を見てもそれらしいものは見当たらない。
何か胸騒ぎを覚えた穣子は、念のため家の中を探してみる。すると隅の方に紙切れが落ちているのを見つける。おそらく姉の書き置きだ。風で飛ばされてしまっていたんだろう。彼女は急いでその紙切れを拾い、書かれている文字を読んだ。
『もうあきたから やまにいくわ さがさないでね あきしずは』
「は!? どゆこと!?」
思わず穣子は大声を上げてしまう。
――え……えーと、落ち着け。落ち着くのよ私! こういうときは、まず深呼吸して落ち着いてから、文章を読み解いていきましょう。……クンカクンカクンカクンカ。ああーイモのにおい! ……これでよし、えーと、まず、文字が平仮名だけってのは、うん、いつもの事よね。姉さん会津八一をリスペクトしてるから。で、山に行くから探さないでっていうのもまだわかるわね。この時期になると姉さんいつも山に出かけて葉っぱを塗りに行くものね。別に探す必要はないわ。……問題はこの、あきたってのよね。あきた? あきたこまち? 秋田犬? なまはげ……は違うか。……あきた。あきた。……もしかして、飽きた? つまり『もう飽きた』ってこと? でも飽きたって一体何に飽きたっていうのよ……!? え、まさか、この家での暮らし? もっと言えば私との生活ってこと!? じゃ、この探さないでってのは、家出するから探さないでって意味……!?
穣子は動揺のあまり一人でブツブツつぶやきながら最近の生活を振り返る。
「……ええっ。だって私との生活で飽きる要素なんてないはず……! だって最近の私といえば、夏の暑さにやられて一日中ずっと寝ていたし。……まぁ、確かに姉さんと全然関われてなかったかもしれないけど。でもでもでもっ! 待って! ほら! 最近やっと涼しくなってきたからこうやって毎日キノコ狩り行ってるじゃない! 全然キノコ生えてなくて、そのたび姉さんがっかりさせちゃってるけど……。んでもって、夜は姉さんいつも夜雀の居酒屋行っちゃうから話できてないし。…………あれ? これひょっとしてダメなやつってやつでは……?」
思い返せば返すほど、姉が自分との生活に飽きてしまう要素が次々と出てきてしまい、思わず穣子は絶句してしまう。
「……えぇー? でも……。いや、嘘でしょ? ……そんな? だからって家から出て行くほどのことじゃないでしょ? こんなの……! はぁ!? ……嘘でしょ!?」
現状を受け入れられず錯乱気味の穣子は、思わず慌てふためいて大声で姉を呼ぶ。しかし当然返事はない。
「ねえぇさぁーーーーーん!!」
もう一度呼ぶも、やはり返事はない。姉が家に居ないのはまごう事なき事実なのだ。
「そんな……」
穣子はようやくその事実を少しずつ受け止め始める。正常性バイアスからとき放たれたとき、初めて残酷な現実を目の当たりにし、愕然とするのは神とて同じこと。
そう。姉は自分が期待外れな行動ばかりしていたせいで、一緒に居ることに飽きてしまった。それで愛想尽かして家を出て行ってしまったのだ。
急に心細くなった穣子は力なく床に崩れると、思わず涙ぐんでしまう。そしてそのまま泣き出しそうになるが、寸前で思いとどまる。
――……だめだめ。こんなとこで泣いたって姉さんは、帰ってくるわけないじゃない……。
今更謝っても、あの偏屈紅葉神の姉が許してくれるかはわからない。わからないが、だからと言ってここに居ても何も始まらない。とにかく、何が何でも姉を探し出して、家に戻ってくるように説得しよう。そしてもう一回二人で一緒に暮らすんだ。
穣子は決意を胸に山へと向かった。
■
穣子がまず向かった先は鴉天狗の文の家だった。というのも彼女は姉と親交が深いのだ。もしかしたら何か知っているかもしれない。穣子の突然の来訪に、文は驚いたような表情で出迎える。
そして穣子が早速事情を説明すると、驚いて聞き返す。
「あややや!? なんと静葉さんが家出とな!?」
「そう。これ見てよ!」
差し出された書き置きを見ながら文は何度も頷く。
「ふうむ。これは……。そうですね。明らかに置き手紙のようです」
「うーん。その様子だとここには来てない感じね……?」
「ええ、残念ながらここには。……最後に来たのは数日前でしたかねえ」
「その時何か変わった様子とかなかった?」
「変わった様子ですか? うーん……。特には……。ただ」
「ただ?」
「穣子さんのキノコ鍋が食べられると、すごく楽しみにしているって言ってましたよ。それはそれはもう嬉しそうに」
「……」
思わず穣子は言葉を失ってしまう。ほんの少し前まで姉は自分に対してそんなに好意的だったのだ。それがどうして数日後にはこんなことになってしまったのか。単にキノコ鍋が食べられないからという理由だけではなさそうだ。きっと今までのたまりにたまった鬱憤が爆発したとか等だろう。
「……私も、もし見かけたらすぐ教えますので。……大丈夫ですよ。きっと静葉さんは帰ってきますよ」
よほど深刻そうな表情だったのだろう。文は励ますように彼女の肩を軽くたたく。
「うん、そうよね。……ありがとう。それじゃ頼むわ」
穣子は一礼すると、文の家を出た。
■
その後も穣子は知り合いのところを片っ端から尋ねて姉の情報を集めたが、特にめぼしい情報は手に入れられなかった。
日もすっかり暮れてしまい、穣子も思わず途方に暮れてしまう。そして山の冷たい風に吹かれながら、今日はもう諦めて家に帰ろうとしたその時だ。
「……あれ?」
一瞬、姉の気配を感じた。秋の冷たい風とともに、姉の気配を確かに感じたのだ。
――もしかして、この近くに姉さんが居る……!?
穣子はわずかな望みをかけて、その気配をたどってみることにした。気配をたどり、薄暗い谷底を降りていくと、徐々にその気配は強くなっていく。
――間違いない! この先に姉さんが居る!
谷底の沢まで降りきり、辺りを見回すと、夕闇の中にぼんやりと赤い何かが浮かんで見えた。
穣子が急いでそのぼんやりに近づくと、そこには、木々の葉を紅葉させる作業に没頭している静葉の姿があった。
「姉さん!」
穣子が呼びかけるも返事はない。作業に集中しているのか、あるいはわざと無視しているのか、静葉は無言で黙々と葉に色を塗っている。
「ねぇーーーさぁあああーーーーん!!」
穣子が渾身の力を込めてもう一度呼ぶと、静葉はやや不機嫌そうに穣子の方を振り向く。
「……穣子。どうしたのよ。探さないでって書いてあったじゃ……」
「姉さん! ごめんなさい! 私が悪かったわ! 姉さんの期待を裏切って本当にごめんなさい!!」
静葉はきょとんとした様子で穣子を見つめる。かまわず穣子は続ける。
「私、頑張って秋神らしく振る舞うから! 頑張って美味しいキノコ鍋作るから! 姉さんの期待に応えられるように努力するから! だからお願い! 家に帰ってきて! この通り!!」
穣子はその場で土下座をする。それを見て静葉は首をかしげる。たまらず穣子は例の書き置きを見せた。
「ほら、これって、ようは家での生活が退屈すぎて飽きちゃったってことでしょ!? だから家を出たってことでしょ!?」
その書き置きを見た静葉は、にやりと笑みを浮かべる。
「……あぁ、そういうことね」
そう言って彼女はおもむろに懐から筆を取り出すと、その書き置きに何かを書き加える。
それを見た穣子は思わず目が点になってしまう。
書き置きはこう変わっていた。
『もうあきだから やまにいくわ さがさないで あきしずは』
めっきり昼間も涼しくなり、過ごしやすくなったある日のこと、穣子が山から帰ってくると姉の姿が見えない。
「なーんだ。姉さんまたどこかに出かけちゃったのね……」
穣子はどうせいつものことだと、気にせず家で過ごしていたが、姉は夜になっても帰ってこなかった。
――どーせまた天狗のとこにでも泊まりに行ったんだわ。朝になったら帰ってくるわね。
穣子は夜が明けるのを待った。しかし次の日になっても、その次の日になっても姉は帰ってこなかった。
そこでようやく穣子は何かおかしいことに気づく。
というのも、姉が何日も家を離れるときは、必ず何かしら書き置きを残していくはずだ。しかし今回は、机を見てもそれらしいものは見当たらない。
何か胸騒ぎを覚えた穣子は、念のため家の中を探してみる。すると隅の方に紙切れが落ちているのを見つける。おそらく姉の書き置きだ。風で飛ばされてしまっていたんだろう。彼女は急いでその紙切れを拾い、書かれている文字を読んだ。
『もうあきたから やまにいくわ さがさないでね あきしずは』
「は!? どゆこと!?」
思わず穣子は大声を上げてしまう。
――え……えーと、落ち着け。落ち着くのよ私! こういうときは、まず深呼吸して落ち着いてから、文章を読み解いていきましょう。……クンカクンカクンカクンカ。ああーイモのにおい! ……これでよし、えーと、まず、文字が平仮名だけってのは、うん、いつもの事よね。姉さん会津八一をリスペクトしてるから。で、山に行くから探さないでっていうのもまだわかるわね。この時期になると姉さんいつも山に出かけて葉っぱを塗りに行くものね。別に探す必要はないわ。……問題はこの、あきたってのよね。あきた? あきたこまち? 秋田犬? なまはげ……は違うか。……あきた。あきた。……もしかして、飽きた? つまり『もう飽きた』ってこと? でも飽きたって一体何に飽きたっていうのよ……!? え、まさか、この家での暮らし? もっと言えば私との生活ってこと!? じゃ、この探さないでってのは、家出するから探さないでって意味……!?
穣子は動揺のあまり一人でブツブツつぶやきながら最近の生活を振り返る。
「……ええっ。だって私との生活で飽きる要素なんてないはず……! だって最近の私といえば、夏の暑さにやられて一日中ずっと寝ていたし。……まぁ、確かに姉さんと全然関われてなかったかもしれないけど。でもでもでもっ! 待って! ほら! 最近やっと涼しくなってきたからこうやって毎日キノコ狩り行ってるじゃない! 全然キノコ生えてなくて、そのたび姉さんがっかりさせちゃってるけど……。んでもって、夜は姉さんいつも夜雀の居酒屋行っちゃうから話できてないし。…………あれ? これひょっとしてダメなやつってやつでは……?」
思い返せば返すほど、姉が自分との生活に飽きてしまう要素が次々と出てきてしまい、思わず穣子は絶句してしまう。
「……えぇー? でも……。いや、嘘でしょ? ……そんな? だからって家から出て行くほどのことじゃないでしょ? こんなの……! はぁ!? ……嘘でしょ!?」
現状を受け入れられず錯乱気味の穣子は、思わず慌てふためいて大声で姉を呼ぶ。しかし当然返事はない。
「ねえぇさぁーーーーーん!!」
もう一度呼ぶも、やはり返事はない。姉が家に居ないのはまごう事なき事実なのだ。
「そんな……」
穣子はようやくその事実を少しずつ受け止め始める。正常性バイアスからとき放たれたとき、初めて残酷な現実を目の当たりにし、愕然とするのは神とて同じこと。
そう。姉は自分が期待外れな行動ばかりしていたせいで、一緒に居ることに飽きてしまった。それで愛想尽かして家を出て行ってしまったのだ。
急に心細くなった穣子は力なく床に崩れると、思わず涙ぐんでしまう。そしてそのまま泣き出しそうになるが、寸前で思いとどまる。
――……だめだめ。こんなとこで泣いたって姉さんは、帰ってくるわけないじゃない……。
今更謝っても、あの偏屈紅葉神の姉が許してくれるかはわからない。わからないが、だからと言ってここに居ても何も始まらない。とにかく、何が何でも姉を探し出して、家に戻ってくるように説得しよう。そしてもう一回二人で一緒に暮らすんだ。
穣子は決意を胸に山へと向かった。
■
穣子がまず向かった先は鴉天狗の文の家だった。というのも彼女は姉と親交が深いのだ。もしかしたら何か知っているかもしれない。穣子の突然の来訪に、文は驚いたような表情で出迎える。
そして穣子が早速事情を説明すると、驚いて聞き返す。
「あややや!? なんと静葉さんが家出とな!?」
「そう。これ見てよ!」
差し出された書き置きを見ながら文は何度も頷く。
「ふうむ。これは……。そうですね。明らかに置き手紙のようです」
「うーん。その様子だとここには来てない感じね……?」
「ええ、残念ながらここには。……最後に来たのは数日前でしたかねえ」
「その時何か変わった様子とかなかった?」
「変わった様子ですか? うーん……。特には……。ただ」
「ただ?」
「穣子さんのキノコ鍋が食べられると、すごく楽しみにしているって言ってましたよ。それはそれはもう嬉しそうに」
「……」
思わず穣子は言葉を失ってしまう。ほんの少し前まで姉は自分に対してそんなに好意的だったのだ。それがどうして数日後にはこんなことになってしまったのか。単にキノコ鍋が食べられないからという理由だけではなさそうだ。きっと今までのたまりにたまった鬱憤が爆発したとか等だろう。
「……私も、もし見かけたらすぐ教えますので。……大丈夫ですよ。きっと静葉さんは帰ってきますよ」
よほど深刻そうな表情だったのだろう。文は励ますように彼女の肩を軽くたたく。
「うん、そうよね。……ありがとう。それじゃ頼むわ」
穣子は一礼すると、文の家を出た。
■
その後も穣子は知り合いのところを片っ端から尋ねて姉の情報を集めたが、特にめぼしい情報は手に入れられなかった。
日もすっかり暮れてしまい、穣子も思わず途方に暮れてしまう。そして山の冷たい風に吹かれながら、今日はもう諦めて家に帰ろうとしたその時だ。
「……あれ?」
一瞬、姉の気配を感じた。秋の冷たい風とともに、姉の気配を確かに感じたのだ。
――もしかして、この近くに姉さんが居る……!?
穣子はわずかな望みをかけて、その気配をたどってみることにした。気配をたどり、薄暗い谷底を降りていくと、徐々にその気配は強くなっていく。
――間違いない! この先に姉さんが居る!
谷底の沢まで降りきり、辺りを見回すと、夕闇の中にぼんやりと赤い何かが浮かんで見えた。
穣子が急いでそのぼんやりに近づくと、そこには、木々の葉を紅葉させる作業に没頭している静葉の姿があった。
「姉さん!」
穣子が呼びかけるも返事はない。作業に集中しているのか、あるいはわざと無視しているのか、静葉は無言で黙々と葉に色を塗っている。
「ねぇーーーさぁあああーーーーん!!」
穣子が渾身の力を込めてもう一度呼ぶと、静葉はやや不機嫌そうに穣子の方を振り向く。
「……穣子。どうしたのよ。探さないでって書いてあったじゃ……」
「姉さん! ごめんなさい! 私が悪かったわ! 姉さんの期待を裏切って本当にごめんなさい!!」
静葉はきょとんとした様子で穣子を見つめる。かまわず穣子は続ける。
「私、頑張って秋神らしく振る舞うから! 頑張って美味しいキノコ鍋作るから! 姉さんの期待に応えられるように努力するから! だからお願い! 家に帰ってきて! この通り!!」
穣子はその場で土下座をする。それを見て静葉は首をかしげる。たまらず穣子は例の書き置きを見せた。
「ほら、これって、ようは家での生活が退屈すぎて飽きちゃったってことでしょ!? だから家を出たってことでしょ!?」
その書き置きを見た静葉は、にやりと笑みを浮かべる。
「……あぁ、そういうことね」
そう言って彼女はおもむろに懐から筆を取り出すと、その書き置きに何かを書き加える。
それを見た穣子は思わず目が点になってしまう。
書き置きはこう変わっていた。
『もうあきだから やまにいくわ さがさないで あきしずは』
今年も秋が来ましたね
現実でもやりそうで怖い